人は逃げる生き物だから



 美容室の鏡に映る自分を見て、勇斗は満足げにうなずいた。

 少年院にいた4カ月ほどの間に、金髪に染めていた髪はすっかり伸び、根元が黒くなって格好悪いことこの上なかったので、綺麗に金髪に染め直した自分の姿を見て、勇斗は上機嫌だった。

 美容室を出て、青い空を見上げる。

 やっと戻ってこられた──そんな感慨にふけっていると、「勇斗」と自分を呼ぶ声があり、声のほうへ振り向いた。

月雫(つきな)

 生まれたばかりの赤子を抱えた月雫は、すっかり金髪になった勇斗を見て微笑んだ。

「髪色、似合ってるよ。
 やっぱり勇斗はかっこいいなあ」

 そんなことを照れもせずに口にしてしまえる月雫の変わらなさに苦笑しつつ、勇斗は月雫に抱かれた赤子の顔を覗き込み、その柔らかい頬を人差し指でつついた。

(さとる)も、パパかっこいいと思うか?」

「うん、思うって。
 勇斗パパ、かっこいいでちゅよーってね」

 月雫も慈愛に満ちた眼差しで我が子の頬をぷにぷにとつついている。

 桜の花びらが風に流され、幸せに微笑むふたりの頭上を祝福するように舞い上がった。




 勇斗が最初に逮捕されたのは、中学3年生のときだった。

 半グレと共謀して、特殊詐欺に加担し、受け子の役目をつとめていたとして、検挙されたのだ。

 指示役はいまだに捕まっていない。

 末端である勇斗がしくじり、とかげの尻尾切りの要領で勇斗だけが捕まってしまった。

 その後も、勇斗は売春の斡旋(あっせん)、薬物の売買などで数回逮捕されている。

 もちろん高校になど進学せず、いわゆる不良と呼ばれる存在になり、働きもせずにその日暮らしをしていた。

 警察からマークされた挙げ句、17歳のときに逮捕されたあと、家庭裁判所に送致され、4カ月間少年院で過ごした。

 そのとき、高校生だった月雫は勇斗との子どもを宿していた。

 月雫は高校を中退し、勇斗が少年院に収容されている間に子どもが誕生した。

 初めての妊娠で、勇斗もいないことに不安を感じていた月雫を支えたのは親身になって面倒を見てくれたハナだった。

 今もまだ、月雫は『ひまわりの園』で暮らしている。

 少年院を出たばかりの勇斗も、ハナの好意で居候させてもらっている。

 勇斗が戻ってきたら、子どもと3人で暮らそうと、ふたりは約束していた。

 月雫と勇斗は18歳になっていた。

 今日は、ハナが仲介してくれた物件の内見に行く予定だった。

 勇斗の逮捕にはじまり、月雫の妊娠、少年院送致、と激動の日々のなか、ハナは手厚く面倒を見てくれた。

 悟の誕生までをサポートしてくれ、まるで孫でも生まれたかのように嬉しそうに生まれたばかりの悟をあやしていた。

 その上、住む家まで紹介してくれるというのだから、ハナには足を向けて寝られない。

「持つよ」

 勇斗が月雫が提げていたマザーズバッグを引き取って歩き出す。

「ありがと。
 勇斗は優しいね。
 ね、悟、パパは優しいでちゅねー」

 生まれてきた息子の名前は、月雫と勇斗で話し合って決めた。

 月雫が悟に頬ずりする様子を、勇斗が微笑みながら温かく見守っている。 

 信号待ちの間、勇斗が月雫を気遣わしげに見て何度目かの詫びを口にした。

「悟が生まれたとき、そばにいてやれなくて、本当ごめんな」

 月雫は長身の勇斗の顔を見上げると、なんでもないことのように微笑んだ。

「もう何回も聞いたよ、それ。
 気にしてないってば。
 ハナちゃんがいたし、施設の子もみんな、悟が生まれる前から楽しみにしてくれていたしね。
 だから、陣痛も乗り越えられたの」

