今夜もまた、陽詩は楽しそうに風呂で今日の出来事を母さんに報告している。学校での出来事に混じって、蒼くんとのことまで。どうやら母さんは僕よりも先に蒼くんとのことを知っていたらしく、なんだかやたら楽しげに話している。女子トークってやつだろうか。
「え! いいの!? やったぁ!」
何かやたらと陽詩が嬉しそうな声をあげているのだけど、何があったんだろう。湯上りのタオルや着替えのパジャマを用意してやって、それから布団を敷いていると、陽詩が風呂から上がって来た。心なしか湯上りのせいじゃなく頬が上気していて嬉しそうだ。
湯上りの牛乳を一杯飲んで、歯磨きを済ませた陽詩は、僕が敷いておいた布団にダイブするように寝転がる。やけにご機嫌のようだ。
「陽詩、髪を乾かさないと」
ごろごろと布団の上で嬉しそうにニマニマしながら転がる陽詩にそう促すと、陽詩はひょこっと顔をあげ、また嬉しそうに転がりだす。よっぽど何かいいことがあったんだろうか。
陽詩が嬉しそうにしていると、僕まで自然と頬が緩んでしまう。やっぱりかわいい大事な妹はいつも笑っていて欲しいから。
「やけにご機嫌だね。何かいいことでもあったのか?」
「うふふー。内緒ぉ」
「なんだよ、お兄ちゃんにも教えてよ」
「どうしようかなぁ」
勿体ぶりながらも話をしたそうな陽詩を抱き起こし、そのままタオルドライを始める。普段なら僕のやり方が乱暴だの痛いだの文句を言うことが多いのに、それすらない。これは相当だな……と、思っていると、「あのねぇ」と、陽詩がタオルの隙間から顔を覗かせてくる。
「なに?」
「あのねぇ、今度蒼くんのおうちにお呼ばれしたの」
「お呼ばれ? 蒼くんの家に行くってこと?」
「うん、そうだよ! ひなのおうちのお母さんが毎日忙しくて夜遅いんだぁって言ったら、おうちおいでって言ってくれたから」
確かにうちは母子家庭の上に母さんが多忙だから、僕が日々の食事やら家事やらをこなしている。でもそれを、誰かに頼らなきゃいけないほど困っているわけではない……はず。大変じゃないと言えば嘘になるけれど、でもだからと言って陽詩の友達の家族にお世話になるほどではないと思っている。
(それとも、陽詩は僕が頼りなく見えてきたのかな? ごはんが美味しくないとか……)
過ぎる不安に気分が沈みかけていると、「陽詩、ちょっと言葉が足りないんじゃない?」と、風呂から上がって来た母さんが苦笑しながら声をかけてくる。
風呂上がりの麦茶を飲み干してから寝室に入ってきて、僕と陽詩の傍に座る。
「陽詩の言葉が足らないってどういうこと?」
「説明不足ってこと。実はね、来週二泊三日で出張に出ることになったの。行き先は大阪で朝も早いし、帰って来る日も遅くなるし、なにより外泊する出張って初めてじゃない? そしたら、陽詩が蒼くんともっと遊びたーいって言うから、ちょうどいいかなって思って」
「ちょうどいいかなって……母さん、向こうはオッケー出てるの? って言うかいつの間に連絡先を?」
僕だって川端の連絡先をまだ知らないのに、と余計なことは言わないでおいて、何故そんなに話が進んでいるのかが不思議で、質問攻めにしてしまう。だって、いきなり彼氏だとか言っている相手の家に行くだなんて言うんだから、質問攻めにすることぐらい当然だろう。
しかしそこは僕よりはるかに経験値が豊富な母さんだ。僕が半ば苛立ちながら質問攻めにしても、「保護者っていうのは子どもの知らない間に繋がっているもんなのよ」と、サラッと流してしまう。まあ、現にクラスメイトだから、どこかで会っているのだろうとは思えるので納得ではあるのだけれど。
親のネットワークってそんなものなんだろうか……腑に落ちるような、落ちないような気分でいると、母さんはこうも言う。
「たまには太陽も家のこと休んだらいいじゃない。いつも私の代わりに頑張ってくれてるんだから」
「で、でも、陽詩一人で行かせるわけには」
「それはそうよ。だから、あんたも行って、ご相伴に預かってきなさいな」
連絡はしてあるから、という手際の良さがさすがやり手の営業という感じがする。
結局、陽詩だけではなく、僕までも川端家にお邪魔する手はずがいつの間にか整っていて、あとはもうこちらが行くばかりだった。
(明日、川端にお礼言わなきゃだな……)
