翌日、午前中で大学を後にし、俺と耀司はバイト先へ向かった。
煌びやかなスイーツがSNSでバズっているカフェで、ホール係の耀司と、ラテアートを任されている俺は、いつもシフトを一緒に入れている。
耀司と挨拶をして店内に入ると、見た顔の女の子がサッと寄ってきた。
「山吹君! やっとシフトが被ったあ。今日はよろしくね」
笑顔でキラキラと目を輝かせて耀司を見ている。
この子は──耀司と同じ学部で、取り巻きグループの中にいる、沼端えみ羽だ。
「え、入ったんだ? びっくりした」
咄嗟のことに耀司も驚いたようだった。
「偶然ここに来た時に山吹くんいるの見かけて。私もカフェでバイト探してたから、一か八かエントリーしたら受かっちゃったんだ」
笑顔全開。
胸にモヤモヤが広がるのをなんとか打ち消した。
「なーに、あれ。店長また女子大生採ったの? すぐ辞めるから懲りたって言ってたクセに」
俺と同じラテアートをする伊藤さんが冷ややかな目をしていた。
「耀司と同じ学部の子ですね」
「まさかバイト先まで追っかけてきたガチ勢じゃないよねえ」
夕方までシフトインする伊藤さんは、アラサーの主婦。女の子に対する目が厳しくて、それが結構面白い。
「耀司にそんな気はないですよ。それにそーゆう子は相手にしないから、あいつ」
「おー、自信あるね。まあ私とドリンク入ってても、ダーリンはみどりんにしか頼まないもんね」
「……もうダーリンはやめてくださいよ」
「みどりんしか目に入ってないみたいだし?」
洗い物をしながら苦笑すると、耀司が向かってきて伊藤さんがニヤッとした。
「緑、ラテオーダー。ポメラニアン指定だけどい?」
「おっけ、ポメいける」
ホールで注文を受けた耀司が俺に伝える。
忙しい時は簡単なデザインしか受けられないが、今日は細かい指定もいけそうだった。
「ほーらね。早速」
「だから、幼馴染なんだしっ」
伊藤はプシーっとエスプレッソをカップに注ぐとハイと渡してくれる。
泡立てたフォームドミルクをカップに乗せると、ポメの写真を見ながらピックで絵を描く。ポメラニアンや柴犬その他人気のキャラはちゃんと写真をカウンター内に用意してあるので、手間取ることはない。
「よっし、可愛く描けた」
出来上がったカップをカウンターに出すと、すぐ耀司が取りに来てくれた。
コーヒーが飲めないのに、耀司がこの店で働いているのは、ラテアートをやりたいと言い出した俺に付き合ってくれたからだ。
同じバイトなら心強いなとは思ったが、本当に耀司もエントリーするとは思わなかった。
「よろしく」
「緑、サンキュ」
流れるようにトレイに乗せると笑みを向ける。
耀司がバイトに入る日は女の子のお客さんも多く、ラテを頼む率が高い。一言でも耀司と会話をしたいからだ。
バイトに入ったばかりの頃は、耀司の笑顔はどこかぎこちなかった。
店長に何度も呼ばれて、接客用の笑顔を練習させられていたのを思い出す。
「女の子はみどりんに見せるあの笑顔が欲しいんだよね~、あーんな接客用の笑顔じゃなくてさあ」
横で伊藤がボヤく。
「まあ幼馴染ッスから」
「それしか言えんのか、みどりんは」
肘で脇腹をグリグリされる。
「他に何があるんですか、もー」
三ヶ月経って、耀司の接客はすっかり板についた。
店長の狙い通り、耀司目当ての客も増えた。
ふと視線を感じて振り向く。
テーブルの片づけをしていたえみ羽がさっと顔を反らした。
なんだろう?
「あ~、こらこら、ダーリンばっか見てちゃダメよ」
「違いますよ! 伊藤さんもウォッチング止めません?!」
ハァと伊藤さんはわかりやすく溜息をついた。
伊藤さんはいつも俺の前では耀司をダーリンと呼ぶ。
最近は慣れてしまって、訂正するのも忘れていた。
「みどりん危機感持ちな? あの新人ちゃんダーリン目当てと私は認定したから」
「はい?」
「まあダーリンは大丈夫だろうけどさ、大学同じなんでしょ? 警戒くらいしとき」
「ちょっと何言ってるんですか」
伊藤さんが目を細めてわざとらしく見る。
「緑、オーダー」
耀司から注文を受けてドキっとした。
耀司が訝し気に俺達を見ていたからだ。
さっきまでしていた会話に、つい伊藤さんを見てしまうと、あからさまにニヤニヤされた。
焦りを隠して受ける。耀司はなにもなかったようにホールに戻った。
聞かれてないよな? ダーリンなんて。
その後ピーク時間となり、席は満席、待ち人数も増え、俺もラテアートに付きっきりとなった。
今日はハートを何個作ったかなと思う頃には引き始め、ようやく一息つく。
「みどりん先休憩入っていいよ~」
「了解です」
伊藤さんに声を掛けられエプロンを外す。
ホールはと眺めると、話に花を咲かせる客がほとんどで、耀司たちも待機していた。
休憩室のドアを開けると誰もいなかった。
ただエアコンだけが強風で冷気を出していて、めちゃくちゃ寒い。温度設定を見ると十六度になっていて、きっとこれはキッチンの及川さんの仕業だと、エアコンの温度を二十五度まであげた。