 勇斗は目を細める。

 月雫は、すっかり母の顔になっていた。

 顔つきが優しくなり、落ち着いた柔らかい雰囲気を醸し出すようになった。

 伸ばした茶色の髪には天使の輪ができて、ナチュラルメイクなのに大きな瞳と小さい鼻、形のよい唇が完璧な配置におさまっている。

 控え目に言って、月雫は輝くような美貌の女性に成長していた。

 月雫を連れて歩けば、その華やかな出で立ちに、すれ違う人が振り返る、勇斗にとって自慢の恋人だった。

 対する勇斗は、自覚はないものの、月雫いわく『絶世の美青年』なのだという。

 幼いころから勇斗は西洋人形を彷彿とさせる美しく整った顔立ちだった。

 背も伸び、その辺の芸能人にも決して引けを取らないほどの美形を誇る青年に成長した。

 染めた金髪がまた、彼が持っていた西洋の面影を強調して美しさに拍車をかけている。

 左目だけ青い瞳が、さらに彼の不思議な魅力を倍増させた。

 そんなふたりの子どもである悟が、将来美形になるのは決まっているわね、とハナはよく上機嫌に話している。

 母になった月雫は、大人の色気もあるが、笑うと、まだ幼さの残る少女の顔になる。

 大人と子どもの狭間を揺れ動く微妙な年齢でもある。

 昔から、月雫はしっかりした子どもだった。

 育った環境がそうさせたのだろうが、今は彼女のその在り方が頼もしい。

 悟の出産に立ち会えなかったことは、勇斗の一生の後悔だ。

──仕事を探して、月雫と悟を幸せにしよう。

 それが、父親となった自分に課せられた使命なのだと勇斗は心持ちを新たにした。

 度重なる逮捕で、月雫には多大な迷惑をかけてしまった。

 妊娠に加えて自分までもが月雫にストレスを与えてしまったのだから、家族となるふたりに今後の人生を尽くすのは、当然の責務であるといえた。

 それに、自分がしっかりしていないせいで、月雫がせっかく合格した進学校の高校を辞めざるを得なくしてしまった負い目もある。

 小学生のときから付き合いはじめて以来、月雫と勇斗の恋人関係は、一度も揺らぐことはなかった。

 月雫は勇斗が捕まっても、動揺することなくどっしりと構えていた。

 そして、決まって言うのだ。

──だって、勇斗はそんなことしないでしょ、と。

 世間は、勇斗を鼻つまみ者の前科者として扱う。

 月雫が、そしてその月雫が信頼を寄せる人たちだけが、勇斗の無実を信じてくれた。

──そう、勇斗は無実だった。

「勇斗?」

 横断歩道を渡りはじめた月雫に呼ばれ、勇斗は慌てて走り出す。

 これから、待ち受ける現実は、月雫が考えている以上に過酷だろう。

 犯罪者の烙印を押された自分に、まともな職があるのか、ふたりを養えるほど稼げるのか、不安はまだまだある。

 だが今はがむしゃらに前進するしかない。

 もう二度と、警察とも少年院とも関わりたくない。

 静かな環境で、家族3人身を寄せ合って平和に暮らせるなら、なにもいらない。

 だから、と勇斗は安寧の未来を願った。

 


