「よし、これでいい」
明日からの沖縄旅行を前に、安慶名伊織は仕事を全て片付けて事務所の鍵をかけた。
桜城大学法学部を卒業し司法修習を経て順調に弁護士の道を進んだ伊織は、昨年お世話になっていた事務所から独立して、三十五歳にして念願だった『安慶名法律事務所』を開業した。
これまでは刑事事件の弁護をすることが多かったが、今は法人向けに顧問弁護士もしているし、離婚や親権、養育費など夫婦のトラブルから遺産相続などの家族のトラブルまでなんでも引き受けている。
伊織が顧問弁護士を務めている企業はいくつかあるが、初めて請け負ったのは二十六歳の時。大学の先輩である蓮見周平さんから、弟の涼平さんが大学の友人たちと三人で立ち上げた会社の顧問弁護士になってほしいと依頼されたことがきっかけだった。
涼平さんは大学時代に石垣島に石垣牛焼肉専門店<綺>をオープンさせ、今は銀座店など国内に数店舗を展開している。
その涼平さんの友人の一人、浅香敬介さんは大学卒業とともに銀座に高級リゾートホテル<イリゼホテル&リゾート>を開業した。きめ細やかなサービスとおもてなしの良さで国内外の客層に人気があり、現在は石垣島にもイリゼホテルをオープンさせ、近々沖縄本島にも開業の予定がある。
そしてもう一人の友人の倉橋祐悟さんは西表島で<K.Yリゾート>という観光ツアー会社を経営しながら、将来性のある数多の業種に投資をしている。また、倉橋さん自身も肌に優しいトイレタリー商品やスマホのアプリ、超高性能GPSなどいくつも商品開発を行なっていて、その多岐にわたる才能に驚かされる。
そんな三人が立ち上げた会社が本業とは全く畑が違う芸能事務所だったことに驚いたが、出演先や所属しているタレントとの契約関係を細かく決めたり、マスコミ等による名誉毀損やプライバシー侵害への対応、またインターネット上での誹謗中傷への対応など通常の企業とはまた違う仕事内容に伊織はやりがいを感じていた。
この芸能事務所<テリフィックオフィス>の代表になった倉橋さんは、交友関係も広く自社のタレントを売り込むのがうまい。経営や企業戦略に長けたGMの涼平さんは、あえて事務所を大きくすることなく、少数精鋭で多方面から望まれる事務所を作り上げている。そして、芸能事務所にとってなくてはならない存在なのが、スカウトマンの浅香さん。
彼が小さな劇場を巡り見つけた役者は演技力に長け、主役脇役を問わずにオファーが殺到している。
それぞれ別々の魅力を持った三人の共同事務所だからこそ、この事務所経営はうまくいっているのだろう。
伊織は顧問弁護士という立場で彼らの仕事を支えられることに誇りを持っていた。
そこから八年の時を経て伊織が事務所を離れ独立するときも、引き続き伊織に顧問弁護士を続けてほしいと言ってくれたお陰で彼らとの縁はまだ続いている。
「安慶名さん、もしよければ私のもう一つの会社でも顧問弁護士をお願いできませんか?」
先日<テリフィックオフィス>の事務所で久しぶりに顔を合わせた際、倉橋さんがそんな声をかけてきた。
「実は、今まで顧問弁護士をお願いしていた人が奥さまの海外赴任に一緒についていかれることになり弁護士を辞められるんですよ。それで急遽新しく顧問弁護士を探さないといけないのですが、安慶名さん以外に信頼できる方をすぐに見つけられる自信がなくて……安慶名さんにぜひお願いしたいのですがいかがでしょうか?」
倉橋さんの会社の場所は沖縄県の離島、その中でも秘境と呼ばれる西表島。その会社の顧問弁護士ということで、伊織の頭の中にいろいろな思いが駆け巡った。
倉橋さんが伊織の過去を知っているかは分からないが、実は伊織は沖縄出身。安慶名という名は沖縄がルーツだ。
両親と祖母はとうの昔に亡くなっていて、伊織は幼い時から高校教師の祖父と二人暮らしだった。その祖父も伊織が高校一年の冬に亡くなり、保護者を失った伊織は誰が引き取るかでたらい回しの末、東京にいるという遠戚に引き取られることになっていた。
しかし、葬儀に参列してくれた祖父の教え子で桜城大学の教授をしていた志良堂宗一郎さんに「東京で一緒に住まないか?」と声をかけてもらったことがきっかけで、伊織は志良堂家に引き取られることとなった。
志良堂家に引き取られて初めて知ったが、志良堂さんには同性のパートナーがいた。同じ大学の准教授の鳴宮皐月さんだ。
最初こそ二人とどう接していいのかと悩んだ伊織だったが、あまりにも自然体な二人の様子に意識をするのはやめようと考え、今では本当の家族のような関係を築かせてもらっている。
祖父と別れ、沖縄から離れて約二十年。自分の法律事務所を開業し新たな道を歩き始めた伊織に、こうして沖縄との縁が生まれたのは何かしらの意味があるのかもしれない。住んでいた沖縄本島ではないが、久しぶりに沖縄の地に足を踏み入れるのも面白い。
「とりあえず一度会社に伺わせてください」
気づけば倉橋さんにそう頼んでいた。
