「さて、まずは……宮廷魔術師長」
ライオルがそう話しかけたのは、金糸による複雑な刺繍の施されたローブを身に纏う男だった。
宮廷魔術師長、と呼んだことから、魔法や魔術の責任者なのだろうと推測が出来る。
しかし、なぜ彼が最初なのだろう。
不思議に思っていると、男が前に出てきた話し出す。
「はい、陛下。勇者様方……お初にお目にかかります。宮廷魔術師長のミュゲ・セルージュと申します」
その姿勢は丁寧で、僕たちになにか悪感情を持っているようには見えない。
それでも信用できるかどうかはまだ分からないが、これに関してはこの世界の人間全員がそうなのでどうしようもない。
一人一人、ちゃんと見極めていくしかない。
ミュゲは、大体三十才前後に見える細面の男だった。
この世界の寿命がどれくらいなのかは分からないが、この年で宮廷魔術師長、というのはかなり優秀な方なのではないだろうか。
地球で言うなら、どこかの省庁の大臣とかそのくらいになるだろうし。
いや、そのまま比べられはしないだろうけれど、大まかな目安としては間違っていないはずだ。
ミュゲは続ける。
「私がこの場におりますのは、まず、皆様方が本当に勇者様なのかどうかを調べるためです」
これには藤井が反応する。
「……疑われているということですか?」
考えてみれば、突然あの場所に現れただけで、勇者などという存在であるという確証などない。
しかしそんなもの、どうやって証すればいいというのだろう。
「いえ、疑っている、というか……皆様があの勇者召喚の魔法陣によって呼ばれた存在である、ということは特に疑っておりません。それについては実際に確認していますので」
どういうことかと思って尋ねると、僕たちの感覚からすれば一瞬でこっちに呼ばれた、という感じだったが、こちらの世界の人から見ると、魔法陣が起動して数日ほどしてから、僕たちが現れたということらしい。
もちろん、魔法陣の起動が確認された時点で監視員がつき、召喚までしっかりと目視でも、また観測器具など使ったやり方でも、監視していたというのだ。
「では、どういう……?」
首を傾げる僕たちに、ミュゲは言った。
「そもそも、勇者、というのは一体どんな存在なのか、私たちにもはっきりとは分かっていないのです」
「え?」
思わず声を出した僕だったが、ミュゲは続ける。
「言い伝えや伝説はいくつもあるのですが……ただ、闇が世界を覆うとき、それを払うために勇者が現れる、と。多くの場合それだけで……。ただ、確認する方法もまた、伝えられてはいるのです。それが、ステータスに現れる、というものです」
「ステータス……? ってまさか、あのステータスかな……?」
坂城がぼそりと呟く。
ミュゲはそれを拾って、答えた。
「あの、というのがどういったものかは存じませんが……ステータスというのは個人の能力値や称号、職業などのことです。これらについては、特殊な魔導具によって確認することが出来るので、皆様についてその魔導具の使用を許可していただきたいのです」
やっぱり、いわゆるあのステータスだ、と僕たちは思った。
ゲームに詳しくないなら知らないかもと女子二人に視線を向けるも、表情を見ると二人とも分かっているようだ。
まぁ、現代の若者なら大抵は知っているか。
「……そのステータスを見る魔導具を使用することについて、許可を求めるのはどうしてですか?」
皆瀬が尋ねる。
確かにその通りで、それを見れば勇者であるかどうかが分かるなら僕たちに断ることなく、勝手に使ってしまえばいいだろうと思う。
少なくとも国のやることなのだから、それくらいのことは自由に出来るだろう。
誰も咎めないのだから。
僕たちが不審を覚えるくらいで。
ミュゲはこの疑問に頷き、答える。
「ステータスというのは大変に重要な個人の情報なのです。それを見れば、その人物の持つ力、出自、全てが丸裸にされるもの。それを本人の意思確認なく見てしまうのは……許されることではないと」
随分と進んでいる人権感だなと思う。
