息を切らして月雫と勇斗は、まだ人通りもまばらな早朝の住宅街を疾走していた。
荷物はなにも持ち出していない。
スマホも財布も悟の骨壺もすべて部屋に置いてきてしまった。
ただ、あのまま捕まっていれば、勇斗の命の保障はなかった。
今はただ警察の網から逃れ身を隠す場所を行き当たりばったりで探すしかなかった。
早鐘を打つ心臓が限界を迎えはち切れそうなほどふたりは全力疾走した。
繋いだ手は汗ばんでいたが、決して離すことはない。
はあ、はあ、とお互いの荒い呼吸音と地面を蹴る足音だけが耳に響く。
無我夢中で走って走り続けて、アパートからじゅうぶん離れると、信号に捕まりようやく足を止め、月雫は両手を膝につき前かがみになると弾んだ呼吸を整えた。
隣では勇斗が額に浮かんだ汗を拭っている。
後ろを振り返るが、警察が追ってくる様子はなく、月雫は一安心しながらも、じりじりと信号が変わるのを待った。
気ばかりが焦り、迫ってくる恐怖に汗が冷や汗に変わって身体を冷やしていく。
見上げると、早くも太陽がさんさんと照りつけていた。
なにも考えられなかった。
歩行者信号が青に変わり、手を繋ぎ直して走り出す。
目的地はない、計画はない、作戦もない、スマホもない、ないない尽くしで見切り発車であることは認めざるを得ない。
それでも、警察に拘束されるわけにはいかなかった。
ふたりは防犯カメラを避けるため街の中心部へは行かず、ごみごみと込み入った裏路地を選んで進み続けた。
住宅と住宅が密集する路地を出て、大通りに差し掛かったときだった。
二車線の道路を走ってきた漆黒のワゴン車が急ブレーキをかけて、月雫たちのすぐ横で停車した。
なんだろう、と月雫がそちらに怪訝な視線を送ったところ、スライドドアが開き、中から黒ずくめの人影が降りてくることを確認し──。
身体の自由が奪われ、口元に柔らかいなにかをあてがわれた瞬間、月雫は意識を喪失した。
☆
「う……うぅ」
うめき声を上げながら、月雫は目を覚ました。
身体が重くだるい。
硬いものに触れていた背中が凝り固まって痛みを訴えている。
起き上がりながら瞳を開けた月雫は、「ひゃっ」と思わず声を出してしまった。
月雫の眼前に、ぬっと人影が現れたからだ。
目覚めたばかりだからだろうか、視界は異常なほどぼやけていたが、勇斗でないことはひとめでわかった。
何回かまばたきして、視界をクリアにしようとつとめると、徐々にではあるがだんだん人影の輪郭がはっきりしてきた。
それは、知らない人物の顔だった。
年の頃は高校生ほどで若く見えるが年齢は不詳、肩につくほど黒髪を伸ばし、黒いローブを着ているので体型はよくわからない。
切れ長の瞳を綺麗な弓形にして、血色のよい唇の端が優しそうな笑みの形になっている、ミステリアスな雰囲気の美少年だった。
「徳山さん、体調はいかがですか?」
高く澄んだ声で、少年が気遣わしげに少しだけ眉尻を下げて月雫の顔を覗き込みながら訊いてくる。
見ず知らずの少年に名前を把握されていることに、月雫が表情を強張らせ、警戒心をあらわにすると少年から距離を取ろうとした。
すると、少年は困ったように苦笑しながら立ち上がり自分から月雫と距離を取った。
「すみません、警戒させてしまいましたね。
薬品をかがせてしまったので、体調を心配したのですが……」
屈んだ体勢から立ち上がった少年は小柄で見た目通りの穏やかな口調でそう言うと、まだ座り込んだままの月雫を見下ろした。
月雫の意識が明瞭になっていく。
──ここは、どこだ?
ここにくるまでの記憶が一切ないことに、月雫は戦慄した。
薬品……?
霞がかった頭に、少年の言葉が引っかかった。
そうだ、警察から逃げている途中で、ワゴン車から降りてきた人物に口元になにかを当てられて──意識を失った。
あれは、薬品をかがされたのか。
まるで映画やドラマの展開のようで、現実感がない。
つまり、自分は拉致されたのだ、おそらく、目の前の、この少年に。
そして、ここへ連れてこられた。
──一体、ここはどこ?
