母に大学の学祭に見学に行く、と言うと日曜日に都会まで服を買いに連れて行ってくれた。
店員さんに聞いて買った、太めのショートのカーゴパンツとオーバーサイズの半袖シャツのセットアップ。
白いバッシュとベージュのビーニー、下に着る長袖シャツも買ってもらって、かなりの出費だったはずだ。服に興味を示した息子に母は気前がよかった。
5月4日。
渓国大で行われる学祭当日の朝。
「ひーくん、ぐるっと回って」
新しい服を身につけ、母親に見せるためにその場でぐるりとまわる。
「変じゃない?」
「かわいいよ」夜勤明けの母は疲れのにじんだ顔で僕に抱きついて、頬にキスした。
165センチある母のほうが背が高く、腕にすっぽり包まれる。
「気をつけて行ってきてね」
「うん。ママはゆっくり寝て」
駅で待ち合わせた零児は、いつもの服装だった。よれたバンドTシャツにジーンズ、ナイキのスニーカー。手ぶらでポケットに財布。4月に会った時から伸ばしっぱなしの髪はハーフアップになって、珍しく顔が見えている。
「おはよ、零児」
「服、いいじゃん。BANSHEEに会うもしれないからおしゃれしてんの」
「うん。行こう」顔が赤くなるのを感じた。そうだ、今日BANSHEEに会えるかもしれない。
大学に入り、体育館にたどり着いた所までは順調だった。
あちこちに自分と同じような服装の男性がいて、『浮かない服』というリクエストに対しての店員の提案は正解だった事を知る。
体育館から続く廊下を
バカでかい『WELCOME』や『BANSHEE』と書かれた手書きのパネルや紙袋を、一人で運んでいる女の子がいた。
「手伝います」零児は女の子の所へ近づき、横からヒョイとパネルに手を添え、軽々と持ち上げた。
「ありがとう!重くて……、こっちです」あとについて校舎内の廊下をゆく。大学は土足なのだ。
片側にロッカーがずらりと並ぶ長い廊下を進み、『BANSHEE様 控室』と書かれた紙がドアに貼られた部屋に入る。
思わず零児を見たが、零児は「ここです」といった女の子の方を見ていた。
女の子が零児をかっこいい、と思っているのが表情で分かる。
控室の中にBANSHEEは居なかった。
いたのは男女複数の学生で、パーカーやチノパン、ジャージの人もいれば、ジャケットを着てきちんとした雰囲気の人もいた。
首から『実行委員』と書かれた札を下げている。
「これ、どこに置きますか」
「黒板のほうにお願いします。運んでくれてありがとう」
零児はスタスタと前まで運び、学生たちがパネルをホワイトボードにくくりつけて、固定しようとしている間、支えていた。
「背が高い人がいて助かった。180センチくらい?」
「いや、全然。この間測ったら175でした」
「学部どこですか?」長い金髪の女の子が零児のすぐ隣で見上げながら聞いた。
「ここの学生じゃないんです。友達と2人で学校見学に来ました」零児が僕を振り返り、部屋中の『実行委員』もこちらを見たので頭を下げる。
「高校生かぁ」
女の子たちが苦笑した。この人たちにとっては高校生は人間関係の対象外なのだろう。
「三年生?」金髪の女の子が零児に聞いた。
「はい。ここ、BANSHEEさんの控室なんですね。俺と友達、ファンなんでパネル運べて嬉しかったです」三年生といっても、本当は中学三年生だ。
「BANSHEE好きなんだ、渋いね」
ジャージを着てあごひげを生やしたガッチリと肩幅の広い男性が、零児を指さし、インワードリップベースをやった。マイクなしでも天井の低い部屋に響く。
「え、すごいっすね。俺には出来ない。響は出来る?」
「インワードリップベースは無理……インワードリップロール単発なら」
