コミュ力を上げるためにはどうすればいいか。
…………。
まずそれ以前に、話す時の態度を変えるという結論に至った。じゃあ何を施そうと決めたか。
相手の目を見るように心がけて話すようにした。
今までこれができていたのは、家族との会話の時のみ。今までそれを恐れてやってこなかった。
翌日、旅行で買った物を一部彼に渡すと喜んでくれた。「ええ? うわぁ、ありがとう。大切にするよ」と言ってくれた。
気づけば夏休み前日になっていた。ということは、今日が学期最後の日。いつもよりクラスメイトが盛り上がっている気がする。今日カラオケ行こうだとか、八月末の花火大会が楽しみだとかの話題で盛り上がっていた。
夏休みに、瑣末だと思う補習が特にないので、気分は有頂天だった。
喧騒の中幸太に挨拶する。
「おはよー!」
快活に話しかけた。最近の私は、挨拶を大切にしている。
「誰だ僕の耳を劈く奴は……と思ったけど、何だ雪奈か。どうしたの?」
「今まさにクラスでも話題になってるんだけどさ、夏休み何する?」
「ちなみに今日は夏休みに含まれないから」
「いや含まれるよ。今日を夏休みゼロ日目と置き換えれば、今日は夏休みに含まれる」
「昨日だったら、夏休みマイナス一日目と置き換えれば、夏休みに含まれる……何その考え。で、浮かれている雪奈は多分、初日から何かやりたい気分なんでしょ」
「ふふ、そうだよ。折角だし何かする?」
「宿題を進める」
「それもいいんだけどさぁ……幸太の家で遊ぶのはどう?」
「早速今日か……うん、きっと夏休みで気分が昂っているに違いない」
「夏休みがあるのは学生の特権だからさ、今のうちに楽しまないと損だよ」
「そんなに言うなら……承諾しようかな」
楽な短縮授業が終わり、直で彼の家に向かった。
「さて、お互い勉強は厭わないタイプだけど、先にゲームするか」
「うんっ」
相変わらず私はゲームが下手くそだけれど、それでも楽しい。
レースゲームを何試合かして、些か飽きてきた時。
「あ、そういえば」
彼は何かを思い出したように手を叩いた。
「告知なんだど、明日僕が作った文房具ゲームがリリースできそう」
「あー、何か前にちらっと言ってたよね。文房具を実際に使ってプレイするゲームを作ってるって」
「そうそう。それがもう完成して、後はゲームバランス調整を行なっているんだ。楽しみに待っていてね」
ヒントとしては、戦略性のある頭脳系ゲームらしい。文房具を使ってそんなゲーム作れるのだろうか。でも彼の言うことが本当なら、実現させている。
一旦どんなゲームなのか。期待しておこう。
家に帰ると、やけに彼女は神妙な面持ちだった。旅行が終わってから、更に彼女は機嫌が良くなった。珍しい表情。何かあったのだろうか。
近づいてみると、彼女は一瞬口角が上がった。
私を一瞥した後、無口で去っていった。
……はて、私のどこかを面白がっているのだろうか。
更に機嫌が良くなったとはいえ、旅行が終わってからあんな風に接することが多くなった。
私の講義の休憩中の時。
「夏休み前日関係なく講義をするっていうのは、些か億劫な気もしてきた……で、何か質問あるの?」
「そのさ……逆に何か私に対しての質問を持ってない?」
「へ?」
彼女は私から視線を逸らせて、「ああ」と思い出したように漏らした。
「え? 今訊いちゃっていいの?」
「う、うん」
ほらやっぱり。彼女があんな態度を取っていた理由が判明した。
「彼氏いる?」
「……んえ?」
どんな質問かなとわくわくしていると、二の句が継げなかった。
「彼氏だって彼氏」
「……ど、どういうこと?」
「だから、彼氏いるか確認したいなと思って」
「……あっ、沙奈が彼氏をくれるっていう意味だよね、流石に」
「本当にそうだと思う?」
「……恋愛小説の世界では珍しいことではないね」
「そんな浅薄な言い訳で、わたしから逃げられると思ってるの?」
忽然に彼女はどうしたのだ。
急に『彼氏いる?』とかふざけている。
そうだ。これは彼女が戯けているだけ。勉強で疲れた頭を柔らかくしようとしているだけ。だから私は、一回寝るように促した。だが、当然彼女は首を横に振った。
「ふふ、わたしって他校のクラスメイトとも連絡が繋がってるんだよね。中学の頃仲良かったった友達が一杯いるから」
「……だから?」
「雪奈のクラスメイトのS君っているでしょ? あの子定期的にそのクラスの様子を教えてくれるんだ。でね、ある日雪奈に彼氏がいる疑惑についてのことを教えてくれたんだ」
「……出鱈目。デマだよそんなの」
「ほんとにぃ?」
「私が嘘つくと思う?」
「……これじゃあ埒があかないし、結論を言おうかな。……結論は、幸太と毎日接しているんでしょ」
もう逃げられないと判断したので、「実はね」と答えた。
「でも彼氏はいいすぎ。友達関係だから」
「ふーん」
夕方の講義を終了させ、私はスマホのメールアプリを開いた。
幸太に、さっき起きたことを話した。
『ついにバレてしまったかぁ』
『やっぱり不味かった?』
『仕方ないよね。地元の高校に通っている以上、噂が広まりやすいよね。別に問題はないかな』
ここで私はとあることを思いついた。
彼と沙奈を直接会わせてみたら、どうなるか。
きっと彼女は、幸太がどんな子なのか気になっているはず。勝手な考察だけれども。
『じゃあさ、一回会ってみない?』
『え? 僕が沙奈と?』
彼は壊れたように、ランダムにひらがなを送ってきた。狼狽しているという意味だろう。
