帰りのホームルームが終わった。
「上戸、渡すものがある」
「ハイ」
美濃先生の机の前まで行くと、大きめの茶封筒を渡された。封筒の口はノリで閉じられている。
「スマホの返却だ」
「すみませんでした」頭を下げる。
「何度も聞いて悪いが、所持の申請は必要ないのか」
「ハイ」
「中に受領証が入っているから、保護者からサインをもらって明日もって来るように。ああそうだ、上戸にスカウトが来ている。音楽の積木先生がぜひ合唱部にはいれと言ってるぞ」
「3年なんで、今から入っても7月に引退です」
「それでも、一度くらい練習に顔を出してほしいと伝言だ。伝えたからな」
部活に参加するつもりはない。歌は好きで、でもグループにはいるのは気が引けた。
茶封筒のなかのスマホの感触を感じながら、自分の席に戻ると零児の席は空だった。
今日は金曜日だ。スクールバッグにジャージを押し込む。
「上戸って高校どこ行く?」辻村が今日配られた進路希望のプリントをひらひらさせながら言った。
「県立金ヶ崎って書いた」
「頭いいじゃん」
「書くのは自由。辻村は?」
「私立の國府。サッカー部が強いんだ。行ってもレギュラーになれるかわからない。ほどほどの学校でレギュラー取るか、強豪でベンチ。上戸ならどうする?」真剣な辻村のまなざしに、これはちゃんとした相談だ、と思う。
「國府は推薦?」
「この後の試合の出来次第」
「俺なら推薦希望って書いて一旦忘れて、試合が終わってから悩むと思う」
「サンキュー、確かに」辻村はプリントをバッグに入れ、勢いよくジッパーを閉めた。
教室を出ると、廊下に零児が立っていて、美濃先生から何か言われ「ちょっと今は柔道は無理ッス」と言った。美濃先生は零児の肩に手を置き、少し黙った後「わかった」とつぶやいて職員室の方へ去っていった。
「先に帰ったのかと思った。スマホが返ってきたから、もう零児にビートボックスに付き合ってもらうのもオシマイ。先生、月曜日に返してくれたらよかったのに」
「今日、みんなの前でやってみてどうだった」
「ボロボロだったからリベンジしたい。零児は安定してたと思う。音が重くて、やってる時の顔も無でカッコいい」
「響は笑ってた」
「うわ……恥ずかしい、顔もすぐ赤くなる。人前に出るの向いてない」
「いや、ビートボックスが好きで笑いながら音出してるのは、全然恥ずかしくないだろ」
「ビートボックスの前にもさ、辻村の下ネタで笑っちゃって、零児が俺に引いてるの見てたら笑いが止まらなくなって、もうダメだった。今思い出しても笑える」
「今日は予定あるか」
「無い。部屋でのビートボックスもママに禁止された」
「線路沿いの高架下の小さな公園分かる?ブランコだけあって、他に何もないところ」
「わかるよ」
「あそこなら周りに家もない人も通らない。ビートボックスの練習をしても迷惑にならない」
零児を見上げ、長い前髪の隙間からこちらを見下ろす目を見る。
「零児はビートボックス続けるんだ」
「スマホ返ってきたら撮影するって言ってたの響だろ?」
ハイタッチをして、ピリリ!と零児が得意なスマホの音真似を2人でする。
「零児と俺は友達ってこと?」
「は?今までなんだと思ってたんだ」
家に帰り洗濯物を取り込んで畳む。米を炊き、宿題を終わらせ、炊き上がったご飯と冷蔵庫に入っている夕食を食べて、宿題を終わらせる。
零児はスマホもパソコンも持っていない。家には固定電話もない。父親がいると厄介なので家に来るなと零児からは言われていて、つまり連絡を取る方法は無かった。
チャイムが鳴り、鍵とスマホと水筒を持って玄関へ行く。
ドアを開けると思った通りの人がいた。
「零児、来れたんだ」
「公園行こうぜ」
ほの暗いアパートの階段を降り、零児のよれたバンドTシャツを着た背中に、嫉妬とも違う、焦れたような気持ちになる。
貧弱な自分とは何もかも違う。
車通りの多い道を渡り、線路沿いを歩く。歩行者はいない。この道を行った先は工場街だ。
「1週間ぶりにスマホ見たんだけど、BANSHEEが渓国大の学祭のイベントと、寿町にあるライブハウスに来る。学祭は学生限定、ライブは20歳以上。あーあ。会場の外にいたら聞こえるかな」
「いつ?」
「来月の4日。GW」
公園に着いた。片側には高い塀があり、その向こうが線路になっている。電車は屋根の方しか見えないが、揺れと音がうるさかった。
道路沿いの公園は近くに民家もなく、街灯が静かにブランコを照らしている。
ブランコを囲う柵に腰を下ろし、零児のルーティンのお手本の動画を見る。
「ギガ大丈夫?」
「外で見るやつはダウンロードしてきたから平気」
