「ああ、気持ちがいいな」
「ええ。この時間は一番過ごしやすいんですよ」
彼はもう何度もこの宿には泊まっているようだ。歩きながらいろんな話をしてくれるのだが、彼が説明してくれる柔らかな声が心地よくてもっと聞いていたい……そんな気にさせられる。
「あの、少しそこで休んでいきませんか? 今日なら大丈夫だと思うので」
「ええ、喜んで」
彼の含みを持った言葉が少し気になったものの、彼に誘われて断る理由はない。
連れられて行った先は昔ながらのパーラー。
沖縄にはよくあるアイスやタコス、ハンバーガーなどを売っている小さなお店だ。その先に綺麗なビーチが見える。
「ここの昔ながらのアイスが美味しいんですよ。私はいつもここにくると懐かしくなって買ってしまうんです。最近は少し来られなかったんですが、気さくなおばあちゃんが売ってて話をするのも楽しいんですよ」
「そうなんですか? 砂川さんの可愛らしい一面が見えましたね」
「――っ!」
伊織の不用意な発言に彼が一気に顔を赤らめてしまった。男なんかに可愛らしいなどと言われて嬉しいわけがないというのに。きっと馬鹿にされたと思ったに違いない。
「あ、あの――」
「安慶名さんも……ここのアイス食べたら子どもに戻りますよ」
慌てて発言を取り消そうとした伊織に、彼は無邪気な笑顔でそう返してくれた。
その笑顔が夢の中のあの子と重なる。やはりこの彼を諦められそうにない。このまま思いが伝わらなくてもいいからこの彼の笑顔をずっと見守っていたい。そう思いながら、伊織は彼を見つめていた。
「砂川さんおすすめのアイス、食べましょうか」
「はい。卵と牛乳が濃厚できっと安慶名さんも――」
彼が嬉しそうに説明してくれていた言葉を遮るようにキンと高い声が響いた。
「あっ、悠真さん! やっぱり来てくれた!」
その声はパーラーの中から聞こえてくる。
確か店主はおばあさんだと話していたが、今日は違うんだろうか。
家族経営でやっているならそういうこともあるのだろう。
彼女のほうは砂川さんと会えてよほど嬉しいのか、バタバタとパーラーから出てきて、彼の前に顔を出してきた。
「待ってたんですよー。もう、遅いから来なかったらどうしようかと思ってました」
少し拗ねた顔を見せる少し日焼けした可愛らしい女性の突然の登場に、伊織は少なからずショックを受けていた。
彼女の仲良さげな話し方にもしかしたら砂川さんの彼女だろうか? と考えたのだ。
だが彼は彼女を見て、さっきまで私に見せてくれていた笑顔からスッとよそいきの笑顔に変わった。
「ここのパーラーの娘さんでしたね。お久しぶりです」
その言い方が決して二人が深い仲でないことを示していた。
いや、それどころかあまり近づきたくない。そんな感情に包まれていた。
「もう、悠真さん! そんな他人行儀な話し方なんてやめてくださいよ。せっかく久しぶりに会えたっていうのにー」
なんだろう、この違和感は。彼女は仲が良さそうな雰囲気を醸し出しているというのに、砂川さんからは仲の良さは微塵も感じられない。
「あの、おばあさまはどうされたのですか? いつもならこの時間はおばあさまがいらっしゃるはずですよね?」
彼女の言葉には返事を返さず、砂川さんは彼女に質問を投げかける。どうやらいつもこの時間はおばあさんが店を切り盛りしているようだ。
「今日は悠真さんが来てくれるとわかってたんで、店番を変わってもらったんですよー。思ってた通り来てくれて嬉しいですー」
猫撫で声で砂川さんに笑顔を向けるが、彼女のその言葉にさらに違和感を覚えた。
なぜ彼女は彼が今日ここに来るとわかっていたのだろう?
