「委員長、ちょっといい?」
昼休み、弁当を食べている僕の所に川端がやってきてそんなことを言う。以前は朝に遅刻しそうな時にウザ絡みをされてはいたけれど、最近は一緒に登校するのが当たり前のようになってしまっているので、そういう絡まれ方はされなくなっている。朝に学年玄関で会えば挨拶し、二~三言言葉を交わすときがあるかないか、というぐらいだ。
でもいままでの代わりのように、こうして時々昼休みに話しかけられるようになった。
「なに?」
「帰り、また寄りたいつってるんだけど、いい?」
「あー……まあ、少しだけなら」
「サンキュ。助かるよ」
交わす言葉はそれぐらいで、傍から見ていると何のことやらわからないだろう。一瞬で済んでしまうようなやり取りを、毎日のように交わしている僕らの様子を、クラスのみんなは最近少し気にかけているようで、やたらと注目されている気がする。
「最近海翔くん、伊勢くんによく話しかけるよね」
「でもさ、話しかけるのは前もやってたじゃん。朝から肩組んでべったり、っていうの」
「それ伊勢くんすっごいイライラしてるのわかったよね。そう言えばそれ最近見ないかも」
「海翔くんも学習したんじゃない? 委員長怒らせたらヤバいかも、って」
「確かにー」
遠慮のない推測の声が聞こえるけれど、僕はそれに対して訂正もしないし、ツッコミも入れない。僕だってそういう声を聴くまで川端の変化に気付いていなかったのだから。あまりに自然に、流れるように彼は態度を変えていったのだ。たぶん、僕が陽詩の兄だと知った辺りから。
なんと言うか、ただのクラスメイトという枠から一歩踏み込んだ感じではあるのかもしれない。だから、川端の態度が変わったんだろうか?
(とは言え、タイプが真逆の二人が、悪ふざけナシでフツーに話してるってのは確かに気にはなるか)
一方的に僕が絡まれていたのはみんな知っていたし、僕がイライラしていたのも知っていたのだろう。でもなぜ最近ウザい絡み方じゃなく、フツーに話しをして何か約束を交わしているのか? というのは、きっと僕ら以外に真相を知る由もない。それはまるで二人で分かち合う秘密のようで、少しの特別感を覚えさせる。
なんて言ってるけれど、要するにさっきの話は、「また蒼くんと陽詩を公園に寄らせてもいいか?」ということだ。先日少しだけという約束で陽詩達に帰り道に公園に寄ることを許可したら、とても気に入ったらしく、あれからほぼ毎日なのだ。
一日の内の十分程度のひと時だけれど、陽詩も蒼くんもすごく楽しそうに遊んでいる。たったそれだけの時間よりも長く学校で一緒にいるだろうに。それでも二人はニコニコとブランコに乗り、砂遊びをし、花を摘んだりしている。まるで本当に特別な時間を過ごしているかのように楽しそうに。
(好きな人と過ごす時間って、どんなに短くても特別なんだろうなぁ……)
僕の知らない景色を見ている陽詩のことを、最近少し羨ましく思っていたりする。無意識に、目を細めるようにして見つめてしまっている。いままでそんな誰かを、しかも妹をうらやむようなことなんてなかったのに。
夕暮れの中で二人の世界で微笑み合っている弟妹達の姿は、やはりいつ見ても恋を知らない僕にはまぶしくてならない。
陽詩達が遊んでいる間僕と川端は何をしているかというと、お互いの弟妹に声をかけつつ、ぽつぽつと他愛ない話をしていることが多い。学校の話だとか、家事をしている時のあるあるだとか、そんな取るに足らないことを。
「今日ウチ餃子するんだ」
「いいね。たれに甘酢とコショウ使うと美味いよ」
「ラー油とポン酢もシンプルで美味いよね」
「俺も好き、食べるラー油の辛い奴とかめっちゃ入れる」
取るに足らない、ささやかなそんなことを話しながらいつの間にか時間は過ぎていて、そうして手を振り合って家に帰っていく。ただそれだけだけど、なんだかイヤじゃない……いや、正直ちょっと楽しみにしている節もなくはない。
(思えば、僕って家と学校の往復で、特に友達らしい友達と喋ったりすることほとんどないからな)
友達というワードが浮かび、じゃあ川端は僕の友達だと言えるのかというと、なんだかしっくりこない。特に遊びに行ったりするわけでも、朝と放課後以外につるんだりすることもないから、仲がいいかと言われると首を傾げてしまうからだ。
それに、どこかに遊びに行きたい相手かと言われると、なんかそういうのとも違う気もするんだ。ただ隣にいて、時間を共有しているだけでいい。そんな関係。
そういうのって、友達……とは違うのかな?