『会う意味なんてあるかな?』
『沙奈がどんな人か気にならない?』
『全くだね』と彼は、沙奈と会うことを拒んでいる様相だった。
でもどうにかして会わせたい。
『やっぱり、ダメ?』
『逆に沙奈の意見はどうなの?』
と返ってきたので、本人に訊ねてみることにした。
「幸太と会ってみたい?」
「雪奈の彼氏候補……」
「もういいってそれはっ」
「回答としては……どうなんだろう。わたしは基本どんな子とでも喋られるタイプだから、会ってみてもいいかもね」
と、幸太と会ってもいい意向だった。
このことを彼に連絡した。
『会うしかないのか』
『別に強制はしないよ』
今度は句読点が幾度となく送られてきた。再考中という意味だろう。
数分後、返信が来た。
『仕方ないなぁ。会ってやるか』
思わず興奮で手が震えた。
早急に彼女に報告する。
「ねえねえ、幸太と会えるとこになったよ」
「へー、それは嬉しいなぁ」
一瞬彼女は悪戯っぽい顔をしたが、すぐに喜悦に満ちた表情になった。
「いつ会うの?」
「まだ決まってないから、要望ってある?」
「明日でいいんじゃない? 早めに終わらせというた方がいいと考えるから」
「よし、幸太にも伝えておくね」
「うんっ、楽しみに待ってる」
丁度明日は、彼のゲームのリリース日だし、丁度良い。
彼に伝えたところ、意見が通った。そして集合場所は、彼の家の近くにある市民公園。
保険として私もついていこう。
「ちょっとごめん。何か緊張してきた……」
家を出る時、彼女は玄関で佇立した。些か彼女の体が震えている。
「大丈夫?」
「うん、何か悪心が感じなくもない」
けれど、外に出てみると彼女は「治ってきた」と安堵したように喋った。
「あ、あの子だよね?」
市民公園には、幸太の姿が見えた。木に隠れて私達は覗いていた。
彼女はスマホのカメラで、幸太がいる部分を拡大させていた。
「そうだね。言っちゃあれだけど、無地の服とズボンは正直ダサい」
ぷっ、と彼女は吹き出した。こんな私のつまらないジョークなのに。
「さて、彼は待ってくれている訳だし、そろそろ意を決して行こう」
「…………よし」
勇気を出したのか、彼女は公園に向かって歩き出した。
あえて私は彼女の後ろを尾行する。
「あ」
近づいていって、二人は目が合うと、ほぼ同時にそう漏らした。
ちなみに私は、近くの滑り台に隠れて覗いている。今日のメインは、私ではないから。できる限り、二人きりにさせる。
「あの……おはよう」
彼女が先手を取った。お互い、幾分緊張しているような面持ちだった。
「は、はじめまして。と、お、おはよう。えっと、矢野沙奈さんだよね」
「うん、そだよー」
と、ここで流石は私の妹と言うべきか、柔軟に早く状況を理解して、いつも通りの沙奈に直した。さっきの彼女の緊張は演技だったのだろうかと思うほどだ。
ただそれが仇となったのか、彼の緊張が増している気がする。
関係ないが、私はほとんど緊張していない。どう会話が進むかちょっと緊張しているだけ。
「あ、その……どうする?」
少しずつ彼は、状況を読み取っているように思える。
「どうするって、まずはオタくんの家に行くんじゃないの?」
「えっ?」
『オタくん』と呼ばれていた。僻んでいる訳ではないが、出会って数分でその呼び方をすることに衝撃だった。
……あれが一軍の世界?
「あ、ごめーん。嘲笑してる訳じゃないんだけど……まあそう呼んだ理由は後々でいっか」
「……正直、勝手にあだ名をつけるのはやめてほしい……」
と彼が懇願していたが、「許して。この名前が気に入ったの」と彼女は言い張った。
……彼が許すならまあ問題ないか。
さっきから気になったのだが、私の存在が忘れられている気がする。
と不安が頭をよぎったけれど、彼らがここをあとにする時、彼が私に向けて手招きをしてくれた。決して忘れられている訳ではなさそうだ。
「矢野さんはゲームとか好き?」
「回答する前に、わたしのこと苗字で呼ぶんだね。それだと、雪奈と区別つかなくない?」
「雪奈の場合、下の名前で呼ぶから区別はつくよ」
「ややこしいなぁ」
「……僕が知っている九十九パーセントの人は『君』と呼んでいるから、マシだと思いな」
「ふーん。で、さっきの質問に答えると、ゲーム好きだよ」
「おお、それは僕と気が合いそうだ」
その後、何のゲームが好きという具体的な話になった。
そんな感じで話していると、彼の家に着いた。
彼らが入ったので、私も入る。
「ここが僕の部屋」
彼がそう言いながら、ドアを開けた。
「おー」とか「わー」とか彼女が内装を感嘆している中、私は入ろうかどうか戸惑っていた。ただ彼女が、「入れば?」と誘ってきたので入った。
「この部屋に女子高校生二人……異常だ。姦しい」
彼は幻覚でも見たような、呆けた言い方で呟く。
そういえばここに二日連続で来たけれど、何も違和感は感じなかった。
まずは三人でレースゲームをする。
「うわぁ、ここ悪路だなぁ」と彼女はゲームにのめり込んでいた。
「ゲームの仕様には逆らえない」
わいわいとゲームをした。意外にも早く彼女と彼は、もうこの雰囲気に慣れたらしい。
「ちょっとお手洗い行ってきていい?」彼に許可を求めると、「どうぞ。三文字目の二画目の丸部分をハサミで切って無くす」と返した。
「さてと、僕の新作ゲームの準備でもしよう」
「あっ、そういえば作ってるとか言ってたよね」
「そうだよ」
机の上を整理して準備する。