 季節は巡り、時間は車窓を流れる景色のように止めどなく目が回るほどのスピードで過ぎ去り、悟が誕生してから1年が経った。

 月雫と勇斗と悟は築30年のいつ崩れてもおかしくない古びたアパートの一室で、慎ましく暮らしていた。

 籍を入れ、ふたりは晴れて夫婦となっていた。

 勇斗は自動車整備工場で働きはじめ、真面目に仕事をこなしている。

 家計を助けるため悟を預けられる保育園が見つかれば、月雫もパートに行くつもりだった。

 去年までは考えられなかった穏やかで静かな生活。

 逆風の吹かない凪いだ暮らし。

 悟もすくすく成長し、猛スピードで駆け抜けようとする時間を目に焼き付けて、ふたりはその成長を、目を細めて見守った。

 悟の成長は、当たり前ではなく奇跡だと、ふたりは悟の様子を撮影しては、子どもが寝たあとに見返して、感動の涙を流すことさえあった。

 これが、普通の幸せ。

 月雫が、実の両親から与えられなかったもの。

 いつも、どこかで求めていたもの。

 勇斗と同じように、月雫も探していたもの。

──親からの愛情。

 月雫にとって悟は、初めて触れる肉親であり、親を知らない月雫は息子にどう接するべきかわからず思い悩むことも当然あった。

 育児ははじめてだらけで四苦八苦の連続だった。

 しかし、ハナに自然と愛情は子どもに伝わるものだと教えられ、月雫たちは有り余る愛情を悟に注ぎ続けた。

 悟が生まれたてなら、月雫や勇斗も、親として新米なのだから、わからないことがあっても当然なのだとハナに教えられ、いくぶんか肩ひじ張っていた月雫は力を抜くことができた。

 生まれる前は、正しく子どもを愛せるか不安だったが、自分たちが守らなければ生きていけない存在が、今は愛おしくてたまらなかった。

 悟のためならなんでもしてあげたい、ふたりはそう考えていた。

 温かで穏やかな家族3人で過ごすかけがえのない時間は笑いが絶えず、月雫は幸せの絶頂だった。

 このまま、家族寄り添って、平穏に暮らせればいい。

 だが、そんなふたりの願いは、悪魔のごとき存在によって破壊され、終わりを告げることになる。



「じゃあ、悟を公園に連れて行くね」
 
 そう声をかけられ、キッチンにいた月雫は、とっさに笑顔を浮かべて「あ、はい、よろしく」とふたりを送り出した。

 玄関を出る際、悟は振り返ってにっこり笑うと、小さな手を月雫に向けて振ってみせた。

「行ってくるね、ママ」

「行ってらっしゃい、悟。
 楽しんでくるのよ」

 手を繋いだふたつの影がアパートを出て行った。

 月雫はふう、と溜め息をつく。

 やっぱり『あの人』と話すのは緊張するし、気分のいいものではないな、と痛感する。

 でも、悟は彼に懐いている。

 なんだか複雑な心境だった。

──だって、あの人は──。

 頭を振って余計な考えを追い出すと、もう一度溜め息を零し、水を流してシンクにたまった皿を洗う作業に取りかかった。



「ただいまー」

 夕方になり、勇斗が帰宅すると、青い顔をした月雫が飛びかかるように勇斗にすがりついてきた。

「な、なんだよ、どうした?」

 月雫のあまりの剣幕に、勇斗は目を白黒させている。

 月雫はスマホを握った手をふるふると小刻みに震わせていた。

「どうしよう……勇斗……。
 まだ、悟、帰ってこないの。
 警察に、連絡したほうがいいのかな?」

「悟が?
 どこ行ったのかわからないのか?」

 勇斗は、月雫の華奢な肩に手を置いて、落ち着かせるように瞳を覗き込んで優しく訊いた。

「公園に……行ったはずなんだけど」

「はず?
 月雫が一緒だったんじゃないのか?」

「ううん、違う……」

「じゃあ、悟がひとりで?」

「違うの、は、遥斗さんが……」

「遥斗!?」

 勇斗が目を剥いて絶叫する。

「遥斗と、悟がふたりきりに……?
 どうして遥斗が悟を連れ出したんだ!」

 勇斗の焦燥が滲む荒らげた口調に、月雫は怯んだ表情になったが、それを押し殺して震える声で話しはじめた。

「今朝、勇斗が『ひまわり』のリフォームを手伝うために朝ごはんより前に家を出たでしょ?
 そのすぐあとに、遥斗さんがいきなり訪ねてきたの。
 それで、悟と公園で遊んでくるからって言われて……。
 断るのも悪いし、ちょっとだけの時間なら大丈夫かなって、任せちゃったんだけど」