──この少年は、何者なの?
多大なる混乱とかすかな恐怖を感じながら、おそるおそる見渡した空間は広かった。
20畳はあるだろう部屋に、中華料理屋にある円卓を数倍引き伸ばしたような巨大な円卓がある。
「……勇斗!」
木製の椅子が等間隔に並べられ、ふたりの年代が違う女性と、勇斗が着席していた。
とっさに立ち上がろうとするが、『薬品』の影響か、視界がぐらりと揺れてバランスを崩す。
「大丈夫ですか?」
少年がよろめいた月雫を力強く支えてもう一度床に座らせる。
「あ……ありがとう、ございます」
くらくらする頭を何度か振りながら、月雫は礼を述べる。
物腰柔らかな少年は、自分たちを追っている敵には見えなかった。
少年の見た目よりずいぶん力強い腕越しに、再度部屋のなかを眺める。
部屋の天井は高く、また、窓は見つけられなかった。
今が昼なのか夜なのか、ここが地上なのか地下なのかすら判別がつかない。
円卓を照らす照明は青みがかっていて、数百年後、人類が自由に宇宙を飛び回れる時代が訪れたら宇宙船の内部はこんなふうだろうな、と思ってしまうほど無機質で近未来的な空間を演出している。
月雫が寝かされていた床は、つるつるに磨き上げられていて、ひんやりと冷たかった。
家具はなく、天井と壁と円卓、ただそれだけしかない生活感の欠片もない空間。
そのなかで、異彩を放つのは、円卓から少し離れた壁際に並べられたパソコンのディスプレイだ。
薄暗い照明のなか、いくつものディスプレイが青白い光りを放っている。
そのディスプレイの前には、椅子に座ってこちらに背中を向けている大柄な男の姿がある。
かたかたと、キーボードを叩く音と、ばりばりとなにかを咀嚼する音が耳に届いた。
男はヘッドフォンを装着して、ひとりの世界に没頭しており、背中がこちらの様子などどうでもいいと語っているようで、他人との関わりを拒絶しているふうにも見えた。
「月雫」
勇斗が椅子から立ち上がり、ふらふらと不安定に揺れながら歩いてくる。
やはり、勇斗にも『薬品』の影響が残っているらしい。
「勇斗……」
月雫がそう言うなり、平衡感覚が危うい勇斗が倒れ込むように床に膝をついて、その勢いのままがばっと月雫を抱きしめた。
「安心しろ、ここはたぶん、大丈夫だ」
「……大丈夫?」
月雫も勇斗の背中に手を回してすがりつきながら、不安そうに繰り返す。
そっと身体を離すと、勇斗がうなずいてみせる。
「ですよね、渋沢さん?」
勇斗が少年を見上げると、少年が鷹揚にうなずいた。
「ええ。
勇斗さんには、もうすでにお話ししてありますが、最初に謝らせてください。
月雫さん、手荒な真似をしてすみませんでした。
こんな硬い床に女性を寝かせるなんて、非常識なことをしてしまって本当に申し訳ありません」
深々と頭を下げて詫びる少年を月雫は呆然と見上げる。
「……あなたは、一体……?」
少年は軽く頭を下げ、ほのかに笑みながら涼しい声で正体を名乗った。
「はじめまして、ぼくは渋沢想といいます。
徳山さんたちの状況を知って、急を要すると判断しましたので強硬手段を取らせていただきました。
重ねてお詫びします。
すみませんでした」
想は丁寧な語り口で謝ると深々と頭を下げる。
「ぼくたちは、自分たちを『聖なる鉄槌』と呼称しています」
「……聖なる……?」
すると、想に目配せされた勇斗がうなずき返しよろよろと立ち上がった。
「とりあえず、椅子に座ろう、月雫」
勇斗に肩と腰を支えられながら、円卓へと向かう。
勇斗が座っていた椅子の隣は空いていて、月雫はそこに腰を下ろす。
円卓を囲んで座っていた女性たちは一言も発することもなく、視線だけを動かして月雫たちの様子を静かに眺めている。
一体なにがどうなっているのかと混乱状態は継続したまま不安を訴えるように月雫が勇斗の手をぎゅっと握る。
勇斗は、そんな月雫を落ち着かせるべく、手を握り返して目線を合わせ、力強くうなずいた。
