役目を果たした日陰の勇者は、辺境で自由に生きていきます

 ……。
 ……。
「……ん?」

 おかしい、と僕は思った。
 いつまで待っても、予想していた衝撃が全く来ないからだ。
 目を瞑る前、バスは明らかに目と鼻の先まで来ていた。
 あそこからあの速度で停車できるわけはない。
 それなのに、いつまでも経っても僕の身に何も起こる気配がないのはいったいどういうことなのだろう。
 僕はそこまで考えてから、状況を確認するには仕方がないと思い、ゆっくりと目を開いた。

 するとそこには、見覚えの無い景色が広がっていた。
 ここは明らかに、あの交差点ではない。
 追突直前までいたあそこは、間違いなく建物の外だった。 
 それなのに、見る限りここは建物の中に見える。
 しかも、決して小さなものではない。
 天井は驚くほどに高く、横幅的にもかなり広い空間が広がっている。
 全体として石造りの建物のようだとは分かるが、それだけで、具体的にどこなのかは全く分からない。
 まさかバスに弾き飛ばされてここに来たというわけもあるまいし……。

「……おい、ここは一体何なんだよ!」

 急にそんな声が響く。
 そうだ、場所的な問題以外にも、気になることがあった。
 それは人だ。
 僕の周囲には、他に人がいるのだ。
 その内訳は……まず、おそらく学生らしいと分かる少年少女が、四人。
 彼らについては身につけているもの……学生服やセーラー服、ブレザーなどからもその身分は簡単に推測がつく。
 靴や鞄なども、良く見慣れたスポーツブランドのものを持っていて、その辺で見慣れた格好だった。
 なぜここにいるかは置いておくにしても、その存在に不思議なところはない。

 問題は、彼ら以外の人々だ。
 まるで僕らを観察するような位置に、何人かの人が立っている。
 一際目立つのは、まるで王様のように見える人だった。
 豪奢な服を纏い、高価そうな冠を被っている。
 人を支配することに慣れたような独特な視線をこちらに向けていて、けれどそれに僕が気づくと同時にふっとその色を消した。
 そんな彼を守るように直立しているのは、鎧姿の騎士のような人々だ。
 ただの飾りとはとても思えない重そうな鎧を身につけ、腰には美しい拵えの剣が下げられている。
 こちらに向ける視線は……警戒の色だろうか。
 得体の知れないものを見る目と言った方がいいのかもしれない。
 ただ、それを責める気にはなれない。
 僕もまた、彼らに似たような視線を向けているからだ。
 何者か分からない者に対する、怯えと警戒の混じった視線を。
 つまり、お互いに警戒状態にある中、ここからどうしたものか。
 そう思っていると……。

「……ようこそいらっしゃった。勇者様方よ」

 王様っぽい人物が、そう口を開いた。
 穏やかそうな声に、とりあえず言葉が通じる存在のようだと僕はホッとする。
 これに最初に反応したのは、四人の少年少女のうちの一人だった。
 若干粗野な雰囲気のある短髪の少年である。

「……今、勇者って言ったか?」

 気になるのはそこか。
 いや、確かに今の段階では何を聞いたらいいのか分からない。
 まず気になる単語の話を聞くのは妥当だろう。

「ええ、申しましたとも」

「どういう……意味だ?」

「そのままの意味です。皆様は、勇者様方なのですよ」

「……おっさん、頭おかしいんじゃ……」

 少年がそう言ったところで、後ろの騎士達の手が剣に伸びる。
 しかし、王様らしき人物はそれを制して止める。
 この一連の動きに、流石の少年も危険さを感じたようで、少しトーンを下げて言う。

「いや、失礼なことがあったらすまない。いきなりこんな状態で……その、動揺してるんだ。いや、動揺しているんです……どうか、許して欲しく思います」

「いえいえ、そのお気持ち、よく分かります。皆様には、まず状況を理解していただくことが肝要。そのために私がここにいるのですから」

「状況……ですか?」

 少年少女四人組のうちの一人、長い黒髪の少女が尋ねた。

「ええ。皆さんの主観からすると、ふと気づいたらここにいた。そんな感じではないですか? しかし私たちはその現象について説明が出来るということです」

「……貴方たちが私たちを、呼んだ?」

 少女の声に少しばかり棘のようなものが混じったのは気のせいではないだろう。
 それはつまり誘拐ではないか、よほどそう言いたかったのだと思う。
 けれど、それをこの状況……自分たちの見方がほとんどおらず、そして武装している騎士と思われる屈強な男が何人もいるところで口にする気にはならないだけで。
 そんな少女の気持ちを理解しているのかどうか、王様らしき人物はまるで何も気にしていないような口調で話を続けた。

「ええ、大体そのような理解でよろしいかと」

「あの、貴方たちは何者なんですか?」

 四人組のうちの一人、眼鏡をかけた少年が尋ねた。
 確かにそれは重要な話だ。
 おれに王様らしき人物は答える。

「あぁ、そうですな。まず……私はライオル、と申します。ラグーン王国と呼ばれる国の、国王です。後ろに控えるのは、近衛騎士と、役人達ですな」

「王様……!?」

「偉い人だろとは感じてたけど……」

「マジか……」

「え、え……」

 四人組がそれぞれ、驚きの声を上げる。
 王様っぽいな、という印象だったが、やっぱり実際にそうであるらしい。
 中々自分にも眼力があったものだ、と感じる。
 場違いな考えかも知れないが、少しくらいふざけたことを思ってないと冷静でいられない。
 王様……ライオルは続ける。

