これは俺からのささやかな復讐



 習慣だった耀司の目覚ましがなくなっても、朝はいつも通り目が覚めた。

 結局俺は、耀司に起こしてもらいたいためだけに、アラームを無視してたわけで。
 起こしてもらえなければ時間通り起きられるんだ。

 バラバラの朝になって四日目、遠目に耀司をキャンパス内で歩いてるのを見た。
 バイト代で買ったお気に入りのブランドの、黒のワンポイントTシャツに、オフホワイトのカーゴパンツ姿だった。
 ポケットに手を突っ込んで歩く姿はやっぱり様になっていて、目が離せない。
 入学時に切った髪は伸びて、最近は耳にかけるようになった。
 なんだかそれが妙に大人びて見えてカッコいい。
 ──けれど隣にはえみ羽がいて、酷く落ち込んだ。

「緑が耀司と喧嘩なんて初めてじゃね?」

 文系学部にある学食で、ワタルとコースケとテーブルにつく。

「喧嘩か……。確かにそうだよなあ……」

 完全に耀司に避けられてる。
 いつも一緒に利用している中央食堂にすら耀司は来ない。
 さすがに凹んでしまって、品数も少なくこじんまりとした文系学部内の学食に来ている。

 ワタルとコースケはわざわざそんな俺につき合ってくれた。

「耀司が緑を避けるとかあり得ねーんだけど」
「そのあり得ねー事が起きてるかもしんねーの」
 ため息交じりに肩を落とす。
「え、日本終わんじゃん、隕石落ちてくる?」
 とぼけるワタルに、コースケが「止めろよ」と顔をしかめた。

「気ぃ遣うなって。今の俺は地獄の底にいんだから」
「なんで?」
「言いたくない」

 大学名物のコロッケそばをすする。
 衣が汁にひたったコロッケなんか美味いわけねーじゃんと、入学当初耀司と半信半疑で食べにきた。
 案外出汁の効いた汁と揚げ物がマッチして、二人でハマって連続で食べた。
 だけど今は全然味がしない。
 ずるん、と衣が外れて中の具がボロボロと汁に沈んでいく。
 まるで俺みたい。
 沈殿したまま浮上できない。

「緑は秘密主義だよな、なーんも教えてくれねーし。田崎とつき合ってた時も秘密だったし、別れたのも教えてくんなかったじゃん」
 コロッケをボロボロにしている俺を見て、ワタルが愚痴をこぼすとコースケもうんうんと頷いた。
「しんどそうな顔してても何も相談してくんねーもんなあ」
「そそ、落ち込んだ緑につき合って麺しかねー学食きてんのにさ」

 食欲もなく伸びたソバを一本ずつすする。
 二人はあっという間に食べて、俺が終わるのを待っていた。

「ごめんて。明日午後からバイトなんだよ。耀司と顔合わすのちょっと怖くてさ」

「気まずいんじゃなくて怖いの?」
 コースケが訊く。

「また避けられたらって思うと怖えーじゃん」

「悩むくらいならさ、もっと強引にさ、有無を言わせずにぶつかってけばいーじゃん。耀司もそれ待ってるかもよ? おまえらってずっと一緒にいんだからさ、どうするべきかなんて手に取るようにわかるっしょ」

 ワタルは俺らを転校してきた時から知ってる。

「そうだったっけ……」

 先生が言っていた。
 好意を持っている相手とは、少なからず同じ気持ちを抱いていると。
 それが、ラブとライクの違いだったとしても、確かに俺達はお互いが好きだ。
 友情と、愛情と。
 いつからか、枝分かれしてしまった情の違い。
 元は同じだったのに。

