夏休み最終日から三日後。今日は学校。
クラスの様子は、全体的に怠そうだった。中には、休んでいる人もいる。確かに、明日は土曜日で休日だから、休む理由は分からなくもない。
「今日図書室へ行かない?」
「いいよ」
私が誘うと首肯してくれた。
昼休み。
図書室は静謐な雰囲気で、本特有の匂いが漂っていた。
本を物色している者、勉強する者、無口で友達とトランプをしている者など、様々。
冷房がよく効いている場所を求めて、ここに来ている人はきっと少なくないだろう。
私は、本を借りるためにここに来た。
時間が止まったような感覚に陥る。
「そういえば雪奈ってどれぐらい読書好きなの?」
「読み終わったら、余韻というのがある。その余韻を壊さずに浸っておきたいから、続きを作ることをやっているよ」
「へー。読んだだけで終わりじゃないんだね」
「まあね。作中で出てきた気になった物や場所を、実際に調べたりもよくする」
そうすることで、物語の世界に入っている感じがよりするから。
「ねえ」
「どうしたの?」
「その本取って」
私の膝ぐらいの高さにある本を指差した。
すると、耳を強く引っ張られた。
「いたた……」
「自分で取れよ」
私が唇を尖らして、不服そうな顔を作ると、さっきのとは逆の耳を引っ張ってきた。
「痛いよ」
「何かに憧れているのかな?」
「ち、違うよ。腰を下ろすのが面倒だから」
訝しげるように私を見つめた後、本を取ってくれた。この本は、花の図鑑。前にこれを参照して、桜を描いた。近いうちに色をつけようと思っている。
それを借りた。
「ふふふ。嬉しいなぁ」
適当な席に腰を下ろして読書する。
「……何が嬉しいだよ。これをやるためにここに足を運んだんでしょ?」
「そうじゃないって。この温かい光を浴びながら読書するのが好きなだけ」
「苦しい言い訳だね」
「苦しい言い訳じゃないし」
「一つ分かったことがある」
「何?」
「雪奈は、我儘だということ」
「我儘じゃないしっ」
「そんな、人より心の欲求が満たされにくい雪奈に、とある物を見せてやろう」
「え?」
状況がよく分からないけれど、彼についていった。
彼が向かったのは、屋上。
屋上に着くと、生暖かい風髪を揺らした。ちょっと暑い。
「ここで何するの?」
あるのは、ベンチぐらい。
あとは、カップル同士がいちゃいちゃしているのも見られた。
「ベンチに座ってくれない? 一マスだけの紙を縦に半分に切る。その半分の紙を横に四等分にして、そのうち二つを使う。右から四番目のマスの左端中央に、その二つが重ならないようにのりで貼る」
促されたので、ベンチに座った。
はて、私は何をされるのだろうか。
彼はスマホを構えた。
「は?」
「絵を描くときの、アタリの参考にしようと思って」
「なーんだ。それならいいよ」
ポーズは何もしなくてよく、ただ座っているだけでいいらしい。
ピシッと、膝に手を置いて座る。
……やけにスマホのカメラが近い気がする。
広角レンズで撮るつもりなのだろうか。
まあいいや。
彼は写真を撮った。
「ぬふふ……写真保存っと」
「え?」
異様にも彼はにやにやしていた。
「こんな写真撮ってみた」
撮った写真は、私全体を撮った写真じゃなかった。
……私の胸の膨らみを撮った写真。
これは明らかに意図的。
途端、羞恥が私を襲った。
「どこ撮ってんのよ変態!」
逃げようとした彼を捕まえた。
「ホーム画面の写真に設定するだけど、ダメかな?」
「ダメに決まってるじゃん。ほんと、気持ち悪いー」
彼は吹き出した。
「これぐらいの刺激を、きっと雪奈は心中求めている。僕バージョンとして再現してみただけ」
「こういうアレな趣味はよく分からないから、幸太が体感したこの刺激はあんまり共感できない。何か、例ないの?」
彼と海水浴に行った時だって、私の水着を見て若干にやけていたので、密かにアレな趣味があるんだと思った。
「そうだな……僕とおんぶする刺激を密かに渇望してるんじゃない?」
「ええ? ま、まさかねー」
例を挙げてくれたことにより、刺激の度合いが分かった。
……おんぶって、そんなに刺激強いかな……。
まあいいや。
「とにかくその写真は削除すること、いい?」
「仕方ないなぁ」
彼は渋々写真を削除した。
「ねえねえ、わたしからプレゼントがあるんだけど」
家に帰ると、沙奈は段ボールを持っていた。はて、プレゼントとは何だろうか。
「え? 急にどうしたの?」
「えへへ、いつもの恩返しだよ」
段ボールを持ってみると、存外軽かった。
「開けていい?」
「うん、どうぞ」
手でテープを剥がそうとしたが、上手いこと取れない。
「ねえ、ハサミ貸してくれる?」
「あ、うん。……どうぞ」
人の物を借りるので、しっかり人に許可を取った。彼女は自分の鞄を漁って、ハサミを取り出した。それを私に渡してくれた。
「ありがとー」とお礼して、段ボールを開けた。
すると、白くて柔らかい物が入っていた。
「……枕?」
「そうっ。それね、五つ星ホテルで使われている高級枕なんだよ。これで快眠できる」
「えっ? 丁度枕へたってたし、嬉しいなぁー」
でも、どうして急にこんな物をプレゼントしたのだろうか。
訊ねてみた。
「だから恩返しだって。よく雪奈に学ばさせられるから」
彼女からもらった枕は良く、すぐ眠ることができた。
最近、私の周りに人が集まるようになった。
「雪奈ー、勉強教えてよ」
「私も私もー」
「どこ教えてほしい?」
「この化学式の問題」
「待ってよ。私が先なの……」
…………。
こういう風に、私はクラスメイトから頼りにされている。
——これで地位が上がる。
大分、人と関わるコツを掴んできた。
相手の気持ちを読み取って行動すること。
今私に群がっている人達のおかげで私は、この地位を保っている。
——つまるところ、地位さえあればいい。
一方彼は、少数精鋭なのか一人と喋っていた。
コミュ力あるなら、もっと多くの人と関わればいいのに。そうしたらもっと地位が上がるはずなのに。
……まあ、人の付き合い方は人それぞれか。
「見てこれ」
昼休み。メガネクロスとオイルを使って木軸のペンを手入れしている彼に、私はとある絵を見せた。
「おお、大分上達したね……ん? これって確か夏休みに海水浴場に行った時の場面だよね?」
「そうだよ。思い出をこうやって絵に描くことにより、記憶に定着しやすくなると考えたからね」
「……っふ、僕はもうすでに実行しているんだよなー」
そう言って彼は、机からスケッチブックを出し、絵を見せてきた。
「これ何か分かる?」
背景は幸太の部屋。
彼と沙奈が描かれていて、二人で話している場面。
ここで気になったのが、彼女が刃物……カッターを彼に向けていたこと。
「ぞっとするっていうか……こんな場面あった?」
「…………ごめん。何でもない」
スケッチブックをぱたりと閉じて、鞄の中に閉まった。
一体さっきの絵はいつの場面だろうか。
夜、沙奈にこのことを訊いてみた。
「わたしが幸太にカッターを向けたことがあるって? っぷ、ある訳ないじゃん」
彼女の言っていることが本当なら、あの絵は彼の想像で描いたということになる。
「いやぁ、こういう感じの絵で……」
鉛筆で軽くデッサンする。
「そんな感じの絵を幸太が描いたって? あははっ、見間違いじゃない?」
私の視力が落ちてきたから見間違えた?
そんなはずがない。私はコンタクトの眼鏡もしていない。
幸太はコンタクトをしていると、どこかで聞いたことがあった。多分、幸太が見間違えたのだろう。
そう信じておこう。
「そんなことよりさ、将棋しようよ将棋」
三日に一日ほど、最近こういう風に誘われるようになった。
「う、うん。そうだね」
一回だけ、彼女と将棋をプレイした。
見間違いで将棋の駒を置き間違えることが多発したので、今日の私はおかしいなと思った。
九月中旬。
今日は沙奈と釣りをする。
どうやら、彼女が釣った魚を使って料理を振る舞ってくれるらしい。
……彼女は滅多に料理をしないのに、果たして成功するのだろうか。
「ふぅ、到着」
目の前には海が広がっていた。九月の最終日は、そこまで暑くはなかった。
「何釣れたら嬉しい?」
「まず、釣れたと思って大喜びしたら生ゴミでした、っていうのは避けたいよね」
彼女は吹き出した。釣竿に餌をつけて、釣りの準備完了。あとは待つだけ。
「じゃあわたしだって……海中に眠っている宝箱を取ってやる」
「それ、趣旨変わってるよ」
「あははっ、ほんとだ」
雑談しながら釣りをしていると、早速釣竿に振動が来た。上手く引っ張ってみると、そこそこ大きい魚が釣れた。
「うわぁ、でか」
「すごいでしょこれ」
まだ時間があるので、釣りを再開する。
「んー、さっきから海藻か生ゴミしか取れない……」
渋い顔をして彼女が呟く。
彼女が不運なだけか。
そう思った刹那、彼女の釣竿が揺れた。
「おお、きたきたー」
彼女は彼女で結構大きな魚を釣っていた。
こんな感じで釣っていき、一時間経った。
流石に疲れたかつ、充分に魚が集まったということで、一旦家に帰った。ただ彼女は、食材を買いに行くと言うので、スーパーに向かった。
彼女が帰ってきて、早速彼女は料理をし始めた。台所にある椅子に座って私は読書をして待つ。まるで、客のようだ。
「よし、完成かな」
テーブルには、豪華な魚料理が置いてあった。焼き魚、魚のフライ、刺身……。
一人で食べるのは豪華で多すぎる。でも、魚は全部は使い切れなかったらしい。その魚は明日、彼女に振る舞うことにした。
「早速食べていいよ」
促されたので、魚の身が入った味噌汁をまずは飲むことにした。
うん、出汁が効いていて味付けが丁度良い。「美味しい」と感想を述べると、彼女は微笑んだ。
「実は前から料理の練習してたんだー」
彼女に食べるのを協力して貰うことになった。
「そうなの?」
「ここで料理してしまうと雪奈にバレてしまうから、友達の家に行って料理の練習をしたの」
私のためにそこまでしてくれる彼女。
食べ終わってから自分の部屋で涙を溢した。
翌日、私はついに桜の絵を完成させる。
幸いこの図鑑は、裏側の花びらの写真も載っていた。
まずは淡くピンク色を塗っていく。そして、段々濃く描く。
「完成かな」
数時間後、ついに完成。
これを大切に持っておこう。
完成したことを幸太に報告した。
『桜ついに完成したよ』
『それはおめでとう。捨てないでね』
ファイルに入れて保管した。
どうやらこれに何かをのりで貼るんだとか。特に指示は出されてないから分からないけれど。
『次のミッションってまだ?』
そういえば、まだミッションに関することを幸太は言わない。
試しに訊いてみた。
けれど『さあ』と返ってきただけだった。
うーん。
まあまだ九月だし、急ぐ必要はないか。
九月下旬の授業のホームルームで、後期の学級委員は誰にするかっていう議論があった。
枠は、男女二人。
……こんなの、立候補するしかない。幸太に誘ってみると、「じゃあやるか」と承諾をもらえた。
彼と一緒に立候補できたのはいいものの、その枠をもぎ取ろうとするライバルが数人現れた。人数過多なので、これでは決まらない。
どう決めるか。
教卓の前で、なぜ立候補したかという演説をする。一人ずつやっていって、誰が一番良かったかを投票することになった。
それで見事、私と彼が選ばれた。
正直、嬉しい。責任を持って、任務を果たしていきたい。
翌日、文化祭についての話があった。それで多数決により、劇に決定した。ここで、三人ほどの主役を誰がするっていう話になった。
……やるしかない。
友達や担任の先生から「忙しくない?」と心配されたが、この機会を逃す訳にはいかない。脇役なんて嫌。
幸太に誘うと「学級委員って確か校内全体の文化祭の準備もあるんだよ。おまけに不定期でやっているゴミ拾いや挨拶活動……多忙になりそうだけど」と彼は渋っていた。でも何とか押して、彼を説得することができた。今回も人数過多だったが、私と彼はコンビとクラスメイトから思われているのか、主役は確約した。不公平じゃんけんに参加しなくて済んだ。
「全く、文化祭一週間前……十月中旬に中間考査があるっていうのに」
彼はどこか呆れたように呟いた。確かに勉強は大事だけれど、こういう学校行事も楽しまないと。幾ら多忙とはいえ、臥薪嘗胆の精神を持つことが学生の使命じゃないのか……。
翌日、私は絵を描いていた。
最近、思い出を絵に描いて表すことにハマっている。
というのも、今までの伏線を漁っているのだ。
今は、沙奈と幸太で一緒に海に行った思い出を書いている。
その海に行った日には、色々思い出がある。かき氷食べたり、砂城を作ったりなど。
私は、海にダイブする時の絵を描いた。
彼女が彼の背中を押してダイブさせている。その時の彼女の表情が、悪戯っぽかった表情なのだ。勝手に予告なく、ダイブさせたかもしれない。
一昨日描いた絵は、私が初めて幸太と会えることになったことを彼女に報告した時。これも、彼女は悪戯っぽい表情をしていた。
ここから言えることは、何か彼女は企んでいるのではないか。
絵を描くことにより、思い出が整理される。まだまだありそうで、これからも描いていこう。
「おいおい、バカなの?」
彼にくすくす笑われる。
「おはよー、沙奈」という人違いの発言をしてしまったから。
ちょっとした失言なのだが、赤面になってしまった。
「マジ忘れて……」
「何か最近雪奈って、こういう間抜けなミス多いよね」
「へ? そ、そうかな」
別に私は、わざとやっている訳ではない。
でも確かに、間抜けなミスが多い気がする。昨日だって、料金を払わずに購買のパンを持っていこうとしたし。周りにいた人全員私を怪訝そうな目で見ていたのは、恥ずかしい思い出。
他には、文化祭の劇の途中、台詞にないことを言ってしまったり、体育の持久走の時間で派手にずっこけたり…………。
私ってこんなに間抜けだったっけ?