彼女が戻ってきたので、まずはゲームの説明を彼がする。
「このゲームはBコロ。まず名称確認なんだけど、この紙切れを『コマ』と呼ぶ。使用道具はこれに加え、のりとクリップとピンとハサミ。そして、コマの枚数をメモできる物。コルクボードを机に置いて、その上でプレイする。ゲームを開始する時、このように準備をする」
プレイヤーの前にコマ十枚とメモ帳を置く。中央には文具を置く。
ちなみに初期装備のコマの枚数は何でもいいが、彼曰く十枚が適量らしい。
「土台ルールは、プレイヤーは五マスまで使える。五つ自分の手札でコマを置く場所があるってこと。自分の右手側を一番と数えて、左に並べる」
例えば、横に二枚ずつ自分の手札に並べることができる。
ただし使えるマスは五マスまで。
簡単に言うと、横に六列以上並べることができない。
右手側が一番、左手側が五番とする。右側から左側に数えていく。
「基礎ルール。自分のマスのコマを相手のマスに動かしたり、相手のマスのコマを自分のマスに動かしたりできる。また、無の状態、つまり文具を使っていない素の状態のコマを重ねることもできる。それは一ターン一人一回までだけど、自分のコマを手札内で動かすだけなら、何回でもできる。あと、自分のターンの時に何もしなくて次の番の人にパスすることも可能」
例えば、私の四番目のマスにある二枚のコマを、相手の空いているマスに動かすことができる。
また、重ねるこもできる。
ただ、一マスのコマの上限は十枚までなので、超える場合重ねられなくなる。
「道具のルール。のりはコマをくっつけて、離れさせないようにできる。自分のターンの時、何回でも使っていい。クリップは一時的にコマをくっつけることができて、自分のターンの時外すこともできる。ピンは、コマを固定して、動かせないようにする。自分しか操作不可。その二つの文具は、自分のターンの時一回しか使えない。ハサミは、一人ゲーム中に一回だけ使える。使う時は、コマを対角線上に切る。そしてそれを場外に捨てる。ただし、クリップやピンがついているコマには使えない。初期装備は、ピンとクリップ一人一つずつ。その四つの文具は、自分の手札にあるコマにしか使えない」
ちなみにこのゲーム内での専門用語がある。のりがついたコマを『のー』クリップがついたコマを『クー』、ピンで刺さっているコマを『ピー』と言う。
ゲームを快適にプレイするための『略語』というやつ。
別に覚えなくても、ライトユーザーなら支障はそこまでない。
肝心の勝敗はどうやって決めるかについて訊いてみた。
「枚数勝負。基本はターン終了後一番多くコマを持っていた人の勝ち。ただこのゲームは『革命』という要素がある。フィールド上……コルクボードの上にクリップとピン、両方ついているコマが一個ある場合『革命』が起きてルールが逆転、つまりターン終了時一番コマの枚数が少ない人が勝利になる」
フィールド上のそのコマ、『アンテナ』が二個になると、革命が起きてルールが戻る。
数学的に言ったら、アンテナが偶数ならルールが逆転。
奇数ならルールが元通りになる。
「メモは、自分のコマに変動があった時に書く。おすすめは、表を作って下にどんどん書いていく。表の上には一番目から五番目を、左にはターン数を書けば上手くメモができる。文具の付加があるコマは、『クー5』のように、枚数もつけて書くといい」
「さ、ルールを衍義したことだしプレイするか」という促しで、プレイすることになった。
最初、手札にあるコマをどう並べるかは自由。
並べてメモをし終わったら、スタート。
最初なのでターン数は『1』にした。まあ、初見だしね。
とは言え、どうするかが鍵になってくる。
コマを動かすのか。
文具を使うのか。
パスをするのか。
革命をするのか。
このターンの間に、革命をするのは厳しそう。だから、一番コマを持っている人が勝つことになりそう。
ということは、相手のコマを取るか妨害するかのどちらか。
ここはシンプルに、彼女のコマを取ろう。
「あー取られた」と言いながらも彼女は、コマの枚数が変動したからメモ帳に記していた。一方彼は、変動していないので書かなくていい。まあ、必要なのは最終的な枚数の結果だし。
次は彼。流石は彼と言うべきか、文具を使っていた。
まず、彼の全てのマスにあるコマを、のりを使って紙同士が離れられないようにした。
そしてピンを使った。
「鉄壁完了っと」と彼は言っていたが、一ターンしかないので多分意味はない。私達に見せるためにあえて使ったのだろう。
案の定私のコマを取られた。
最後彼女は、思った通り彼のコマを取った。
結果は、彼女の勝ちだった。とはいえ、このゲームはターン数が長ければ長いほど戦略性のあるゲームになりそう。
「コマは正直紙であれば何でもいいから、いらないチラシや新聞紙でもいい。コマは正方形であれば大きさは何でもいい。電子ゲームより余程エコなこのゲーム、中々面白い物作っちゃったなぁ」と彼が一人で呟きながら机の上を片付ける。
このゲームは、ピンとかクリップの個数を増やしてみても、面白そうだ。
……そうか、もうそろそろ帰らないと。
「雪奈さ、先に外出て待っててくれない?」
私も片付けの手伝いをしようとした時、彼女にそう言われた。
「え? 何で?」
「オタくんと二人きりで話したいことがあるから」
よく分からないけれど私は、先に家を出た。
二人きりってことは、私には教えられないほどの重大な話?
