これは俺からのささやかな復讐




 高校三年の秋、推薦で大学を決める生徒は大事な時期だった。

 その日当番だった俺は、理科準備室にいるであろう担任へノートを届けに行った。
 中にいたのは担任の武藤(むとう)先生だけでなく、文系クラスの田崎幸(たさきゆき)だった。
 不自然に、さっと離れ、準備室を出て行った田崎幸を見て理解した。

 ──この二人はキスをしていたんだ。

 何も気づいていませんという態度でノートを渡すと、先生も動揺を隠して対応した。

 そしてその日の放課後、俺は田崎に呼び出された。

 田崎に連れられて向かった先は校舎の屋上で、ハッキリと先生とつき合っているのだと告げられた。

「お願いだから、誰にも言わないで」

 田崎は長い髪を風になびかせながら、俺の前でぎゅっと目をつぶって頭を下げた。

「言わないし、言うつもりもなかったけど」

 いつまでも頭を上げない田崎を見下ろしたまま、ポケットに手を突っ込みぶっきらぼうに答えた。

「ホント? 誰にも言ってない? 山吹くんとか」
「なんで耀司……」
「だっていつも一緒じゃん」

 田崎は頭をようやく上げると強張った目を向けた。真剣で必死さが伝わる。

「だとしても、言わないから。安心して」

 その言葉に田崎は安心したのかホッと緊張を解いた。

「よかった……。バレたら先生クビだし、私も推薦取りやめになる」

 これ、と田崎が茶封筒を出した。まさか口封じの現金か? と思ったら、中に入っていたのは先生からの反省文だった。
 ついぷっと噴き出してしまう。

「笑える、担任の反省文とか」

 何枚も連ねられた真面目な謝罪文。堅すぎて読む気にもならない。

 あと数ヶ月、卒業してしまえばこの二人は先生と生徒ではなくなる。
 俺が黙ってさえいれば問題ないんだ。

「卒業したらうちの親にあいさつに来るの、先生」
「へえ、真剣なんだ」
「うん。私が大学を卒業したら結婚するんだ」

 夢見るように恥じらう田崎の頬が赤く染まっていた。

「いいじゃん、幸せになれよ」
「川嶋は? 山吹と二人で目立つしモテるよね」
「モテるのは耀司だけ。俺は全然よ」
「あー、山吹が隙を作らせてないもんね。川嶋に近寄れないし、ここに呼ぶのも苦労したもん」

 田崎は分かった顔をして一人頷いた。

「気のせいだって。まぁ耀司といつも一緒なのは確かだけど」
「気のせいじゃないよ」

 そう言いかけた時、ポケットに入れていたスマホが振動した。

「携帯、鳴ってるんじゃない?」
「えっ」

 慌てて手に取ると、表示されているのはもしかしなくても耀司で──

「わりい、すぐ戻る。場所? いいってそこにいて。え? 誰もいない、一人だってば。うん、待ってて」

 通話を切ってポケットに戻す。田崎はそんな俺をじっと見てニコリとした。

「ほらね、隙が無い」
「ちげーって。俺ら幼馴染なんだよ。じゃ、俺戻るから。あんたらの事は言わねーし、何なら一生黙ってるから安心して」
「ありがとう──でも、その顔のまま行くの? 耳まで真っ赤だし」
「うるせー黙れ」

 慌てて駆け出す。

 田崎にバレた。田崎にバレた。
 心臓がバクバクしている。

 でも、大丈夫。

 幼馴染が好きだなんて普通なら考えない。
 男が男を好きだなんて誰も思わないじゃないか。
 ただ面白がってるだけだ。田崎は気づいてない。

 深呼吸して自分を落ち着かせる。

 俺たちは幼馴染だ。

 二人の間に恋愛関係なんて成り立たない。
 唯一無二の親友──一生壊れることのない、大切な存在。

 ──耀司との距離が近すぎるだけ。

 だから、いつかきっと、正しい形に戻る。


 それ以降、なぜかメッセージで田崎とやり取りをするようになった。
 理由は先生が俺のクラスの担任だから。
 田崎は夜になると、今日の先生を聞きにメッセージを送ってくる。