「……っ。
 俺が朝からいないこと、あいつ、わかってたんだ……」
 
 頭を抱えてしまった勇斗に、月雫が涙目になりながら必死になって謝った。

「ごめんなさい、ごめんなさい……。
 わたしが、もっと警戒していれば……。
 どうしよう、悟になにかあったら……」

 勇斗が顔を上げて表情を引き締めると、動揺する妻を優しく抱擁する。

──自分がしっかりしなくては。

 勇斗は早鐘を打つ心拍を深呼吸で抑えつけ、できるだけ冷静に、月雫を抱きしめたまま、その耳元に毅然とした、それでいて落ち着いた語り口で言い聞かせる。

「月雫が謝ることじゃない。
 それに、まだなにかがあったとは決まってないんだ。
 どこかでメシ食ってるだけかもしれないし、とりあえず、公園と近所を探そう。
 警察に通報するのはそれからだ」

 大粒の涙を流していた月雫が、唇をきつく結んで気丈にうなずく。

「別行動になるけど、連絡は密に取ろう。
 大丈夫、きっと無事に見つかる。
 月雫はママだろう、ママが不安だと子どもにも不安がうつる」

 袖口で強引に涙を拭って、月雫が部屋着のままスニーカーに足を通す。

「悟、絶対に見つけてあげるから」

 そう決意のこもった声音で宣言すると、「その調子」と勇斗が月雫の頭を撫でた。

「行こう」

 ふたりはうなずき合ってアパートの軋むドアを開けて文字通り飛び出していった。



 3日後、最悪な形で悟は見つかった。

 霊安室で悟の無惨な遺体と対面したとき、月雫は喉が千切れんばかりに絶叫して泣き崩れた。

 激しい殴打によるショック死。

 暴行を受けた小さな悟の身体のあちこちは腫れ上がり変色していた。

「……ごめん、ごめんね、悟……。
 痛かったよね、怖かったよね……。
 守ってあげられなくて、本当に、ごめんね……」

 冷たくなり固く目を閉ざした悟にしがみつき、身体中の水分を涙に変換して月雫は泣き続けた。

 もう笑うことも話すこともなく、たった1歳で人生を終えた悟の姿を見下ろしていた勇斗は、これまでに経験したことのない憤りに全身が支配され、握りしめた拳を震わせた。

「……天使……わたしの、天使、だったのに……」

 くずおれて慟哭する月雫をなだめる余裕もなく、闇より暗く深い憎悪が勇斗の心の中に巣食っていく。

 目の前の悟の亡骸(なきがら)も、月雫の魂の叫びも、どこか遠い別の世界にあるようだ。

 怒りでぼやける視界に血が滲みそうなほどに勇斗の全身の血管は沸騰していた。

 ぶちぶちと血管が音を立てて切れ、今にも身体中から熱くたぎった血が噴き出しそうだった。

 これまでは、自分が我慢すればいいと思っていた。

 自分が耐えさえすれば、事態は丸くおさまる。

 それが一番正しく、平和的な解決の方法だと。

 だから、自分にどんな前科がつこうと、それが生まれついての運命なのだと、自分はゴミ箱のようなものなのだと、自分の人生は光りが当たらない道を死ぬまで歩くだけの報われないものなのだと、そう諦め己に納得するよう言い聞かせてきた。

 だが、今回こそは、そんな諦めも納得も、勇斗の中に生まれた憎悪を説得して懐柔してくれることはなかった。

──自分の分身である我が子を、殺された。

 愛する家族が絶望のただ中でなすすべもなく喪失を嘆き悲しんでいる。

 現在進行形で、月雫の心が殺されている。

 大事な家族に加害され、大人しく受け入れることは、今の勇斗には、もうできない。

「……なにがやりてえんだよ、遥斗……。
 殺しまで、するのか……」

 なんの罪もない無垢な子どもすら、あいつは手にかけるのか。

 勇斗の怨嗟の呟きは、月雫の耳には届いていない。

──殺人まで、するのだとしたら。

 行き着くところまでいってしまった遥斗は、つぎにどんな行動を取るだろう。

 超えてはならない一線を超えたら、遥斗は自分たち家族をいや、弟である自分を、どうする?