ひとしきり聞きながら練習する。動画を見るのをやめ、立ち上がって練習し始めた零児の手がリズムや高低に連動し自然に動いている。
時折通る電車に邪魔されるが、人は全く通らない。次第に大胆になり、大きめの音を意識的に出す。
家では遠慮がちな音量しか出せなかった。
練習でのどが渇いた。水筒の麦茶を飲み、手ぶらでやってきた零児にも差し出す。
「零児ってまわしのみ、無理?」
零児は汗がにじんだ額にかかる髪をかきあげ、黙って水筒を僕の手からとり、こちらを見ながらひと口飲んだ。
街灯の寒々しい白い光が、零児の露わになった顔を照らす。
「飲める」
戻って来た水筒を僕はもう一度飲み、蓋をした。
あっという間に八時を過ぎて、歩いて帰る。
「ビートボックスの動画をアップする時の名前どうしようか」
「響は?」
「俺はEcho」
「『響き』だからEchoか」
「うん」
「零児だから『RAGE』でいいや」
「バンドのRATMのレイジとおなじスペリング?」
「そう。親父がRATMのファンで俺にレイジって付けた。刑務所に入るまではドラマーだったらしい」
ドラマーの息子がビートボックスが得意だと思えば、何の不思議もない。
零児が教室でビートボックスを披露した時のきらめきのようなもの、周りの彼を見る目、伸びやかな腕や大きな美しい手、何もかもが……。
「響、俺の親父が刑務所帰りでびっくりした?」
「ドラマーでびっくりしてた」
「そっちかよ。響らしい」
「だって、まだ本物のミュージシャンに会った事無いんだ」
「一番街の『ベイビー』でスーツ着て黒服してる。俺より10センチくらい背が高くて、髪はこんな感じ」零児は両手で自分の髪をかきあげ、オールバックにして眉根を寄せ、大人っぽい表情を作ってみせた。
「かっこよ」
「俺は全然モテないけど、親父はモテる。響は彼女いんの」
「いない。ビートボックスやってる帰宅部の陰キャに彼女がいるわけ無い」
「ビートボックスやってる帰宅部の陰キャぁ?その矢、俺にも刺さったからな」
ヘッドロックをかけられ、ギャハギャハ笑いながらアパートの前まで送ってもらう。
「またね。彼女ができるまでは俺と遊んで」
「響は彼女が出来ても、俺と遊べよ」
手を振る。明日は土曜だ。中3になって、初めての週末。もう月曜日が待ち遠しかった。
「上戸、渡すものがある」
「ハイ」
美濃先生の机の前まで行くと、大きめの茶封筒を渡された。封筒の口はノリで閉じられている。
「スマホの返却だ」
「すみませんでした」頭を下げる。
「何度も聞いて悪いが、所持の申請は必要ないのか」
「ハイ」
「中に受領証が入っているから、保護者からサインをもらって明日もって来るように。ああそうだ、上戸にスカウトが来ている。音楽の積木先生がぜひ合唱部にはいれと言ってるぞ」
「3年なんで、今から入っても7月に引退です」
「それでも、一度くらい練習に顔を出してほしいと伝言だ。伝えたからな」
部活に参加するつもりはない。歌は好きで、でもグループにはいるのは気が引けた。
茶封筒のなかのスマホの感触を感じながら、自分の席に戻ると零児の席は空だった。
今日は金曜日だ。スクールバッグにジャージを押し込む。
「上戸って高校どこ行く?」辻村が今日配られた進路希望のプリントをひらひらさせながら言った。
「県立金ヶ崎って書いた」
「頭いいじゃん」
「書くのは自由。辻村は?」
「私立の國府。サッカー部が強いんだ。行ってもレギュラーになれるかわからない。ほどほどの学校でレギュラー取るか、強豪でベンチ。上戸ならどうする?」真剣な辻村のまなざしに、これはちゃんとした相談だ、と思う。
「國府は推薦?」
「この後の試合の出来次第」
「俺なら推薦希望って書いて一旦忘れて、試合が終わってから悩むと思う」
「サンキュー、確かに」辻村はプリントをバッグに入れ、勢いよくジッパーを閉めた。
教室を出ると、廊下に零児が立っていて、美濃先生から何か言われ「ちょっと今は柔道は無理ッス」と言った。美濃先生は零児の肩に手を置き、少し黙った後「わかった」とつぶやいて職員室の方へ去っていった。
「先に帰ったのかと思った。スマホが返ってきたから、もう零児にビートボックスに付き合ってもらうのもオシマイ。先生、月曜日に返してくれたらよかったのに」
「今日、みんなの前でやってみてどうだった」
「ボロボロだったからリベンジしたい。零児は安定してたと思う。音が重くて、やってる時の顔も無でカッコいい」
「響は笑ってた」
「うわ……恥ずかしい、顔もすぐ赤くなる。人前に出るの向いてない」
