【完結】僕の恋のスイッチを入れたのは、妹の彼氏の兄でした

「お兄ちゃん、今日のひな、かわいい?」

 そう言って、小一の妹の陽詩(ひなた)は、最近自分で選んだ服装チェックを僕にゆだねてくる。正直陽詩は何を着ても可愛いので、くるっと回ったりすると一層かわいい。今日は先週買ってもらったパステルカラーにユニコーンの刺繍(ししゅう)が入ったスウェットと、ライトブルーのスカートをチョイスしている。我が妹ながら良いセンスしていると思う。流石僕の妹だ。
 なにより、かわいいという言葉は、陽詩のためにあるようなものだ。決して母さんの戯れでピンクを着せられていた幼い頃の僕に向けて良いものじゃない。
 かわいいという言葉とともに過ぎる苦い記憶に顔をしかめにそうなりつつも、僕は陽詩の頭を撫でて微笑みかける。

「うん、すっごくかわいいよ」

 コーディネイトを誉められてご機嫌になっている陽詩だが、朝の残された時間はそんなに多くはない。まだ髪も結ってないし、ご飯も食べていないんだから。

「陽詩、ちょっとスピードアップして。遅刻しちゃうよ」

 そう促しつつ僕は洗濯を干しに向かう。母さんが離婚してこのアパートに越してきた四年前から、朝の家の仕事は僕の役割だ。母さんは僕らが起きる前に家を出て、夜遅くに帰ってくるので仕方ないんだけれど、陽詩の世話もしつつの朝の時間は正直戦争状態だ。

「おにいちゃぁん、いってきまーす」

 毎朝バタバタで時間ギリギリではあるけれど何とか陽詩を学校まで送り届け、その足で僕は自分の高校へ走る。一応小学校と高校は歩いても行けなくはない距離ではあるけれど、正反対の位置なのでかなり急がないといけない。

「はあ……今日もなんとか間に合った……」

 門をくぐり、バタバタと学年玄関の下駄箱のところでため息をついていると、ふと、自分の手首の違和感に気付く。ピンクのシュシュ……陽詩の髪を結っている時に、髪飾りが気に入らないからとか言われて取り換えた時に付けたままにしていたようだ。

「うわ、しまった……」

 こんなの誰かに見られたら何を言われるか……と、慌てて外してポケットに入れたその瞬間、「あ、委員長じゃーん。なにそのかわいいやつ」と、何とも軽薄な声が聞こえた。そして同時に苛立ちが湧き、声がした方をにらみ返す。
 明るい茶色のハネた髪に、校則違反はどうなった? と聞きたいピアス、ひょろりと僕を見下ろすほどの長身の男子生徒がゆるっと垂れた目をほどかせてたたずんでいた。
 ああ、またこいつかよ……と、内心ため息も出ないほどうんざりする。僕が最も苦手とするタイプのクラスメイトだからだ。

「僕の名前は“委員長”じゃない。伊勢太陽(いせたいよう)だって何度言ったらわかるんだよ、川端(かわばた)

 僕がにらみ付けて言い返そうにも、目の前に立ちはだかるように佇む長身の川端こと川端海翔(かわばたかいと)は、全く意に介する様子なくへらりと笑う。その表情もまた軽薄そうで、もっと言うならばチャラくて、イライラしてくる。何だその不自然に明るい茶髪は、ピアスは。

「でも学級委員長やってるんだから事実じゃん」
「それは肩書であって、呼称ではない!」
「かったいなぁ、委員長~。でも案外かわいい物好きなんだね~」
「は? 何言ってんだよ」
「だってこれ」
「え? あ……」

 僕が聞き返すと、川端はにやにやと笑って僕の制服のスラックスのポケットから覗くピンクのシュシュを指した。なんだってこんな時にこれが目についてしまうんだ……! よりにもよって一番見られたくない奴の前で!
 慌ててポケットの奥に押し込もうとしたのを、サッと川端が取り上げてしまう。その絶望感たるや。

「ちょ……! 返せ!」
「いいじゃん、ちょっと貸してよ。こうしてこうすれば……」
「え、ちょ、ホント、何やって……」

 川端は僕よりもはるかに背が高い。確か一八五センチはあるんだったんじゃないかと。だから、一応は一七〇センチある僕でも、高く手を挙げられてしまったら届かないし、押さえつけられてしまったら敵わない。
 しかもいつになく近いところに川端の顔面があったりするものだから、目のやり場に困ってヘンに視線を逸らすこともできない。何なんだこの状況は!

