役目を果たした日陰の勇者は、辺境で自由に生きていきます

 最後に残ったのは僕で……。

「律のスキルは《下位召喚術》か」

 アウグストは僕の見せたステータスの紙を見てそう言った。
 あまり見せびらかすものではないと言うことだが、アウグストには見せておいた方が色々アドバイスをもらえると思ったのだ。
 それに勇者でもなく大したスキルもないらしい僕のそれを秘密にしたって、大したメリットはないだろう。

「はい。他にもありますけど」

「他のものは魔力を自覚するためには使いにくそうだだからな。召喚術がそういう意味では一番良いはずだ……ちょっとお前、宮廷魔術師を呼んできてくれ。召喚術に詳しい奴だ」

 アウグストは近くにいた騎士にそう指示する。
 しばらくしてやってきたのは、驚いたことにミュゲだった。
 これにはアウグストも意外そうな顔になる。

「……まさか宮廷魔術師長のお前が来るとは。下っ端で良かったのだが」

「いえいえ、勇者様方のことなので、万が一のことがあっては問題ですから。それに召喚術に最も詳しいのは私です」

「それはそうだろうが……まぁ、いい。律の持つスキルが《下位召喚術》なのだ。少し使い方を教えてやってくれないか」

「あぁ、なるほど。そういうことでしたか……確かにそうでしたね」

 僕らのステータスを鑑定したのは彼である。
 当然、その内容は知っている。

「律殿。私も《召喚術》スキルについては持っているので、基本的なところについてまず説明しましょう」

 ミュゲの説明によると《召喚術》というのは一言に言っても様々な種類があり、分かっていないことの多いスキルらしい。
 ただ、一般的にはそれを使用することにより、どこかから生物や精霊、魔物などを呼び出し、それらと契約することによって使役する魔術のことを言うのだという。
 ここで少し引っかかったのは……。

「勇者召喚も召喚術の一種……なのですよね?」

 つまり僕たちも使役されるような存在ということか?
 そう思ったのだ。
 けれどミュゲは首を横に振った。

「勇者召喚はその点、また毛色の違った魔術のようなのです。召喚の魔法陣の解析を進めていますが、それを読むに、どこかから勇者を呼び出す、というだけで、契約はしないようになっておりました。というより……おそらくは出来ないと言った方がいいでしょう」

「何故です?」

「勇者というのは、存在の格が高すぎるのです。無理に使役の契約を結ぼうとすれば……かえって使役しようとした者こそ使役されることになりかねないほどに。そのため、あの魔法陣に関しても、ただ召喚するだけの指定に留まっているのだと」

「存在の格ですか」

「魂の強さと言い換えてもいいですが……たとえば高位の竜などは、人間が従えることなど出来ません。それと同じ、ということです」

「でも、俺たちはそんなに強くないぜ? 教官にすら勝てないだろうし、ミュゲさんとも勝負にならないだろう」

 春親がそう言う。
 確かにその通りだ。

「武力そのものとはまた違う概念なので……。まったく比例しないというわけではないのですけどね。その辺りのことを詳しく説明すると少しばかり長くなるので、またの機会に。今は律殿の《召喚術》の方を優先しましょう」

 それから、ミュゲは僕に召喚術の簡易的な使い方を説明してくれた。
 やり方はアウグストが春親に《スラッシュ》の使い方を教えた時と変わらなかった。
 ただ、その後に起こる現象が異なるので、その部分については違った。

「……さて、何事も習うより慣れろと言ったものです。律殿。《召喚術》に意識を向けてください」

 言われて、心の中で《下位召喚術》のことを思う。
 すると、何かに導かれるように体の中の汚泥のようなものが、動いていくのを感じた。
 これが春親たちが感じた魔力ということだろう。
 それは僕の体から徐々に流れ出て、地面に落ちる。
 さらにそれは規則的な図形を描き始めた。
 しばらく見つめていると、その図形はふわり、と暖かな光を放つ。