──消すつもりか。

 遥斗にとって邪魔な存在になった自分を、用済みになった自分を、抹殺するつもりなのかもしれない。

 決して突飛な想像ではないだろう。

 なにか、あいつに対抗する手段はないのか。

 思考を働かせているうちに、勇斗を包んでいた頭と身体の熱が冷め、冷静さを取り戻していく。

──許さない。

 激情が絶対零度に凍りついて勇斗の目に復讐の炎が宿る。

 そっと、月雫の肩に触れ「行こう」と促した。

 月雫はしばらく顔を上げなかったが、やがて緩慢に起こした顔を勇斗に向けると、その変化に気づきはっとしたように息を呑んだ。

 自覚はないが、自分は今、鬼のような形相をしているのだろう。

 立ち上がった月雫は、ふらふらと倒れかかるように勇斗の胸に顔を埋めた。

 その震える小さな頭を、慈しむようにそっと撫でてやった。

 言葉はなかった。

 そんな陳腐なもので、月雫のずたずたになるまでえぐられた心の傷を修復できるとは思えなかった。

 霊安室に耳に痛いほどの静寂が訪れた。



 悟の葬式は行われなかった。

 情けないことだが、葬式をやってやる金銭的な余裕がなかったからだ。

 家族と、『ひまわりの園』の知り合い、関係者のみで最期の別れを惜しみ、荼毘(だび)に付された悟の骨を月雫が抱いて、ふたりは家路についていた。

 小さかった悟は、さらに小さな骨と灰になり果て、本当にこの世界に悟が存在したかどうかすら陽炎を見ているかのように曖昧にさせた。

 霊安室で泣き崩れて以来、月雫は泣いていない。

 まるで感情が抜け落ちた様子で、現実が信じられず、受け入れられず、心ここにあらずのままただ呼吸をしているだけの抜け殻になってしまった。

 たった数日で髪は艶を失い、頬はかさつき、目は虚ろになり身なりに気を使わなくなった。

 自分が他人からどう見られようとどうでもいいと、世間との関わりを拒絶していた。

 魂を喪失したという点では、勇斗も同じだった。

 ただ、消耗している月雫を守るため、自分がしっかり立ち回らなくてはと、勇斗は己を奮い立たせていた。

 夕方の住宅街を歩き、見慣れたアパートに辿り着くなり、「徳山さん」と不意に声をかけられた。

 1階の自室のドアの前で、恰幅のいい中年男性ふたりが月雫たちを待ち構えていた。

 中年男性ふたりは、月雫たちを認めるなり近づいてきて、映画やドラマの再現をするように警察手帳を月雫の眼前に突きつけた。

「ちょっと、お話をうかがってもよろしいですか?」

 慇懃(いんぎん)な笑顔を作って、中年の刑事は耳触りのよい声でそう訊いてきた。

 勇斗はうんざりした顔になると、かばうように月雫の肩を抱いて引き寄せ、あからさまな不満を滲ませた声音でその要求を突っぱねた。

「すみませんが、今は話せる状況ではありません。
 お引き取りください」

 刑事ふたりを押しのけて玄関のドアを開けようとすると、作り笑顔を貼り付けた刑事が、素早くタブレットを取り出し勇斗に画面を見せた。

 どこかの防犯カメラの映像らしかった。

 解像度の荒い動画には、黒いキャップを被った作業着姿の成人とみられる男が、毛布にくるまれた『モノ』を運ぶ様子が克明に映されていた。

「これ、あなたですよね、徳山勇斗さん」

 どこか、勝ち誇ったような、してやったりといった表情で、刑事は言った。

「違います!」

「俺じゃない!」

 月雫と勇斗は同時に叫んだ。

「ほう?
 でも、これは間違いなくあなただ。
 髪色も背格好もあなたが職場で着ている作業着も、どう見ても同じですよね?」

「違う、これは遥斗……兄です。
 調べてもらえればわかるはずです。
 だって、遥斗は……」

 刑事が底意地が悪い笑みを浮かべる。

 嫌悪感に勇斗は苦虫を噛み潰したような表情になる。

「これは、悟くんが遺体で発見された公園の公衆トイレ付近にある防犯カメラの映像です。
 毛布にくるまれているのが悟くんのご遺体です。
 徳山さん、あなた、日常的に悟くんに暴行を働いていたんじゃありませんか?
 悟くんの身体の痣はあなたがつけた。
 虐待が行き過ぎて死なせてしまった。
 だから、ことの発覚を恐れたあなたは赤の他人による殺人事件に偽装することにした。
 悟くんが行方不明になった日、公園へ連れ出したのはあなただったんでしょう。
 あなたと悟くんが公園に手を繋いで向かう映像もありますよ」

 獲物を前に舌なめずりする蛇のごとく執拗に言葉を重ねて刑事は言い募る。

「あの日、悟を連れ出したのは、俺の兄の徳山遥斗です。
 俺と遥斗は、その、そっくりなんです」

「そっくり、ね。
 便利な言葉だ。
 では、あなたにはアリバイがあると?
 悟くんを連れ出すことは、徳山さんにはできなかった、そう主張されるわけですな。
 それを証明してくれる人はいますか?」

「その日は『ひまわりの園』という養護施設で、リフォームを手伝っていて……」

 刑事がそれ以上はいい、と片手を上げて勇斗の言葉を遮る。

「少し調べさせてもらいましたがね、どうやら『ひまわりの園』は奥さんの育った施設らしいじゃないですか。
 それなら身内も同然だ。
 身内によるアリバイの証言は信用に値しません」

