言の葉の夜

2026-01-25
『愛する人に向けて』

「今日は満月だよ、早く食べようよ」
彼女は嬉しそうに寝ぼけた僕に言う。

ホットケーキを上手く焼けたのだろう。
フライパンからそれを皿に移している。

1LDKで同棲を始めたばかりの僕らは
新婚カップルみたいな雰囲気を漂わせ
朝、こうして目覚めることが多いから。

彼女の嬉しそうな表情を見られるたびに
同棲を選択して正解だったと思わされる。

昨夜、彼女と近くの居酒屋でお酒を飲み
もうベロベロの僕は、方向感覚を失った。

「僕、あっちだから」と家とは反対方向を
指差して向かおうとする僕を止めるように
「私たち、あっちだよ」と彼女は言いつつ
僕の手首をギュッと握って引っ張ってくれ。

その後の記憶はない。

彼女は僕をベッドに寝かせてくれていて
今、良い匂いをキッチンから発している。

冒頭の言葉が聞こえて目覚めた。

はて、今は朝のはずなのに何が満月だ、と
疑問に思っていたのだけれど彼女の表情は
愛する人に料理を作る人のものに似ていて。

嗚呼、僕のために何か作ったのだろうと察した。

匂いからして、ホットケーキだった。
確かに丸く作れば満月みたいなもの。

昨夜、酔い潰れてまともに歩けない僕が
見上げたとき空にあったものに似ている。

少しずつ、昨日のことを思い出した。

居酒屋を出た後、僕は彼女に引っ張られ
酔いを醒まさせてくれようと公園にある
ベンチに座らせられて、水を飲まされた。

近くにあった自販機で買ったものだろうか。

グイっと飲まされたあの瞬間
首を上に向けたときに見た月。

確かに満月で、魅力的で、迫力があった。
「どうした」と彼女は僕の視線を追って
今日、満月だったことをそのとき知った。

「満月だね」と彼女は優しい声で呟くから
「ね、満月」と僕は届かない腕を伸ばすが。

まだ酔いが回っていて、クラクラする。
隣に座っていた彼女の膝に頭を落とし。

唇に何か触れたような気がしたことを思い出す。
そして目が覚めると、彼女は満月を作っていた。

フライパンからそれを皿に移している
彼女に「昨日さ、何かした?」と僕は
何気なく気になったから訊いたのだが。

「昨日ね、凄く綺麗な満月だったんだよ」
「もう君は覚えてないかもしれないけど」

そう言いながらテーブルに皿を置き
メープルをかけている彼女の表情が
少し照れているような感じになった。

「実はね」と彼女は言いかけるから
「思い出した」と僕は言って笑った。

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