少なくともこの世界、この国は王政なのだから、個人の意図など容易に踏みにじってもおかしくはないのに。
それでも、現代の地球と同じ感覚ではないだろうが……。
「……私たちだけに対して、気を遣ってそういうことをおっしゃっておられる?」
念のため、といった皆瀬の質問に、ミュゲは首を横に振った。
「いいえ。誰に対しても同じこと……ですが、建前の部分も勿論あります。ただ、そもそもそこまで詳しくステータスを確認できる器具というのはほとんどないのです。大雑把な能力値の把握、くらいが市井に存在する鑑定器具の限界です」
「それ以上のものがここにはあるのですね」
「ええ、こちらがそうです」
ミュゲがそう言って手に持ったのは、水晶玉のようなものだった。
ただの美しい球体にしか見えないが……。
「こちらに触れていただくと、持っている私に詳しいステータスが分かるのです」
「他の者には分からない?」
「そうですね。ですので、必要な情報だけ書き写して確認、ということになります。実のところ、この鑑定器具で見られる情報は膨大で、よく分かっているものでなければ頭がおかしくなる可能性もありまして……そういう意味でも、そうそう他人のステータスを詳しく確認するというのは難しいです」
考えてみれば、個人の全てを丸裸にするほどの力を持っているというのなら、それはたとえば体のどこに毛細血管が張り巡らされているかとか、細胞のどれがどれだけ誕生と再生を繰り返してるかとか、そこまで含まれてしまうことになる。
そこまでの情報を脳にたたき込まれたら確かに頭がおかしくなるだろう。
その辺の取捨選択が、慣れていないと出来ないということだろうか?
そんなようなことを聞いてみると、ミュゲはその通り、と頷いた。
「簡易的な鑑定器具ならそんなことはないのですけどね。ですから、こちらに関しては使える者がかなり限られるわけです。それで……いかがですか? 使用については」
ミュゲが話を戻す。
どうしたものか、と思うが、実際問題、勇者なのかどうか、とか僕たちがどういう存在なのか、とかそういったことについてある程度調べてもらって知っておく、というのは必要なことではないだろうか。
この国が僕たちをその情報に基づいて使い潰すつもりと言われたらそれまでではあるけれど、ここまでのやりとりで流石にそこまでするという感じはない。
だから僕たちは相談して、決めた。
「……お願いします。まずは俺からで」
藤井が率先して前に出た。
やり方は簡単で、ミュゲが持つ水晶玉に片手で触れるだけだという。
実際に藤井がそうすると、水晶玉がふわりと光った。
そして、ミュゲが、
「ガガガガガ!」
と壊れたロボットのように震えた。
「えっ、だ、大丈夫ですか……」
慌てて藤井が手を外すと、ミュゲの震えは徐々に静まっていき、そして目の焦点が合ってきて……。
「だ、大丈夫です……これをあと四人か。きついかもしれない……」
などと呟く。
なるほど、この様子では本当に容易には使えない魔導具であるらしかった。
際限なく使っていると、短期間で廃人になってしまいそうなヤバさを感じる。
ミュゲが頷きながら、荒い髪に魔導具で確認した情報を書き出していくがその筆もまた震えていた。
そして書き終わった後、藤井に筆と共に差し出す。
「え、俺に? まずは陛下が確認するのでは」
そう言ったが、ライオルは首を横に振る。
「いえ、何か知られたくないことなど書いてあったら問題があります。確認して、見せていいと思った部分だけ見せていただければ。ただ、勇者かどうか、についてだけは確実に見せていただきたいですが」
「……分かりました。ええと……?」
ふむふむと呼んでいる藤井に、皆瀬が尋ねる。
「どんなことが書いてあるのよ?」
「名前と年齢と性別、それから能力値と……称号かな。魔法適性ってのもある」
「ふーん……ってことは大事なのは称号ね。ちゃんと書いてあるの?」
「あぁ……《勇者:戦士》って書いてあるな」
これを聞いたライオルが、深く頷いた。
「おぉ、やはりそうですか」
「ただの《勇者》という記載ではないんですね」
