南国特有のスコールが初恋を連れてきてくれました

「安慶名さん、よかったら今日は一緒に食事でもいかがですか? 美味しい沖縄料理を出してくれる店があるんですよ」
会社に戻る車の中で倉橋さんに誘われた。
正直言って今夜は悠真と過ごしたかった。そして昨夜の続きを……と思っていた。
だが、わざわざ西表にまできてくれて、しかもあんな素晴らしい湖まで見せてくれた倉橋さんが気を遣って誘ってくれているのを無下にはしたくない。
「……そうですね。では、砂川さんも一緒に」
さりげなく悠真にも声をかけると、彼も伊織の意図をすぐに理解してくれたようだ。
「えっ……あ、はい。社長、ご一緒してもよろしいですか?」
「そうだな。大勢で行った方が楽しいだろう」
その言葉に伊織はホッと胸を撫で下ろした。
その時、倉橋さんがどんな表情で伊織を見ているのかなんて全然気づきもせずに……

K.Yリゾートに戻り、車を降りる。そのまますぐ近くにある沖縄料理店に案内された。
『チムガナサン』
看板に書かれた文字に目が留まった。
倉橋さんがガラガラと引き戸を開けると甘辛い醤油の匂いが漂ってくる。
祖父の得意料理だった懐かしいあの匂いがする。まるで祖父の家に帰ったような錯覚を覚える。
懐かしい匂いに急に故郷を思い出し、伊織は思わず笑みを浮かべた。
「こんばんはー」
友達の家を訪ねたように気軽な声をかけ、倉橋さんが入っていく。
「いらっしゃい。倉橋くん、しばらくぶりだね。砂川さんも」
店主らしき男性が気軽に声をかけてくる。パッと見、沖縄出身には到底見えない顔立ちだ。
その彼が心から愛おしいという意味を持つ『チムガナサン』を店名につけたのは、よほどこの地が気に入っているということか。
「あれ? 初めての人を連れてきてくれたんだね」
職業柄、つい初対面の人を凝視してしまう。彼は伊織の視線に気がついたようだ。
「彼はうちの新しい顧問弁護士の安慶名さん。沖縄出身だけど、今は東京で法律事務所を開業している。俺の東京での仕事先でも顧問弁護士をしてくれているんだ」
倉橋さんがサラッと紹介してくれるが、彼は伊織が弁護士だと聞いても驚きもしない。それどころか、伊織以上にじっと見つめてきた。
「新しい人を探さなきゃってぼやいてた、あれか。へぇ、いい人を見つけたな。私は八尋崇史。ここに店を出して十年になる。これからどうぞご贔屓に」
「安慶名伊織と申します。どうぞよろしくお願いします」
さっと差し出された手を握る。すると、合格とでも言わんばかりに笑顔を向けてきた。
「倉橋くん、彼はいいね。人柄の良さが滲み出てるよ」
「そうだろう? うちの顧問弁護士には彼しかいないって思ってたんだ」
倉橋さんからそんな言葉をかけられてなんだか嬉しくなる。
「安慶名さん、今日はゆっくりしていってください。お会計は全部倉橋くんにツケておくので」
「ええっ、いえ、そんなわけには……」
「いいえ、安慶名さん。私がお誘いしたんですから、久しぶりの沖縄料理を楽しんでください」
ここまで言われて断るのはかえって失礼だろう。
「では、お言葉に甘えて……」
そういうと、倉橋さんと八尋さんはにっこりと笑った。
奥の個室に案内され、三人分とは思えないほどの料理がたくさん運ばれてくる。
ラフテーにクーブイリチー、オオタニワタリの天ぷらにもずく酢。
どれも懐かしい匂いと見た目に伊織の箸の進みは早かった。
美味しい泡盛と料理を肴に楽しい会話を進め、あれだけたくさんあった食事も気付けば空になっていた。
食事を始めて三時間近く経ち、そろそろお開きになるだろう。
「安慶名さん、まだ呑み足りないでしょう。このあと、うちで呑みませんか?」
泡盛のボトルをいくつも空けていた倉橋さんは全く酔っている気配もなく軽やかに誘ってきた。
確かにまだ話足りないのは本当だが、悠真との二人の時間も欲しくて即決できない。
