新人魔法使いの行く末

 冷たく鋭い冬の風に髪の毛とネクタイをかき乱される。わざわざ朝早くからセットした髪を守るため、逃げるように行き慣れた居酒屋のドアを開け、中の暖かな空気に触れる。

 「あ゛ー、さみぃ…」
 「いらっしゃい!いつもの?」
 「おん」

 コートを脱いで定位置のカウンター席に着くと、スマホが鳴る。ポケットから取り出してメッセージを開く。

 「おー…結婚、なぁ…」

 中学の同級生からのメッセージ。そこには、『結婚します』の文字。仲良しグループ独身最後の希望の星だったのにな。そういえば調子のいい奴だったけど、明るくてノリのいい奴だったから学生時代からモテてたなぁ、なんて物思いにふける。

 「結婚すんのか?」

  カウンターの奥から顔を覗かせる顔なじみの店長に声をかけられる。スマホをしまい頬杖をついて店長と目線を合わせる。

 「俺がぁ??しねぇよ。友達が!」
 「はーん」

  店長は意地の悪い笑みを浮かべた。

 「なんだよ?」
 「いやー?わかるぞ、周りが結婚して焦る気持ち」

  焦り…焦りなのか?この感情は。

 「あせ?いや、焦るとかじゃねぇんだよなぁ…」
 「そういうもんか?はい、いつもの」

  カウンターの上に、ビールジョッキとだし巻き玉子、そしてぱちぱちと油の音を鳴らしながら、湯気の立つ唐揚げが店長の太い腕によって運ばれてきた。

 「ありがとさん。ん?唐揚げ頼んでねぇけど」

 店長は腕を組んでニカッと笑った。

 「サービスだよ、サービス!!誕生日なんだろ?」
 「店長〜!ありがとな!もう祝われても嬉しくない歳だけど、嬉しいわ!」

 今日は俺の三十歳の誕生日。そして俺は女性経験など一切ない。都市伝説によると、今日俺は魔法使いになったんだ。まぁ、魔法なんて使えないんだけどね。
 愛?恋?ときめき?わかんねぇ…
  彼女、なんてものが最後にできたのは何年前だったか…まぁ、その彼女ですらも手を繋いですぐ別れたっけ。
 この歳になると、周りは結婚しただの、子供が生まれるだの…。俺にはそんな話の影も見えない。

 「アンタ、モテそうなのになぁ」
 「お!いやー…っぱ分かる?モテるんだよ、俺」
 「調子乗りやがって…」
 「へへっ」

 そう、モテない訳ではない。決して。
 高校時代は何回か告白されたし、社会人になっても何度もそういった機会はあった。付き合った元カノらも、全員あちらから告白してきた。勿論、返事はOK。いつだって、自分に向けられる好意を気持ちが悪いと感じたことは無い。
 でも、ただなんとなく、好きになれなかった。
 好きというものが、よく分からなかった。
 人としても、女性としても魅力的な彼女らを俺に付き合わせてしまっている、そんな状況が申し訳なかった。
 俺と付き合っている時間が、彼女達の人生においてもったいない時間にさせてしまいそうで、罪悪感から別れを切り出す。そんなことが多く、なんとなく恋愛から一歩引いたところにいただけなのだ。だから別に、友達の結婚報告も痴話喧嘩の愚痴だって、煩わしく感じたことは無い。

 ビールを飲み込むと同時に、ドアが音を鳴らす。若くて露出の多い金髪の奇抜な女性と、これまた若い背の高い男性。
 二人並んで俺の隣に座ろうとした時。

 「う゛わっ」

 男性は椅子の足につまづいたのだろうか、声を上げて額を勢いよく机にぶつけてしまった。
 額に両手で手を当てて、大きな体がゆっくりとうずくまる。

 「ぃた…」
 「え、ちょっと…だいじょぶ?」
 「まぁ、はい…」

 男性は分かりやすくしょんぼりとしていた。
 しかし、男の方。えらくイケメンだな…
 ジョッキを傾けながら、こっそり横を見る。
 サラサラとした漆黒の髪は右側に寄せられていて、大人しめな様子とは裏腹に、髪の隙間からちらりとシルバーのピアスが三つ覗いていた。両目ともに端正なタレ目の上には黒くてしっかりとした眉毛。見た目は全体的に黒が占めていて、彼が身につけているもの全てが、彼の容貌を更に際立たせていた。
 二人は、酒を飲みながら話を弾ませていたが、突然女性が机を叩いて勢いよく立ち上がった。

