これは俺からのささやかな復讐



 耀司は少し視線を逸らして、ぽつりと話し出した。

「俺、小二で引っ越してきてから、ずっと親に反抗して部屋に閉じこもっててさ、始業式の日に無理矢理連れ出されたんだよ。生まれた土地を離れて、仲良しだった友達も、大好きだったじいちゃんばあちゃんとも別れてさ、こんな学校ぜってーに行かねー、通うもんかって意地になってた。でも、親に抱えられて職員室来たらさ、すげえガタガタ震えて泣きそうな顔してる奴がいんじゃん。しかも同じクラスって言われて、こいつ俺よりもヤバくねって、すげえ気になっちゃってさ」

「俺じゃんそれ……」

「そう。職員室出て教室に向かう時、ガクガクの足でこの世の終わりみてーな顔しててさ、あんまりにも可哀想でさ、緑の震えてる手を止めてやりたくなってさ。握ったらめっちゃ強く握り返してくるじゃん。そしたら俺まで怒りも、意地も、悔しさも、溶けてくみたいにどうでもよくなった」

「……俺も覚えてる。耀司の手が凄く温かくて安心した」

 同じ歳なのに力強かった。
 ひ弱だった俺にはとても頼もしく見えて、力いっぱい握り返したんだ。

「緑もさ、ガタガタ震えるくらい怖い思いしてんのにさ、勇気振り絞ったんだろ? 転校で俺ばっかりって人生終わった気でいたけど、緑も俺と同じゼロからのスタートじゃん。一緒の奴がいるならいっかって前向きになれたんだ」

「俺だって、耀司がいてくれたから学校にも馴染めたんだ。一人だったらきっと教室の隅でぼっちになってたよ」

 すん、と鼻をすすると、耀司が袖で拭ってきた。
 止めろよ、と笑ってどかした。

「緑、俺の前だと安心しきった顔すんだろ。あれ見せるの、俺だけでいいじゃんって思ってた。だから他の奴と話してるのが、耐えらんなかった。緑の世界は俺だけでいいじゃんってさ」

「うん」

「小三の時、俺のせいで緑がクラスの女子に呼び出されて、過呼吸起こしたの覚えてるだろ? あの時、一生守るって言ったじゃん」

「うん。覚えてる」

「あの頃は、正直よくわかってなかったんだ。ただ放っとけなくて、緑が俺のものみたいな感覚だったんだと思う。中学に入ってからだな。あ、これ好きだわって、自覚したのは」

「うそ……」

「女子が緑に寄らないようにしてたのも、その頃からだよ。最初は罪悪感だったけど……俺のせいで、緑が怖い思いしたって思ってたからさ。でも――」

 耀司は一瞬、言葉を選ぶように視線を落とした。

「成長するうちに、取られる心配がなくなってるって気づいたんだわ。それが、正直……安心だった」

「……それ、俺ずっと偶然だと思ってた」

 そう言えば高校の時田崎が言っていた。耀司の隙がなくて、俺に声を掛けられなかったって。
 あれは本当だったんだ。

「緑が俺の執着心に付き合ってくれてるから、同じ気持ちなんだって、勝手に思い込んでたんだ」

「俺は多分……転校の時、手を握ってくれた時から好きだったんだと思う。俺だけを独占してくれるのが嬉しかったし、耀司に構ってもらいたかったから。耀司を好きな女の子が嫌いだったし、いなくなればいいって思ってる。本当は今も」

 胸の内を伝えると、耀司は目尻を下げ、照れたようにはにかんだ。

「はは、嬉し。そーゆうのもっと言って、俺のこともっと独占してよ。俺のこと好きすぎで、拗らしてるって」

「俺、すげえ激重じゃん……」

 カーッと一気に赤面してしまって口ごもる。
 それを見て耀司がフラットに笑った。

「ふは、正直すぎ。緑かわいい。そのままずっと女なんか苦手でいてよ」
「苦手なのは全部じゃねーよ。田崎も伊藤さんだって平気だし」
「は? 伊藤って」
「だからバイト先の。いい加減覚えろよ」
 知らね、と耀司は拗ねたように唇を尖らせた。

 そういえば耀司には聞かないといけないことがまだあった。

「沼端さんて耀司の事好きだよな。大学で何度か一緒にいたの見た」

 恨めし気に問うと、あー……と、耀司は気まずそうに眉を歪めた。

「違げえ、沼端は緑にラテアートの事ずっと相談したがってて、……でも俺が嫌で、俺が伝えてやるって話聞いてた」
「は? なんで耀司が」
「おまえと一緒にさせたくなかったんだよ。また高校の時みてーに、俺の知らねーとこで繋がられんの嫌だったんだよ」
「──俺、耀司があの子気になってんだって誤解してた」
「んなわけねーよ。緑に近づけさせたくなかっただけ」
「じゃあ、バイト沼端に代わったのは」
「田崎に緑とのことを証明するから来いって言われたらそりゃ行くっしょ。沼端も緑が出勤ってわかってたから代わってくれたんだし」

「そうだったんだ……」

 そう言うと耀司は少しムッとした。

「田崎と三人で会ったあとムトーちゃんから電話来たんだ。緑を保護したって」
「保護て」
「おまえすげえ泣いてたんだろ? すぐ気づいたみたいで、明日まで預かるから家に来いって呼ばれたんだ。でもさすがに二連チャンバイト休めねーから、終わるまでヤキモキしたわ」
「うん……伊藤さんに変わってもらった」
「辞めんなよ。ラテアート好きなんだろ?」