「砂川もうちで一緒に呑まないか?」
悠真にも声をかけるのを見れば、断る理由はない。
「それじゃあ、ぜひ砂川さんも一緒にお邪魔しましょうか」
「えっ……あ、はい。社長、じゃあ私もお付き合いします」
二人の時間は無くなったが、悠真も一緒に呑めるなら問題ない。
店を出て、ほのかな月明かりを受けながら、倉橋さんの自宅へと向かった。
会社と先ほどの店とそう離れてはいない大きな古民家が倉橋さんの自宅らしい。
どうやら元々ここに建てられていた古民家をリノベーションしたようだが、そういうところは倉橋さんらしい。
彼ならこの西表の雰囲気を壊すようなものは作らないように思えたからだ。
この古民家の外観は伊織が昔住んでいた沖縄の家によく似ている。けれど、中は驚くほどスタイリッシュで機能的な家だった。
「そこらへんに適当に座ってください」
案内されたリビングは広く、天井が高くて開放感がある。
窓の外から見える素晴らしい中庭に見入っているとキッチンの方で何やら音が聞こえた。酒の準備をしてくれているのだろうか。振り返って音のするほうを見ると、倉橋さんがエプロンを身につけ、悠真を助手に何やら料理をしているのが見える。まるで新婚家庭のようなその光景に慌ててキッチンに足を向ける。
「ちょっと酒のつまみでも作ろうかと思いまして……」
笑顔で語る倉橋さんの傍らで悠真は料理に必要なものを手渡しながら、酒やグラスなど準備をしている。
阿吽の呼吸のように料理を作る二人の息がピッタリで驚いたが、倉橋さんが適当に料理するのをただ見守っているという感じだ。二人で作っているのではないことに安堵しつつ、伊織は彼の手つきに注目していた。
「倉橋さん、料理がお上手なんですね」
「いえ、それほどでも。うちは母親が料理が苦手でして、父がいつも料理をしていたんですよ。幼い頃から男が料理を作るのが当然という環境で育ってきましたので、それでですかね」
「なるほど。私も料理は良くするんですよ」
「ええっ、そうなんですか?」
かなりびっくりされたが、これでも一人暮らし歴は長い。だが見た目があまり作らなそうに見えるのかもしれない。
「祖父と二人暮らしでしたから嫌でも作れるようにならないとっていうところから始まったのですが、いつか大事な人ができた時になんでも作ってあげられるように、とそこから料理にのめり込みましてね、趣味が講じて調理師免許まで取得してしまったんですよ」
「ええっ! 調理師免許まで? それは知らなかった! すごいですね!」
驚きを見せる倉橋さんの横で悠真も驚きの表情を見せている。弁護士の傍らで調理師免許まで取ったと言えば驚くのも無理はないか。
すると倉橋さんが何やら思案顔をしていたかと思ったら、
「安慶名さん、もしよければ今日はうちにお泊まりになりませんか?」
と誘ってきた。何か理由はあるのは間違いないが、ここに宿泊までしてしまっては悠真と過ごす時間がれこそなくなってしまう。それだけは避けたい。
「いえ、それはさすがにご迷惑では?」
なんとかさりげなく断る方向に向けたかったが、
「大丈夫ですよ。うちには離れがありますからそちらにお泊りください」
と笑顔で言われては断りようがなかった。
「砂川。お前も一緒に離れに泊まってやるといい」
「「えっ?」」
悠真が一緒に離れに泊まる?
倉橋さんからの思わぬ話の流れに全くついていけていない。あまりの驚きに声をあげると、倉橋さんは笑って説明を始めた。
「実はうちの離れは昔ながらの五右衛門風呂でしてね、若干使い方に手間取るんですよ。その点、砂川の実家は昔、五右衛門風呂を使ってらしくて使い方には長けていて正直、家主の私より五右衛門風呂の取り扱いがうまいので安心です。是非砂川と離れに泊まってもらえませんか?」
五右衛門風呂、か……。なるほど。風呂事情はわかったが、なぜこんなにも悠真との宿泊を勧めるんだろう?
