苦手なあいつがグイグイくる



「それじゃあ、今日はここまで」

その言葉で、俺はようやく肩の力を抜いた。

あれから数日。今日は遂に白井との初めての勉強会を迎え、テキストと向き合ったり白井の声に耳を傾けたりしながら一時間程度を過ごした。いつも以上に頭を使ったからか、それともいらぬところに気をまわしていたからか、普段自分で勉強するときより疲労感が数倍くらい違う。
大きく息を吐き出した俺に、白井はお疲れ様、と笑いかけた。その笑顔はいつも通り爽やかで、周りをも明るく照らしている。
一方の俺は、気遣ってもらったにも関わらず気まずさから白井の顔も見られないし、いつも他人に向けている笑顔も浮かべることもできていない。
原因はもちろん、昨日の白井の発言のせいだ。

『青野って俺のこと苦手だろ?でも俺は、青野とは仲良くなりたいって思ってるんだ』

『それと青野、無理して周りに気遣ってるだろ。俺も以前はそういう部分があったからさ。潰れてしまわないかって、ずっと心配してたんだ』

ずっと、気を張って取り繕っていたことがバレていた。よりによって、一番知られたくなかった人物に。オマケに苦手意識を持っていることもバレていた。
今のところ、クラスメイトたちは普通なので言いふらされてる様子はない。
上手く隠せていなかっただろうか。結構、表情を作るのは得意だと思ってたんだけど。周りに確認しようにも、自動的に白井を苦手に思っていることがバレるから聞けないし。
そして昨日はそのことばかりに気を取られてしまって冷静に考えられていなかったが、白井は無理して気を遣っていることを指摘したあと、自分もそういう部分があったと言っていた。それってつまり、白井も俺のように「いい人」を装っていたということだろうか。
ふと、これまで見てきた白井の姿を思い浮かべる。誰に対してもいつもにこやかで、清涼感のある爽やかな印象を受ける。そういうのは大抵演じていたら胡散臭さを感じるが、胡散臭さやその雰囲気が作り物だと感じたことは一度もない。
おそらくあれは本当に、元から持っている白井の性質なのだろう。だからこそ白井に対しての苦手意識が薄れない。
でも実際は、そういうふうには見えないが白井にとっては、無理して周りに気を遣ってる部分があるのだろうか。だから俺に共通点を見出して、俺と仲良くしたいとかいう謎の発言までした……のか?
……いや、ないな。あいつの善行は純粋の中の純粋のものだし。それに「以前は」って言ってたんだから今はそうじゃないってことだろ。うん、やっぱり白井とは仲良くなれそうにもない。いい人は苦手だ。
これ以上一緒にいるのも気まずくて、さっさと帰ってしまおうと鞄にノート類を突っ込んでいたところ、今朝から鞄に入れっぱなしになっていた紙袋の存在を思い出した。
……ちょっと癪だけど、渡さないわけにもいかないよな。
俺は心のなかでため息をつき、鞄からその紙袋を取り出した。

「あの、白井。これ……」
「ん?その袋、ガディバのチョコ?どうしたの?」
「えっと……勉強見てもらえることの、取り急ぎのお礼」

俺が差し出した紙袋を見た白井が目を丸くする。
苦手とは言え、面倒なことをさせているのは変わりないから、こういうお礼は必須だろう。人として、礼儀まで欠かすのはよくない。

「これくらいで割りに合うとは思わないから、今度また別でお礼させてほしい」
「えぇっ、そんな、気持ちだけでいいよ」
「俺の気が済まないだけだから、それも含めて大人しく受け取って」

遠慮していた手に無理やり紙袋を押し付ける。白井は紙袋と俺を交互に見ながらもそれを受け取って、少しだけ困ったように、でも喜びがにじみ出た笑みを浮かべた。

「そういうことなら、ありがたく受け取る。ありがとう青野。俺、ガディバのチョコレート大好物なんだ」

白井はにこにこと紙袋の中身を覗き込みながら声を弾ませた。
チョコレートが大好物だというのは、お礼を買うと決めてからしっかりクラスメイトにリサーチしたため知っていた。家で勉強するときは甘いものを食べながらすると捗るらしい。それを教えてくれたクラスメイトの女子は「甘いもの好きってかわいいよねー」なんて恍惚とした表情で言っていたが、それに関してはさすがの俺も同意しかねた。
とまぁそんなこんなで昨日のうちにチョコレートを買っておいたわけである。
俺もガディバのチョコは好きだからそこだけは気が合うかも、なんて一瞬思ったが、なんだかいやに面映い感覚になったので速攻で頭から追い出した。

