「えっ? 倉橋さんも西表に来られていたんですか?」
実は悠真は知っていて隠していたのかと思ったが、悠真も目を丸くして驚いている。
どうやら倉橋さんは悠真にも告げずにこちらにきていたようだ。
「実は昨日砂川から連絡をもらった時、私は沖縄本島にいたんですよ」
「社長! 私、そんな話聞いてませんよ」
悠真が少し焦っている。たった今まで伊織のものだったはずなのに、倉橋さんと出会った途端に倉橋さんの悠真になってしまったようなそんな喪失感に襲われる。
「急に決まったんだよ。浅香が本島にイリゼの新ホテルを予定していてね、その場所にいいところが見つかったものだから、一緒に見に来て欲しいと頼まれて急遽沖縄に飛んだんだ」
「そうでしたか。浅香さんの……。それでは社長をわざわざこちらにお呼びだてすることになってしまって……申し訳ございません」
「いや、社員の一大事だ。社長として当然のことだからそこは気にしなくていい」
「ありがとうございます」
やはり二人の間には私が入り込めないようなそんな雰囲気が漂っている。
悠真の気持ちを疑うことは全くないが、倉橋さんの気持ちはどうなのだろう。それが気になって仕方がない。
「改めまして、安慶名さん。こんな遠くまでお越しいただきありがとうございます」
「いえ、ここに来るまでの間に素晴らしい自然はもうすでに堪能していますし、島民の方も気さくで倉橋さんがこちらに会社をおつくりになったのもわかる気がします」
「私もここに来たばかりの頃は離島のコミュニティにうまく入れるか心配だったんですがね、西表という土地柄、自然の美しさに魅せられて移住してくる人も結構多いので、よその離島よりは懐が広い方が多いみたいですよ」
小さな島はとかく閉鎖的なイメージがあるが、移住者が多い島はやはり受け入れる意識が違うのだろう。
「これから会社の中と、私の所有する無人島にご案内しましょう」
「えっ? あそこに行けるのですか?」
「ええ。時期的に少し早いかもしれませんが、運が良ければ見られるかもしれません」
「それは楽しみですね」
そのまま倉橋さんに会社内を案内されることとなった。悠真は社長である倉橋さんが直々に案内するのに自分がついて行っては迷惑だろうと考えたようだ。早々に通常業務へ戻ってしまい二人だけの時間は唐突に終わりを迎えてしまった。
ひとしきり会社内を案内され、最後に社長室へ招き入れられた。
社外秘のファイルを全て出してもらい見せてもらうが、ここまで全く問題がないのも珍しい。
「お見せいただいた今までの契約書や従業員との雇用契約、就業規則や事業計画に関しても全く非の打ちどころがないですね。特にクレームやトラブルなどもなかったようですし今までの顧問弁護士さんはよほど優秀だったと見えます」
「以前の方は私の父の知り合いでしてね、すごくよくしていただいていたので海外に行かれると聞かされた時は愕然としましたよ。ですが、安慶名さんにお引き受けいただけるのであれば、これ以上心強いことはありません。安慶名さんになら会社経営についてもいい助言をいただけそうですし」
「そう仰っていただけて光栄です。是非ともお引き受けさせていただきます」
「本当ですか? よかった。安慶名さんに断られたら困ることになると思っていましたよ」
安堵の表情を浮かべる倉橋さんを見ながら、本当に彼は経営者として素晴らしい資質の持ち主だと感じていた。
人当たりもよく交友関係は広いが、人を見極める力は特に素晴らしい。彼がYESと判断したものは確実にいい結果を生み出し、逆にNOと判断し彼が手を引いたものは必ず破綻する。やはり彼には経営者として天性の才能があるといえる。
「そろそろいい時間だ。無人島に渡りましょう」
倉橋さんに案内されながら社長室を出る。
「砂川、一緒についてきてくれ」