藤井はそう言いながら、彼のステータスの記載してある紙をライオルに手渡した。
「拝見させていただきます……ふむ、やはりいずれもかなり高い値ですな。そして《勇者:戦士》の記載……確かに。藤井殿は勇者でいらっしゃる」
「これって高い値なんですね」
「ええ……能力値は普遍というわけではなく、訓練や成長などによって増減します」
「増減ですか」
「低下することがあるということです。たとえば、体力などは老化すると目に見えて下がっていきます」
「なるほど……」
「逆に魔力などは加齢の影響を受けにくかったりしますね。とはいえ、個人差が大きいので必ずそうなるとは言えませんが……」
「あくまで目安に過ぎないわけですか」
そんな話をしている最中も、鑑定器具は次々に使われていく。
その結果分かったことは、坂城が《勇者:魔術師》であり、皆瀬が《勇者:剣士》そして穂乃が《勇者:侍祭》だった。
見るに、勇者にしては、勇者、の後に続く職業?のようなものが少しばかりしょぼいように思える。
皆、ノーマル職というか……。
普通はもっと選ばれし職業みたいなものではないだろうか。
聖女とか賢者とか剣聖とか。
それについて尋ねると、ライオルが答えてくれた。
「勇者様方の、後の方の表示はどうも、職業欄と同じものが表示されると聞きます。つまりは、その部分は後々、変わっていくものかと。また通常ではなれない職業へと進む道もあるという話です。もちろん、言い伝えに過ぎないので、確実な話とは言えませんが……」
それを聞いて皆がステータスの書かれた紙を改めてみると、確かに職業欄と同じものが書いてあるので納得していた。
「おっと、律殿が最後になりますね。すみません、休憩をもらってしまって」
ミュゲが申し訳なさげにそう言った。
四人目、つまりは穂乃の鑑定を終えた時に、ミュゲが前後不覚に陥ったのだ。
なので、ある程度意識が戻ってから少し休憩をと提案したのである。
「見るだけで不安になってくるほど、頭に負担がかかっているようなので……。本当にもう大丈夫ですか? 別に僕は明日でも構いませんけど」
いっそ一日しっかりと休養を取った方がいいのではないか。
そう思っての言葉だったが、ミュゲは首を横に振る。
「いえ、一人だけ一日お待たせするという訳には参りません。大丈夫です……では、どうぞ」
水晶玉を差し出される。
これで触れないというのも空気が読めていない気がするし、ミュゲの覚悟を無碍にするのもどうかなと思った。
だから僕は手を伸ばして水晶玉に触れる。
すると、水晶玉に触れた途端に、何かが体全体に走ったような感覚がする。
電流ほど刺激的ではないが、それでも確かにそこを流れていったと分かるような何か。
この水晶は何かを人の体に流して、そこから返ってくる反応をもって鑑定を成しているのかも知れない。
何を流しているのかも、細かな仕組みも、まるで分からないけれど。
そして、水晶から視線を上げると、
「ガガガガッ」
と白目を剥いているミュゲの姿が目に入った。
「す、すみません!」
慌てて手をどかすと、ふっとミュゲの電源が切れたように首ががくりと落ちた。
そして頭から湯気が煙のように出てきて……一分ほどして、カッ!と目を見開く。
「紙を」
横にいる別の役人から紙を受け取り、そこに震えた手で文字を書いていく。
全てを書き終わると、僕に手渡してきた。
「……流石に、もう無理そうです。すみません、少し腰掛けさせていただきます」
ミュゲはゆっくりと小さな椅子に座った。
まるで燃え尽きたボクサーのような生気の抜け方だった。
いや、申し訳ないが、今はそれよりも……。
「これが、僕のステータス……」
そこにはいくつかの項目があるが、体力や知力、という部分は数字が並んでいるだけでよく分からないから飛ばした。
問題は称号の部分だ。
ここに《勇者》と書いていなければ、勇者ではないという。
果たして……。
「……ん? 何もない……」
そこには何の記載もなかった。
その代わりなのか、体質の欄に《虚弱体質《無効化中》》と書いてある。
これは一体……?