「そういえば、俺の教え方、どうだった?分かりにくいところとかあった?」

改めて帰る準備をしようと鞄に筆箱などを詰め込んでいたら、白井がそう問いかけてきた。

「分かりにくいところはなかったよ。むしろ、すごい分かりやすかった」

ちなみにこれはお世辞で言っているとかではなく本心だ。白井の教え方は本当に分かりやすかった。おかげで今まで訳分からなかった数字の羅列がなんとか読解できるようになった。下手したら先生方より教えるの上手いと思う。
そんなものまで周りより秀でているなんて……。こいつのできないことを探す方が難しいんじゃないだろうか。

「ほんと?よかったぁ。青野、ずっと難しい顔してたから、俺の教え方が下手すぎなせいで不機嫌にしてしまったのかもって不安だったんだ」
「あー、違うから安心して」

どうやら俺が微妙な感情でいたのはバレていたらしい。
そうなったのはこいつが原因ではあるけども。

「じゃあ、なにか他に悩み事?」
「いや、まぁ……大したことじゃないから気にしないで」
「本当に?」

白井はそう言って心配げな表情で身を乗り出しながら俺の顔を覗き込んできた。そのため、不意に距離が近くなる。
長いまつ毛に縁取られた大きな瞳にじっと見つめられ変に心臓が跳ねる。
こんな、たった数十センチの距離感で見ても毛穴が見えないくらい肌がスベスベでイケメンって、どういうことなんだまったく。距離が近いからかこころなしかいつもより眩しい。しかも若干上目使いだから縋り付かれているような錯覚に陥る。
これ、女子がくらったら一発で落ちるんだろうな……。
そんなことを考えながら、光を直視しないよう目を逸らす。しかしその反応に後ろめたさがあると勘違いしたのか、白井が更に眉を下げた。

「いつもと様子も違ったから、思いつめてたりするんじゃないか?」
「そんなことは……」

というかほんとうにそういうんじゃないんだよ。原因は白井なんだよ。だから言いたくないんだよ、気づけよ。
おいやめろ、そんなきらきらした顔面を俺に向けるな。

「もしかしたら、力になれることがあるかもしれない。ひとりで抱えこんでしまう前に相談に――」
「あれ?白井と……青野?なにしてんのー?」

白井が謎に食い下がってきて、このままだとこの顔面の圧力で無理やり吐かされる、という危機感に焦りを感じていたときだった。教室の入り口の方から、白井の言葉を遮るよう俺たちの名前を呼ぶ声が聞こえた。
そちらに目を向ければ、そこに立っていたのは運動着姿のクラスメイトともう一人、おそらく別のクラスの男子生徒だった。

「あぁ、青野と雑談してたんだよ」

固まっている俺の代わりに、白井が答えてくれる。その際に白井との距離も離れて、俺は思わずほっと息を吐いた。

「へぇー、珍しい組み合わせじゃん。二人仲良かったっけ?」
「最近ちょっとね。二人はどうしたんだ?部活は終わったのか?」
「終わってないけど、忘れ物に気付いたから今のうちに取りに来た」

そう言って、クラスメイトは自分の席の方に行って机の中をごそごそと漁りだす。
今のうちに俺もさっさと準備を終わらせて帰ってしまおう。
と、思ったのだが、付き添いで来たらしい別クラスの男子が白井のもとにやって来てなにやら会話を始めてしまったために、帰るタイミングを見失ってしまった。
帰ってもいいんだろうけど、なんというか、少し気が引ける。
それにこの別クラスの男子は白井と同じクラスかつ結構話をする仲らしく、少々盛り上がってしまっている。
机の中を漁っていたクラスメイトも「あれー、どこ置いたっけなぁ」なんて言って教室の後ろにあるロッカーまで漁り始めたから、もう少し時間がかかってしまいそうだ。
……帰りたい。さっきの悩み云々を有耶無耶にしたまま帰りたい。