伊織の中で彼女への不信感がますます膨れ上がっていく。
「今日は元々予定になかったのですが偶然ですね」
「そうなんです。やっぱり私たち、縁があるんですよー!」
嬉しそうに話す彼女とは対照的に彼はかなり浮かない顔をしている。
「あの、安慶名さん、今日はもう帰りましょうか?」
一刻も早くここから離れたいとでもいうように伊織に声をかけてくるが、彼女は必死な形相で砂川さんの前に立ちはだかった。
「ええーっ、せっかく来てくれたのにもう帰るんですか? どうせ、まだ車は直ってないんだからそこに泊まるんですよね? だったらまだいいじゃないですか! うちのアイス、悠真さん食べて行ってくださいよ! ねっ? アイス、食べていきますよね?」
砂川さんが大きなため息を吐き、項垂れたのを見て全てがわかった。
伊織は砂川さんと彼女の間にさっと入り、彼女に仕事用の笑顔を見せた。
「砂川さんからこちらのアイスが美味しいとお薦めいただいたんですよ」
今まで砂川さんしか目に入っていなかった彼女は、ようやく伊織の存在に気づいたのかポッと頬を染める。
伊織は沖縄出身だけあって彫りが深く、女性の目を惹く端正な顔立ちをしている。その顔で学生時代にはよくモテていた。ただゲイである伊織にはなんの喜びもなかったが、この顔が彼女の目を惹きつけるには十分な材料になったようだ。
「あ、あの……砂川さんのお友達の方ですか?」
「ええ、そうなんです。今日はたまたまあそこの宿に泊まることになったんですが、あなたを紹介していただけたのでツイてましたね」
「えっ、そんな……私、恥ずかしい……」
赤く染めた頬を両手で押さえながら、伊織を上目遣いで見つめてくる。
さっきまで砂川さんに必死にアプローチしていたというのに、この変わり身の速さには呆れてしまう。けれど、それをおくびにも出さず笑顔を貫いた。
「これも砂川さんの車がパンクしたおかげですね。突然後輪が二つともパンクするなんて驚きましたけど」
伊織の言葉に彼女はすぐに反応を見せた。
「えっ? パンク? エンジンが壊れたんでしょ?」
「いえ、パンクですよ。私も一緒に乗ってましたから。危うく海に落ちるところでしたよ」
「そんな訳ない! だって私がエンジンに――あっ!」
彼女は慌てて口を手で押さえるがもう遅い。
「エンジンに、なんですか?」
「えっ、いや、その……」
挙動不審な態度を見せる彼女を見て、これはもう間違いないと確信した。
「あなたが彼の車を意図的に故障させたんですね?」
「だ、だって、悠真さん最近石垣に来ても日帰りばかりで全然ここに来てくれないから! 車を壊せば、今日はもう西表には戻れないと思って……。悠真さんが会ってくれないのが悪いんだもん! 私は悪くない!」
両目に手の甲を当てて彼女は大きな泣き声を上げるがなんとも白々しい。これが嘘泣きだと伊織はしっかりと見抜いていた。
「いいですか? あなたのやったことは犯罪ですよ。一歩間違えれば彼の命が危険に晒されるところだったんです。すぐに警察に連絡しますから」
一気に仕事モードになり冷静に話しかける。だが、それが気に食わなかったのか、彼女は食ってかかってきた。
「なんでよ、私が悪いんじゃない! 悠真さんが私を避けるから悪いんだもん。だからここに来てもらおうと思ってちょっと車をいじっただけじゃない! 別に怪我してるわけでもないしもういいじゃない!」
「あなたがそう思うのなら警察でもそう主張なさったらいい。あなたの味方をしてくれる優秀な弁護士が見つかるといいですね。言っておきますが、私は彼のためにあなたとその弁護士と戦いますよ」
「えっ? 戦うって、どういうこと?」
「私は弁護士なんですよ。ちなみにあなたがさっき語ったことは全て録音済みですから、あなたが彼の車を意図的に壊して彼を危険に晒そうとしたことは明白ですよ」
「うそ……っ」
顔面蒼白で力無くその場に座り込んだ彼女をほったらかしにして、伊織は急いで警察に電話をかけた。
五分もしないうちに近くの交番から警察官が二名やってきて彼らに事情を説明した。
「すみませんが、この店のアイスも調べてください。彼女がなにか細工をしている可能性があります」
「そ、そんなこと何もしてない! 勝手に触らないで!」
伊織がアイスのことを警察に告げた途端、力無く座り込んでいた彼女が青褪めた顔で急に立ち上がり暴れ始めた。
その姿が伊織の話の信憑性を高めたようで警察官たちはすぐに応援を呼び始めた。