不思議に思ってステータスを開示し、ライオルに見せる。
すると彼ですらもよく分からないようだ。
難しい表情で言う。
「これは……分かりませぬ。始めて見ました……いや、何かの呪いにかかっている者で近い表示を見たことはあります。その時は《~の呪い《封印中》》と書かれていました」
「似てますが、やはり違うものですね」
「ええ。ですが、どういう意味かは推測が出来ます。律殿は……元々虚弱体質だが、何らかの理由でそれが無効化されている、そう読めます」
「やっぱりそうなんですか……」
まぁ、僕にもそう読める。というかそうとしか読めないだろう。
僕の反応に、
「心当たりでも?」
とライオルが尋ねてきたので説明する。
「ええ。僕はこの世界に来る前はかなりの虚弱体質で……正直、歩くことすら出来ませんでした。それどころか、余命もいくばくもないとすら言われていたくらいで」
これに驚いたのは、ライオルだけでなく、四人組もだった。
役人達はよくあることだと思っているのか、大して表情は変わらない。
ミュゲは少しばかり目を見開いていたから、他の面々は単に驚いた表情を見せないように訓練しているだけかも知れないが。
「それほどにお体が……しかし今は……?」
「ええ、まるで嘘だったかのように体の調子がいいです。普通に動いても全く問題ないからだというのは本当に久しぶりで、嬉しいですね。もし、これがこの世界に来た影響だというのなら、こちらに永住したいくらいです」
そうなのだ。
どうせ無効に戻って同じ病状に戻るくらいなら、僕は、僕だけはこっちの世界にいたい。
そう思ってしまうくらいには、素晴らしいことだと感じていた。
口に出す前は考えないようにしていたが……一度言ってしまえば、強くそれを自覚する。
勿論、家族には何も言えずにこっちに来てしまったわけで、説明するために一度だけ戻る、とかならいいかもしれないが、それくらいだ。
その辺りどうにかならないものか、と思う。
後で聞いてみたい。
「そうでしたか……こちらに来たことが、悪いことばかりでなかったのは助かります。ただ……」
「ええ、僕はどうやら《勇者》ではないようですね」
それは、はっきりしていた。
「でも……陛下。律は俺たちの仲間です。追い出したりはしないように、お願いできないでしょうか?」
藤井が慌てたようにそう言った。
考えてみれば、僕が勇者でないのなら、この国にとっては何の価値もない存在かも知れない。
そうなれば、というわけだ。
他の面々も同じようなことを陛下に頼んでくれる。
しかし、陛下はそれらを全部聞いた後で頷いて言った。
「はっはっは。追い出したりなどしませんよ。そもそも、皆さんをこちらに呼んでしまったのは、我が国の責任。それを放り出したりなど……」
どうやら、明日の食べ物の心配はしないですみそうだ。
「良かったです」
「ええ、ご安心ください。ともあれ、召喚された皆さんのうち、四人が勇者であることは確認できました」
まるでそれが重要なことにようにライオルは言う。
いや、大事なことであるのは間違いないが、少し不穏な気配というか、予感があった。
それが何なのかは分からないが……。
ライオルは続ける。
「勇者という存在について、言い伝えのようなものがいくつかある。そんな話について触れましたな」
それについては聞いた。
だがそれが何だというのだろうか。
「勇者はこの世に闇が迫ったとき、それを打ち払う……そんな存在だと。これはあくまで提案なのですが……」
ライオルがそう話しかけたのは、金糸による複雑な刺繍の施されたローブを身に纏う男だった。
宮廷魔術師長、と呼んだことから、魔法や魔術の責任者なのだろうと推測が出来る。
しかし、なぜ彼が最初なのだろう。
不思議に思っていると、男が前に出てきた話し出す。
「はい、陛下。勇者様方……お初にお目にかかります。宮廷魔術師長のミュゲ・セルージュと申します」