仕事をしていた悠真はその手をすぐに止め、伊織たちの元へ走り寄ってきた。
「ゆ……砂川さんも一緒に行かれるのですか?」
「人手は多い方がいいんですよ」
にっこりと微笑まれたらそれ以上尋ねるのも憚られる。それ悠真と一緒に行けるのは嬉しいことだ。
倉橋さんの車の後部座席に座らせてもらったが、悠真は当然のように助手席に座っていた。
当然といえばそうなのかもしれないが、倉橋さんの助手席に悠真が座っているのがなんとなく解せない。
本当は私の隣に座って欲しいが、それは口にはできなかった。
無人島へ渡るには集落の奥にある海辺から船で行くらしい。既に船の準備はしておいてくれたようだ。
「昨夜はせっかくの一人旅をご満喫のところ、突然相部屋をお願いしてしまって申し訳ありませんでした」
突然、倉橋さんから昨夜の詫びを言われて思わずドキッとしてしまったのは
――もし、安慶名さんが彼とそういうことになるのなら、それもまた運命ですから……
と言われていたことを思い出したからだ。
偶然とはいえ、倉橋さんのことだ。もしかしたら彼はこうなることを予測していたのではという気にさせられる。
それくらい倉橋さんには何か普通では考えられないような力を感じるのだ。
「いいえ、砂川さんにはいろいろと楽しいお話も聞かせていただいて、一人で過ごすよりもずっと楽しい時間を過ごせました。かえって砂川さんにはご迷惑をかけてしまったかもしれません」
「いえ、私は迷惑など……。私もいつもは一人で滞在するので、お話し相手になってくださってすごく楽しかったです」
伊織が『砂川さん』と呼んだことを少し寂しそうな表情を見せていたが、悠真も会社モードに切り替えながらも嬉しい言葉を返してくれた。
「……それなら、よかった。砂川は人見知りなところがあって、すぐには心を開かないので心配していたんですよ」
「そんなことありませんよ! 砂川さんは気遣いのできる方ですから、いろいろ考えてなさっているだけです」
倉橋さんが、悠真のことをよく知っているとでも言いたげに話すのが悔しくてつい声を張り上げてしまった。
「安慶名さん……」
悠真が心配そうな声をかけてきて、はっと我に返る。
「も、申し訳ありません」
慌てて詫びの言葉を口にした。
「いえ、気にしないでください。これから一緒に働いていただく安慶名さんに大事な社員の内面をこんなにも分かっていただけているのは経営者として嬉しいことですから」
バックミラー越しに笑顔を向けられたが、彼のその目の奥になんとなく違う感情が見えた気がした。
車は集落の奥にある森を抜け、明るい光の差す場所へ到着した。
「ここの海は離島の中でも群を抜いて美しいですね」
目の前には太陽の光に反射してキラキラとまるでアクアマリンのように輝く海がある。
「ここは遊泳禁止ゾーンですし、観光客は入れませんからね。かなり貴重な場所ですよ」
そう説明しながら、倉橋さんは船体にK.Yリゾートと書かれた大きなモーターボートに乗り込んでいく。
「こちらへどうぞ」
倉橋さんの呼びかけに、伊織を先に乗せようとする悠真の手を取って一緒にボートへと乗り込んだ。
「砂川、安慶名さんを中の席に案内してくれ」
そうしじを出して、倉橋さんは一人で操縦席へ向かった。
「伊織さん、こちらです」
悠真に名を呼ばれて、悠真が伊織のものに戻ったようで嬉しくなる。案内された席に並んで座った。
コバルトブルーの海を進みながら、船は十分ほどで小さな島に到着した。小さいと言ってもそこそこの大きさがある。
無人島はその場所や大きさによって価格もピンキリだが、この大きさとリゾート的な価値を考えれば、億に届くかどうかといったところだろうか。