明日からの沖縄旅行を前に、安慶名伊織は仕事を全て片付けて事務所の鍵をかけた。
桜城大学法学部を卒業し司法修習を経て順調に弁護士の道を進んだ伊織は、昨年お世話になっていた事務所から独立して、三十五歳にして念願だった『安慶名法律事務所』を開業した。
これまでは刑事事件の弁護をすることが多かったが、今は法人向けに顧問弁護士もしているし、離婚や親権、養育費など夫婦のトラブルから遺産相続などの家族のトラブルまでなんでも引き受けている。
伊織が顧問弁護士を務めている企業はいくつかあるが、初めて請け負ったのは二十六歳の時。大学の先輩である蓮見周平さんから、弟の涼平さんが大学の友人たちと三人で立ち上げた会社の顧問弁護士になってほしいと依頼されたことがきっかけだった。
涼平さんは大学時代に石垣島に石垣牛焼肉専門店<綺>をオープンさせ、今は銀座店など国内に数店舗を展開している。
その涼平さんの友人の一人、浅香敬介さんは大学卒業とともに銀座に高級リゾートホテル<イリゼホテル&リゾート>を開業した。きめ細やかなサービスとおもてなしの良さで国内外の客層に人気があり、現在は石垣島にもイリゼホテルをオープンさせ、近々沖縄本島にも開業の予定がある。
そしてもう一人の友人の倉橋祐悟さんは西表島で<K.Yリゾート>という観光ツアー会社を経営しながら、将来性のある数多の業種に投資をしている。また、倉橋さん自身も肌に優しいトイレタリー商品やスマホのアプリ、超高性能GPSなどいくつも商品開発を行なっていて、その多岐にわたる才能に驚かされる。
そんな三人が立ち上げた会社が本業とは全く畑が違う芸能事務所だったことに驚いたが、出演先や所属しているタレントとの契約関係を細かく決めたり、マスコミ等による名誉毀損やプライバシー侵害への対応、またインターネット上での誹謗中傷への対応など通常の企業とはまた違う仕事内容に伊織はやりがいを感じていた。
この芸能事務所<テリフィックオフィス>の代表になった倉橋さんは、交友関係も広く自社のタレントを売り込むのがうまい。経営や企業戦略に長けたGMの涼平さんは、あえて事務所を大きくすることなく、少数精鋭で多方面から望まれる事務所を作り上げている。そして、芸能事務所にとってなくてはならない存在なのが、スカウトマンの浅香さん。
彼が小さな劇場を巡り見つけた役者は演技力に長け、主役脇役を問わずにオファーが殺到している。
それぞれ別々の魅力を持った三人の共同事務所だからこそ、この事務所経営はうまくいっているのだろう。
伊織は顧問弁護士という立場で彼らの仕事を支えられることに誇りを持っていた。
そこから八年の時を経て伊織が事務所を離れ独立するときも、引き続き伊織に顧問弁護士を続けてほしいと言ってくれたお陰で彼らとの縁はまだ続いている。
「安慶名さん、もしよければ私のもう一つの会社でも顧問弁護士をお願いできませんか?」
先日<テリフィックオフィス>の事務所で久しぶりに顔を合わせた際、倉橋さんがそんな声をかけてきた。
「実は、今まで顧問弁護士をお願いしていた人が奥さまの海外赴任に一緒についていかれることになり弁護士を辞められるんですよ。それで急遽新しく顧問弁護士を探さないといけないのですが、安慶名さん以外に信頼できる方をすぐに見つけられる自信がなくて……安慶名さんにぜひお願いしたいのですがいかがでしょうか?」
倉橋さんの会社の場所は沖縄県の離島、その中でも秘境と呼ばれる西表島。その会社の顧問弁護士ということで、伊織の頭の中にいろいろな思いが駆け巡った。
倉橋さんが伊織の過去を知っているかは分からないが、実は伊織は沖縄出身。安慶名という名は沖縄がルーツだ。
両親と祖母はとうの昔に亡くなっていて、伊織は幼い時から高校教師の祖父と二人暮らしだった。その祖父も伊織が高校一年の冬に亡くなり、保護者を失った伊織は誰が引き取るかでたらい回しの末、東京にいるという遠戚に引き取られることになっていた。
しかし、葬儀に参列してくれた祖父の教え子で桜城大学の教授をしていた志良堂宗一郎さんに「東京で一緒に住まないか?」と声をかけてもらったことがきっかけで、伊織は志良堂家に引き取られることとなった。
志良堂家に引き取られて初めて知ったが、志良堂さんには同性のパートナーがいた。同じ大学の准教授の鳴宮皐月さんだ。
最初こそ二人とどう接していいのかと悩んだ伊織だったが、あまりにも自然体な二人の様子に意識をするのはやめようと考え、今では本当の家族のような関係を築かせてもらっている。
祖父と別れ、沖縄から離れて約二十年。自分の法律事務所を開業し新たな道を歩き始めた伊織に、こうして沖縄との縁が生まれたのは何かしらの意味があるのかもしれない。住んでいた沖縄本島ではないが、久しぶりに沖縄の地に足を踏み入れるのも面白い。
「とりあえず一度会社に伺わせてください」
気づけば倉橋さんにそう頼んでいた。