「あ、そういえば、白井に頼みたいことがあったんだよ」

席を立つタイミングを伺うためになんとなしに目の前の二人の会話に耳を傾けていたところ、別クラスの男子がそう言った。
さすが白井、誰にでも頼りにされている。どうせいつものように「俺にできることなら」とか爽やかに言うんだろう。
そう思って呆れ半分でちらりと白井の顔を見た。
しかし当の白井は、なんだか、今まで見たことないような、ちょっと背筋が冷えてしまうような笑みを顔に貼り付けていた。
笑っているんだけど、笑ってない……そう、目が笑っていないんだ。
こいつこんな顔もするんだと驚きつつも、そんなあからさまな顔をしていたら話している相手もびっくりしてしまうんじゃないかと思って別クラスの男子の方も伺い見たのだが、男子は白井の様子に気付いたふうもなく話を続ける。

「今日の生物の授業、寝ちゃってて全然板書できなくてさぁ。明日でいいから生物のノート写させてくんない?」

お願い!と手を合わせた男子は、へらっとした笑顔を浮かべる。
俺も他人から頼られることが多いのでわかるが、こういうタイプはこちらの善意をいいように使っているだけの奴が多い。向こうはわかっていないと思っているだろうがこちらはちゃんと気付いているので、なにか頼まれる度にちょっとイラッとしてしまうんだよな。だからといって断ることはできないんだけども。
いくら白井でも、こういう奴はたかってくるもんなんだな。ご愁傷様。
そう、ひっそりと哀れんで同情心を向けていたのだが。

「うーん、無理」

先ほどと変わらぬ冷めた笑顔のまま、白井はあっさりと男子の願いを拒否した。
拒否された本人は瞠目して固まってしまっている。おそらく拒否されるなんて思ってなかったのだろう。俺もそう思っていたので、たぶん目の前の男子と同じ顔をしている。

「は、はぁ?なんで?」
「なんでって、嫌だと思ったから?」
「意味わかんねー。他のやつには貸してるじゃん。なんで俺だけ……」
「おーい、忘れ物見つかった。早く戻ろうぜー」

男子の言葉を遮る形でクラスメイトが教室の入り口の方で手招きをしている。あのクラスメイト、今日はいいタイミングでばかり話を遮るな。
男子は顔を歪め、一度キッと白井を睨んだ後踵を返し教室を出ていった。
その姿を唖然としながら見送っていたら、白井が「変なところ見せてごめん」と謝ってきたので慌てて首を横にふる。

「あいつ、ノート見せてくれって言うのこれで三、四回目くらいなんだ。しかも全部授業寝てたからって理由で」
「それは……だいぶ自分勝手だね」
「なー。学校休んでたから、っていうのなら全然貸すんだけど」

白井はため息をつきながら自身の鞄を手に取り荷物を詰め始める。その顔はいつも浮かべている人好きのするものじゃなく呆れが多分に含まれていて、どちらかというと不機嫌に見えるものだった。
白井も人間であるから、当然機嫌が悪くなったり苛ついたりするだろう。でも普段見る白井はそういった負の感情とは縁遠い存在に思えるから、そういう顔もするんだ、となんだか意外に思った。

「ああいう感じの、結構あるんだ?」
「あるある。ああいうのは一回断ったら基本それで対応も終わるんだけど、時々しつこく絡んできたり文句言われたりすることもあって、わりと苦労する」
「……断ってるの?」
「うん。だって、手助けしてもらえて当たり前、って思ってるような人に手を貸すの、気が進まないじゃん。見返りを求めてるわけじゃないけど、嫌だと思うことまでやってたらこっちの精神が擦り減るだけだし」
「……たしかに……」
「けどまぁ、こっちにも気を遣ってくれる人からの頼みでも、時々断ることはあるんだけどね。頼られることは嬉しいし手助けするのも最早趣味みたいになってるけど、どうしても気乗りしないときってあるじゃん。そういうときは心の声に従って無理に頼みは聞かないようにしてる」

俺が思ってるより、白井は人からの頼みをなんでもかんでも聞いているわけじゃないらしい。それも意外だった。

「青野も、周りから頼られることが多いだろ?困った時とか乗り気じゃないとき、どう対処してる?」
「…………」

先程までの不機嫌さはなくなり、いつもの爽やかな笑顔を浮かべた白井が期待を滲ませた目でそうといかけてくる。
あぁ、なるほど。なんとなくわかったかも。白井が俺と仲良くなりたいのは、お互い同じようなことをしているのでおそらく同じような悩みを持っているだろうから、その悩みを分かち合って対策とかの相談がし合えると思ったからかも。
そう考えるのもまぁ、わからなくもない。だが残念ながら、俺はその期待に応えることはできなさそうだ。

