とうとうこの日がやってきた……
石垣で悠真に出会ってからの時間が濃密すぎて、半身をもがれるような思いだ。
とはいえ、いつまでもここに留まるわけにはいかないのはわかっている。
これから先の将来を共に歩くと言ってくれた悠真のために基盤を整えるという大事な役目があるのだから。
だが、一度知ってしまったこの肌の温もりを感じられない距離にいかなければならないのは本当に苦しい。
今日は悠真が石垣空港まで一緒に行ってくれると言ってくれたから、身体を合わせるのは少し控えめにしておいた。
それでも少し無理をさせてしまった感は否めないが、悠真は伊織を愛していると言いながら腕の中で眠ってくれた。
起きなければいけないギリギリの時間まで、愛しい悠真を腕の中に閉じ込めて過ごした。
それでもとうとうベッドからでなければいけないタイムリミットが来た。
「悠真、起きてください」
伊織の声に微笑む悠真を見てすでに起きているとわかった。悠真の唇に優しいキスを贈る。彼は嬉しそうに目を開けた。
「おはようございます、私の眠り姫」
「おはようございます、私の王子さま」
フレンチトーストにたっぷりとアイスと蜂蜜をかけたよりもずっと甘い言葉が返ってきた。
やっぱりこのまま帰りたくない。このまま悠真と過ごしたい。
人生で初めてのわがままを言いそうになったが、悠真に恥ずかしいところは見せられない。
「着替えて朝食を食べましょうか」
後ろ髪を引かれつつ声をかけた。
昨夜あらかじめ選んでおいた悠真の着替えは石垣島で選んだあの服。
彼がその服に着替えるのを堪能しながら、伊織も急いで適当な服を見繕った。
着替えを済ませ、キッチンへと向かう。
「伊織さん、今日は私が朝食を作りますね」
悠真の手料理! それだけで胸が高鳴る。
「伊織さんはこっちで見ててください」
キッチンがよく見える席に座るように言われて、そこに腰を下ろす。悠真が満足そうに料理を始めた。
何を作ってくれるのだろう。
悠真が作ってくれるものならばなんでも美味しいだろうが、他ならぬ愛しい悠真が伊織のためだけに作ってくれる料理だ。
それにしても悠真の手際がいい。一人暮らしにしては調味料も揃っていたし、調理器具も使いやすいように工夫されていた。本当に毎日自炊をしているのだろう。
二十分もかからずに朝食を作り終え、私の前へ並べてくれたその料理はなんとオムレツ。
「これ……」
「伊織さんのおじいさま直伝のオムレツと比べられるようなものではありませんが、伊織さんに私のオムレツも食べていただきたくて……。実は私の一番の得意料理なんですよ」
オムレツが好きだとは言っていたが、まさかオムレツを作ってくれるとは思わなかった。
自分以外が作ったオムレツを食べるのはいつ以来だろうか。
皐月さんや宗一郎さんにも伊織が作っていて、誰かに作ってもらったことはなかった。
もしかしたら祖父以来のオムレツかもしれない。そう思うと、どんどん嬉しくなってきた。
「悠真、いただいていいですか?」
我慢できずに悠真が頷くと同時にすぐにオムレツを掬い口に入れた。
ああ……これだ。ずっと欲しかったのは。
寂しかった心を埋めるように一生懸命作り続けた祖父のオムレツ。
伊織が作ったオムレツを食べ喜んでくれた人の笑顔が、幼いときの寂しかった心を埋めてくれたとばかり思っていた。
だが、違った。伊織の心にはまだあの時に開いた穴が残っていたんだ。それを悠真のオムレツが埋めてくれた。
「悠真。すごく美味しいです」
「よかった……」
「あの、悠真にお願いがあるんです……」
「どうしたんですか? そんな真剣な顔をして」
「これからも一生悠真のオムレツを食べさせてください。私はこれからオムレツは悠真のだけを食べたいんです」
オムレツごときで必死に懇願するなんて笑われるかもしれない。だが、お願いせずにはいられなかった。
それくらい悠真のオムレツは伊織の心そのものだったのだから。
「いいですよ。その代わり……私には伊織さんのオムレツだけ食べさせてくださいね」
悠真の出してきた可愛らしい交換条件に胸を打たれる。
「はい。約束します!!」
一緒に朝を迎えた日にはお互いにオムレツを作り合おう。
それが二人の一生忘れない大事な約束となった。
キャリーケースを引き、もう片方の手で悠真と手を繋ごうとして一瞬躊躇った。
だが、悠真はなんの躊躇いもなく伊織と手を繋いだ。しかも、恋人繋ぎと呼ばれる繋ぎ方で。
「悠真、いいんですか? 人に見られてしまいますが……」
「大丈夫ですよ。私たちがお付き合いをしていることはもうとっくに島中に知れ渡ってますから」
さらりとそんなことを告げられて驚いてしまう。
「この前、私を抱っこして家へと連れて行ってくれたでしょう? その時に平良のおばあちゃんたちに出会ったのを覚えてますか?」
「はい。お会いしましたね」
「あの人たちに見られたら、もう一時間後には島中に私に恋人ができたって噂が流れてるはずですから」
「一時間で? そんなに早く?」
「いえ、もしかしたらもっと早いかもしれません。伊織さんが格好いいからもうあっという間ですよ」
まるで伊織が格好いいと言われるのが嬉しいとでもいうような笑顔を見せてくれる。
だが、皆が皆祝福してくれるとは限らない。なんと言っても男同士。偏見もありそうだ。
「私が悠真の恋人でも祝福してくださるんでしょうか?」
「もちろんですよ、皆さん私が誰にも興味を持たないのを心配してくださってたので、伊織さんみたいな素敵な方が恋人になってくれてホッとしていると思います」
離島は閉鎖的でマイノリティは受け入れてもらえないのではと勝手に思っていた。
だが、悠真がこんなにも島民から愛されていて助かった。ここでは心置きなく外でも悠真と手が繋げるわけか。
西表島、最高だ!