設備投資や税金等を考えても決して安くない買い物だが、あの虹色の湖があるこの島は観光客誘致に事欠くことはないだろう。観光ツアー会社を営んでいる彼にとってはかなり素晴らしい島を購入できたといえる。
こういう点においても彼は良いものを捕まえる力に長けているのだろう。
船がゆっくりと船着場に到着し、安全を確認するためにまず倉橋さんが島に下りた。
続けて伊織が先に船を降りたのは悠真を安全に下ろすためだ。島に足をつけた後、振り向いて悠真に手を差し出した。
悠真は少し照れながらしっかりと伊織の手を握りポスっと胸に飛び込んできた。
久しぶりの悠真の感触と匂いに離しがたくなる。
「あ、あの……安慶名さん?」
戸惑った悠真の声に気付き、急いで悠真の身体を離した。
倉橋さんのほうを見やると、彼は到着後の船の点検をしているようでこちらは見ていなかった。
ホッと息を吐くと、悠真から笑みが溢れる。その笑みに誘われるように伊織も笑顔を浮かべた。
「安慶名さん、こちらです」
案内された道は舗装もされていない獣道のような細い道。
周りの自然とも調和されたこの道はおそらく倉橋さんがこの島を買い取った後、自分で作ったものだろう。
倉橋さんほどの金があれば観光地として大々的に整備することも可能だろうが、きっとこの島に住む貴重な動物や昆虫のためにそうしないのだろう。倉橋さんのこういうところが人として尊敬できる。
「足元滑りやすくなっていますのでお気をつけください」
そう注意しながら、倉橋さんは先へと進んでいく。
さすが、慣れたものだ。確かここのツアーは倉橋さんの案内だけと限定されていた。
余計なトラブルを減らすためにも、この島のことを熟知した倉橋さんだけが関わっているというわけか。
だから、こんなにもスイスイと進むことができるのだろう。
女性や子供のいる観光客相手なら気遣いもあるだろうが、今は男三人。気遣いなんて必要ない。そんな倉橋さんのスタンスも好感が持てた。
倉橋さんの後ろを悠真の手を取りながらゆっくりと歩いていく。
悠真が嬉しそうに手を握り返してくれるそれだけで嬉しさが倍増する気がした。
「もうすぐですよ」
倉橋さんの声で耳を澄ますと、確かに海の音ではない水音がする。
大きな木々から伸びた南国らしい大きな葉を手で避けながら抜けると、そこには大きな湖が広がっていた。
その驚くほど透明な美しい湖に胸が高鳴る。しかし、それは虹色ではない。
倉橋さんもまだ時期には少し早いと言っていた。見られなかったことに残念な気持ちもあったが、虹色でなくともこの湖は素晴らしい景色を見せてくれた。ここに悠真と一緒に来られただけで幸せだ。そう思おう。
ところが、その時「ほら、来ましたよ」と倉橋さんの声が聞こえたと思ったら、さっきまで透明だった水面にさーっと色がついていく。
赤、オレンジ、黄色、緑……虹色どころか水の揺らぎによって色が何色にも変わっていく。
なんだろう、この神秘的な美しさは。この世の全ての自然現象の美しさをこの湖に集めたような、まさに言葉にできない美しさという言葉がぴったり当てはまる。
「倉橋さん……これほどまでとは……」
ようやく絞り出した伊織の手に悠真がそっとハンカチを持たせてくれる。
どうやらあまりにも感動しすぎて、気づかない間に涙を流してしまっていたようだ。
悠真に泣き顔を見せるなんて恥ずかしい。
だが、彼は笑って湖を見つめる。
「私も初めてこの光景を見た時は泣いてしまったんですよ。この景色は一度として同じものにならないんだそうです。だからこの一瞬を伊織さんと分かち合えて嬉しいです」
一度として同じものにならない……。あの時、悠真と出会えたからこそこの景色を見ることができたというわけか。
写真や動画に残すなんて無粋な真似はせず、しっかりと目と心に焼き付けよう。
伊織は悠真と手を取ったまま、消えていく美しい光の揺らぎをしばらく見つめていた。