「返せってば!」
「これやっぱ委員長の? かわいい系似合いそうだもんねぇ」
「か、かわいいって言うな!!」

 僕がこいつを一番苦手とする理由。それは、僕にとって禁句とも言えるかわいいをあっさりと、しかもためらうこともなく言ってくることだ。惜しげもなくかわいいなんて言い、そして隙あらば撫でてきたりする。ヘンに心が乱れそうになるから、そのチャラさが本当に苦手だ。
 腕を振り回し、つかみかかりながら陽詩のものを取り返そうともがいていると、ササッと僕の髪の辺りを触られた。長い川端の髪が僕の少し癖のある黒い髪をやさしく撫でていき、何故か胸が大きな音を立てる。悪寒とも違う、甘い鼓動のようなものだ。
 一体何を、とにらみ返すと、インカメラになったスマホがサッと差し出される。そこに映し出されていたのは、普段はぼさぼさで無造作もいいところの僕の髪が、後ろにいい感じに結われている姿だった。お陰で陽詩とそっくりの黒目がちでパッチリしていてかわいいとよく言われる目が現れていて、小ぶりな鼻も口元もはっきり見えている。自分の顔の造りなんてほとんどまじまじと見ないから、途端に恥ずかしさが湧いてきた。

「な、なにしてんだよ……!」
「いいじゃん。委員長その方がかわいいよ」
「かわいくなくていい! 僕は男なんだから! かわいいなんて言うな!」
「かわいいものをかわいいというのは俺の主義なの。ほら、にっこりしなよ」

 そう言いながら、川端は無理矢理に僕の口元に指を添えて口角を挙げようとしてくる。その強引さにイラッとするのを通り越して殺意さえ湧きそうだ。しかもまた数センチの距離で笑っていたりするし。一体どういうリアクションをしろというんだろうか。僕は、かわいくもなんともない男なのに。
 ――なのに、何でいつもこうも胸が騒いでしまうんだろうか。

「さ、触るんじゃ、ない!!」

 僕がにらみ返して苦言を言いつつ髪のシュシュをむしり取ると、川端は不服そうに唇を尖らせる。「え~、折角似合ってんのにぃ」なんて言うけれど、お前みたいなチャラいセンスを押し付けてくるんじゃない! ああ、もう、朝からなんて日なんだ!!
 そうこうしている間に予鈴が鳴り、僕と川端はハッと我に返って走り出す。僕らの教室は二階で、学年玄関から少し遠いからだ。

「もう! 川端のせいで今日も遅刻しそうだ!」
「え~? 委員長がかわいいシュシュなんて持ってるからでしょー。それに遅かったのはおんなじなんだし」
「それでも僕のせいじゃない!」

 そんなことを言い合いながら僕らは階段を駆け上がり、担任の先生がやって来る一分前の教室に滑り込む。
 髪は結局いじられたせいで余計にぼさぼさになり、直す暇もなく席に着くしかない。

(ああ、もう、最悪! 最悪!)

 朝からかわいいと連呼された上に髪まで触られてしまったのだ。苛立ち紛れに睨みつけてやろうと後ろを振り返ると、嬉しそうにニコニコと手を振ってくる川端と目がかち合う。川端は一層愛想よく甘く微笑みかけてくる。それが余計に僕の怒りを煽る。

(なんて軽薄! チャラ男! 絶対許さん!)

 胸の中で悪態をつきつつ目を逸らしたけれど、向けられている視線の強さが変わらなくてどぎまぎしてきてしまう。なんでそんなに見てくるんだよ! とにらみ返したいのに、もしまたかわいいなんて言われたり触られたりしたらと思うと、また強く言い返せる気がしない。なんでだろう、絶対に言われたくないはずの言葉なのに。

「ほんっともう……なんなんだよ……」

 いつも以上に川端と絡んでしまったせいで乱れた平常心を取り戻すのに、僕はしばらく黒板を凝視しているしかなかった。背中には、視線を感じながら。
 胸の騒がしさは昼休みに入るまで地味に長く続き、一層僕を戸惑わせることとなった。