悠真が呼んでくれたタクシーは偶然なのか、行きと同じタクシーだった。
「あいっ! 弁護士さん、もう東京に帰るのかい?」
「そうなんです。名残惜しいんですが、仕事が待っていますので……」
「砂川さんも寂しくなるねぇ」
その言葉にやはり二人のことがもう島中に知れ渡っているとわかった。しかし、彼には嫌悪感というものは全く見えない。
自分が悠真の恋人としてきちんと認められているのだと思うと嬉しさが込み上げた。
「私も東京に行く用事もありますし、伊織さんもまたきてくださいますから大丈夫ですよ」
「そうね? なら、よかったさぁ。弁護士さん、砂川さんを泣かせたら承知しないよ」
悠真に向ける優しい笑顔とは裏腹に、運転手さんは伊織には鋭い視線を向けてくる。
「もちろんです。私が生涯愛するのは悠真だけですから」
はっきりと告げると、彼は一瞬驚きながらも満面の笑みを見せてくれた。
「さすが、倉橋社長が認めただけのことはあるね」
「えっ? 社長が?」
「ああ、何日か前に八尋さんとこで話してたよ。砂川さんにもようやく運命が見つかったみたいだって。それ聞いてピーンときたよ、絶対弁護士さんだって! そしたら平良のおばあちゃんも津覇の奥さんも久手堅の奥さんも砂川さんに良い恋人ができたって話してたから間違いないって思ってたのさ。俺の目に狂いはなかったね」
俺が一番先に気づいたんだと言わんばかりの彼の様子が面白い。
彼の話を聞いている間にあっという間に港に着き、タクシーを降りるともうすでに船が停まっていた。
運転手の彼にお礼を言い、悠真と手を繋いで船に乗り込む。
堂々と手を繋げるのもこの船で最後だ。少し寂しく思いながら隣同士の席に座った。
悠真の口数が如実に減っているのがわかる。
離れるのを寂しいと思ってくれているのだろう。それがよくわかるのは伊織も同じ気持ちだからだ。
「悠真……また都合をつけてすぐに来ますから」
「はい。私も伊織さんに会いに行きます」
真っ直ぐな瞳で見つめてくれる悠真がすごく愛おしい。
「私、帰ったらすぐに宗一郎さんと皐月さんに悠真のことを話すつもりでいます。悠真の都合を聞いてすぐにでも紹介の場を設けたいと思いますので、その時は東京に来ていただけますか?」
「もちろんです! 伊織さんの大切な方に紹介していただけるのを楽しみにしてます」
この話をしたおかげでさっきまで寂しそうだった悠真の表情が微かに和らいだ気がした。
いつまでもこの手を離したくない。
そうは思いつつも船はあっという間に石垣港に到着した。
二人でいると、小一時間なんて僅かな時間だと改めて感じる。
「伊織さん、行きましょうか」
寂しさを隠しながら必死に笑顔を見せる悠真に心が痛くなる。だが、どうしようもない。
船を降り、石垣空港に向かう。飛行機の出発時刻まで三十分を切っていた。
すぐに保安検査場を通らないといけないが、悠真と離れるのが辛い。
ここは西表ではないのだから我慢するべきなのだろう。だが、このまま離れるなんて絶対にできない。
伊織は人の目を気にすることをやめ、保安検査場の入り口前で悠真を思いっきり抱きしめた。
そして悠真の唇に自分のそれを重ね合わせた。
しばらくの間、悠真との甘いキスを堪能して名残惜しくも唇を離した。
「またすぐに会えますから。それまでこのキスを忘れないでください」
「忘れられるはずがありません。私には伊織さんしかいませんから……」
涙を潤ませ私を見つめる悠真をここに残して行かなければいけない。
それは心配で仕方がなかったが、どうすることもできない。
「悠真、愛しています。十分気をつけて西表まで帰ってください」
「伊織さん……必ず連絡しますから……」
後ろ髪を引かれつつ、ひとりで保安検査場を通り中へ進んだ。少しずつ悠真との距離が物理的に遠ざかっていく。
足取り重く感じながら、東京行きの搭乗口に向かうと肩をポンと叩かれた。
「えっ? 倉橋さん? なんでここに??」
思っても見ない人の登場に混乱した。しかし倉橋さんのほうは伊織の反応をわかっていたかのように落ち着いていた。
「いや、浅香に例の件を話したら、すぐにでも安慶名さんの料理を食べてみたいと言っていたんです。だから今日そのまま浅香のところに行こうかと思って、安慶名さんと一緒に東京に戻ることにしたんです」
「なら、前もって言ってくれれば……」
「私も東京に戻るといえば、あの砂川のことだから自分は西表に残ると言い出すと思いまして」
なるほど。悠真の時間を作ってくれたわけか。
「ちなみに今、砂川は名嘉村と一緒に西表に帰っているはずですよ。だから心配しないでください」
どこまで気がきく人なのだろう。本当に倉橋さんは敵に回さないほうがいい。
「ありがとうございます。実のところ、一人で帰すのが心配だったんです」
「そうだと思いましたよ。あ、そうだ。ちょっと良いですか?」
何やら急に一緒にカウンターに連れて行かれる。
「さっきの件、お願いします」
倉橋さんが航空スタッフに声をかける。
「畏まりました」と了承した彼女がカタカタとパソコンキーボードを押す。
「完了です」と声を上げた瞬間、伊織のスマホが通知を告げた。
倉橋さんは彼女にお礼を告げると、その場を離れた。