そう思いながら陽詩の寝かしつけをしていると、「ねえ、お兄ちゃん」と、そろそろ寝ると思っていた陽詩から声をかけられる。
「なに? どうしたの?」
「あのね、お兄ちゃんってキスしたことある?」
全く思ってもいなかったことを質問され、思わず跳ね起きてしまう。思いがけない質問に僕の心臓はバクバクと言っているが、陽詩はきょとんと瞬き、「どうしたの?」と言いたげだ。
「はっ!? キ、キス!? な、何言っ……もしかして蒼くんとしたのか!?」
「ううん。だってさぁ、彼氏と彼女は付き合ってたらキスするものなんでしょ? お兄ちゃんはどうなのかなぁって思ったの」
「お、お兄ちゃんは、べつに、その……」
「ないんだ」
「うっ……い、いいからもう寝なさい!」
ええ~と、陽詩は不満げだったけれど、答えられないものは答えられない。兎に角寝る時間だと誤魔化してタオルケットを頭から被せ、僕もまた隣で寝たふりをする。
(小一でキスだって!? 絶対、そんなの絶対ダメだ! 川端が余計なことでも言ったのか? 明日まず苦情を言わないと……)
そんなことを考えながら布団に入ったのだけれど、何故か妙に心がそわそわしていて、すぐには寝付けなかった。べつに、川端と学校で話をするなんて珍しいことじゃないはずなのに。まるで落ち着かない。そもそも僕はそういうイベントごとにそわそわする性質じゃないはずだ。たかが苦情を言うくらいで。それなのに、なんで?
その内にようやくもう目を開けられないほど、眠気に体が呑み込まれている中でそんなことを考えていたからか、その晩ちょっと変な夢を見た。
夢の中で、僕は陽詩と遊園地にいた。遊園地なんてまだ陽詩がいない頃、家族三人で暮らしていた頃に一度行ったきりで、陽詩に至っては初めてなんじゃないかと思う。
当然、陽詩は嬉しそうに歓声を上げていたんだけれど、でもきっとそれはただ遊園地が嬉しかっただけではないことに僕はすぐに気付いた。陽詩の手を蒼くんが繋いでいたからだ。しかもそのすぐ傍には川端もいる。
いつの間に? と、僕が問うよりも先に陽詩と蒼くんはあっという間に走り出し、遊園地の中に消えてしまった。
僕が慌てて追おうとすると、何故かそれを川端が手を引いて止めてきたのだ。
なにしてんだよ、追いかけなきゃと僕が言っても、川端は全く追いかける様子もない。それどころか、陽詩たちとは反対側にずんずん歩いて行ってしまう。僕の手を繋いだまま、迷う様子もなく。
「川端、陽詩と蒼くんを、見ておかなくていいのか?」
確に僕はそう聞いたと思う。夢の中のセリフで、声がふわふわしていてよく憶えていないのだけれど。
でも川端はやっぱり陽詩たちを追いかける素振りもなく、こちらを振り返りつつもただニコニコとしている。
だからもう一度川端に追いかけようよと声をかけようとした時、僕は腕を引かれて川端に抱きしめられていた。
何が起きているのだろうか、と認識するよりも先に体が勝手に動いていく。川端を抱きしめ返して、見つめ合って、それから唇が触れ合って重なって――
「うわぁぁ!! な、何して……え? あれ? 夢?」
慌てて跳ね起きると、そこはいつもの見慣れた家の寝室で、すでに母さんは起きて朝食を食べている。もう出社するらしく、仕事着を着ていて化粧もばっちりだ。
「太陽? 何寝ぼけてるの?」
「え。いや、べつに……」
まさか夢の中でクラスメイトとキスして驚いて跳ね起きたなんて言えず、僕はもごもごと寝ぼけたふりをする。
でも母さんは特に気にも留めていないのか、食べ終えた食器を流しに持っていき、バタバタと支度をしにいく。
「お母さんもう出るから、あとお願いしていい? お弁当は作っておいたから」
「あ、ああ、うん……ありがと」
そうしていつものように母さんは仕事に出て、そろそろ陽詩を起こす時間になろうとしている。僕もそろそろ布団から出て、支度をしなきゃいけないのに……何でこんなに頬が熱くて仕方ないんだろう。ものすごく恥ずかしいような、でもいやではなく、むしろ嬉しいような妙な感じがする。
「え……なんなんだよ、これ……」
夢に川端が出てきたことも、デートみたいに手を繋いでいたことも……キスまでしてしまったことも、意味が解らない。なんでまた、あんな夢を見たんだろう?