少し離れた場所で青褪めた顔をしている砂川さんにそっと近づいた。
「大丈夫ですか? 少し顔色が悪いですよ」
「すみません。余計なことに巻き込んでしまって」
申し訳なさそうに頭を下げてくる。砂川さんが悪いことなんて何もしていないのだから謝る必要はどこにもない。
「いいえ、今日は無事に済みましたが、今回のことが公にならなければ次はもっと酷い手を使ってあなたを引き止めようとしたかもしれません。ですから、今日私がいるときに犯人を捕まえることができてよかったんですよ」
「安慶名さん……ありがとうございます」
知らないうちに変な女に狙われていた彼の心をこんな言葉で癒せるなどとは思ってはいないが、少しホッとした顔を見せてくれたのがせめてもの救いだった。
それから応援にきた警察官たちに事情を説明し、ようやく宿に戻ったのはもうすっかり日も暮れて暗くなってしまっていた。
「ええ。この時間は一番過ごしやすいんですよ」
彼はもう何度もこの宿には泊まっているようだ。歩きながらいろんな話をしてくれるのだが、彼が説明してくれる柔らかな声が心地よくてもっと聞いていたい……そんな気にさせられる。
「あの、少しそこで休んでいきませんか? 今日なら大丈夫だと思うので」
「ええ、喜んで」
彼の含みを持った言葉が少し気になったものの、彼に誘われて断る理由はない。
連れられて行った先は昔ながらのパーラー。
沖縄にはよくあるアイスやタコス、ハンバーガーなどを売っている小さなお店だ。その先に綺麗なビーチが見える。
「ここの昔ながらのアイスが美味しいんですよ。私はいつもここにくると懐かしくなって買ってしまうんです。最近は少し来られなかったんですが、気さくなおばあちゃんが売ってて話をするのも楽しいんですよ」
「そうなんですか? 砂川さんの可愛らしい一面が見えましたね」
「――っ!」
伊織の不用意な発言に彼が一気に顔を赤らめてしまった。男なんかに可愛らしいなどと言われて嬉しいわけがないというのに。きっと馬鹿にされたと思ったに違いない。
「あ、あの――」
「安慶名さんも……ここのアイス食べたら子どもに戻りますよ」
慌てて発言を取り消そうとした伊織に、彼は無邪気な笑顔でそう返してくれた。
その笑顔が夢の中のあの子と重なる。やはりこの彼を諦められそうにない。このまま思いが伝わらなくてもいいからこの彼の笑顔をずっと見守っていたい。そう思いながら、伊織は彼を見つめていた。
「砂川さんおすすめのアイス、食べましょうか」
「はい。卵と牛乳が濃厚できっと安慶名さんも――」
彼が嬉しそうに説明してくれていた言葉を遮るようにキンと高い声が響いた。
「あっ、悠真さん! やっぱり来てくれた!」
その声はパーラーの中から聞こえてくる。
確か店主はおばあさんだと話していたが、今日は違うんだろうか。
家族経営でやっているならそういうこともあるのだろう。
彼女のほうは砂川さんと会えてよほど嬉しいのか、バタバタとパーラーから出てきて、彼の前に顔を出してきた。
「待ってたんですよー。もう、遅いから来なかったらどうしようかと思ってました」
少し拗ねた顔を見せる少し日焼けした可愛らしい女性の突然の登場に、伊織は少なからずショックを受けていた。
彼女の仲良さげな話し方にもしかしたら砂川さんの彼女だろうか? と考えたのだ。
だが彼は彼女を見て、さっきまで私に見せてくれていた笑顔からスッとよそいきの笑顔に変わった。
「ここのパーラーの娘さんでしたね。お久しぶりです」
その言い方が決して二人が深い仲でないことを示していた。
いや、それどころかあまり近づきたくない。そんな感情に包まれていた。
「もう、悠真さん! そんな他人行儀な話し方なんてやめてくださいよ。せっかく久しぶりに会えたっていうのにー」
なんだろう、この違和感は。彼女は仲が良さそうな雰囲気を醸し出しているというのに、砂川さんからは仲の良さは微塵も感じられない。
「あの、おばあさまはどうされたのですか? いつもならこの時間はおばあさまがいらっしゃるはずですよね?」
彼女の言葉には返事を返さず、砂川さんは彼女に質問を投げかける。どうやらいつもこの時間はおばあさんが店を切り盛りしているようだ。
「今日は悠真さんが来てくれるとわかってたんで、店番を変わってもらったんですよー。思ってた通り来てくれて嬉しいですー」
猫撫で声で砂川さんに笑顔を向けるが、彼女のその言葉にさらに違和感を覚えた。
なぜ彼女は彼が今日ここに来るとわかっていたのだろう?
