協定、なんて言葉を使ってはいるものの、要するにお互いの弟妹をしっかり見張っておこうぜ、ということらしい。
でも正直大袈裟じゃないだろうか。まだ小一なんだし。とにかく川端の目的がいま一つわからないので何とも言えない。
昨日の提案からの翌日である今日、僕らは早速放課後に学童へ陽詩たちを迎えに向かう。申し合わせたわけでもなく、ただ偶然に一緒に門を出たらそうなったのだ。
そうして歩きながら、ぽつぽつとお互いのことどちらからともなく話し始めていた。
「へぇ、委員長の家っておかあさんとひなちゃんの三人暮らしなんだ」
「うん、だから僕が家のことしてる……んだけど全然上手くならなくって」
「まあ、俺も似たようなもんだよ。家のことは結局いたら母さんに丸投げしちゃう」
「でもコンビニやってるなんてかなり大変なんじゃないか?」
「蒼が赤ちゃんの時が一番大変だったかなぁ。俺まだ家のこと何もできなかったし、父さんも母さんも店にかかりきりだったし」
家のことはできずとも、幼い弟の面倒は見られるというわけで、川端は蒼くんのお世話を任されていたという。「ミルクも作れるし、おむつも替えられるぜ」と苦笑する姿が、見た目とかなりギャップがあって驚かされる。
僕もある程度は陽詩のお世話を請け負っていたので、「わかるわかる」と、うなずいてしまう。
「だからなのかな、自分でいうのもなんだけど、親みたいに考えちゃって。俺かなり蒼のこと心配でさぁ……今回のことだって、見張ってないとなって思って」
「二人を見張るって……べつに悪いことなんてしないだろうに」
「じゃあ委員長はさ、ひなちゃんがウチの蒼とチューしたって言って来ても平然としてられるか?」
例え話にしては強烈過ぎるワードに、僕が膝から崩れ落ちそうなほど衝撃を受けてうずくまっていると、「な、無理だろ?」と、川端は呆れたように言われ、弱く笑うしかない。
いまは小学生になりたてて、ほんのつい最近まで幼児扱いではあったものの、周りにはネットの動画や本やらテレビやらで、何かしらの情報を得ないことはない。そこでまかり間違ってヘンな知識でもつけてしまって、もし相手にしてしまったとしたら。もしくは、相手にされてしまったら。想像するだけで目眩がしそうだ。
「……ちょっと、無理どころじゃないかもな」
「だろ? だからさ、俺らが先輩として見張っててやらねえと」
そう、川端は得意げな顔をして腕組みをしているものの、生憎僕は恋愛面では全くの素人だ。好きな人すらいたことがない。誰かと誰かが好き合うとか、好きだと思うとか、そういうことは別におかしなことでも特別なことだとも思わない。だけど、僕は誰にもそういう気持ちを抱いたことがないのだ、今までに一度も。
一度も味わったり抱いたりしたことがないことに対して、僕はどうするのが正しいとか間違ってるとか危ういとかがわかるんだろうか。そんな不安が過ぎるし、自分にそういうことをジャッジする資格があるのかと不安になって来る。
「先輩としてってことは、川端はそういう経験は結構あるんだ?」
僕にはわからないけれど、言い出しっぺである川端にはあるんだろう、そう考えるのはあまり不自然ではないと思うのに、答えがない。
何かおかしなことを聞いただろうか? と、僕が隣に立つ川端の方を窺うと――トマトのように真っ赤になっていたのだ。しかも、なんだかバツが悪そうに目を伏せたりなんかして。
「川端? なんで顔、赤いんだ?」
「べ、べつに……」
「もしかして、川端も経験なし?」
「そ、そういうんじゃ……彼女くらい、い、いなくは……ないけどさ……」
「いたってこと?」
「いや、えっと……好きな人がいたってくらいだけどさ……」
いつもはべらべらとうるさいくらいに喋っているくせに、何故恋愛経験の話になった途端にこんなにもじもじと真っ赤になるのか。経験値の低い僕でさえここまで照れないのに、一体何がどうしたというのだろうか?
