ここは浅香さんがオーナーを務めるイリゼホテルに近い。
落ち着いてゆっくり過ごせる宿だと聞いていたし、この後は久しぶりの休暇をのんびりとそこで過ごすのもいいだろう。
突然行ってもいつでも泊まれるから大丈夫だと言われてはいたが、宿泊すると昨夜、電話で伝えておいた。
伊織は案内に従ってホテルの入り口に車を進めた。しかし、現れたのはどこが入り口なのかもわからない要塞のような壁に囲まれた建物。中の様子も一切わからないが、前もって倉橋さんに教えてもらっていたところに車をすすめると、突然一部の壁が大きな音を立てて開いた。その先にホテルに続く道が見える。
その道なりに沿って車を走らせる。ようやく宿の玄関に到着し、すぐにドアマンが駆け寄ってきて頭を下げる。
「いらっしゃいませ。安慶名さま。お待ちしておりました」
ある程度の時間を伝えていたとはいえ、名前まで呼んで出迎えてくれるのかと感心する。
「ありがとう。今日から二泊お世話になるよ」
「どうぞごゆっくりお過ごしください。お荷物は私共でお部屋にお運びいたします。どうぞ中へお入りください」
すぐにフロントに案内してもらい、宿泊者名簿に名前を書いた。
「急な宿泊で申し訳ありません。お手間をとらせてしまったのではないですか?」
「いいえ。あちらのお部屋はオーナーの意向でいついかなる時でもすぐにお泊まりいただけるように毎日準備しておりますので、いつでもお泊まりいただけます。どうぞごゆっくりお過ごしください。何かございましたら何なりとお申し付けくださいませ」
「ありがとう。その時は頼むよ」
よほど倉橋さんがスタッフに丁寧に伝えておいてくれたのだろう。かなり丁重な対応に驚くばかりだ。
スタッフに案内された部屋は中庭に佇む大きな離れ。特別室という言葉がよく似合う豪華な部屋だ。
中庭が望める広いリビングに露天風呂付きの部屋と他にも広い部屋がある。しかも普通のお風呂にキッチンまでついている。
この広い離れに倉橋さんは女性を連れ込んでもいいと言っていたが、逆にこんな広い部屋で一人でゆったりくつろぐのは最高の贅沢だろう。せっかくの機会だからゆっくり楽しませてもらおう。
運んでもらったキャリーケースの中から、本をいくつか取り出した。その中から賞を獲った話題のミステリー本を選び、広縁に置いてある座り心地がよさそうな少し大きめの椅子に腰を下ろした。こんな穏やかな時間はいつぶりだろう。
まさに命の洗濯とも言える心地良い時が流れる中、ゆったりと本を読んでいると突然大きな雷鳴が響き渡り大粒の雨が降ってきた。
やっぱり降り出したか。すぐに止むだろうが、さっさと宿に来ておいてよかった。
降り出した雨はあっという間にバケツをひっくり返したような土砂降りになり、中庭はさっきまでの美しい装いから激しい雨景色を見せた。だが、雨の降る庭もなかなかだ。木々に雨が当たる音も心地良い音色に聞こえるのは自分の心に余裕があるからかもしれない。そっと広縁の端にある電灯に触れ、柔らかな灯りの中で再び本に目を通していると、ピリリリリと機械音が響いた。
リビングのテーブルにおいていたスマホだ。取りに行き、画面を見てみるとそこには倉橋さんの名前が出ていた。
ーもしもし。安慶名ですが。
ー安慶名さん。今日から沖縄でしたよね?
ーええ。先ほど浅香さんの宿に着いてゆっくりさせていただいていたところです。本当に素敵なお部屋ですね。
ー無事についたようで何よりです。それで、あの……安慶名さんにはいつものお礼も兼ねてその部屋でゆっくりとお過ごしいただこうと思っていたのですが、すみません。もし、お邪魔でなければ相部屋をお願いできませんか?