そうは言ったが立て続けにインワードリップロールは失敗し、5度目で成功した。ファルセットで『I did it!』と言ってから6度目も成功し、ホッとする。
「やるじゃん。一生懸命で、顔も声もかわいい。俺は蜂巣」蜂巣と名乗るジャージ男と握手する。
「上戸です。こっちは坂本です」零児も軽く会釈する。
「坂本くん、BANSHEEのライブまで大学を案内してあげる」金髪の女の子は零児を見上げ、あからさまにアプローチをかけた。
「俺たちチケット取れなかったんで」
「付属校じゃないの?」
「公立ッス」
「そうか。ゾッキにしか売れないもんな」ジャケット姿の賢そうな男の人が言った。
ゾッキ、というのは付属校生のことだろうと、想像はつく。
蜂巣が僕を見てにこりとした。サングラスにヒゲ、あからさまにいかついが、不思議と優しそうだと感じる。
「今回はライブハウスの方も18歳以上なんだ。二人が大学生になったら招待するから声かけて。Beehiveって名前でビートボクサーをやってます」
「ハイ。ありがとうございます」名前に聞き覚えがある。ハードコアのビートボクサーだったはずだ。
「上戸くんの声はすごくいい。言われたことあるでしょ。その声域で歌える?」
「歌えます」蜂巣は長袖ジャージを脱いでタンクトップになり、見栄え良く筋肉のついた体に彫られた胸のタトゥーがチラリと見えた。
「こっちおいで。歌ってるのを聞かせてもらえる?好きな曲を教えて」蜂巣は集団から離れ、部屋の隅の袋からデカいキーボードを出し、机に置いて電源を挿した。
「コールユアネーム」
「去年のヒットソングか。王道」
キーボードから出たのはピアノではなく、シンセサイザーの音だ。
「楽譜は見ないんですか」
「俺はいらないタイプなんだよね」キーボードに導かれるように歌う。
蜂巣は最初は弾きながら歌声を聞いて何度もうなずき、途中から弾くのは止めて僕が歌うのに最後までビートボックスで合わせてくれた。
歌い終わる。
「響くんはバイリンガル?」
「英語は苦手です」
「歌うトレーニングを受けた事は」
「ありません。歌うのはあまり好きじゃなくて。でも今歌ったのはすごく楽しかったです」
「来年どの学部でもいい。うちにくることを考えてる?俺はここで教えてる」
急に悲しくなった。凄く気持ちよく歌わせてくれた彼を騙している。
「ごめんなさい」
「あー、どうした?」蜂巣の目がサングラス越しにこちらを見て、腰を抱かれ膝に座らされた。
涙はかろうじて踏みとどまった。
「蜂巣先生何したの?アカハラ?」女の人がこちらを見て声をかけた。
「Beehiveさん、ごめんなさい」
「君、ホントは何歳?」
「……14歳です」
「BANSHEEに会いたくて来たんだね」
「ハイ」ポケットからスマホを出し、カバーに入れたステッカーを見せる。本当はステッカーじゃない。BANSHEEのグッズは存在しない。これはロゴを見て自分で描いたのだ。
「響、どうした?」
「帰ろう。零児」
「レイジ?そうか、この声、Echo/ RAGE?」
「……ハイ。すみません。響、こっち来い」
蜂巣の手がガッチリと僕の腰を抱えていて、立ち上がる事ができなかった。零児の顔に今まで見たことのない怒りと苛立ちが現れ、蜂巣のサングラス越しの目はそこに何かを見いだしたようだった。
「サカモトレイジくん……お父さんってドラマーの坂本英太さん?」
「違います。響を返してください」
蜂巣の手が緩み、膝から立ち上がって零児と一緒に教室を出た。出る前に蜂巣を振り返り一礼すると、こちらに向かって手を振っていた。
震える手を繋ぎ、暗い廊下を進む。
「ごめん、零児。ごめん」我慢できなくて泣く。零児は何も言わず、ただつないだ手を強く握った。