実は悠真は知っていて隠していたのかと思ったが、悠真も目を丸くして驚いている。
どうやら倉橋さんは悠真にも告げずにこちらにきていたようだ。
「実は昨日砂川から連絡をもらった時、私は沖縄本島にいたんですよ」
「社長! 私、そんな話聞いてませんよ」
悠真が少し焦っている。たった今まで伊織のものだったはずなのに、倉橋さんと出会った途端に倉橋さんの悠真になってしまったようなそんな喪失感に襲われる。
「急に決まったんだよ。浅香が本島にイリゼの新ホテルを予定していてね、その場所にいいところが見つかったものだから、一緒に見に来て欲しいと頼まれて急遽沖縄に飛んだんだ」
「そうでしたか。浅香さんの……。それでは社長をわざわざこちらにお呼びだてすることになってしまって……申し訳ございません」
「いや、社員の一大事だ。社長として当然のことだからそこは気にしなくていい」
「ありがとうございます」
やはり二人の間には私が入り込めないようなそんな雰囲気が漂っている。
悠真の気持ちを疑うことは全くないが、倉橋さんの気持ちはどうなのだろう。それが気になって仕方がない。
「改めまして、安慶名さん。こんな遠くまでお越しいただきありがとうございます」
「いえ、ここに来るまでの間に素晴らしい自然はもうすでに堪能していますし、島民の方も気さくで倉橋さんがこちらに会社をおつくりになったのもわかる気がします」
「私もここに来たばかりの頃は離島のコミュニティにうまく入れるか心配だったんですがね、西表という土地柄、自然の美しさに魅せられて移住してくる人も結構多いので、よその離島よりは懐が広い方が多いみたいですよ」
小さな島はとかく閉鎖的なイメージがあるが、移住者が多い島はやはり受け入れる意識が違うのだろう。
「これから会社の中と、私の所有する無人島にご案内しましょう」
「えっ? あそこに行けるのですか?」
「ええ。時期的に少し早いかもしれませんが、運が良ければ見られるかもしれません」
「それは楽しみですね」
そのまま倉橋さんに会社内を案内されることとなった。悠真は社長である倉橋さんが直々に案内するのに自分がついて行っては迷惑だろうと考えたようだ。早々に通常業務へ戻ってしまい二人だけの時間は唐突に終わりを迎えてしまった。
ひとしきり会社内を案内され、最後に社長室へ招き入れられた。
社外秘のファイルを全て出してもらい見せてもらうが、ここまで全く問題がないのも珍しい。
「お見せいただいた今までの契約書や従業員との雇用契約、就業規則や事業計画に関しても全く非の打ちどころがないですね。特にクレームやトラブルなどもなかったようですし今までの顧問弁護士さんはよほど優秀だったと見えます」
「以前の方は私の父の知り合いでしてね、すごくよくしていただいていたので海外に行かれると聞かされた時は愕然としましたよ。ですが、安慶名さんにお引き受けいただけるのであれば、これ以上心強いことはありません。安慶名さんになら会社経営についてもいい助言をいただけそうですし」
「そう仰っていただけて光栄です。是非ともお引き受けさせていただきます」
「本当ですか? よかった。安慶名さんに断られたら困ることになると思っていましたよ」
安堵の表情を浮かべる倉橋さんを見ながら、本当に彼は経営者として素晴らしい資質の持ち主だと感じていた。
人当たりもよく交友関係は広いが、人を見極める力は特に素晴らしい。彼がYESと判断したものは確実にいい結果を生み出し、逆にNOと判断し彼が手を引いたものは必ず破綻する。やはり彼には経営者として天性の才能があるといえる。
「そろそろいい時間だ。無人島に渡りましょう」
倉橋さんに案内されながら社長室を出る。
「砂川、一緒についてきてくれ」