……うーん、何だろうか。
「暑い……」
数分後、屋根があるとはいえ暑い。
……まだ話は終わってないのだろうか。
『外』っていうのは、自分の家から出たらそこは『外』なんだ。
だから彼の家の中は『外』である。
ゴリ押しの考えを持って、私は彼の家に戻った。
「いい? わたしが全部やるから、放っておいていいの」
「でも……せめてどんな作戦か教えてくれないと」
「だーかーらっ、大丈夫だって。この雪奈の妹であるわたしが計画した作戦なんだよ。失敗する訳ないじゃん」
階段を上がろうとしたところで、そんな声が聞こえてきた。
作戦会議のような静かな会話ではなく、どちらかといえば大声で言い合っていた。
更に進もうと思った時、ドアが開く音がした。
……見つかったら面倒なことになりそう。
足音を立てずに素早く外に逃げた。
「あー、ごめんごめん。ちょっと遅くなっちゃった」
「いやぁ、矢野さんと会話が盛り上がって」
沙奈と幸太が遅れて家を出た。
二人とも、何事もなかったような表情と声色だった。
「雪奈さ、ここから動かなかったよね?」
満面の笑みで彼女は訊いてきた。
一瞬、体に嫌なものが走った。
……バレてないよね。
「う、うん」
「そう」
嘘をつくしかなかった。
どこか、恐ろしさを感じた。
幸太と解散した。
夕方。
彼女がお風呂に入ろうと、リビングから出た時。
「ねえ」
「何?」
「今日さ、帰り幸太と何の会話してたの?」
ぷっ、と彼女は吹き出した。
「ちょっと刺激的なこと」
それだけでは曖昧。
こうなったら、幸太に電話で訊いてみよう。
「今日の帰り、沙奈と何話してたの?」
『雪奈の黒歴史を教えてもらった』
「はあ?」
だから、私を外に出させたのか。
私の黒歴史といえば、中学の頃のボッチ飯だったり体育祭のリレーで自分が走っている時だったり……。
……うーん、本当に黒歴史の話だっただろうか。
論点がかなりズレている。
「うわぁ、あとで沙奈のこと叱咤しておくねー」と言って電話を切った。
現状、特に手がかりがない。
ノートに今日の出来事の要点をメモした。
さて、今日で全て暗号が解けるはず。
もしかしたら、何かの手がかりとなるかもしれない。
現在、『いじぬ』となっている。
ヒントが散りばめられていた。
初めて文房具暗号を発表した時の帰り。
彼とプライベートでお出かけした時の帰り。
彼がノートを見せてきた時。
彼と初めて食べ放題に行った時。
そして今日の、沙奈がお手洗いに行った時。
あれはつまり、『ぬ』を『め』に変えるということ。ハサミで紙を切り、『め』にした。
…………って、待てよ。
浮かび上がった言葉は『いじめ』だった。
『僕はいじめられたことがある』
これが完成された文。
蒸し暑かったはずの私の部屋が、途端凍りついた。
時空が止まったような感覚に陥った。
……………そんなはずがない。
……でも、もし本当なら?
……これで助けを呼んでいるってこと?
もしそうなら、一体誰に?
少なくても、この文房具暗号を私に伝えた時より過去。
……誰だよそんな酷いことする人は。
許せない。
確かに彼は、おかしいなとは薄々感じていた。
人と関わるのは避けがち。
きっとこれが関係している。
明日私は、この核心について彼に迫ろうと決めた。
翌日。
市内の公園で待ち合わせ。
……いじめられていないよね?
何だか怖くなってきた。
足が鉛でできたように、重くなる。そして、変な汗が流れてきた。
きっと、暑さで体が麻痺しているだけ。
うん、絶対そうだ。
それか、『いじめ』でまだ終わりではない。
そう考えると、安心してきた…………あれ?
幸太が誰かと話している?
もうちょっと近づいてみると、知らない男子二人組がいることが分かった。
…………幸太がいじめられているような……。
目を凝視してみると、一人が幸太をいじめ、もう一人がそれをお菓子を食べながら傍観していた。
……許せない。
心の中で燃えるような感情が発生した。
……でも、この私が助けられる?
結構相手は強そうだ。私みたいなか弱い女子が突っ込むと、返り討ちに遭いそう。
……怯んでいる場合か?
このまま何もしないと、幸太が危ない。
私は彼の友達。
ここで助けないとか、そんなの裏切り者じゃないか。
意を決して私は、更に近づく。
私の存在に幸太は気づいたのか、手で小さくバツを作った。
来ないで、という意味だろうか。
…………。
「あ、来たらダメ……」
「誰だてめぇ」
性格の悪そうな二人に睨まれる。
彼らの鋭い眼光に私はたじろがない。
「何してんの?」
「偶々元同じ中学の幸太に会ったから、いじめてただけだよ。てめぇには関係ないだろ。ほら、どっかいけ」
「……どっかいかないし」
「はあ? てめぇなっ……」
ベンチに座っていた男子が立って、私を殴ろうとした。
ここで私は……。
「お前はポイ捨て禁止!」
足で横蹴りをした。
「うわっ」
「お前のせいで公園が汚染されるの!」
幸太は唖然としていた。
……あと一人残っている。
「クソガキ、ふざけやがって……」
襲いかかって来た。
……チャンス。
「お前は……幸太をいじめるの禁止!」
二歩下がって私は、思いっきり右足を彼の股に目掛けて蹴った。
「……あっ」
「さあ、逃げるよ」
「え? う、うん」
彼の手を掴んで、近くの路地裏まで走った。
「……雪奈、ヤバいよ。あれは刑務所行きだよ。格闘ゲームを彷彿とした立派な暴力で、恐怖を感じた」