「……そんな、理不尽な……っ」

 常識では考えられない刑事の言い分に、勇斗がわなわなと拳を震わせていると、刑事のひとりが勇斗の耳元でささやいた。

「ええ、理不尽ですよ。
 わたしたちは、遥斗さん側の人間ですから」

 勇斗が驚愕に目を見開く。

 にやり、と刑事が(わら)った。

 隣の月雫の顔からも血の気が引いている。

「わたしたちは、いくらでも事件をでっち上げることができる。
 あなたを殺人犯にすることなど、造作もないことです」

「……あんたら、遥斗の……」

 唸るように声を絞り出した勇斗を嘲笑うと、刑事はまた慇懃に態度になって言った。

「ではまた明日、今度は御託を並べられないよう、しっかりと令状を取って出直しますよ。
 それでは」

 目配せして余裕の表情になったふたりの刑事がアパートから立ち去っていく。 

 その様を悟の骨を抱きしめた月雫が呆然と眺めていた。




 ハナから譲り受けた古めかしいタンスの上に悟の骨壺を置くと、月雫が不安を隠しもせずに「どうしよう」と呟いた。

「このままじゃ、勇斗が逮捕されちゃう」

 勇斗が気難しい顔で腕を組み、天井を見上げる。

「そうだな……。
 逮捕なら、何度もされてきたけど、今回は訳が違う。
 遥斗のやつ、本気で俺のことを殺す気だ」

「こ……殺すって……。
 そんなこと、本当にできるの?」

 畳敷きのリビングに座り込むと、月雫があぐらをかいて座る勇斗の顔を覗き込む。

「遥斗の性根の腐り方は、月雫だって知ってるだろ。
 今のあいつの地位なら、俺ひとり消すくらい、蟻を潰すようなもんだ」

 苦悩に満ちた勇斗が、がしがしと黒髪をかき回す。

 半年前、真面目にこつこつと仕事に従事していた勇斗は、その姿勢を評価され、工場の正社員として正式に採用され、それを機に自慢の金髪を黒に染めた。

 その姿を初めて見たとき、月雫は、『遥斗さんみたい』と感想を漏らしていた。

 勇斗の5歳年上の兄、遥斗と勇斗は、歳を重ねるほどに、まるで見分けがつかない双子のように瓜二つになっていった。

 ふたりとも180センチ近い長身で、髪型を同じにしてしまえば、背格好で見分けはつかない。

 美しく整った顔立ちとモデルのような細身のスタイル。

 ふたりの唯一の相違点は、オッドアイだ。

 勇斗は左目が青く、遥斗は右目が青いのだが、遥斗はカラーコンタクトレンズを入れて、両目とも黒くみせている。

「勇斗、本当のこと警察に言おうよ。
 遥斗さんのことも、ちゃんと話すの。
 遥斗さんの手の届かないような、偉い人に相談して……」

 子どものころ、月雫に遥斗の悪事を両親に相談しようと言われたことを思い出す。

 あのときと同じように、勇斗は首を左右に振った。

「……できない。
 前科者の俺と、警察の一員となった遥斗と、どっちの言い分を信じると思う?
 遥斗は、いくらでも自分が犯した犯罪の痕跡を消せるんだ。
 俺が逮捕されるのは、もう避けられない。
 そして、逮捕されたら、俺の人生はそこで終わりだ。
 文字通り、死ぬ」