「俺、断れないから、対処法とかわからない」

俺と白井は、同じようなことをしていると思っていたけど、全く違った。
俺は、優しいふりをして余計な波風を立てたくないから言われること全てに頷いていた。でも白井は、嫌なことに対してはちゃんと嫌だと意思表示して立ち回っている。俺のようなただのイエスマンではないところが、周りの人から信頼されている理由のひとつなのかもしれない。
俺がぽつりと呟いた言葉に、白井は目を丸くした。

「断れないって……もしかして、強制されてるとか?」
「いや、俺の意志」
「それはすごく、大変じゃない?」
「まぁ……でもその方が波風立たなくて楽だろ」
「そう、なのか?」

白井は顎に手を添えて理解したような、してないような微妙な表情をした。そして数秒考え込んだのち、何度かうんうんと頷いて小さくため息つく。

「青野が無理して見えた理由が、なんとなくわかった」

憐憫を含んだ視線を向けられ、ちょっとムッとする。

「別に無理してるつもりはないんだけど」
「今はそうでも、いつかいっぱいいっぱいになって爆発してしまうよ。俺も昔はみんなの話聞きすぎてよくパンクしかけてたし」
「そうなんだ?今は上手いこと処理してるようにみえるけど」
「それは昔の教訓。抜くところは抜いていかないと、かえって非効率になるって学んだんだ。青野も、一度勇気持って断ってみたらどうだ?周りは案外気にしないぞ」

周りが気にしないのは、白井の人間性のおかげじゃないだろうか。
俺がちょっとでも周りの意志に背いたら、途端にみんなして石を投げるだろうな。それこそ昔の教訓だ。
また悪意だらけの視線の数々を思い出しそうになって、俺は咄嗟に頭を振って追い出す。

「どうした青野?」
「いや、なんでもない……」

俺は鞄を手に持って椅子から立ち上がる。青野はまだ準備しきれておらずもう少し時間がかかるだろうから、今のうちに帰ってしまおう。

「じゃあ、俺帰るね。今日は勉強見てくれてありがとう。面倒だと思うけど、次からもよろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げたのち、「それじゃあ」とそそくさと教室をあとにした。白井が俺の名前を呼んだ気がしたが、気付かないふりをしてそのまま昇降口まで走る。
白井と関わってると、嫌なことばかり思い出してしまう。あとあいつの良すぎる顔を見てるといやに心臓が跳ねて落ち着かない。
やっぱり、白井は苦手だ。

―――

翌日の昼休み。
現代文の先生にノートを集めて職員室まで運んでくれないかと頼まれた俺は、せっせこノートを回収して職員室までの廊下を歩いていた。
昼休みなので廊下は多くの生徒が行き交っている。時々別のクラスの子が挨拶してくれるのでそれににこやかに返しながらも、俺は小さくため息をついた。
昨日家に帰ってから、教えてもらったことをもとに試しに問題集の問題を解いてみたら、少しだけ時間はかかったが無事に答えを導き出せて、しかも正解までしていた。
確実に、白井のおかげで成長できている。まさかこんなにも早く変化が訪れるとは思わなかった。
これは、考えていた以上のお礼をしなければならないな。あいつは遠慮するだろうし、俺の気も全く進まないけど。でも本当に助かっているから、せめてあいつの善意には報いたい。
なにをあげるのがいいだろうか。白井の好きなものはチョコしか知らないから、またリサーチしなければ。
そんなことを考えながら階段を降りて、ようやく職員室前の廊下に差し掛かった時だった。

「白井のやつ、顔が良くてモテるからっていい気になってるよな。まじでムカつくわぁ」

なんて言葉が聞こえて俺は視線を上げた。
視線の先には廊下の壁に背を預けて並んでいる二人の男子生徒がいた。一人は見覚えがなかったが、もう一人は見覚えがある。昨日、白井にノートを見せてくれと頼んでバッサリ断られていた白井と同じクラスの男子だ。おそらく先程聞こえた白井への文句も、あの男子が言ったのだろう。隣りにいる見覚えのない男子が「なになにどうした」と食いついていた。

「昨日、ノート見せてくれって頼んだら無理って断られてさ。なのに今日は他の女子に貸してやがんの。意味分かんなくね?なんで俺だけなんだよ」
「そりゃお前、白井の気に障ることでもしたんだろー」
「んなことしてねーよ」

どうやら昨日の一件の愚痴をこぼしているみたいだ。
やっぱりあの男子、ちょっと面倒な奴だった。人の善意を利用だけする人ほど、拒否られたらぐちぐち文句たれて粘着して、拒否した人をを悪者にするんだよな……。
こんな人の往来のある場所で堂々と陰口叩くなよ、と不快に思いながらも、聞いていないふりをして二人の前を通り過ぎようとする。