そうして川端はその内に観念したように溜め息をつき、「……わ、悪いかよ」と、呟く。
「俺、見た目がこうだから、めっちゃ遊んでるって言われんだよ……彼女なんて、いたこともないのに」
「え、そうなんだ。さっきのいたのどうのって話は?」
「まあ、告られはすんだけどさ、付き合ったことはない。そもそも俺にはそういう気はないから」
「なんで?」
「俺、ずっと好きな人いるんだよ。もう十年ちょいくらいになるかな」
ずっと好きな人、と聞いて何故か胸が鉛を呑んだように重たくなった。冷たささえ感じるそれに、僕は思わず胸元を抑えてしまう。胸の奥が、不穏に渦巻いていることに戸惑いを覚えたからだ。何だこの感じ……胸騒ぎとも違う感覚に、戸惑いが治まらない。
「ふ、ふぅん……案外一途だね」
それでも平静を装うようなふりをして返すと、川端はムッとした顔でわかりやすく拗ねてしまった。そんなにまたいけないことを言ってしまっただろうか?
「悪かったな、チャラいそうなのに童貞くさくて。愛想よく見えんのは家が接客業だからだよ。俺だってそういうピュアなのとこあるんだよ」
今までに何度もそういうことでからかわれたり、もしくは相手にガッカリされたりしてきたのか、川端はちょっと拗ねている。兎に角、見た目に反した恋愛経験値が低めであるのはわかった。
たしかに、意外ではある。彼女なんて片手で足りないほどいたことがあって、常に引く手あまたで恋人を切らしたことがなくて――。なんて、そんなことを勝手に想像していた僕は、川端の意外な一面に瞬いて返す。
「思ったより遊んでないって思っただろ?」
「あ、いやそういうわけじゃ……」
「いいって。まあ、事実だし。悪いように思ってるわけじゃないでしょ、委員長だって」
怒らせたかと思っていたら、意外と川端はカラッと笑っていて、それがなんとも気持ちがいい笑顔なのに驚かされる。いままさに見上げている夏の夕暮れのようなさわやかさに、さっきとは違う音で胸が鳴る。小さくてささやかな、鈴のような音がした。
(あ、こんな顔して笑うんだ、川端って)
いつもはへらへらしてる顔しか知らないから、これもまた意外に思えたし、目を惹かれる。こういう一面を僕しかいま見ていないのかと思うと、ちょっと得したような嬉しい気持ちになるのはどうしてなんだろう。嬉しくて、無為に気に笑顔になってしまう。
でも同時に、自分が偏ったものの見方をしていることを悔やんだ。
(いままでどれだけ川端のこと誤解した目で見てたんだろう。そういうのじゃ、全然ないのにいまさら気づいた……)
そんな話をしている内に、学童についていた。職員の先生に声をかけ、それぞれの弟妹を呼んできてもらう。その間も、僕はどう川端に声をかければいいかわからず黙ったままだった。
(そういうわけじゃないも何も、僕だって彼のことを遊び歩いているチャラい奴だって思ってたくせに……。本人に言われて気まずくなるとか、恥ずかしすぎる……)
川端は悪いことを言ってるわけじゃないとは言ってはくれたものの、それでも、恋愛経験値が低いのを気にしてもいたみたいだし……やっぱり、そこは曖昧にそのままにしていていい気がしない。やっぱりちゃんと謝った方がいいよなと思い、口を開く。
「なぁ、川端……」
「お兄ちゃん! 帰ろー」
「あ、ああ、帰ろうか」
「わぁい! 今日も蒼くんと一緒に帰れるー」
陽詩たちが支度を整えて出てきて、二人いそいそと嬉しそうにしている。今日も何となくこのまま一緒に途中まで帰ることになりそうだ。きっとそれをもう察しているんだろう。