「あいつだって緑と顔合わすのこえーんだと思うぜ」
「なんで」
 伸びたソバを一本ずつすする手を止めて、俺はワタルを見た。

「緑さ、自分だけが地獄にいるみたいな顔してるけど、耀司だって思うところあるんじゃね?」
「……なんでだよ。あいつさっき沼端と一緒にいたじゃん」

 思い出してしまってまた落ち込んだ。

「あいつ、緑を避けてるけどさ、」

 ワタルが箸を止め、呆れたように肩をすくめた。

「俺が駅でダチにメッセ送ってたら、突然俺のスマホ覗き込んできてさ。ビビったわ。あれ絶対、おまえに送ってんのか確認したんだぜ」
「うそ……」

 思わず声が漏れて、俺は驚いた。

「緑のこと、気になって仕方ねーんだよな」

 ワタルはそう言って、俺の反応を確かめるようにちらりと見る。

「そうそう」

 隣で聞いていたコースケも、真顔で頷いた。

「だから早く、仲直りしてこいって」

 ワタルは背もたれに寄りかかり、念を押すように言った。

 自分だけじゃない。
 それがわかっただけで、胸の奥がひどく痛んだ。

 こんなんじゃ駄目だ。

 避け合ったままじゃあ何も伝わらない。
 このまま何もしないでいる方がもっと怖かった。


 土曜日、午後からのバイトに向かう途中、何度も足が止まりかけた。
 それでも、駅へ向かう流れに逆らえず、俺はそのまま歩き続けた。
 嘘を解く。
 真正面からぶつかって、全部話す。
 そう決めたはずなのに、足はまだ震えている。

 謝って、謝って、たくさん謝って。
 正直に自分の気持ちを耀司に伝えるんだ。
 そこからの判断は耀司に任せればいい。

 緊張のまま、お疲れ様ですと店内に入ると耀司はまだいなかった。
 スタッフルームで今日のシフト表を確認すると──耀司の出勤は消されていた。
 代わりに入っていたのは──えみ羽だった。

「お疲れさまです」

 今日はシフトに入っていなかったはずのえみ羽が入ってきて、なんで? と声が出そうになった。
 バイト用のグループメッセには、そんな連絡は流れていなかった。
 なんで、いつの間に耀司からえみ羽に変更になったのか、訳が分からなかった。
 ロッカールームで着替えを済ませ、事務所兼スタッフルームに行くと、えみ羽が鏡の前で髪をまとめていた。

「あ、川嶋君お疲れ様、一緒になるの久しぶりだね」
「もしかして耀司とシフト交換した?」

 笑顔で挨拶するえみ羽に答えず、俺は表情を失くしたまま訊いていた。

「あ、うん。何か急用入ったみたいで」
 伺うような仕草。

「へえ……」

 えみ羽と交代までして、徹底的に避けるなんて。
 ──ぶつからせてもくれないんだ。
 耀司の答えを訊いたような気がした。

「川嶋君? あの、私、相談したいことがあって。なかなかシフト被んないから、その、ライン送ってもいい?」

 えみ羽が遠慮がちに言うのが俺の頭には入って来ない。

「ごめん、今度」

 頭の中が真っ白になってしまって、それだけ言って事務所を出た。

 時間だけが過ぎていく。
 無理して笑顔を作って、なんとかバイトをこなしたけれど、家まで帰る気になれなかった。
 目的なんてなくて、ただあてどもなく、足が勝手に進む方へ向かう。

 ふと、引っ越してきた頃に、よく耀司と遊びに来ていた公園が目に入った。
 ここは、小さかったノエルを散歩させていた時に見つけた場所だ。

「この公園、こんなに狭かったっけ」
 懐かしさが胸に広がり、気がつけば公園に足が向いていた。
 園内のベンチにそっと腰を下ろす。

 ブランコと滑り台と砂場しかない、小さな児童公園だった。
 けれど子供の頃はもうちょっと広く感じていた気がする。

 大勢で遊ぶのが苦手で、すぐ黙り込んでしまう俺にとって、大きな公園は居心地の悪い場所でしかなかった。
 けれどここには、小さな子が砂場で遊び、老人がひと休みしているだけで、騒がしさがない。
 耀司と二人で過ごしたこの公園は、不思議なくらい心が落ち着いたのを思い出す。

 携帯を見ると先生からメッセージが来ていた。
 無事昨日退院したこと、田崎は今日大阪に戻ったことが長文で書かれていた。
「相変わらず長いよなぁ」
 ぽつりと声に出た。
 そして最後には、『いつでも養子に来い』という文字にハハッと、乾いた笑いをした。
 田崎との会話、全部筒抜けじゃん。

 あの時に言われた言葉が、先生の声で頭の中で何度もリピートする。
 友達を終わらせろだなんて。
 それがどれだけ俺にとって世界の終わりと同じなのか、わかってんのかな。
 先生は頑張った先に見えるものがあると教えてくれた。

 受験を通して俺が掴もうとしたものは。
 耀司との未来なんだ。
 でも耀司が俺との未来を切ったのなら、もう意味はないんだ。

 ぬるい夜風が頬を掠め、じわじわと汗がにじんだ。
 それと一緒に涙も浮かんだ。
 湿気を含んだ空気が半袖の腕にまとわりついて、何だか重く感じた。

 もう駄目なのかな。

 会ってもくれないなんて、俺は甘かったんだな。
 涙が一度あふれたら、もう止まらなかった。