その姿勢は丁寧で、僕たちになにか悪感情を持っているようには見えない。
それでも信用できるかどうかはまだ分からないが、これに関してはこの世界の人間全員がそうなのでどうしようもない。
一人一人、ちゃんと見極めていくしかない。
ミュゲは、大体三十才前後に見える細面の男だった。
この世界の寿命がどれくらいなのかは分からないが、この年で宮廷魔術師長、というのはかなり優秀な方なのではないだろうか。
地球で言うなら、どこかの省庁の大臣とかそのくらいになるだろうし。
いや、そのまま比べられはしないだろうけれど、大まかな目安としては間違っていないはずだ。
ミュゲは続ける。
「私がこの場におりますのは、まず、皆様方が本当に勇者様なのかどうかを調べるためです」
これには藤井が反応する。
「……疑われているということですか?」
考えてみれば、突然あの場所に現れただけで、勇者などという存在であるという確証などない。
しかしそんなもの、どうやって証すればいいというのだろう。
「いえ、疑っている、というか……皆様があの勇者召喚の魔法陣によって呼ばれた存在である、ということは特に疑っておりません。それについては実際に確認していますので」
どういうことかと思って尋ねると、僕たちの感覚からすれば一瞬でこっちに呼ばれた、という感じだったが、こちらの世界の人から見ると、魔法陣が起動して数日ほどしてから、僕たちが現れたということらしい。
もちろん、魔法陣の起動が確認された時点で監視員がつき、召喚までしっかりと目視でも、また観測器具など使ったやり方でも、監視していたというのだ。
「では、どういう……?」
首を傾げる僕たちに、ミュゲは言った。
「そもそも、勇者、というのは一体どんな存在なのか、私たちにもはっきりとは分かっていないのです」
「え?」
思わず声を出した僕だったが、ミュゲは続ける。
「言い伝えや伝説はいくつもあるのですが……ただ、闇が世界を覆うとき、それを払うために勇者が現れる、と。多くの場合それだけで……。ただ、確認する方法もまた、伝えられてはいるのです。それが、ステータスに現れる、というものです」
「ステータス……? ってまさか、あのステータスかな……?」
坂城がぼそりと呟く。
ミュゲはそれを拾って、答えた。
「あの、というのがどういったものかは存じませんが……ステータスというのは個人の能力値や称号、職業などのことです。これらについては、特殊な魔導具によって確認することが出来るので、皆様についてその魔導具の使用を許可していただきたいのです」
やっぱり、いわゆるあのステータスだ、と僕たちは思った。
ゲームに詳しくないなら知らないかもと女子二人に視線を向けるも、表情を見ると二人とも分かっているようだ。
まぁ、現代の若者なら大抵は知っているか。
「……そのステータスを見る魔導具を使用することについて、許可を求めるのはどうしてですか?」
皆瀬が尋ねる。
確かにその通りで、それを見れば勇者であるかどうかが分かるなら僕たちに断ることなく、勝手に使ってしまえばいいだろうと思う。
少なくとも国のやることなのだから、それくらいのことは自由に出来るだろう。
誰も咎めないのだから。
僕たちが不審を覚えるくらいで。
ミュゲはこの疑問に頷き、答える。
「ステータスというのは大変に重要な個人の情報なのです。それを見れば、その人物の持つ力、出自、全てが丸裸にされるもの。それを本人の意思確認なく見てしまうのは……許されることではないと」
随分と進んでいる人権感だなと思う。
少なくともこの世界、この国は王政なのだから、個人の意図など容易に踏みにじってもおかしくはないのに。
それでも、現代の地球と同じ感覚ではないだろうが……。
「……私たちだけに対して、気を遣ってそういうことをおっしゃっておられる?」
念のため、といった皆瀬の質問に、ミュゲは首を横に振った。