円卓を隔てた向こうの椅子に座る女性は、30代と高校生ほどの見た目のふたりだった。
どこか疲れたような外見に気を使っていない女性と、昨今人気の女性アイドルのような制服を模した衣装にツインテール、完璧なメイクを施した目の覚めるような美少女だった。
椅子に座り、一息つくと、想も月雫たちの対面にある椅子を引いて席につく。
パソコンに向かう男がこちらの様子をうかがうこともなく、また想や女性たちも男に興味があまりないようだった。
「では、自己紹介からはじめましょうか」
想の一言で、まずは30代ほどの女性が口を開いた。
「竜野倫子と申します。
よろしくお願いします」
竜野倫子と名乗った女性は、無愛想でにこりともしない感情に乏しい女性で手短に挨拶を済ませた。
長い黒髪を首の後ろでひとつにまとめ、ほとんど化粧はしておらず口元はきゅっと固く結ばれていた。
眼鏡のレンズの奥の瞳が冷たく、近寄りがたい雰囲気を生み出している。
倫子がそれ以上なにも言おうとしないので、続いて鈴の音のような可愛らしい声で隣の美少女が身を乗り出して話しはじめた。
「つぎはわたしかな?
はじめまして、まなっていいます。
歳は、想像にお任せします。
女の子に歳を聞くなんて失礼だしね。
地下アイドル『CutieCandy』のセンターやってます。
現役バリバリのアイドルだよ。
まあ、鳴かず飛ばすだけどね。
あ、月雫ちゃんも勇斗くんもよかったら今度、ライブ観に来てよ!
いつも同じ顔ぶれのファンばかりでつまらないの。
あ、でもそれより、月雫ちゃん、すっごく可愛いよね。
ねえ、うちのグループに入らない?
アイドル向きだと思うなあ、人気出るよ、きっと。
メイクしたらもっと可愛くなるよ。
わたし、メイクしてあげ……」
「まなさん、そこまでにしてください」
話しだしたら止まらない話好きなタイプなのか、マシンガンのように喋り続けるまなを、想がやんわりと、でも、断固とした感情を滲ませた声で遮った。
「はーい」としおらしくまなが口を閉じる。
唇を尖らせているところをみると、まだまだ話し足りないようだ。
「あちらのパソコンの前にいるのは乾です。
キーボードを叩いているかお菓子を食べてるかどちらかの無害な男ですので、お構いなく。
メンバー紹介は以上です。
それでは、ぼくたち、『聖なる鉄槌』のことについて、改めてお話ししましょう。
『聖なる鉄槌』は、復讐を望む方に力をお貸しする組織です。
ぼくが、一応主宰、といいましょうか。
組織の設立とメンバー集めはぼくがやりました。
精鋭を集めたつもりです。
『聖なる鉄槌』は、弱い者の味方、弱い者が私刑を下すのをお手伝いする組織です」
「し、私刑……?」
「法に頼らず復讐を果たす、ということです」
滑らかな口調で淀みなく説明を行う想は、すでに何度も諳んじていることをなぞっているようだった。
『復讐』『私刑』と、物騒な言葉が穏やかそのものの外見の想の口から飛び出したことに驚きつつ、本当に彼らの言うことを頭から信じていいのかと、月雫は一抹の不安を拭えずにいた。
瞬間的に沈黙が訪れ、乾が叩くキーボードの音だけがサイケデリックな空間に流れている。
たっぷり間を取ったあと、品の良い笑みを浮かべながら、想がゆったりと話を再開した。
「ぼくたちは今、徳山遥斗を追っています」
遥斗の名前に、はっと月雫が顔を上げる。
「あなたたちは……何者なんですか?」
おそるおそる月雫が尋ねると、想が困ったように微笑んだ。
「……何者……。
そうですね、何者なんでしょう、ぼくたち。
警察でもなければ公的機関でもなく、なんの権限も持っていない、現状そういうことになります。
ただ、月雫さん、ぼくを信じてほしいと言うことしかできません。
あなたたちの助けになりたい、それだけなのです」
「……」
月雫は無言で勇斗の横顔を見上げる。
