ビートボックス!

 4月7日、須山市立西中の始業式の日。朝のホームルームの予鈴は鳴ったが、三年一組の教室にはまだ先生が来ていない。黒板には席表が貼られ、自分の名前『上戸響(うえとひびき)』を探す。
あった。一番後ろの席、窓際から2番目。ウロウロしているクラスメイトをかき分けるように教室の後ろまでたどり着き、机の横のフックに指定のスクールバッグを下げる。
寝坊して遅刻しそうになって走ったあげく、三階の教室まで一気に駆け上がり、汗が止まらない。

ピリリ!ピリリ!

 刺すような音が連続で鳴り、僕は慌ててバックパックに手を突っ込んだ。闇雲に探り、数回空振りした後に、スマホをつかむ。
「お前、スマホ持ってきてんの?見た目によらねー」
隣の席の坂本零児(さかもとれいじ)が机に肘をついて、長い前髪から覗く眠たげな目で見ながら絡んできた。
一年生の冬に東京から転校してきた坂本とはこれまで接点がなく、背が高くタレ目という以上の知識はない。
スマホのライトが点滅し、画面には『服薬』と表示が出ている。休みの間に薬を飲むのを忘れないようにアラームをかけていたのを、うっかりそのままにしていたのだ。アラームを止め、スクールバッグに投げ込み、一息つく。

ピリリ!

切ったと思ったアラームの音がして、バッグを覗くがライトは光っていない。空耳だったようだ。

ピリリ!

まただ。バッグを再び覗く。

「二回も引っかかるなよ」
隣の席の坂本がニヤけた笑いを浮かべて、こちらを見ている。
前の席の辻村が振り返り、「坂本!上戸にかまうのやめろ!」としかめっ面で言った。
「え?坂本が音マネした?」
「イエース」ふざけた返事。

「坂本!上戸!どっちのスマホだ?」
顔を上げた時にはもう遅い。目の前には三年一組の新しい担任、学校一厳しいと評判の柔道部顧問の美濃(みの)先生が教室に入ってきて、こちらを見ている。
バッグからスマホを出し、机の上に出す。美濃先生のゴツくて指に毛が生えた手が、机の上の僕のスマホをつかみ、ケースに挟まれた『BANSHEE(バンシー)』と書かれた黒地に蛍光グリーンのステッカーを眺め、スーツのポケットにしまった。
「上戸、ホームルームの後に職員室まで来るように」

 
 職員室で先生の机の隣に立って、母親と先生が電話で話しているのを待つ。電話口の向こうの母親が謝っている雰囲気を感じ、きまずい。先生が受話器を置いた。
「お母さんは一週間の没収に同意した。スマートフォンのアラームと電源を切って先生に渡しなさい」
「ハイ」ロックを解除し、いわれた通り操作して先生に渡す。
「今後、このような事が無いように。上戸は心臓が悪いそうだな。そのためにスマホの携帯が必要なら申請しなさい」
「春休みの検査では、もう大丈夫って言われました。今年からは水泳とマラソンも出来ます」
「わかった。体調に異変があれば、テスト中だろうが我慢するなよ。体重は50キロくらいか?」
「そのくらいです」春休み中に総合病院で受けた検査の時には、163センチで47キロだった。
「先生一人で運べる。遠慮せず言うように。じゃあ1週間後に取りに来い。帰ってよし!」
「ハイ、さようなら」
「気をつけて帰れよー」
礼をして職員室から退散する。

 教室に戻るともう誰もおらず、自分のスクールバッグだけがぽつんと机の横に引っかかっていた。学ランを羽織りバッグを背負って、階段を駆け下りる。三年の教室は三階だが、二階も一階も静かで生徒たちの気配は無かった。今日は部活がある生徒は一度帰宅して再登校だから、皆早々に帰ったのだろう。
かすかに漂うワックスの匂い。2年の三学期の終わりに皆で床のワックスがけをしたのがはるか昔の事のようだ。

 昇降口で靴を履き替え外に出る。
「上戸」
振り返ると坂本が植え込みの囲いのブロックに座っている。
「坂本なにしてんの。今日部活は再登校だから、みんな帰った……」
「帰宅部だから部活はない。スマホはどうなった?」
「美濃先生がうちの母親に連絡して没収」
「ごめん」
「アラームを切り忘れてた自分が悪い。来週戻って来るから平気」坂本に片手を差し出し、立ち上がらせる。美濃先生と同じくらいの大きさで、やけにでかい手だ。背も高く、帰宅部にしておくのはもったいない。
「俺が音マネしなきゃ上戸のスマホは美濃先生に見つからなかった」
「あ!!そうだ!もう一回アラームの音マネ、やって見せて。どこから音出してる?」
「どこって、舌」
ピリリ!
確かに坂本の口から音が出ている。
「すごい。俺もやってみる」
 低めの震えた音が出ただけで、坂本の出したような高いデジタル音は出なかった。
「上戸、見ろ。舌をこんなふうにして吸うと出る」
坂本は口を開けて舌を見せ、もう一度やってみせた。

 しつこく坂本の真似をして練習しながら、昇降口から正門へ向かう。
「やべー、何度やっても出来ない。坂本はすごく練習した?」
「練習なんかしねー」
「なんだよそれ。前世は九官鳥?」
思ったように音が出せないのが悔しくて、口を慣らすために口でシンバルの音を出す。ハイハット、次はバスドラム、Kスネア……
「ボイパか」
「ヒューマンビートボックス。小5で流行ってハマって、それからずっと練習してる。坂本は中学から転校してきたから流行ってたの知らないか。とっくの昔に流行りは終わってて、ビートボックスやってるやつはダサいって思われてる。東京って何が流行ってた?」
「カードゲームと野球。どっちも興味無かった。なあ、ビートボックスでなんかやって」

 小学五年生の時にYouTuberの影響で、学年全体で爆発的にビートボックスが流行った。流行は春に始まって2ヶ月ほど続き、僕は夏休み中ずっと自主練に励んだ。
だが、ビートボックスをやっているやつはダサい、という風潮が突如生まれ、夏休みが終わって新学期には流行は終わっていて、披露する機会は失われた。

「いいよ」

何千回も練習した曲を披露する。誰かに聞かせる機会はめったにない。必死に音を出しても表情には出さず、体から出る音だけで、曲を作る。披露し終えて坂本を見ると片手をあげていて、ハイタッチした。

「アハハ、普通にすげえ。上戸はほんと見た目によらねえな」
さっき披露した曲を真似て、坂本はリズムよく低い音を出した。
「微妙にできていないけど、音が重くてかっこいい。坂本っぽい。もっと唇をぎゅっと閉じて、思いっきり空気を出すといいよ。こんな感じ」
お手本を見せる。
「は?もう一回やって」