「川端くん、今日の放課後遊びに行かない? いっつもすぐいなくなっちゃうからさ、今日は一緒にカラオケ行こうよ」
「海翔くんが来るならあたしも行きたーい」
「あー、悪い。バイトあるんだよねぇ」
そんなことを考えている間に、川端はクラスの女子に捕まり、遊びに誘われている。川端は僕と同様、放課後になれば蒼くんのお迎えがあるから足早に学校を出てしまうのだけれど、その理由を知る人は実は多くないらしい。そもそもの話、川端は自分の話や家のことなんかをみんなに話していないようなのだ。
「えー、バイトぉ?」
「じゃあ、バイトしてるとこ見に行く! どこでバイトしてんの?」
「女の子たちが来たらあぶねーとこ。また今度誘って」
「誘いたいけど、海翔くんLIMEのアカウント教えてくれないじゃんー」
「そういうのは一番親密な人に教える主義なんだ、俺」
バイト先に乗り込みかねない勢いの女の子たちをやんわりと制し、連絡先の交換さえも角が立たないように断りを入れる。案外川端は気遣い上手なところがあるんだと、最近知った。もっと身勝手でオンマイウェイなやつかと思っていたのに。
(バイトしてるなんて初めて聞いたな。じゃあ、公園あとにバイトに行くのか?)
先程の話は、今日の帰りという話じゃないかもしれないから、今日はバイトなのかもしれない。初めて聞いたけれど。
最近気づいたんだけれど、案外、川端は秘密主義なところがある。僕もクラスの誰かに家のことを話したことはないけれど、僕よりもはるかに友達が多くて、陽キャなやつらのグループに属している川端の現状を考えるとそれがちょっと不思議な気がした。
そんなことを考えながら弁当を食べ終え、通学用のリュックに仕舞っていると、ふと視線を感じた。視線に惹かれるままに顔をあげると、川端がにこやかに僕を見つめている。しかも、軽く手なんて振ったりして。
でもすぐに川端はまた女の子たちとの話に戻ってしまい、さっきの一瞬の出来事は幻のようだった。幻は、じんわりと僕の中に何かのあとを残していく。そのせいか僕は、すぐには川端の方から目を逸らせられないでいる。
毎朝遅刻ギリギリで登校していた時、学年玄関で絡んでいた頃よりも、川端との距離は確実に近くなっていると思う。誰からも見てわかるような近付き方ではない、僕と彼だけの間にある間合いを取っている感じなんだ。さっきの、手を振ってきた時のようにさり気ない距離のつめ方で。
そういう距離感のある関係を、簡単に“友達”でくくってしまうのはなんだか雑というか乱暴な気がする。もっと繊細な、厳密なくくりがある気がするんだけれど……僕はまだ知らない。
そんな風にして放課後を迎え、僕はいつも通り靴を履き替えて学校をあとにする。
いつもなら門を出た辺りで川端が、「委員長ぉ」なんて言いながら走って来るのに、今日はついてくる気配がない。
「まあ、べつに一緒に行く約束してるわけじゃないし、バイトだって言ってたし……」
川端と、クラスメイトとしてじゃなく、弟妹の保護者として知り合ってそろそろ一カ月近くが経とうとしている。いままでだって一緒に迎えに行く日もあれば僕だけで行く日もあった。今日みたいに一人きりなのは珍しくない。バイトを理由にされるのは初めてだけれど。
一人が珍しくはないけれど……何で少し心がすかすかするような気がするんだろう? 友達とも少し違う、でも特別何かを共有している彼だから、何か思う所でもあったりするんだろうか? 抽象的で、答えがすぐに見つかりそうにない疑問符ばかりが浮かんでしまい、なんだかスッキリしない。
モヤモヤと考え事をしている内に、いつの間にか学童の前に辿り着いていた。
一人でお迎えに来るなんて今まで当たり前にやっていたことなのに、なんだか心に靄がかかったみたいになっている。なんと言うか、心許ないに近い気持ち、まるで迷子にでもなったみたいだ。
なんだこれ、よく知ってるいつもの場所なのに……と考えていると、後ろからポンと肩を叩かれた。
驚いて振り返ると、額に汗をかいて息を切らしている川端が立っていたのだ。
「え、どうしたんだよ、川端」
「どうしたはこっちのセリフ! ちょっと遅くなったら委員長いねえんだもん! 置いていかれたー! ってめっちゃ焦ったんだからな」
