なんでここにいるんだ?
その子は誰だ?
今、一体何をしているんだ?
頭には次々と疑問が浮かんでくるのに、声にならなかった。
――違う。
答えを聞くのが怖かった。
答えを知りたくなかった。
「お前、ここで何してんの?」
先にそう訊いて来たのは貴虎の方だった。
なぜか少し怒ったような顔で。
「か、買い物に」
「その人と?」
ちらりと貴虎が坂本先輩を見て、俺は焦る。
貴虎は先輩のことを知っているはずなのに、いくらなんでも失礼だ。
「先輩とは、さっきここで偶然」
「ぼくが買い物に付き合ってもらっていたんだ」
ぽんと俺の肩に手を乗せ坂本先輩はそう続けた。
その横顔は笑っているけれど、なんだか少し怖くて。
(先輩……?)
すると貴虎がやっぱり不機嫌そうに答える。
「へぇ。そうなんですか」
「君は、その子とデートかな?」
「!?」
しかしそう先輩に訊かれると貴虎は焦るようにして隣の子を見た。
清楚で可愛い系のその女の子はきょとんとした顔だ。
「違っ、こ、こいつは」
「そうでーす。あたし、貴くんの彼女なんで♡」
ぎゅっと貴虎の腕に抱きついたその子を見て、俺は頭が真っ白になっていくのを感じた。
貴虎は俺とその子を交互に見ながら酷く慌てたように言う。
「な、何言ってんだお前! ち、違う、怜、こいつは」
「えー、ひっどーい! 貴くんってば照れてるの~?」
そうしてその子は貴虎を覗き込むようにして可愛らしく首を傾げた。
「照れてねーし!」
……これ以上、見ていられなかった。
だって、どう見たって目の前にいるふたりは周囲のカップルたちと同じ、どこにでもいる普通のごく幸せそうなカップルだ。
――俺と貴虎が一緒にいても、こんなふうにはならない。
ゆっくりと一歩後退り、俺はそのままそのふたりに背を向け猛ダッシュでその場を去った。逃げるように。……いや、逃げたのだ。この場にいたくなくて。
「怜!」
貴虎の叫び声が聞こえた気がしたけれど、立ち止まれなかった。
――なんで。
どういうことだ。
あの子が貴虎の彼女?
じゃあ、俺はなんだ?
俺は、貴虎のなんだ?
貴虎のしたいこともしてやれない俺は、貴虎のなんなんだ?
――ああ、そうか。
(俺、もしかして飽きられたのか?)
待たせてばかりで、キスだってなかなか慣れない俺は、きっと貴虎に飽きられたのだ。
立ち止まったら涙が零れてきそうで俺はひたすらに走った。
「はぁ、はぁっ」
無我夢中で走って、気付いたら俺はショッピングモールの裏手にいた。
建物の陰になっているそこは駐輪場になっていて、たくさんの自転車が停められていた。人気はない。
そこで俺はひとり呟く。
「なんだよ、そうならそうと言ってくれよな」
先ほどの焦ったあいつの顔を思い出してふっと笑ってしまう。
別に怒ったりなんかしないのに。
だってあいつは悪くない。
悲しいけれど、でも、仕方ないと思う。
俺が、あいつに応えてやれなかったのが悪いんだから。
折角両想いになれたのに、好きな人を拒否するなんて最悪だ。
そんなの飽きられて当然じゃないか。
「馬鹿だ、俺……っ!?」
ガシっとそのとき強く腕を掴まれて驚き振り返る。
瞬間、貴虎かと思ったが、違った。
「ふぅ……やっぱ速いな、御堂は」
そうして坂本先輩が笑った。
「先輩……」
「大丈夫か?」
心配そうに問われて、かぁと顔が熱くなった。
そうだ。先輩のことをすっかり忘れていた。
酷いところを見られてしまった。
「な、なんかすみません。みっともないとこ見られちゃって」
苦笑しながら俺は続ける。
「ハハ、なんか、うまくいってると思ってたのは、俺だけだったみたいですね」
そう言ったときだった。
急に掴まれていた腕を引き寄せられて、俺は先輩に抱きしめられた。
「せ、先輩!?」
びっくりしてその腕の中から逃れようとするが、先輩はそんな俺の背中をぽんぽんと叩きながら言った。
「無理して笑わないでいいから」
「~~っ」
ズルイ。今、そんな優しい言葉をかけないで欲しい。
さっき堪えた涙がじわりと溢れてきて、一度出たそれは止まらなくなってしまった。