「……正当防衛だし。大切な人を守るのは当然でしょ……」
「……そう」
後から気づいたが、彼の服は汚れ所々傷があった。
「あの子誰?」
「…………僕の元いじめっ子。偶々遭遇して、逃げようと思った時はもう間に合わなかった」
私はいつも、何か事件が起きた時のために消毒と絆創膏を持ち歩いている。
ティッシュに消毒を濡らし、傷部分に軽く当てる。
そして、絆創膏を使って、彼の傷部分に貼っていく。
この作業が楽しいとは全く思わない。
むしろ苦痛。
「ねえ」
「うん」
「あの文房具暗号、この通り『いじめ』でしょ?」
その証拠となる紙を彼に渡した。
彼は目を丸くさせ、少しの沈黙の間話す。
「…………正解。正解できないだろうと思ってこれを出したのに……」
「バカにしないで!」
傷を治している途中なのに、衝動で彼の頬を平手打ちしてしまった。
「……酷いよ。何でいじめられた過去があるって教えてくれなかったの?」
「…………もし教えたら、皆離れていくし……」
「そんなの……決めつけだって」
少なくても私は離れない。
「雪奈も……いじめられていたことがあるんだろ?」
目眩がして、頭に過去の自分が浮かぶ。
私が中学生の頃、彼と同じくいじめられていた。
これは二年生のとある日。
「死ねよ邪魔だなぁ」
「…………」
私は、同じ学校で喋られる生徒は沙奈ぐらいしかいない。そして彼女は、別のクラス。だから、助けを中々呼べない。しかも彼女は、双子とはいえ私にはほぼ興味を示さないので、学校中で会話するということ自体が困難。
「おい、これよこせ」
無断で筆箱を盗まれた。
よく私の悪人から筆箱を取られる。盗まれた時の被害を減らすために、百均で買った物やとか沙奈のお下がりを使っている。
「……返してよ……」
「『返してよ』だってー。マジだっせぇー!」
クラス中がどっと笑う。
誰も私の味方なんていない。
皆私の敵。
大嫌い。
「ねえ、聞いてる?」
「……ああ、えっと、何?」
彼の言葉で我に返った。
彼は深いため息をつく。
「一つ、僕は雪奈に隠していたことがある」
「それは?」
「実は、僕はそこまでコミュ障じゃないんだ」
「へ?」
確かに彼は、私と比べコミュ力はあると前から感じていた。
それなのに、私以外の人間とは避けがちの態度を取っていた。
「中学の頃、友達は数十人ほどいた。けど、人と関わるっていうのは、相手の棘を受けることもあれば、自分の棘を相手に喰らうこともある。……僕はそれに疲弊したんだ。だから、僕は安全を取るために人と関わらないっていうのを選んだ」
いじめられたっていうのは、彼の中学は治安が悪く、いじめっ子に目をつけられたからいじめられたのだそう。
だから彼は、昨日沙奈と会った時だってそこまで会話が滞ることはなかったのか。
もう雪奈以外の人と関わらないでいいかな、と呟いた彼に反論する。
「無理して嫌いな人と関わらなくていい。その棘は、仕方ない物。でも、その棘が怖いから人と関わらないっていうのは違うんじゃないかな。きっと人間関係は、棘を受け取って与えての繰り返しで、磨かれるんだよ」
「…………」
「もう恐れなくていいから」
彼に微笑んでみせた。
すると、普段泣かない彼が一滴の涙を流した。
その後、予定よりちょっと遅れてしまったけれど、隣の県にある動物園に行った。
千差万別の動物を見られて楽しかった。
もうその時彼は、涙を流していなかった。
彼は本当は強い人だから。
このことを沙奈に話してみた。
「人間関係は……笑顔でいると、周りに幸福を与えられる。だから笑顔を大事にせよ。これが私の長年の考えかなぁ」
と彼女は述べた。
だから彼女はいつも嬉しそうなのか。
……今日のあの時、私の顔は怖かっただろうなぁ。
人間関係において、笑顔を作ることは大事。
極力私は笑顔でいようと思った。
少しずつ彼は、過去の自分を取り戻していった。
分かりやすい変化は、沙奈と張り合えるぐらいのコミュ力になったこと。
私よりコミュ力が高いっていうのは純粋に悔しいが、彼の成長を感じられて嬉しい。
一週間後、沙奈と幸太と私の三人で近所の海に行くことにした。
海は透明に透き通っていて、綺麗。
わー、すごい夏って感じがする。
「見てて、わたし泳ぐから」
そう言って彼女は、汚染されていない綺麗な海に飛び込んだ。そして、泳いでいく。
「さてと、次はどっちがダイブする?」
運動音痴な私と彼だが、実はお互い幼い頃に水泳を習っていた。だから、ある程度は泳げるのだ。
「ダイブするかぁ」
「いいから行ってこいっ」
彼の背中を優しく押して、海にダイブさせた。潜りながら泳いでいて、少しの距離泳いだ後、顔を出した。
「絶対許さん。僕みたいにダイブさせてやる」
彼はそう宣言して私のところまで戻っときた。
「えいっ」
「ひゃっ」
変な声を漏らしてしまったが、何も体に触れなかった。
「まんまと騙されたねー」
「ねえ、もう一回落としていい?」
「どこに? 奈落? それとも……」
「そんな訳ないでしょ」
くだらないことで戯れあっていると、沙奈が戻ってきた。
「二人とも全然来ないじゃん。特に雪奈とか、体ほとんど濡れてないし。何してたの?」
「泳ごうとしたんだけどね、妨害されたの」
「妨害を先に始めたのは僕じゃないし。何矢野さんを騙してるんだ」
「騙してないし」
「嘘つけ……えっ」
彼女は彼の背中を押して、海にダイブさせた。
……ん? 足で蹴飛ばしてダイブさせたように見えたが気のせい?