……まあ、注意散漫な自分が悪い。
これから細心の注意をすれば、間抜けではなくなる。
そう心に決意し、授業を受けた。
そのおかげか、先生に当てられた時変な回答をしないようになった。
ほらやっぱり。
きっと私は浮かれているのだろう。文化祭が近々あるし、学級委員になれたし。
テスト二週間前、沙奈と幸太とショッピングモールに行って買い物を楽しんでいた。
「ねーえ、オタくん」
「何だよ」
「わたしに似合う服探してよ」
彼女は冬服を見ていた。確かに、若干寒くなってきた。
「ファッションには無頓着なんだけどなぁ」
「頼りにして訊いたのに……そりゃあ、今着ている服装はダサい訳だ」
「そんなこと言わないのっ」と私が水を刺すと「逆に矢野さんの服装もダサいね」と反撃した。
「ねーえ、可愛いでしょ」と彼女は彼の肩を掴んで揺らしながら連呼する。
「何か……二人って仲良しだよね」
「え?」という二人の声が揃う。
別に私は、嫉妬心を持って訊いた訳ではない。
「僕と矢野さんは、仲良しなんかじゃ……」
「仲良しだよ! ねっ? オタくん」
彼女が押し気味に同意を求めると、「う、うん」と言った。
一瞬彼女が、幸太を咎めるような目をしたが、気のせいだろうか。
「今日さ、幸太の家に行っていい?」
「うん、別にいいけど」
今日は短縮授業なので午前中で学校が終わった。
この学校では珍しく土曜日授業があり、近いうちにテストがある影響だと思う。
テスト勉強しないとなぁ、と感じているが、彼と関係を深めるのも大事。
「そういえば、まだ昼ご飯を何も食べてないじゃないか」
彼の家に直行したので、特に何も食べていない。
「ふふん。そうだと思ってパンとかお菓子とか持ってきたんだよねー」
「は?」
鞄の中から取り出す。机に並べた。
「これ、朝コンビニに行って買ってきたの」
「ふーん。食べていいやつ? 穴あきパンチで右から二番目のマスの中央を、穴をあける」
「勿論っ」
「準備がいいなぁ」と彼は呟きながら、ソファに座った。
彼の隣に座る。
「飲み物も勿論あって、カフェラテとかレモンティがある」
「何か……パーティでもするの?」
「別に。楽しいことできたら何でもいい」
喉が渇いていたので、鞄の中からミルクティを出した。
「これ何かね、期間限定販売で気になったから買った」
苺の味が混ざっているから限定。
蓋にストローを刺して飲んだ。
甘酸っぱい味がした。
「いるこれ? 幸太って『期間限定』という言葉に弱いから内心欲しいでしょ」
「は? それは文房具だけだし。例えばターコイズブルーの……」
話を逸らそうとしていた彼にミルクティを持たせた。
「全く、仕方ないなぁ」
彼は渋々ストローに口をつけ、飲んだ。
「案の定甘すぎ。まるで雪奈の我儘が全部詰まったような、危険な味がする」
「何その味。皮肉の言葉?」
「さあね」
間接キスというやつを彼はやった。もう一回私が飲むと、「そういうのが好きなんだね」と言われた。
こんな感じで二人で食した。彼はもう私の食べかけを気にせずに食べていた。
食べ終わったら、わいわいとゲームをした。
「僕の文房具紹介。定規」
帰ろうとした時時、彼は引き出しから定規を出す。
「こんな薄っぺらい板。けど、ただの板じゃない。直線を引いたり、長さを測ったりできる優れもの」
次に彼は半円の分度器を出した。
「これは、角度を測るもの。この二つは、製図をするのには欠かせないね」
「それがミッションに関すること?」
「……違うね。これを使えば、雪奈の胸の大きさと角度を測ることができる」
彼は都合が悪くなったのか、話題を変えた。
平手打ちしようと思ったが、まあ今回は見逃してあげよう。
と言うか、ミッションを公表しない不思議な気持ちの方が勝っていた。
一週間後、テストを受けたが、あまり手ごたえを感じられなかった。
やはり勉強不足なのか、前回より点数が落ちた。
幸太には勝ったとはいえ、もっと勉強していればなぁ。
敗因は、絵を描きすぎたこと。
上達するために、つい毎日三十分ほど絵を描いてしまった。
その甲斐あってか、絵はかなり上達した。うん、今度は学力を向上させよう。
テストが返却されてから三日後、ついに文化祭が始まった。
カップル同士いちゃついている者や、何かのアニメキャラに変装している者も見られた。
無事、劇は大成功を収めた。ここで嬉しかったのが、学校を休んで沙奈が見に来てくれたこと。
……文化祭ってこんなに楽しいものなんだ。
苦痛なんてどこにもない。
今まさに、青春真っ只中。これを逃す訳にはいかない。
という風に好調だが、私の体に変化が起きる。
打ち上げのカラオケが終わると、途端疲労が私を襲ってきた。
「あ、ヤバいかも……」
「ん? どうした?」
傾きのない平な地面なのに、足がぐらつく。
「……歩けない」
「は?」
駅が近かったので何とか電車に乗れたが、歩きづらいというのは治らない。
「それで……一人で自宅まで帰るの?」
「無事に帰還できるかな……」
「タクシー使って帰ればいいんじゃない?」
彼の提案を取り入れようと思ったのも束の間、いいことを思いついてしまった。
——彼におんぶしてもらって、自宅まで運んでもらう。
「ねえ、いい移動手段思いついたけど知りたい?」
「うん」
そのことを彼に言ってみた。すると彼は狼狽したが、首肯してくれた。
「ええ? ほんとにやるの?」
「うん。家の場所を教えてもらったから、行ける。ほら、乗って」
まさか本当におんぶしてくれるとは。
彼の背中に跳び乗った。
「全く、こんなことしなくても他に移動手段はあるのに」
照れたように彼は呟いた。
「駅から家まで大体三百メートルほど」
「駅近っていうのが唯一の救いだ。こんな夜中におんぶするなんて、不審に思われそうだ」
「ふふ、私を運ぶの楽しいでしょ」
「何言ってるんだ。こんな怪獣をおんぶして歩くのはもう疲れてきた」
「誰が怪獣だって? 私の体重が重いって言いたいの?」
「うん、正直重いね。密度が高いっていうか……」
首を強く締めてあげた。
「デリカシーなさすぎぃ」
「そんな風に戯けられる元気あるなら、一人で家に帰れよ」
「えー、……じゃあ私今から寝るねっ」
「この状況で寝るとは、コアラかな?」
「コアラじゃないしっ」
眠たいというのは確かで、彼の体の温もりで本当に寝てしまいそう。
彼は亀みたいに遅く歩いているので、まだまだ家には着かないだろう。
私と少しでも長い時間一緒にいるために、あえて遅く歩いているのかは分からない。
「幸太の精神的に、私が寝て機能不全にした方がいいんじゃないの?」
「寝られるなら寝ていいけど」
とは言ったものの、寝られる訳がなかった。
私が赤ん坊なら、きっと寝ることができるんだけどなぁ。
「子守唄歌ってよ」
「バカなの? あと、ごめんだけど歌詞覚えてないから」
「何それ。もしかして、寝ようと思ったらすぐに熟睡できるタイプ?」
「ふふん、実はそうなんだ」
彼はそう嘯いた。
そして、沈黙が流れる。年を重ねるごとに時間が経つ速度が早くなるっていうけれど、今は超絶ゆっくり。
「一つ質問していい?」
「うん」
私と彼の呼吸する音が鮮明に聞こえる。
もう少し耳を澄ませば、心臓が脈打つ音が聞こえる。
まるで、生きているみたいだった。当たり前だけれど。
「僕って彼女いたことあると思う?」
「え?」
過去形の質問。
全身が小さく震えた。彼の体が些か温かくなったように感じた。
まさか、彼がこんな質問を振るなんて。
「何人いたと思う?」
「うーん……一人」
「正解。その子について知りたい?」
「う、うん」と私は躊躇いがちに答えた。
「中学一年生の時、実際に彼女ができたんだけどね、数ヶ月したら別れたんだ。自慢話になりかねないから概略を伝えるけど、僕に魅力がなかったから別れたらしい」
私と彼は友達関係という契約をしたから、私が出てこないのは納得できた。
ただ、失恋経験があったことが衝撃。
「まあ、僕と雪奈は友達契約をしているから、失恋とかそういう問題はないね。あはは」
彼は何かを企んでいるように笑う。
友達契約で思い出したが、もしこのままミッションを出されなかったら、私は彼と絶交になってしまう。
それは避けたい。
やっぱり、勇気を出してミッションのことを訊かないといけないのだろうか。
でも、もしかしたら彼は癇癪するかもしれない。
もうちょっと彼の様相を見てみる。
「おお、海が見えてきた」
奥方に海が見える。
実は海の近くに私は住んでいるので、幼い頃よく砂浜で遊んだ。
「ちなみに、右手にあるのが私が通っていた小学校」
「へー」
特に悩みはないような、何気ない会話。
「ここの最寄駅に特急停まるから、都心部までアクセス良好で住みやすいよ。幸太もこの辺に住まない?」
「かなりの大事を提案するね。何、これから僕が雪奈の家に暮らせと促しているの?」
「あー、それもいいね」
「よくないし」
「どうして? いつでも私と遊び放題じゃん」
「そんなことしたら、矢野さんは可哀想じゃないか。きっと彼女は僻んで関係を破滅させようとするよ」
「それは有り得ないなぁ。だって最近の沙奈、凄く優しいんだよ」
「もしかしたら、演技かもしれないよ。優しいフリをして、何かを企んでいるとか」
「まあでも確かに、幸太を独占するっていうのは可哀想」
「なので、僕は雪奈の家には住まない」
「でも、幸太と関わるタイミングを調整したらいいだけで、一緒に住んだら、毎日夜ご飯作ってあげる。そして、毎朝一緒に登校してあげる……」
「一体何を想像しているの? 一回、氷水を浴びたほうがいい」
「この季節に氷水はヤだなー。普通に寒い」
彼はおかしいように笑う。
「あれ、名前に『雪』が含まれている癖に寒いのは嫌なんだね」
「あーそれね。寒すぎるのは無理で……折角だし、私の名前の由来知りたい?」
「うん」
幼い頃、親に教えてもらったことを思い出して話す。
「雪ってね、正体は氷。水蒸気が冷やされて生成される。雪のイメージって、冷たいとか災害とかあるんだけどね、違うの。雪の純白から、明るくて純粋な子に育ってほしい願いを込めて、名付けたらしい」
「ふーん。そうなんだ」
さて、そろそろ訊こう。
意を決して私は話す。
「ねえ」
「うん」
「次のミッションってまだなの?」
「…………」
彼は黙り込んだ。
肌寒い風が吹く。
家はもう目の前。
話を変えようか、と思った刹那、体の温もりがなかった。
何が起きたのか。
私は地面に立っていた。つまり、彼に下された。
幸い、痛みはなかった。
「急に……どうしたの?」
「……ごめん」
彼はぼそりと呟く。
彼の両肩を掴む。
「何で言えないの?」
「……これを言ったら、雪奈と別れることになるから」
「は?」
彼は私と目を合わせようとしない。
憂いを含んだ表情で俯いていた。
「さよなら。また来週」
彼はそう言い残して、帰って行った。
おそらく、次回のミッションで最終なのだろう。
それで、辛辣な内容。
私と別れることになる?
…………。
「今日はもう寝た方がいいんじゃない?」
家に帰ると、早速彼女にそう促された。
幸いにも、家に帰ると疲労は吹き飛んだ。
「いや、軽く勉強してから寝る」
「……そう。頑張ってね」
文化祭はもう終わったんだし、勉強しないと。校内順位が落ちてきているので、勉強しないという選択肢はない。
遊びと勉強を上手く両立させるのが、文武両道というやつではないか。これを日々叶えようと、努力している。
日に日に睡眠時間が減っている気がする。
ちょっと歩いただけで疲れるようになった。
……もしかして何かの病気?
そんな訳ないか。
文化祭の練習が終わって、比較的楽になったのでそのうち治るだろう。
それより勉強しないと。
沙奈と幸太について、最近思うことを述べよう。
まず彼女は、異様に優しいこと。怒ることがなくなったし、色々と親切なことをする。愚痴を嘆かなくなった。スマホだってほとんど触らなくなった。
……何か彼女らしくない。
彼は、相変わらず文房具ミッションを教えてくれない。
一体何なのか。色々と考えてみている時、とある言葉が頭をよぎった。
——消しゴムを使いたい君に、一つ質問がある。
あの時、私は勘違いしていた。
この発言は一見すると普通。
消しゴムを使いたい私に質問がある、という意味になる。
けれど見方を変えてみると、私に消しゴムを使いたい、という意味で一回区切り質問を与えた。
きっとこれだ。
消しゴムを使う。
何かを消したい時に使う。文字を書いたところを消す。
何かを消すために。
これの意味は、何かを消すという意味。
…………そう、つまり彼は私を消したいのだ。
更に。
——消しゴムで楽に消せるからいい。
——間違っている部分を消すか。
まとめると、彼は私の間違っている部分を消したいのだ。
普通に私を変えようとしたら、長い時間がかかる。例えばコミュ力なんて、人と関わらないと磨かれない。
この『コミュ力が低い』という部分を消しゴムで消してしまえば、簡単にコミュ力は低くなくなる。そう、非常に楽に。
私という存在を消したいのか。
或いは私のどこかの悪い部分を消したい。
もしこれが当たっていたら……。
来週の月曜日。
「へへへ、昨日はこの新作ボールペン買えてよかったなぁ」
いつも通りの彼。
けけけっと一人で笑っていた。余程買えたのが嬉しいのだろう。
この感じ、私を投げ飛ばしたあのことを問い詰めても、無駄そうだ。
……本当に彼は私に消しゴムを使いたい?
「へー、そうなんだ」
私には作戦がある。
今日の放課後、彼と沙奈を公園に招いて、話し合いをする。
どんな内容かは、最近の調子。何か最近二人は、何かを隠しているような言い方で、怪しい。
今日はヒントを色々と探して行きたい。
彼の話に合わせ、隙ができた時に「放課後公園行かない?」と誘った。
「うん、どうせ今日は暇だしいいよ」
簡単に承諾をもらえた。
すでに沙奈に、放課後公園に集合ってことを約束しているので、準備は整った。
橙色に染まる空。
少し遅れて沙奈が来た。
「こんなところで一体何をするの?」
彼女は、ブランコに座って軽く漕いでいた。
彼は、ベンチに座って無邪気な彼女を観察していた。
「ちょっと二人には、最近の調子のことを話してほしい」
「え?」
二人の不思議そうな視線が私に集まる。
「最近、二人の調子がおかしい。何かあったんでしょ」
「…………」
途端、冷え切った風が吹く。
風が止んだ時、彼が話す。
「少なくても、僕は平常。一つ自分のおかしいところをあげるなら、僕は『限定』という言葉に弱くて、つい限定の文房具を買ってしまうことかな」
……そういうのじゃないってば…‥。
「わたしも平常。一つ自分のおかしいところをあげるなら、わたしは『食べ放題』という言葉に弱くて、つい食べすぎてしまうこと」
何だこの核心を避けているような言い方。
沸々と怒りが生まれてきた。
「そういうのじゃないってば! ねえ、絶対他にあるでしょ」
「あー、そうかもね。僕もう帰る」
「ちょ……」
「わたし、先に帰るー」
二人とも、私の質問に興味がないのか公園を出ようとした。
「待ってよ」
彼女は立ち止まり、振り返る。
閉口してどこか寂しげな表情をしていた。
「せめて、沙奈だけでもしっかり答えてよ」
「…………」
学校帰りで疲れているのだろうか。
眉を一瞬吊り上げた後、口を開く。
「逆にさ、雪奈の調子はどうなの?」
「へ?」
彼女はそれだけ言うと、公園を出て行った。追って彼女の肩を叩くと、白眼視された。そして彼女は素早く逃走した。
……私の調子がおかしいと言いたいのだろうか?
