6
習慣だった耀司の目覚ましがなくなっても、朝はいつも通り目が覚めた。
結局俺は、耀司に起こしてもらいたいためだけに、アラームを無視してたわけで。
起こしてもらえなければ時間通り起きられるんだ。
バラバラの朝になって四日目、遠目に耀司をキャンパス内で歩いてるのを見た。
バイト代で買ったお気に入りのブランドの、黒のワンポイントTシャツに、オフホワイトのカーゴパンツ姿だった。
ポケットに手を突っ込んで歩く姿はやっぱり様になっていて、目が離せない。
入学時に切った髪は伸びて、最近は耳にかけるようになった。
なんだかそれが妙に大人びて見えてカッコいい。
──けれど隣にはえみ羽がいて、酷く落ち込んだ。
「緑が耀司と喧嘩なんて初めてじゃね?」
文系学部にある学食で、ワタルとコースケとテーブルにつく。
「喧嘩か……。確かにそうだよなあ……」
完全に耀司に避けられてる。
いつも一緒に利用している中央食堂にすら耀司は来ない。
さすがに凹んでしまって、品数も少なくこじんまりとした文系学部内の学食に来ている。
ワタルとコースケはわざわざそんな俺につき合ってくれた。
「耀司が緑を避けるとかあり得ねーんだけど」
「そのあり得ねー事が起きてるかもしんねーの」
ため息交じりに肩を落とす。
「え、日本終わんじゃん、隕石落ちてくる?」
とぼけるワタルに、コースケが「止めろよ」と顔をしかめた。
「気ぃ遣うなって。今の俺は地獄の底にいんだから」
「なんで?」
「言いたくない」
大学名物のコロッケそばをすする。
衣が汁にひたったコロッケなんか美味いわけねーじゃんと、入学当初耀司と半信半疑で食べにきた。
案外出汁の効いた汁と揚げ物がマッチして、二人でハマって連続で食べた。
だけど今は全然味がしない。
ずるん、と衣が外れて中の具がボロボロと汁に沈んでいく。
まるで俺みたい。
沈殿したまま浮上できない。
「緑は秘密主義だよな、なーんも教えてくれねーし。田崎とつき合ってた時も秘密だったし、別れたのも教えてくんなかったじゃん」
コロッケをボロボロにしている俺を見て、ワタルが愚痴をこぼすとコースケもうんうんと頷いた。
「しんどそうな顔してても何も相談してくんねーもんなあ」
「そそ、落ち込んだ緑につき合って麺しかねー学食きてんのにさ」
食欲もなく伸びたソバを一本ずつすする。
二人はあっという間に食べて、俺が終わるのを待っていた。
「ごめんて。明日午後からバイトなんだよ。耀司と顔合わすのちょっと怖くてさ」
「気まずいんじゃなくて怖いの?」
コースケが訊く。
「また避けられたらって思うと怖えーじゃん」
「悩むくらいならさ、もっと強引にさ、有無を言わせずにぶつかってけばいーじゃん。耀司もそれ待ってるかもよ? おまえらってずっと一緒にいんだからさ、どうするべきかなんて手に取るようにわかるっしょ」
ワタルは俺らを転校してきた時から知ってる。
「そうだったっけ……」
先生が言っていた。
好意を持っている相手とは、少なからず同じ気持ちを抱いていると。
それが、ラブとライクの違いだったとしても、確かに俺達はお互いが好きだ。
友情と、愛情と。
いつからか、枝分かれしてしまった情の違い。
元は同じだったのに。
「あいつだって緑と顔合わすのこえーんだと思うぜ」
「なんで」
伸びたソバを一本ずつすする手を止めて、俺はワタルを見た。
「緑さ、自分だけが地獄にいるみたいな顔してるけど、耀司だって思うところあるんじゃね?」
「……なんでだよ。あいつさっき沼端と一緒にいたじゃん」
思い出してしまってまた落ち込んだ。
「あいつ、緑を避けてるけどさ、」
ワタルが箸を止め、呆れたように肩をすくめた。
「俺が駅でダチにメッセ送ってたら、突然俺のスマホ覗き込んできてさ。ビビったわ。あれ絶対、おまえに送ってんのか確認したんだぜ」
「うそ……」
思わず声が漏れて、俺は驚いた。
「緑のこと、気になって仕方ねーんだよな」
ワタルはそう言って、俺の反応を確かめるようにちらりと見る。
「そうそう」