伊織の中で彼女への不信感がますます膨れ上がっていく。
「今日は元々予定になかったのですが偶然ですね」
「そうなんです。やっぱり私たち、縁があるんですよー!」
嬉しそうに話す彼女とは対照的に彼はかなり浮かない顔をしている。
「あの、安慶名さん、今日はもう帰りましょうか?」
一刻も早くここから離れたいとでもいうように伊織に声をかけてくるが、彼女は必死な形相で砂川さんの前に立ちはだかった。
「ええーっ、せっかく来てくれたのにもう帰るんですか? どうせ、まだ車は直ってないんだからそこに泊まるんですよね? だったらまだいいじゃないですか! うちのアイス、悠真さん食べて行ってくださいよ! ねっ? アイス、食べていきますよね?」
砂川さんが大きなため息を吐き、項垂れたのを見て全てがわかった。
伊織は砂川さんと彼女の間にさっと入り、彼女に仕事用の笑顔を見せた。
「砂川さんからこちらのアイスが美味しいとお薦めいただいたんですよ」
今まで砂川さんしか目に入っていなかった彼女は、ようやく伊織の存在に気づいたのかポッと頬を染める。
伊織は沖縄出身だけあって彫りが深く、女性の目を惹く端正な顔立ちをしている。その顔で学生時代にはよくモテていた。ただゲイである伊織にはなんの喜びもなかったが、この顔が彼女の目を惹きつけるには十分な材料になったようだ。
「あ、あの……砂川さんのお友達の方ですか?」
「ええ、そうなんです。今日はたまたまあそこの宿に泊まることになったんですが、あなたを紹介していただけたのでツイてましたね」
「えっ、そんな……私、恥ずかしい……」
赤く染めた頬を両手で押さえながら、伊織を上目遣いで見つめてくる。
さっきまで砂川さんに必死にアプローチしていたというのに、この変わり身の速さには呆れてしまう。けれど、それをおくびにも出さず笑顔を貫いた。
「これも砂川さんの車がパンクしたおかげですね。突然後輪が二つともパンクするなんて驚きましたけど」
伊織の言葉に彼女はすぐに反応を見せた。
「えっ? パンク? エンジンが壊れたんでしょ?」
「いえ、パンクですよ。私も一緒に乗ってましたから。危うく海に落ちるところでしたよ」
「そんな訳ない! だって私がエンジンに――あっ!」
彼女は慌てて口を手で押さえるがもう遅い。
「エンジンに、なんですか?」
「えっ、いや、その……」
挙動不審な態度を見せる彼女を見て、これはもう間違いないと確信した。
「あなたが彼の車を意図的に故障させたんですね?」
「だ、だって、悠真さん最近石垣に来ても日帰りばかりで全然ここに来てくれないから! 車を壊せば、今日はもう西表には戻れないと思って……。悠真さんが会ってくれないのが悪いんだもん! 私は悪くない!」
両目に手の甲を当てて彼女は大きな泣き声を上げるがなんとも白々しい。これが嘘泣きだと伊織はしっかりと見抜いていた。
「いいですか? あなたのやったことは犯罪ですよ。一歩間違えれば彼の命が危険に晒されるところだったんです。すぐに警察に連絡しますから」
一気に仕事モードになり冷静に話しかける。だが、それが気に食わなかったのか、彼女は食ってかかってきた。
「なんでよ、私が悪いんじゃない! 悠真さんが私を避けるから悪いんだもん。だからここに来てもらおうと思ってちょっと車をいじっただけじゃない! 別に怪我してるわけでもないしもういいじゃない!」
「あなたがそう思うのなら警察でもそう主張なさったらいい。あなたの味方をしてくれる優秀な弁護士が見つかるといいですね。言っておきますが、私は彼のためにあなたとその弁護士と戦いますよ」
「えっ? 戦うって、どういうこと?」
「私は弁護士なんですよ。ちなみにあなたがさっき語ったことは全て録音済みですから、あなたが彼の車を意図的に壊して彼を危険に晒そうとしたことは明白ですよ」
「うそ……っ」
顔面蒼白で力無くその場に座り込んだ彼女をほったらかしにして、伊織は急いで警察に電話をかけた。
五分もしないうちに近くの交番から警察官が二名やってきて彼らに事情を説明した。
「すみませんが、この店のアイスも調べてください。彼女がなにか細工をしている可能性があります」
「そ、そんなこと何もしてない! 勝手に触らないで!」
伊織がアイスのことを警察に告げた途端、力無く座り込んでいた彼女が青褪めた顔で急に立ち上がり暴れ始めた。
その姿が伊織の話の信憑性を高めたようで警察官たちはすぐに応援を呼び始めた。
少し離れた場所で青褪めた顔をしている砂川さんにそっと近づいた。
「大丈夫ですか? 少し顔色が悪いですよ」
「すみません。余計なことに巻き込んでしまって」
申し訳なさそうに頭を下げてくる。砂川さんが悪いことなんて何もしていないのだから謝る必要はどこにもない。
「いいえ、今日は無事に済みましたが、今回のことが公にならなければ次はもっと酷い手を使ってあなたを引き止めようとしたかもしれません。ですから、今日私がいるときに犯人を捕まえることができてよかったんですよ」
「安慶名さん……ありがとうございます」
知らないうちに変な女に狙われていた彼の心をこんな言葉で癒せるなどとは思ってはいないが、少しホッとした顔を見せてくれたのがせめてもの救いだった。
それから応援にきた警察官たちに事情を説明し、ようやく宿に戻ったのはもうすっかり日も暮れて暗くなってしまっていた。