 「は!?ゲイ!?騙してたの?さいてー!」

 酔った勢いで、と言うやつだろうか。女性は大きく手を振りかざし、男性の左頬を叩いた。狭めな店内に乾いた音が響き、一瞬の静寂が広がる。
 女性はそのまま荷物を乱暴に掴んで、お金を少しだけ置いて帰ってしまった。その場に残されていたのは、左頬を真っ赤にして呆けている男性だけだった。

 「あの…だいじょぶっすか?ほっぺ真っ赤…」
 「兄ちゃん!待ってろ、氷持ってくるから!」
 「ありがとうございます…」

 申し訳なさそうなその声は、低くて聞き心地の良い優しい声だった。


 店長が奥から氷を持ってきて、彼はそれを頬に当てた。

 「えらく急にビンタされたな、兄ちゃん」
 「はい…」
 「なんでビンタされたんだ?」

 俯きながら、彼は答えた。

 「わかんないです…」
 「ん?どういうこと?」

 すると彼は、ぽつぽつと喋り始めた。

 「なんか、あの人…さっき外で俺に声かけてきて。『一緒に飲みませんかー?』って」
 「あー!ナンパされたのか!」

 やっぱ、イケメンは違うわ…。俺、ナンパとかされたことねぇし。

 「で、あからさまに距離近いし、胸近づけてくるし、触ってくるしで、怖くて。言ってやったんですよ。『俺ゲイなんですけど』って。ゲイなのは事実ですよ。俺嘘ついてません。そしたら、なんか、叩かれて……」
 「不憫すぎる……」
 「俺割と運悪い方なんですけど…厄年なんですよ、今年。色々あって、お祓いいけてなくて、その罰が当たったのかも…」
 「そういやさっき思っきし頭ぶつけてたな」
 「あれはもう日常茶飯事なんですよね…もう慣れました」

 彼は眉尻を下げ、肩をすくめる。

 「厄年かぁ…。兄ちゃん、こいつ今日誕生日なんだよ。ほら、誕生日パワー分けてやれよ」

 店長はいつもの調子だった。なんで俺に振った?

 「なんだよ、誕生日パワーって…。厄年ってことは二十五とかそこらだろ?人生まだまだいいことあるから、あんま気にすんなよ」

 隣の彼の頭をガシガシと撫で付ける。
 酒くせえおっさんからの軽すぎるアドバイス。我ながら最悪だな。

 「ありがとうございます…?あ、お誕生日おめでとうございます」
 「慰めるつもりが、祝われちゃったよ。まー、一緒に飲もうぜ!これもなんかの縁だ」

 いい感じに酔いが回って気分が良かった。まあ、彼の心地の良い声をまだまだ聞いていたかったのもあったんだけど。

 「ありがとうございます、えっと、お名前、」
 「名前?ナオトだけど?」
 「ナオト、ナオトさん。」

 俺の名前を噛み締めるように、大事そうに呟く彼。

 「おん」
 「俺、コウキって言います」
 「へー、かっけぇ名前してんじゃん」
 「そうですか?」

 首をこてんと傾けた彼の笑顔は、年相応の可愛らしさと若々しさを携えていた。

 「おん。どういう字かくの?」
 「光るに輝くです。まぁ、そんな人にはならなかったんですけど…」
 「それ分かるわ!俺さ、直すに音なんだけど。真っ直ぐな人間ってわけでもねぇし、音楽なんて触れ合わなかったし!」
 「やっぱり難しいですよね」
 「ほんとなー。よし、店長!おかわり!」
 「おー、今日ペースいいな」
 「今日は飲むって決めてんだ!明日休みだし。30代、二日酔いと胃もたれ覚悟で飲んでやるよ!」
 「店長さん、俺にもおかわりください」
 「よーし。コウキ、乾杯しよう!」