「いいえ。誰に対しても同じこと……ですが、建前の部分も勿論あります。ただ、そもそもそこまで詳しくステータスを確認できる器具というのはほとんどないのです。大雑把な能力値の把握、くらいが市井に存在する鑑定器具の限界です」
「それ以上のものがここにはあるのですね」
「ええ、こちらがそうです」
ミュゲがそう言って手に持ったのは、水晶玉のようなものだった。
ただの美しい球体にしか見えないが……。
「こちらに触れていただくと、持っている私に詳しいステータスが分かるのです」
「他の者には分からない?」
「そうですね。ですので、必要な情報だけ書き写して確認、ということになります。実のところ、この鑑定器具で見られる情報は膨大で、よく分かっているものでなければ頭がおかしくなる可能性もありまして……そういう意味でも、そうそう他人のステータスを詳しく確認するというのは難しいです」
考えてみれば、個人の全てを丸裸にするほどの力を持っているというのなら、それはたとえば体のどこに毛細血管が張り巡らされているかとか、細胞のどれがどれだけ誕生と再生を繰り返してるかとか、そこまで含まれてしまうことになる。
そこまでの情報を脳にたたき込まれたら確かに頭がおかしくなるだろう。
その辺の取捨選択が、慣れていないと出来ないということだろうか?
そんなようなことを聞いてみると、ミュゲはその通り、と頷いた。
「簡易的な鑑定器具ならそんなことはないのですけどね。ですから、こちらに関しては使える者がかなり限られるわけです。それで……いかがですか? 使用については」
ミュゲが話を戻す。
どうしたものか、と思うが、実際問題、勇者なのかどうか、とか僕たちがどういう存在なのか、とかそういったことについてある程度調べてもらって知っておく、というのは必要なことではないだろうか。
この国が僕たちをその情報に基づいて使い潰すつもりと言われたらそれまでではあるけれど、ここまでのやりとりで流石にそこまでするという感じはない。
だから僕たちは相談して、決めた。
「……お願いします。まずは俺からで」
藤井が率先して前に出た。
やり方は簡単で、ミュゲが持つ水晶玉に片手で触れるだけだという。
実際に藤井がそうすると、水晶玉がふわりと光った。
そして、ミュゲが、
「ガガガガガ!」
と壊れたロボットのように震えた。
「えっ、だ、大丈夫ですか……」
慌てて藤井が手を外すと、ミュゲの震えは徐々に静まっていき、そして目の焦点が合ってきて……。
「だ、大丈夫です……これをあと四人か。きついかもしれない……」
などと呟く。
なるほど、この様子では本当に容易には使えない魔導具であるらしかった。
際限なく使っていると、短期間で廃人になってしまいそうなヤバさを感じる。
ミュゲが頷きながら、荒い髪に魔導具で確認した情報を書き出していくがその筆もまた震えていた。
そして書き終わった後、藤井に筆と共に差し出す。
「え、俺に? まずは陛下が確認するのでは」
そう言ったが、ライオルは首を横に振る。
「いえ、何か知られたくないことなど書いてあったら問題があります。確認して、見せていいと思った部分だけ見せていただければ。ただ、勇者かどうか、についてだけは確実に見せていただきたいですが」
「……分かりました。ええと……?」
ふむふむと呼んでいる藤井に、皆瀬が尋ねる。
「どんなことが書いてあるのよ?」
「名前と年齢と性別、それから能力値と……称号かな。魔法適性ってのもある」
「ふーん……ってことは大事なのは称号ね。ちゃんと書いてあるの?」
「あぁ……《勇者:戦士》って書いてあるな」
これを聞いたライオルが、深く頷いた。
「おぉ、やはりそうですか」
「ただの《勇者》という記載ではないんですね」
藤井はそう言いながら、彼のステータスの記載してある紙をライオルに手渡した。
