巨大な生き物が、僕の目の前に迫ってくる。
僕……つまりは、地球は日本出身の高校生、児玉律の目の前にだ。
あれは確か、黒魔牛という名前の魔物だったか。
通常の牛と比べるのも烏滸がましい巨体に、それに見合っただけの突進力。
また魔物であるために身体強化系の魔法すら使いこなすという、およそ地球に存在したら一体で街をパニックに陥れることが出来るだろう存在である。
しかし、僕は今、そんなものを目の前にしてひどく落ち着いている。
剣を構えているから?
鎧を纏っているから?
いや、どちらも正しいようで、事実とは少し異なる答えだ。
実際は……。
「主さま! 直前まで引きつけてください! あなたならそれが出来るはずです!」
後ろから、そんな声がかかった。
僕はそれに従って、剣を握る手に力を入れる。
そして……。
「……ここだ!」
僕に向かって頭突きをしようとしてきた黒魔牛を避け、その横合いに素早く移動すると、その体に剣を思い切り刺し込んだ。
「ブモォォォ!!」
黒魔牛は痛みのあまり、大きく鳴いて暴れる。
このまま近くにいては危険なので、僕は剣を抜いて距離を取った。
すると……。
「いきますよ……氷結華!」
僕の後ろから恐ろしいほどに強い魔力の波動が放たれ、それは黒魔牛に襲いかかる。
まるで花のように見える氷の刃がいくつも黒魔牛に突き刺さる。
その度に苦痛の声を上げる黒魔牛だったが、どう暴れても容赦なく降り注いでくる氷刄になす術はなかった。
ゆっくりと倒れていく黒魔牛。
僕はそれを見て警戒しながら近づき、その生死を確かめる。
「……よし、死んでるな」
僕が独り言のようにそう言うと、後ろから声がかかる。
「本当に大丈夫ですか? しっかりと確認しましたか? これくらいの魔物の生命力を舐めてはいけませんよ」
振り返ると、そこには白銀の髪の少女が立っていた。
およそ人間とは思えない精巧な人形のような美貌を持っていて、日本ではまず見られないその髪色と合わせてみると、とてもではないが現実的な存在に感じられない。
だが、彼女は確かにここにいるのだ。
「リズ。そんなに過保護じゃなくても大丈夫だよ……」
「いえいえ、必要なことです。もちろん、主さまのことを疑ってるわけじゃないんですよ? でも、もしものことがあったら大変じゃないですか。私は主さま第一の召喚獣として、必要なことをしているまでです」
彼女がそう言うと、僕の胸元から、ぬるり、と何かが伸びてきてリズの肩に少し触れる。
「……第一の召喚獣はリズじゃないってさ」
「グラちゃん先輩がいましたね……いえでも、厳密にはやはり私の方が先輩……」
「最初は存在に気づかなかったんだし、一番先に召喚したのはグラだから……」
「仕方ありませんね……では、最も主さま思いの召喚獣をこれから名乗りましょう。これなら……」
今度はグラがリズの頭を軽くペシりと叩く。
「それも自分だって」
「……なんてこと」
馬鹿な会話をしている気がするが、リズは僕の召喚獣だ。
そう、召喚獣なのだ。
この世界において、召喚獣は動物や魔物を召喚し、契約することによって使役できる魔術の一種である。
ただ、この召喚術で呼べる存在の中に、人は入っていないはずなのだ。
少なくとも常識的には。
それなのに、僕にはリズを使役できている。
これはおかしなことで……でもどうしてそんなことが出来るのか、そのはっきりしたところはいまだにわからない。
ただ、僕にとってリズを使役できていることは非常に助かることだった。
なぜなら、先ほど示してくれたように、リズには高い実力があるからだ。
黒魔牛を簡単に倒してしまえるような実力が。
僕はそんな彼女に鍛えてもらいながら、旅をしているのだった。
「そもそも、スライムにここまで自己主張できる知能があるのはかなりおかしいのですが……」
リズは僕の胸元から伸びる触手状のものにツンツン触れながら呟く。
彼女が触れているのは、僕がこの世界に来て一番最初に召喚し、そして契約したスライムのグラだ。
「それを言うなら、そもそもリズも存在自体がおかしいからね……ねぇ、やっぱり何も思い出せないかな?」
僕がそう聞くのは、リズには事情があるからだ。
彼女はその細い指を唇に当てて少し考えてから答える。
「……ダメですね。何も思い出せません。魔術とか、常識とかは普通に思い出せるんですが、昔のこととなるとさっぱりで……。私って何者なんでしょうか?」
そう、彼女はいわゆる記憶喪失なのだった。
この世界の召喚術の仕組みは色々とあるが、僕のそれは、どこかにすでに存在している何者かを呼び出すことが多かった。