そんな訳ないか。
「こういう風に、思い切ってダイブしないとダメだよ」と彼女はにんまりとした表情で言った。
促されたのでダイブした。
泳がないで戻るっていうのは反則だと予想できるので、結構遠くまで泳いで戻った。
「いやぁ、スイミングは楽しいなぁ」
屈託なく彼は呟く。
「じゃあさ、誰が一番早く泳げられるか、競争しない?」
「それいいね」
「賛成ー」
彼の提案通り、競争した。いい勝負だった。
こんな感じで楽しんだ。一時間後、空腹かつ疲れたので、何か食べることにした。
ここは県内で結構有名な海水浴場なので色々店がある。
やっぱり、日照りが強いので何か体を冷やすものがいい。
だから、かき氷店に向かった。
「これぞ夏だなぁ」
さっき砂浜に建てたテントの中で、かき氷を食べていた。
私のかき氷はレモン味で、かき氷の上部が黄色く染まっていた。ほのかに爽やかな匂いがし、甘酸っぱい味が体を冷やしてくれる。
「だねー」
「夏休み終盤に、花火大会が待っているし、遊びの夏だね」
彼女は学校の成績が良かったので、夏休みの瑣末だと思う補習が撤去されたらしい。と言っても、定期的に私の講義はあるけれど、最近それがなくても彼女は自主的に勉強するようになった。だから、もう少し減らそうかなと考えている。
ちなみに私は、遊びすぎると偏差値が落ちるのが怖いので、勉強は手を抜かずに毎日きっちりする。
「そういえば、これあげるよ」
帰る時彼にとある物をもらった。
十ミリの方眼ノートで、四マス分。プラスで一マス渡された。合計、五マス。
「文房具暗号、二回目」
ああそういうことか。そういえばそうだ。
「何も書かれてないけど……」
「それは雪奈に対する僕の気持ちが隠れている。四マス連結している方に赤字で書く。いやぁ、完成されるとあれだなぁ」
と彼は言っていた。
引き続き、ヒントを聞き逃さないようにしたいと決めた。
「あっつーい」
隣の県の観光名所を巡っている時。沙奈が暑そうに嘆いた。あれ、彼女は寒がりじゃないのだろうか。
でも確かに、今日は結構暑い。
額には汗が流れていた。
タオルで何回拭き取っても、また復活する。
不快感があり、この執拗さは好きではない。
「僕は二つ良いアイテムを持ってるんだけど、欲しい?」
「欲しいっ」
何だろうと微かに期待していると、うちわだった。
「こんなので、涼めるかよっ」
彼女がうちわで大きく仰いでいたが、熱風が来るだけ。
ハンディファンと同じように、風系の物は熱風が来てしまう。
これでは、逆効果。
今三人で冷やし中華の列に並んでいるのだが、まだまだ私達の番にはならなそうだ。
屋根がなく、直射日光は苛烈。
「こんな物、返品。罰としてダジャレ言ってよ」
「えー、急に何だよ」
「じゃあ、言い出しっぺの沙奈がダジャレ披露してよ」
「はあ? こんな瀕死状態のわたしにやらせるっていうの? 許せないなぁ」
という風に、ムードメーカーであるはずの彼女が嫌がっていた。
ダジャレをして涼しもうという魂胆?
つまり、凍るぐらい冷たいダジャレを彼女は求めている。
ダジャレを披露してしまうと、つい私達を笑わせてしまい、かえって暑くなることを懸念しているのだろうか。
一方幸太は、何か私に期待しているのか、目を輝かせて見つめてくる。
おそらく、助けを求めているのだろう。
今求めているダジャレは、究極にくだらないダジャレ。
別にダジャレを今するという決まりはないけれど、私はダジャレを披露することにした。
「うちわは、うちは持っていない」
途端、苦笑と小さい拍手が聞こえた。
思わず私も苦笑してしまった。
「それ、ダジャレって言えるの?」
「あはは、どうだろう」
ああ、忸怩たる思いで心が満たされる。
でも、こういうの好き。
つまらなかったとしても、二人は反応してくれた。
嬉しい。
「そういえば、二つ目の良いアイテムって何?」
「ああ」と思い出したように彼は反応した。
「これだ」
何かと思ったら、下じきだった。
「これで仰げっていうの? うちわとほとんど変わらないじゃん」
「いや、その下じきを甘く見るのは困る」
「え?」
「これは……」
「うん」
「ただの下じき」
「ただの下じきかいっ」と彼女は些か落胆したように言った。
「そう。このポリ塩化ビニルというプラスチックでできた下じき。いたって普通」
「そんなのでわたしを涼しめられると思ってるの?」
「いや、これはそういうのじゃない」
「あっそ」とつまらなさそうに返事をしたが、他にすることがないのでその話題に食らいついてきた。
「だけども、この下じきには特殊な能力を秘めている。右から一番目と四番目のマスを塗りつぶす。ここで第六回ミッションを課す」
やっときたか、という安堵とわくわく感に満ちた私と、状況がいまいち把握できていなくて狼狽している彼女がいた。
「あー、矢野さんには関係ないから」
「あ、そう」
やっぱり自分には用はないのか、という風に唇を尖らせた。
今回のミッションは、『下じきを使う』の意味を考える。
……何だか、そろそろ最終回になりそうな予感。
不服そうに頬を膨らませている彼女に話題を振る。
「沙奈さ、下じきってどう思う?」
「雪奈の上に乗って雪奈を下じきにしたい」
「そっちの方じゃないよ」
「なるほどね。まあ、下じきっていうのは、簡易的な机みたいな物じゃない? 凸凹した地面の上にそれを置いたら、大分凸凹は緩和されるし」
彼女にしては中々良い考え。
空中だとしても、下じきの上に紙を置いたら、普通に書ける。
ノート類に使うと、更に筆記時の安定感が増す。
これが下じきの魅力ではないだろうか。
他にも似たような物では、バインダーやファイルも挙げられるだろう。
「何か二人……特にオタくんさ、やたら文房具に関する話多くない?」
彼女は続ける。
「そういう何か……マイナーっていうか、コアな物にハマっているのかなって」
それを聞くと彼が首を傾げた。
「文房具をマイナーな系統だと考えるなんて……まだ魅力に気づけてないようだ。沼に入ってみない?」
「いや、いい。結構」
彼女はかぶりを振った。
「……あ、そういえば二人の分の日傘預かってたんだ」
荷物が嵩張るから、とここに行く前に私と彼女が彼に渡した。
「えー?」
彼女は目を見開いて驚いていた。
その後、自分の傘をもらったので、憚らないように開いた。
が、このタイミングで列が進み、店内に入ることができた。
日傘あったのになぁ。
彼女は店に入るまでは苛立ち気味だったけれど、いざ店内の冷房が効いたところに足を運ぶと、自然と彼女は機嫌が良くなった。
さて、今日のうちにミッションを終わらせておこう。
『何のため』だが、これは安定な筆記を得るため。
そう、安定するために。
下じきは、紙を支えている。
だから『下じきを使う』の意味は、支える、という意味。
これで正解した。
「あー、とうとうここまで来てしまったか」
彼はどこか儚そうに呟いた。寂しげでもあった。
「え?」
「ごめん独り言」と彼は付け加えたが、きっとミッションに関係することなのだろう。
もしかして次ぐらいで最終回?