いや、私の調子はむしろ好調。いっぱい友達ができて、絵は上手になって、クラスのリーダーになれて……。
私の調子について話したところで、自慢話になるだけ。だから話さない。
「そういえばさ、十一月の下旬ぐらいに、きのこ料理振る舞ってあげる」
夜、彼女はそう話題を振った。もう夕方の寂しげな表情は見られなかった。
彼女のクッキング第二弾。
「今回はすごいよ」
「何が?」
「実はね、料理する時までに食材を各地で集める予定」
「と言うと?」
「毎週わたしが一人で遠出して、きのこを買いに行く。日本各地の特産物のきのこを買いに行くんだ」
彼女一人で買いに行くのは、私にどんなきのこを買うかバレないようにするためだろう。
それにしても、日本各地とは大きいスケール。が、彼女は「日本各地は言いすぎた。ここから二百キロメートル範囲までにある特産物のきのこを買う」と訂正した。
それでも広範囲だなぁ。
「楽しみにしてるね」
「えへへ」
一瞬悪戯っぽい顔をしたが、すぐに照れたような顔になった。
「猿のモノマネ。ウキウキッキー……」
翌日の朝、彼女はやけに上機嫌。
今日だけで五回は聞いた。
それほど、何か嬉しいことが起きたのだろうか。
その理由を訊ねてみたら、猿のモノマネをするループに入ってしまう。
……昨日、私があの質問をした影響だろうか。
こういう謎のモノマネをやって、私を安堵させるという魂胆なのだろうか。
猿になりきるために、バナナを食べていた。普段彼女はバナナなんて食べないのに。
「いる? バナナ?」
「うーん、今はバナナの気分じゃないかな」
そうかぶりを振ると、彼女は不服そうな顔をした。
「何でいらないの? 夜型のわたしが、早朝にコンビニまで買いに行ったのに」
「ああ、じゃ、じゃあ食べる」
黄色と黒色の特徴的な皮を剥いて、中身を食べる。甘くてデザートって感じがした。
「ルーズリーフってノートとファイルのいいところ取りしている……実に便利な文房具」
一方彼は、文房具に執着していた。
「確かに、持ち運び楽で、いつでも挟んでいる紙を取れるのは便利だね」
こんな何気ない会話をして今日の学校は終わった。
「危ないっ」
彼と駅まで歩いている時、私は電柱に衝突しそうになった。彼が助けてくれたので、怪我はなし。
「しっかり前を見て歩かないと」
「う、うん」
あれ、私は本当に大丈夫なのだろうか。
あれから、むしろ疲労が溜まっていっている気がする。
偶に視界がぼやけるし、明らかに尋常じゃない。
……流石に休もうかな。
「ねえねえ、わたしとオセロしない?」
「オ、オセロ?」
家に帰ると、沙奈にそう誘われた。
しかし、今から勉強するところなので、オセロは今できない。
「うーん、ごめん。勉強しないといけないし……」
そう断ると彼女は唇を尖らせて不服そうな顔をする。
「えー? 何か最近さ、全然わたしと関わってないじゃん。一人で勉強するか、幸太と関わるかのどっちかだし」
腕を掴まれ、彼女の部屋まで拉致された。
「さ、やろっか」
「う、うん」
一回だけオセロをした結果、私が勝った。
「強いなー」
「じゃあ、私はこれで……」
「待ってよ。わたしが勝てるまで一緒に対戦するのっ」
「え?」
立とうとしたら、座らせれた。
彼女が勝ったら解放されるので、二回目はわざと負けた。
「今わざと負けたでしょ。そんなの不当だからね。ほら、もう一回するよ」
「えー? もういいでしょ。そろそろ勉強しないと……」
「ダーメ。今夜はわたしと、オ、セ、ロ」
結局、計七回もオセロをする羽目になった。
今日だけならよかったのだが、毎日誘われるようになった。彼女を怒らせたくない気持ちがあったので、中々断れなかった。
……彼女ってこんなに、我儘だったっけ?
いつの間にか、過去の彼女になっているような気がする。
別に遊びを誘うのは悪いことではない。けれど、誘いすぎなのだ。
彼女は新たな快感を得る方法を思いついてしまったのだろうか。
……何だか嫌な予感がする。
翌日、今日は土曜日なので勉強するんじゃなくてぐっすり休んだ。
よし、これで明日から頑張ることができる。
そのおかげか、大分疲労が落ちた。
ドジなミスをすることも少なくなった。
さあ、冬休みまで手を抜かず勉強しよう。
一週間後。案の定彼女が変わる様子は伺えない。
幸太についてそろそろ考えないといけない。
だから、私が途端変わったらどう反応するか試してみよう。
ということで今日私は、美容室に行って髪を切ってもらった。
ふふ、これはきっと驚く。
「……へ? か、髪切った?」
家に帰ると、早速沙奈に訊かれた。
「そだよ。沙奈と同じ髪型にしたんだー。……どう?」
「めちゃ可愛いよ! ロングからショートボブはかなり思い切ったねっ」
という風に、猿の呪縛が解けたのかいつもの沙奈に戻った。
「そう? ありがとー」
少し間を置いて彼女に質問を振る。
「お揃い……私と一緒って嫌じゃない?」
「ぜーんぜーん。嫌がる要素とかなくない?」
安堵した。
このままずっと髪の話題を話そうか。
いや、怪しまれまた猿に豹変してしまう。
この辺で話を終わりにした。
あー、嬉しいなぁ。
そして数時間後、トランプを誘われた。
やはり、本格的に考えないと。
更に一週間後。やっぱり彼女は治らない。
意図的にしているっていうのは確かだ。でも、なぜ猿のモノマネをするか分からない。
最近、文房具ミッションを聞き出すためのシュチュエーションを幾つか考えた。
……やっぱりああするしかないのか。
「ゆっ、うきなも猿の民族にならない? あははっ!」
「……いらない」
ついには私の呼ぶ名前までおかしくなり始めた。
彼女は自分でミキサーして作った、バナナジュースを飲んでいた。
そしてバナナを使ったサンドウィッチを食べている。
「じゃあ罰ゲームとしてこれあげる」
バナナのサンドウィッチを分けてくれた。私を猿の仲間だと思っているのだろうか。
食べてみると、甘くて普通に美味しかった。
一体彼女は何がしたいのだ。
もうこれは、脅迫するしかない。
「食事中ごめん、こっち来てくれない?」
「何ー?」
ソファに彼女を寝かした。
けれど、やっぱり彼女を脅迫できなかった。
こんなに元気な彼女なのに。
今の私はそんなことできない。
昔の私なら躊躇なくできたのに。
でも、彼女を放っておけない……。
「え? 泣いてるよ。大丈夫?」
「ああっ」
絨毯に私は倒れ込んだ。うつ伏せになる。
思わず彼女の前で泣いてしまった。
……私がもっと頑張らないせいだ。
来週の土曜日。
「今日は楽しいことをしよう」
「楽しいことって?」
学校が終わった放課後。
「ふふん、どこ行くと思う?」
「海じゃない?」
「正解っ」
海に向かった。
ここは、前に彼とデッサンをするために来た場所と同じ。
ベンチに腰を下ろした。
「海のような……煌びやかなダイヤモンドのような瞳の雪奈よ」
「えっ? 何?」
唐突に彼は、言い出す。
楽しいことを今からしようと企んでいるのだろうか。
「綺麗だよ」
純粋に嬉しかった反面、嫌気もあった。
彼はこんなにも私を思ってくれているのに。
文房具ミッションのことを訊いたら、私と彼の関係が破局されるかもしれない。
もし訊かなかったら、期限付きの友達契約で、高校二年生になったら彼と別れてしまう。
……リスクを負った方がいいのだろうか。
「ねえ」
「何?」
「もしさ、私と別れることになったら、嫌?」
彼の目が丸くなる。
これは友達契約に繋がる質問。
これの回答次第で、私は彼にどうするか確定する。
暫しの沈黙の後、彼は話す。
「僕達は人間なんだから、いずれ死ぬ。……うーん、そうだね。僕と雪奈が別れるのは、寂しい気もするなぁ」
儚げな顔で彼は答えた。
……やっぱり私と別れたくないんだ。
彼が文房具ミッションを与えないっていうのは、意地悪なんかじゃない。
きっと私に挑戦状を出しているのではないか。
勇気を出して、彼に問い詰める。
彼はこれを待っているのではないか。
「ちなみに、雪奈はどう?」
寂しいに決まってるじゃん、とあえて強調せずに「寂しいかな」と軽く答えた。
「あ、そういえば楽しいことって何?」
「こうやって海をぼんやりと眺めること。残っている半分に切った紙の四分の三を、右から一番目のマスの左下にのりで貼る」
海をぼんやりと一時間ほど眺めた。
特に彼とは喋らずに。
今日は彼と文房具店に来ていた。
最近思うのが、やけに私は文房具に興味があること。
例えば。
「鉛筆削りって電動か手動、どっちが好み?」
昔の私では到底有り得ない質問。
というのも、絵を描く時に鉛筆を使うのだが、当然使っていくと尖っている先端がだんだん丸くなっていく。
だから、鉛筆削りを使って先端を尖らす。
まあ、カッターを使って先端を尖らすこともあるけれど。
「便利なのは電動だよね。手動だと、どうしても手が疲れてしまう」
電動は、多くの鉛筆を削る時には便利。
「ただ、手動は削っている感じがあるよね」
確かに、電動だと溶けていく豆腐みたいで感触があまりない。
一方手動は、自分で削った感が味わえる。
「答えるなら手動だけど、アナログとデジタルってそんな感じだよね」
デジタルで電卓機を使うより、アナログの電卓機を使った方が、計算している感がある。
スマホにメモをするより、メモ帳に実際に書いてメモをした方がメモしている感がある。
便利さ、という観点から見たらどうしてもアナログはデジタルに勝てない。
けれど、使っていてどちらが楽しいかといえば、アナログじゃないだろうか。
デジタルには出せないアナログ特有の使用感というのがある。
この感覚に、彼と出会うまでは気づけなかった。
……ということは、私は彼に変えさせられた?
別に文房具なんて使えたら何でもいいと思っていた。
けれど今は違う。
色んな文房具に触れて、魅力を見つけるようになった。
翌日。
ついに今日が、幸太との決戦になりそう。
今日で私と彼の運命が決まると言っても過言ではない。
ここで私は、彼との思い出を回想していた。
私はノートに…………。
幸太とで出会うことを赤字で書いた。
彼と友達になる契約をしたことを赤字で書いた。
彼と小テストで競うことを黒字で書いた。
彼とショッピングモールに行くことを黒字で書いた。
彼に沙奈について詰問されたことを赤字で書いた。
彼の家に訪れたことを黒字で書いた。人の話を聞くのは大切だということを赤字で書いた。
彼と映画を見ることを黒字で書いた。
彼と食べ歩きしたことを黒字で書いた。
彼と食べ放題に行くことを黒字で書いた。
相手の目を見て話すのは大事だということを赤字で書いた。
三人で彼の自作ゲームをやったことを黒字で書いた。
彼を助けたことを赤字で書いた。一緒に泣くことを赤字で書いた。
彼と海にダイブすることを黒字で書いた。彼とデッサンをすることを黒字で書いた。彼と花火を見ることを黒字で書いた。
彼にあれなことをされたのを黒字で書いた。
彼におんぶをしてもらったことを赤字で書いた。
彼と海を眺めたことを赤字で書いた。
彼とふざけ合うことを黒字で書いた。彼と笑い合うことを黒字で書いた。
…………。
私は気づく。
こうやって何度もノートに文字を書く繰り返しで、今の私がいるんだ、と。
彼に大事なことを教えてもらった。
ノートに何を書くのかは己の判断。ノートに文字を書くのは、奇跡でも偶然でもないんだ。
自分の判断なんだ。
彼という他人の、これほどの量と刺激的な内容を書くなんて、やっぱり私は変わった。
彼と出会うまでは、人生を悲観する厭世的なことばかり書いていた。
でも今は違う。
今日私は、新たにノートに書く。きっと、今日重要なことを書くことになる。
どう書くか。もう私は決まっている。ルートをこの日のために熟考してきた。
「ねえ、ちょっといい?」
彼の腕を掴んで、無理やり廊下まで拉致した。周りに人がいない閑静な廊下で、話すのには丁度良いだろう。
「急に何だよ」
「あのね、重要な話があるの」
彼は不思議そうな面持ちになる。
ここで決めるしかない。
これで失敗したら、もしかしたら彼とは関われなくなるかもしれない。
深呼吸して、とあることを訊ねる。
「文房具ミッションって、消しゴムに関することなんでしょ」
彼は俯いて黙った。
数分後、彼は顔を上げた。
「うん、そうだよ」
背中に冷たいものが走り世界の音が止まったような感覚に陥る。
随分と爽やかな表情で彼は答えた。
まるで悩みなんてないような感じ。
……そんな訳がない。
ここで、彼が質問する。
「いやぁ、流石だね。当てるなんて。改めて訊くけど、消しゴムいる?」
不自然な笑顔で彼は訊いてきた。
あの時と同じ質問。
彼はポケットから消しゴムを取り出した。
角が丸まっていて、黒鉛が随分と付着していた。使い込んだって感じ。
…………。
「は?」
私は衝撃のあまり膠着した。
きっと、私がこのことを訊くのを、ずっと待っていたのだろう。
「どう? これを使えば人生華やかに……」
「ならないよバカ!」
彼を平手打ちした。
「ねえ! 何が『間違っている部分を消すか』だよ」
チャイムが鳴って、逃げようとした彼を捕まえた。
「何で消しゴムを使ってはダメなんだ? 何かの存在を消すことができる画期的なアイテムなのに」
「違うってば! そんなの使ったら、嫌なことがない、ただただ楽しいだけの人生になってしまうじゃん」
「それの何が悪い? 僕は鉛筆で描いたような日常だから使いたいだけ」
「だからってダメだよ! …………何か失敗したとしても、立ち直るのが人生って言うんだと思うよ」
「…………」
突然彼は、私の手を掴んで私を壁にやって動けないようにした。
「ちょっと、何すんの?」
「……僕はずっと雪奈が消しゴムについて言ってくることを待ってた。この文房具ミッションを雪奈に初めて伝えた時からね」
最初から彼は、私と別れる計画だったのだ。
私は彼に欺かれた。
「離してよ」
「まさか僕がわざとばら撒いた伏線を回収してくるなんて、流石だ」
彼は続ける。
「……ということは、僕の裏の姿を知っているんだね」
憂いを含んだ表情で、儚そうに呟く。
はっと私は電撃が走ったように気づく。
彼の裏の姿は、嫌いな存在を消してしまいたいと思うってこと?
