これは俺からのささやかな復讐



 幼少期、ベソベソ泣く俺に、学校の教師をしている両親がよく言っていた。

 感受性が強く、共感回路がオンになりやすいから、人の心の中を察して自分を閉じ込めるのだと。

 そうだ。

 俺はいつも自分が言った言葉を何度も確かめて、後悔していた。
 俺の言葉で嫌な気持ちになってないか、それとも傷ついてないか。

 だからクラスでも限られた友達としか話さないし、広く付き合うなんてできなかった。

 ──それは小学校三年生の秋だった。

 昼休み、耀司が美化委員で花壇に水やりをしている間に、俺は女子グループに呼び出された。

『川嶋ばかり山吹と一緒でズルい』
『あたしたちも話したいのに独り占めしないでよ』
『川嶋ってホモなの?』

 悪意のある言葉は俺の心にグサグサと刺さってしまって、俺は過呼吸を起こし、保健室で処置をされた。

 早退して家で寝ていた俺の部屋に、耀司が来た。

「緑ごめん。さっきワタルに聞いたんだ。女子に呼び出されて文句言われたって」

 耀司は謝った。

「謝んないでよ。悪いのは空気読めない俺なんだし」
「緑は一個も悪くねーよ。ごめん、怖かったよな」
「大丈夫」
「大丈夫じゃないじゃん」

 泣いた跡の残る目を見られたくなくて、俺は俯いた。

「緑。俺、明日言うから」

 耀司はベッドに座る俺の前にきて、何かを決心したようだった。

「何を?」
「緑に文句言ったやつ集めて謝らせる」
「ヤダよ止めてよ」
「何で? 俺が許さねーから。あいつら緑になんて言った? 息、苦しくなるほど酷でーこと言ったんだろ? クソ、俺が委員会でいねー間に。絶対に許さねー」
「苦しくなったのはそのせいじゃないよ。だからいいんだって」

 けれど耀司は俺の前に立ったまま、ギュッと握りこぶしを作って怒りを堪えていた。

「駄目。俺のせいだって聞いたからな。隠したってわかるから」

 チクりに来たワタルに耀司がどこまで聞いたのかはわからなかった。

 目の前で俺のために怒ってくれている耀司を見上げた。

「だったらもっとクラスの女子と仲良くしなよ」
「は?」
「耀司と友達になりたい子はたくさんいるよ」
「やだ」
「耀司は勉強も運動もできてカッコイイしさ、俺だけじゃもったいないよ」

 耀司はムッとすると眉を寄せ、面白くなさそうに俺を見てきた。

「友達になりたいからって平気で人を傷つける奴らと、友達になんかなりたくない」

 それは確かにそうだと思った。
 耀司はどこか悔しそうだった。

「前の学校でも、俺が女子としゃべっただけでそいつハブにされたし、隣の席になった子はシカトされてた。だから俺は女子とは仲良くしない。俺は男の友情しか信じないから」

「え……」

 耀司が前の学校であったことを話したのは初めてだった。

「だから俺は緑との友情の方が大事なんだ」
「ご、ごめん。そんなことがあったなんて知らなくて」

 嫌なことを思い出させてしまって慌てる俺に、耀司は安心させるように硬くなった顔を解いた。

「緑が謝ることはないって。でも緑は大丈夫? クラスの女子怖くねえ?」
「確かに……怖かったけど……」
「……ごめん、怖い思いさせて。緑から離れなければよかった」

 耀司は感情を堪えるかのように唇を噛んだ。
 目元を歪め、泣き出すような一歩手前、悔しそうにやるせない思いを圧し込んでいるように見えて、心が痛くなった。

「大げさだって。怖いのは今だけだよ、大きくなったら平気だよ」

 そう言って固く握られていた手を取って解いてあげた。
 爪の食い込んだ跡が手のひらに残っていて、どれほど俺のために心を痛めていたのか、想像して自分まで辛かった。

「でもこれからはちゃんと俺が守るから」

 俺の手を握り返して、耀司はきっぱりと言った。

「大丈夫だよ、ワタルとかもいるんだし」
「駄目、緑をワタルに取られたくない。緑は俺のなんだから他の奴らと仲良くしないで」
「そんなことできないよっ、ワタルも友達だし……」
「もしかして今日ので俺が嫌いになった? だからそーゆーこと言うの?」