靴を履き替え、早速陽詩は蒼くんと手を繋ぎ、二人仲良く校門に向かって駆けだす。僕と川端はそのあとを連れ立つようにして歩いてついて行く。夏に向かう夕焼けはコントラストが濃くくっきりとしていて、なんだかいま僕の中に射す気持ちの陰を照らしているようだ。
「転ばないようになー」
元気よく走っていく二人に川端はそう声をかけ、またゆっくりと歩きだす。その横顔をそっと盗み見ると、夕日に縁どられていてやけにキラキラしている。
あまりにその横顔がきれいで目が離せないでいると、突然、ふふっと川端が笑った。それにまた胸が音を立てる。
「委員長、見過ぎ。そんなに俺イケメン?」
「なっ……そ、そうじゃない。似てるなって思ってただけ」
「蒼と? だったら嬉しいなぁ。俺あいつめっちゃ好きだから」
「ッはは。重症なブラコンだな」
「委員長だってひなちゃんラブだろ」
「そ、それは……」
ラブ、だなんて直球な言葉を使われて戸惑う僕を、川端は面白そうな顔をして見ている。でもそれは嘲笑というわけではなく、なんだか楽しそうにしている感じだ。まるで同士の反応を見守っているかのようでもある。
そんな眼差しを向けられたことなんてほとんどないから、僕はどう反応していいかわからず戸惑ってしまう。ふいっと目を逸らすと、向けられているその眼差しにどこか懐かしさを感じてしまい、余計に戸惑い混乱する。彼とは、最近知り合ったはずなのに。
「そ、そういう言い方、重度のシスコンみたいじゃないか」
「俺のこと重度のブラコンなんて言ってるんだから、お相子だろ」
ぐうの音も出ない言い分にぐっと黙っていると、「おにいちゃーん」と、陽詩が呼ぶ声がする。川端と共に振り返ると、蒼くんと二人してこちらに歩み寄ってきてこう尋ねてきた。
「ねえ、もうちょっと蒼くんと遊びたい! そこの公園で」
「えー……もう六時近いんだけど。それに、蒼くんだって早く帰らなきゃかもだし」
「ねえ、お願い! ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」
夕方の夕食を作る時間帯のタイムスケジュールは、かなりパンパンで余裕がない。だから、帰れるなら一刻も早く帰りたいのが本音だ。
だからと言って、陽詩のお願いを無下にするのも気が引けてしまう。なにより、ダメ、と言った後に悲しい顔をされると心が半端なく痛むのだ。かわいい妹の願いは何でも聞いてあげたい。でも、何でもかんでもお願いを聞いていたらキリがないし、なにより陽詩自身にもよくない気がする。兄として保護者として、板挟みな心境だ。
そんなことをぐるぐる考えていると、「ウチは別にいいけど」と、川端が言うのだ。
「え、でもそんなことしたらこれから毎日寄りたいとかってならないか? そのー、甘やかしちゃうと言うか」
「一日の内の十分くらい大丈夫だよ。その代わり、家に帰ったらすぐ片付けとか風呂とか宿題とかやるって約束すればいいんだし」
な、二人とも、と話を振られて蒼くんも陽詩も大きくうなずいている。陽詩も蒼くんもやる気に満ちているのが見て取れる表情をしているから、もう僕からは何も言えない。
確かにもう陽詩たちは小学生で、約束を守ることはいままでよりもしっかりできるようになっているんじゃないだろうか。成長を期待する、なんて堅苦しいけれど、要は二人を信じたらどうだろうということだろう。
「ってことだからさ、委員長。十分だけ、付き合ってやらない?」
何よりそんな風に譲歩されてしまうと、頭ごなしにダメと言おうとしていた僕が悪者になってしまうじゃないか。