 そう言われて頷いた。できればずっと続けたいと思ってたから。

「緑が辞めたらどうせ俺も辞めるしね。緑いないんなら続ける意味ねーし」
「なんだよそれ」

 やっと心から笑顔になれた。

「先生と田崎に感謝しないと……」
 二人であの時の話をしてくれたこと。俺にはできなかった。

 けれど耀司は苦く目元を歪ました。

「──俺、田崎のことすげえ嫌いだった。緑は女が苦手なはずなのに、好きになったなんて認めらんなくて、名前すら聞きたくなかった。俺のいない場所で連絡取り合って会ってんのかって思うと、嫉妬で頭おかしくなりそうだった」

 一気に吐き出して、グッと唇を噛んだ。

「ごめん──俺はただ……耀司と一緒にいたかっただけなんだ」

 耀司の手を取る。けれど、反対に俺の手を取り握り込んだ。

「どうしても思い出すだけで腹立つ。おまえら三人だけで秘密持ってずっと疎外されてたんだからな。凄げえ悔しい。俺だけ本当のことも知らないで、緑取られたくなくて必死になっててさあ。めっちゃムカつく」

「──ホントごめん、もう耀司しか見ねーから。約束する」

「許すけど、気が済まねーから仕返しする」

「え」

 耀司は俺を逃がさないように握る手の力を強めると、耳元で低く、でも熱を持った声で囁いた。

「緑、もう俺以外の奴を見んな。俺といる時に携帯も触んな。……俺が知らないお前の時間は、もう一分一秒も作らせねーから。今までの嘘、全部後悔するくらい俺で上書きしてやる」

「……それが仕返し?」

「そうだよ。一生かけて、俺のことしか考えらんなくすんの。……これ、俺から緑への、ささやかな復讐」

 あの時と同じ理不尽な要求を言って、耀司はひどく真剣なまなざしを俺に向けた。

 なんだかこみ上げてくるものがあって、グっと喉を詰まらせた。

 高校生の時と同じ、何様なんだよって命令は、今の俺には泣きたくなるくらいに嬉しかった。

 ああ、俺は、これからずっと、耀司からの復讐を受け続けるんだ──

「覚悟しろよ──て、なに嬉しそうにしてんだよ」
「ごめ、……でも、マジで嬉しいんだよ。復讐って……もう、俺、耀司が好きでたまんねー」

 心の中でうれし涙をこぼす。

「守れるんなら今までのことは許してやってもいいけど、許したら終わるから、一生許さないことにする」

 そう言って耀司はドヤった。

「ふはっ、一生か……最高じゃん」
「だろ?」

 二人同時に噴き出した。
 ささやかなんてもんじゃない。
 一生かけて行われる復讐なんて告白より重いじゃんか。
 ──けど、その言葉に俺が救われたってこと、耀司は気づいてんのかな?
 俺は復讐を喜んで受けるよ。
 耀司の気が済むまで、いや、気が済んでも──俺は一生復讐を受け続けよう。

 コツンと頭を小突かれる。おずおずと顔を上げると目が合い、同時に笑顔になった。
 初めて出会った時からずっと好きだった。
 手を握ってくれたあの日から、俺と耀司の時間は動き出したんだ。

「緑」

 耀司がふいに俺を呼ぶ。

「ん?」

 振り返ると、耀司はじっと俺を見ていた。
 その表情がいつになく真剣で、思わず身構える。

「……なに?」
「いや」

 耀司は小さく首を振ると、そっと俺の手を取った。

「え」
「手、繋ぎたくなった」
「は? なんで急に」
「わかんね。……嫌?」

 嫌なわけがない。
 嫌なわけがないけど、心臓がうるさすぎて声が出ない。

「……べつに」

 絞り出すように答えると、耀司は満足そうに笑った。

「じゃあこのまま」

 耀司の手は相変わらず温かくて、小学二年の頃と何も変わらなくて。

 ──ああ、駄目だ。

 好きが溢れて止まらない。
 繋いだ手を、耀司が少しだけ強く握った。
 俺も、同じくらいの力で握り返した。

 耀司の顔が近づく。

「キスしよう?」
「うん──しよう」

 そう答えると、ぎこちなく顔を寄せてキスをした。
 初めてなのに初めてじゃないみたいなキス。

「これ、ファーストキスじゃないよな?」

 耀司に訊いてみた。

「事故チューを装ったキスは何度もしてるじゃん。それに寝てるときにしたこともある」
「だよな。実は俺、子供の頃、耀司が寝てるときにしたことある」

 顔を寄せてクスリと笑った。そしてまた何度もキスをした。
 顔の近さも、頬に当たる吐息も知っている。
 でも凄いドキドキする。

 耀司の携帯が鳴った。先生からだろう。
 通話が終わると、鍵が開き、先生が顔を出した。俺たちを見るなり、ほっとしたように表情を緩めた。

「先生迷惑かけてすみませんでした。高校の時先生が俺に誓った約束は、もう終わりにしてください」
「ん?」
「もう好きなだけ田崎に会ってください。先生死んだら俺が罪悪感で死ねるから」
「──そんな早死にさせるなよ」

 そう言って先生は、ありがとうと小さく呟いた。

「うまくやってください」
「ああ」

 俺は二人の証人だ。
 だから先生にも俺たちの証人になってもらわないと。