チャイムが鳴り、玄関のドアを開ける。
「入って、坂本。ママ……じゃなかった、お母さんは仕事」
「お邪魔します」
坂本は律儀に挨拶をし、玄関に入った後に靴をきっちり揃えた。急に自分の乱れたままのスニーカーが恥ずかしくなり、坂本のスニーカーの隣に揃えて置く。
「テーブルのパソコンで動画見て。俺がお手本にしてるやつ。麦茶持ってくる!」一番大きなグラスを出して、氷をいれ、麦茶をいっぱいに注ぐ。
ダイニングの椅子に座った私服の坂本は、やけに大きく感じた。
「私服かっこいい」
「親父の服借りてるだけ」
「服を借りられるのいいね。似合う。いい匂いがするし」履き込んだジーンズは少し丈が余り、緩いように見えた。父親の方が坂本よりも大柄なのだろう。オーバーサイズのTシャツとほのかに漂ういい香りが大人の雰囲気だった。
東京から来た転校生、坂本零児。名前まで、どこかしゃれている。伸ばしっぱなしのように見える髪は、形のいい頭のおかげでださくはならず肩のあたりで揺れ、シャツから見える日焼けした腕は伸びやかで筋肉質だ。
「親父の香水のニオイが移ったかも」
音の出し方の解説動画をいくつか見ながら、二人で一緒にやる。坂本に才能があるのは明らかだ。
「響、涙目じゃん」
「うん。感動しただけ。坂本の音もリズムもすごく良い。いつも自分の出す音と、動画しか聞いたこと無かったけど、生のビートボックスいいなあって」
「響はそんなことくらいで泣いて、生きていけんの」
「『BANSHEE』が一番好きなビートボクサーなんだけど、会ったら死んじゃうかも」
「聞かせて」
BANSHEEの動画を探す。
それほど広くない外国のライブハウス、フロアの客が映る。外国人ばかりのあからさまなアウェイで、ごく普通の黒髪ツーブロックの男の子が薄暗い舞台に、薄く笑って立っている。
司会が煽り立てるように日本からやってきたBANSHEEを紹介しているが、客の顔には何の期待もない。
「BANSHEEはこの時19歳」
動画が終わる。
「無理だろ。これがビートボックスなら、俺には絶対無理」
「わかってる。BANSHEEは何もかもレベルが違う。BANSHEEになるのは無理。それでもビートボックスが好きなんだ。坂本とビートボックスして泣くくらい」困った顔の坂本を涙目でじっと見つめる。
「本気で泣いてる?それとも泣き落とし?」
「泣き落とし」
「ふざけんなよ、響」ヘッドロックをかけられ、ゲラゲラ笑って、隣の部屋から壁を叩かれた。
「家では大きな音出せないんだ」
始業式の次の日から六時間授業が始まった。昼休みに坂本に目配せをし、教室を出る。渡り廊下を抜け階段を駆け上がり、屋上の手前の踊り場に来た。だれもいない。
好きな歌をかすかな声で歌いながら階段を上がる。
「響、その歌の続き歌って」
「知ってる?」
「知らねーけど、気になる」
英語の歌だ。歌詞の意味は一応調べた。ふられた男のありふれた歌。アフリカ系アメリカ人の男性歌手のハイトーンが続く情緒的な歌い方が好きだった。恋はまだした事がない。これからするかもわからないが、相手を思えば思うほどきっと叶わないだろう、と歌うたびに思う。
キックを挟みながら歌い終え、埃っぽい空気に一度咳き込む。
「元の曲、うちに来て聞いて。すごくいいから」
「一回帰ってから行く。ちょっと遅くなってもいいか。7時くらい」
「お母さんいるけどいい?」
「お母さんがいるなら行かない。俺みたいなのが家にいたら、お母さんがびっくりする」
「『俺みたいなの』?」
「親父が一番街で働いてんだ。あんまり良くない店」
「……ヤクザ?」
「わかんねー。一昨年まで一緒に住んだ事がなかったから」
物音がした。階段の下を見ると、次の授業のための移動なのか女の子たちが通り過ぎるのが見えた。
「坂本、……零児って呼んでいい?」
坂本は曖昧に頷いた。
「俺も友達の親には歓迎されない子供だった。見て欲しい」
制服の学ランの前をあけワイシャツを引っ張り出し、焦り気味にボタンを開ける。
シャツをめくりあげ、胸に上下に走る大きな手術痕を見せる。
はっと坂本が息を飲む音がした。
「小2の時に『上戸くんのせいでトラウマになった』ってクラスメイトの親が学校に怒鳴り込んだんだ。俺はただ『見せて』って言われたから見せただけだったけど、そいつ怖くておねしょしたらしい」
母親が家に帰ってくるなり、玄関に突っ伏して泣いたあの日から、学校では誰にもシャツを脱いだ姿を見せたことは無かった。
身体測定の日は、傷をカバーする医療用のテープを胸に貼った。
「なあ、傷跡が気持ち悪くても、俺と友達でいてくれる?」
「傷跡が友達をやめる理由になんねぇだろ」
「お父さんの事も辞める理由にはならない」
坂本は暗い底が知れないような目で、僕の胸の傷跡を見ていた。かがんで顔をよせ、指先でなぞり、熱く大きな手のひらを胸にあてる。
「すげぇな、ここを開けて治したのか。ちゃんと動いてる」
坂本はしばらく手のひらで心音を感じ、手を離した時、予鈴が鳴った。
「先に戻ってる。服、ちゃんと着てから来いよ、響」
「えー、坂本待って……」
「零児って呼ぶんだろ」坂本は肩越しに振り返ってニヤッとすると階段を降りて行った。