『先生昨日からテスト作りしてんだよね』
「たしかに」「死ぬほど眠そうだった」
『眠そうなのかわ』
「やめろ」
『昼に教室通ったらさ』『山吹のパックジュース飲んでたよね』
 ニヤニヤしたウサギのスタンプの連打。
「見んなよ」

 こんなどうでもいいやり取りをなぜか続けていた。

 学校では一言も話さない赤の他人だけれど、お互いの秘密を知っている。
 幼馴染が好きな俺と、先生が好きな田崎。
 いつの間にか、俺の耀司への気持ちを誰かに知られてもいいような感覚になっていた。

 誰にも言えない恋を共有している俺達は、同士のようになっていたのかもしれない。

 そうして淡々と日々は過ぎていった──

 街はクリスマスムードに染まり、街角ごとに楽しげな声が溢れる中で、俺の胸は少しざわついていた。

 登校するとクラスが騒がしかった。
 誰かがクリスマスイルミネーションで有名な某所で撮った動画に、田崎が男とデートしているのが映り込んでいたのだ。

「これって田崎幸と誰? 担任のムトーちゃんに似てね?」
「まさか、ムトーちゃんいつもクソださ服じゃん」

 動画を見てゲラゲラ笑うクラスメイトが回し見している。
 そこに映っていたのは見間違えようもなく田崎で、腕を組んで寄り添う男を父親と誤魔化すには無理があった。

「おい、緑どうした?」

 そんな俺を耀司が呼ぶが反応できなかった。
 食い入るように見る俺に、クラスメイトが揶揄ってきた。

「もしかしてそれ川嶋だったりして? おまえの着てるダウンと同じじゃん」

 制服の上に羽織っていたダウンは、ロゴが胸と背についたもので、偶然にも同じブランドのものだった。耀司とデザイン違いで一緒に買ったもの。
 何も答えず動画を凝視する俺にクラスの皆が誤解した。

「まさか?!」
「え、まさかのカップル爆誕?!」

 教室が湧き立つ。耀司だけが冷静だった。

「緑、ちゃんと否定しろよ」

 命令するかのような耀司の声に、周りがぴたっと静まり返った。
 耀司と目と目が合う。早く否定しろと言いたげな強い眼差し。
 このまま黙っていたら、相手が先生だとバレるかもしれない。