カッコ悪くしゃくり上げながら俺は言う。
「……っ、あいつは、何も悪くないんです。俺が、ダメダメで、だから……っ」
先輩は何も言わずただ優しく俺の背中をさすってくれていた。――と。
「怜……?」
そのとき貴虎の声が聞こえてビクリと身体が強張る。
ゆっくりと顔を上げると涙で霞んだ視界の中に大きく目を見開いている貴虎がいた。
その隣にさっきの子はいない。
走ってきてくれたのだろう、はぁはぁと息を切らせている貴虎と目が合って、俺は思わず顔を逸らしてしまった。
(最悪だ……っ)
こんなところを見られてしまった。
もう頭がめちゃくちゃで小さく震えていると、先輩が俺を隠すようにして前に出てくれた。
「事情はよくわからないけど、恋人にこんな不安な思いをさせるのは感心しないな」
「……あんたには関係ないだろ」
貴虎が低い声音で答える。
先輩に向かってあんた呼ばわりなんていつもなら怒っているところだが、そんなことも今は言えなくて。
しかし坂本先輩は機嫌を悪くするどころか、ふっと笑った。
「関係なくはないよ。ぼくは御堂のことが好きだからね」
「……!?」
貴虎の動揺と、怒りが伝わってくる。
俺は何も言えなかった。
何を言っていいのか、わからなかった。
すると、貴虎の感情を抑えたような声が聞こえてきた。
「怜、こっちに来いよ」
そう言われても、動けなかった。
こんな酷い顔を貴虎に見られたくなかった。
「お互い、少し落ち着いてから話した方がいいんじゃないかな」
「あんたは黙ってろよ。怜っ!」
今度は強く呼ばれて、でも俺は俯いたまま小さく首を振った。
「今は無理だって」
「……っ」
すると、少しして貴虎は言った。
「怜、誤解だからな。……また連絡する」
そんな小さな声のあとで、先輩がふぅと短く息を吐いた。
「行ってしまったよ。大丈夫かい?」
俺はまず先輩に謝罪しなければとメガネを外し涙を拭ってから顔を上げた。
「すみません、先輩。こんなことに巻き込んでしまって」
「いや、大丈夫。なんかちょっとヒーローになった気分で楽しかったよ」
そんなふうに先輩は笑ってくれた。
「先輩……」
「でも、彼も誤解だって言ってたし、もう一度ちゃんと話してみたらいいんじゃないかな」
「……はい」
怖いけれど。
もしかしたらもうダメかもしれないけれど……。
「それでもしうまくいかなかったら、ぼくのとこにおいで」
「!」
俺がびっくりして見返すと、その反応を見て先輩はまた笑った。
「なんてね」
冗談なのか、本気なのかいまいちわからないけれど。
先輩が優しいことはわかる。
「ありがとうございます」
そうして俺は頭を下げた。
***
ひとり帰宅してから俺はずっとスマホを睨んでいた。
何度も何度も書き直したメッセージは結局送れていなくて。
貴虎からもなんのメッセージもなかった。
いつもなら喧嘩をしたあとは貴虎がすぐに謝ってきてくれるのに。
(やっぱり、怒ってるよな……)
『さっきはごめん、俺混乱して。先輩とはなんでもないから』
送信前のそのメッセージを見返して、結局俺はそれを削除した。
何を書いても言い訳にしか見えなかった。
ふと勉強机の上に置かれた簡素なバレンタインデーチョコが目に入った。
そういえばバレンタインデーももうあと数時間で終わる。
ふっと笑いが漏れた。
(最悪なバレンタインになっちまったな)
これまで無下にしてきたたくさんの気持ちの、これは報いだろうか。
そんなことを考えて、また自己嫌悪に陥る。
胸が苦しくてたまらない。
片想いしてるときだって、ここまで苦しかったことはない。
これは恐怖だ。
貴虎と、友達ですらなくなってしまう、恐怖。
片想いをしているときは、一番の友達でいられたらそれで十分だと思っていた。
でも一度両想いになってしまったら、あとは壊れるしかないのだとわかった。
きっと友達にも戻れない、恐怖。
――こんなことなら、片想いのままの方が良かった。
その日、俺はスマホを握りしめたまま眠ることが出来なかった。