隣で聞いていたコースケも、真顔で頷いた。
「だから早く、仲直りしてこいって」
ワタルは背もたれに寄りかかり、念を押すように言った。
自分だけじゃない。
それがわかっただけで、胸の奥がひどく痛んだ。
こんなんじゃ駄目だ。
避け合ったままじゃあ何も伝わらない。
このまま何もしないでいる方がもっと怖かった。
土曜日、午後からのバイトに向かう途中、何度も足が止まりかけた。
それでも、駅へ向かう流れに逆らえず、俺はそのまま歩き続けた。
嘘を解く。
真正面からぶつかって、全部話す。
そう決めたはずなのに、足はまだ震えている。
謝って、謝って、たくさん謝って。
正直に自分の気持ちを耀司に伝えるんだ。
そこからの判断は耀司に任せればいい。
緊張のまま、お疲れ様ですと店内に入ると耀司はまだいなかった。
スタッフルームで今日のシフト表を確認すると──耀司の出勤は消されていた。
代わりに入っていたのは──えみ羽だった。
「お疲れさまです」
今日はシフトに入っていなかったはずのえみ羽が入ってきて、なんで? と声が出そうになった。
バイト用のグループメッセには、そんな連絡は流れていなかった。
なんで、いつの間に耀司からえみ羽に変更になったのか、訳が分からなかった。
ロッカールームで着替えを済ませ、事務所兼スタッフルームに行くと、えみ羽が鏡の前で髪をまとめていた。
「あ、川嶋君お疲れ様、一緒になるの久しぶりだね」
「もしかして耀司とシフト交換した?」
笑顔で挨拶するえみ羽に答えず、俺は表情を失くしたまま訊いていた。
「あ、うん。何か急用入ったみたいで」
伺うような仕草。
「へえ……」
えみ羽と交代までして、徹底的に避けるなんて。
──ぶつからせてもくれないんだ。
耀司の答えを訊いたような気がした。
「川嶋君? あの、私、相談したいことがあって。なかなかシフト被んないから、その、ライン送ってもいい?」
えみ羽が遠慮がちに言うのが俺の頭には入って来ない。
「ごめん、今度」
頭の中が真っ白になってしまって、それだけ言って事務所を出た。
時間だけが過ぎていく。
無理して笑顔を作って、なんとかバイトをこなしたけれど、家まで帰る気になれなかった。
目的なんてなくて、ただあてどもなく、足が勝手に進む方へ向かう。
ふと、引っ越してきた頃に、よく耀司と遊びに来ていた公園が目に入った。
ここは、小さかったノエルを散歩させていた時に見つけた場所だ。
「この公園、こんなに狭かったっけ」
懐かしさが胸に広がり、気がつけば公園に足が向いていた。
園内のベンチにそっと腰を下ろす。
ブランコと滑り台と砂場しかない、小さな児童公園だった。
けれど子供の頃はもうちょっと広く感じていた気がする。
大勢で遊ぶのが苦手で、すぐ黙り込んでしまう俺にとって、大きな公園は居心地の悪い場所でしかなかった。
けれどここには、小さな子が砂場で遊び、老人がひと休みしているだけで、騒がしさがない。
耀司と二人で過ごしたこの公園は、不思議なくらい心が落ち着いたのを思い出す。
携帯を見ると先生からメッセージが来ていた。
無事昨日退院したこと、田崎は今日大阪に戻ったことが長文で書かれていた。
「相変わらず長いよなぁ」
ぽつりと声に出た。
そして最後には、『いつでも養子に来い』という文字にハハッと、乾いた笑いをした。
田崎との会話、全部筒抜けじゃん。
あの時に言われた言葉が、先生の声で頭の中で何度もリピートする。
友達を終わらせろだなんて。
それがどれだけ俺にとって世界の終わりと同じなのか、わかってんのかな。
先生は頑張った先に見えるものがあると教えてくれた。
受験を通して俺が掴もうとしたものは。
耀司との未来なんだ。
でも耀司が俺との未来を切ったのなら、もう意味はないんだ。
ぬるい夜風が頬を掠め、じわじわと汗がにじんだ。
それと一緒に涙も浮かんだ。
湿気を含んだ空気が半袖の腕にまとわりついて、何だか重く感じた。
もう駄目なのかな。
会ってもくれないなんて、俺は甘かったんだな。
涙が一度あふれたら、もう止まらなかった。