「拝見させていただきます……ふむ、やはりいずれもかなり高い値ですな。そして《勇者:戦士》の記載……確かに。藤井殿は勇者でいらっしゃる」
「これって高い値なんですね」
「ええ……能力値は普遍というわけではなく、訓練や成長などによって増減します」
「増減ですか」
「低下することがあるということです。たとえば、体力などは老化すると目に見えて下がっていきます」
「なるほど……」
「逆に魔力などは加齢の影響を受けにくかったりしますね。とはいえ、個人差が大きいので必ずそうなるとは言えませんが……」
「あくまで目安に過ぎないわけですか」
そんな話をしている最中も、鑑定器具は次々に使われていく。
その結果分かったことは、坂城が《勇者:魔術師》であり、皆瀬が《勇者:剣士》そして穂乃が《勇者:侍祭》だった。
見るに、勇者にしては、勇者、の後に続く職業?のようなものが少しばかりしょぼいように思える。
皆、ノーマル職というか……。
普通はもっと選ばれし職業みたいなものではないだろうか。
聖女とか賢者とか剣聖とか。
それについて尋ねると、ライオルが答えてくれた。
「勇者様方の、後の方の表示はどうも、職業欄と同じものが表示されると聞きます。つまりは、その部分は後々、変わっていくものかと。また通常ではなれない職業へと進む道もあるという話です。もちろん、言い伝えに過ぎないので、確実な話とは言えませんが……」
それを聞いて皆がステータスの書かれた紙を改めてみると、確かに職業欄と同じものが書いてあるので納得していた。
「おっと、律殿が最後になりますね。すみません、休憩をもらってしまって」
ミュゲが申し訳なさげにそう言った。
四人目、つまりは穂乃の鑑定を終えた時に、ミュゲが前後不覚に陥ったのだ。
なので、ある程度意識が戻ってから少し休憩をと提案したのである。
「見るだけで不安になってくるほど、頭に負担がかかっているようなので……。本当にもう大丈夫ですか? 別に僕は明日でも構いませんけど」
いっそ一日しっかりと休養を取った方がいいのではないか。
そう思っての言葉だったが、ミュゲは首を横に振る。
「いえ、一人だけ一日お待たせするという訳には参りません。大丈夫です……では、どうぞ」
水晶玉を差し出される。
これで触れないというのも空気が読めていない気がするし、ミュゲの覚悟を無碍にするのもどうかなと思った。
だから僕は手を伸ばして水晶玉に触れる。
すると、水晶玉に触れた途端に、何かが体全体に走ったような感覚がする。
電流ほど刺激的ではないが、それでも確かにそこを流れていったと分かるような何か。
この水晶は何かを人の体に流して、そこから返ってくる反応をもって鑑定を成しているのかも知れない。
何を流しているのかも、細かな仕組みも、まるで分からないけれど。
そして、水晶から視線を上げると、
「ガガガガッ」
と白目を剥いているミュゲの姿が目に入った。
「す、すみません!」
慌てて手をどかすと、ふっとミュゲの電源が切れたように首ががくりと落ちた。
そして頭から湯気が煙のように出てきて……一分ほどして、カッ!と目を見開く。
「紙を」
横にいる別の役人から紙を受け取り、そこに震えた手で文字を書いていく。
全てを書き終わると、僕に手渡してきた。
「……流石に、もう無理そうです。すみません、少し腰掛けさせていただきます」
ミュゲはゆっくりと小さな椅子に座った。
まるで燃え尽きたボクサーのような生気の抜け方だった。
いや、申し訳ないが、今はそれよりも……。
「これが、僕のステータス……」
そこにはいくつかの項目があるが、体力や知力、という部分は数字が並んでいるだけでよく分からないから飛ばした。
問題は称号の部分だ。
ここに《勇者》と書いていなければ、勇者ではないという。
果たして……。
「……ん? 何もない……」
そこには何の記載もなかった。
その代わりなのか、体質の欄に《虚弱体質《無効化中》》と書いてある。
これは一体……?