「安慶名さんの席を変更しておきましたので、ご確認ください」
慌てて確認すると、東京行きチケット変更の知らせが来ていた。
しかもエコノミークラスから、ファーストクラスへ変更になっている。
「ファーストクラスって……そんな、良いんですか?」
「国内線のファーストクラスなんか大したことないですから気になさることはないですよ。少し仕事の話をしたいので、必要経費ですね」
そう言われれば断るのも野暮だ。そもそもすでに変更されているのだから断るも何もない。
「わかりました。ありがたくお受けいたします」
「じゃあ中に入りましょうか」
仕事でチケットを用意された時でもビジネスクラスが最高だったから、初めて乗るファーストクラスには少し緊張した。
だが、身長が高く身体ががっしりとしている伊織にはこのゆったりさは楽で仕方がなかった。
同じような体格をしている倉橋さんも同様に思っていることだろう。
ただでさえ、離島路線は五時間近くかかる。その間、小さな席に座りつづけるのは少々辛いものがある。
正直ファーストクラスに変更してもらってホッとしている自分がいた。
「足が伸ばせるから楽でしょう?」
「本当に。行きは旅の始まりでしたから、なんとか我慢もできましたが帰りは少し辛いものがありましたね。倉橋さんのおかげで助かりました」
「ウエルカムドリンクは何を?」
「そうですね。軽いシャンパンでもいただきましょうか」
「じゃあ私もそれにしよう」
倉橋さんはすぐに担当CAに声をかけ持ってきてもらっていた。
「それじゃあ、安慶名さん。我々の縁を祝して……」
この言葉にいろんな意味が含まれているだろうことを理解しながら、
「「乾杯」」
と合わせると、倉橋さんは笑顔を浮かべた。
「それにしても安慶名さんの表情が違うことには浅香も気づくだろうな。まさかこの旅行で運命的な出会いをするとは思いませんでしたよ。本当に羨ましい」
彼にはまだ心から愛する存在は現れていないのだろう。
彼がワンナイトで相手を取っ替え引っ替えしているのはその最愛を探しているのだろうか。だが、伊織にはわかる。彼の最愛はそんな場所にはいないと。
きっと悠真のように身も心も綺麗な人だ。
それが女性であれ、男性であれ、彼には関係がないのだろう。彼は魂で人を好きになるはずだ。
「倉橋さんにも必ず良い人が現れますよ」
「運命を見つけた安慶名さんにそう言っていただけると安心しますよ」
彼は冗談だと思っているだろうが、伊織は本気でそう思っている。
倉橋さんのような人はきっと運命の一瞬を見逃したりはしないはずだ。
いつか倉橋さんから最愛の話を聞ける日が来るまで見守り続けたいと心から思った。
「では週明けから顧問弁護士をお願いするということでそちらの契約はその条件でよろしいですか?」
手渡された書類をしっかりと熟読し了承の返事をした。
「引き受けていただいて助かりましたよ。安慶名さんのような優秀な弁護士さんを探すのは本当に骨が折れる作業ですから」
「会社の顧問弁護士というのは、何よりも信頼関係が必要になりますからね。その点倉橋さんとは信頼関係云々よりも言ってみれば大切な家族みたいな関係だと思っていますから」
「家族ですか? それは砂川のことを仰っているのですか?」
「はい。悠真がK.Yリゾートを天職として大切に思っている以上、私も精一杯努めさせていただきますよ」
「それなら、これからは砂川に足を向けて寝られないな」
楽しそうに笑う倉橋さんの隣で、伊織は悠真とのこれからのことをいろいろと考えていた。
K.Yリゾートの顧問弁護士を正式に引き受けたことで月に幾日かは東京事務所を空けても収入面でも仕事面でも問題は無くなった。そして、もう一つ打診された石垣イリゼホテルの料理人という仕事。
これも決定権を持っている倉橋さんの推薦だということで十中八九決まるだろう。
今いる料理人さんからの引き継ぎと修行で何度か石垣に行く日程を決めて、効率的に動けばやってやれないことはないだろう。何よりも悠真と会うための時間を作るためだ。そのためにはなんの苦労も感じない。
「浅香にはもう話してありますから、羽田に着いたらそのまま銀座に向かっても構いませんか?」
「はい。問題ありません」
「浅香も驚いてましたよ。ずっと顧問弁護士として交流はありましたが、あまり深い話はお互いにしていませんでしたからね。まさか安慶名さんが調理師免許までお持ちとは……」
確かに彼らとの付き合いは決して短くない。だが、とかく自分のことを話したことはほどんどなかった。
「好きになると執着してしまうたちでして、お恥ずかしい限りですが、今回に関してはそれが功を奏したようです」
「なるほど。好きになると一途というわけですね。そんな安慶名さんだからこそ砂川をずっと一途に思ってくださるのでしょうね」
「ええ、もちろんです。私は一生手放すつもりなどありませんから。あの、倉橋さん……一つだけお聞きしても?」
倉橋さんの様子を窺いながらも、どうしてもそれだけは聞いておきたかった。
「なんでしょう?」
「今まで一度も、その……悠真には心が動いたことはありませんか?」