例えて言うのなら、東京にいる田中さんを呼び出す、みたいな仕組みであって、その場で田中さんを魔術によって作り出す、みたいな仕組みではない。
そのため、もしも田中さんを呼び出した場合は、東京で今までしていた生活の記憶がしっかりとあるのが普通なわけだ。
リズについてもこの法則は当てはまるはずなのだが、なぜか彼女は記憶がなかった。
だから、もしかしたら、彼女の召喚については、通常の召喚とは異なる仕組みが適応されているのかもしれなかった。
そもそもが特殊な、人の召喚なのだし、それにステータスボードの記載もおかしいし、そう考えるべきなのだろう。
しかしそうだとすると、彼女の記憶はずっと戻らないのだろうか。
それはかわいそうなので、どうにか記憶が戻らないかと色々試しているのだが、今のところ何の成果も出ていない。
「ごめんね、僕がリズを呼んだせいで記憶が……」
申し訳なくなってそう言うと、リズは笑顔で首を横に振った。
「いえいえ、そもそも呼ばれる前から記憶がなかったのかもしれませんし。それに記憶がなくたって特に困ってませんからね」
「いや、流石に記憶なかったら困るでしょ……」
家族とか友達とかが探しているかもしれないのだから。
しかしリズは言うのだ。
「本当に困ってませんよ? うーん、私、元々かなり薄情だったのかもしれませんね。あんまり家族が心配しているかも、とか友達が、とか思えないんですよね……」
「そうなのかな? あんまりリズが薄情って感じはしないけど。僕のことだって鍛えてくれてるでしょう?」
「主さまは大切な人ですから、大変なことにならないようにと思ってるのです。うーん……でも、確かに他の人がどうでもいいとか、そう思っているわけでもないので……薄情じゃないのかな?」
「そうだよ。街に寄った時に出会った人たちのこと邪険にしてるってわけでもなく、感じよく付き合ってるし」
「そうですかね……そうかも。でも、それならどうしてあんまり昔のことが気にならないのか不思議です」
「やっぱり僕の召喚のせい……」
「主さま! そんなことないですってば! 仮に、仮にですよ! そうだったとしても……」
「そうだったとしても?」
「私は全然構いませんよ! だって、主さまに出会えて、楽しく旅を出来てるんですからね!」
リズはそう言って笑ったのだった。
僕……つまりは、地球は日本出身の高校生、児玉律の目の前にだ。
あれは確か、黒魔牛という名前の魔物だったか。
通常の牛と比べるのも烏滸がましい巨体に、それに見合っただけの突進力。
また魔物であるために身体強化系の魔法すら使いこなすという、およそ地球に存在したら一体で街をパニックに陥れることが出来るだろう存在である。
しかし、僕は今、そんなものを目の前にしてひどく落ち着いている。
剣を構えているから?
鎧を纏っているから?
いや、どちらも正しいようで、事実とは少し異なる答えだ。
実際は……。
「主さま! 直前まで引きつけてください! あなたならそれが出来るはずです!」
後ろから、そんな声がかかった。
僕はそれに従って、剣を握る手に力を入れる。
そして……。
「……ここだ!」
僕に向かって頭突きをしようとしてきた黒魔牛を避け、その横合いに素早く移動すると、その体に剣を思い切り刺し込んだ。
「ブモォォォ!!」
黒魔牛は痛みのあまり、大きく鳴いて暴れる。
このまま近くにいては危険なので、僕は剣を抜いて距離を取った。
すると……。
「いきますよ……氷結華!」
僕の後ろから恐ろしいほどに強い魔力の波動が放たれ、それは黒魔牛に襲いかかる。
まるで花のように見える氷の刃がいくつも黒魔牛に突き刺さる。
その度に苦痛の声を上げる黒魔牛だったが、どう暴れても容赦なく降り注いでくる氷刄になす術はなかった。
ゆっくりと倒れていく黒魔牛。
僕はそれを見て警戒しながら近づき、その生死を確かめる。
「……よし、死んでるな」
僕が独り言のようにそう言うと、後ろから声がかかる。
「本当に大丈夫ですか? しっかりと確認しましたか? これくらいの魔物の生命力を舐めてはいけませんよ」
振り返ると、そこには白銀の髪の少女が立っていた。
およそ人間とは思えない精巧な人形のような美貌を持っていて、日本ではまず見られないその髪色と合わせてみると、とてもではないが現実的な存在に感じられない。
だが、彼女は確かにここにいるのだ。
「リズ。そんなに過保護じゃなくても大丈夫だよ……」
「いえいえ、必要なことです。もちろん、主さまのことを疑ってるわけじゃないんですよ? でも、もしものことがあったら大変じゃないですか。私は主さま第一の召喚獣として、必要なことをしているまでです」