可能性は充分にある。
一週間後。
今日は、幸太と二人きりでスケッチをする。
どんな絵を描くか。もう決まっていて、目の前に広がるリアス海岸。波が荒く、自然を大いに感じることができる景色。
ベンチに座って鉛筆で景色を描く。
夏休み中は毎日絵を描く、と決めているから、昔に比べ大分画力が向上した。
「鉛筆というモノクロでこの色鮮やかな景色を表現するのって難しいよね」
「さあ。色鉛筆の場合、使う色を選んで描かないといけないから、そっちの方が複雑で難しいと思うよ。それに鉛筆は、消しゴムで楽に消せるからいい」
「えー、絶対色鉛筆だけどなぁ」
「同床異夢だね」
「この話題に関してはね」
ちょっと会話して、絵に没頭する。
これを繰り返す。
一時間後、彼の絵が完成したらしい。
「完成っとな」
「え、めっちゃいいじゃん」
そう褒めてあげた。
ただ、私はまだ完成していない。あと、三十分はかかりそう。
これでは、彼が暇になってしまう。
だから「私の絵を描いてくれない?」と促した。
「へ?」
「どう? 今暇でしょ?」
「……モデルが動くから描きづらいよ」
と、彼は断ろうとしていた。
「それは仕方ないじゃん。あと、私は絵を描くことに傾注しているから、視線は気にしなくていい。上半身だけでもいい」
「……それでもヤだよ」
「どうして? あっ、もしかして恥ずかしいの?」
「僕の気持ちを煽るなら、この海に落ちて溺れるがいい」
「それは酷いね」
「僕に雪奈の絵を描かせるのも酷い。我儘な雪奈は大人しく人口知能の力を借りて絵を描いてもらったらいい」
「我儘じゃないしっ。てか、そうやって絵を描くのは反則じゃん。アナログを大事にするんじゃなかったの?」
「やっぱり僕の気持ちが込められた絵がほしいって?」
「うんっ」
「えー」
そんな感じで彼は渋っていたけれど、数分後には私の絵を描き始めていた。
「完成」
丁度、彼も完成したらしい。
「うわっ、すごこの絵!」
私を忠実に再現して描いていた。とても上手い。
「いやいや、そっちも上手いよ」
「そうかな?」
一ヶ月前より画力は向上したけれど、彼には勝てない。
「この幸太が書いてくれた絵は大切に持っておくね」
彼は呆れたのか、「お好きにどうぞ」と返した。
「そういえば、スケッチブックといえば紙……紙といえばノート。『ノートに文字を書く』の意味って話したっけ?」
「ぷぷ、恥ずかしいから話逸らしたんでしょ」
「うるせーよ」
戯けてみると、耳を強く引っ張られた。
「確かまだ話してなかったね」
「別にミッションにはしないけど、ぜひ聞いてほしい」
彼は述べる。
「まずノート……紙っていうのは、文字を書いたら文字が保存される。文字を書くっていうのは、ノートに情報を加えるということ。『ノートに文字を書く』の意味は、情報を加えてそれを保存させるっていう意味」
「……その情報って何のこと?」
「何かの思い出。例えば『ノートに、僕が海に行くことを書く』だったら、僕が海に行くという情報をノートに加えるっていう意味」
「ふーん。じゃあそれを過去形にしてみると、保存した……『僕は海に行った』という経験したってことになる?」
「中々勘が鋭い。……でまあ、ノートっていうのは脳のような働きをする。情報を取り入れてそれを保存する。ノートに書かれている情報を確認することもできる。脳に例えたら、記憶するっていうことと、思い出すっていうこと」
ノートは、全員一つだけ持っている。
「ただ、ノートと脳で一つだけ違いがあって……何だと思う?」
ちょっと考えてみる。
ノートに文字を書いたら、自然に消えるということはない。
ただ脳の場合、どうしても人間なので記憶が抜け落ちてしまうことがある。つまり、自然に忘れることがある。
これが違い。
「ノートに書くってことは、忘れてはいけない内容ってことだね。例えばベンチの下に生えている雑草の種類なんて、別にノートに書くほどの内容じゃない。だから、ここを去った頃にはもうすっかり忘れている」
花火大会当日。
さて、そろそろ行くか。
「どうしたのそのサングラス?」
彼女が玄関のドアを開けようとした時、そう訊いた。
「ああこれは、変装。絶対クラスメイトが現地にいるから」
途中でクラスメイトと出会して、連れてかれたら私の計画が壊れてしまう。
……私も変装しようかな。
あまりにも私の知り合いが多かったら、現地でお面か何かを買おう。
「逆に雪奈だって三眼レフ持ってきてるじゃん。ガチ勢だね」
「正味使い方は基礎的なことしか分からないけど、どうせ撮るならスマホのカメラよりこれだと思うから」
「と、素人が言っているねっ」
「黙れ」
どうやら幸太は、すでに現地で待っているらしい。花火が打ち上がるのは二時間後なので、電車が余程遅延しない限り余裕で間に合うだろう。
現地に着いた。早くから彼は、花火が見やすい特等席を確保していたらしい。
これは中々の優秀さ。
「やあやあ。二人のためにいい席取っておいたから