「ああ、そのことですか……ご安心ください。私は砂川のことは大切な仕事のパートナーだとは思っていますが、それ以上の感情を持ったことはただの一度もありません。そして、これからも一生あり得ません。それを信じていただけるかは安慶名さん次第ですが……」
倉橋さんがまっすぐ伊織を見つめてくる。一点の曇りもなく、ただひたすらに……
これ以上の清廉さはないな。
「失礼なことを伺って申し訳ありません」
「いえ、安慶名さんのお気持ちはよくわかりますから。お気になさらずに。西表と東京での遠距離は心も身体もお辛いでしょうが、西表には悠真を見守ってくれる人がたくさんいます。私が西表にいる場合はもちろん、私がいないときも名嘉村をはじめ複数の者から砂川の状況を把握できます。何かあれば、いえ、何もなくとも安慶名さんには砂川の状況は報告させるようにしますのでご安心ください。もちろん、見守ってくれる人は砂川のことを純粋に思っている者たちだけです。邪な考えなど持っている者はおりません」
はっきりと味方になると伝えられるとこれ以上心強いものはない。
「何から何までありがとうございます! 私にできることはなんでもさせていただきますので力が必要になりましたらぜひご連絡ください」
「それは心強いな。早速ご相談があるのですが、どなたか凄腕の調査員にお心当たりはありませんか?」
調査員という言葉にすぐに反応した。
「何かお困りごとでも?」
「まぁ今すぐというわけではないのですが……仕事柄情報収集が必要なケースが多々ありましてね。そんな時に、なかなかこれといった調査員に出会えずに困っているんですよ。金には糸目はつけないので、欲しい情報以上に調査してくださる方の伝手があればと思いまして」
彼のような立場なら、邪な気持ちを持って寄ってくるものも多いのだろう。それはよくわかる。
「そういうことですか。それなら良い人がいますよ」
「本当ですか!」
その反応に心から望んでいたのだろうということがありありと感じられた。
「ええ。この方です」
伊織は名刺入れから、旧友から預かっている名刺を一枚抜き取り倉橋さんに渡した。
「私の紹介といえば、必ず引き受けてくれますよ」
「ユウさん……ですか」
「はい。一度仕事を頼めば彼の実力はすぐにわかっていただけると思いますよ。リピートされるかは倉橋さん次第ですが」
「なるほど……ありがとうございます」
倉橋さんは彼の名刺を大事そうに財布にしまった。きっと彼とは長い付き合いになるだろう。
有意義な空の旅を終え、飛行機は無事羽田へ到着した。
すぐに悠真にそのことをメッセージで送るとすぐに既読がついた。
<無事に到着して安心しました。でも、私はまだ伊織さんのいない西表に慣れないでいます……。離れたばかりだというのにごめんなさい>
即座に悲しげなメッセージが届き胸が痛くなる。
<ああ、私も悠真に触れたい……もう少しの辛抱だから、待っていてください。すぐにでも東京で会いましょう。そのために私は今日にでも彼らに連絡をしておきます>
伊織は悠真にそうメッセージを送り、飛行機を降りた。
倉橋さんと共にそのまま銀座イリゼに向かう。
厨房を借りてオムレツを作り浅香さんに試食してもらった結果、無事に料理人としての採用が決まった。
これから沖縄本島の新しいイリゼホテルができるまでの一年半、何度か石垣イリゼに通って仲井眞さんから引き継ぐべきことを学ぶ日々が始まる。
倉橋さんが私と悠真のことを浅香さんに話すとかなり驚いている様子だったけれど、男同士で恋人だと知っても表情ひとつ変えないでいてくれるのは本当にありがたい。その上、私が石垣イリゼに通う間は悠真も石垣のあの離れに泊まれるように配慮してくれるようで、かなりの高待遇だ。倉橋さんと浅香さんにはもう感謝しかない。
伊織は意気揚々と銀座イリゼを出て、久々の自宅へ帰った。
荷物を置いてまずしたことは、彼らに連絡をすること。
もう大学からは帰ってきているだろうか。
とりあえず一度大きく深呼吸してスマホを取り出した。
ーもしもし。伊織か?
ーはい。宗一郎さん、お久しぶりです。
ーそうだな。二ヶ月ぶりか。もっと頻繁にかけてきてくれていいんだぞ。
ーすっかりご無沙汰してしまいまして申し訳ありません。
ーそれでどうしたんだ? 伊織が電話してきたんだ。何か大切な話があるんだろう?
ーはい。実は……宗一郎さんと皐月さんに紹介したい方ができまして……
ーなに? 本当かっ!! 皐月っ! 皐月っ! 伊織が私たちに紹介したい人ができたと言っているぞ。
よっぽど驚いたのだろう。こんなにも焦っている宗一郎さんは初めてだ。
ガタッガタッと音がしたと思ったら、急に声が変わった。
ー伊織! 紹介したい人ができたって本当なの?
ー皐月さん、そうなんです。それで近々食事会でも設けたいと思いまして、そのご都合を伺いたくて……
ー私たちはいつでもいいよ。伊織と彼女に合わせるから。
皐月さんの口から彼女という言葉が出てきて思わずドキッとした。
まだこのカミングアウトもしていないのだから当然だ。
ずっと独り身を貫いてきたからもしかしたら知られているかもしれないと思っていたが、皐月さんはやはり伊織がノーマルと思っていたのかもしれない。
ーあ、ありがとうございます。あの、相手の都合を聞いてからまたご連絡するということでよろしいでしょうか?