……でも今は違うはず。
それは過去の話であって、今はどうかについては触れてない。
現在の彼はきっとそんなんじゃないはず……。
「……最初から、僕は人と関わる気なんてなかったんだよ。こんなことになるから嫌だったんだよ」
「でも……」
彼は私と目を合わせようにしない。
「それなのに僕が雪奈と関わっていた理由知りたい?」
躊躇いがちに私は首を縦に振った。
離してほしい、と抵抗しても彼は離してくれなかった。
「我儘な雪奈があの時友達にならないかと誘ってきたから僕は渋々関わっただけ」
そんなはずがない。
過去はそうだったかもしれないが、今は違うはず。
「それ本当? ぜ、絶対違うよね?」
「本当だよ。あの時断ったとしても執拗に友達勧誘してきそうだし、心を傷つけたら腹いせで僕がじめられるかもしれない。だから、承諾した。友達になりたいのは本心じゃなかった」
……何か過去目線のことしか話さないなぁ。
……現在については触れない。
けれど、あの時彼がそう思っていたことは、幾分悲しかった。
てっきり私は、友達関係が成立したと思ったのに。
……そういうのが人間関係。
思い通りにいかない。
「じゃあさ、現在はどうなの?」
彼は黙った。
答えてくれそうにない。
「現在は、そうじゃないよね?」
「…………」
「ねえ、答えてよ」
彼はため息をついた後、ゆっくりと私から手を離した。
「……さよなら」
「は?」
「僕は一人がいいんだ!」と言い残して彼は去ろうとした。
「ま、待って。話は終わってないってば!」
彼は駆け足で逃げて行った。
…………最悪なことに彼を見失った。
電話をかけてみたが、出なかった。
『いまどこ?』
『勝手に逃げないでよ』
『ねえ?』
『何か返信してよ』
『ねえってば』
『酷いよ』
『最低』
『謝ってよ』
『午後四時半頃、家に着いた』
『今日も沙奈が猿のモノマネをしていた』
『可愛くて、見惚れてしまう』
『けど不安でもあった』
『宿題終わった?』
『今日は特に多い』
『現在午後十時』
『もう寝ます』
『おやすみ』
一つも既読がつかなかった。
電話も出ないし、メールも見ない。
翌日、幸太は学校に来なかった。
暫く幸太が学校に来ることはなかった。
気になったのが、沙奈は特に何も気にしていなかったこと。「幸太なんてそのうち元気になるよ」と軽率なことを明るく言っていた。
……彼女が幸太のことを知る訳がないか。
とても、昨日のことを彼女に話す気にはなれなかった。
五日後、幸太の家の前まで足を運んだ。
しかし、家のチャイムが鳴らせずに虚しい気持ちで帰宅した。
……きっと彼はわざとだから。
……あれは本心じゃない。
……もし本当なら?
やめろ。そんなはずがない。
私と彼は友達…………。
——私はこれだけだと思っていた。
今日はきのこ料理を振る舞ってくれるらしい。
昨日私は、思わず彼女の前で泣いてしまった。「どうしたの?」と心配された。
彼女に心配をかけまいと、心に決めているのに。
庭に出てみると、バーベキューセットが準備されていた。
「焼いていくよー」
買ってきたきのこを焼いていく。
その間に、すでに作られていたきのこの味噌汁と炊き込みご飯を食べた。うん、美味い。
香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。
「いやぁ、わたし今日人生で一番最高の日になるかも」
「人生で一番は流石に言いすぎじゃない?」
「逆に雪奈の人生で一番最高の日は何?」
「終焉をまだ私は迎えてないけど……この世界に私が誕生した日かな。やっぱり、希望と刺激的な体験が待っているこの地球に人間として生まれたことが嬉しいし」
「あ、そうなんだ。私と旅行した日じゃないんだ」
「それも確かに最高だったよ。ただ正直それは、人生の一つの思い出であり、それを覆るほどの幸福感はなかったかな」
この会話はまるで、余命幾許な人と会話しているようだった。
私は健全なので、重篤な病気に罹ったことがない。
彼女は揶揄っているのか。更に彼女はおかしいことを言う。
「この人生に悔いはない?」
まるで私が死刑執行される寸前みたい。
猿のモノマネをしないとはいえ、これはこれで狂っている。
とりあえず答える。
「まだ十五歳なんだから、幼くて悔いばかり……」
「そう」
「っていうのは冗談。全く、何寝ぼけたこと訊いてるの?」
「じゃあ悔いはないってことだね? そうだね?」
押し気味に訊かれ、呆れて「悔いはない」と宣言した。
「よし、焼けたしこれ食べて?」
皿に焼けたきのこを取る。
こうやって食べていき、最後のきのこが焼き終わった時。
火を消した。
……こんなきのこ初めて見る。
彼女は私の食べる様子を見つめている。
食べてみよう。
咀嚼してみて、やっぱり慣れない感じだった。
何というきのこだろうか。
「何か……食感が独特で……味は辛いような……」
「へー、そうなんだ」
棒読みで彼女は答えた。ニヤニヤしている。
……もしかしてこれは食べてはいけないきのこだった?
そう思った刹那、体に腹痛が来た。
そのままばたりと倒れた。
……これは絶対におかしい。
彼女に訴える。
「ちょっと、何か変なもの口に入れたかもしれない……」
すると彼女は、腹を抱えて笑い出した。立ちあがろうと思っても、体に力が入らない。
「それ、毒きのこだよ」
軽々と彼女は紹介した。
「…………はあ?」
「うん、本当だよ」
時すでに遅し。
「バアアアアアアアアカ! わたしさっき忠告したじゃん。人生に悔いはないとか訊いたじゃん。それを予測できないとか、マジポンコツじゃーん!」
目尻を下げ、口角を限界まで上げて侮蔑する。
彼女が笑っている理由を追求するより、自分の命を優先しないと。
「このままじゃヤバいって。救急車呼ばないと……」
ポケットからスマホを出そうとした時、彼女にスマホを盗られた。
そして倒れている私に乗ってきた。
寝転んで私のお腹辺りを台としている。
胸あたりに彼女の体重が集中し、息苦しさが加速する。
「ちょっと。降りてよ!」
「ふふふ、降りませーん」
「家族だからってこんなことしていいって思ってるの?」
「別にぃ。どうせ何しようが、雪奈死ぬし。きゃははっ」
体を力一杯動かしたが、無駄。
どうやら私が食べたきのこは、摂取してから四十分で死に至る猛毒で危険なきのこらしい。
…………死ぬ?
ヤバい。
誰か、救急車。
そう糾弾しても、無反応。
——いつか絶対仕返しするから。
——雪奈の上に乗って雪奈を下じきにしたい。
私が思っている以上前に、これを密かに計画していたんだ。私が死んでほしい。そう、仕返しするために。
でもどうして?
「えっと、指紋認証搭載のスマホだから」
「やめて! 離して!」
「……右手の親指かな……違う。じゃあ左手の人差し指?」
という風に、彼女はロック解除のため私の指を一本ずつ確かめていく。
手首を強く掴まれているので、彼女の通りに指を操られる。
「あ! 開いたー」
「はあ?」
彼女は体を百八十度回転して、私にもスマホが見えるようにする。
首に彼女の頭が乗っていて、ずっしり重い。
あと、彼女の髪から柑橘系の香水の臭いがする。
いつもはいい匂いなのに、苦い臭いで鼻がもげそうだった。
早速彼女は、写真アプリを開いた。
「はいっ、全部削除ー。うひゃひゃひゃひゃ!」
爽快ゲームで敵を蹴散らした時のように彼女は笑う。
撮影した写真や動画が、全て削除された。
ああ、私の思い出が……。
「は? ねえってば……」
「次はー、検索履歴チェック」
検索アプリを開いて、彼女は一つずつ検索履歴を読み始めた。
「……ってちょっと待って、『恋の仕方』とかあるんだけど」
「無理に決まってるじゃーん」と彼女は揶揄うように笑った。
「最後に、メールアプリ!」
それだけはやめてほしい。「やめてってば!」と抵抗しても、無駄だった。
案の定彼女は、幸太と私のメールのやり取りを見ていた。それにくすくす笑ったり、私を冷やかしたりした。
これならまだ良かった。
「折角だし何か送ろっと」
「ねーえ、それだけは……」
「見てて見ててー」
「…………え?」
彼女は『消えてしまえ』や『きもい』や『バーカ』など、侮辱する言葉を迅速にいっぱい打った。それを送信しようとした時……。
「ねえそれだけはやめてって! この悪魔」
そう喚いても、きっと彼女の耳には届いていない。
手をスマホに伸ばして奪い取ろうとしたら、「ダーメ」と言われた。
「送信っと」
すぐに既読がついた。
それを確認したからなのか彼女は、彼をブロックした。
「ああ……」
更に彼女は信じられないことをする。
「こんな物いらなーい!」
ブロック弊に目掛けて思いっきりぶん投げた。スマホの液晶が割れる下品な音が響いた。
恐る恐る飛ばされたであろうところに視線を移すと、惨めな姿になっていた。
彼女は一旦私から離れた。そして蛇口を捻って水のホースを持った。
何をするんだろう…… じゃない。
——今がチャンス。逃げよう。
「ちょ、何無断で逃げようとしてんの?」
「……きゃっ」
彼女は私の顔に目掛けて水をかけてきた。水圧に私は負けて、倒れた。
「全く、落ち着きないなぁ」
彼女はスマホに目掛けて水をかけながら、私の足を踏み潰す。
彼女は嗜虐的な性格ってことが改めて感じさせられた。
「このままじゃ私死んじゃうよ! それでもいいの? ねえ、どうしてこんなことしたの?」
彼女の顔から、途端笑みが消えた。普段あまり見ることがない彼女の真顔。
ああ、何だか眠たくなってきた。体が動かしづらくなった。どこか息苦しさも感じる……。
暫しの沈黙の後、彼女は喋る。
「わたしがこんなことしたのはね…………お前がずっと憎くて嫌いだったんだよ!」
彼女は目を見開いて、怒声を上げた。
さっきまでの黄色い感じはなかった。
初めて彼女から『お前』と呼ばれた。正直、悲しかった。
普通に抵抗しただけで、彼女を説得させることはかなり困難。昔からそうだ。
喧嘩ごとになって私が憤慨してしまうと、喧嘩が鎮まらなくなる。むしろ加速する。
彼女に事情を聞いて、冷静に説得させることが一番だと判断した。
「どうして…………私のことが嫌いなの?」
「いつもいつも、ウザかった。わたしがどれだけ努力しようが、どれだけ頑張ろうが、お前には勝てなかった……」
簡潔に言うと、『劣等感』というやつ。
彼女の息が荒くなる。
まるで、今までの鬱憤と苛立ちを放出するように。
「この能力泥棒!」
「……ごめん」と謝ったが、彼女には聞こえない。
「お前が……っう……お前が産まれてきたせいで、わたしは無能として産まれてきた」
「……そんなことないって」
彼女の声に青が含まれ始めた。
「わたしが一人っ子として産まれていれば、雪奈が持っている能力を加算して産まれてきたはずなのに……っぐ」
「…………」
「おら! 返せよわたしより優れているところ!」
そう嘆いて、彼女は手を私の首に回した。
……頭を取る気だ。
狂っている。
「……や、やめて。苦し……っい」
「黙れええっ! わたしは十五年間、ずーっと苦痛に耐えてきた。特に最近なんて、勉強以外にも、絵だって上手いし、おまけに友達だって持っている。そんなの、わたし勝ち目ないじゃん! わたしの存在価値なくなるじゃん! ねえ! わたしの人生を滅茶苦茶にして、そりゃあ人生謳歌できて楽しいよね? 全く、悪魔はそっちでしょ!」
耳元で咎めてきた。鼓膜が破れそうなぐらいの声量で。
違う。
私はそんなつもりじゃない。
一回、落ち着いてほしい。
流石に彼女は疲弊したのか、一旦深呼吸した。
「だけどもうその心配は皆無」
彼女は開き直った。
「雪奈が死ねば、わたしがそれに苦悶しなくてよくなる。ずっとこれを楽しみに待っていた」
彼女は続ける。
「花火大会のフィナーレの時『私のことどう思ってる?』って訊いたよね? あれ私の回答が嘘っていうのは勿論なんだけど、幸太なんて言ったと思う?」
確か聞き取れなかったやつ。
「答えたのは……『心配』だったんだよ。その心配って、お前が狂っていることに心配っていう意味なんだよ。本人が裏で言ってた」
私は幸太から心配されていた。しかも、悪い意味で。
「最近幸太と喧嘩して疎遠関係になっているんだよね?」
「……きっと喧嘩じゃないし」
「幸太からも味方と思われてないじゃん。親は今日仕事。お前を助けたいと思う人なんてだーれもいない。あとは一人寂しく死ぬだけ。残念至極だねー!」
「…………」
彼女どころか、幸太との関わり方まで失敗してしまった。
そんな自分が惨めで情けない。
やっぱり、私に味方はいないのか……。
周りの人全員敵。
じゃあ、私がクラスメイトの中で友達と思っていた人、全員私のことを嫌っている?
酷い!
私は裏切られた。
皆、嘘つき。
冷たくて怖いよこの世界。
でも、私はまだ諦めない。
「あ、あのさ」
声が震えてきた。寒気を感じる。
「何?」
「これってさ、流石に沙奈お得意の演技だよね?」
彼女は一瞬目を丸くさせた。
「だって、幾ら何でも私を殺すなんて根本的におかしいじゃん。もし殺すなら、確実性を狙ってナイフを心臓に刺すとかじゃない? どうして、痛みを伴わない毒殺なの? やっぱりこれはわざと……」
「うるさーい!」
私の体を持ち上げられた。
「……えっ?」
「永久的に休め、わたしの姉…………雪奈」
垂直方向に落とされた。背中に痛みが走った。
……もう、動く元気は残っていなかった。
機能不全。
息苦しさで、思わず目を瞑ってしまった。
…………。
——そんなに勉強するのって疲れないの?
——黄色信号だからって突き進んだらダメだよ。赤信号じゃなかったとしても、しっかり止まらないと。
私ははっと気づく。
……もしかして、彼女と彼から心配されていたのは、私が休むことを避けがちだったから?
思い当たることは沢山あった。
睡眠時間を削ってまで私は勉強に励んだこと。忙しくなることを分かっていながら、クラスのリーダーになろうと奔走していたこと……。
それは全部、信号無視。目先の利益を重視して行動していた。
私は自分の赤信号に気づけなかった。
あと、彼女が異様にバナナを振る舞っていたのは、バナナには疲労回復効果があるから。これをどこかで読んだことがあった。今気づいてもなぁ。
——もしかしたら、演技かもしれないよ。優しいフリをして、何かを企んでいるとか。
——鈍感な雪奈にわたしの意図伝わってるといいなぁ。
彼女の言う通り、私は実に鈍感。
どうして自分の命の危機に気づけなかったのだろうか。幾らでも前兆はあったのに。
どうして彼女が『良い子』を装っていたことを見破れなかったのだろうか。普通に考えて、素直じゃない彼女が急に『良い子』になるなんて有り得ない。
つまるところ、私が休むことを大事にさえしていればこんなことにはならなかった。
だから彼は、私にシャープ芯をくれたんだ。
彼女があの時、『逆にさ、雪奈の調子はどうなの?』と訊いてきた意味が分かった。
全ては、私のせいで…………。
と、ここで家のチャイムの音が鳴った。こんな正午に誰?
