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「耀司パソコン使う?」
週末のバイトが終わった後、耀司は相変わらず自分ちには帰らず、俺の部屋に来ていた。
「わり、バッテリー死んでるからコンセント刺してくんね?」
「オケ」
ちょっと提出物出したい、という耀司にテーブルの上を片すと、俺の携帯が振動し、メッセージを受信した。
その音だけで一瞬の緊張が走る。
ベッドに置いたそれを、耀司が取った。
「はい、ワタルから」
「なんだよ、あいつ」
ポンと、俺に渡してくれる。
こんな風になったのは、高校の時、耀司が田崎に関する条件を俺に出してからだ。
携帯の着信音に身構えるようになった。
こうやってあの時についた嘘をなかったことのように振る舞って、俺は安心させたいだけなのかもしれない。
「うっわ、全然わかんねー」
タブレットで今日の授業でやった数式を見ていたら、隣に座る耀司が俺の手元を覗き込んだ。
「どれ」
耀司が俺のタブレットを取り、さらさらと解説をタッチペンで書き込んでいく。
俺はその横顔を見ていた。長いまつ毛、通った鼻筋、真剣な目。
耀司は昔から教えるのが上手かった。征司の勉強も見てやってるって言ってたし、面倒見がいいんだろう。
「──で、ここをこうすれば」
「え、あ、うん」
見惚れていたのがバレたのか、耀司がちらっと俺を見た。
「聞いてた?」
「聞いてた聞いてた」
「嘘つけ。どこ見てたんだよ」
耀司が顔を近づけてくる。
俺の視線の先を確かめるように、ぐっと距離が縮まる。
「な、なんでもねーって」
「ふーん」
耀司は意味深に笑うと、俺の頭をぽんぽんと撫でた。
「まあいいや。わかんないとこあったらまた聞けよ。緑に教えんの、嫌いじゃないから」
嫌いじゃない、という言い方。好きって言えばいいのに。
──いや、俺が言えないんだから、人のこと言えないか。
「……サンキュ」
「ん」
耀司はまた自分の課題に戻る。
俺はしばらく教えてもらった箇所よりも、頭に残る耀司の手の温もりの余韻が残ってしまって集中できなかった。
「緑、ココきて」
しばらく課題をしていた耀司がパタンとパソコンを閉じた。
ベッドに寄りかかって座る耀司の足の間にこいと呼ぶ。
「なんだよ」
こんなの子供の頃は日常茶飯事で、高校の頃まで教室でも耀司の膝に上に座らされていた。
さすがに大学に上がってなくなってたのに。
手を取られ否応なく耀司の立てた膝の間に誘導される。
がっつりと両手が腹に回りホールドされ、肩に耀司の顔が乗る。
「くっつきすぎだって」
耀司のワックスの匂いが鼻腔をついた。
密着した背中から、呼吸で身体が上下しているのが伝わる。
心臓の鼓動まで聞こえそうなくらい近い。
「いいじゃん、緑といるとリラックスできんの。もう肩がゴリゴリにいてーんだもん」
「揉んでやるから、腕どかして」
「後で。もうちょっとこのままでいて」
そう言って、耀司の腕に力が込められる。
「俺はノエルじゃねーんだけど」
「ノエルは俺からぜってーに離れねーけど、緑は離すと誰かんとこ勝手に行っちまうじゃん」
「なんだよそれ……」
耀司は高三のあの時を、まるで黒歴史かのように言う。
俺から田崎を匂わせるのはダメなのに、耀司から匂わせる時はこうやって責める時だけだ。
「緑はもう誰とも付き合っちゃダメだからな?」
えみ羽と俺がラテアートの話をしてから、耀司は妙に気にしてるように思う。
「なんでよ、耀司は?」
「俺も誰ともつき合わねーし」
「本気で言ってんの?」
「俺はおまえといたいし。俺達の間に誰も入れたくないの」
それが幼馴染の独占欲だとしても、嬉しくて。
ずっとこのままでもいいと思う。
「うん、わかった」
答えると、満足そうに耀司が俺の肩に頭をぐりぐりと押し付けた。
──こんなの、恋人みたいじゃないか。
「この前バイトん時、髪縛った人と何話してた?」
「髪……伊藤さん?」
