役目を果たした日陰の勇者は、辺境で自由に生きていきます

 次の日、訓練は王城の近くにある騎士団の練兵場で行われることになった。
 体力の確認と、基本的な戦い方やスキル、魔術について教えてくれるということで、ちょっと楽しみなくらいだ。
 体力の確認というのはあまり楽しみではないけれど、スキルや魔術というのは地球上では存在しない未知の技術だからだ。

「……さて、勇者様方。私は近衛騎士団、団長のアウグスト・バーデンです。皆さんの訓練の全ては、私が担当しますので、短い間かもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」

 アウグストは二メートルに届くのではないか、という大男で、しかし全身が引き締まっている見栄えのする騎士であった。
 なるほど、近衛騎士団長を務めるだけはあると見た目だけで感じさせられる存在だ。

「まずは練兵場を走るところからだ。体力の限界を見るためだから、適度な速度で走ってくれればいい」

 彼にそう言われて、とりあえず全員で走り出す。
 止められるまで走ればいいということで、ペースはそれぞれだ。
 僕は自分がどれくらいの速度で走ればいいのかいまいち分からず、目安として藤井の横に並ぶことにする。
 すると、

「見るからにスパルタって感じのおっさんだな……」

 勘弁して欲しい、という感じで藤井がぼそりと呟いた。
 気持ちは分からないでもない。
 アウグストはなんというか、ぱっと見で分かる体育会系の空気感を放っているからだ。
 それがそのまま、訓練の姿勢に反映されるのなら、まさしくスパルタ系になることは想像できた。

「でも、短い期間でこの世界で生きていくための力を身につけるなら、むしろそれくらいの方がいいかもしれないよ」

 僕はそう指摘する。
 実際、この世界はそうそう楽な世界でなさそうなのはなんとなく想像がついていた。
 魔族がいる、魔物がいる、空には人間を簡単に掴んで飛んでいきそうな巨大生物が普通に飛んでいる、となると、自分の命を守ることすら容易ではなさそうだ。
 そのことについては藤井も理解しているらしく、軽く頷く。

「それは俺も分かってる……けどなぁ、やっぱり憂鬱だよ」

「まぁそれはね……坂城くんが結構乗り気なのが以外だよ」

「あいつ、あれで結構根性があるからな」

「へぇ……藤井くんはないの?」

「俺は今まで何やっても長続きしなかったからな……あ、そうだ」

 ふと思いついたように藤井が僕を見る。

「どうしたの? 藤井くん」

「それだよそれ」

「それ?」

「藤井、くん、ってやつ」

「え?」

 どういう意味か首を傾げると、藤井は頭をガシガシかいて続けた。

「いや、何で名字にくん付けなんだ? 水くさいだろ」

「あー……」

 僕としては、別に幼なじみでも元から友達だったわけでも何でもないため、自然とそう口にしていた。
 しかし藤井としては気に入らないらしい。

「春親って呼んでくれよ。俺だって律って呼んでるんだしさ」

「うーん、いきなりは慣れないかも」

「いいさ、徐々にで。っていうか、穂乃のことは穂乃って呼ぶじゃないか。何でだよ」

「あぁ、あれは最初の旧神殿で話しかけられた後、私のことは穂乃って呼んでって言われたから、自然に……」

 言われるまで大して気にしていなかったが、何も考えずにそう呼んでいたことに気づく。
 穂乃は人の懐に入るのがうまいのだろう。
 一番話しかけるのに気楽なところがある。
 向こうからも何の壁も感じさせずに話しかけてくるし。

「あいつってそういうとこあるからな……昔から」

「そうなんだ。分かる気はする」

 自然と友達百人作ってそうな空気感があるというか。

「そうなんだよ……四人の中でもそういうの一番下手なのは、俺だ」

「意外だね。こう言っちゃなんだけど、むしろ一番うまそうだけど」

 ずかずか人の心に足を踏み入れそうな感じ?
 そこまでは流石に口にしないが、春親は僕がそんなようなことを思っていることを感じたようだ。

「デリカシーなさそうって? いやいや、むしろ一番人に気を遣うのが俺だぜ?」

「そうかな? いや、言われてみると確かにそうなのかも……」

 考えてみれば、召喚されて一番始めに事態の確認に動いたのは彼だ。
 あれは、一番最初に正体不明の人物に話しかけるという、いわば一番槍を率先して引き受けた、と取れる。
 他の場面においても、そのような傾向があったのも間違いない。
 細かな交渉のようなことが必要になってくると皆瀬が後を継ぐことが多かったが……幼なじみだけあって、そういう役割分担が自然に出来ているのかもしれなかった。
 