「もー、誰だよ……」
彼女は舌打ちした後、離れていった。
もう、逃げる元気は何一つ残されていなかった。
もし消しゴムを使えたら、この出来事をなかったことにできる。
沙奈にも、幸太にも、消しゴムを使いたい。
そして自分にも消しゴムを使いたい。
クラスの様子は、全体的に怠そうだった。中には、休んでいる人もいる。確かに、明日は土曜日で休日だから、休む理由は分からなくもない。
「今日図書室へ行かない?」
「いいよ」
私が誘うと首肯してくれた。
昼休み。
図書室は静謐な雰囲気で、本特有の匂いが漂っていた。
本を物色している者、勉強する者、無口で友達とトランプをしている者など、様々。
冷房がよく効いている場所を求めて、ここに来ている人はきっと少なくないだろう。
私は、本を借りるためにここに来た。
時間が止まったような感覚に陥る。
「そういえば雪奈ってどれぐらい読書好きなの?」
「読み終わったら、余韻というのがある。その余韻を壊さずに浸っておきたいから、続きを作ることをやっているよ」
「へー。読んだだけで終わりじゃないんだね」
「まあね。作中で出てきた気になった物や場所を、実際に調べたりもよくする」
そうすることで、物語の世界に入っている感じがよりするから。
「ねえ」
「どうしたの?」
「その本取って」
私の膝ぐらいの高さにある本を指差した。
すると、耳を強く引っ張られた。
「いたた……」
「自分で取れよ」
私が唇を尖らして、不服そうな顔を作ると、さっきのとは逆の耳を引っ張ってきた。
「痛いよ」
「何かに憧れているのかな?」
「ち、違うよ。腰を下ろすのが面倒だから」
訝しげるように私を見つめた後、本を取ってくれた。この本は、花の図鑑。前にこれを参照して、桜を描いた。近いうちに色をつけようと思っている。
それを借りた。
「ふふふ。嬉しいなぁ」
適当な席に腰を下ろして読書する。
「……何が嬉しいだよ。これをやるためにここに足を運んだんでしょ?」
「そうじゃないって。この温かい光を浴びながら読書するのが好きなだけ」
「苦しい言い訳だね」
「苦しい言い訳じゃないし」
「一つ分かったことがある」
「何?」
「雪奈は、我儘だということ」
「我儘じゃないしっ」
「そんな、人より心の欲求が満たされにくい雪奈に、とある物を見せてやろう」
「え?」
状況がよく分からないけれど、彼についていった。
彼が向かったのは、屋上。
屋上に着くと、生暖かい風髪を揺らした。ちょっと暑い。
「ここで何するの?」
あるのは、ベンチぐらい。
あとは、カップル同士がいちゃいちゃしているのも見られた。
「ベンチに座ってくれない? 一マスだけの紙を縦に半分に切る。その半分の紙を横に四等分にして、そのうち二つを使う。右から四番目のマスの左端中央に、その二つが重ならないようにのりで貼る」
促されたので、ベンチに座った。
はて、私は何をされるのだろうか。
彼はスマホを構えた。
「は?」
「絵を描くときの、アタリの参考にしようと思って」
「なーんだ。それならいいよ」
ポーズは何もしなくてよく、ただ座っているだけでいいらしい。
ピシッと、膝に手を置いて座る。
……やけにスマホのカメラが近い気がする。
広角レンズで撮るつもりなのだろうか。
まあいいや。
彼は写真を撮った。
「ぬふふ……写真保存っと」
「え?」
異様にも彼はにやにやしていた。
「こんな写真撮ってみた」
撮った写真は、私全体を撮った写真じゃなかった。
……私の胸の膨らみを撮った写真。
これは明らかに意図的。
途端、羞恥が私を襲った。
「どこ撮ってんのよ変態!」
逃げようとした彼を捕まえた。
「ホーム画面の写真に設定するだけど、ダメかな?」
「ダメに決まってるじゃん。ほんと、気持ち悪いー」
彼は吹き出した。
「これぐらいの刺激を、きっと雪奈は心中求めている。僕バージョンとして再現してみただけ」
「こういうアレな趣味はよく分からないから、幸太が体感したこの刺激はあんまり共感できない。何か、例ないの?」
彼と海水浴に行った時だって、私の水着を見て若干にやけていたので、密かにアレな趣味があるんだと思った。
「そうだな……僕とおんぶする刺激を密かに渇望してるんじゃない?」
「ええ? ま、まさかねー」
例を挙げてくれたことにより、刺激の度合いが分かった。
……おんぶって、そんなに刺激強いかな……。
まあいいや。
「とにかくその写真は削除すること、いい?」
「仕方ないなぁ」
彼は渋々写真を削除した。
「ねえねえ、わたしからプレゼントがあるんだけど」
家に帰ると、沙奈は段ボールを持っていた。はて、プレゼントとは何だろうか。
「え? 急にどうしたの?」
「えへへ、いつもの恩返しだよ」
段ボールを持ってみると、存外軽かった。
「開けていい?」
「うん、どうぞ」
手でテープを剥がそうとしたが、上手いこと取れない。
「ねえ、ハサミ貸してくれる?」
「あ、うん。……どうぞ」
人の物を借りるので、しっかり人に許可を取った。彼女は自分の鞄を漁って、ハサミを取り出した。それを私に渡してくれた。
「ありがとー」とお礼して、段ボールを開けた。
すると、白くて柔らかい物が入っていた。
「……枕?」
「そうっ。それね、五つ星ホテルで使われている高級枕なんだよ。これで快眠できる」
「えっ? 丁度枕へたってたし、嬉しいなぁー」
でも、どうして急にこんな物をプレゼントしたのだろうか。
訊ねてみた。
「だから恩返しだって。よく雪奈に学ばさせられるから」
彼女からもらった枕は良く、すぐ眠ることができた。
最近、私の周りに人が集まるようになった。
「雪奈ー、勉強教えてよ」
「私も私もー」
「どこ教えてほしい?」
「この化学式の問題」
「待ってよ。私が先なの……」
…………。
こういう風に、私はクラスメイトから頼りにされている。
——これで地位が上がる。
大分、人と関わるコツを掴んできた。
相手の気持ちを読み取って行動すること。
今私に群がっている人達のおかげで私は、この地位を保っている。
——つまるところ、地位さえあればいい。
一方彼は、少数精鋭なのか一人と喋っていた。
コミュ力あるなら、もっと多くの人と関わればいいのに。そうしたらもっと地位が上がるはずなのに。
……まあ、人の付き合い方は人それぞれか。
「見てこれ」
昼休み。メガネクロスとオイルを使って木軸のペンを手入れしている彼に、私はとある絵を見せた。
「おお、大分上達したね……ん? これって確か夏休みに海水浴場に行った時の場面だよね?」
「そうだよ。思い出をこうやって絵に描くことにより、記憶に定着しやすくなると考えたからね」
「……っふ、僕はもうすでに実行しているんだよなー」
そう言って彼は、机からスケッチブックを出し、絵を見せてきた。
「これ何か分かる?」
背景は幸太の部屋。
彼と沙奈が描かれていて、二人で話している場面。
ここで気になったのが、彼女が刃物……カッターを彼に向けていたこと。
「ぞっとするっていうか……こんな場面あった?」
「…………ごめん。何でもない」
スケッチブックをぱたりと閉じて、鞄の中に閉まった。
一体さっきの絵はいつの場面だろうか。
夜、沙奈にこのことを訊いてみた。
「わたしが幸太にカッターを向けたことがあるって? っぷ、ある訳ないじゃん」
彼女の言っていることが本当なら、あの絵は彼の想像で描いたということになる。
「いやぁ、こういう感じの絵で……」
鉛筆で軽くデッサンする。
「そんな感じの絵を幸太が描いたって? あははっ、見間違いじゃない?」
私の視力が落ちてきたから見間違えた?
そんなはずがない。私はコンタクトの眼鏡もしていない。
幸太はコンタクトをしていると、どこかで聞いたことがあった。多分、幸太が見間違えたのだろう。
そう信じておこう。
「そんなことよりさ、将棋しようよ将棋」
三日に一日ほど、最近こういう風に誘われるようになった。
「う、うん。そうだね」
一回だけ、彼女と将棋をプレイした。
見間違いで将棋の駒を置き間違えることが多発したので、今日の私はおかしいなと思った。
九月中旬。
今日は沙奈と釣りをする。
どうやら、彼女が釣った魚を使って料理を振る舞ってくれるらしい。
……彼女は滅多に料理をしないのに、果たして成功するのだろうか。
「ふぅ、到着」
目の前には海が広がっていた。九月の最終日は、そこまで暑くはなかった。
「何釣れたら嬉しい?」
「まず、釣れたと思って大喜びしたら生ゴミでした、っていうのは避けたいよね」
彼女は吹き出した。釣竿に餌をつけて、釣りの準備完了。あとは待つだけ。
「じゃあわたしだって……海中に眠っている宝箱を取ってやる」
「それ、趣旨変わってるよ」
「あははっ、ほんとだ」
雑談しながら釣りをしていると、早速釣竿に振動が来た。上手く引っ張ってみると、そこそこ大きい魚が釣れた。
「うわぁ、でか」
「すごいでしょこれ」
まだ時間があるので、釣りを再開する。
「んー、さっきから海藻か生ゴミしか取れない……」
渋い顔をして彼女が呟く。
彼女が不運なだけか。
そう思った刹那、彼女の釣竿が揺れた。
「おお、きたきたー」
彼女は彼女で結構大きな魚を釣っていた。
こんな感じで釣っていき、一時間経った。
流石に疲れたかつ、充分に魚が集まったということで、一旦家に帰った。ただ彼女は、食材を買いに行くと言うので、スーパーに向かった。
彼女が帰ってきて、早速彼女は料理をし始めた。台所にある椅子に座って私は読書をして待つ。まるで、客のようだ。
「よし、完成かな」
テーブルには、豪華な魚料理が置いてあった。焼き魚、魚のフライ、刺身……。
一人で食べるのは豪華で多すぎる。でも、魚は全部は使い切れなかったらしい。その魚は明日、彼女に振る舞うことにした。
「早速食べていいよ」
促されたので、魚の身が入った味噌汁をまずは飲むことにした。
うん、出汁が効いていて味付けが丁度良い。「美味しい」と感想を述べると、彼女は微笑んだ。
「実は前から料理の練習してたんだー」
彼女に食べるのを協力して貰うことになった。
「そうなの?」
「ここで料理してしまうと雪奈にバレてしまうから、友達の家に行って料理の練習をしたの」
私のためにそこまでしてくれる彼女。
食べ終わってから自分の部屋で涙を溢した。
翌日、私はついに桜の絵を完成させる。
幸いこの図鑑は、裏側の花びらの写真も載っていた。
まずは淡くピンク色を塗っていく。そして、段々濃く描く。
「完成かな」
数時間後、ついに完成。
これを大切に持っておこう。
完成したことを幸太に報告した。
『桜ついに完成したよ』
『それはおめでとう。捨てないでね』
ファイルに入れて保管した。
どうやらこれに何かをのりで貼るんだとか。特に指示は出されてないから分からないけれど。
『次のミッションってまだ?』
そういえば、まだミッションに関することを幸太は言わない。
試しに訊いてみた。
けれど『さあ』と返ってきただけだった。
うーん。
まあまだ九月だし、急ぐ必要はないか。
九月下旬の授業のホームルームで、後期の学級委員は誰にするかっていう議論があった。
枠は、男女二人。
……こんなの、立候補するしかない。幸太に誘ってみると、「じゃあやるか」と承諾をもらえた。
彼と一緒に立候補できたのはいいものの、その枠をもぎ取ろうとするライバルが数人現れた。人数過多なので、これでは決まらない。
どう決めるか。
教卓の前で、なぜ立候補したかという演説をする。一人ずつやっていって、誰が一番良かったかを投票することになった。
それで見事、私と彼が選ばれた。
正直、嬉しい。責任を持って、任務を果たしていきたい。
翌日、文化祭についての話があった。それで多数決により、劇に決定した。ここで、三人ほどの主役を誰がするっていう話になった。
……やるしかない。
友達や担任の先生から「忙しくない?」と心配されたが、この機会を逃す訳にはいかない。脇役なんて嫌。
幸太に誘うと「学級委員って確か校内全体の文化祭の準備もあるんだよ。おまけに不定期でやっているゴミ拾いや挨拶活動……多忙になりそうだけど」と彼は渋っていた。でも何とか押して、彼を説得することができた。今回も人数過多だったが、私と彼はコンビとクラスメイトから思われているのか、主役は確約した。不公平じゃんけんに参加しなくて済んだ。
「全く、文化祭一週間前……十月中旬に中間考査があるっていうのに」
彼はどこか呆れたように呟いた。確かに勉強は大事だけれど、こういう学校行事も楽しまないと。幾ら多忙とはいえ、臥薪嘗胆の精神を持つことが学生の使命じゃないのか……。
翌日、私は絵を描いていた。
最近、思い出を絵に描いて表すことにハマっている。
というのも、今までの伏線を漁っているのだ。
今は、沙奈と幸太で一緒に海に行った思い出を書いている。
その海に行った日には、色々思い出がある。かき氷食べたり、砂城を作ったりなど。
私は、海にダイブする時の絵を描いた。
彼女が彼の背中を押してダイブさせている。その時の彼女の表情が、悪戯っぽかった表情なのだ。勝手に予告なく、ダイブさせたかもしれない。
一昨日描いた絵は、私が初めて幸太と会えることになったことを彼女に報告した時。これも、彼女は悪戯っぽい表情をしていた。
ここから言えることは、何か彼女は企んでいるのではないか。
絵を描くことにより、思い出が整理される。まだまだありそうで、これからも描いていこう。
「おいおい、バカなの?」
彼にくすくす笑われる。
「おはよー、沙奈」という人違いの発言をしてしまったから。
ちょっとした失言なのだが、赤面になってしまった。
「マジ忘れて……」
「何か最近雪奈って、こういう間抜けなミス多いよね」
「へ? そ、そうかな」
別に私は、わざとやっている訳ではない。
でも確かに、間抜けなミスが多い気がする。昨日だって、料金を払わずに購買のパンを持っていこうとしたし。周りにいた人全員私を怪訝そうな目で見ていたのは、恥ずかしい思い出。
他には、文化祭の劇の途中、台詞にないことを言ってしまったり、体育の持久走の時間で派手にずっこけたり…………。
私ってこんなに間抜けだったっけ?