「あ、青野!」

しかし白井の文句を言っていた男子に呼び止められ、腕を掴まれてしまった。
おい危ないだろ、今俺はクラスの人数分のノートを抱えているんだぞ。と文句が出かかったが、すんでのところで呑み込む。そして「どうかした?」とにこりと笑みを向けた。

「昨日の白井、まじひどくなかった?結局俺にノート見せてくれなかったのに、クラスの女子には貸してるんだぜ」
「そうなんだ」
「今思えばあいつ、女子にだけ異様に親切なんだよな。もしかして、言い寄ってくる女子全員食ってたりして。選び放題のあいつならあり得るくね?」
「白井に限ってそれはないだろ、聞いたこともないし。あんだけモテてんだから、ヤれた女子がいたら絶対自慢してまわって速攻で噂広まってるって」
「いーや、ああいういい子ぶってるやつに限って裏でえげつないことしてるんだよ。なぁ、青野って最近白井と仲良いよな。あいつ実は女遊びしてるとかって情報、持ってない?」

男子の問いに、繕うことも忘れて思わずじとっとした目を向けてしまった。
真っ当な理由で断られたにも関わらず文句を垂れそれを他人から共感を得ようとして、しかも粗探しまでしている。もし見つけたら、この人は嬉々としてそれを言いふらすだろう。あまりにも品性に欠けるし根性が悪すぎる。

「持ってないよ。聞いたこともないからそういうのは無いんじゃない?」
「えー、絶対あるって。あ、じゃあさ青野、白井にそれとなく聞いてみてくれない?お前も知りたいだろ、白井のとっておきのスキャンダル」
「は……?」

なに言ってんだ、こいつ。そんなもの知ってなにになる。
俺は白井のことは苦手だが、足を引っ張ったり貶めたいと思ったことは一度もない。そんなことしたって意味がないからだ。俺は頭は悪いがそれくらいのことはわかる。
それなのにこいつは……高校生にもなってあまりにも幼稚すぎやしないだろうか。
軽蔑の眼差しで男子を見ていたら、隣りにいたもう一人の男子がそれに気付き「おいやめとけって」と止めに入る。しかし当の本人は俺の視線に気付かず「なぁ、頼むよ」なんて言い募ってきた。
基本的に、嫌な頼み事をされても断れないから頷いてしまうが、これに関しては人として頷くことはできない。

「悪いけど、その頼みは聞けない。白井のスキャンダルなんてのも興味ない。探すなら自分で探して」
「ッ、はぁ?なんだそれ、お前もかよ」

掴まれていた腕を払おうと動かしたが、逆に強い力で掴み返されて身動きが取れなくなった。隣りにいた男子がおろおろしながらも「やりすぎだって」と諌めているが男子は耳を貸さない。

「なに、お前まで調子乗ってる感じ?あーあー、いいよな『人気者』は。そんな、エロいことなんにも知りませんみたいな顔して、女とっかえひっかえしてるのは青野の方だったりして?」
「なっ……」

ふざけんな、恋愛のれの字もしたことないわ。
あまりの言い草に腹が立って力任せに身を捩る。しかし向こうのほうが力が強くてなかなか振りほどけない。それどころか、先程よりも更に強い力を込められて腕に痛みが走った。こんなことになるなら、筋トレを日課にして力をつけておくんだった。
心のなかで後悔を抱く。しかし、そんな的外れなことを考えている間にも腕が痛みに悲鳴を上げている。どうにか切り抜けなければ。
ここはもう、恥を忍んででも大声で助けを呼ぶしか……。
そう、覚悟をきめたとき。横からすっと伸びてきた手が、俺の腕を掴んでいる男子の手を捻り上げた。

「自分の思い通りにならないからって暴力に走るのは感心しないな」

低く不機嫌が滲み出た声がしたかと思ったら、ぐいっと服を後ろに引っ張られる。そして俺を庇うよう誰かが目の前に立った。
突然の出来事に呆気にとられながら、俺より幾分か大きな背中を見上げる。すると目の前の男――白井がこちらを振り向き目を細めた。

「青野、大丈夫?」
「う、うん……」

俺の名前を呼んだ声は、先程の不機嫌丸出しではなく穏やかで柔らかいものだった。その温度差に風邪をひいてしまいそう。しかし戸惑いながらも素直に頷けば、白井はほっと息を吐いて男子と対峙するべく正面に向き直った。