こんな無茶苦茶な設定温度にするのは、暑がりで年中ハーフパンツにサンダルのこの人しかいない。
「さっむ……」
キンキンに冷え切った室内で腕をさする。
俺の制服は、長袖の白シャツにサロンのホールと違って、黒のポロシャツで半袖だ。
あまりの寒さに、椅子の上で膝を抱えて丸まるとドアがノックされた。
「緑、寒かったら俺のカーディガンあるから着てろよ」
耀司がドアを開ける。中には入って来ず、それだけを言いに来たようだった。
「え、何で知ってんの」
「さっき備品取りにここ来たら、及川さんがすげー冷やしてたからさ。緑が休憩行くの見えたから、ぜってーに寒がると思って」
おまえ半袖だし、と付け加える。
寒がりなのを知ってわざわざ言いに来てくれるなんて。
「おまえイケメンすぎだろ、マジ感謝、借りる」
「はは、緑限定な」
ロッカーから胸にワンポイントのついた黒いカーディガンを取ると、満足気に耀司は「風邪ひくなよ」とドアを閉めて戻って行く。
マジでダーリンだ。
優しさに嬉しさがこみ上げてきて、足をバタバタさせてしまう。
よく見る耀司のカーディガンだ。春によく羽織っていた。
無意識にそれを鼻に当て匂いを吸い込む。耀司の匂いがまるで凝縮されたようで、何度も何度も吸い込む。
こんなの、普通じゃない。
わかってるのに、やめられない。
大切に袖を通し、耀司のカーディガンに包まる。椅子の上で膝を抱え、膝頭に顔を伏せた。
──ずっとこのままでいい。
幼馴染という特別なポジションでいれば、こんなボーナスだってもらえるんだから。
「こーゆうとこまでイケメンなんだよな」
恋人みたいでくすぐったい。まるで疑似恋愛をしているみたいだ。
休憩もあと十分で終了、という時にドアがノックされた。
誰か休憩に来たかな、と顔を上げると入ってきたのはえみ羽だった。
「お疲れ様です。休憩、私もここで大丈夫?」
「お疲れ様、大丈夫だよ。少ししたら俺戻るから」
「同じ大学だよね? 山吹君の幼馴染の──」
「あ、理工学部一年の川嶋です。店ではカウンターでドリンクをメインにやってるんだ」
「理学部一年の沼端です、実はここでラテアート描いてもらったことあるんだ」
「え、マジ?」
えみ羽は嬉しそうにスマホを取り出すと、画像を見せてくれる。
「これ、ハートがいっぱいのヤツ。すごく可愛くて、SNSに上げたらフォロワーさんにめっちゃ反応もらえたんだ」
「うっそ、覚えてる! この時めっちゃ集中して描いたんだよ」
画像には、ハートが三つ重なった繊細なラテアートが写っていた。
「写真撮ってSNSに上げてくれてるの見るけど、実際持ってくれてるの見るとすげー感動する」
「可愛いよね。私もラテアート描けるようになりたくて、実はそれでここにバイト決めたんだ」
自分のやった事で、誰かに影響を与えたなんて驚いた。
でも素直に嬉しい。
「そうなんだ。ラテアート楽しいから、仲間が増えるのはめっちゃ歓迎」
「ほんと? ホールやって慣れてきたら店長に言うつもり。色々教えてもらっていいかな?」
「もちろん。伊藤さんも優しいし、一緒に頑張ろうね」
そう言って笑うと、えみ羽も嬉しそうに笑った。
けれどもう戻る時間が迫っていたので、耀司のカーディガンを脱いでロッカーに戻す。
「じゃ、俺戻るね。休憩ゆっくりしてて」
「うん、ありがとう」
ドアに手をかけようとしたら、コンコンとドアがノックされた。
「緑」
ドアを開けて入ってきたのは耀司だった。
「耀司? これから休憩?」
えみ羽との会話で笑顔のまま聞くと、一瞬耀司の表情が止まった。
「緑、ちょっと来て」
「え? 俺戻んないと」
「一分でいいから」
腕を引っ張られて、従業員用の裏口に連れられる。
裏口のドアを開けると、配送用の段ボールが積まれた薄暗いスペースに出た。
ここなら誰にも見られない。
「あの子と何話してたの?」
耀司の声が、いつもより低い。
「あの子って沼端さん?」
「そう。そんな笑顔でさ、なんで?」
耀司が俺の肩に手を置く。
その手に力が込められていて、少し痛い。
「俺が作ったラテアートの画像見せてくれたんだよ。すごく喜んでくれて、嬉しくてさ」
「へえ」
あからさまに不機嫌な声だった。
けれど休憩時間はもう過ぎようとしていて、俺は焦っていた。
「ごめん、マジ戻んないとだからっ。後でっ」
何か言いたそうだったけれど急いで店に戻った。
時間をオーバーしたら、伊藤さんに迷惑がかかる、それしか頭になかった。
夕方、同じ時間に耀司と上がり、更衣室で着替えている間、耀司は黙ったままだった。
気まずさが漂う。
あの休憩の時から耀司はずっとこんな感じで、バイト中もラテの注文も素っ気なかった。
さっき俺が急いで戻ったせい?
それともえみ羽と喋ってたから?
ロッカーの扉を閉める音が、やけに大きく響いた。
「耀司?」
声をかけても、耀司は黙ったまま荷物をまとめている。
胸が苦しい。
──またこれか。