そう川端は言い、汗をかいている髪を掻き上げ、大きく息を吐く。その様子は怒っているというよりもなんだか安堵しているようにも見えた。その顔に僕の頬がホッと緩んでいき、そして同時の戸惑いを覚える。なんで僕が、川端の仕草に一喜一憂しなきゃなんだ、と。
だからそんな気持ちを悟られまいとして、不自然なほど急に話題を逸らしてしまう。
「川端、バイトはいいのか?」
「バイト? なんで?」
「だってさっき、クラスの子の誘い断ってたじゃないか。バイトだから、って」
きょとんとしている川端に半ば呆れながら尋ねると、川端は少し首を傾げ、そして、ああ、と苦笑して答える。
「だってああでも言わないと、マジでついてこられそうだったから」
「え? 嘘?」
「嘘ではないよ。いまベテランのバイトさんが辞めちゃってシフトに穴あきがちだから、たまに俺が入ってんの。学童のお迎えとかもピンチヒッターだよ」
「あ、そうなんだ……」
「母さん達だけじゃ家も店も回らないからなー。つか、委員長との時間邪魔されたくねえもん」
「な、何それ。どういう意味……」
僕がさらに尋ねようとした時、「あ、おかえりなさーい」と、学童の職員の先生が出迎えてくれて、話が途切れてしまった。気になることを聞けないままで、心臓だけがドキドキしている。何なんだ、この感覚……。
そうしてすぐにバタバタと陽詩と蒼くんを引き取り、約束通り帰り道の公園に十分だけ寄る。その頃になると、僕はもうさっきまでのことをすっかり忘れていて、頭の中は夕食の献立でいっぱいになっていた。そんな僕の姿を、川端がじっと見ている視線を感じる。
「……なに見てんの」
「委員長見てる」
「だからなんで」
「シュシュがなくても可愛いなぁって思って」
「はぁ? またお前は何を言って……」
シュシュというのはあれか。いつぞやに僕がうっかり陽詩のを学校にもってきてしまった時の話のことだろう。確かあの時、何故か僕の髪をこいつが結ったのだ。
ようやくきれいさっぱり忘れていたことを思い起こされて、ぶり返すような恥ずかしさを覚えているのに、川端は余計に困惑するようなことを言う。シュシュがなくても可愛い、だと?
「な、何言ってんのだよ……バカじゃないのか。僕は男なんだから」
「俺はお世辞言わない主義なんだよ。委員長がずっとかわいいのは事実じゃん。ひなちゃんそっくりだし」
ああ、何だそういう意味か……と、安堵はしたものの、なぜか心がひんやりとしたのはどうしてだろうか。かわいいの理由が、陽詩に似ているからなのは、事実として受け止めるだけでいいはずなのに。
でも、かわいいと言われることを前よりも頭から否定しなくなったのはなんでなんだろう。あんなに言われたらすごくイヤだったはずなのに、川端の言葉に笑みが陰っていく。
(なんかまるで僕が陽詩の兄であることをガッカリしてるみたいじゃないか。なんでそんなこと――)
過ぎるいままで感じたこともない気持ちをどう扱えばいいのかわからず、立ち止まりうつむきかける。なんてひどい兄なんだろう……そんなことまで考えてしまう。
「兄ちゃーん、お腹減ったー」
「よーし、じゃあもう帰るか!」
蒼くんが陽詩と手を繋いで駆け寄ってきたところで我に返り、僕もまた「帰るよ」と、陽詩に言う。日が暮れても昼間の暑さはそのままで、いよいよ夏が近づいてきている。夕暮れも何となく遅くなってきているのか、そろそろ五時を過ぎるのに昼間のように空が明るい。
「委員長、帰ろう」
そう言って呼びかけてくる川端の顔はやさしくやわらかく、学校で見せるチャラい感じの欠片もない。この姿を僕だけが知っているのかと思うと嬉しい気持ちが湧いてきてしまい、ニヤけそうになる。抑えようとしても頬がどうしても緩んでしまう。
「うん、帰ろうか」
僕はニヤける顔をどうにか微笑みに変え、陽詩と手を繋いで歩きだす。陽詩の隣には蒼くんがいて、その隣には川端がいる。四人連なって歩くなんて迷惑かなと思いつつ、あと少しだけこうして歩いていたいななんて思っていた。
昼休み、弁当を食べている僕の所に川端がやってきてそんなことを言う。以前は朝に遅刻しそうな時にウザ絡みをされてはいたけれど、最近は一緒に登校するのが当たり前のようになってしまっているので、そういう絡まれ方はされなくなっている。朝に学年玄関で会えば挨拶し、二~三言言葉を交わすときがあるかないか、というぐらいだ。