ーええ、もちろん。会えるのを楽しみにしてる。
ーあの……実は、彼女ではなく、彼なんです。
当日悠真を見て驚かれるのだけは避けたくて、電話でカミングアウトするのもどうかと思ったが、恐る恐る話してみたが、全く変わることのない声が返ってきた。
ーそうなんだ。伊織の彼に会うの楽しみにしてるね。
あっけらかんといつもと同じ声で答えてくれてホッとした。
宗一郎さんと皐月さんに受け入れてもらえないのが一番怖かったから……
伊織は喜びのままに電話を切った。
今日の報告を聞けば、寂しがっている悠真もきっと嬉しそうな声を聞かせてくれることだろう。
それを期待して伊織は愛しい悠真へ電話をかけた。
窓を開けると、大きな月の光が祝福するように伊織をそっと照らした。
* * *
ここまで読んでいただきありがとうございます。
これで完結となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
石垣で悠真に出会ってからの時間が濃密すぎて、半身をもがれるような思いだ。
とはいえ、いつまでもここに留まるわけにはいかないのはわかっている。
これから先の将来を共に歩くと言ってくれた悠真のために基盤を整えるという大事な役目があるのだから。
だが、一度知ってしまったこの肌の温もりを感じられない距離にいかなければならないのは本当に苦しい。
今日は悠真が石垣空港まで一緒に行ってくれると言ってくれたから、身体を合わせるのは少し控えめにしておいた。
それでも少し無理をさせてしまった感は否めないが、悠真は伊織を愛していると言いながら腕の中で眠ってくれた。
起きなければいけないギリギリの時間まで、愛しい悠真を腕の中に閉じ込めて過ごした。
それでもとうとうベッドからでなければいけないタイムリミットが来た。
「悠真、起きてください」
伊織の声に微笑む悠真を見てすでに起きているとわかった。悠真の唇に優しいキスを贈る。彼は嬉しそうに目を開けた。
「おはようございます、私の眠り姫」
「おはようございます、私の王子さま」
フレンチトーストにたっぷりとアイスと蜂蜜をかけたよりもずっと甘い言葉が返ってきた。
やっぱりこのまま帰りたくない。このまま悠真と過ごしたい。
人生で初めてのわがままを言いそうになったが、悠真に恥ずかしいところは見せられない。
「着替えて朝食を食べましょうか」
後ろ髪を引かれつつ声をかけた。
昨夜あらかじめ選んでおいた悠真の着替えは石垣島で選んだあの服。
彼がその服に着替えるのを堪能しながら、伊織も急いで適当な服を見繕った。
着替えを済ませ、キッチンへと向かう。
「伊織さん、今日は私が朝食を作りますね」
悠真の手料理! それだけで胸が高鳴る。
「伊織さんはこっちで見ててください」
キッチンがよく見える席に座るように言われて、そこに腰を下ろす。悠真が満足そうに料理を始めた。
何を作ってくれるのだろう。
悠真が作ってくれるものならばなんでも美味しいだろうが、他ならぬ愛しい悠真が伊織のためだけに作ってくれる料理だ。
それにしても悠真の手際がいい。一人暮らしにしては調味料も揃っていたし、調理器具も使いやすいように工夫されていた。本当に毎日自炊をしているのだろう。
二十分もかからずに朝食を作り終え、私の前へ並べてくれたその料理はなんとオムレツ。
「これ……」
「伊織さんのおじいさま直伝のオムレツと比べられるようなものではありませんが、伊織さんに私のオムレツも食べていただきたくて……。実は私の一番の得意料理なんですよ」
オムレツが好きだとは言っていたが、まさかオムレツを作ってくれるとは思わなかった。
自分以外が作ったオムレツを食べるのはいつ以来だろうか。
皐月さんや宗一郎さんにも伊織が作っていて、誰かに作ってもらったことはなかった。
もしかしたら祖父以来のオムレツかもしれない。そう思うと、どんどん嬉しくなってきた。
「悠真、いただいていいですか?」
我慢できずに悠真が頷くと同時にすぐにオムレツを掬い口に入れた。
ああ……これだ。ずっと欲しかったのは。
寂しかった心を埋めるように一生懸命作り続けた祖父のオムレツ。
伊織が作ったオムレツを食べ喜んでくれた人の笑顔が、幼いときの寂しかった心を埋めてくれたとばかり思っていた。
だが、違った。伊織の心にはまだあの時に開いた穴が残っていたんだ。それを悠真のオムレツが埋めてくれた。
「悠真。すごく美味しいです」
「よかった……」
「あの、悠真にお願いがあるんです……」
「どうしたんですか? そんな真剣な顔をして」
「これからも一生悠真のオムレツを食べさせてください。私はこれからオムレツは悠真のだけを食べたいんです」
オムレツごときで必死に懇願するなんて笑われるかもしれない。だが、お願いせずにはいられなかった。
それくらい悠真のオムレツは伊織の心そのものだったのだから。
「いいですよ。その代わり……私には伊織さんのオムレツだけ食べさせてくださいね」
悠真の出してきた可愛らしい交換条件に胸を打たれる。
「はい。約束します!!」
一緒に朝を迎えた日にはお互いにオムレツを作り合おう。
それが二人の一生忘れない大事な約束となった。
キャリーケースを引き、もう片方の手で悠真と手を繋ごうとして一瞬躊躇った。
だが、悠真はなんの躊躇いもなく伊織と手を繋いだ。しかも、恋人繋ぎと呼ばれる繋ぎ方で。
「悠真、いいんですか? 人に見られてしまいますが……」
「大丈夫ですよ。私たちがお付き合いをしていることはもうとっくに島中に知れ渡ってますから」
さらりとそんなことを告げられて驚いてしまう。
「この前、私を抱っこして家へと連れて行ってくれたでしょう? その時に平良のおばあちゃんたちに出会ったのを覚えてますか?」
「はい。お会いしましたね」
「あの人たちに見られたら、もう一時間後には島中に私に恋人ができたって噂が流れてるはずですから」
「一時間で? そんなに早く?」
「いえ、もしかしたらもっと早いかもしれません。伊織さんが格好いいからもうあっという間ですよ」
まるで伊織が格好いいと言われるのが嬉しいとでもいうような笑顔を見せてくれる。
だが、皆が皆祝福してくれるとは限らない。なんと言っても男同士。偏見もありそうだ。
「私が悠真の恋人でも祝福してくださるんでしょうか?」
「もちろんですよ、皆さん私が誰にも興味を持たないのを心配してくださってたので、伊織さんみたいな素敵な方が恋人になってくれてホッとしていると思います」
離島は閉鎖的でマイノリティは受け入れてもらえないのではと勝手に思っていた。
だが、悠真がこんなにも島民から愛されていて助かった。ここでは心置きなく外でも悠真と手が繋げるわけか。
西表島、最高だ!