「そんな……」

 月雫も思考が行き詰まったのか、黙り込んでしまう。

 かちかちと、壁掛け時計の秒針の音だけが狭い部屋に響く。

「……どうすればいいの……」

 悲痛な月雫の呟きが、静まり返った室内に尾を引き、煙のように風に流されてやがて消えた。




 徳山遥斗は、いわゆるキャリア組の警察官である。

 現在23歳で階級は警部補。 
 
 成績優秀、品行方正な青年になった遥斗は順調に出世を果たしていた。

 人生が順調に回れば回るほど、遥斗の精神のゆがみは亀裂を深めていく。

 子どものころからそれは変わらず、遥斗は父に隠れて悪事を働いてはそれを弟の勇斗に罪をなすりつけてきた。

『俺は将来警察官になる。
 そうしたら立場を利用して詐欺をやって稼いで遊んで暮らそう』

 それが遥斗の口癖だった。

 だから、今は濡れ衣を着せてしまうが、将来それをチャラにしようと幼い弟に暴力を振るうとともに言い続けてきた。

 そして、遥斗はそれを有言実行し、警察官になった。

 遥斗は詐欺や薬物売買、売春の斡旋などの犯罪行為に手を染め、元締めとして暗躍してきた。

 犯罪が発覚すると、その罪はすべて弟の勇斗に着せられ、勇斗は兄の代わりに人生を台無しにしてきた。

 逆らうという発想は勇斗の中に浮かばなかった。

 子どものころから遥斗には勝てないとわかっていたし、時間をかけて刷り込まれた恐怖が洗脳するようにじわじわ勇斗から抵抗する気力を削いでいったのもまた事実だった。

 勇斗は早々に人生を諦めた。

 しかし、勇斗は変わった。

 愛する月雫と子どもを得て、耐えるだけではいけないと思うようになった。

 生き写しといっても過言ではないほどそっくりな見た目になったこと、それだけでも奇跡的な不運なのに、遥斗は勇斗の家族──月雫と悟にやたらと興味を示していた。

 若くして結婚した弟を心配する心優しい兄の顔をして、たびたびアパートにやってきては悟をあやして手なずけた。

 悟は遥斗にすっかり心を許し、遥斗が訪ねてくることを楽しみにするようになった。

 勇斗も月雫も、それを黙認するしかなかった。

 でも──。

 それがいけなかったと、今さらながらに勇斗は悔恨の念に駆られている。

 遥斗が、ただ心配して近づいてくるなんて、あるはずがなかったのだ。

──愚かだった。

 植え付けられた恐怖が頭のどこかに残っていて、勇斗は遥斗を強く拒絶できなかった。

 その末路が、これだ。

 なんの罪もない子どもが殺された。

──どうすればいい。

 夜が更けても答えはでなかった。

 遥斗に対抗する手段──。

 月雫が提案した警察に相談することは、絶対にできない。

 相手にするのが遥斗ひとりだったのなら、話は変わってくるのだろうが、現実はそう簡単にはいかない。

 晴れて念願の警察官になった遥斗は早速、捜査で押収した証拠品の薬物や貴金属を盗み、横流しして不正にカネを稼いでいた。 

