南国特有のスコールが初恋を連れてきてくれました

そろそろ夕食の時間だが、あんなことがあったばかりだ。食欲もまだないかもしれない。
「砂川さん、洋服を見に行きませんか? 着替えが必要でしょう」
「あ、そうですね」
彼はようやく少し笑顔を見せてくれた。ちょうど良い気分転換になりそうだ。
ホテルの中にあるお店は生地もデザインもセンスも抜群な上に、値段はそこまで高価すぎない。
いいものだけを選んでおいてくれているという印象だ。
ホテル内の店舗についてはオーナーの意向が表れているそうだから、浅香さんの見る目があるということなのだろう。
「私、その……下着を選んできますね」
少し赤い顔をしながら砂川さんは伊織のそばを離れていく。すぐにあの時の美しい肢体が伊織の脳裏に甦ってくる。
いい加減頭から消し去らなければと思っているのに、服の下にあんなにも美しい身体が隠れているのかと思うだけで昂ってしまう。
本当にこんなこと初めてだ。伊織は自分の心に戸惑いながら、下着を選ぶ彼に背を向け彼に似合う服を選び始めた。
彼に似合いそうなシャツとズボンを見つけた。シンプルなデザインだが、余計に着る人を選ぶだろう。
伊織はそれを合わせてとり、彼の元へ持っていった。
「安慶名さんも買い物されますか?」
「いえ、これは砂川さんの服です。試着してみませんか?」
「えっ、でも……」
「どうぞ、着替えてみてください」
半ば強引に試着室に案内し、彼が出てくるのを待った。しばらく経って試着室のカーテンが開いた。
「どうでしょうか?」
出てきた彼に思わず見惚れた。彼に似合うと思って手渡した服だが、想像以上に似合っていて実に美しい。
「よくお似合いですよ、これにしましょう」
伊織の反応に砂川さんは少し照れていたものの、彼も伊織が選んだその服を気に入ってくれていたようだった。
「下着は決まりましたか?」
そう問いかけると少し恥ずかしそうに頷いた。そして、綺麗に畳んだ黒い下着を伊織に見せた。
「あの、こちらは安慶名さんの下着です。先ほど私がお借りしてしまったもののお返しに選ばせていただきました」
「私のことはお気遣い頂かなくても……」
「いえ、それじゃあ私の気がすみません」
伊織にとっては、自分の下着を砂川さんが穿いてくれただけで幸せなのだが、そこまで言ってもらって断るのも申し訳ない。
「ではお言葉に甘えて。その代わりこちらの服は私が贈らせていただきますね」
「えっ、そんな……下着と洋服では値段も全然違いますよ」
「いいんですよ。選ぶのも楽しかったので喜んでいただけたほうが嬉しいですよ」
断られる前に彼の服をレジへ持っていき、さっと包んでもらった。
彼はその後ろから自分と伊織の下着をレジに出し、同じく包んでもらっていた。
伊織が選んだ服を彼が着てくれるばかりか、下着まで選んでくれるとは……
自分の人生にそんなことが起こることがまだ信じられなくて伊織は夢見心地になっていた。
買い物を終え、部屋に戻る。お互いに別々の部屋に入り、彼は倉橋さんに連絡を入れていた。
その間に警察に電話をかけ、先ほどの女についての情報を得た。
あの女が何かを細工したかもしれないアイスの鑑定結果はまだ出ていなかったが、周辺への聞き込みの結果、どうやら彼女は以前から彼にストーカー行為のようなものをしていたということがわかった。
石垣島にあるK.Yリゾートの取引先を調べあげ、そこの従業員を仲間に引き入れていた。そして砂川さんが石垣島を訪れる日程を聞き出し、近づくチャンスを窺うため周辺をうろついていたようだ。
砂川さんは付き纏われていることに気づいていた。だから、最近ではあまりあのパーラーには近づかないように泊まり仕事にならないように自衛していたようだが、今日はイレギュラーな宿泊だったからあの女がいないと思っていたのだろう。
結局のところ、そのイレギュラーな宿泊の原因を作ったのがあの女だったのだからどうしようもない。
これでアイスから何か出れば、あの女が彼に何かをしようと思っていたことは明白。車に細工したことと合わせれば立件は間違いない。これで砂川さんも仕事がしやすくなるに違いない。
ホッと胸を撫で下ろしたところで、ふと頭に倉橋さんが思い浮かんだ。
倉橋さんは彼が付き纏われていたことに気づいていたのではないか?