「名前なんか知らねー。その人からなんか頼まれてなかった?」
伊藤さんが、耀司をダーリンと呼ぶのがついにバレたかと思ったが、違うようだった。
「同じシフトに入ってんのに名前くらい覚えろよ。今度の土曜、シフト変わってくれないか頼まれたんだよ」
「ふーん、代わってやんの?」
腹に回った耀司の手がふにっと動く。
服の上から身体のラインを確かめるようにその手は移動する。
くすぐったい。
でも、嫌じゃない。
「お母さん入院してるらしくて、どうしてもバイト入れないんだって。まだ返事してないんだけど、代わってあげようかな?」
つい耀司の反応を見てしまう。
別に耀司の許可なんかいらないんだけど、いつもバイトは一緒に入っていたし、お互いのスケジュールは把握している。
俺がバイトに入ったら、耀司は暇になるかな? なんて事まで考えて即答できなかった。
「何で緑に頼むんだよ、他にもバイトいるのに」
「だって、ラテアートできて、土曜のあの時間入れそうなの限られてんじゃん」
それを考えたら、えみ羽もラテアートができるようになればいいのにと思う。
できる人が増えるのは、シフト的にも助かるし。
俺からも店長に言ってみようかな、なんて。
さわさわと動く手が移動し、胸で上下する。
くすぐったい、と身体を捩るとその手はやっと止まった。
「個人的に頼んだわけじゃねーんだ」
「当たり前だろ。伊藤さんは結婚してるし、確か三十四歳だぞ」
するりと耀司の両手が腰にまわり、きゅっと腹の上で組まれた。
「前科あるから油断ならない」
「もう、ばかじゃん」
振り向こうとしたら顔が真横にあった。
近すぎて、動かすとまた口が当たってしまいそうですぐに戻した。
ドキドキする。
耀司の吐息が頬にかかる。
「土曜は二限だけだろ? 終わったらすぐ行くの? 何時まで?」
「速攻行って六時までかな、佐々木さんがクローズに入るからそれと交代だと思う」
夜の時間帯に入っている佐々木さんは、ラテアートを得意としているベテランのバリスタさん。
俺も彼にたくさん教わった。
「緑が入るなら俺も入りたかったなあ、さすがに無理か」
拗ねた声で耀司は俺の肩に額をぐりぐりと擦りつけた。
耀司は結構な甘えただと思う。
いつも俺にくっついて、離れないから。
子供の頃も部屋にいる時は、身体をぎゅうぎゅうくっつけて隣にいたり、重なり合って転がっていた。
あの頃の俺は、耀司の兄弟になりたいと本気で思っていた。
そうすれば、別々の家に帰らなくてもいいんだから。
家族のように近くて、でもどこか違う。
友達なのに、俺たちは恋人みたいに傍にいる。
「なあ、緑」
「ん?」
「ずっと一緒にいような」
ぽつりと、耀司が呟いた。
「当たり前じゃん。俺ら幼馴染なんだから」
「……うん」
耀司の腕に、また力が込められる。
まるで、俺を離したくないって言ってるみたいに。
このまま時間が止まればいいのに。
そんなことを思ってしまう。
ずっと、ずっと、耀司の隣にいたい。
それが俺の願い。
気づいたら眠っていたらしい。
目を開けると、見慣れた自分の部屋の天井があった。
──あれ、俺、さっきまで耀司と課題してて……。
身体を起こそうとして、動けないことに気づいた。
耀司が俺の腕を枕にして、隣で寝ている。
「……は?」
小さく声が漏れた。
耀司の寝顔が、すぐそこにある。
いつもはクールな表情を崩さないくせに、寝ている時は幼く見えた。まつ毛が長くて、唇が少しだけ開いていて。
心臓がうるさい。
起こした方がいいのはわかっている。でも、動けなかった。
そっと、空いている手で、耀司の前髪に触れた。
さらさらの髪が指を滑っていく。
「……ん」
耀司がわずかに身じろぎして、俺の腕をぎゅっと抱え込んだ。
まるで抱き枕みたいに。
「ちょ、おい……」
声をかけても起きない。
耀司の体温が伝わってくる。
逃げられないし、逃げたくもなかった。
──このまま、もう少しだけ。
目を閉じると、耀司の匂いに包まれながら、俺もまた眠りに落ちていった。