不思議に思ってステータスを開示し、ライオルに見せる。
すると彼ですらもよく分からないようだ。
難しい表情で言う。
「これは……分かりませぬ。始めて見ました……いや、何かの呪いにかかっている者で近い表示を見たことはあります。その時は《~の呪い《封印中》》と書かれていました」
「似てますが、やはり違うものですね」
「ええ。ですが、どういう意味かは推測が出来ます。律殿は……元々虚弱体質だが、何らかの理由でそれが無効化されている、そう読めます」
「やっぱりそうなんですか……」
まぁ、僕にもそう読める。というかそうとしか読めないだろう。
僕の反応に、
「心当たりでも?」
とライオルが尋ねてきたので説明する。
「ええ。僕はこの世界に来る前はかなりの虚弱体質で……正直、歩くことすら出来ませんでした。それどころか、余命もいくばくもないとすら言われていたくらいで」
これに驚いたのは、ライオルだけでなく、四人組もだった。
役人達はよくあることだと思っているのか、大して表情は変わらない。
ミュゲは少しばかり目を見開いていたから、他の面々は単に驚いた表情を見せないように訓練しているだけかも知れないが。
「それほどにお体が……しかし今は……?」
「ええ、まるで嘘だったかのように体の調子がいいです。普通に動いても全く問題ないからだというのは本当に久しぶりで、嬉しいですね。もし、これがこの世界に来た影響だというのなら、こちらに永住したいくらいです」
そうなのだ。
どうせ無効に戻って同じ病状に戻るくらいなら、僕は、僕だけはこっちの世界にいたい。
そう思ってしまうくらいには、素晴らしいことだと感じていた。
口に出す前は考えないようにしていたが……一度言ってしまえば、強くそれを自覚する。
勿論、家族には何も言えずにこっちに来てしまったわけで、説明するために一度だけ戻る、とかならいいかもしれないが、それくらいだ。
その辺りどうにかならないものか、と思う。
後で聞いてみたい。
「そうでしたか……こちらに来たことが、悪いことばかりでなかったのは助かります。ただ……」
「ええ、僕はどうやら《勇者》ではないようですね」
それは、はっきりしていた。
「でも……陛下。律は俺たちの仲間です。追い出したりはしないように、お願いできないでしょうか?」
藤井が慌てたようにそう言った。
考えてみれば、僕が勇者でないのなら、この国にとっては何の価値もない存在かも知れない。
そうなれば、というわけだ。
他の面々も同じようなことを陛下に頼んでくれる。
しかし、陛下はそれらを全部聞いた後で頷いて言った。
「はっはっは。追い出したりなどしませんよ。そもそも、皆さんをこちらに呼んでしまったのは、我が国の責任。それを放り出したりなど……」
どうやら、明日の食べ物の心配はしないですみそうだ。
「良かったです」
「ええ、ご安心ください。ともあれ、召喚された皆さんのうち、四人が勇者であることは確認できました」
まるでそれが重要なことにようにライオルは言う。
いや、大事なことであるのは間違いないが、少し不穏な気配というか、予感があった。
それが何なのかは分からないが……。
ライオルは続ける。
「勇者という存在について、言い伝えのようなものがいくつかある。そんな話について触れましたな」
それについては聞いた。
だがそれが何だというのだろうか。
「勇者はこの世に闇が迫ったとき、それを打ち払う……そんな存在だと。これはあくまで提案なのですが……」