でもいままでの代わりのように、こうして時々昼休みに話しかけられるようになった。
「なに?」
「帰り、また寄りたいつってるんだけど、いい?」
「あー……まあ、少しだけなら」
「サンキュ。助かるよ」
交わす言葉はそれぐらいで、傍から見ていると何のことやらわからないだろう。一瞬で済んでしまうようなやり取りを、毎日のように交わしている僕らの様子を、クラスのみんなは最近少し気にかけているようで、やたらと注目されている気がする。
「最近海翔くん、伊勢くんによく話しかけるよね」
「でもさ、話しかけるのは前もやってたじゃん。朝から肩組んでべったり、っていうの」
「それ伊勢くんすっごいイライラしてるのわかったよね。そう言えばそれ最近見ないかも」
「海翔くんも学習したんじゃない? 委員長怒らせたらヤバいかも、って」
「確かにー」
遠慮のない推測の声が聞こえるけれど、僕はそれに対して訂正もしないし、ツッコミも入れない。僕だってそういう声を聴くまで川端の変化に気付いていなかったのだから。あまりに自然に、流れるように彼は態度を変えていったのだ。たぶん、僕が陽詩の兄だと知った辺りから。
なんと言うか、ただのクラスメイトという枠から一歩踏み込んだ感じではあるのかもしれない。だから、川端の態度が変わったんだろうか?
(とは言え、タイプが真逆の二人が、悪ふざけナシでフツーに話してるってのは確かに気にはなるか)
一方的に僕が絡まれていたのはみんな知っていたし、僕がイライラしていたのも知っていたのだろう。でもなぜ最近ウザい絡み方じゃなく、フツーに話しをして何か約束を交わしているのか? というのは、きっと僕ら以外に真相を知る由もない。それはまるで二人で分かち合う秘密のようで、少しの特別感を覚えさせる。
なんて言ってるけれど、要するにさっきの話は、「また蒼くんと陽詩を公園に寄らせてもいいか?」ということだ。先日少しだけという約束で陽詩達に帰り道に公園に寄ることを許可したら、とても気に入ったらしく、あれからほぼ毎日なのだ。
一日の内の十分程度のひと時だけれど、陽詩も蒼くんもすごく楽しそうに遊んでいる。たったそれだけの時間よりも長く学校で一緒にいるだろうに。それでも二人はニコニコとブランコに乗り、砂遊びをし、花を摘んだりしている。まるで本当に特別な時間を過ごしているかのように楽しそうに。
(好きな人と過ごす時間って、どんなに短くても特別なんだろうなぁ……)
僕の知らない景色を見ている陽詩のことを、最近少し羨ましく思っていたりする。無意識に、目を細めるようにして見つめてしまっている。いままでそんな誰かを、しかも妹をうらやむようなことなんてなかったのに。
夕暮れの中で二人の世界で微笑み合っている弟妹達の姿は、やはりいつ見ても恋を知らない僕にはまぶしくてならない。
陽詩達が遊んでいる間僕と川端は何をしているかというと、お互いの弟妹に声をかけつつ、ぽつぽつと他愛ない話をしていることが多い。学校の話だとか、家事をしている時のあるあるだとか、そんな取るに足らないことを。
「今日ウチ餃子するんだ」
「いいね。たれに甘酢とコショウ使うと美味いよ」
「ラー油とポン酢もシンプルで美味いよね」
「俺も好き、食べるラー油の辛い奴とかめっちゃ入れる」
取るに足らない、ささやかなそんなことを話しながらいつの間にか時間は過ぎていて、そうして手を振り合って家に帰っていく。ただそれだけだけど、なんだかイヤじゃない……いや、正直ちょっと楽しみにしている節もなくはない。
(思えば、僕って家と学校の往復で、特に友達らしい友達と喋ったりすることほとんどないからな)
友達というワードが浮かび、じゃあ川端は僕の友達だと言えるのかというと、なんだかしっくりこない。特に遊びに行ったりするわけでも、朝と放課後以外につるんだりすることもないから、仲がいいかと言われると首を傾げてしまうからだ。
それに、どこかに遊びに行きたい相手かと言われると、なんかそういうのとも違う気もするんだ。ただ隣にいて、時間を共有しているだけでいい。そんな関係。
そういうのって、友達……とは違うのかな?