悠真が呼んでくれたタクシーは偶然なのか、行きと同じタクシーだった。
「あいっ! 弁護士さん、もう東京に帰るのかい?」
「そうなんです。名残惜しいんですが、仕事が待っていますので……」
「砂川さんも寂しくなるねぇ」
その言葉にやはり二人のことがもう島中に知れ渡っているとわかった。しかし、彼には嫌悪感というものは全く見えない。
自分が悠真の恋人としてきちんと認められているのだと思うと嬉しさが込み上げた。
「私も東京に行く用事もありますし、伊織さんもまたきてくださいますから大丈夫ですよ」
「そうね? なら、よかったさぁ。弁護士さん、砂川さんを泣かせたら承知しないよ」
悠真に向ける優しい笑顔とは裏腹に、運転手さんは伊織には鋭い視線を向けてくる。
「もちろんです。私が生涯愛するのは悠真だけですから」
はっきりと告げると、彼は一瞬驚きながらも満面の笑みを見せてくれた。
「さすが、倉橋社長が認めただけのことはあるね」
「えっ? 社長が?」
「ああ、何日か前に八尋さんとこで話してたよ。砂川さんにもようやく運命が見つかったみたいだって。それ聞いてピーンときたよ、絶対弁護士さんだって! そしたら平良のおばあちゃんも津覇の奥さんも久手堅の奥さんも砂川さんに良い恋人ができたって話してたから間違いないって思ってたのさ。俺の目に狂いはなかったね」
俺が一番先に気づいたんだと言わんばかりの彼の様子が面白い。
彼の話を聞いている間にあっという間に港に着き、タクシーを降りるともうすでに船が停まっていた。
運転手の彼にお礼を言い、悠真と手を繋いで船に乗り込む。
堂々と手を繋げるのもこの船で最後だ。少し寂しく思いながら隣同士の席に座った。
悠真の口数が如実に減っているのがわかる。
離れるのを寂しいと思ってくれているのだろう。それがよくわかるのは伊織も同じ気持ちだからだ。
「悠真……また都合をつけてすぐに来ますから」
「はい。私も伊織さんに会いに行きます」
真っ直ぐな瞳で見つめてくれる悠真がすごく愛おしい。
「私、帰ったらすぐに宗一郎さんと皐月さんに悠真のことを話すつもりでいます。悠真の都合を聞いてすぐにでも紹介の場を設けたいと思いますので、その時は東京に来ていただけますか?」
「もちろんです! 伊織さんの大切な方に紹介していただけるのを楽しみにしてます」
この話をしたおかげでさっきまで寂しそうだった悠真の表情が微かに和らいだ気がした。
いつまでもこの手を離したくない。
そうは思いつつも船はあっという間に石垣港に到着した。
二人でいると、小一時間なんて僅かな時間だと改めて感じる。
「伊織さん、行きましょうか」
寂しさを隠しながら必死に笑顔を見せる悠真に心が痛くなる。だが、どうしようもない。
船を降り、石垣空港に向かう。飛行機の出発時刻まで三十分を切っていた。
すぐに保安検査場を通らないといけないが、悠真と離れるのが辛い。
ここは西表ではないのだから我慢するべきなのだろう。だが、このまま離れるなんて絶対にできない。
伊織は人の目を気にすることをやめ、保安検査場の入り口前で悠真を思いっきり抱きしめた。
そして悠真の唇に自分のそれを重ね合わせた。
しばらくの間、悠真との甘いキスを堪能して名残惜しくも唇を離した。
「またすぐに会えますから。それまでこのキスを忘れないでください」
「忘れられるはずがありません。私には伊織さんしかいませんから……」
涙を潤ませ私を見つめる悠真をここに残して行かなければいけない。
それは心配で仕方がなかったが、どうすることもできない。
「悠真、愛しています。十分気をつけて西表まで帰ってください」
「伊織さん……必ず連絡しますから……」
後ろ髪を引かれつつ、ひとりで保安検査場を通り中へ進んだ。少しずつ悠真との距離が物理的に遠ざかっていく。
足取り重く感じながら、東京行きの搭乗口に向かうと肩をポンと叩かれた。
「えっ? 倉橋さん? なんでここに??」
思っても見ない人の登場に混乱した。しかし倉橋さんのほうは伊織の反応をわかっていたかのように落ち着いていた。
「いや、浅香に例の件を話したら、すぐにでも安慶名さんの料理を食べてみたいと言っていたんです。だから今日そのまま浅香のところに行こうかと思って、安慶名さんと一緒に東京に戻ることにしたんです」
「なら、前もって言ってくれれば……」
「私も東京に戻るといえば、あの砂川のことだから自分は西表に残ると言い出すと思いまして」
なるほど。悠真の時間を作ってくれたわけか。
「ちなみに今、砂川は名嘉村と一緒に西表に帰っているはずですよ。だから心配しないでください」
どこまで気がきく人なのだろう。本当に倉橋さんは敵に回さないほうがいい。
「ありがとうございます。実のところ、一人で帰すのが心配だったんです」
「そうだと思いましたよ。あ、そうだ。ちょっと良いですか?」
何やら急に一緒にカウンターに連れて行かれる。
「さっきの件、お願いします」
倉橋さんが航空スタッフに声をかける。
「畏まりました」と了承した彼女がカタカタとパソコンキーボードを押す。
「完了です」と声を上げた瞬間、伊織のスマホが通知を告げた。
倉橋さんは彼女にお礼を告げると、その場を離れた。
「安慶名さんの席を変更しておきましたので、ご確認ください」
慌てて確認すると、東京行きチケット変更の知らせが来ていた。
しかもエコノミークラスから、ファーストクラスへ変更になっている。
「ファーストクラスって……そんな、良いんですか?」