川端は僕がダメと言おうとしていたことも、いまバツが悪い思いをしているのも見透かすようなニヤニヤした目をしていて、なんだか居た堪れなくさえ思えてくる。おまけに陽詩たちまで縋る様な目でわざとらしくかわいい仕草をしてみてくるものだから、もうこれはうなずくしかないだろう。
「わかったよ、十分だけね。その代わり、家に帰ったら何でもダッシュだよ?」
「はぁーい!!」
僕の一言で陽詩達は歓声を上げ、ランドセルを僕らに押し付けるように預けて公園へ駆けて行く。その姿が本当に嬉しそうで、頑なにダメだと言わなくて正解だったなと思えた。
約束通り、二人は並んでブランコに乗り、何やら楽しそうに喋りながら力強く漕いでいる。僕と川端はそれを、少し離れたベンチで眺める。
夕日の中で力いっぱいブランコを漕いで笑い合っている陽詩達は、本当に幸せそうだ。頭ごなしにダメ! と、押し切らなくて心から良かったと思う。きっと帰りにぐずぐず言われていただろうことが目に浮かぶ。大事な妹には、やっぱり笑顔でご機嫌でいて欲しいから。
「いい顔してるよなぁ。そう思わね、委員長」
「うん、そうだね」
陽詩達が付き合うことには待ったをかけるけれど、川端はそれを頭ごなしに反対……と言うわけではないんだろうか。そこはやはり、男の子と女の子の違いだったりするんだろうか。そんなことを考えてしまう。僕がやっぱり過保護すぎるのかなとか、重度のシスコン過ぎるのかなとか。
でもやっぱり、兄としては妹の笑顔を優先させたくなる。
「お兄ちゃーん!」
「靴飛ばさないように気をつけてー」
高く漕ぎあげていく陽詩に手を振りながら、同じく蒼くんに手を振る川端の横顔をちらりと窺う。その横顔は、やっぱりニコニコと機嫌がいい。
(自分から協定を結ぼうって言ってきたくせに……案外陽詩たちに協力的な感じだな……?)
陽詩と蒼くんのお付き合い? を見張るという意味であれば、協定を結んでこうして送り迎えを一緒にするのは理にかなっているかもしれない。でも、二人が引っ付き合ったりするのを阻止できているかというとそうでもなく、むしろ仲の良さを加速させている気がする。
でもこの日の帰り道も家に帰ってからも、陽詩はずっと機嫌が良かったし笑顔が絶えなかった。それは素直に兄として嬉しかったけれど……協定の意味や目的は、やっぱりわからないままだ。
わからないままでありながらも、ゆるくつながっていることを嬉しいと思っているのも確かで、僕は夕方の会話を思い出しては一人くすりと笑った。
でも正直大袈裟じゃないだろうか。まだ小一なんだし。とにかく川端の目的がいま一つわからないので何とも言えない。
昨日の提案からの翌日である今日、僕らは早速放課後に学童へ陽詩たちを迎えに向かう。申し合わせたわけでもなく、ただ偶然に一緒に門を出たらそうなったのだ。
そうして歩きながら、ぽつぽつとお互いのことどちらからともなく話し始めていた。
「へぇ、委員長の家っておかあさんとひなちゃんの三人暮らしなんだ」
「うん、だから僕が家のことしてる……んだけど全然上手くならなくって」
「まあ、俺も似たようなもんだよ。家のことは結局いたら母さんに丸投げしちゃう」
「でもコンビニやってるなんてかなり大変なんじゃないか?」
「蒼が赤ちゃんの時が一番大変だったかなぁ。俺まだ家のこと何もできなかったし、父さんも母さんも店にかかりきりだったし」
家のことはできずとも、幼い弟の面倒は見られるというわけで、川端は蒼くんのお世話を任されていたという。「ミルクも作れるし、おむつも替えられるぜ」と苦笑する姿が、見た目とかなりギャップがあって驚かされる。