 新しいビールジョッキを握りしめ、向かい合って、

 「あ、はい」
 「乾杯!!」

 新しい出会いへの喜びとジョッキをぶつけあった。


 酒の力とはすごいもので、初対面だったが話もいい感じに弾んだ。日常の話、仕事の話、趣味の話、友達の話、そしてさっきの愚痴。

 「だいたい…おかしいでしょ!!あっちから誘ってきたのに…」

 コウキはジョッキを勢いよく机に置いた。

 「そうだよなぁ、そうだよなぁ!!」
 「なぁーんで、声かけてきたんですかね…」

 そう言いながらコウキはビールジョッキを傾ける。二人とも徐々に声が大きくなり、呂律が怪しくなっていった。

 「そりゃあー!アンタが、かっこいいからに決まってんだろ!俺も、お前みたいなイケメンだったらなぁ…今日くらい魔法つかえねぇかな!イケメンになる魔法!なははは!」

 コウキの背中をバシバシと勢いよく叩く。
 すると、数秒コウキは下を向いて黙りこくった。そして、口を開いた。

 「…か……い?」
 「ん?なんて?」
 「俺が…かっこいい?」

 目を見開いて俺の方を見つめるコウキ。

 「おぉ!かっけえよ!!」
 「ほんとぉ?」

 にこっと柔らかな笑顔。顔をこてんと傾けた姿は可愛らしい。
 その瞬間、俺の視界は光り輝いた。爆音のクラッカーに、馬鹿みたいな量の紙吹雪に、特大のファンファーレ。ラッパを吹いた天使みたいなのも見える。
 コウキの方を見ると、胸が少しだけ締め付けられる。息がしづらい。なんだろう、コウキがもっと魅力的に見えて、かっこいい。
 これが、ときめきってやつ?

 「っ!おれぇ…人生で、初めて、ときめいたかもぉ!!」

 コウキの肩を掴んでブンブンと揺さぶる。

 「俺に?ときめいたんですか?」
 「おん!えー!!嬉しっ!!三十にもなったけど、初めての感覚だわ!あっはっは!」

 歳を重ねるっていうのもなんだか、悪いことだけじゃないな。店長がカウンターから顔を覗かせる。

 「おーい、二人とも。盛り上がってるとこ悪いが、店閉めるぞー」
 「おー。ご馳走様!あい、お代!おー、コウキ、一杯くらい奢ってやるよ!!俺をときめかせてくれたお礼に!!」
 「一杯って…ケチだなぁ…」

 店長に横から口を挟まれる。

 「うるっせ!独身男性の財布からだぞ!!大金だろ??」

 俺と店長を見て、コウキは柔らかく微笑む。

 「じゃあ、いちばん高いお酒一杯分払ってもらおうかなー」
 「あぁ?調子乗りやがって…まぁ、そういうの好きだからなぁー。いいぞ!いくらだ?」

 財布はほとんど空っぽになったけど俺の心は幸福感でいっぱいになった。


 「うおっ、さぶ!!」

 店の外は真っ暗で、冷たい空気が頬を掠める。澄み切った冬の空気に白い息を吐き出す。
 俺の後に会計を終えたコウキが店から出てくる。

 「い゛った!」

 店を出たところの段差につまづいていた。
 なんか、ほんとに不憫なんだな…

 「あの、ナオトさん、まだお時間あります?」

 立ち上がって横に並ぶと、ほんの少し見上げないと目が合わない。やはりコウキは背が高い。
 腕時計に目をやるが、明日、いや今日に予定は無いことを思い出す。
 めっちゃ時間たってんな…楽しかったから、すっかり時間の進みは早かったようだ。

 「まぁ、あるけど…」
 「もうちょっと飲みませんか?」
 「おー、いいな!もー奢らねぇけど、それでいいんなら行ってやらぁ」
 「よかった。行くとこ、俺が決めていいですか?」
 「おん。で、どんな店なんだ?」

 するとコウキは、俺の腰に大きなしっかりとした手を這わせた。ほとんど抱きしめられたような格好になる。がっしりと腰を掴まれて身動きが取れない。困ったように、自分より一回り大きなコウキのことを見上げる。
 見上げると酔ったせいか寒いせいか、頬を少し赤くした微笑んだコウキの顔が目の前にある。

 「、…コウキ?」

 服が擦れる音の後に、コウキの艶やかな髪が俺の額に優しく触れる。髪の隙間から、香水だろうか。甘い、でも嗅ぎ心地のよい匂いが悪戯に鼻腔をくすぐる。ゆったりとした息遣いが聞こえる。

 なんか、年下なのに大人っぽくて、えろい。

 そう意識した瞬間、俺の顔がどんどん熱くなっていく。
 耳に届く心臓の音、これはどっちの、
 コウキは節がしっかりとした人差し指で俺の胸にそっと触れた。そして、少し顔を傾けて言った。

 「もっと…イイトコ、です。どうですか?」

 コウキは少し妖しげに微笑んだ。その緩く細まった瞳に吸い込まれてしまいそうだ。

 「へ…?」

 イイトコって、どこ?俺、どうなっちゃうの?
 魔法使い一日目の、初心者魔法使い。
 俺はどんな魔法を覚えちゃうんだろうか。