南国特有のスコールが初恋を連れてきてくれました

「私は幼い頃に両親と祖母を立て続けに亡くして、それ以来ずっと祖父に育てられました。祖父は高校の教員をしてまして、朝から晩まで生徒たちのことを必死に考える本当に良い先生だったと思います」
教員だからという理由ではなく、一人の大人として生徒たちのために何が必要かを真剣に考える人だった。
「その上、私のことも精一杯育ててくれて……私は祖父が寝ている姿を覚えてないんです。それくらい、毎日休む暇もないほど大変だったんでしょうね。そんな祖父を見て、絶対に祖父を楽にさせてやろうと弁護士になることを決意しました。動機は不純でしたけど、弁護士について調べていくうちに、弱い人を助けられる仕事って素晴らしいなと思ったんです。父が私の名前にこめてくれた『大切な人を守れる力を持つ』にはぴったりの職業だと思いました。それで必死に勉強して、沖縄県でも一番の進学校に入学できました。ですが、そんな時……祖父が他界したんです」
「えっ……」
彼の絶句するような声を聞きながら、伊織は話を続けた。
「ずっと我慢していたんでしょう。病気がわかったときには手遅れでした。それからあっという間に祖父はこの世を去りました。天涯孤独となった私は、東京にいる遠戚に引き取られることになっていたんですが、祖父の葬儀に来てくださった方が私の運命を変えてくれたんですよ」
伊織は彼に宗一郎さんとの出会い、そして東京での宗一郎さんとパートナーである皐月さんとの三人での生活。
そして、大学に入学してから助けていただいた周平さんとの出会いから全てを話し続けた。彼はそれに時折相槌を打ちながら、真剣に聞いてくれた。
「――こうして私は、今、石垣で悠真に出会えたんですよ」
「どの方が欠けても私たちが出会うことはなかったんですね。そう考えたら、ここで伊織さんと出会えたのは本当に奇跡なのかもしれませんね」
「ええ。悠真に出会わない人生があったとしたら、私はいつまでも恋も愛も知ることはなかったでしょうね」
今までは恋も愛も知らなくても充実した日々を過ごしていると思っていた。けれど、悠真との恋や愛を知ってしまった今は、何も知らなかった頃には戻れない。
「いつか私の大事な人たちに悠真を紹介したいのですが会ってもらえますか?」
「もちろんです! こちらからお願いしたいくらいですよ」
「よかった……」
悠真を胸に抱き寄せると、彼はいとも簡単に身を預けてくれた。それが伊織をたまらなく幸せな気分にしてくれた。
「悠真のご家族は皆さん、宮古島にいらっしゃるのですか?」
「父が数年前に他界して、今は母と祖母が宮古島でマンゴー農家をやっています。あと、八つ下の大学生の弟がいるのですが、大学に通うために東京に住んでいますよ」
「えっ? 弟さんが東京にいらっしゃるんですか?」
まさか東京にも縁があったとは……
これは悠真とも東京で会える機会があるかもしれない。
「弟は桜城大学の三年生です。伊織さんの後輩ですね」
「それは奇遇ですね」
「弟は、真琴というんですが、真琴が無事に桜城大学に通えているのは実は倉橋のおかげなんです」
ここで倉橋さんの名前が出てきて驚いた。
「真琴が桜城大学に行きたいって言い出した時、宮古島を直撃した台風で栽培していたマンゴーが全滅してしまったんです。今までの蓄えで借金こそせずに済みましたけど、新しくビニールハウス畑を作り直したりする費用が嵩んで真琴を東京に行かせるのが難しくなったんです。でも、倉橋がビニールハウス再建の投資を率先してしてくださった上に、うちの実家のマンゴー農園を浅香さんのイリゼホテルの専属農園として契約してくれるよう話を通してくださったんです」
確実にお金が入るルートを整えてくれたというわけか。もちろん悠真の家のマンゴーの味があってこその話だろうが、それでもそれをすぐに行動に移してくれたのは心強かったことだろう。
「それはすごいですね」
「おかげでうちの農園の経営も以前よりも順調になりました。それに、東京にある倉橋の持っているマンションの一室を真琴のために無料で貸してくださって……だから私は、倉橋には足を向けて寝られないんですよ」
「そうだったんですね。でも、倉橋さんがそこまでしてくださるのも、悠真がK.Yリゾートになくてはならない人材だと思っているからこそではないですか?」
「そうだといいんですけど」
悠真は謙遜しているが、そうでなければあの倉橋さんがそこまでしてくれるとは思わない。
「倉橋さんが以前仰ってたんです。東京と沖縄を行ったり来たりして仕事を順調に進められるのも西表に優秀な社員がいてくれるおかげだ、と。それは悠真のことでしょう?」
「えっ? 倉橋がそんなことを?」
「はい。その時は悠真のことを知りませんでしたから、そんな優秀な社員に恵まれて倉橋さんは羨ましいなと思うだけでしたが、今は悠真と倉橋さんの関係に妬いてしまいそうです」
悠真が実家と弟さんの恩返しも兼ねて、倉橋さんと大好きなK.Yリゾートのために必死で働いているのはわかった。だがなんとなく悠真と倉橋さんの間に入り込む余地のない深い絆のようなものが見えた気がして、伊織の中に嫉妬のようなものが湧き上がっていた。
今回の件もそうだ。悠真が問題を抱えていることにいち早く気づき、さりげなく見守っていた。