勇斗はどうやら想の突拍子もない話を受け入れているらしく、真っ直ぐに想をみつめていた。
「……わかりました」
月雫が応じると、想が嬉しそうに、にっこりと笑う。
「ありがとうございます、月雫さん。
ぼくたちは、今、徳山遥斗の悪事を暴くことを目的に活動しています。
悪人を追い詰め、復讐を望んだ依頼人が私刑を下すまでをお手伝いした実績もノウハウもじゅうぶんあります。
安心してぼくたちを頼ってください」
「……遥斗さんに、わたしたちが復讐できる、ということですか?」
月雫の言葉に、想が笑みで応える。
「もし、月雫さんや勇斗さんが望まなくても、徳山遥斗に復讐したい人間は数多くいます。
無理強いをして復讐を勧めることはしません。
おふたりが望まなければ、他の依頼人を探すだけですので、復讐するかどうかを決めるのは、あくまで月雫さんと勇斗さんです」
「復讐……」
月雫が細い顎に手をやって呟く。
自分は、遥斗に復讐したいのだろうか。
──うん、したい。
遥斗は、幼いころから勇斗を虐げてきた非情な男だ。
なにより、自分と勇斗の宝物、ひとり息子の命を雑草を引っこ抜くような気軽さで奪っていった。
遥斗に抱く感情を『憎しみ』以外に表現する言葉はない。
でも、自分たちだけでは遥斗に手を出せない。
方法もわからない。
──ならば、彼らに託してみてもいいのではないか?
想、倫子、まなに視線を走らせて、最後に勇斗を見ると、「勇斗は?」と水を向ける。
「俺は……やってもいいと、思ってる。
遥斗のせいで俺の人生は台無しだ。
その上、悟まで殺されて、許せるはずがない」
硬い勇斗の口調に、月雫は少しだけ彼のことが怖くなった。
いつも心優しい勇斗のなかに息づく、兄に対する憎悪の念に触れた気がして、一瞬勇斗のことがわからなくなったのだ。
「……そうだね、どうせわたしたち、警察に捕まったら命の保障はないもの。
だったら、みなさんのこと、信じてもいいのかもしれない」
悟を喪って以来、心にぽっかりと空いていた穴を塞ぎ、人生を前進させるためには、復讐という形で蹴りをつけるべきなのかもしれない。
そうでないと、出口のわからない思考の渦に絡め取られて、気持ちの整理がつかないまま、日々死んだように生きていくしかないだろう。
──これは、悟のためでもある。
あの子の無念を晴らすためにも、復讐は必要なのかもしれない──急速に月雫の決意が固まっていく。
それに、もう自分たちには頼れる存在がいないのだ。
ならば、やぶれかぶれというもの。
失敗したっていい。
投げやりな考えに落ち着くと、月雫の胸の内が少しだけ楽になった気がした。
「決まりですね。
では、まずこれを支給します」
そう言って、想が月雫と勇斗の前に、それぞれ1台ずつスマホを置く。
「乾はああ見えて腕の確かなハッカーです。
その彼がセキュリティを完璧にしたスマホです。
GPSもついていますので、おふたりの位置情報はこちらで常に把握します。
それと、これも」
再び想が円卓に小さな機器を置く。
「耳に装着してください。
常に通信ができて、乾やぼくの指示が聞こえるほか、月雫さんたちの声もぼくたちに聞こえます。
メンバーにも聞こえていますので、リアルタイムで情報を共有できます。
ですので危険が迫っている場合にもいち早く対応できます」
ワイヤレスイヤホン型の機器を耳に装着していると、さらに想が円卓になにかを置いた。
「パスポート……?」
そこにはふたりぶんのパスポートが置かれていた。
「こちらで用意しました。
これから、おふたりには空港へ行ってもらいます」
「……これって……」
自分の顔写真と氏名が書かれたパスポートを呆然と眺めながら月雫が呟く。
「本人の顔写真が使われているので、正確には偽造パスポートとは言えませんが、これはれっきとした偽造パスポートです。
おふたりには、これから高飛びしてもらいます」
「高飛び……!?