 嫌いなんて思ったこともなくて、俺は慌てた。

「嫌いになんかならないよ、俺耀司が一番好きだもん」

 そう言うと耀司は満足したように表情を和らげた。

「よかった。俺も緑が一番好きだし大事だから、守る。わかったな?」

 そう言って、結局俺のいう事は何一つきいてくれなかった。
 俺は「うん……」と頷くしかできなかった。

 そして翌日、朝の教室で、耀司はクラスの皆に宣言した。

『俺の大切な友達に文句を言う奴とは一生口聞かないから』

 その後の女子の豹変っぷりが本当に怖かった。
 俺を見てヒソヒソしてた子が、笑顔で話しかけてくる。
 何もなかったかのように接する姿が恐ろしかった。

 それからかもしれない。
 俺の感情が女子に向かなくなったのは。

 ただあの時の、俯いて圧し込んだ顔をしていた耀司が、今でも忘れられない。

 あの顔をもう二度と見たくなかった。

 だから俺は──女の子を好きになったことにしたんだ。


「耀司? 怒ってる?」

 バイト先から出て、駅に向かっている間も、耀司は速足で黙ったままだった。

 あんまりの沈黙に耐えられなくてその背中に訊いた。

「なんで怒ってるって思うわけ?」

 くるっと耀司が振り返る。やっと目が合った。

「だって、口きかねーし……俺の方全然見ないから」
「誰のせいでこうなってるのかわかる?」

 耀司の声は低く、でもどこか拗ねたような響きがある。

「……ごめん、わかんねえ」

 一瞬チラッと、耀司はえみ羽が好きで、俺と喋ってたのが気に入らないから──なんて考えがよぎった。
 けれど打ち消す。
 耀司はそーゆうやつじゃない。

 まるで禁句のように恋バナはできない俺たち。

「なんでわかんないわけ……」

 耀司が深く息を吐く。

「沼端さん……だよな。休憩上がる時、耀司なんか様子変だったし」
「緑の描いたハートの画像俺にも見せてくれたぜ。嬉しそうにな」

 はぁと息を落とすように吐く。

「前、来たことがあったみたいで……」
「嫌だな」

 ぽつりと、耀司が呟いた。

「──耀司?」
「緑が俺の知らない所で誰かと仲良くなるのが嫌だ」

 俺たちは恋人じゃなくて、友達だから、拘束力なんてなくて。

「喋っただけじゃん。それ以外はないよ?」
「それでも嫌だ」

 まるで拗ねているみたいに、耀司は俺の隣に来ると、こてんと首を肩に預けてきた。
 頭をよしよししてもされるがままだった。

「……重いって」
「いいじゃん、俺不機嫌なんだから」
「子供か」

 そう言いながらも、耀司の頭を撫でてしまう。
 サラサラの髪が指に絡む。

「じゃあ、俺も言っていい?」

 撫でながら訊くと、耀司が少しだけ顔を上げた。

「ん?」
「先輩って誰?」
「なんのこと?」
「この前資料先輩に借りたって言ってたじゃん。俺、耀司の先輩なんて知らない」

 そう言うと、耀司は「あー」と小さく声を漏らした。

「それ、実習のTA。修士の人がなんでか知らねーけど貸してくれた」
「TAってティーチングアシスタントか」

 実験の時につく、俺らを補助する修士の先輩だ。

「なんでか知んねーけど、気に入られちゃってさ、過去問とかくれるんだよ」
「白衣を着た耀司かっこいいもんな」

 無意識に出てしまった言葉に、耀司はゆっくりを顔を起こすと俺を見た。

「先輩って男だぜ? もしかしてそれ、」
「うそ、違うって」
「なになに、何が違うの、緑くん」

 ニヤニヤしながら耀司が言う。

「うっせ。耀司だって、沼端さんのこと気になってるんじゃねーの?」
「あるわけないじゃん。俺は緑オンリーだし」

 あーまたそうゆう事を言う。お願いだから勘違いさせないで欲しい。

「じゃあ、もう、機嫌治ったよな?」
「ぜーんぜん」

 耀司がまた俺の肩に頭を預けてくる。

「あんま、あの子と仲良くしないで。同じ趣味で気が合うかも知んねーけど」
「ないよ。耀司だって同じ学部じゃん。俺より接点多いくせに」

 俺たちは、お互い何の心配をしてるんだろう。

「緑は俺だけ見てればいいの」
「……はいはい」

 そう答えながらも、胸の奥が温かくなる。
 耀司の独占欲も、拗ねた態度も、全部嬉しい。
 こんな風に、俺だけを求めてくれるのが。

 それから俺たちは、足取りも軽くなって、コンビニで買い食いしながらブラブラして帰った。

「なあ、緑」
「ん?」
「この後、緑の部屋行っていい?」
「また? 耀司、最近入り浸りじゃね?」
「いいじゃん。緑といたいし」

 そんなこと、さらっと言わないでほしい。

「……いいけど」
「やった」

 耀司が嬉しそうに笑う。
 その笑顔を見て、胸がぎゅっとなった。

 ずっとこのままでいたい。

 幼馴染として、特別な存在として、耀司の隣にいたい。

 それが俺の願いだった。