謎でしかなく、ただただ疑問符しか浮かばないのに、だからと言って不愉快ではないのが不思議だった。夢とは言え、あれは僕の初めてのキスだったのに。
「……どういうこと?」
もう一度声に出してみたものの、答えはわからないままだ。結局そのままいつもの朝を慌ただしく迎えることになった。
「え! いいの!? やったぁ!」
何かやたらと陽詩が嬉しそうな声をあげているのだけど、何があったんだろう。湯上りのタオルや着替えのパジャマを用意してやって、それから布団を敷いていると、陽詩が風呂から上がって来た。心なしか湯上りのせいじゃなく頬が上気していて嬉しそうだ。
湯上りの牛乳を一杯飲んで、歯磨きを済ませた陽詩は、僕が敷いておいた布団にダイブするように寝転がる。やけにご機嫌のようだ。
「陽詩、髪を乾かさないと」
ごろごろと布団の上で嬉しそうにニマニマしながら転がる陽詩にそう促すと、陽詩はひょこっと顔をあげ、また嬉しそうに転がりだす。よっぽど何かいいことがあったんだろうか。
陽詩が嬉しそうにしていると、僕まで自然と頬が緩んでしまう。やっぱりかわいい大事な妹はいつも笑っていて欲しいから。
「やけにご機嫌だね。何かいいことでもあったのか?」
「うふふー。内緒ぉ」
「なんだよ、お兄ちゃんにも教えてよ」
「どうしようかなぁ」
勿体ぶりながらも話をしたそうな陽詩を抱き起こし、そのままタオルドライを始める。普段なら僕のやり方が乱暴だの痛いだの文句を言うことが多いのに、それすらない。これは相当だな……と、思っていると、「あのねぇ」と、陽詩がタオルの隙間から顔を覗かせてくる。
「なに?」
「あのねぇ、今度蒼くんのおうちにお呼ばれしたの」
「お呼ばれ? 蒼くんの家に行くってこと?」
「うん、そうだよ! ひなのおうちのお母さんが毎日忙しくて夜遅いんだぁって言ったら、おうちおいでって言ってくれたから」
確かにうちは母子家庭の上に母さんが多忙だから、僕が日々の食事やら家事やらをこなしている。でもそれを、誰かに頼らなきゃいけないほど困っているわけではない……はず。大変じゃないと言えば嘘になるけれど、でもだからと言って陽詩の友達の家族にお世話になるほどではないと思っている。
(それとも、陽詩は僕が頼りなく見えてきたのかな? ごはんが美味しくないとか……)
過ぎる不安に気分が沈みかけていると、「陽詩、ちょっと言葉が足りないんじゃない?」と、風呂から上がって来た母さんが苦笑しながら声をかけてくる。
風呂上がりの麦茶を飲み干してから寝室に入ってきて、僕と陽詩の傍に座る。
「陽詩の言葉が足らないってどういうこと?」
「説明不足ってこと。実はね、来週二泊三日で出張に出ることになったの。行き先は大阪で朝も早いし、帰って来る日も遅くなるし、なにより外泊する出張って初めてじゃない? そしたら、陽詩が蒼くんともっと遊びたーいって言うから、ちょうどいいかなって思って」
「ちょうどいいかなって……母さん、向こうはオッケー出てるの? って言うかいつの間に連絡先を?」
僕だって川端の連絡先をまだ知らないのに、と余計なことは言わないでおいて、何故そんなに話が進んでいるのかが不思議で、質問攻めにしてしまう。だって、いきなり彼氏だとか言っている相手の家に行くだなんて言うんだから、質問攻めにすることぐらい当然だろう。
しかしそこは僕よりはるかに経験値が豊富な母さんだ。僕が半ば苛立ちながら質問攻めにしても、「保護者っていうのは子どもの知らない間に繋がっているもんなのよ」と、サラッと流してしまう。まあ、現にクラスメイトだから、どこかで会っているのだろうとは思えるので納得ではあるのだけれど。
親のネットワークってそんなものなんだろうか……腑に落ちるような、落ちないような気分でいると、母さんはこうも言う。
「たまには太陽も家のこと休んだらいいじゃない。いつも私の代わりに頑張ってくれてるんだから」
「で、でも、陽詩一人で行かせるわけには」
「それはそうよ。だから、あんたも行って、ご相伴に預かってきなさいな」
連絡はしてあるから、という手際の良さがさすがやり手の営業という感じがする。
結局、陽詩だけではなく、僕までも川端家にお邪魔する手はずがいつの間にか整っていて、あとはもうこちらが行くばかりだった。
(明日、川端にお礼言わなきゃだな……)
そう思いながら陽詩の寝かしつけをしていると、「ねえ、お兄ちゃん」と、そろそろ寝ると思っていた陽詩から声をかけられる。
「なに? どうしたの?」
「あのね、お兄ちゃんってキスしたことある?」
全く思ってもいなかったことを質問され、思わず跳ね起きてしまう。思いがけない質問に僕の心臓はバクバクと言っているが、陽詩はきょとんと瞬き、「どうしたの?」と言いたげだ。
「はっ!? キ、キス!? な、何言っ……もしかして蒼くんとしたのか!?」
「ううん。だってさぁ、彼氏と彼女は付き合ってたらキスするものなんでしょ? お兄ちゃんはどうなのかなぁって思ったの」
「お、お兄ちゃんは、べつに、その……」
「ないんだ」
「うっ……い、いいからもう寝なさい!」
ええ~と、陽詩は不満げだったけれど、答えられないものは答えられない。兎に角寝る時間だと誤魔化してタオルケットを頭から被せ、僕もまた隣で寝たふりをする。
(小一でキスだって!? 絶対、そんなの絶対ダメだ! 川端が余計なことでも言ったのか? 明日まず苦情を言わないと……)
そんなことを考えながら布団に入ったのだけれど、何故か妙に心がそわそわしていて、すぐには寝付けなかった。べつに、川端と学校で話をするなんて珍しいことじゃないはずなのに。まるで落ち着かない。そもそも僕はそういうイベントごとにそわそわする性質じゃないはずだ。たかが苦情を言うくらいで。それなのに、なんで?