どこからか情報を入手し、あの女が行動を起こすとわかった上で私を一緒に泊らせたのでは? という思いが込み上げる。
倉橋さんにとっては大事な社員である彼のことを守らないわけがない。そのために伊織を使おうと考えたのなら合点がいく。とにかくそのおかげで、被害は未然に防ぐことができた。今日はゆっくりと彼を休ませてあげるとしよう。
「あっ……!」
伊織が部屋を出ると、ちょうど彼も部屋から出てきた。彼はさっき伊織が贈った服を着てくれていた。少し赤らめた頬が実に可愛らしい。
「着てくれたんですね。やはりすごく良くお似合いです」
「ありがとうございます。誰かに服を選んでいただくなんてこと初めてなので、すごく嬉しいです」
初めて、か。彼の思い出の中に一つでも残るものがある。それだけで嬉しかった。
「あの、先ほどお借りした服はクリーニングをしてお返しいたしますから」
「そんなほんの少しの時間しか着ていらっしゃらないのですからどうぞお気になさらずに。それよりもそろそろ食事をお願いしましょうか」
「あ、私が連絡してきます」
彼はさっと部屋を出て従業員に頼みに行ってくれた。すぐに帰ってきた彼の後を追うように我々の食事が運ばれてきた。
和室にあるテーブルに並べられた食事はなんとも豪華な料理ばかりで、見ているだけでお腹が空いてくる。
鉄板に乗せられた分厚いステーキ肉は涼平さんのところから仕入れているらしい。
共同経営の芸能事務所以外は個々で関与せずだと思っていたが、倉橋さんの限定ツアーがこのイリゼホテルの宿泊者限定だったり、涼平さんのところの食材がここで食べられたりと、意外と繋がりを大切にしているというのがわかる。
特に、倉橋さんと涼平さんが浅香さんを大切にしているような雰囲気があるが、そこには恋愛感情というものは一切感じられない。彼らの間にはそういうものよりももっと深い絆を感じるのだ。
「安慶名さん、いただきましょうか」
その呼びかけに伊織が席に着くと、彼は美しい琉球ガラスの酒瓶を掲げてみせた。
「お酒は呑めますか?」
もちろん、伊織は沖縄の男。実際に人と飲み比べをしたことはないが、結構な量を呑んでも酔ったことはないし強い方だろう。そういえば、彼も沖縄出身。しかも酒豪が多くて有名な宮古島の出身だ。ここは美味しい料理を食べながら一緒に酒を酌み交わすのもいい。
「もちろんです。いただきます」
「本当は泡盛はストレートでいただきたいんですけど、食事と一緒なので水割りにしておきましょうね。こちらの古酒は後でストレートでいただきましょう」
その提案に「そうですね、楽しみです」と返し、彼が作ってくれた琉球ガラスの水割りグラスを受け取る。
彼は自分の分も手際よく水割りを作った。
「乾杯しましょうか」
「何に乾杯しますか?」
「それは、もちろん……私たちがこうやって同じ時間を過ごせることに……」
笑顔でグラスを掲げると、彼はほんのりと頬を赤く染めてグラスを合わせて「乾杯」の声をあげた。
ゴクと喉を通ると、口当たりのまろやかな泡盛の芳醇な香りがふわりと広がり鼻に抜ける。
「ああ、久しぶりの泡盛ですね。美味しいです」
普段はビールが多い。自宅には日本酒やワインを揃えているが、泡盛は宗一郎さんと飲む時くらいしか口にしていなかった。
「よかったです。実はこれ、私が好きな銘柄でさっき用意してもらうようにお願いしたんです。東京でも泡盛は買えますが、これはここでしか置いてないものなので」
そのためにわざわざ頼みに行ってくれたようだ。
「そうなんですね、ありがとうございます」
久々の泡盛を楽しみながら、あっという間に食事を平らげ片付けてもらった。
そろそろ風呂にでも入ろうか。
「砂川さん、露天風呂をお使いください。私はあちらのお風呂をお借りしますので」
彼に露天風呂を勧めたのは思わぬ事件に遭遇して疲れ果てた心と身体を温泉に浸かって癒してもらおうと考えたからだ。
ところが、彼からは驚くべき言葉が返ってきた。
「せっかくここに泊まるのに温泉にも入らずでは勿体無いですよ。広い温泉ですし、あの……よければ一緒に入りませんか?」
「えっ……」
今、一緒にと言わなかったか?
いや、それはきっと伊織の願望が聞かせた空耳だろう。
そう思って返事をせずにいたのだが、
「私と一緒に入るのは嫌ですか?」
身長の低い彼から上目遣いにそう尋ねられて、伊織は思わずゴクリと唾を呑み込んだ。
嫌なわけがない。だが、こんな欲に駆られた自分が彼と一緒に入っていいものか……
悩んだが少し涙を潤ませる彼を見ていると、断ることなどできなかった。
自分さえさえ理性を保っていれば問題ないんだ。そう言い聞かせた。
「いえ、一緒に入りましょう」
そう答えると彼はにっこりと微笑んだ。