もしかしたら倉橋さんは気づいているのだろうか?
「なぜ、そこまでこの家に泊まるように勧めてくださるのですか?」
疑問が浮かべばそれを問わずにはいられない。それは弁護士としての性かもしれない。
「やっぱり私の意図に気づきましたか?」
ニヤリと笑みを向けられて緊張が走る。
やはり、倉橋さんは伊織が大事な社員に手をつけたことを実は怒っているのかもしれない。
もしかしたら顧問弁護士の話もなしになるかもしれない。
緊張しながら倉橋さんを見つめた。
「実は……安慶名さんの料理を食べてみたいなと思いまして」
「えっ? り、料理ですか?」
思いがけない返しに伊織は戸惑って思わず声が上擦ってしまった。
「ええ。それでもし宜しければ、今日うちに泊まって明日の朝食を作っていただけませんか? 実は自分で作るのも少し飽きてきたというか、お店の食事ではない手料理を久しぶりに食べさせて欲しくて……」
確かに倉橋さんの言いたいことはよくわかる。
自分の作る料理の味付けに少し飽きて他の人の手料理が食べたくなるというのはよくあることだ。
それも外食ではなくて家庭料理が食べたくなる。実際に、倉橋さんが作ってくれている料理は自分でも作れるものだが、他の人が作ってくれているというだけで食欲が増す。
「そういうことなら、私は別に構いませんが……本当に離れに泊めていただいて宜しいのですか?」
「ええ。元々、安慶名さんがこちらに来られたときは宿泊場所に離れを案内するつもりでいましたから」
そうだったのか。西表での宿泊場所は近くに泊まるところがあるので予約も必要ないとは言われていた。
てっきり近くの民宿でも紹介されるのかと思っていたが、まさか倉橋さんの家の離れだとは想像していなかった。
しかし、そうにっこりと微笑みながら言われたらもうこれ以上断るのも憚られる。
それに悠真と一緒に泊まれるというのならそれは嬉しい限りだ。
もちろん離れとはいえ、倉橋さんのご自宅で悠真とどうこうしようとは思っていない。ただ一緒にいられるだけでいい。
「でしたら、お言葉に甘えてお邪魔いたします」
「冷蔵庫や食品庫の食材はなんでも好きなように使っていただいて結構ですから。楽しみだな。安慶名さんの料理」
倉橋さんは笑顔で作りかけの料理の仕上げに入った。
「じゃあ、砂川。先に離れの部屋を見てきてくれないか。足りないものがあったらこっちから持っていって準備しておいてくれ」
「畏まりました。あの、じゃあ安慶名さん。少し失礼します」
「お手数をおかけして申し訳ありません」
悠真はほんのり頬を染めながらペコリと頭をさげ、パタパタと離れへ向かっていった。
しばらくすると悠真が中庭から外に出て奥に見える大きな家に入っていくのが見える。
「もしかして、離れってあの大きな家ですか?」
「そうです。あそこは浅香や蓮見が西表にきたときに宿泊してもらう部屋で、のんびりくつろげるように広い家を用意したんですよ」
まさか、ここまでとは思わなかった。倉橋さんの総資産は一体どれほどなんだろうか?
浅香さんからはイリゼホテルを開業するにあたって倉橋さんからかなりの投資をしてもらったと聞いているし、それに涼平さんも焼肉チェーンを起業するのにかなり世話になったと話していた。そして自分の会社まで……
倉橋さんの底知れぬ才能に驚かされるばかりだ。
悠真が離れの準備をしてくれている間に倉橋さんが作った料理を運んだり酒の支度をしておく。
最後の料理を持ってきた倉橋さんがソファーに腰を下ろし、声をかけてきた。
「あの、安慶名さん。ちょっといいですか?」
さっきまでとは違う雰囲気に一瞬ドキッとしながら冷静を装った。