ビートボックス

 ピリリ!
刺すような音が連続で鳴り、響は慌ててバックパックに手を突っ込んだ。

4月7日、須山市立西中の始業式の日。始業のチャイムは鳴ったが、教室にはまだ先生が来ていない。
「お前、スマホ持ってきてんの?見た目によらねー」隣の席の坂本零児が机に肘をついて、眠たげな半眼で響を眺め、からかった。名前だけは知っている。
一年生の時に東京から転校してきた坂本については背が高くタレ目、という以上の知識はなかった。

アラームは何度か鳴り、やっと止まった。画面には『服薬』と表示が出ている。休みの間に薬を飲むのを忘れないようにアラームをかけていたのを、うっかりそのままにしていたのだ。

ピリリ!

切ったと思ったアラームの音がまたして、確認するがスマホは鳴ってはいなかった。

ピリリ!

まただ。バックパックを覗く。

「ハハハ、二回も引っかかるなよ」坂本がニヤけた笑いを浮かべて、響を見ている。
前の席の男子が振り返り、「坂本!」としかめっ面で言った。
「え?坂本が音マネした?」
「イエース」ふざけた返事。

「坂本!上戸!どっちのスマホだ?」顔を上げた時にはもう遅い。目の前には学校一厳しいと評判の柔道部顧問の美濃先生がいて、こちらを見下ろしている。
仕方ない。バックパックからスマホを出し、机の上に出す。
「上戸、ホームルームの後に職員室まで来るように」


職員室で先生の机の隣に立って、母親と先生が電話で話しているのを待った。電話口の向こうの母親が謝っている雰囲気を感じ、きまずい。先生が受話器を置いた。
「お母さんは一週間の没収に同意した。アラームを切って、電源を切って先生に渡しなさい」
「ハイ」ロックを解除し、いわれた通り操作して先生に渡す。
「今後、このような事が無いように。あと、お母さんとも話したが、心臓が悪いそうだな」
「春休みの検査では、もう大丈夫って言われました」
「わかった。体調に異変があれば、テスト中だろうが無理せず、すぐ先生や周りの人に言いなさい。体重は50キロくらいか?」
「ハイ。そのくらいです」
「先生一人で運べる。遠慮せず言うように。よし、じゃあ1週間後に取りに来い。帰ってよし!」

「ハイ、さようなら」
「気をつけて帰れ」
礼をして職員室から退散する

教室に戻るともう誰もおらず、自分のバックパックだけがぽつんと机の横に引っかかっていた。ブレザーを羽織りバックパックを背負って、階段を駆け下りる。三年の教室は三階だが、二階も一階も静かで生徒たちの気配は無かった。部活がある生徒は一度帰宅して再登校だから、皆早々に帰ったのだろう。
かすかに漂うワックスの匂い。2年の三学期の終わりに皆で床のワックスがけをしたのがはるか昔の事のようだ。

昇降口で靴を履き替え外に出る。
「上戸」
振り返ると坂本が植え込みの前に座っている。
「坂本なにしてんの。今日部活は再登校だから、みんな帰った……」
「帰宅部だから部活はない。スマホはどうなった?」
「親に連絡して没収」
「ごめん」
「アラーム切り忘れてた自分が悪いし、来週戻って来るから平気」
「マネしなきゃ見つからなかった」
「あ!!そうだ!坂本、もう一回アラームのマネ、やって見せて。どこから音出してる?」
坂本に片手を差し出し、立ち上がらせる。やけにでかい手だ。背も高く、帰宅部にしておくのはもったいない。

ピリリ!

「すごい。俺もやってみる」

 低めの震えた音が出ただけで、坂本の出したような高いデジタル音は出なかった。
「上戸、見ろ。舌をこんなふうにして吸うと出る」
坂本は口を開けて舌を見せ、もう一度やってみせた。

しつこく練習しながら、昇降口から正門へ向かう。何度やってもうまく行かず、口を慣らすために口でシンバルの音を出す。ビートボックスのハイハットという技だ。
「ボイパ?」
「ビートボックス。小5の時に流行って、それからずっと練習してる。坂本は去年転校してきたから流行ってたの知らないか」

小5の時にYouTuberの影響で、学年全体で爆発的にビートボックスが流行った。流行は春に始まって2ヶ月ほど続き、響は夏休み中ずっと自主練に励んだ。
だが、ビートボックスをやっているやつはダサい、という風潮が突如生まれ、夏休みが終わって新学期には流行は終わっていて、披露する機会は失われた。

「なんかやって」
「いいよ」

何千回も練習した曲を披露する。誰かに聞かせる機会はめったにない。披露し終えて坂本を見ると片手をあげていて、ハイタッチした。

「アハハ、普通にすげえ。お前、ほんと見た目によらねえな」
さっき聞いた音を真似て、坂本はリズムよく低い音を出した。微妙にできていないが、音が重い。とてもいい。
「ちょっと違う。もっと唇をぎゅっと閉じて、思いっきり空気を出すといいよ。こんな感じ」
お手本を見せる。
「は?もう一回やって」