「……さぁ、来ますよ!」

 ミュゲがそう言うと同時に、その図形……魔法陣の中心に何かが集っていく。
 光の粒だ。
 それらは徐々に大きくなり、何かを形作る。
 気づけばそこには……球形の何かが現れていた。

「……これは……ええと……スライム?」

 秋人がそう言った。
 彼はゲームが好きらしく、そういうのに詳しい。
 といっても、スライムくらいなら僕だって知っている。
 まさにそれにしか見えない。
 直径三十センチの、水餅のような物体がぽよぽよとはねていた。

「あの、ミュゲさん……」

 不安になって尋ねると、ミュゲは微笑み、言う。

「大丈夫。成功ですよ……あとは、契約を結ぶだけです。何か魔法陣と繋がりのようなものを感じませんか?」

 言われて意識してみると、確かに細い紐のようなもので魔法陣と自分が繋がれているような妙な感覚を覚える。

「それこそが、魔力のパスです。紐帯とも言いますが……言い方はどちらでも構いません。大事なのは、確かに繋がっているということ。そこに向かって、魔力を流す意識をしてみてください」

「魔力を、流す……」

 どうやればいいのかは分からなかった。
 ただ、意識をすると勝手に流れていく、そういう感じに近い。
 そしてどれくらい流れたかわからないが、もう流れていかない、そんな状態になった。

「ミュゲさん……もう」

「……いえ、もう一押し、ですね。もう少し強く意識を」

「……はい」

 強く力を込めるような意識をする。
 すると魔力はまだ、少しずつだが流れる。
 そして、ぽん、と栓が抜けたように一気に魔力が流れ出した。
 それから数秒して、再度、魔力の流れは止まった。
 すると、地面に描かれ、光を放っていた魔法陣が崩れるように消えていく。

「これは……」

「契約が成った、ということです。魔法陣が供給する魔力なしに、このスライムは存在を維持できるようになった。律殿、貴方から魔力の供給を受けることでね」

「僕から? でも今は……いや、少しだけ魔力が流れている?」

「そういうことです。このくらいのスライムくらいでしたら、大して気にならないほどの量しか魔力を必要としません。契約の際もそうなのですが、慣れていないので沢山流してしまったかもしれませんが」

「そうなのですか……」

「ちなみに、契約した相手は意識すれば送還することが出来ます。そして魔力を使えば再度呼び出すことも可能です」

「……魔法陣を使って同じように、ということですか?」

「いえ、最初のやり方ですと、ランダムで違うものが出現するので。あくまでも契約したあのスライムを喚ぼう、と意識しなければなりません。その辺りのやり方も説明しますね」

 説明をさらに受けていると、ぼそりと春親が言う。

「……まるでガチャみたいだな」

 確かに、僕もそう思ったが口にはしなかった。

 *****

「よし、いいだろう。今日をもって、基礎訓練は終了とする」

 アウグストが満足げな様子でそう宣言した。
 僕たちはその場で崩れ落ちる。
 今日まで一月の間、訓練を続けてきたが、今日の訓練は一際キツかったからだ。
 どうして今日に限ってこれほどまでに厳しいのか、と不思議に思っていたが、なるほど、卒業試験を兼ねていたからこそのことだったのだろうと納得した。
 先に言っておいて欲しいものだとも思ったが、今日の訓練の様子が芳しくなかった場合、訓練は続いていたのだろうから、言うわけにもいかなかったのっだろう。

「はぁ……やっと終わりか。キツかったぜ」

 春親が地面に座ったままそう呟いたが、そんな彼にアウグストは言う。

「一応言っておくが、終了したのは基礎訓練だけだ。これから先も、君たちの訓練は
続くからな」

「えっ……」

 瞬間、その表情が絶望に染まる。

「当たり前だろう。訓練というものは続けなければすぐに実力が落ちていくのだからな。律だけはもう私が何か教えることはないが……」

「どうしてですか?」

「君はこれから、調査員として世界を旅するのだろう? それに必要な実力は身についたと言えるからな。君については、本当の意味で卒業というわけだ」

「そうですか……」

 この世界は危険に満ちている。
 そのため、旅をするためには最低限度必要な実力が要る。
 考えてみれば、それを身につけるために訓練を、ということで受けていたのだった。
 今日までの訓練で、そこのハードルは越えられた、とそういうことのようだ。
 また、常識的な知識の部分についても、宮廷魔術師長であるミュゲが座学で教えてくれたため、その点についても問題はない。
 まぁ、そうは言っても実際に旅に出たらそれなりに問題は発生するだろうが、それもまた楽しんでやっていくしかないだろう。