仕事をしていた悠真はその手をすぐに止め、伊織たちの元へ走り寄ってきた。
「ゆ……砂川さんも一緒に行かれるのですか?」
「人手は多い方がいいんですよ」
にっこりと微笑まれたらそれ以上尋ねるのも憚られる。それ悠真と一緒に行けるのは嬉しいことだ。
倉橋さんの車の後部座席に座らせてもらったが、悠真は当然のように助手席に座っていた。
当然といえばそうなのかもしれないが、倉橋さんの助手席に悠真が座っているのがなんとなく解せない。
本当は私の隣に座って欲しいが、それは口にはできなかった。
無人島へ渡るには集落の奥にある海辺から船で行くらしい。既に船の準備はしておいてくれたようだ。
「昨夜はせっかくの一人旅をご満喫のところ、突然相部屋をお願いしてしまって申し訳ありませんでした」
突然、倉橋さんから昨夜の詫びを言われて思わずドキッとしてしまったのは
――もし、安慶名さんが彼とそういうことになるのなら、それもまた運命ですから……
と言われていたことを思い出したからだ。
偶然とはいえ、倉橋さんのことだ。もしかしたら彼はこうなることを予測していたのではという気にさせられる。
それくらい倉橋さんには何か普通では考えられないような力を感じるのだ。
「いいえ、砂川さんにはいろいろと楽しいお話も聞かせていただいて、一人で過ごすよりもずっと楽しい時間を過ごせました。かえって砂川さんにはご迷惑をかけてしまったかもしれません」
「いえ、私は迷惑など……。私もいつもは一人で滞在するので、お話し相手になってくださってすごく楽しかったです」
伊織が『砂川さん』と呼んだことを少し寂しそうな表情を見せていたが、悠真も会社モードに切り替えながらも嬉しい言葉を返してくれた。
「……それなら、よかった。砂川は人見知りなところがあって、すぐには心を開かないので心配していたんですよ」
「そんなことありませんよ! 砂川さんは気遣いのできる方ですから、いろいろ考えてなさっているだけです」
倉橋さんが、悠真のことをよく知っているとでも言いたげに話すのが悔しくてつい声を張り上げてしまった。
「安慶名さん……」
悠真が心配そうな声をかけてきて、はっと我に返る。
「も、申し訳ありません」
慌てて詫びの言葉を口にした。
「いえ、気にしないでください。これから一緒に働いていただく安慶名さんに大事な社員の内面をこんなにも分かっていただけているのは経営者として嬉しいことですから」
バックミラー越しに笑顔を向けられたが、彼のその目の奥になんとなく違う感情が見えた気がした。
車は集落の奥にある森を抜け、明るい光の差す場所へ到着した。
「ここの海は離島の中でも群を抜いて美しいですね」
目の前には太陽の光に反射してキラキラとまるでアクアマリンのように輝く海がある。
「ここは遊泳禁止ゾーンですし、観光客は入れませんからね。かなり貴重な場所ですよ」
そう説明しながら、倉橋さんは船体にK.Yリゾートと書かれた大きなモーターボートに乗り込んでいく。
「こちらへどうぞ」
倉橋さんの呼びかけに、伊織を先に乗せようとする悠真の手を取って一緒にボートへと乗り込んだ。
「砂川、安慶名さんを中の席に案内してくれ」
そうしじを出して、倉橋さんは一人で操縦席へ向かった。
「伊織さん、こちらです」
悠真に名を呼ばれて、悠真が伊織のものに戻ったようで嬉しくなる。案内された席に並んで座った。
コバルトブルーの海を進みながら、船は十分ほどで小さな島に到着した。小さいと言ってもそこそこの大きさがある。
無人島はその場所や大きさによって価格もピンキリだが、この大きさとリゾート的な価値を考えれば、億に届くかどうかといったところだろうか。
設備投資や税金等を考えても決して安くない買い物だが、あの虹色の湖があるこの島は観光客誘致に事欠くことはないだろう。観光ツアー会社を営んでいる彼にとってはかなり素晴らしい島を購入できたといえる。