「入って、坂本。ママ……じゃなかった、お母さんは仕事」
「お邪魔します」
坂本は律儀に挨拶をし、玄関に入った後に靴をきっちり揃えた。急に自分の乱れたままのスニーカーが恥ずかしくなり、坂本のスニーカーの隣に揃えて置く。
「テーブルのパソコンで動画見て。俺がお手本にしてるやつ。麦茶持ってくる!」一番大きなグラスを出して、氷をいれ、麦茶をいっぱいに注ぐ。
ダイニングの椅子に座った私服の坂本は、やけに大きく感じた。
「私服かっこいい」
「親父の服借りてるだけ」
「服を借りられるのいいね。似合う。いい匂いがするし」履き込んだジーンズは少し丈が余り、緩いように見えた。父親の方が坂本よりも大柄なのだろう。オーバーサイズのTシャツとほのかに漂ういい香りが大人の雰囲気だった。
東京から来た転校生、坂本零児。名前まで、どこかしゃれている。伸ばしっぱなしのように見える髪は、形のいい頭のおかげでださくはならず肩のあたりで揺れ、シャツから見える日焼けした腕は伸びやかで筋肉質だ。
「親父の香水のニオイが移ったかも」
音の出し方の解説動画をいくつか見ながら、二人で一緒にやる。坂本に才能があるのは明らかだ。
「響、涙目じゃん」
「うん。感動しただけ。坂本の音もリズムもすごく良い。いつも自分の出す音と、動画しか聞いたこと無かったけど、生のビートボックスいいなあって」
「響はそんなことくらいで泣いて、生きていけんの」
「『BANSHEE』が一番好きなビートボクサーなんだけど、会ったら死んじゃうかも」
「聞かせて」
BANSHEEの動画を探す。
それほど広くない外国のライブハウス、フロアの客が映る。外国人ばかりのあからさまなアウェイで、ごく普通の黒髪ツーブロックの男の子が薄暗い舞台に、薄く笑って立っている。
司会が煽り立てるように日本からやってきたBANSHEEを紹介しているが、客の顔には何の期待もない。
「BANSHEEはこの時19歳」
動画が終わる。
「無理だろ。これがビートボックスなら、俺には絶対無理」
「わかってる。BANSHEEは何もかもレベルが違う。BANSHEEになるのは無理。それでもビートボックスが好きなんだ。坂本とビートボックスして泣くくらい」困った顔の坂本を涙目でじっと見つめる。
「本気で泣いてる?それとも泣き落とし?」
「泣き落とし」
「ふざけんなよ、響」ヘッドロックをかけられ、ゲラゲラ笑って、隣の部屋から壁を叩かれた。
「家では大きな音出せないんだ」
始業式の次の日から六時間授業が始まった。昼休みに坂本に目配せをし、教室を出る。渡り廊下を抜け階段を駆け上がり、屋上の手前の踊り場に来た。だれもいない。
好きな歌をかすかな声で歌いながら階段を上がる。
「響、その歌の続き歌って」
「知ってる?」
「知らねーけど、気になる」
英語の歌だ。歌詞の意味は一応調べた。ふられた男のありふれた歌。アフリカ系アメリカ人の男性歌手のハイトーンが続く情緒的な歌い方が好きだった。恋はまだした事がない。これからするかもわからないが、相手を思えば思うほどきっと叶わないだろう、と歌うたびに思う。
キックを挟みながら歌い終え、埃っぽい空気に一度咳き込む。
「元の曲、うちに来て聞いて。すごくいいから」
「一回帰ってから行く。ちょっと遅くなってもいいか。7時くらい」
「お母さんいるけどいい?」
「お母さんがいるなら行かない。俺みたいなのが家にいたら、お母さんがびっくりする」
「『俺みたいなの』?」
「親父が一番街で働いてんだ。あんまり良くない店」
「……ヤクザ?」
「わかんねー。一昨年まで一緒に住んだ事がなかったから」
物音がした。階段の下を見ると、次の授業のための移動なのか女の子たちが通り過ぎるのが見えた。
「坂本、……零児って呼んでいい?」
坂本は曖昧に頷いた。
「俺も友達の親には歓迎されない子供だった。見て欲しい」
制服の学ランの前をあけワイシャツを引っ張り出し、焦り気味にボタンを開ける。
シャツをめくりあげ、胸に上下に走る大きな手術痕を見せる。
はっと坂本が息を飲む音がした。
「小2の時に『上戸くんのせいでトラウマになった』ってクラスメイトの親が学校に怒鳴り込んだんだ。俺はただ『見せて』って言われたから見せただけだったけど、そいつ怖くておねしょしたらしい」
母親が家に帰ってくるなり、玄関に突っ伏して泣いたあの日から、学校では誰にもシャツを脱いだ姿を見せたことは無かった。
身体測定の日は、傷をカバーする医療用のテープを胸に貼った。
「なあ、傷跡が気持ち悪くても、俺と友達でいてくれる?」
「傷跡が友達をやめる理由になんねぇだろ」
「お父さんの事も辞める理由にはならない」
坂本は暗い底が知れないような目で、僕の胸の傷跡を見ていた。かがんで顔をよせ、指先でなぞり、熱く大きな手のひらを胸にあてる。
「すげぇな、ここを開けて治したのか。ちゃんと動いてる」
坂本はしばらく手のひらで心音を感じ、手を離した時、予鈴が鳴った。
「先に戻ってる。服、ちゃんと着てから来いよ、響」
「えー、坂本待って……」
「零児って呼ぶんだろ」坂本は肩越しに振り返ってニヤッとすると階段を降りて行った。