習慣だった耀司の目覚ましがなくなっても、朝はいつも通り目が覚めた。
結局俺は、耀司に起こしてもらいたいためだけに、アラームを無視してたわけで。
起こしてもらえなければ時間通り起きられるんだ。
バラバラの朝になって四日目、遠目に耀司をキャンパス内で歩いてるのを見た。
バイト代で買ったお気に入りのブランドの、黒のワンポイントTシャツに、オフホワイトのカーゴパンツ姿だった。
ポケットに手を突っ込んで歩く姿はやっぱり様になっていて、目が離せない。
入学時に切った髪は伸びて、最近は耳にかけるようになった。
なんだかそれが妙に大人びて見えてカッコいい。
──けれど隣にはえみ羽がいて、酷く落ち込んだ。
「緑が耀司と喧嘩なんて初めてじゃね?」
文系学部にある学食で、ワタルとコースケとテーブルにつく。
「喧嘩か……。確かにそうだよなあ……」
完全に耀司に避けられてる。
いつも一緒に利用している中央食堂にすら耀司は来ない。
さすがに凹んでしまって、品数も少なくこじんまりとした文系学部内の学食に来ている。
ワタルとコースケはわざわざそんな俺につき合ってくれた。
「耀司が緑を避けるとかあり得ねーんだけど」
「そのあり得ねー事が起きてるかもしんねーの」
ため息交じりに肩を落とす。
「え、日本終わんじゃん、隕石落ちてくる?」
とぼけるワタルに、コースケが「止めろよ」と顔をしかめた。
「気ぃ遣うなって。今の俺は地獄の底にいんだから」
「なんで?」
「言いたくない」
大学名物のコロッケそばをすする。
衣が汁にひたったコロッケなんか美味いわけねーじゃんと、入学当初耀司と半信半疑で食べにきた。
案外出汁の効いた汁と揚げ物がマッチして、二人でハマって連続で食べた。
だけど今は全然味がしない。
ずるん、と衣が外れて中の具がボロボロと汁に沈んでいく。
まるで俺みたい。
沈殿したまま浮上できない。
「緑は秘密主義だよな、なーんも教えてくれねーし。田崎とつき合ってた時も秘密だったし、別れたのも教えてくんなかったじゃん」
コロッケをボロボロにしている俺を見て、ワタルが愚痴をこぼすとコースケもうんうんと頷いた。
「しんどそうな顔してても何も相談してくんねーもんなあ」
「そそ、落ち込んだ緑につき合って麺しかねー学食きてんのにさ」
食欲もなく伸びたソバを一本ずつすする。
二人はあっという間に食べて、俺が終わるのを待っていた。
「ごめんて。明日午後からバイトなんだよ。耀司と顔合わすのちょっと怖くてさ」
「気まずいんじゃなくて怖いの?」
コースケが訊く。
「また避けられたらって思うと怖えーじゃん」
「悩むくらいならさ、もっと強引にさ、有無を言わせずにぶつかってけばいーじゃん。耀司もそれ待ってるかもよ? おまえらってずっと一緒にいんだからさ、どうするべきかなんて手に取るようにわかるっしょ」
ワタルは俺らを転校してきた時から知ってる。
「そうだったっけ……」
先生が言っていた。
好意を持っている相手とは、少なからず同じ気持ちを抱いていると。
それが、ラブとライクの違いだったとしても、確かに俺達はお互いが好きだ。
友情と、愛情と。
いつからか、枝分かれしてしまった情の違い。
元は同じだったのに。
「あいつだって緑と顔合わすのこえーんだと思うぜ」
「なんで」
伸びたソバを一本ずつすする手を止めて、俺はワタルを見た。
「緑さ、自分だけが地獄にいるみたいな顔してるけど、耀司だって思うところあるんじゃね?」
「……なんでだよ。あいつさっき沼端と一緒にいたじゃん」
思い出してしまってまた落ち込んだ。
「あいつ、緑を避けてるけどさ、」
ワタルが箸を止め、呆れたように肩をすくめた。
「俺が駅でダチにメッセ送ってたら、突然俺のスマホ覗き込んできてさ。ビビったわ。あれ絶対、おまえに送ってんのか確認したんだぜ」
「うそ……」
思わず声が漏れて、俺は驚いた。
「緑のこと、気になって仕方ねーんだよな」
ワタルはそう言って、俺の反応を確かめるようにちらりと見る。
「そうそう」