「まったく……くだらないことに青野を巻き込むな」
「なっ、くだらないって、も、元はと言えばお前が女子だけ贔屓するからだろ!」
「なにを見て女子だけ贔屓してると曲解したのかわからないが、それで青野を巻き込むのは違うだろ。昨日の件が気に食わないのなら俺に直接文句を言え」
「じ、じゃあ言わせてもらうけど、俺の頼みだけ突っぱねるのは感じ悪いんじゃねぇの?そんな本性知ったら、さすがのお前でもみんなに嫌われちまうぞ?」

白井の背中であの男子がどんな表情をしているのかは見えないが、おそらく声色的に意地の悪い笑顔でも浮かべているのだろう。そんな男子の言葉に白井は意に介した様子もなく、呆れたように深くため息をついた。

「話になんないな。とにかくもう俺はお前の頼みは聞かないから。なにか手助けが必要なら他を当たってくれ」
「あっ、おい!」
「なぁちょっと落ち着けよ。さすがに今回のはお前が悪いって」

白井が話を切り上げ俺の方を振り返ったのが気に食わなかったのか男子は白井の肩を掴んだが、隣りにいた男子が強引に間に入ってくれた。あとは彼がどうにかしてくれるだろう、止めてくれる友人がいてよかったな。

「青野、職員室に行くところだったんだろ。着いてくよ」
「え、いや、、一人でも平気――わっ」

また柔らかい声色と表情に戻った白井は俺の肩を抱くやいなや、職員室の方に歩き出したので俺も合わせて歩を進める。
必要以上に密着している気がするが、両手も塞がっているし、白井も同じく俺より力が強いので離れることもできない。
これは大人しく着いていったほうがよさそうだ。
それからすぐに職員室に到着し、俺はようやく現代文の先生にノートを渡すことができた。
職員室を退室してドアを閉めてから、息を吐いて肩の力を抜く。
なんだか異様に疲れた。

「青野」

名前を呼ばれはっとして振り向くと、そこには白井が立っていた。どうやら俺を待ってくれていたらしい。

「先に戻っててもよかったのに」
「そんな薄情なことしないよ」

白井はくすっと微笑をこぼし、そして俺の手にそっと触れた。

「どこか痛いところとかはない?」
「ないよ、ケガもしてない」

腕を掴まれていたときは痛かったけど、今は痛みはないからたぶん痣とかにもならないだろう。
俺の返答に白井は「そっか」と微笑んだ。しかし、どことなく思い詰めたような表情で視線を落とす。

「まさか、青野にまで絡んで行くとは思わなかった。巻き込んでごめん。もう絡まれないよう、こっちで対処しておくから」

なるほど、たまたま居合わせただけの俺を巻き込んでしまったことを後ろめたく思っているのか。確かに変なのに絡まれて心底面倒くさかったけど、そこに白井の責はひとつもない。

「白井のせいじゃないから謝らないでよ。というか謝るべきはあの人だし。俺が絡まれないようにっていうのはすごくありがたいけど、まずは白井があの人から謝罪もらいなよ?もし謝らなかったら、俺も一緒に怒るし」

一応俺も被害者なんだから、怒る権利くらいあるだろう。あと白井には助けてもらったから、加勢できることはしたい。って言っても、白井には俺なんかより頼りになる友達がたくさんいるだろうから、俺の加勢なんか必要ないかもしれないけど。

「ははっ、うん、そうだな。どうにもならなそうだったら、頼らせてもらおうかな」

白井はそう言って楽しそうに笑った。なぜそんなにも機嫌がよさそうなのかは不明だが、思い詰めた表情をされるよりはマシだ。

「青野」

俺の手に触れていただけの白井のそれが、ぎゅっと絡まって俺の手を包む。
不思議に思って白井を見上げれば、彼はいやに熱のこもった目で俺を見ていた。
背筋になにやらゾクリとしたものが走る。決して嫌悪ではない。が、どうにも落ち着かないものだった。

「教室、帰る」

動揺しながらも片言でそれだけ伝えれば、「そうだな、戻ろう」と白井はあっさり俺から離れていった。あの熱のこもった目も今はなりを潜めいたっていつも通りに見える白井がそこにはいた。
なんだか得体の知れないものを見てしまった気分になり、やっぱりこいつ、いろんな意味で怖い、と俺はひっそり身を震わせたのだった。