 もちろん、一介の警察官にすぎない遥斗が、そんなだいそれたことをひとりでできるわけがない。

 遥斗にはその達者な口で丸め込んだ共謀者が警察内部におり、日々その数を増やして甘い汁をすすっていたのだ。

 ところが、遥斗の悪事を嗅ぎつけた存在があった。

 『反社』といわれる組織に、遥斗は不正を暴かれ、それをネタに脅迫された。

 完璧だった遥斗の人生設計は狂いかけ、遥斗は生まれて初めて、それまでの立場から一転して搾取する側からされる側へと転落した。

 だが、遥斗は狡猾な男だった。

 自分を脅してきた反社組織に対し、彼らが起こした犯罪を隠ぺいする、揉み消してやると持ちかけたのだ。

 犯罪を見逃してやる代わりに金銭まで要求した。

 そして、現役警察官と反社組織は手を組み、ありとあらゆる犯罪へと加担することになる。

 その話は、月雫も勇斗から聞いて知っていた。

 今や警察の誰が味方で誰が遥斗側の人間なのか、勇斗が知る由もなかった。

 だから、警察には頼れない。

 自殺行為もいいところだった。

 以前、アパートにやってきた遥斗が酒に酔い、上機嫌に言ったことがあった。

『警察に相談するなんて考えるな。
 俺には協力なバックがついている。
 お前が警察に泣きついたら、拘置所や刑務所に押し込んで、反社や半グレにお前を殺させる』

 だから、一生お前は俺の言いなりになるしかないんだ、と。

──捕まったら殺される。

 では誰に頼るのが正しいのか。

 苦悩するうちに、悟が死んでからというもの張り詰めていた疲れが出たのか、月雫と勇斗はちゃぶ台に突っ伏して眠りに落ちていた。


 玄関のドアを荒々しく叩く音で、ふたりは目を覚ました。

 とっさに時計を見上げると、午前6時を示していた。

「徳山さん、警察です、開けてください」

 昨日訪ねてきた中年刑事の声がドア1枚隔てた向こうから聞こえてくる。

──しまった、寝てる場合じゃなかったのに! 

 どうすればいい、どうすれば……。

 勇斗が狼狽(うろた)えていると、月雫が勇斗の腕を掴んだ。

「逃げよう、勇斗」

「……え?」

 どこにそんな気力が残っていたのか、月雫は力強い眼差しで勇斗の瞳を真っ直ぐに見据えている。

 月雫の瞳に宿る強靭な意志に気圧(けお)され、思わず勇斗は素直にうなずいていた。

 玄関から靴を持ってきた月雫がカーテンを引き窓を開ける。

 サッシを乗り越え、窓からアパートの裏庭に降り立つ月雫を追って勇斗も窓から脱出して靴に足を通した。

「裏口に回れ!」

 ドアを叩いても反応がないことを怪しんだ警察官の怒号が直接耳に届いてくる。

「行こう」

 月雫に手を引かれ、勇斗は詰まりながらも走り出した。

「いたぞ、徳山が逃げた!」

 制服の警察官がふたりに気づいて叫んだ。

 振り向こうとした勇斗を制し月雫が走り続ける。

 太陽が照りつける夏の日、着の身着のままのふたりの逃亡劇がはじまった。