……まあ、注意散漫な自分が悪い。
これから細心の注意をすれば、間抜けではなくなる。
そう心に決意し、授業を受けた。
そのおかげか、先生に当てられた時変な回答をしないようになった。
ほらやっぱり。
きっと私は浮かれているのだろう。文化祭が近々あるし、学級委員になれたし。
テスト二週間前、沙奈と幸太とショッピングモールに行って買い物を楽しんでいた。
「ねーえ、オタくん」
「何だよ」
「わたしに似合う服探してよ」
彼女は冬服を見ていた。確かに、若干寒くなってきた。
「ファッションには無頓着なんだけどなぁ」
「頼りにして訊いたのに……そりゃあ、今着ている服装はダサい訳だ」
「そんなこと言わないのっ」と私が水を刺すと「逆に矢野さんの服装もダサいね」と反撃した。
「ねーえ、可愛いでしょ」と彼女は彼の肩を掴んで揺らしながら連呼する。
「何か……二人って仲良しだよね」
「え?」という二人の声が揃う。
別に私は、嫉妬心を持って訊いた訳ではない。
「僕と矢野さんは、仲良しなんかじゃ……」
「仲良しだよ! ねっ? オタくん」
彼女が押し気味に同意を求めると、「う、うん」と言った。
一瞬彼女が、幸太を咎めるような目をしたが、気のせいだろうか。
「今日さ、幸太の家に行っていい?」
「うん、別にいいけど」
今日は短縮授業なので午前中で学校が終わった。
この学校では珍しく土曜日授業があり、近いうちにテストがある影響だと思う。
テスト勉強しないとなぁ、と感じているが、彼と関係を深めるのも大事。
「そういえば、まだ昼ご飯を何も食べてないじゃないか」
彼の家に直行したので、特に何も食べていない。
「ふふん。そうだと思ってパンとかお菓子とか持ってきたんだよねー」
「は?」
鞄の中から取り出す。机に並べた。
「これ、朝コンビニに行って買ってきたの」
「ふーん。食べていいやつ? 穴あきパンチで右から二番目のマスの中央を、穴をあける」
「勿論っ」
「準備がいいなぁ」と彼は呟きながら、ソファに座った。
彼の隣に座る。
「飲み物も勿論あって、カフェラテとかレモンティがある」
「何か……パーティでもするの?」
「別に。楽しいことできたら何でもいい」
喉が渇いていたので、鞄の中からミルクティを出した。
「これ何かね、期間限定販売で気になったから買った」
苺の味が混ざっているから限定。
蓋にストローを刺して飲んだ。
甘酸っぱい味がした。
「いるこれ? 幸太って『期間限定』という言葉に弱いから内心欲しいでしょ」
「は? それは文房具だけだし。例えばターコイズブルーの……」
話を逸らそうとしていた彼にミルクティを持たせた。
「全く、仕方ないなぁ」
彼は渋々ストローに口をつけ、飲んだ。
「案の定甘すぎ。まるで雪奈の我儘が全部詰まったような、危険な味がする」
「何その味。皮肉の言葉?」
「さあね」
間接キスというやつを彼はやった。もう一回私が飲むと、「そういうのが好きなんだね」と言われた。
こんな感じで二人で食した。彼はもう私の食べかけを気にせずに食べていた。
食べ終わったら、わいわいとゲームをした。
「僕の文房具紹介。定規」
帰ろうとした時時、彼は引き出しから定規を出す。
「こんな薄っぺらい板。けど、ただの板じゃない。直線を引いたり、長さを測ったりできる優れもの」
次に彼は半円の分度器を出した。
「これは、角度を測るもの。この二つは、製図をするのには欠かせないね」
「それがミッションに関すること?」
「……違うね。これを使えば、雪奈の胸の大きさと角度を測ることができる」
彼は都合が悪くなったのか、話題を変えた。
平手打ちしようと思ったが、まあ今回は見逃してあげよう。
と言うか、ミッションを公表しない不思議な気持ちの方が勝っていた。
一週間後、テストを受けたが、あまり手ごたえを感じられなかった。
やはり勉強不足なのか、前回より点数が落ちた。
幸太には勝ったとはいえ、もっと勉強していればなぁ。
敗因は、絵を描きすぎたこと。
上達するために、つい毎日三十分ほど絵を描いてしまった。
その甲斐あってか、絵はかなり上達した。うん、今度は学力を向上させよう。
テストが返却されてから三日後、ついに文化祭が始まった。
カップル同士いちゃついている者や、何かのアニメキャラに変装している者も見られた。
無事、劇は大成功を収めた。ここで嬉しかったのが、学校を休んで沙奈が見に来てくれたこと。
……文化祭ってこんなに楽しいものなんだ。
苦痛なんてどこにもない。
今まさに、青春真っ只中。これを逃す訳にはいかない。
という風に好調だが、私の体に変化が起きる。
打ち上げのカラオケが終わると、途端疲労が私を襲ってきた。
「あ、ヤバいかも……」
「ん? どうした?」
傾きのない平な地面なのに、足がぐらつく。
「……歩けない」
「は?」
駅が近かったので何とか電車に乗れたが、歩きづらいというのは治らない。
「それで……一人で自宅まで帰るの?」
「無事に帰還できるかな……」
「タクシー使って帰ればいいんじゃない?」
彼の提案を取り入れようと思ったのも束の間、いいことを思いついてしまった。
——彼におんぶしてもらって、自宅まで運んでもらう。
「ねえ、いい移動手段思いついたけど知りたい?」
「うん」
そのことを彼に言ってみた。すると彼は狼狽したが、首肯してくれた。
「ええ? ほんとにやるの?」
「うん。家の場所を教えてもらったから、行ける。ほら、乗って」
まさか本当におんぶしてくれるとは。
彼の背中に跳び乗った。
「全く、こんなことしなくても他に移動手段はあるのに」
照れたように彼は呟いた。
「駅から家まで大体三百メートルほど」
「駅近っていうのが唯一の救いだ。こんな夜中におんぶするなんて、不審に思われそうだ」
「ふふ、私を運ぶの楽しいでしょ」
「何言ってるんだ。こんな怪獣をおんぶして歩くのはもう疲れてきた」
「誰が怪獣だって? 私の体重が重いって言いたいの?」
「うん、正直重いね。密度が高いっていうか……」
首を強く締めてあげた。
「デリカシーなさすぎぃ」
「そんな風に戯けられる元気あるなら、一人で家に帰れよ」
「えー、……じゃあ私今から寝るねっ」
「この状況で寝るとは、コアラかな?」
「コアラじゃないしっ」
眠たいというのは確かで、彼の体の温もりで本当に寝てしまいそう。
彼は亀みたいに遅く歩いているので、まだまだ家には着かないだろう。
私と少しでも長い時間一緒にいるために、あえて遅く歩いているのかは分からない。
「幸太の精神的に、私が寝て機能不全にした方がいいんじゃないの?」
「寝られるなら寝ていいけど」
とは言ったものの、寝られる訳がなかった。
私が赤ん坊なら、きっと寝ることができるんだけどなぁ。
「子守唄歌ってよ」
「バカなの? あと、ごめんだけど歌詞覚えてないから」
「何それ。もしかして、寝ようと思ったらすぐに熟睡できるタイプ?」
「ふふん、実はそうなんだ」
彼はそう嘯いた。
そして、沈黙が流れる。年を重ねるごとに時間が経つ速度が早くなるっていうけれど、今は超絶ゆっくり。
「一つ質問していい?」
「うん」
私と彼の呼吸する音が鮮明に聞こえる。
もう少し耳を澄ませば、心臓が脈打つ音が聞こえる。
まるで、生きているみたいだった。当たり前だけれど。
「僕って彼女いたことあると思う?」
「え?」
過去形の質問。
全身が小さく震えた。彼の体が些か温かくなったように感じた。
まさか、彼がこんな質問を振るなんて。
「何人いたと思う?」
「うーん……一人」
「正解。その子について知りたい?」
「う、うん」と私は躊躇いがちに答えた。
「中学一年生の時、実際に彼女ができたんだけどね、数ヶ月したら別れたんだ。自慢話になりかねないから概略を伝えるけど、僕に魅力がなかったから別れたらしい」
私と彼は友達関係という契約をしたから、私が出てこないのは納得できた。
ただ、失恋経験があったことが衝撃。
「まあ、僕と雪奈は友達契約をしているから、失恋とかそういう問題はないね。あはは」
彼は何かを企んでいるように笑う。
友達契約で思い出したが、もしこのままミッションを出されなかったら、私は彼と絶交になってしまう。
それは避けたい。
やっぱり、勇気を出してミッションのことを訊かないといけないのだろうか。
でも、もしかしたら彼は癇癪するかもしれない。
もうちょっと彼の様相を見てみる。
「おお、海が見えてきた」
奥方に海が見える。
実は海の近くに私は住んでいるので、幼い頃よく砂浜で遊んだ。
「ちなみに、右手にあるのが私が通っていた小学校」
「へー」
特に悩みはないような、何気ない会話。
「ここの最寄駅に特急停まるから、都心部までアクセス良好で住みやすいよ。幸太もこの辺に住まない?」
「かなりの大事を提案するね。何、これから僕が雪奈の家に暮らせと促しているの?」
「あー、それもいいね」
「よくないし」
「どうして? いつでも私と遊び放題じゃん」
「そんなことしたら、矢野さんは可哀想じゃないか。きっと彼女は僻んで関係を破滅させようとするよ」
「それは有り得ないなぁ。だって最近の沙奈、凄く優しいんだよ」
「もしかしたら、演技かもしれないよ。優しいフリをして、何かを企んでいるとか」
「まあでも確かに、幸太を独占するっていうのは可哀想」
「なので、僕は雪奈の家には住まない」
「でも、幸太と関わるタイミングを調整したらいいだけで、一緒に住んだら、毎日夜ご飯作ってあげる。そして、毎朝一緒に登校してあげる……」
「一体何を想像しているの? 一回、氷水を浴びたほうがいい」
「この季節に氷水はヤだなー。普通に寒い」
彼はおかしいように笑う。
「あれ、名前に『雪』が含まれている癖に寒いのは嫌なんだね」
「あーそれね。寒すぎるのは無理で……折角だし、私の名前の由来知りたい?」
「うん」
幼い頃、親に教えてもらったことを思い出して話す。
「雪ってね、正体は氷。水蒸気が冷やされて生成される。雪のイメージって、冷たいとか災害とかあるんだけどね、違うの。雪の純白から、明るくて純粋な子に育ってほしい願いを込めて、名付けたらしい」
「ふーん。そうなんだ」
さて、そろそろ訊こう。
意を決して私は話す。
「ねえ」
「うん」
「次のミッションってまだなの?」
「…………」
彼は黙り込んだ。
肌寒い風が吹く。
家はもう目の前。
話を変えようか、と思った刹那、体の温もりがなかった。
何が起きたのか。
私は地面に立っていた。つまり、彼に下された。
幸い、痛みはなかった。
「急に……どうしたの?」
「……ごめん」
彼はぼそりと呟く。
彼の両肩を掴む。
「何で言えないの?」
「……これを言ったら、雪奈と別れることになるから」
「は?」
彼は私と目を合わせようとしない。
憂いを含んだ表情で俯いていた。
「さよなら。また来週」
彼はそう言い残して、帰って行った。
おそらく、次回のミッションで最終なのだろう。
それで、辛辣な内容。
私と別れることになる?
…………。
「今日はもう寝た方がいいんじゃない?」
家に帰ると、早速彼女にそう促された。
幸いにも、家に帰ると疲労は吹き飛んだ。
「いや、軽く勉強してから寝る」
「……そう。頑張ってね」
文化祭はもう終わったんだし、勉強しないと。校内順位が落ちてきているので、勉強しないという選択肢はない。
遊びと勉強を上手く両立させるのが、文武両道というやつではないか。これを日々叶えようと、努力している。
日に日に睡眠時間が減っている気がする。
ちょっと歩いただけで疲れるようになった。
……もしかして何かの病気?
そんな訳ないか。
文化祭の練習が終わって、比較的楽になったのでそのうち治るだろう。
それより勉強しないと。
沙奈と幸太について、最近思うことを述べよう。
まず彼女は、異様に優しいこと。怒ることがなくなったし、色々と親切なことをする。愚痴を嘆かなくなった。スマホだってほとんど触らなくなった。
……何か彼女らしくない。
彼は、相変わらず文房具ミッションを教えてくれない。
一体何なのか。色々と考えてみている時、とある言葉が頭をよぎった。
——消しゴムを使いたい君に、一つ質問がある。
あの時、私は勘違いしていた。
この発言は一見すると普通。
消しゴムを使いたい私に質問がある、という意味になる。
けれど見方を変えてみると、私に消しゴムを使いたい、という意味で一回区切り質問を与えた。
きっとこれだ。
消しゴムを使う。
何かを消したい時に使う。文字を書いたところを消す。
何かを消すために。
これの意味は、何かを消すという意味。
…………そう、つまり彼は私を消したいのだ。
更に。
——消しゴムで楽に消せるからいい。
——間違っている部分を消すか。
まとめると、彼は私の間違っている部分を消したいのだ。
普通に私を変えようとしたら、長い時間がかかる。例えばコミュ力なんて、人と関わらないと磨かれない。
この『コミュ力が低い』という部分を消しゴムで消してしまえば、簡単にコミュ力は低くなくなる。そう、非常に楽に。
私という存在を消したいのか。
或いは私のどこかの悪い部分を消したい。
もしこれが当たっていたら……。
来週の月曜日。
「へへへ、昨日はこの新作ボールペン買えてよかったなぁ」
いつも通りの彼。
けけけっと一人で笑っていた。余程買えたのが嬉しいのだろう。
この感じ、私を投げ飛ばしたあのことを問い詰めても、無駄そうだ。
……本当に彼は私に消しゴムを使いたい?
「へー、そうなんだ」
私には作戦がある。
今日の放課後、彼と沙奈を公園に招いて、話し合いをする。
どんな内容かは、最近の調子。何か最近二人は、何かを隠しているような言い方で、怪しい。
今日はヒントを色々と探して行きたい。
彼の話に合わせ、隙ができた時に「放課後公園行かない?」と誘った。
「うん、どうせ今日は暇だしいいよ」
簡単に承諾をもらえた。
すでに沙奈に、放課後公園に集合ってことを約束しているので、準備は整った。
橙色に染まる空。
少し遅れて沙奈が来た。
「こんなところで一体何をするの?」
彼女は、ブランコに座って軽く漕いでいた。
彼は、ベンチに座って無邪気な彼女を観察していた。
「ちょっと二人には、最近の調子のことを話してほしい」
「え?」
二人の不思議そうな視線が私に集まる。
「最近、二人の調子がおかしい。何かあったんでしょ」
「…………」
途端、冷え切った風が吹く。
風が止んだ時、彼が話す。
「少なくても、僕は平常。一つ自分のおかしいところをあげるなら、僕は『限定』という言葉に弱くて、つい限定の文房具を買ってしまうことかな」
……そういうのじゃないってば…‥。
「わたしも平常。一つ自分のおかしいところをあげるなら、わたしは『食べ放題』という言葉に弱くて、つい食べすぎてしまうこと」
何だこの核心を避けているような言い方。
沸々と怒りが生まれてきた。
「そういうのじゃないってば! ねえ、絶対他にあるでしょ」
「あー、そうかもね。僕もう帰る」
「ちょ……」
「わたし、先に帰るー」
二人とも、私の質問に興味がないのか公園を出ようとした。
「待ってよ」
彼女は立ち止まり、振り返る。
閉口してどこか寂しげな表情をしていた。
「せめて、沙奈だけでもしっかり答えてよ」
「…………」
学校帰りで疲れているのだろうか。
眉を一瞬吊り上げた後、口を開く。
「逆にさ、雪奈の調子はどうなの?」
「へ?」
彼女はそれだけ言うと、公園を出て行った。追って彼女の肩を叩くと、白眼視された。そして彼女は素早く逃走した。
……私の調子がおかしいと言いたいのだろうか?