「国内線のファーストクラスなんか大したことないですから気になさることはないですよ。少し仕事の話をしたいので、必要経費ですね」
そう言われれば断るのも野暮だ。そもそもすでに変更されているのだから断るも何もない。
「わかりました。ありがたくお受けいたします」
「じゃあ中に入りましょうか」
仕事でチケットを用意された時でもビジネスクラスが最高だったから、初めて乗るファーストクラスには少し緊張した。
だが、身長が高く身体ががっしりとしている伊織にはこのゆったりさは楽で仕方がなかった。
同じような体格をしている倉橋さんも同様に思っていることだろう。
ただでさえ、離島路線は五時間近くかかる。その間、小さな席に座りつづけるのは少々辛いものがある。
正直ファーストクラスに変更してもらってホッとしている自分がいた。
「足が伸ばせるから楽でしょう?」
「本当に。行きは旅の始まりでしたから、なんとか我慢もできましたが帰りは少し辛いものがありましたね。倉橋さんのおかげで助かりました」
「ウエルカムドリンクは何を?」
「そうですね。軽いシャンパンでもいただきましょうか」
「じゃあ私もそれにしよう」
倉橋さんはすぐに担当CAに声をかけ持ってきてもらっていた。
「それじゃあ、安慶名さん。我々の縁を祝して……」
この言葉にいろんな意味が含まれているだろうことを理解しながら、
「「乾杯」」
と合わせると、倉橋さんは笑顔を浮かべた。
「それにしても安慶名さんの表情が違うことには浅香も気づくだろうな。まさかこの旅行で運命的な出会いをするとは思いませんでしたよ。本当に羨ましい」
彼にはまだ心から愛する存在は現れていないのだろう。
彼がワンナイトで相手を取っ替え引っ替えしているのはその最愛を探しているのだろうか。だが、伊織にはわかる。彼の最愛はそんな場所にはいないと。
きっと悠真のように身も心も綺麗な人だ。
それが女性であれ、男性であれ、彼には関係がないのだろう。彼は魂で人を好きになるはずだ。
「倉橋さんにも必ず良い人が現れますよ」
「運命を見つけた安慶名さんにそう言っていただけると安心しますよ」
彼は冗談だと思っているだろうが、伊織は本気でそう思っている。
倉橋さんのような人はきっと運命の一瞬を見逃したりはしないはずだ。
いつか倉橋さんから最愛の話を聞ける日が来るまで見守り続けたいと心から思った。
「では週明けから顧問弁護士をお願いするということでそちらの契約はその条件でよろしいですか?」
手渡された書類をしっかりと熟読し了承の返事をした。
「引き受けていただいて助かりましたよ。安慶名さんのような優秀な弁護士さんを探すのは本当に骨が折れる作業ですから」
「会社の顧問弁護士というのは、何よりも信頼関係が必要になりますからね。その点倉橋さんとは信頼関係云々よりも言ってみれば大切な家族みたいな関係だと思っていますから」
「家族ですか? それは砂川のことを仰っているのですか?」
「はい。悠真がK.Yリゾートを天職として大切に思っている以上、私も精一杯努めさせていただきますよ」
「それなら、これからは砂川に足を向けて寝られないな」
楽しそうに笑う倉橋さんの隣で、伊織は悠真とのこれからのことをいろいろと考えていた。
K.Yリゾートの顧問弁護士を正式に引き受けたことで月に幾日かは東京事務所を空けても収入面でも仕事面でも問題は無くなった。そして、もう一つ打診された石垣イリゼホテルの料理人という仕事。
これも決定権を持っている倉橋さんの推薦だということで十中八九決まるだろう。
今いる料理人さんからの引き継ぎと修行で何度か石垣に行く日程を決めて、効率的に動けばやってやれないことはないだろう。何よりも悠真と会うための時間を作るためだ。そのためにはなんの苦労も感じない。
「浅香にはもう話してありますから、羽田に着いたらそのまま銀座に向かっても構いませんか?」
「はい。問題ありません」
「浅香も驚いてましたよ。ずっと顧問弁護士として交流はありましたが、あまり深い話はお互いにしていませんでしたからね。まさか安慶名さんが調理師免許までお持ちとは……」
確かに彼らとの付き合いは決して短くない。だが、とかく自分のことを話したことはほどんどなかった。
「好きになると執着してしまうたちでして、お恥ずかしい限りですが、今回に関してはそれが功を奏したようです」
「なるほど。好きになると一途というわけですね。そんな安慶名さんだからこそ砂川をずっと一途に思ってくださるのでしょうね」
「ええ、もちろんです。私は一生手放すつもりなどありませんから。あの、倉橋さん……一つだけお聞きしても?」
倉橋さんの様子を窺いながらも、どうしてもそれだけは聞いておきたかった。
「なんでしょう?」
「今まで一度も、その……悠真には心が動いたことはありませんか?」
「ああ、そのことですか……ご安心ください。私は砂川のことは大切な仕事のパートナーだとは思っていますが、それ以上の感情を持ったことはただの一度もありません。そして、これからも一生あり得ません。それを信じていただけるかは安慶名さん次第ですが……」
倉橋さんがまっすぐ伊織を見つめてくる。一点の曇りもなく、ただひたすらに……
これ以上の清廉さはないな。
「失礼なことを伺って申し訳ありません」
「いえ、安慶名さんのお気持ちはよくわかりますから。お気になさらずに。西表と東京での遠距離は心も身体もお辛いでしょうが、西表には悠真を見守ってくれる人がたくさんいます。私が西表にいる場合はもちろん、私がいないときも名嘉村をはじめ複数の者から砂川の状況を把握できます。何かあれば、いえ、何もなくとも安慶名さんには砂川の状況は報告させるようにしますのでご安心ください。もちろん、見守ってくれる人は砂川のことを純粋に思っている者たちだけです。邪な考えなど持っている者はおりません」