 それからしばらく走り続けると、不思議なことに気づく。
 走り始めてから結構な時間が経った。
 それも決して手を抜いたペースではなく、そこそこの速度でである。
 それなのに……。

「ほとんど疲れてない……?」

 僕がそう呟くと、春親もそれを感じたようだ。

「俺もだ。っていうか向こうじゃこれくらいの速度で十分も走れば結構な息切れしてたぞ……これってもしかして……」

「気づいたか」

「わっ」

 横から、ぬっとした感じでアウグストが現れてそんなことを言ったので驚く。

「あ、アウグスト……さん」

 僕がそう言うとアウグストは厳めしい顔で意外にも優しく微笑む。

「訓練中は教官と呼んでくれ。こちらも敬語などは使わない」

「……分かりました。教官。それで、気づいたとは」

「うむ。君たちは聞くところによると、魔力など存在しない場所から来たということだったな?」

「ええ」

「ということは、その使い方など知らないのだろう?」

 聞かれて、僕と春親は顔を見合わせて頷く。

「だがな、君たちは無意識に魔力を纏っているのが感じられた。だからまず走ってもらったのだ。その力の意味を理解してもらうために」

「それってどういう」

「あれじゃねぇか? ほら、魔力って身体能力を強化するとかってよくあるだろ」

 春親が推測を口にすると、どうやらそれは当たっていたようだ。

「その通りだ。魔力は体に纏うことで、身体能力を大幅に引き上げる。たとえば、力そのものが強くなったり、防御力が上がったり……こうして、持久力が上昇したり、とかな」

「ですけど、僕たちそんなもの使ってる意識はないですよ……それに、昨日から今日に至るまで、力が強くなったと感じたことはないです」

「それは確かに少し不思議なのだがな。ないことではない。魔力は意識的に扱うことで最も強い力を発揮するが、世の中の才能ある者は誰に教えられることもなく、無意識にそれを制御していることがある。君たち五人は、まさにそういう才能を持っているのだろう。これは非常に珍しいことだ……しかも五人全員とは。やはり、勇者として召喚されただけのことはある」

「才能ですか……他の四人は分かりますが、僕にも?」

 少なくとも、僕には勇者の称号はなかったのだ。
 それなのに、と思う。

「律、君にも間違いなくあるよ。確かに他の四人の方が身体能力が上がっている節があるが……それはそもそもの肉体の頑強さの問題もあるから何ともいえないところもある。君は虚弱体質だったと聞いたが、それが影響している可能性も高い」

「あぁ……なるほど」

 たとえば、皆が元々体力を五、持ってたとして身体強化で二倍になって十の身体能力を発揮できるようになっているとしても、僕の場合元々の体力が一とか二なので、どう頑張っても二とか四とかにしかならないみたいなことか。
 ……一とか二は流石に言いすぎかな?
 こうして結構走れているし、三くらいはある気がする。

「この調子なら、全員、普通に訓練を進めて問題なさそうだ。そろそろ持久走は止めにしよう。他の皆にも伝えてくるから、君たちは元の場所で待っててくれ」

 僕と春親にそう告げて、アウグストは他の三人の方にもの凄い速度で走って行った。
 おそらく、あれが本物の身体強化なのだろう。
 無意識にやっている僕たちとは質が違うのを理解できた。
 意識的にやる方が高い効果を発揮するという意味が分かる。

「……あれだけの力を出せるなら、魔物だって倒せるようになる訳か」

 春親が呟く。

「僕たちもあそこまでになれるのかな」

「分かんねぇけど……多少は強くなれるだろうってのは間違いなさそうだ。期待しようぜ」