その内にようやくもう目を開けられないほど、眠気に体が呑み込まれている中でそんなことを考えていたからか、その晩ちょっと変な夢を見た。
夢の中で、僕は陽詩と遊園地にいた。遊園地なんてまだ陽詩がいない頃、家族三人で暮らしていた頃に一度行ったきりで、陽詩に至っては初めてなんじゃないかと思う。
当然、陽詩は嬉しそうに歓声を上げていたんだけれど、でもきっとそれはただ遊園地が嬉しかっただけではないことに僕はすぐに気付いた。陽詩の手を蒼くんが繋いでいたからだ。しかもそのすぐ傍には川端もいる。
いつの間に? と、僕が問うよりも先に陽詩と蒼くんはあっという間に走り出し、遊園地の中に消えてしまった。
僕が慌てて追おうとすると、何故かそれを川端が手を引いて止めてきたのだ。
なにしてんだよ、追いかけなきゃと僕が言っても、川端は全く追いかける様子もない。それどころか、陽詩たちとは反対側にずんずん歩いて行ってしまう。僕の手を繋いだまま、迷う様子もなく。
「川端、陽詩と蒼くんを、見ておかなくていいのか?」
確に僕はそう聞いたと思う。夢の中のセリフで、声がふわふわしていてよく憶えていないのだけれど。
でも川端はやっぱり陽詩たちを追いかける素振りもなく、こちらを振り返りつつもただニコニコとしている。
だからもう一度川端に追いかけようよと声をかけようとした時、僕は腕を引かれて川端に抱きしめられていた。
何が起きているのだろうか、と認識するよりも先に体が勝手に動いていく。川端を抱きしめ返して、見つめ合って、それから唇が触れ合って重なって――
「うわぁぁ!! な、何して……え? あれ? 夢?」
慌てて跳ね起きると、そこはいつもの見慣れた家の寝室で、すでに母さんは起きて朝食を食べている。もう出社するらしく、仕事着を着ていて化粧もばっちりだ。
「太陽? 何寝ぼけてるの?」
「え。いや、べつに……」
まさか夢の中でクラスメイトとキスして驚いて跳ね起きたなんて言えず、僕はもごもごと寝ぼけたふりをする。
でも母さんは特に気にも留めていないのか、食べ終えた食器を流しに持っていき、バタバタと支度をしにいく。
「お母さんもう出るから、あとお願いしていい? お弁当は作っておいたから」
「あ、ああ、うん……ありがと」
そうしていつものように母さんは仕事に出て、そろそろ陽詩を起こす時間になろうとしている。僕もそろそろ布団から出て、支度をしなきゃいけないのに……何でこんなに頬が熱くて仕方ないんだろう。ものすごく恥ずかしいような、でもいやではなく、むしろ嬉しいような妙な感じがする。
「え……なんなんだよ、これ……」
夢に川端が出てきたことも、デートみたいに手を繋いでいたことも……キスまでしてしまったことも、意味が解らない。なんでまた、あんな夢を見たんだろう?
謎でしかなく、ただただ疑問符しか浮かばないのに、だからと言って不愉快ではないのが不思議だった。夢とは言え、あれは僕の初めてのキスだったのに。
「……どういうこと?」
もう一度声に出してみたものの、答えはわからないままだ。結局そのままいつもの朝を慌ただしく迎えることになった。