こういう点においても彼は良いものを捕まえる力に長けているのだろう。
船がゆっくりと船着場に到着し、安全を確認するためにまず倉橋さんが島に下りた。
続けて伊織が先に船を降りたのは悠真を安全に下ろすためだ。島に足をつけた後、振り向いて悠真に手を差し出した。
悠真は少し照れながらしっかりと伊織の手を握りポスっと胸に飛び込んできた。
久しぶりの悠真の感触と匂いに離しがたくなる。
「あ、あの……安慶名さん?」
戸惑った悠真の声に気付き、急いで悠真の身体を離した。
倉橋さんのほうを見やると、彼は到着後の船の点検をしているようでこちらは見ていなかった。
ホッと息を吐くと、悠真から笑みが溢れる。その笑みに誘われるように伊織も笑顔を浮かべた。
「安慶名さん、こちらです」
案内された道は舗装もされていない獣道のような細い道。
周りの自然とも調和されたこの道はおそらく倉橋さんがこの島を買い取った後、自分で作ったものだろう。
倉橋さんほどの金があれば観光地として大々的に整備することも可能だろうが、きっとこの島に住む貴重な動物や昆虫のためにそうしないのだろう。倉橋さんのこういうところが人として尊敬できる。
「足元滑りやすくなっていますのでお気をつけください」
そう注意しながら、倉橋さんは先へと進んでいく。
さすが、慣れたものだ。確かここのツアーは倉橋さんの案内だけと限定されていた。
余計なトラブルを減らすためにも、この島のことを熟知した倉橋さんだけが関わっているというわけか。
だから、こんなにもスイスイと進むことができるのだろう。
女性や子供のいる観光客相手なら気遣いもあるだろうが、今は男三人。気遣いなんて必要ない。そんな倉橋さんのスタンスも好感が持てた。
倉橋さんの後ろを悠真の手を取りながらゆっくりと歩いていく。
悠真が嬉しそうに手を握り返してくれるそれだけで嬉しさが倍増する気がした。
「もうすぐですよ」
倉橋さんの声で耳を澄ますと、確かに海の音ではない水音がする。
大きな木々から伸びた南国らしい大きな葉を手で避けながら抜けると、そこには大きな湖が広がっていた。
その驚くほど透明な美しい湖に胸が高鳴る。しかし、それは虹色ではない。
倉橋さんもまだ時期には少し早いと言っていた。見られなかったことに残念な気持ちもあったが、虹色でなくともこの湖は素晴らしい景色を見せてくれた。ここに悠真と一緒に来られただけで幸せだ。そう思おう。
ところが、その時「ほら、来ましたよ」と倉橋さんの声が聞こえたと思ったら、さっきまで透明だった水面にさーっと色がついていく。
赤、オレンジ、黄色、緑……虹色どころか水の揺らぎによって色が何色にも変わっていく。
なんだろう、この神秘的な美しさは。この世の全ての自然現象の美しさをこの湖に集めたような、まさに言葉にできない美しさという言葉がぴったり当てはまる。
「倉橋さん……これほどまでとは……」
ようやく絞り出した伊織の手に悠真がそっとハンカチを持たせてくれる。
どうやらあまりにも感動しすぎて、気づかない間に涙を流してしまっていたようだ。
悠真に泣き顔を見せるなんて恥ずかしい。
だが、彼は笑って湖を見つめる。
「私も初めてこの光景を見た時は泣いてしまったんですよ。この景色は一度として同じものにならないんだそうです。だからこの一瞬を伊織さんと分かち合えて嬉しいです」
一度として同じものにならない……。あの時、悠真と出会えたからこそこの景色を見ることができたというわけか。
写真や動画に残すなんて無粋な真似はせず、しっかりと目と心に焼き付けよう。
伊織は悠真と手を取ったまま、消えていく美しい光の揺らぎをしばらく見つめていた。