悠真にそんな気がなくとも倉橋さんのほうは悠真に気があるのではないか、と距離の近い二人だけに気になって仕方がない。
「倉橋は私にとって確かに恩人ではありますが、彼に恋愛感情のようなものを抱いたことは一度もないですよ。もちろん、倉橋も私にはそんな気なんてさらさらないでしょうし。私が心から惹かれたのは伊織さんだけです」
悠真の真剣な表情に自分が恥ずかしくなった。嫉妬に駆られた上に、こんな愚かなことを発してしまった自分が本当に恥ずかしい。
「すみません。どうも悠真のことになると自分でもわからない感情が込み上げてきて……」
「嬉しいですよ。伊織さんが嫉妬してくださるなんて……愛されてるって実感しますね」
どうしてこの人は欲しい言葉を言ってくれるのだろう。
彼が好きだ、愛している。その思いがとどまることなく溢れていく。
「悠真……愛しています」
言葉にせずにはいられなくて、思いを告げる。
「私も伊織さんのこと……愛しています」
悠真が潤んだ瞳で見上げる。伊織はゆっくりと彼の唇に自分のそれを重ね合わせた。
軽く重ねるだけのキスでは満足できなくて、何度も唇を喰み角度を変え悠真の唇を味わった。
そっと私の胸に添えられた彼の小さな手が可愛くてたまらず、伊織はそっと手を重ね合わせた。
淡い月の光に照らされながら、しばらくの間甘いキスに酔いしれていた。

翌朝、目を覚ました伊織は隣に眠る美しい人の存在に歓喜した。昨日のことはやはり夢ではなかったのだ。
倉橋さんの電話を受けてからたった半日で伊織の人生は大きく変わってしまった。
これほどまでに朝の目覚めが幸せだった日はない。
伊織の腕の中ですやすやと寝息を立てる悠真が恋人になってくれたなんて……
――私も伊織さんのこと……愛しています
彼のこの言葉が頭の中でリフレインする。
あの時の喜びが込み上げてきて、思わず腕の中にいる彼をぎゅっと抱きしめてしまった。
「う、うーん」
伊織の胸元に顔を擦り付けながら、悠真が猫のように身動ぐ。その姿が可愛くて見入ってしまっていると、彼の目がゆっくりと開き綺麗な瞳が現れた。彼の美しい瞳に今朝初めて映ったのが自分の顔であることに途轍もない幸せを感じる。
「悠真、おはよう」
満面の笑みで声をかけると、悠真は一瞬ニコッと笑顔を浮かべた後でパチパチと何度か瞬きをした。息を詰まらせながらパッと顔を赤らめた。そして伊織の胸元に顔を隠すとややくぐもった声で「おはよう、ございます……」と言ってくれた。
「どうしたんですか? 可愛い顔を見せてください」
「可愛い、だなんてそんな……私、昨日は酔ってて、伊……伊織さんに色々と恥ずかしいことをしてしまって……」
「もしかして……私に愛していると言ってくれたことを後悔してるんですか?」
酔った上での戯れだと、そう言われたのだと思って幸せだった気持ちがガラガラと崩れていくのがわかる。
「そ、そんなこと、あるはずがありません! 私はあなたが……」
必死な形相で一生懸命伝えようとしてくれている彼にホッとする。けれど、一瞬でも奈落の底へと落とされたのが悔しかった。だからわざとわからないフリをした。意地悪だとわかっていながら続きを促す。
「あなたが……なんですか?」
「その……伊織さんのことを愛してます……」
彼は涙を潤ませ顔を赤らめながら思いを告げ、再び伊織の胸元に顔を隠してしまった。
「……悠真。すみません。意地悪をしてしまいました。私も悠真を愛しています。だから、可愛い顔を隠さないでください」
ぎゅっと抱きしめながら彼の綺麗な髪にキスをする。悠真はゆっくりと顔を上げた。まだ少しその目が潤んでいる。
「……怒って、ませんか?」
消え入るような小さな声で申し訳なさが募る。
「怒るだなんて……悠真が私の腕の中にいてくれるだけで、私はこんなにも幸せだというのに……あなたの気持ちを一瞬でも疑った私こそ悠真に怒られます」
「私……自分があんなに甘える人だなんて初めて知って……急に昨夜のことが甦ってきて恥ずかしくなっただけです。伊織さんとのこと、後悔なんてしてません……」
「わかっています、悠真。私が臆病になっていただけなんです……。許してくれますか?」
腕の中の悠真を強く抱きしめながら尋ねたが、「……許しません」と返ってきて驚いた。
「キス、してくれないと……許しません」
聞き返した伊織に、真っ赤な顔をしてそう言ってくれる悠真が愛おしくて、伊織は何度も彼にキスを贈った。
「あの、私……今日は西表に戻らないといけないんですが……」
「大丈夫ですよ。私も一緒に行きますから」
「でも伊織さんは、ここのホテルには二泊されるご予定でしたよね?」
「その予定でしたが、それは悠真と恋人になれる前に決めていたことですから。今の私は少しでも長く悠真と一緒に居たいんです。それとも、私が一緒だと……迷惑でしょうか?」
いつも彼の潤んだ瞳で『ダメですか?』と問われて慌てさせられるのが悔しくて、一度くらい同じように慌てさせてみたいという浅はかな考えを目論んだのだが、
「いえ、迷惑だなんてそんなっ! 伊織さんと一緒に西表島に戻れるなんて嬉しくて……私の好きな場所、全部伊織さんに案内したいです」
という彼の無自覚な言葉にあっという間に胸を貫かれてしまった。
やはり悠真には一生勝てないのかもしれない。
いや、それでいい。いつだって悠真にドキドキさせられるほうがいい。
それが伊織の幸せなのだ。