【完結】僕の恋のスイッチを入れたのは、妹の彼氏の兄でした

 「あらぁ、38.8℃! 意外と熱あるわね」

 翌日になって、僕が熱を出してしまった。陽詩は相変わらずしょ気た感じだけれど熱はないため、今日は母さんと登校することにしたようだ。
 いつ振りになるかしれない母さんとの登校で、少しは気が晴れているみたいだけれど、僕が寝込んでしまったのは気になっているようで、何か言いたげな目をして家を出て行った。

「あー……ダル……」

 熱出して寝込むなんて、本当にいつ振りだろう。思えばずっと、僕は家のこと、特に陽詩のことばかり考えていた気がする。見上げた天井はいつも目にしているはずなのに、随分と久しぶりに目にしている気がした。
 ダルくはあると言えばあるけれど、大したことない。それなのに、休むなんて大袈裟だなとは最初は思っていたんだけれど、昨日の今日で川端たちと顔合わせるのは気まずかったから、これで良かったのかもしれない。
 陽詩たちを送り出し、とりあえず横になって枕元のスマホを手に取る。当たり前だけど、誰からも何も届いていない。もちろん川端からも。
 あれ以来、どうやって川端に声をかければいいのかとずっと考えている。まずなんて話を切り出そうとか、それからどうやって謝ろうとか、ずっと。考えれば考えるほど絡まってしまって、眠れなくて、こうやって熱が出てしまったのだけれど。

「蒼くんに、大人気なかったよな……本当に悪い事したな……」

 家族、特に陽詩に対する敵意や暴力に、僕は昔から感情に反応してしまう。それはやっぱり、父さんとのことが関係しているんだろう。ほとんどトラウマになっているのではないかと言えるけれど、まさかそれが、昨日あんな形で吹き出すなんて。
 結果的に、蒼くんにも陽詩にも怖い思いをさせたと思う。僕と川端が言い合いするなんて、きっと思いもしなかっただろうし。
 でもそれだけで熱を出すほどに、僕はやわだった覚えはないのだけれど……まだ何かが、胸の奥に食い込んでいて、痛い。これがずっと、昨日川端に背を向けられてから刺さったままなのだ。

「昨日はご、め……ぅん~……こんなこと言って、あいつ返事くれるかな……」

 スマホでメッセージを記入しては消すをもう何十分も繰り返している。たった一言なのに、そのたったひと言さえも送れないでいる。そうしている間にも熱がどんどん高くなっていく。
 ごめんで済むくらいに軽いなら、きっといまこうやって寝込んでいない。それですまないほどのことを僕はしてしまったし、起こしてしまった。その痛みが熱を持っているんだろう。
 体の痛みや熱は、薬を飲んだり冷やしたりすればいずれ治る。現にいまの熱は引きつつある気がする。
 でも、心の傷は? しかも、僕は明らかに川端と蒼くんに傷を負わせてしまった。それをどう償えばいいんだろう。

「一番親密だって、思っててくれたかもしれないのに……」

 川端と言い合いをしたことで一番後悔しているのは、彼がぼくのことを一番親密な人としてくれていたかもしれないのに、傷つけてしまったことだ。
 クラスの誰も知らないLIMEのアカウントを教えてくれたり、家に招いてくれたり、お互いに小さな兄弟がいることで分かち合うものがあったり。そういう共通項の積み重ねで作り上げた、特別とも言える関係を僕が壊してしまったのだ。
 特別な関係。その言葉に、不意に胸がきゅっと締め付けられる。川端と過ごしてきて時折感じていた、痛みとも違うそれを、いま目を逸らすことなく感じて気付かされる。僕もまた、川端のことを特別だと思っていることに。
 一番親密で特別な彼を思うと、どんどんどんどん胸が甘く切なくなっていく。ウザ絡みをされていた朝よりも近くなった距離を、無意識に僕自身が嬉しく思っていたことを今更に思い出し、そしていまそれがまた離れてしまっていることを思う。

「ごめん……ごめん、川端……」

 考えれば考えるほど胸が痛んで、涙があふれてしまう。熱はもうとっくに下がっているのに、起き上がれないくらいにツラい。小さな子どもみたいに、寝ころんだまましゃくりあげて泣くのが止まらない。
 でも、川端の名前を呼びながらそうしていると、切ない痛みの中にも甘さが広がるのを感じた。彼の名前を呪文のように唱えると、胸に甘い痛みが疼く。
 これをなんて言えばいいのか、知らないようで知っている。初めて感じるものだから、合っているかがわからない。わからないけれど――きっと、間違いはないと思う。

「……そっか、川端が好きで、特別になれていたから、僕、いま会えなくて苦しいんだ……」

 なんでこんなに苦しく痛くなってからじゃないと気付けないんだろう。いまさら過ぎて、泣いても悔やんでも意味はないのに。
 せめて一言だけ、傷つけたことを謝ることだけでも出来たなら。
 ようやく気付いた初めての恋は、想いの行き場すらなくて胸の奥で泣いている。拭うこともできない涙をこぼしながら、僕は一人うずくまっていた。