 ──いいのか、俺。

 結婚まで考えている田崎と先生の将来を、あと三ヶ月、自分にすり替えておけば、騒ぎは鎮められる。

 すうっと呼吸した。

「これ──俺だ。田崎幸と付き合ってる」

 言った瞬間、さっき以上にクラスが沸いた。
 爆発したように弾けて、お似合いだと小突かれヒューヒューと声を浴びる。

「つき合ってねーだろ、なんでそんな嘘つく?」

 咄嗟俺の腕を取った耀司の手がギリギリと強く食い込んだ。

「嘘じゃない、本当。黙っててごめん」

 そう謝ると、無表情になった耀司の目だけが鋭くなっていく。
 怒ったのだと一瞬でわかった。

「来い」

 強い力で引っ張られて教室を出る。

「耀司、どこ行くんだよ、待って、おい、痛いって」

 突然のことに連れて行かれるまま足を動かす。
 耀司の背が怒っている。
 何も言わずただ廊下を駆け足で突き進み、階段を駆け上がった。

「──いつから?」

 誰もいない階段の踊り場で、ばんっと壁に背を押しつけられた。
 顔の両側に手をついて、逃げ道を塞ぐ。耀司がこんなに怒るとは思わなかった。

「せ、先月……」

 真っすぐ見られず顔を落とす。

「なんで俺に黙ってた? てか、本当に田崎幸が好きなわけ?」
「言いにくくて……言えなかった」
「好きなの?」
「………」
「好きなのかって聞いてる」

 びりびりと振動が伝わるかのような低音にびくりと顔を上げた。

 ──違う、好きなんかじゃない。

 けれど本当のことなんて言えなくて、小さく頷いた。
 まるで信じられないと言いたげに、耀司の瞳が見開かれた。

「女子──苦手じゃねーか」

 言い難そうに、でも確かめるように耀司は訊く。

「苦手なのは一部だけで全部じゃない」
「田崎は違うんだ?」
「……うん」

 耀司の瞳が大きく揺れ、長い睫毛を震わせた。

「あの動画を取られた日、家に居たじゃん。俺とお笑いの配信リアタイで見てただろ?」
「その後、待ち合わせてて……」
「家族で飯食いに行ったんじゃなかったのかよ」

 答えられず首を振る。

「嘘ついたのか」
「──ごめん」

 謝ると、顔をそらして耀司は目元を歪ませた。
 喉仏が何度も上下していて、耀司は、俺に向かって吐き出したいだろう言葉を堪えている。

 胸が苦しかった。
 ひどい嘘だと、自分でもわかっていた。
 嘘に嘘を重ねて──本心を隠して。

 でも言えなかった。

 あと三ヶ月、たった三ヶ月だ。
 ここを乗り越えればあの二人は先生と生徒でなくなる。
 俺は約束したんだ。誰にも言わないって。

 あんまりにも俺が真剣な顔をしていたからか、耀司は壁についていた手をぎゅっと握りしめると、だらりと落とした。

「わかった、もういい」
「え……」

 下げたままだった顔を上げると、耀司は俺の頬をぶにっと摘まんだ。

「けど、条件がある」
「え……」
「俺の前で田崎の話はするな。存在をチラつかせたり匂わせるな。俺といるときにラインも電話もするな。今まで通り俺を優先しろ。それを守れるなら嘘をついてたのも黙ってたことも許してやる」

 何様かと突っ込みたくなる理不尽な条件を、耀司は尊大に言い放った。

「絶対にしない、守る」
「約束な」
「うん、ごめん」
「腹立つけど許す」
「耀司のが大事だから」
「──だったらなんでつき合うんだよ」

 呆れにも似た耀司の呟きだった。

 ──耀司が好きだ。

 けれど知られたくない。

 彼女持ちならば、誰にも疑われない。
 俺達は幼馴染だ。
 恋愛関係なんて成り立たない。

 だから俺は安全な友達でいないといけないんだ。


 ──あの日、初めて耀司と出会ったシーンを思い出す。

 転校初日、小学二年生の春。

 俺は親から離れ、知らない人間の中で緊張のピークを迎えていた。
 担任に連れられ、職員室から教室に向かう廊下で、不安から震えが止まらず、足元の感覚はふわふわと頼りなかった。

 目の前の廊下が蜃気楼のようにぐにゃぐにゃに歪み始めた時──

 不意に手を握られた。
 温かな手だった。

 驚いて隣を見ると、同じ教室に向かう男の子が、真っ直ぐ前を向いたまま、俺の手を握っていた。
 震える手を落ち着かせるように、にぎにぎと握ったまま、前を見ている。

 それが耀司だった。

 この子も俺と同じだ。
 入学した学校を、たった一年で転校してしまい、また一からスタートしなければならない。
 同じ運命を辿っている。
 転校という初めての体験を同時に味わい、同じ教室からこの学校での生活を始めるのだから。

 繋いだ手をギュッと強く握り返した。

 すると、驚いたように耀司は俺を見た。
 目と目が合う。
 俺は精一杯の笑顔を作ると、耀司も笑顔になった。
 そして、うん、と二人同時に頷いた。

 あの時の安心感を今でも覚えている。
 俺だけじゃない、この子も不安なんだ。

 繋いだ耀司の手の温かさに、冷たかった俺の手には徐々に熱が戻り、震えもいつの間にか治まっていた。

 あの日から耀司は、俺にとって世界に一つの大切な友達になった。

 それからは、毎朝十階の耀司が、九階の俺んちに迎えに来て、二人並んで教室に入った。
 耀司と一緒だったから、新しい環境に馴染むのに時間のかかる俺でも、すんなりと溶け込めた。

 だからこの関係を一分一秒でも長く続けたい。

 耀司以外に大切なものなんて俺にはないんだから。