僕もある程度は陽詩のお世話を請け負っていたので、「わかるわかる」と、うなずいてしまう。
「だからなのかな、自分でいうのもなんだけど、親みたいに考えちゃって。俺かなり蒼のこと心配でさぁ……今回のことだって、見張ってないとなって思って」
「二人を見張るって……べつに悪いことなんてしないだろうに」
「じゃあ委員長はさ、ひなちゃんがウチの蒼とチューしたって言って来ても平然としてられるか?」
例え話にしては強烈過ぎるワードに、僕が膝から崩れ落ちそうなほど衝撃を受けてうずくまっていると、「な、無理だろ?」と、川端は呆れたように言われ、弱く笑うしかない。
いまは小学生になりたてて、ほんのつい最近まで幼児扱いではあったものの、周りにはネットの動画や本やらテレビやらで、何かしらの情報を得ないことはない。そこでまかり間違ってヘンな知識でもつけてしまって、もし相手にしてしまったとしたら。もしくは、相手にされてしまったら。想像するだけで目眩がしそうだ。
「……ちょっと、無理どころじゃないかもな」
「だろ? だからさ、俺らが先輩として見張っててやらねえと」
そう、川端は得意げな顔をして腕組みをしているものの、生憎僕は恋愛面では全くの素人だ。好きな人すらいたことがない。誰かと誰かが好き合うとか、好きだと思うとか、そういうことは別におかしなことでも特別なことだとも思わない。だけど、僕は誰にもそういう気持ちを抱いたことがないのだ、今までに一度も。
一度も味わったり抱いたりしたことがないことに対して、僕はどうするのが正しいとか間違ってるとか危ういとかがわかるんだろうか。そんな不安が過ぎるし、自分にそういうことをジャッジする資格があるのかと不安になって来る。
「先輩としてってことは、川端はそういう経験は結構あるんだ?」
僕にはわからないけれど、言い出しっぺである川端にはあるんだろう、そう考えるのはあまり不自然ではないと思うのに、答えがない。
何かおかしなことを聞いただろうか? と、僕が隣に立つ川端の方を窺うと――トマトのように真っ赤になっていたのだ。しかも、なんだかバツが悪そうに目を伏せたりなんかして。
「川端? なんで顔、赤いんだ?」
「べ、べつに……」
「もしかして、川端も経験なし?」
「そ、そういうんじゃ……彼女くらい、い、いなくは……ないけどさ……」
「いたってこと?」
「いや、えっと……好きな人がいたってくらいだけどさ……」
いつもはべらべらとうるさいくらいに喋っているくせに、何故恋愛経験の話になった途端にこんなにもじもじと真っ赤になるのか。経験値の低い僕でさえここまで照れないのに、一体何がどうしたというのだろうか?
そうして川端はその内に観念したように溜め息をつき、「……わ、悪いかよ」と、呟く。
「俺、見た目がこうだから、めっちゃ遊んでるって言われんだよ……彼女なんて、いたこともないのに」
「え、そうなんだ。さっきのいたのどうのって話は?」
「まあ、告られはすんだけどさ、付き合ったことはない。そもそも俺にはそういう気はないから」
「なんで?」
「俺、ずっと好きな人いるんだよ。もう十年ちょいくらいになるかな」
ずっと好きな人、と聞いて何故か胸が鉛を呑んだように重たくなった。冷たささえ感じるそれに、僕は思わず胸元を抑えてしまう。胸の奥が、不穏に渦巻いていることに戸惑いを覚えたからだ。何だこの感じ……胸騒ぎとも違う感覚に、戸惑いが治まらない。
「ふ、ふぅん……案外一途だね」
それでも平静を装うようなふりをして返すと、川端はムッとした顔でわかりやすく拗ねてしまった。そんなにまたいけないことを言ってしまっただろうか?