彼女がそう言うと、僕の胸元から、ぬるり、と何かが伸びてきてリズの肩に少し触れる。
「……第一の召喚獣はリズじゃないってさ」
「グラちゃん先輩がいましたね……いえでも、厳密にはやはり私の方が先輩……」
「最初は存在に気づかなかったんだし、一番先に召喚したのはグラだから……」
「仕方ありませんね……では、最も主さま思いの召喚獣をこれから名乗りましょう。これなら……」
今度はグラがリズの頭を軽くペシりと叩く。
「それも自分だって」
「……なんてこと」
馬鹿な会話をしている気がするが、リズは僕の召喚獣だ。
そう、召喚獣なのだ。
この世界において、召喚獣は動物や魔物を召喚し、契約することによって使役できる魔術の一種である。
ただ、この召喚術で呼べる存在の中に、人は入っていないはずなのだ。
少なくとも常識的には。
それなのに、僕にはリズを使役できている。
これはおかしなことで……でもどうしてそんなことが出来るのか、そのはっきりしたところはいまだにわからない。
ただ、僕にとってリズを使役できていることは非常に助かることだった。
なぜなら、先ほど示してくれたように、リズには高い実力があるからだ。
黒魔牛を簡単に倒してしまえるような実力が。
僕はそんな彼女に鍛えてもらいながら、旅をしているのだった。
「そもそも、スライムにここまで自己主張できる知能があるのはかなりおかしいのですが……」
リズは僕の胸元から伸びる触手状のものにツンツン触れながら呟く。
彼女が触れているのは、僕がこの世界に来て一番最初に召喚し、そして契約したスライムのグラだ。
「それを言うなら、そもそもリズも存在自体がおかしいからね……ねぇ、やっぱり何も思い出せないかな?」
僕がそう聞くのは、リズには事情があるからだ。
彼女はその細い指を唇に当てて少し考えてから答える。
「……ダメですね。何も思い出せません。魔術とか、常識とかは普通に思い出せるんですが、昔のこととなるとさっぱりで……。私って何者なんでしょうか?」
そう、彼女はいわゆる記憶喪失なのだった。
この世界の召喚術の仕組みは色々とあるが、僕のそれは、どこかにすでに存在している何者かを呼び出すことが多かった。
例えて言うのなら、東京にいる田中さんを呼び出す、みたいな仕組みであって、その場で田中さんを魔術によって作り出す、みたいな仕組みではない。
そのため、もしも田中さんを呼び出した場合は、東京で今までしていた生活の記憶がしっかりとあるのが普通なわけだ。
リズについてもこの法則は当てはまるはずなのだが、なぜか彼女は記憶がなかった。
だから、もしかしたら、彼女の召喚については、通常の召喚とは異なる仕組みが適応されているのかもしれなかった。
そもそもが特殊な、人の召喚なのだし、それにステータスボードの記載もおかしいし、そう考えるべきなのだろう。
しかしそうだとすると、彼女の記憶はずっと戻らないのだろうか。
それはかわいそうなので、どうにか記憶が戻らないかと色々試しているのだが、今のところ何の成果も出ていない。
「ごめんね、僕がリズを呼んだせいで記憶が……」
申し訳なくなってそう言うと、リズは笑顔で首を横に振った。
「いえいえ、そもそも呼ばれる前から記憶がなかったのかもしれませんし。それに記憶がなくたって特に困ってませんからね」
「いや、流石に記憶なかったら困るでしょ……」
家族とか友達とかが探しているかもしれないのだから。
しかしリズは言うのだ。
「本当に困ってませんよ? うーん、私、元々かなり薄情だったのかもしれませんね。あんまり家族が心配しているかも、とか友達が、とか思えないんですよね……」
「そうなのかな? あんまりリズが薄情って感じはしないけど。僕のことだって鍛えてくれてるでしょう?」
「主さまは大切な人ですから、大変なことにならないようにと思ってるのです。うーん……でも、確かに他の人がどうでもいいとか、そう思っているわけでもないので……薄情じゃないのかな?」
「そうだよ。街に寄った時に出会った人たちのこと邪険にしてるってわけでもなく、感じよく付き合ってるし」
「そうですかね……そうかも。でも、それならどうしてあんまり昔のことが気にならないのか不思議です」
「やっぱり僕の召喚のせい……」
「主さま! そんなことないですってば! 仮に、仮にですよ! そうだったとしても……」
「そうだったとしても?」
「私は全然構いませんよ! だって、主さまに出会えて、楽しく旅を出来てるんですからね!」
リズはそう言って笑ったのだった。