ー相部屋、ですか?
思っても見ない倉橋さんからの依頼に、驚いて思わず聞き返してしまった。
ー実は私の会社の社員が、石垣島で取引先と打ち合わせをして西表島に帰る予定だったのですが、車を走らせていたところ急に車が故障してしまったようなんです。それを直している最中に土砂降りになってしまったとかで、市内に戻るのにもかなり離れていますし、今いる場所から浅香のホテルが目と鼻の先だそうで、宿に連絡をしたんですが、今日はあいにく満室らしくて……
そういうことか。本当ならこの部屋に泊まらせようと思っていたんだろう。
この離れには一人では多すぎるほど部屋はあるから相部屋にしても問題はない。だが、相部屋を頼むということはその社員は男性だろう。伊織の性的指向を知った上で倉橋さんは頼んでいるんだろうが、相手は伊織と同じ部屋で構わないのだろうかと不安が過ぎる。
ーそういうことでしたら私は相部屋でも全然構いませんが、その……よろしいのですか?
ー何がですか?
ー私はゲイだと申し上げましたが、そんな者と相部屋などその方が嫌がるのではないですか?
ーそのことなら大丈夫ですよ。相部屋をお願いする社員は恋愛にはあまり興味がないようですし、安慶名さんが無理やり迫るようなことはなさらないとわかっていますから。それに……もし、安慶名さんが彼とそういうことになるのなら、それもまた運命ですから……
意味深な倉橋さんの言葉に伊織は少し戸惑った。しかし、それもまた運命……確かにそうだ。
それでも、普段なら何か間違いがあってはいけないと断っていただろう。けれど、この日常からかけ離れた空間が伊織に何か不思議な力を与えたようだ。
ーわかりました。一緒に宿泊していただいて構いませんよ。
その言葉に倉橋さんは安堵の息を吐いた。
ーありがとうございます。助かります。ではすぐに行かせますね。
それからしばらく経って、離れの玄関にあるチャイムが押された。
落ち着いてゆっくり過ごせる宿だと聞いていたし、この後は久しぶりの休暇をのんびりとそこで過ごすのもいいだろう。
突然行ってもいつでも泊まれるから大丈夫だと言われてはいたが、宿泊すると昨夜、電話で伝えておいた。
伊織は案内に従ってホテルの入り口に車を進めた。しかし、現れたのはどこが入り口なのかもわからない要塞のような壁に囲まれた建物。中の様子も一切わからないが、前もって倉橋さんに教えてもらっていたところに車をすすめると、突然一部の壁が大きな音を立てて開いた。その先にホテルに続く道が見える。
その道なりに沿って車を走らせる。ようやく宿の玄関に到着し、すぐにドアマンが駆け寄ってきて頭を下げる。
「いらっしゃいませ。安慶名さま。お待ちしておりました」
ある程度の時間を伝えていたとはいえ、名前まで呼んで出迎えてくれるのかと感心する。
「ありがとう。今日から二泊お世話になるよ」
「どうぞごゆっくりお過ごしください。お荷物は私共でお部屋にお運びいたします。どうぞ中へお入りください」
すぐにフロントに案内してもらい、宿泊者名簿に名前を書いた。
「急な宿泊で申し訳ありません。お手間をとらせてしまったのではないですか?」
「いいえ。あちらのお部屋はオーナーの意向でいついかなる時でもすぐにお泊まりいただけるように毎日準備しておりますので、いつでもお泊まりいただけます。どうぞごゆっくりお過ごしください。何かございましたら何なりとお申し付けくださいませ」
「ありがとう。その時は頼むよ」
よほど倉橋さんがスタッフに丁寧に伝えておいてくれたのだろう。かなり丁重な対応に驚くばかりだ。
スタッフに案内された部屋は中庭に佇む大きな離れ。特別室という言葉がよく似合う豪華な部屋だ。