 結局それからまた熱が出てしまい、午後から本格的に寝込んでしまっていた。
 早退してきてくれた母さんが陽詩を迎えに行くと言ってくれたし、昼食も作ってくれたんだけれど、なんだかそれが申し訳なくて仕方ない。

「ほら、太陽。うどん出来たから食べなさい」
「……うん。あとでいい」
「薬飲めないでしょ。バナナでも食べる?」
「ああ、うん……」

 正直返事をするのもしんどいくらいで、作ってもらったご飯もほとんど手を付けられなかった。
 「こんなに熱出すなんて、いつ以来かしらねぇ」そう母さんが驚くほど、本当に久々に母さんに世話になりっぱなしだ。

「なんかごめん……」
「なに言ってんの。あんただってまだまだ子どもなんだから、たまにはちゃんと甘えなさい」

 そう母さんは苦笑して、呆れたように僕を見つめている。陽詩は隣の部屋で動画を見ているのか、すごく大人しい。いつもなら、僕が母さんと話していたら間に割って入って来るくらいなのに。
 どうにか起き上がって、ダイニングでうどんを食べていると、母さんが頬杖を突きながらぽつりと言う。

「太陽はホント、昔から意地っ張りで甘えるのが下手くそよね。我慢強すぎるって言うのかしら」
「かわいげがないってことだろ。良いよべつに、男なんだから」
「かわいげはね、男も女も関係なくあった方がお得よ。愛想がいいとみんなに好かれるでしょ」
「……べつに、そんなのどうでもいいよ」

 むすっとしたままうどんを啜っている間も、母さんは僕を見つめてくる。その視線がなんだか気になって仕方ない。
 ちらりと顔をどんぶりからあげ、「……なに?」と聞くと、母さんはしみじみとした感じで呟く。

「随分しっかりしてきて頼もしくなったなぁって思ってね」
「来年一応成人だからね」
「そうねぇ……早いもんねぇ。あの人と離婚した時はぜーんぶ私がやってたくらいの子どもだったのに。いつのまにか陽詩の一番の味方にもなってくれちゃって」
「……なに、いまさらそんなこと……」

 滅多なことでこんな解りやすく褒めてくることがない母さんの言葉が照れ臭くて、僕はまたうどんを啜り始める。母さんはそんな僕をじっと見つめてて、余計に恥ずかしい。
 そしてふと、何かが――たぶん、母さんの手が――頭に触れて撫でてくれた。

「太陽って名前が恥ずかしくないくらい、あんたは、たーちゃんは頑張ってるのよね。でも、なんだか頑張りすぎてて、母さんは心配なの。自分のことより、陽詩やうちのことばかり優先しちゃってるから」

 心配、とまで言われて思わず顔をあげると、泣きそうで困ったような顔をした母さんが僕を見つめている。滅多に見せない表情に思わず手が停まり、僕はどう言葉を返していいかわからなかった。

「だって、僕がしっかりしなきゃ……母さんは仕事があるし、陽詩はまだ小さいし……」
「そうね。だから、あんたに甘えてしまってたのかも。でもね、太陽。陽詩はいつまでも手がかかる小さい子じゃないのよ。いずれあんたみたいに自分のことは自分で何でもできるようにならなきゃなの」

 母さんの言葉に、僕はハッとして遊園地に行く際に自分でお菓子を作ると言い出した陽詩のことを思い出す。誰かのために、自分で何かをしたいと言って行動するのは、確かに成長している証しだろう。何より、大切にしたい人が出来たことは、本来喜ばしいことのはずなのに、僕は反対していたんだ。

「そうだね、陽詩もいつまでも僕がお世話しなきゃいけない小さい子じゃないよね……」
「そうよ。だからね、太陽。あなたも自分のことをしなさい。自分のしたいことを、したいように」
「え、でもそんなことしたら家のことが回らなくなるんじゃ……」
「大丈夫。そのために私がいるんだから。あんたは来年には十八になって大人と同じ扱いになるの。どうなりたいのか、ちゃんと考えなきゃ。ね?」

 母さんも頑張りから、と微笑みかけられて、僕はちょっと泣きそうになりながらうなずく。
 僕の役目は陽詩の世話をして家のことをすることばかりだと思っていた。でもそうじゃないって母さんが気付かせてくれて、ああそうなんだって目が覚めた思いだ。
 僕がしたいようにすることって何だろう……そう考えた時、ふと浮かんだのは川端の姿だった。そう言えば今日学校を休んでしまったから謝るチャンスがなかったことを思い出す。

(僕がしたいこと……まずは川端にちゃんと謝って、それから……ちゃんと気持ちを伝えることだ)

 それをどうしたらいいのか今は思い浮かばなくて、ひとまずうどんを食べ終えてからじっくり考えてみることにした。