はっきりと味方になると伝えられるとこれ以上心強いものはない。
「何から何までありがとうございます! 私にできることはなんでもさせていただきますので力が必要になりましたらぜひご連絡ください」
「それは心強いな。早速ご相談があるのですが、どなたか凄腕の調査員にお心当たりはありませんか?」
調査員という言葉にすぐに反応した。
「何かお困りごとでも?」
「まぁ今すぐというわけではないのですが……仕事柄情報収集が必要なケースが多々ありましてね。そんな時に、なかなかこれといった調査員に出会えずに困っているんですよ。金には糸目はつけないので、欲しい情報以上に調査してくださる方の伝手があればと思いまして」
彼のような立場なら、邪な気持ちを持って寄ってくるものも多いのだろう。それはよくわかる。
「そういうことですか。それなら良い人がいますよ」
「本当ですか!」
その反応に心から望んでいたのだろうということがありありと感じられた。
「ええ。この方です」
伊織は名刺入れから、旧友から預かっている名刺を一枚抜き取り倉橋さんに渡した。
「私の紹介といえば、必ず引き受けてくれますよ」
「ユウさん……ですか」
「はい。一度仕事を頼めば彼の実力はすぐにわかっていただけると思いますよ。リピートされるかは倉橋さん次第ですが」
「なるほど……ありがとうございます」
倉橋さんは彼の名刺を大事そうに財布にしまった。きっと彼とは長い付き合いになるだろう。
有意義な空の旅を終え、飛行機は無事羽田へ到着した。
すぐに悠真にそのことをメッセージで送るとすぐに既読がついた。
<無事に到着して安心しました。でも、私はまだ伊織さんのいない西表に慣れないでいます……。離れたばかりだというのにごめんなさい>
即座に悲しげなメッセージが届き胸が痛くなる。
<ああ、私も悠真に触れたい……もう少しの辛抱だから、待っていてください。すぐにでも東京で会いましょう。そのために私は今日にでも彼らに連絡をしておきます>
伊織は悠真にそうメッセージを送り、飛行機を降りた。
倉橋さんと共にそのまま銀座イリゼに向かう。
厨房を借りてオムレツを作り浅香さんに試食してもらった結果、無事に料理人としての採用が決まった。
これから沖縄本島の新しいイリゼホテルができるまでの一年半、何度か石垣イリゼに通って仲井眞さんから引き継ぐべきことを学ぶ日々が始まる。
倉橋さんが私と悠真のことを浅香さんに話すとかなり驚いている様子だったけれど、男同士で恋人だと知っても表情ひとつ変えないでいてくれるのは本当にありがたい。その上、私が石垣イリゼに通う間は悠真も石垣のあの離れに泊まれるように配慮してくれるようで、かなりの高待遇だ。倉橋さんと浅香さんにはもう感謝しかない。
伊織は意気揚々と銀座イリゼを出て、久々の自宅へ帰った。
荷物を置いてまずしたことは、彼らに連絡をすること。
もう大学からは帰ってきているだろうか。
とりあえず一度大きく深呼吸してスマホを取り出した。
ーもしもし。伊織か?
ーはい。宗一郎さん、お久しぶりです。
ーそうだな。二ヶ月ぶりか。もっと頻繁にかけてきてくれていいんだぞ。
ーすっかりご無沙汰してしまいまして申し訳ありません。
ーそれでどうしたんだ? 伊織が電話してきたんだ。何か大切な話があるんだろう?
ーはい。実は……宗一郎さんと皐月さんに紹介したい方ができまして……
ーなに? 本当かっ!! 皐月っ! 皐月っ! 伊織が私たちに紹介したい人ができたと言っているぞ。
よっぽど驚いたのだろう。こんなにも焦っている宗一郎さんは初めてだ。
ガタッガタッと音がしたと思ったら、急に声が変わった。
ー伊織! 紹介したい人ができたって本当なの?
ー皐月さん、そうなんです。それで近々食事会でも設けたいと思いまして、そのご都合を伺いたくて……
ー私たちはいつでもいいよ。伊織と彼女に合わせるから。
皐月さんの口から彼女という言葉が出てきて思わずドキッとした。
まだこのカミングアウトもしていないのだから当然だ。
ずっと独り身を貫いてきたからもしかしたら知られているかもしれないと思っていたが、皐月さんはやはり伊織がノーマルと思っていたのかもしれない。
ーあ、ありがとうございます。あの、相手の都合を聞いてからまたご連絡するということでよろしいでしょうか?
ーええ、もちろん。会えるのを楽しみにしてる。
ーあの……実は、彼女ではなく、彼なんです。
当日悠真を見て驚かれるのだけは避けたくて、電話でカミングアウトするのもどうかと思ったが、恐る恐る話してみたが、全く変わることのない声が返ってきた。
ーそうなんだ。伊織の彼に会うの楽しみにしてるね。
あっけらかんといつもと同じ声で答えてくれてホッとした。
宗一郎さんと皐月さんに受け入れてもらえないのが一番怖かったから……
伊織は喜びのままに電話を切った。
今日の報告を聞けば、寂しがっている悠真もきっと嬉しそうな声を聞かせてくれることだろう。
それを期待して伊織は愛しい悠真へ電話をかけた。
窓を開けると、大きな月の光が祝福するように伊織をそっと照らした。
* * *
ここまで読んでいただきありがとうございます。
これで完結となります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