「悪かったな、チャラいそうなのに童貞くさくて。愛想よく見えんのは家が接客業だからだよ。俺だってそういうピュアなのとこあるんだよ」
今までに何度もそういうことでからかわれたり、もしくは相手にガッカリされたりしてきたのか、川端はちょっと拗ねている。兎に角、見た目に反した恋愛経験値が低めであるのはわかった。
たしかに、意外ではある。彼女なんて片手で足りないほどいたことがあって、常に引く手あまたで恋人を切らしたことがなくて――。なんて、そんなことを勝手に想像していた僕は、川端の意外な一面に瞬いて返す。
「思ったより遊んでないって思っただろ?」
「あ、いやそういうわけじゃ……」
「いいって。まあ、事実だし。悪いように思ってるわけじゃないでしょ、委員長だって」
怒らせたかと思っていたら、意外と川端はカラッと笑っていて、それがなんとも気持ちがいい笑顔なのに驚かされる。いままさに見上げている夏の夕暮れのようなさわやかさに、さっきとは違う音で胸が鳴る。小さくてささやかな、鈴のような音がした。
(あ、こんな顔して笑うんだ、川端って)
いつもはへらへらしてる顔しか知らないから、これもまた意外に思えたし、目を惹かれる。こういう一面を僕しかいま見ていないのかと思うと、ちょっと得したような嬉しい気持ちになるのはどうしてなんだろう。嬉しくて、無為に気に笑顔になってしまう。
でも同時に、自分が偏ったものの見方をしていることを悔やんだ。
(いままでどれだけ川端のこと誤解した目で見てたんだろう。そういうのじゃ、全然ないのにいまさら気づいた……)
そんな話をしている内に、学童についていた。職員の先生に声をかけ、それぞれの弟妹を呼んできてもらう。その間も、僕はどう川端に声をかければいいかわからず黙ったままだった。
(そういうわけじゃないも何も、僕だって彼のことを遊び歩いているチャラい奴だって思ってたくせに……。本人に言われて気まずくなるとか、恥ずかしすぎる……)
川端は悪いことを言ってるわけじゃないとは言ってはくれたものの、それでも、恋愛経験値が低いのを気にしてもいたみたいだし……やっぱり、そこは曖昧にそのままにしていていい気がしない。やっぱりちゃんと謝った方がいいよなと思い、口を開く。
「なぁ、川端……」
「お兄ちゃん! 帰ろー」
「あ、ああ、帰ろうか」
「わぁい! 今日も蒼くんと一緒に帰れるー」
陽詩たちが支度を整えて出てきて、二人いそいそと嬉しそうにしている。今日も何となくこのまま一緒に途中まで帰ることになりそうだ。きっとそれをもう察しているんだろう。
靴を履き替え、早速陽詩は蒼くんと手を繋ぎ、二人仲良く校門に向かって駆けだす。僕と川端はそのあとを連れ立つようにして歩いてついて行く。夏に向かう夕焼けはコントラストが濃くくっきりとしていて、なんだかいま僕の中に射す気持ちの陰を照らしているようだ。
「転ばないようになー」
元気よく走っていく二人に川端はそう声をかけ、またゆっくりと歩きだす。その横顔をそっと盗み見ると、夕日に縁どられていてやけにキラキラしている。
あまりにその横顔がきれいで目が離せないでいると、突然、ふふっと川端が笑った。それにまた胸が音を立てる。
「委員長、見過ぎ。そんなに俺イケメン?」
「なっ……そ、そうじゃない。似てるなって思ってただけ」
「蒼と? だったら嬉しいなぁ。俺あいつめっちゃ好きだから」
「ッはは。重症なブラコンだな」
「委員長だってひなちゃんラブだろ」
「そ、それは……」
ラブ、だなんて直球な言葉を使われて戸惑う僕を、川端は面白そうな顔をして見ている。でもそれは嘲笑というわけではなく、なんだか楽しそうにしている感じだ。まるで同士の反応を見守っているかのようでもある。
そんな眼差しを向けられたことなんてほとんどないから、僕はどう反応していいかわからず戸惑ってしまう。ふいっと目を逸らすと、向けられているその眼差しにどこか懐かしさを感じてしまい、余計に戸惑い混乱する。彼とは、最近知り合ったはずなのに。
「そ、そういう言い方、重度のシスコンみたいじゃないか」
「俺のこと重度のブラコンなんて言ってるんだから、お相子だろ」
ぐうの音も出ない言い分にぐっと黙っていると、「おにいちゃーん」と、陽詩が呼ぶ声がする。川端と共に振り返ると、蒼くんと二人してこちらに歩み寄ってきてこう尋ねてきた。