「川端くん、今日の放課後遊びに行かない? いっつもすぐいなくなっちゃうからさ、今日は一緒にカラオケ行こうよ」
「海翔くんが来るならあたしも行きたーい」
「あー、悪い。バイトあるんだよねぇ」
そんなことを考えている間に、川端はクラスの女子に捕まり、遊びに誘われている。川端は僕と同様、放課後になれば蒼くんのお迎えがあるから足早に学校を出てしまうのだけれど、その理由を知る人は実は多くないらしい。そもそもの話、川端は自分の話や家のことなんかをみんなに話していないようなのだ。
「えー、バイトぉ?」
「じゃあ、バイトしてるとこ見に行く! どこでバイトしてんの?」
「女の子たちが来たらあぶねーとこ。また今度誘って」
「誘いたいけど、海翔くんLIMEのアカウント教えてくれないじゃんー」
「そういうのは一番親密な人に教える主義なんだ、俺」
バイト先に乗り込みかねない勢いの女の子たちをやんわりと制し、連絡先の交換さえも角が立たないように断りを入れる。案外川端は気遣い上手なところがあるんだと、最近知った。もっと身勝手でオンマイウェイなやつかと思っていたのに。
(バイトしてるなんて初めて聞いたな。じゃあ、公園あとにバイトに行くのか?)
先程の話は、今日の帰りという話じゃないかもしれないから、今日はバイトなのかもしれない。初めて聞いたけれど。
最近気づいたんだけれど、案外、川端は秘密主義なところがある。僕もクラスの誰かに家のことを話したことはないけれど、僕よりもはるかに友達が多くて、陽キャなやつらのグループに属している川端の現状を考えるとそれがちょっと不思議な気がした。
そんなことを考えながら弁当を食べ終え、通学用のリュックに仕舞っていると、ふと視線を感じた。視線に惹かれるままに顔をあげると、川端がにこやかに僕を見つめている。しかも、軽く手なんて振ったりして。
でもすぐに川端はまた女の子たちとの話に戻ってしまい、さっきの一瞬の出来事は幻のようだった。幻は、じんわりと僕の中に何かのあとを残していく。そのせいか僕は、すぐには川端の方から目を逸らせられないでいる。
毎朝遅刻ギリギリで登校していた時、学年玄関で絡んでいた頃よりも、川端との距離は確実に近くなっていると思う。誰からも見てわかるような近付き方ではない、僕と彼だけの間にある間合いを取っている感じなんだ。さっきの、手を振ってきた時のようにさり気ない距離のつめ方で。
そういう距離感のある関係を、簡単に“友達”でくくってしまうのはなんだか雑というか乱暴な気がする。もっと繊細な、厳密なくくりがある気がするんだけれど……僕はまだ知らない。
そんな風にして放課後を迎え、僕はいつも通り靴を履き替えて学校をあとにする。
いつもなら門を出た辺りで川端が、「委員長ぉ」なんて言いながら走って来るのに、今日はついてくる気配がない。
「まあ、べつに一緒に行く約束してるわけじゃないし、バイトだって言ってたし……」
川端と、クラスメイトとしてじゃなく、弟妹の保護者として知り合ってそろそろ一カ月近くが経とうとしている。いままでだって一緒に迎えに行く日もあれば僕だけで行く日もあった。今日みたいに一人きりなのは珍しくない。バイトを理由にされるのは初めてだけれど。
一人が珍しくはないけれど……何で少し心がすかすかするような気がするんだろう? 友達とも少し違う、でも特別何かを共有している彼だから、何か思う所でもあったりするんだろうか? 抽象的で、答えがすぐに見つかりそうにない疑問符ばかりが浮かんでしまい、なんだかスッキリしない。
モヤモヤと考え事をしている内に、いつの間にか学童の前に辿り着いていた。
一人でお迎えに来るなんて今まで当たり前にやっていたことなのに、なんだか心に靄がかかったみたいになっている。なんと言うか、心許ないに近い気持ち、まるで迷子にでもなったみたいだ。
なんだこれ、よく知ってるいつもの場所なのに……と考えていると、後ろからポンと肩を叩かれた。
驚いて振り返ると、額に汗をかいて息を切らしている川端が立っていたのだ。
「え、どうしたんだよ、川端」