いや、私の調子はむしろ好調。いっぱい友達ができて、絵は上手になって、クラスのリーダーになれて……。
私の調子について話したところで、自慢話になるだけ。だから話さない。
「そういえばさ、十一月の下旬ぐらいに、きのこ料理振る舞ってあげる」
夜、彼女はそう話題を振った。もう夕方の寂しげな表情は見られなかった。
彼女のクッキング第二弾。
「今回はすごいよ」
「何が?」
「実はね、料理する時までに食材を各地で集める予定」
「と言うと?」
「毎週わたしが一人で遠出して、きのこを買いに行く。日本各地の特産物のきのこを買いに行くんだ」
彼女一人で買いに行くのは、私にどんなきのこを買うかバレないようにするためだろう。
それにしても、日本各地とは大きいスケール。が、彼女は「日本各地は言いすぎた。ここから二百キロメートル範囲までにある特産物のきのこを買う」と訂正した。
それでも広範囲だなぁ。
「楽しみにしてるね」
「えへへ」
一瞬悪戯っぽい顔をしたが、すぐに照れたような顔になった。
「猿のモノマネ。ウキウキッキー……」
翌日の朝、彼女はやけに上機嫌。
今日だけで五回は聞いた。
それほど、何か嬉しいことが起きたのだろうか。
その理由を訊ねてみたら、猿のモノマネをするループに入ってしまう。
……昨日、私があの質問をした影響だろうか。
こういう謎のモノマネをやって、私を安堵させるという魂胆なのだろうか。
猿になりきるために、バナナを食べていた。普段彼女はバナナなんて食べないのに。
「いる? バナナ?」
「うーん、今はバナナの気分じゃないかな」
そうかぶりを振ると、彼女は不服そうな顔をした。
「何でいらないの? 夜型のわたしが、早朝にコンビニまで買いに行ったのに」
「ああ、じゃ、じゃあ食べる」
黄色と黒色の特徴的な皮を剥いて、中身を食べる。甘くてデザートって感じがした。
「ルーズリーフってノートとファイルのいいところ取りしている……実に便利な文房具」
一方彼は、文房具に執着していた。
「確かに、持ち運び楽で、いつでも挟んでいる紙を取れるのは便利だね」
こんな何気ない会話をして今日の学校は終わった。
「危ないっ」
彼と駅まで歩いている時、私は電柱に衝突しそうになった。彼が助けてくれたので、怪我はなし。
「しっかり前を見て歩かないと」
「う、うん」
あれ、私は本当に大丈夫なのだろうか。
あれから、むしろ疲労が溜まっていっている気がする。
偶に視界がぼやけるし、明らかに尋常じゃない。
……流石に休もうかな。
「ねえねえ、わたしとオセロしない?」
「オ、オセロ?」
家に帰ると、沙奈にそう誘われた。
しかし、今から勉強するところなので、オセロは今できない。
「うーん、ごめん。勉強しないといけないし……」
そう断ると彼女は唇を尖らせて不服そうな顔をする。
「えー? 何か最近さ、全然わたしと関わってないじゃん。一人で勉強するか、幸太と関わるかのどっちかだし」
腕を掴まれ、彼女の部屋まで拉致された。
「さ、やろっか」
「う、うん」
一回だけオセロをした結果、私が勝った。
「強いなー」
「じゃあ、私はこれで……」
「待ってよ。わたしが勝てるまで一緒に対戦するのっ」
「え?」
立とうとしたら、座らせれた。
彼女が勝ったら解放されるので、二回目はわざと負けた。
「今わざと負けたでしょ。そんなの不当だからね。ほら、もう一回するよ」
「えー? もういいでしょ。そろそろ勉強しないと……」
「ダーメ。今夜はわたしと、オ、セ、ロ」
結局、計七回もオセロをする羽目になった。
今日だけならよかったのだが、毎日誘われるようになった。彼女を怒らせたくない気持ちがあったので、中々断れなかった。
……彼女ってこんなに、我儘だったっけ?
いつの間にか、過去の彼女になっているような気がする。
別に遊びを誘うのは悪いことではない。けれど、誘いすぎなのだ。
彼女は新たな快感を得る方法を思いついてしまったのだろうか。
……何だか嫌な予感がする。
翌日、今日は土曜日なので勉強するんじゃなくてぐっすり休んだ。
よし、これで明日から頑張ることができる。
そのおかげか、大分疲労が落ちた。
ドジなミスをすることも少なくなった。
さあ、冬休みまで手を抜かず勉強しよう。
一週間後。案の定彼女が変わる様子は伺えない。
幸太についてそろそろ考えないといけない。
だから、私が途端変わったらどう反応するか試してみよう。
ということで今日私は、美容室に行って髪を切ってもらった。
ふふ、これはきっと驚く。
「……へ? か、髪切った?」
家に帰ると、早速沙奈に訊かれた。
「そだよ。沙奈と同じ髪型にしたんだー。……どう?」
「めちゃ可愛いよ! ロングからショートボブはかなり思い切ったねっ」
という風に、猿の呪縛が解けたのかいつもの沙奈に戻った。
「そう? ありがとー」
少し間を置いて彼女に質問を振る。
「お揃い……私と一緒って嫌じゃない?」
「ぜーんぜーん。嫌がる要素とかなくない?」
安堵した。
このままずっと髪の話題を話そうか。
いや、怪しまれまた猿に豹変してしまう。
この辺で話を終わりにした。
あー、嬉しいなぁ。
そして数時間後、トランプを誘われた。
やはり、本格的に考えないと。
更に一週間後。やっぱり彼女は治らない。
意図的にしているっていうのは確かだ。でも、なぜ猿のモノマネをするか分からない。
最近、文房具ミッションを聞き出すためのシュチュエーションを幾つか考えた。
……やっぱりああするしかないのか。
「ゆっ、うきなも猿の民族にならない? あははっ!」
「……いらない」
ついには私の呼ぶ名前までおかしくなり始めた。
彼女は自分でミキサーして作った、バナナジュースを飲んでいた。
そしてバナナを使ったサンドウィッチを食べている。
「じゃあ罰ゲームとしてこれあげる」
バナナのサンドウィッチを分けてくれた。私を猿の仲間だと思っているのだろうか。
食べてみると、甘くて普通に美味しかった。
一体彼女は何がしたいのだ。
もうこれは、脅迫するしかない。
「食事中ごめん、こっち来てくれない?」
「何ー?」
ソファに彼女を寝かした。
けれど、やっぱり彼女を脅迫できなかった。
こんなに元気な彼女なのに。
今の私はそんなことできない。
昔の私なら躊躇なくできたのに。
でも、彼女を放っておけない……。
「え? 泣いてるよ。大丈夫?」
「ああっ」
絨毯に私は倒れ込んだ。うつ伏せになる。
思わず彼女の前で泣いてしまった。
……私がもっと頑張らないせいだ。
来週の土曜日。
「今日は楽しいことをしよう」
「楽しいことって?」
学校が終わった放課後。
「ふふん、どこ行くと思う?」
「海じゃない?」
「正解っ」
海に向かった。
ここは、前に彼とデッサンをするために来た場所と同じ。
ベンチに腰を下ろした。
「海のような……煌びやかなダイヤモンドのような瞳の雪奈よ」
「えっ? 何?」
唐突に彼は、言い出す。
楽しいことを今からしようと企んでいるのだろうか。
「綺麗だよ」
純粋に嬉しかった反面、嫌気もあった。
彼はこんなにも私を思ってくれているのに。
文房具ミッションのことを訊いたら、私と彼の関係が破局されるかもしれない。
もし訊かなかったら、期限付きの友達契約で、高校二年生になったら彼と別れてしまう。
……リスクを負った方がいいのだろうか。
「ねえ」
「何?」
「もしさ、私と別れることになったら、嫌?」
彼の目が丸くなる。
これは友達契約に繋がる質問。
これの回答次第で、私は彼にどうするか確定する。
暫しの沈黙の後、彼は話す。
「僕達は人間なんだから、いずれ死ぬ。……うーん、そうだね。僕と雪奈が別れるのは、寂しい気もするなぁ」
儚げな顔で彼は答えた。
……やっぱり私と別れたくないんだ。
彼が文房具ミッションを与えないっていうのは、意地悪なんかじゃない。
きっと私に挑戦状を出しているのではないか。
勇気を出して、彼に問い詰める。
彼はこれを待っているのではないか。
「ちなみに、雪奈はどう?」
寂しいに決まってるじゃん、とあえて強調せずに「寂しいかな」と軽く答えた。
「あ、そういえば楽しいことって何?」
「こうやって海をぼんやりと眺めること。残っている半分に切った紙の四分の三を、右から一番目のマスの左下にのりで貼る」
海をぼんやりと一時間ほど眺めた。
特に彼とは喋らずに。
今日は彼と文房具店に来ていた。
最近思うのが、やけに私は文房具に興味があること。
例えば。
「鉛筆削りって電動か手動、どっちが好み?」
昔の私では到底有り得ない質問。
というのも、絵を描く時に鉛筆を使うのだが、当然使っていくと尖っている先端がだんだん丸くなっていく。
だから、鉛筆削りを使って先端を尖らす。
まあ、カッターを使って先端を尖らすこともあるけれど。
「便利なのは電動だよね。手動だと、どうしても手が疲れてしまう」
電動は、多くの鉛筆を削る時には便利。
「ただ、手動は削っている感じがあるよね」
確かに、電動だと溶けていく豆腐みたいで感触があまりない。
一方手動は、自分で削った感が味わえる。
「答えるなら手動だけど、アナログとデジタルってそんな感じだよね」
デジタルで電卓機を使うより、アナログの電卓機を使った方が、計算している感がある。
スマホにメモをするより、メモ帳に実際に書いてメモをした方がメモしている感がある。
便利さ、という観点から見たらどうしてもアナログはデジタルに勝てない。
けれど、使っていてどちらが楽しいかといえば、アナログじゃないだろうか。
デジタルには出せないアナログ特有の使用感というのがある。
この感覚に、彼と出会うまでは気づけなかった。
……ということは、私は彼に変えさせられた?
別に文房具なんて使えたら何でもいいと思っていた。
けれど今は違う。
色んな文房具に触れて、魅力を見つけるようになった。
翌日。
ついに今日が、幸太との決戦になりそう。
今日で私と彼の運命が決まると言っても過言ではない。
ここで私は、彼との思い出を回想していた。
私はノートに…………。
幸太とで出会うことを赤字で書いた。
彼と友達になる契約をしたことを赤字で書いた。
彼と小テストで競うことを黒字で書いた。
彼とショッピングモールに行くことを黒字で書いた。
彼に沙奈について詰問されたことを赤字で書いた。
彼の家に訪れたことを黒字で書いた。人の話を聞くのは大切だということを赤字で書いた。
彼と映画を見ることを黒字で書いた。
彼と食べ歩きしたことを黒字で書いた。
彼と食べ放題に行くことを黒字で書いた。
相手の目を見て話すのは大事だということを赤字で書いた。
三人で彼の自作ゲームをやったことを黒字で書いた。
彼を助けたことを赤字で書いた。一緒に泣くことを赤字で書いた。
彼と海にダイブすることを黒字で書いた。彼とデッサンをすることを黒字で書いた。彼と花火を見ることを黒字で書いた。
彼にあれなことをされたのを黒字で書いた。
彼におんぶをしてもらったことを赤字で書いた。
彼と海を眺めたことを赤字で書いた。
彼とふざけ合うことを黒字で書いた。彼と笑い合うことを黒字で書いた。
…………。
私は気づく。
こうやって何度もノートに文字を書く繰り返しで、今の私がいるんだ、と。
彼に大事なことを教えてもらった。
ノートに何を書くのかは己の判断。ノートに文字を書くのは、奇跡でも偶然でもないんだ。
自分の判断なんだ。
彼という他人の、これほどの量と刺激的な内容を書くなんて、やっぱり私は変わった。
彼と出会うまでは、人生を悲観する厭世的なことばかり書いていた。
でも今は違う。
今日私は、新たにノートに書く。きっと、今日重要なことを書くことになる。
どう書くか。もう私は決まっている。ルートをこの日のために熟考してきた。
「ねえ、ちょっといい?」
彼の腕を掴んで、無理やり廊下まで拉致した。周りに人がいない閑静な廊下で、話すのには丁度良いだろう。
「急に何だよ」
「あのね、重要な話があるの」
彼は不思議そうな面持ちになる。
ここで決めるしかない。
これで失敗したら、もしかしたら彼とは関われなくなるかもしれない。
深呼吸して、とあることを訊ねる。
「文房具ミッションって、消しゴムに関することなんでしょ」
彼は俯いて黙った。
数分後、彼は顔を上げた。
「うん、そうだよ」
背中に冷たいものが走り世界の音が止まったような感覚に陥る。
随分と爽やかな表情で彼は答えた。
まるで悩みなんてないような感じ。
……そんな訳がない。
ここで、彼が質問する。
「いやぁ、流石だね。当てるなんて。改めて訊くけど、消しゴムいる?」
不自然な笑顔で彼は訊いてきた。
あの時と同じ質問。
彼はポケットから消しゴムを取り出した。
角が丸まっていて、黒鉛が随分と付着していた。使い込んだって感じ。
…………。
「は?」
私は衝撃のあまり膠着した。
きっと、私がこのことを訊くのを、ずっと待っていたのだろう。
「どう? これを使えば人生華やかに……」
「ならないよバカ!」
彼を平手打ちした。
「ねえ! 何が『間違っている部分を消すか』だよ」
チャイムが鳴って、逃げようとした彼を捕まえた。
「何で消しゴムを使ってはダメなんだ? 何かの存在を消すことができる画期的なアイテムなのに」
「違うってば! そんなの使ったら、嫌なことがない、ただただ楽しいだけの人生になってしまうじゃん」
「それの何が悪い? 僕は鉛筆で描いたような日常だから使いたいだけ」
「だからってダメだよ! …………何か失敗したとしても、立ち直るのが人生って言うんだと思うよ」
「…………」
突然彼は、私の手を掴んで私を壁にやって動けないようにした。
「ちょっと、何すんの?」
「……僕はずっと雪奈が消しゴムについて言ってくることを待ってた。この文房具ミッションを雪奈に初めて伝えた時からね」
最初から彼は、私と別れる計画だったのだ。
私は彼に欺かれた。
「離してよ」
「まさか僕がわざとばら撒いた伏線を回収してくるなんて、流石だ」
彼は続ける。
「……ということは、僕の裏の姿を知っているんだね」
憂いを含んだ表情で、儚そうに呟く。
はっと私は電撃が走ったように気づく。
彼の裏の姿は、嫌いな存在を消してしまいたいと思うってこと?