「ねえ、もうちょっと蒼くんと遊びたい! そこの公園で」
「えー……もう六時近いんだけど。それに、蒼くんだって早く帰らなきゃかもだし」
「ねえ、お願い! ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」
夕方の夕食を作る時間帯のタイムスケジュールは、かなりパンパンで余裕がない。だから、帰れるなら一刻も早く帰りたいのが本音だ。
だからと言って、陽詩のお願いを無下にするのも気が引けてしまう。なにより、ダメ、と言った後に悲しい顔をされると心が半端なく痛むのだ。かわいい妹の願いは何でも聞いてあげたい。でも、何でもかんでもお願いを聞いていたらキリがないし、なにより陽詩自身にもよくない気がする。兄として保護者として、板挟みな心境だ。
そんなことをぐるぐる考えていると、「ウチは別にいいけど」と、川端が言うのだ。
「え、でもそんなことしたらこれから毎日寄りたいとかってならないか? そのー、甘やかしちゃうと言うか」
「一日の内の十分くらい大丈夫だよ。その代わり、家に帰ったらすぐ片付けとか風呂とか宿題とかやるって約束すればいいんだし」
な、二人とも、と話を振られて蒼くんも陽詩も大きくうなずいている。陽詩も蒼くんもやる気に満ちているのが見て取れる表情をしているから、もう僕からは何も言えない。
確かにもう陽詩たちは小学生で、約束を守ることはいままでよりもしっかりできるようになっているんじゃないだろうか。成長を期待する、なんて堅苦しいけれど、要は二人を信じたらどうだろうということだろう。
「ってことだからさ、委員長。十分だけ、付き合ってやらない?」
何よりそんな風に譲歩されてしまうと、頭ごなしにダメと言おうとしていた僕が悪者になってしまうじゃないか。
川端は僕がダメと言おうとしていたことも、いまバツが悪い思いをしているのも見透かすようなニヤニヤした目をしていて、なんだか居た堪れなくさえ思えてくる。おまけに陽詩たちまで縋る様な目でわざとらしくかわいい仕草をしてみてくるものだから、もうこれはうなずくしかないだろう。
「わかったよ、十分だけね。その代わり、家に帰ったら何でもダッシュだよ?」
「はぁーい!!」
僕の一言で陽詩達は歓声を上げ、ランドセルを僕らに押し付けるように預けて公園へ駆けて行く。その姿が本当に嬉しそうで、頑なにダメだと言わなくて正解だったなと思えた。
約束通り、二人は並んでブランコに乗り、何やら楽しそうに喋りながら力強く漕いでいる。僕と川端はそれを、少し離れたベンチで眺める。
夕日の中で力いっぱいブランコを漕いで笑い合っている陽詩達は、本当に幸せそうだ。頭ごなしにダメ! と、押し切らなくて心から良かったと思う。きっと帰りにぐずぐず言われていただろうことが目に浮かぶ。大事な妹には、やっぱり笑顔でご機嫌でいて欲しいから。
「いい顔してるよなぁ。そう思わね、委員長」
「うん、そうだね」
陽詩達が付き合うことには待ったをかけるけれど、川端はそれを頭ごなしに反対……と言うわけではないんだろうか。そこはやはり、男の子と女の子の違いだったりするんだろうか。そんなことを考えてしまう。僕がやっぱり過保護すぎるのかなとか、重度のシスコン過ぎるのかなとか。
でもやっぱり、兄としては妹の笑顔を優先させたくなる。
「お兄ちゃーん!」
「靴飛ばさないように気をつけてー」
高く漕ぎあげていく陽詩に手を振りながら、同じく蒼くんに手を振る川端の横顔をちらりと窺う。その横顔は、やっぱりニコニコと機嫌がいい。
(自分から協定を結ぼうって言ってきたくせに……案外陽詩たちに協力的な感じだな……?)
陽詩と蒼くんのお付き合い? を見張るという意味であれば、協定を結んでこうして送り迎えを一緒にするのは理にかなっているかもしれない。でも、二人が引っ付き合ったりするのを阻止できているかというとそうでもなく、むしろ仲の良さを加速させている気がする。
でもこの日の帰り道も家に帰ってからも、陽詩はずっと機嫌が良かったし笑顔が絶えなかった。それは素直に兄として嬉しかったけれど……協定の意味や目的は、やっぱりわからないままだ。
わからないままでありながらも、ゆるくつながっていることを嬉しいと思っているのも確かで、僕は夕方の会話を思い出しては一人くすりと笑った。