海外へ逃げるということですか?」
想像だにしてしなかった展開に、月雫が思わず声を上ずらせる。
すると想が片手を振りながら否定した。
「いえ、実際には出国しません。
そう見せかけるだけです」
「……海外に、行ったふりをするということ?」
「そうです。
こちらがおふたりに扮したダミーを用意します。
実際には、そのダミーが飛行機に乗るわけです。
空港へ向かうおふたりを、各所の防犯カメラ映像に残し、警察の捜査を撹乱します。
おふたりはそのまま、ぼくらが用意した隠れ家に行っていただきます。
これで、多少時間は稼げるでしょう」
想は円卓の下に置かれていた紙袋を月雫たちの目の前に置いた。
中からマスクやキャップをつぎつぎと取り出して円卓の上へと並べていく。
「変装は最低限で構いません。
警察に防犯カメラを追わせるのが目的ですから。
車の運転やおふたりの世話は倫子が担当します。
彼女になんでも申し付けてください」
冷徹な雰囲気を醸している倫子に、本能的に苦手意識を抱いた月雫が「不安だ」とわかりやすく表情で語ってしまう。
「こう見えて、情には厚いタイプですよ、彼女は。
面倒見もよいので、心配はいりません」
月雫の表情を読み取り、苦笑しながら想が倫子を指し示す。
月雫は思わず赤面しながら「すみません」と小さく詫びた。
「では、説明は以上でしょうか。
早速、作戦を開始しましょう。
なにか質問はありますか?」
「あの……ここはどこなんですか?」
「それはお答えできません」
月雫の疑問を穏やかな口調のまま、想が切って捨てた。
「このアジトの場所はトップシークレットなのです。
なので申し訳ありませんが、ここを出る際には目隠しをしていただきます、ご了承ください」
「……わかりました」
想たちが、自分たちのために動いてくれている──それだけで心強いことなのだ、こんな疑問を一蹴されることなど、些末なことだと月雫は納得した。
部屋を出る前に目隠しをされた月雫を倫子が、勇斗をまなが誘導して、少し歩いてから車に乗せられた。
「幸運を祈ります」
想の言葉とともに、車のドアが閉まる音が響いた。
「もう目隠しを外してもらっていいですよ」
車が走り出し、体感で10分ほどが経ったころ、運転席の倫子の声がかすかな走行音だけが流れる車内の静寂を破った。
目隠しを外し、ゆっくり瞳を開けると、月雫は驚きのあまり、えっと声を上げた。
「……た、タクシー?」
月雫たちを乗せて走っているのは紛れもなくタクシーだった。
「あ、あの、倫子、さん、これは……?」
シートベルトに捕らわれながらも月雫が運転席へと身を乗り出して戸惑ったように訊いた。
「想くんがどこかから譲り受けたもののようです。
それ以外には、私にはわかりません。
あの方はなんでもできるし、欲しいものは大抵自分で手に入れます。
車1台用意するくらい、わけなくできるのでしょう」
倫子は凛とした、それでも先ほどより柔らかい声で訥々と語る。
窓越しに見上げた空は茜色で、早朝に気絶させられてから10時間近く経っているのだと知った。
背もたれに身を預け、月雫と勇斗は流れ行く車窓をただぼんやりと眺めるだけの時間が過ぎた。
「あの、倫子さん」
「なんでしょう」
「わたしたちのために、本当にありがとうございます」
ミラー越しに、倫子の視線が月雫を映すのが見えた。
「私がやりたくてやっていることですから。
私も、あなたたちと同じ、逃げているんです」
「逃げて、いる……?」
赤信号で停車すると、小さく溜め息をついた倫子が、苦笑いしたような気配がした。
「空港までまだかかります。
怖がらせてしまうでしょうが、私を信頼してもらうために、隠しておくのはフェアではない気がするので、私の告解を聞いていただけますか。
その上で、私という人間を受け入れてくださるかどうか、判断してください」
倫子は独りごちるような口調で月雫たちの了解を聞くでもなく一方的に話しはじめた。
「私は、人殺しです」