中庭が望める広いリビングに露天風呂付きの部屋と他にも広い部屋がある。しかも普通のお風呂にキッチンまでついている。
この広い離れに倉橋さんは女性を連れ込んでもいいと言っていたが、逆にこんな広い部屋で一人でゆったりくつろぐのは最高の贅沢だろう。せっかくの機会だからゆっくり楽しませてもらおう。
運んでもらったキャリーケースの中から、本をいくつか取り出した。その中から賞を獲った話題のミステリー本を選び、広縁に置いてある座り心地がよさそうな少し大きめの椅子に腰を下ろした。こんな穏やかな時間はいつぶりだろう。
まさに命の洗濯とも言える心地良い時が流れる中、ゆったりと本を読んでいると突然大きな雷鳴が響き渡り大粒の雨が降ってきた。
やっぱり降り出したか。すぐに止むだろうが、さっさと宿に来ておいてよかった。
降り出した雨はあっという間にバケツをひっくり返したような土砂降りになり、中庭はさっきまでの美しい装いから激しい雨景色を見せた。だが、雨の降る庭もなかなかだ。木々に雨が当たる音も心地良い音色に聞こえるのは自分の心に余裕があるからかもしれない。そっと広縁の端にある電灯に触れ、柔らかな灯りの中で再び本に目を通していると、ピリリリリと機械音が響いた。
リビングのテーブルにおいていたスマホだ。取りに行き、画面を見てみるとそこには倉橋さんの名前が出ていた。
ーもしもし。安慶名ですが。
ー安慶名さん。今日から沖縄でしたよね?
ーええ。先ほど浅香さんの宿に着いてゆっくりさせていただいていたところです。本当に素敵なお部屋ですね。
ー無事についたようで何よりです。それで、あの……安慶名さんにはいつものお礼も兼ねてその部屋でゆっくりとお過ごしいただこうと思っていたのですが、すみません。もし、お邪魔でなければ相部屋をお願いできませんか?
ー相部屋、ですか?
思っても見ない倉橋さんからの依頼に、驚いて思わず聞き返してしまった。
ー実は私の会社の社員が、石垣島で取引先と打ち合わせをして西表島に帰る予定だったのですが、車を走らせていたところ急に車が故障してしまったようなんです。それを直している最中に土砂降りになってしまったとかで、市内に戻るのにもかなり離れていますし、今いる場所から浅香のホテルが目と鼻の先だそうで、宿に連絡をしたんですが、今日はあいにく満室らしくて……
そういうことか。本当ならこの部屋に泊まらせようと思っていたんだろう。
この離れには一人では多すぎるほど部屋はあるから相部屋にしても問題はない。だが、相部屋を頼むということはその社員は男性だろう。伊織の性的指向を知った上で倉橋さんは頼んでいるんだろうが、相手は伊織と同じ部屋で構わないのだろうかと不安が過ぎる。
ーそういうことでしたら私は相部屋でも全然構いませんが、その……よろしいのですか?
ー何がですか?
ー私はゲイだと申し上げましたが、そんな者と相部屋などその方が嫌がるのではないですか?
ーそのことなら大丈夫ですよ。相部屋をお願いする社員は恋愛にはあまり興味がないようですし、安慶名さんが無理やり迫るようなことはなさらないとわかっていますから。それに……もし、安慶名さんが彼とそういうことになるのなら、それもまた運命ですから……
意味深な倉橋さんの言葉に伊織は少し戸惑った。しかし、それもまた運命……確かにそうだ。
それでも、普段なら何か間違いがあってはいけないと断っていただろう。けれど、この日常からかけ離れた空間が伊織に何か不思議な力を与えたようだ。
ーわかりました。一緒に宿泊していただいて構いませんよ。
その言葉に倉橋さんは安堵の息を吐いた。
ーありがとうございます。助かります。ではすぐに行かせますね。
それからしばらく経って、離れの玄関にあるチャイムが押された。