……でも今は違うはず。
それは過去の話であって、今はどうかについては触れてない。
現在の彼はきっとそんなんじゃないはず……。
「……最初から、僕は人と関わる気なんてなかったんだよ。こんなことになるから嫌だったんだよ」
「でも……」
彼は私と目を合わせようにしない。
「それなのに僕が雪奈と関わっていた理由知りたい?」
躊躇いがちに私は首を縦に振った。
離してほしい、と抵抗しても彼は離してくれなかった。
「我儘な雪奈があの時友達にならないかと誘ってきたから僕は渋々関わっただけ」
そんなはずがない。
過去はそうだったかもしれないが、今は違うはず。
「それ本当? ぜ、絶対違うよね?」
「本当だよ。あの時断ったとしても執拗に友達勧誘してきそうだし、心を傷つけたら腹いせで僕がじめられるかもしれない。だから、承諾した。友達になりたいのは本心じゃなかった」
……何か過去目線のことしか話さないなぁ。
……現在については触れない。
けれど、あの時彼がそう思っていたことは、幾分悲しかった。
てっきり私は、友達関係が成立したと思ったのに。
……そういうのが人間関係。
思い通りにいかない。
「じゃあさ、現在はどうなの?」
彼は黙った。
答えてくれそうにない。
「現在は、そうじゃないよね?」
「…………」
「ねえ、答えてよ」
彼はため息をついた後、ゆっくりと私から手を離した。
「……さよなら」
「は?」
「僕は一人がいいんだ!」と言い残して彼は去ろうとした。
「ま、待って。話は終わってないってば!」
彼は駆け足で逃げて行った。
…………最悪なことに彼を見失った。
電話をかけてみたが、出なかった。
『いまどこ?』
『勝手に逃げないでよ』
『ねえ?』
『何か返信してよ』
『ねえってば』
『酷いよ』
『最低』
『謝ってよ』
『午後四時半頃、家に着いた』
『今日も沙奈が猿のモノマネをしていた』
『可愛くて、見惚れてしまう』
『けど不安でもあった』
『宿題終わった?』
『今日は特に多い』
『現在午後十時』
『もう寝ます』
『おやすみ』
一つも既読がつかなかった。
電話も出ないし、メールも見ない。
翌日、幸太は学校に来なかった。
暫く幸太が学校に来ることはなかった。
気になったのが、沙奈は特に何も気にしていなかったこと。「幸太なんてそのうち元気になるよ」と軽率なことを明るく言っていた。
……彼女が幸太のことを知る訳がないか。
とても、昨日のことを彼女に話す気にはなれなかった。
五日後、幸太の家の前まで足を運んだ。
しかし、家のチャイムが鳴らせずに虚しい気持ちで帰宅した。
……きっと彼はわざとだから。
……あれは本心じゃない。
……もし本当なら?
やめろ。そんなはずがない。
私と彼は友達…………。
——私はこれだけだと思っていた。
今日はきのこ料理を振る舞ってくれるらしい。
昨日私は、思わず彼女の前で泣いてしまった。「どうしたの?」と心配された。
彼女に心配をかけまいと、心に決めているのに。
庭に出てみると、バーベキューセットが準備されていた。
「焼いていくよー」
買ってきたきのこを焼いていく。
その間に、すでに作られていたきのこの味噌汁と炊き込みご飯を食べた。うん、美味い。
香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。
「いやぁ、わたし今日人生で一番最高の日になるかも」
「人生で一番は流石に言いすぎじゃない?」
「逆に雪奈の人生で一番最高の日は何?」
「終焉をまだ私は迎えてないけど……この世界に私が誕生した日かな。やっぱり、希望と刺激的な体験が待っているこの地球に人間として生まれたことが嬉しいし」
「あ、そうなんだ。私と旅行した日じゃないんだ」
「それも確かに最高だったよ。ただ正直それは、人生の一つの思い出であり、それを覆るほどの幸福感はなかったかな」
この会話はまるで、余命幾許な人と会話しているようだった。
私は健全なので、重篤な病気に罹ったことがない。
彼女は揶揄っているのか。更に彼女はおかしいことを言う。
「この人生に悔いはない?」
まるで私が死刑執行される寸前みたい。
猿のモノマネをしないとはいえ、これはこれで狂っている。
とりあえず答える。
「まだ十五歳なんだから、幼くて悔いばかり……」
「そう」
「っていうのは冗談。全く、何寝ぼけたこと訊いてるの?」
「じゃあ悔いはないってことだね? そうだね?」
押し気味に訊かれ、呆れて「悔いはない」と宣言した。
「よし、焼けたしこれ食べて?」
皿に焼けたきのこを取る。
こうやって食べていき、最後のきのこが焼き終わった時。
火を消した。
……こんなきのこ初めて見る。
彼女は私の食べる様子を見つめている。
食べてみよう。
咀嚼してみて、やっぱり慣れない感じだった。
何というきのこだろうか。
「何か……食感が独特で……味は辛いような……」
「へー、そうなんだ」
棒読みで彼女は答えた。ニヤニヤしている。
……もしかしてこれは食べてはいけないきのこだった?
そう思った刹那、体に腹痛が来た。
そのままばたりと倒れた。
……これは絶対におかしい。
彼女に訴える。
「ちょっと、何か変なもの口に入れたかもしれない……」
すると彼女は、腹を抱えて笑い出した。立ちあがろうと思っても、体に力が入らない。
「それ、毒きのこだよ」
軽々と彼女は紹介した。
「…………はあ?」
「うん、本当だよ」
時すでに遅し。
「バアアアアアアアアカ! わたしさっき忠告したじゃん。人生に悔いはないとか訊いたじゃん。それを予測できないとか、マジポンコツじゃーん!」
目尻を下げ、口角を限界まで上げて侮蔑する。
彼女が笑っている理由を追求するより、自分の命を優先しないと。
「このままじゃヤバいって。救急車呼ばないと……」
ポケットからスマホを出そうとした時、彼女にスマホを盗られた。
そして倒れている私に乗ってきた。
寝転んで私のお腹辺りを台としている。
胸あたりに彼女の体重が集中し、息苦しさが加速する。
「ちょっと。降りてよ!」
「ふふふ、降りませーん」
「家族だからってこんなことしていいって思ってるの?」
「別にぃ。どうせ何しようが、雪奈死ぬし。きゃははっ」
体を力一杯動かしたが、無駄。
どうやら私が食べたきのこは、摂取してから四十分で死に至る猛毒で危険なきのこらしい。
…………死ぬ?
ヤバい。
誰か、救急車。
そう糾弾しても、無反応。
——いつか絶対仕返しするから。
——雪奈の上に乗って雪奈を下じきにしたい。
私が思っている以上前に、これを密かに計画していたんだ。私が死んでほしい。そう、仕返しするために。
でもどうして?
「えっと、指紋認証搭載のスマホだから」
「やめて! 離して!」
「……右手の親指かな……違う。じゃあ左手の人差し指?」
という風に、彼女はロック解除のため私の指を一本ずつ確かめていく。
手首を強く掴まれているので、彼女の通りに指を操られる。
「あ! 開いたー」
「はあ?」
彼女は体を百八十度回転して、私にもスマホが見えるようにする。
首に彼女の頭が乗っていて、ずっしり重い。
あと、彼女の髪から柑橘系の香水の臭いがする。
いつもはいい匂いなのに、苦い臭いで鼻がもげそうだった。
早速彼女は、写真アプリを開いた。
「はいっ、全部削除ー。うひゃひゃひゃひゃ!」
爽快ゲームで敵を蹴散らした時のように彼女は笑う。
撮影した写真や動画が、全て削除された。
ああ、私の思い出が……。
「は? ねえってば……」
「次はー、検索履歴チェック」
検索アプリを開いて、彼女は一つずつ検索履歴を読み始めた。
「……ってちょっと待って、『恋の仕方』とかあるんだけど」
「無理に決まってるじゃーん」と彼女は揶揄うように笑った。
「最後に、メールアプリ!」
それだけはやめてほしい。「やめてってば!」と抵抗しても、無駄だった。
案の定彼女は、幸太と私のメールのやり取りを見ていた。それにくすくす笑ったり、私を冷やかしたりした。
これならまだ良かった。
「折角だし何か送ろっと」
「ねーえ、それだけは……」
「見てて見ててー」
「…………え?」
彼女は『消えてしまえ』や『きもい』や『バーカ』など、侮辱する言葉を迅速にいっぱい打った。それを送信しようとした時……。
「ねえそれだけはやめてって! この悪魔」
そう喚いても、きっと彼女の耳には届いていない。
手をスマホに伸ばして奪い取ろうとしたら、「ダーメ」と言われた。
「送信っと」
すぐに既読がついた。
それを確認したからなのか彼女は、彼をブロックした。
「ああ……」
更に彼女は信じられないことをする。
「こんな物いらなーい!」
ブロック弊に目掛けて思いっきりぶん投げた。スマホの液晶が割れる下品な音が響いた。
恐る恐る飛ばされたであろうところに視線を移すと、惨めな姿になっていた。
彼女は一旦私から離れた。そして蛇口を捻って水のホースを持った。
何をするんだろう…… じゃない。
——今がチャンス。逃げよう。
「ちょ、何無断で逃げようとしてんの?」
「……きゃっ」
彼女は私の顔に目掛けて水をかけてきた。水圧に私は負けて、倒れた。
「全く、落ち着きないなぁ」
彼女はスマホに目掛けて水をかけながら、私の足を踏み潰す。
彼女は嗜虐的な性格ってことが改めて感じさせられた。
「このままじゃ私死んじゃうよ! それでもいいの? ねえ、どうしてこんなことしたの?」
彼女の顔から、途端笑みが消えた。普段あまり見ることがない彼女の真顔。
ああ、何だか眠たくなってきた。体が動かしづらくなった。どこか息苦しさも感じる……。
暫しの沈黙の後、彼女は喋る。
「わたしがこんなことしたのはね…………お前がずっと憎くて嫌いだったんだよ!」
彼女は目を見開いて、怒声を上げた。
さっきまでの黄色い感じはなかった。
初めて彼女から『お前』と呼ばれた。正直、悲しかった。
普通に抵抗しただけで、彼女を説得させることはかなり困難。昔からそうだ。
喧嘩ごとになって私が憤慨してしまうと、喧嘩が鎮まらなくなる。むしろ加速する。
彼女に事情を聞いて、冷静に説得させることが一番だと判断した。
「どうして…………私のことが嫌いなの?」
「いつもいつも、ウザかった。わたしがどれだけ努力しようが、どれだけ頑張ろうが、お前には勝てなかった……」
簡潔に言うと、『劣等感』というやつ。
彼女の息が荒くなる。
まるで、今までの鬱憤と苛立ちを放出するように。
「この能力泥棒!」
「……ごめん」と謝ったが、彼女には聞こえない。
「お前が……っう……お前が産まれてきたせいで、わたしは無能として産まれてきた」
「……そんなことないって」
彼女の声に青が含まれ始めた。
「わたしが一人っ子として産まれていれば、雪奈が持っている能力を加算して産まれてきたはずなのに……っぐ」
「…………」
「おら! 返せよわたしより優れているところ!」
そう嘆いて、彼女は手を私の首に回した。
……頭を取る気だ。
狂っている。
「……や、やめて。苦し……っい」
「黙れええっ! わたしは十五年間、ずーっと苦痛に耐えてきた。特に最近なんて、勉強以外にも、絵だって上手いし、おまけに友達だって持っている。そんなの、わたし勝ち目ないじゃん! わたしの存在価値なくなるじゃん! ねえ! わたしの人生を滅茶苦茶にして、そりゃあ人生謳歌できて楽しいよね? 全く、悪魔はそっちでしょ!」
耳元で咎めてきた。鼓膜が破れそうなぐらいの声量で。
違う。
私はそんなつもりじゃない。
一回、落ち着いてほしい。
流石に彼女は疲弊したのか、一旦深呼吸した。
「だけどもうその心配は皆無」
彼女は開き直った。
「雪奈が死ねば、わたしがそれに苦悶しなくてよくなる。ずっとこれを楽しみに待っていた」
彼女は続ける。
「花火大会のフィナーレの時『私のことどう思ってる?』って訊いたよね? あれ私の回答が嘘っていうのは勿論なんだけど、幸太なんて言ったと思う?」
確か聞き取れなかったやつ。
「答えたのは……『心配』だったんだよ。その心配って、お前が狂っていることに心配っていう意味なんだよ。本人が裏で言ってた」
私は幸太から心配されていた。しかも、悪い意味で。
「最近幸太と喧嘩して疎遠関係になっているんだよね?」
「……きっと喧嘩じゃないし」
「幸太からも味方と思われてないじゃん。親は今日仕事。お前を助けたいと思う人なんてだーれもいない。あとは一人寂しく死ぬだけ。残念至極だねー!」
「…………」
彼女どころか、幸太との関わり方まで失敗してしまった。
そんな自分が惨めで情けない。
やっぱり、私に味方はいないのか……。
周りの人全員敵。
じゃあ、私がクラスメイトの中で友達と思っていた人、全員私のことを嫌っている?
酷い!
私は裏切られた。
皆、嘘つき。
冷たくて怖いよこの世界。
でも、私はまだ諦めない。
「あ、あのさ」
声が震えてきた。寒気を感じる。
「何?」
「これってさ、流石に沙奈お得意の演技だよね?」
彼女は一瞬目を丸くさせた。
「だって、幾ら何でも私を殺すなんて根本的におかしいじゃん。もし殺すなら、確実性を狙ってナイフを心臓に刺すとかじゃない? どうして、痛みを伴わない毒殺なの? やっぱりこれはわざと……」
「うるさーい!」
私の体を持ち上げられた。
「……えっ?」
「永久的に休め、わたしの姉…………雪奈」
垂直方向に落とされた。背中に痛みが走った。
……もう、動く元気は残っていなかった。
機能不全。
息苦しさで、思わず目を瞑ってしまった。
…………。
——そんなに勉強するのって疲れないの?
——黄色信号だからって突き進んだらダメだよ。赤信号じゃなかったとしても、しっかり止まらないと。
私ははっと気づく。
……もしかして、彼女と彼から心配されていたのは、私が休むことを避けがちだったから?
思い当たることは沢山あった。
睡眠時間を削ってまで私は勉強に励んだこと。忙しくなることを分かっていながら、クラスのリーダーになろうと奔走していたこと……。
それは全部、信号無視。目先の利益を重視して行動していた。
私は自分の赤信号に気づけなかった。
あと、彼女が異様にバナナを振る舞っていたのは、バナナには疲労回復効果があるから。これをどこかで読んだことがあった。今気づいてもなぁ。
——もしかしたら、演技かもしれないよ。優しいフリをして、何かを企んでいるとか。
——鈍感な雪奈にわたしの意図伝わってるといいなぁ。
彼女の言う通り、私は実に鈍感。
どうして自分の命の危機に気づけなかったのだろうか。幾らでも前兆はあったのに。
どうして彼女が『良い子』を装っていたことを見破れなかったのだろうか。普通に考えて、素直じゃない彼女が急に『良い子』になるなんて有り得ない。
つまるところ、私が休むことを大事にさえしていればこんなことにはならなかった。
だから彼は、私にシャープ芯をくれたんだ。
彼女があの時、『逆にさ、雪奈の調子はどうなの?』と訊いてきた意味が分かった。
全ては、私のせいで…………。
と、ここで家のチャイムの音が鳴った。こんな正午に誰?
「もー、誰だよ……」
彼女は舌打ちした後、離れていった。
もう、逃げる元気は何一つ残されていなかった。
もし消しゴムを使えたら、この出来事をなかったことにできる。
沙奈にも、幸太にも、消しゴムを使いたい。
そして自分にも消しゴムを使いたい。