「どうしたはこっちのセリフ! ちょっと遅くなったら委員長いねえんだもん! 置いていかれたー! ってめっちゃ焦ったんだからな」
そう川端は言い、汗をかいている髪を掻き上げ、大きく息を吐く。その様子は怒っているというよりもなんだか安堵しているようにも見えた。その顔に僕の頬がホッと緩んでいき、そして同時の戸惑いを覚える。なんで僕が、川端の仕草に一喜一憂しなきゃなんだ、と。
だからそんな気持ちを悟られまいとして、不自然なほど急に話題を逸らしてしまう。
「川端、バイトはいいのか?」
「バイト? なんで?」
「だってさっき、クラスの子の誘い断ってたじゃないか。バイトだから、って」
きょとんとしている川端に半ば呆れながら尋ねると、川端は少し首を傾げ、そして、ああ、と苦笑して答える。
「だってああでも言わないと、マジでついてこられそうだったから」
「え? 嘘?」
「嘘ではないよ。いまベテランのバイトさんが辞めちゃってシフトに穴あきがちだから、たまに俺が入ってんの。学童のお迎えとかもピンチヒッターだよ」
「あ、そうなんだ……」
「母さん達だけじゃ家も店も回らないからなー。つか、委員長との時間邪魔されたくねえもん」
「な、何それ。どういう意味……」
僕がさらに尋ねようとした時、「あ、おかえりなさーい」と、学童の職員の先生が出迎えてくれて、話が途切れてしまった。気になることを聞けないままで、心臓だけがドキドキしている。何なんだ、この感覚……。
そうしてすぐにバタバタと陽詩と蒼くんを引き取り、約束通り帰り道の公園に十分だけ寄る。その頃になると、僕はもうさっきまでのことをすっかり忘れていて、頭の中は夕食の献立でいっぱいになっていた。そんな僕の姿を、川端がじっと見ている視線を感じる。
「……なに見てんの」
「委員長見てる」
「だからなんで」
「シュシュがなくても可愛いなぁって思って」
「はぁ? またお前は何を言って……」
シュシュというのはあれか。いつぞやに僕がうっかり陽詩のを学校にもってきてしまった時の話のことだろう。確かあの時、何故か僕の髪をこいつが結ったのだ。
ようやくきれいさっぱり忘れていたことを思い起こされて、ぶり返すような恥ずかしさを覚えているのに、川端は余計に困惑するようなことを言う。シュシュがなくても可愛い、だと?
「な、何言ってんのだよ……バカじゃないのか。僕は男なんだから」
「俺はお世辞言わない主義なんだよ。委員長がずっとかわいいのは事実じゃん。ひなちゃんそっくりだし」
ああ、何だそういう意味か……と、安堵はしたものの、なぜか心がひんやりとしたのはどうしてだろうか。かわいいの理由が、陽詩に似ているからなのは、事実として受け止めるだけでいいはずなのに。
でも、かわいいと言われることを前よりも頭から否定しなくなったのはなんでなんだろう。あんなに言われたらすごくイヤだったはずなのに、川端の言葉に笑みが陰っていく。
(なんかまるで僕が陽詩の兄であることをガッカリしてるみたいじゃないか。なんでそんなこと――)
過ぎるいままで感じたこともない気持ちをどう扱えばいいのかわからず、立ち止まりうつむきかける。なんてひどい兄なんだろう……そんなことまで考えてしまう。
「兄ちゃーん、お腹減ったー」
「よーし、じゃあもう帰るか!」
蒼くんが陽詩と手を繋いで駆け寄ってきたところで我に返り、僕もまた「帰るよ」と、陽詩に言う。日が暮れても昼間の暑さはそのままで、いよいよ夏が近づいてきている。夕暮れも何となく遅くなってきているのか、そろそろ五時を過ぎるのに昼間のように空が明るい。
「委員長、帰ろう」
そう言って呼びかけてくる川端の顔はやさしくやわらかく、学校で見せるチャラい感じの欠片もない。この姿を僕だけが知っているのかと思うと嬉しい気持ちが湧いてきてしまい、ニヤけそうになる。抑えようとしても頬がどうしても緩んでしまう。
「うん、帰ろうか」
僕はニヤける顔をどうにか微笑みに変え、陽詩と手を繋いで歩きだす。陽詩の隣には蒼くんがいて、その隣には川端がいる。四人連なって歩くなんて迷惑かなと思いつつ、あと少しだけこうして歩いていたいななんて思っていた。