「いや、ビートボックスが好きで笑いながら音出してるのは、全然恥ずかしくないだろ」
「ビートボックスの前にもさ、辻村の下ネタで笑っちゃって、零児が俺に引いてるの見てたら笑いが止まらなくなって、もうダメだった。今思い出しても笑える」
「今日は予定あるか」
「無い。部屋でのビートボックスもママに禁止された」
「線路沿いの高架下の小さな公園分かる?ブランコだけあって、他に何もないところ」
「わかるよ」
「あそこなら周りに家もない人も通らない。ビートボックスの練習をしても迷惑にならない」
零児を見上げ、長い前髪の隙間からこちらを見下ろす目を見る。
「零児はビートボックス続けるんだ」
「スマホ返ってきたら撮影するって言ってたの響だろ?」
ハイタッチをして、ピリリ!と零児が得意なスマホの音真似を2人でする。
「零児と俺は友達ってこと?」
「は?今までなんだと思ってたんだ」
家に帰り洗濯物を取り込んで畳む。米を炊き、宿題を終わらせ、炊き上がったご飯と冷蔵庫に入っている夕食を食べて、宿題を終わらせる。
零児はスマホもパソコンも持っていない。家には固定電話もない。父親がいると厄介なので家に来るなと零児からは言われていて、つまり連絡を取る方法は無かった。
チャイムが鳴り、鍵とスマホと水筒を持って玄関へ行く。
ドアを開けると思った通りの人がいた。
「零児、来れたんだ」
「公園行こうぜ」
ほの暗いアパートの階段を降り、零児のよれたバンドTシャツを着た背中に、嫉妬とも違う、焦れたような気持ちになる。
貧弱な自分とは何もかも違う。
車通りの多い道を渡り、線路沿いを歩く。歩行者はいない。この道を行った先は工場街だ。
「1週間ぶりにスマホ見たんだけど、BANSHEEが渓国大の学祭のイベントと、寿町にあるライブハウスに来る。学祭は学生限定、ライブは20歳以上。あーあ。会場の外にいたら聞こえるかな」
「いつ?」
「来月の4日。GW」
公園に着いた。片側には高い塀があり、その向こうが線路になっている。電車は屋根の方しか見えないが、揺れと音がうるさかった。
道路沿いの公園は近くに民家もなく、街灯が静かにブランコを照らしている。
ブランコを囲う柵に腰を下ろし、零児のルーティンのお手本の動画を見る。
「ギガ大丈夫?」
「外で見るやつはダウンロードしてきたから平気」
ひとしきり聞きながら練習する。動画を見るのをやめ、立ち上がって練習し始めた零児の手がリズムや高低に連動し自然に動いている。
時折通る電車に邪魔されるが、人は全く通らない。次第に大胆になり、大きめの音を意識的に出す。
家では遠慮がちな音量しか出せなかった。
練習でのどが渇いた。水筒の麦茶を飲み、手ぶらでやってきた零児にも差し出す。
「零児ってまわしのみ、無理?」
零児は汗がにじんだ額にかかる髪をかきあげ、黙って水筒を僕の手からとり、こちらを見ながらひと口飲んだ。
街灯の寒々しい白い光が、零児の露わになった顔を照らす。
「飲める」
戻って来た水筒を僕はもう一度飲み、蓋をした。
あっという間に八時を過ぎて、歩いて帰る。
「ビートボックスの動画をアップする時の名前どうしようか」
「響は?」
「俺はEcho」
「『響き』だからEchoか」
「うん」
「零児だから『RAGE』でいいや」
「バンドのRATMのレイジとおなじスペリング?」
「そう。親父がRATMのファンで俺にレイジって付けた。刑務所に入るまではドラマーだったらしい」
ドラマーの息子がビートボックスが得意だと思えば、何の不思議もない。
零児が教室でビートボックスを披露した時のきらめきのようなもの、周りの彼を見る目、伸びやかな腕や大きな美しい手、何もかもが……。
「響、俺の親父が刑務所帰りでびっくりした?」
「ドラマーでびっくりしてた」
「そっちかよ。響らしい」
「だって、まだ本物のミュージシャンに会った事無いんだ」
「一番街の『ベイビー』でスーツ着て黒服してる。俺より10センチくらい背が高くて、髪はこんな感じ」零児は両手で自分の髪をかきあげ、オールバックにして眉根を寄せ、大人っぽい表情を作ってみせた。
「かっこよ」
「俺は全然モテないけど、親父はモテる。響は彼女いんの」
「いない。ビートボックスやってる帰宅部の陰キャに彼女がいるわけ無い」
「ビートボックスやってる帰宅部の陰キャぁ?その矢、俺にも刺さったからな」
ヘッドロックをかけられ、ギャハギャハ笑いながらアパートの前まで送ってもらう。
「またね。彼女ができるまでは俺と遊んで」
「響は彼女が出来ても、俺と遊べよ」
手を振る。明日は土曜だ。中3になって、初めての週末。もう月曜日が待ち遠しかった。



