役目を果たした日陰の勇者は、辺境で自由に生きていきます

「結構、王都から離れたところまで来たけど、みんな元気にしてるかなぁ」

 街まで歩きながら呟く。

「同じ異世界……ニホンから一緒にいらしたという四人の方のことですか?」

「うん。しばらく会ってないからね。手紙もまだ返ってきてないし」

「勇者だとお聞きしましたが、詳しい経緯はまだ聞いてませんでした。色々と聞いても?」

「あぁ、そうだね。リズには最初から細かく話した方がいいかな。その方が色々と常識を教えてもらいやすいし」

 僕はリズに色々と教わっているが、その中にはこの世界の常識についてもある。
 一応、この世界に来た後、ある程度は教えてもらったのだが、細々としたことはどうしても実際に体験してみないとわからないことも多い。
 そういう意味でも、リズには助けられている。
 そんな彼女に、僕はこの世界にやってきた経緯を話し始めた。

 ***** 

 いつかは、と覚悟していた。
 きっといつかは、その時が来てしまうのだろうなと。
 それもかなり近いうちに。

 でも、そんな僕も流石にこんな状況になるとは想像もしていなかった。
 なぜって、これは覚悟していたそれではないからだ。
 はっきり想定外だと言って良い。
 
 目の前に広がる、見たこともない荘厳な建築物と、そしてこちらを見つめているいかにも偉そうな人々を前に、僕は心の底からそう思った。

 *****

 その日、僕、児玉律は日課の散歩をしていた。
 と言っても、一人でじゃない。
 今の僕は一人で散歩することが出来ない。

「律お兄ちゃん、調子が悪くなったらすぐに言ってよ? 最近は異常気象なのか、昔と比べて随分と日差しが強いんだから」

 車椅子に乗る僕に後ろからそう話しかけたのは、僕の妹の児玉玲だ。
 夏らしいワンピースが、生ぬるい風に揺れる。

「玲、大丈夫だよ。どうしてか不思議なんだけど、ここのところ調子がいいんだ。だから今回だって外泊の許可が出て家で過ごせてるんじゃないか」

 言い訳くさい説明。

「それは……そうだけど。でもすっかり治ったってわけじゃないんだから」

 玲は特に気づかず、頬を少し膨らませて言った。
 僕はそんな彼女に笑いかける。

「まぁね。でもこの感じなら、その日も近いんじゃないかなぁ」

「そうだといいね!」

 こんな話をしながらも、僕はその日なんて来ないことを知っていた。
 僕がこうして車椅子に乗って移動しているのは、別に骨折とか、外傷が理由じゃ無い。
 生まれつき虚弱体質で、それは大人になっても治ることがなかった。
 今もいくつもの病気が僕の体を蝕んでいる。
 小さな頃は、少し体が弱いのかな、と思われる程度には動けた。
 そして何年か前までは、少しくらいなら立って歩くことくらいは出来た。
 けれど、今ではそんなことすら厳しくなってしまった。
 回復の見込みはない、とはっきり言われている。
 余命も数えるほどだとも。
 玲はそんなこと知らないけど、両親は既に知って受け入れていることだ。
 僕も仕方のないことだと思っている。
 ただ、その日が来るまで精一杯生きるつもりはある。
 人間、皆生まれたらいつか死ぬのだから。
 それが僕の場合、少しばかり早いだけだ。
 その日が来るまで、たくさんやりたいことをする。
 それがシンプルな生き方という奴なんだ。
 幸い、僕にはやりたいことが沢山あった。
 日の光を浴びて過ごすことも、家族と思い出を作ることも、僕の経験できないことを物語を読んで体験することも。
 出来れば運動も色々やってみたくはあったけれど、流石にそれは難しいみたいだから断念したけど。

「あ、そういえば今日はお兄ちゃんが好きな鮎の塩焼きを作るってお母さんが言ってたよ」

 玲がふと思いついたように言う。

「お、本当に? 楽しみだな。病院の食事はちゃんと栄養価を考えて作ってくれてるのは分かるんだけど、滅茶苦茶味気ないから……」

 体のことを考えると、今もそれを食べていた方がいいのだろうけど、余命を考えれば、もう大差ないと言えば大差ないのだ。
 だから好きなものを、と言われて家では僕の好物ばかり出してくれる。

「お兄ちゃんが残したの、少しもらったことあったけど、確かに薄味だったね……でも鮎の塩焼きが好物って、渋すぎない? まだ高校生でしょ」

「そうかな? 皆好きじゃない?」

「うーん、嫌いとは思わないけど……男子高校生なら、もっと肉!とかそういう感じじゃないかな」

「あぁ、そうかも。でもお肉はちょっと脂っぽくて沢山は無理かな」

 体が弱いからか、昔から肉類は苦手だった。
 小さな頃から無理してでも食べていればもう少し違ったのかなとたまに思う。

「そんなだからそんな青白いんだよ!」

 玲も似たようなことを思ってそう突っ込んでくる。

「はは。でもほら、今日の日差しは強いから、日焼けするよ」

 それで青白さが少しくらい改善されないかな。
 そう思っての言葉だったが、玲は怪訝そうだ。

「お兄ちゃん、ここ三日くらい結構日差し浴びてるのに、あんま変わらないよね……天然の日焼け止めでも分泌してるのかな……?」

「そんな化け物じゃ無いからね、僕は……おっと、赤信号だよ、玲」

「うん、分かってる」

 家に戻る途中の歩道の前で、信号が赤に変わる。
 いつも通る道なので、すぐに気づいて玲が車椅子を止めた。

「私、日焼け止め塗ってもお兄ちゃんより黒いよ……」

 雑談はそのまま続く。

「そう? 正直あんまり変わらないと思うけど」

「いやいや、見てよ! ほら!」

 玲が後ろから乗り出してきて、僕の腕と自分の腕を並べる。
 玲のワンピースからむき出しの腕は確かに努力の甲斐あってか白かったが、こうして並べてしまうと確かに僕のそれの方が何段か白かった。
 病弱と青白さはイメージで繋がっているが、まさにそのような感じである。

「僕はただ不健康なだけだよ……」

 玲の健康的な白さとは質が違う。

「お兄ちゃんは今より大分元気だった頃から白かったよ……ん?」

 がっくりと来た玲だったが、そこで何かに気づいたように視線を上げる。

「どうし……」

 僕が返答しようと同じ方角を見ると、目の前にバスが迫っていた。
 操作ミスか、何か整備上の不良か……。
 ともかく、このままじゃ、追突する。
 そうしたら玲が……。
 そう考えるやいなや、僕の不自由な体は、すでに動いていた。
 今まで出したことが無いくらいの力で、玲をバスの進行方向から外れる向きに思い切り押し出す。

「お兄ちゃ……!!」

 最後に聞こえたのはそんな台詞だったか。
 玲が大分後方に行ったのが視線に入り、僕は安心して目を瞑った。
 バスが、迫る。
 僕はもう避けられない。