「ちなみにここはラグーン王国王都ロゼッタに存在する旧神殿と呼ばれる建物のホールです。簡単な説明にはなりましたが……大丈夫でしょうか?」

「え、あ、あぁ……あの、俺は藤井春親です」

 短髪の少年が自己紹介を始める。
 条件反射というか、向こうが名乗ってきたから、こちらも、ということだろう。
 他の三人もそれに続く。
 まず眼鏡の少年。

「僕は坂城秋人」

 次に黒髪長髪の少女。

「私は皆瀬清香です」

 そしてここまでほとんど発言しなかった、小柄なボブカットの少女。

「わ、私は結城穂乃……」

 なるほど、そんな名前かと思う。
 それから、ライオルと、四人の視線が僕の方に向く。
 お前も名乗れ、ということだろう。
 特に話しかけられなかったから注意を向けられてないと思っていたのだが、しっかりと認識されていたようだ。
 しかし……これは名乗るべきなのだろうか?
 いや、人と人との関係として、名乗るのが正しいというのは分かる。
 だが、この状況で名乗るのはもしかしたら危険なのではないか、ということだ。
 何せ、どう考えてもここは地球ではない。
 ラグーン王国なんて国は、地球上に存在しない。
 また、いきなり人をどこかから転移させられる技術なんてあるはずもない。
 でもここにはあるのだ。
 ということは、何かこう、魔法みたいな力があると考えるべきだろう。
 魔法、魔法だ。
 本物のそれに触れたことなど今まで一度たりともないが、それでも聞きかじった色々な知識はある。
 そういったものの中に、名前を知られると危険だ、というものがある。
 本当の名前を知られると、それによって縛り付けられるからと。
 だから、かなり躊躇した。
 けれど……。

「……律です」

 この状況で名乗らないのは難しいだろう。
 しかし名字は名乗らない、という微妙な方法で誤魔化そうとしたが、ライオルは首を傾げる。

「……他の方々より名前が短いが?」

「いえ……正確には、児玉律です」

 結局全て名乗らざるを得なかった。
 まぁ……どうせ、僕の余命は短い。
 それを考えれば何かの魔法にかけられても気にするほどでもないか。
 そう自分を無理矢理納得させる。
 ……でも、死ぬまでに可能な限り苦しめられるとかそういう魔法をかけられたら嫌だなぁ、という想像が頭の中に浮かぶ。
 わざわざ呼んで、まさかそんな活用方法もないだろうとは思うが。
 実際、そこからも僕らの扱いは大して変わらなかった。
 ライオルの態度もだ。

「ではここからは、皆さんのことは名前で呼ばせていただきたい。ちなみに、名前は二つに分かれているように聞こえたが、どちらでお呼びするのが正しいのかな?」

 これには黒髪の少女……皆瀬が答えた。

「どちらでも構いませんが……家名に当たるのが最初の方です」

「ふむ……では、下の方で呼ばせてもらうが、良いかな?」

「……はい。特に問題はありません」

 やはり何か言いたげな様子の皆瀬だったが、親しくない場合は名字の方で呼ぶことが多いです、とも言いにくかったのだろう。
 実際、どちらで呼ばれても何か支障があるわけではない。

「他の方々も、それでいいだろうか?」

 誰からも異論は出なかったので、ライオルは頷き、それから言った。

「さて、いつまでもこんなところで話しているのもなんだ。皆さんも落ち着けないだろう。一旦、王城まで移動して、そこでまた詳しい説明を、と思っているのだが、どうだろうか?」

「王城……!? いや、王様だからおかしくはないのか……」

 短髪の少年、藤井がそう呟く。

「……確かにここは寒々しいというか、座れる場所もないか」

 黒髪の少年、坂城が周囲を見ながらそう続けた。

「そうね、確かに座りたいわ」

 皆瀬も納得したように頷き、さらにもう一人の少女、結城も、

「そ、そうだね。私も! ええと……律くんもいいかな?」

 僕の方に水を向けてきた。

「え? 僕? 僕は……」

「うん、ずっと立って話聞き続けるの辛くない? 私あんまり体力なくて……律くんもその、同じかなって」

 結城がそう言うのは、僕が虚弱に見えるからだろう。
 確かにその通りの体なので文句はないが……いや、ずっと立って……?
 そこで僕は異変に気づく。
 そう、今、ここに至るまで全く違和感を覚えていなかったが……。

「僕、立ってる……?」

 余程奇妙に聞こえたのだろう。
 結城が首を傾げて、

「え? う、うん……」

 と同意を示す。
 そんな馬鹿な。
 しかし、足下を見ると、確かに僕は自分の足でしっかりと地面を踏みしめていた。
 あり得ない。
 だって、さっきまでは車椅子でなければ移動など出来なかったのだ。
 立つなんて、もう数年していないことで……。

「さて、話もついたことだし、皆さん、どうぞこちらへ。ご案内します」

 ライオルはそう言って先立って歩き始めた。
 全員がそれに続く。

「律くん、ほら、行こう?」

 結城は呆然としている僕にそう言った。
 四人組の中でも当初、怯えていたのに、僕に対しては随分と気安い少女だと思った。
 しかし、今はその気軽さがありがたい。

「あ、う、うん……行こうか」

「うん」

 そして僕たちは旧神殿建物を後にする。
 様々な疑問を抱きながら。