「はぁ……ってことは、もうお別れか。寂しくなるな」

 春親が僕の肩を叩く。

「そうだね……でも、一生会えなくなるわけじゃないし、手紙も送るから」

 陛下からその許可はすでにもらっている。
 まぁ、手紙を送るのに許可なんて本来は必要ないのだが、この世界の郵便は日本のように安いものではない。
 陛下に調査報告などを送るついでに、春親たち宛ての手紙を送って、それを手渡してもらうことによって、費用を節約するための許可だ。
 ものによっては直接送りたいこともあるだろうが、その時は自費でなんとかするしかないだろう。

「旅にはすぐに出るのか?」

 秋人が僕に尋ねる。

「うーん、随分とここでゆっくりしてしまったからね。そんなに急ぐ必要はないんだろうけど……。陛下に話してみて、許可が得られるなら、明日にでも行けるなら行きたいかな」

 理由はそれだけではなく、城に残っていたらアウグストの訓練に参加させられるんじゃないだろうかという心配もある。
 春親たち、勇者たちの訓練はおそらくこれから先もずっと続くわけで、それに僕がついていくのは無理だ。
 実際、今日までの訓練でそれなりに差がついてしまったのを感じていた。
 アウグストは確かに厳しいが、無理難題を与えるタイプではないから、僕がついていけるように色々と調整をしてくれてはいたが、それでも徐々に辛くなってきていたのは確かだ。
 明日からも参加しろと言われるとしたら、可能な限り遠慮したいのだった。
 それを見抜いてか、清香が少し笑う。

「私には分かるわよ。これ以上訓練なんて勘弁してくれってその顔に書いてあるから」

「……そんなことはないよ?」

 とぼける僕に、穂乃が少しじとっとした目を向ける。

「律くんずるいなぁ……私も旅についていこうかなぁ」

「いやいや、穂乃だって勇者なんだからそれは駄目だよ」

 実際には陛下に頼めばついていきたいなら別に構わない、と言いそうではある。
 勇者として活動することにすら、拒否しても構わないと言っていたのだから。
 でも、流石に女の子と二人で旅するわけにはいかない。
 まぁ、穂乃だって本気で言っていいるわけではないだろうが。

「むぅ……。分かったよ。でも、そのうち会いに行くからね!」

「はは……楽しみにしてるよ」

 それは出来るのだろうか?
 いや、別に自由を極端に制限されているわけでもないし、休暇くらいくれるだろうから、可能かも知れないな。
 とはいえ、すぐにということはないだろう。
 考えてみると、これから僕は一人でこの世界を見て回るのだな。
 誰も知っている人がいない世界を、自分の足で、一人で。
 そのことを考えると、少し震えた。

「……律くん?」

 僕の様子に気づいた穂乃が横から僕の顔をのぞき込む。

「あ、ううん。何でもないよ」

「……そっか。でも……」

「でも?」

「何かあったらすぐに知らせてね。私、どこにいてもかけつけるから」

「え?」

「だって、同じ地球からこの世界にやってきた、五人だけの仲間だもん。ね?」

「あ、う、うん……」

 ちょっとだけドキッとしなくもなかったが、自意識過剰だったらしい。
 まぁでも、確かに彼女の言うことは尤もだ。
 だから僕も言った。

「僕も、皆になにかあったら、きっとかけつけるよ。どこにいても、さ」

 すると、皆、僕に優しい笑みを向けて頷いてくれたのだった。