隣で聞いていたコースケも、真顔で頷いた。
「だから早く、仲直りしてこいって」
ワタルは背もたれに寄りかかり、念を押すように言った。
自分だけじゃない。
それがわかっただけで、胸の奥がひどく痛んだ。
こんなんじゃ駄目だ。
避け合ったままじゃあ何も伝わらない。
このまま何もしないでいる方がもっと怖かった。
土曜日、午後からのバイトに向かう途中、何度も足が止まりかけた。
それでも、駅へ向かう流れに逆らえず、俺はそのまま歩き続けた。
嘘を解く。
真正面からぶつかって、全部話す。
そう決めたはずなのに、足はまだ震えている。
謝って、謝って、たくさん謝って。
正直に自分の気持ちを耀司に伝えるんだ。
そこからの判断は耀司に任せればいい。
緊張のまま、お疲れ様ですと店内に入ると耀司はまだいなかった。
スタッフルームで今日のシフト表を確認すると──耀司の出勤は消されていた。
代わりに入っていたのは──えみ羽だった。
「お疲れさまです」
今日はシフトに入っていなかったはずのえみ羽が入ってきて、なんで? と声が出そうになった。
バイト用のグループメッセには、そんな連絡は流れていなかった。
なんで、いつの間に耀司からえみ羽に変更になったのか、訳が分からなかった。
ロッカールームで着替えを済ませ、事務所兼スタッフルームに行くと、えみ羽が鏡の前で髪をまとめていた。
「あ、川嶋君お疲れ様、一緒になるの久しぶりだね」
「もしかして耀司とシフト交換した?」
笑顔で挨拶するえみ羽に答えず、俺は表情を失くしたまま訊いていた。
「あ、うん。何か急用入ったみたいで」
伺うような仕草。
「へえ……」
えみ羽と交代までして、徹底的に避けるなんて。
──ぶつからせてもくれないんだ。
耀司の答えを訊いたような気がした。
「川嶋君? あの、私、相談したいことがあって。なかなかシフト被んないから、その、ライン送ってもいい?」
えみ羽が遠慮がちに言うのが俺の頭には入って来ない。
「ごめん、今度」
頭の中が真っ白になってしまって、それだけ言って事務所を出た。
時間だけが過ぎていく。
無理して笑顔を作って、なんとかバイトをこなしたけれど、家まで帰る気になれなかった。
目的なんてなくて、ただあてどもなく、足が勝手に進む方へ向かう。
ふと、引っ越してきた頃に、よく耀司と遊びに来ていた公園が目に入った。
ここは、小さかったノエルを散歩させていた時に見つけた場所だ。
「この公園、こんなに狭かったっけ」
懐かしさが胸に広がり、気がつけば公園に足が向いていた。
園内のベンチにそっと腰を下ろす。
ブランコと滑り台と砂場しかない、小さな児童公園だった。
けれど子供の頃はもうちょっと広く感じていた気がする。
大勢で遊ぶのが苦手で、すぐ黙り込んでしまう俺にとって、大きな公園は居心地の悪い場所でしかなかった。
けれどここには、小さな子が砂場で遊び、老人がひと休みしているだけで、騒がしさがない。
耀司と二人で過ごしたこの公園は、不思議なくらい心が落ち着いたのを思い出す。
携帯を見ると先生からメッセージが来ていた。
無事昨日退院したこと、田崎は今日大阪に戻ったことが長文で書かれていた。
「相変わらず長いよなぁ」
ぽつりと声に出た。
そして最後には、『いつでも養子に来い』という文字にハハッと、乾いた笑いをした。
田崎との会話、全部筒抜けじゃん。
あの時に言われた言葉が、先生の声で頭の中で何度もリピートする。
友達を終わらせろだなんて。
それがどれだけ俺にとって世界の終わりと同じなのか、わかってんのかな。
先生は頑張った先に見えるものがあると教えてくれた。
受験を通して俺が掴もうとしたものは。
耀司との未来なんだ。
でも耀司が俺との未来を切ったのなら、もう意味はないんだ。
ぬるい夜風が頬を掠め、じわじわと汗がにじんだ。
それと一緒に涙も浮かんだ。
湿気を含んだ空気が半袖の腕にまとわりついて、何だか重く感じた。
もう駄目なのかな。
会ってもくれないなんて、俺は甘かったんだな。
涙が一度あふれたら、もう止まらなかった。