「うわー! やるじゃん。お礼に何か奢ってあげる」
「いや、そんなの……」
「いいからいいから」
彼女は彼の手を引っ張って、人の行列中に入って行った。
仲良くなったなぁ、と感じた。
嬉々としながら尾行する。
「ねえ、何奢ってほしい?」
「……うーん、そこまで言うなら、焼きそばにしようかな。雪奈もいいよね?」
「うんっ」
「じゃあ決まり。それを買いに行こう」
彼女はそう言って、なぜか幸太と手を離した。
「ん?」
「……折角だし、雪奈とオタくんの二人で手を繋いで歩けば?」
「え?」という私と彼の驚く声が重なった。彼女の顔はニヤニヤしていた。何か良いことを思いついたような感じだった。
「いや待って待って。そんなの……あれに思われるじゃん」
「そ、そうだよ。手を繋いでなんて、歩きづらいし」
「それって本音じゃないでしょ?」
「…………」
更に彼女は続ける。
「さあどうする。ここで手を繋がなかったら、あれ言っちゃおうかなぁ……」
彼女は卑怯な手を取った。
全く、何急にそんな究極の選択を持ってきているのだ。
さあどうしよう。
手を繋ぐか否か……。
「へ?」
なぜだか、手に温もりを感じる。ふと首を横にすると、彼は俯いていた。
「……ごめん。でもこうするしかなかった」
彼女と従事関係があるように呟いた。そんな関係ないはずなのに。
もしかして彼女は、私にバレないところで幸太に猛威を奮っている?
いやいや、流石にそれはあるまい。
そんなことより、手を繋がれている緊張感の方が勝っていた。何気に、彼と手を繋ぐのは初めて。
私よりちょっと大きくて太い手は、男の子っていう感じがした。当たり前だけれど。
屋台で売っている料理を幾つか食べた。
さて、あと三十分で花火が打ち上がる。まだ何かできそうなので、三人でぶらりとすることにした。
ここで彼が、射的に自信がある、と言ったので射的をすることにした。
「二人とも、何僕に取ってもらいたい?」
「お菓子かな。お菓子だったら何でもいい」
チャンスは五回。
小さいお菓子なら取りやすいだろうと思いそれを提案した。
「矢野さんは?」
「うーん、ゲームソフトかな」
「は? ちょっと沙奈それは流石に……」
「うん、オッケー」
彼は快く返事した。
ゲームソフトは中央にあり、目玉なのだろう。ただ、結構取りづらそうだ。
自信があると言っても、どれほどか……。
「はい取れたー」
片手サイズの箱に入ったお菓子を取った。
一発というのは、流石だと思う。
更に彼の勢いは止まらない。
「はい、一発で取れたー」
彼女の驚愕する声にふと顔を上げると、思わず私も驚愕した。
「嘘、でしょ……」
「すごーい。オタくん流石ー」
まさかゲームソフトを一発で取ってしまうとは。
彼は化け物。超人。
そんなことを強く感じた。
残りの弾は、彼女と私で交互に打った。しかし、一回も当たらなかった。もしかしたら誰でも取りやすい射的なのかと考えたけれど、違った。
あとは、金魚すくいもしたが三人とも惨敗だった。
「今日一番の目玉である花火でも見ようかな」
腕時計を見ながら彼は言う。五分後に打ち上がる。今から戻ったら、丁度良いだろう。
家を出る前に気になっていた、クラスメイトに遭遇する問題だが、気にしなくて良かった。人がまず多く、集中が分散される。クラスメイトを見つけたことが数回あったけれど、ちょっと手を振られただけだった。
先着順の特等席に戻ると、カメラを構えている人が多かった。早速私も、三眼レフを構える。
ドーン!
打ち上がる重低音がはっきり聞こえた。体の芯まで伝わり、迫力がある。
花火からの距離が近く、見やすい。
色鮮やかな花火を、カメラに捉える。
煌びやかな星が多数ある夜空に、カラフルな花火が打ち上がる。
「うわぁ、綺麗ー」
「ほんとにね」
二人の会話に、「三人で見れて嬉しいよ」と混ざった。
ちょっと会話して、花火に注目することの繰り返し。
数十分後、フィナーレが来た。ボリュームがさっきよりあり、豪華絢爛とはまさにこのことだなと感じた。
「圧巻だなぁ」
「目が奪われて、恍惚とするね」
二人の言う通りである。
今日で夏が終わってしまうという儚さより、感動の方が勝っていた。
ここで、いい質問を思いついた。
「二人ってさ、私のことどう思ってる?」
これを訊かずに今日を終えてしまってはいけない。
究極にシンプルで、私の人生の成果を確かめる質問。
まず彼女が答える。
「前に言ったことと似るんだけど……わたしの人生に必要不可欠な人物」
言い終えるとすぐに空を見上げた。
純粋に嬉しかった。
彼女との関係が、これでゴールではない。
もっともっと、色々な思い出を作っていきたい。
彼女の回答は分かったけれど、彼の回答が分からない。
あれ、声が聞こえてなかった?
もう一度同じ質問をしようとした時……。
「僕が雪奈に対して思うことだよね?」
聞き返してきたので、声が聞こえていたことになる。「そう」と短く反応した。
数分後、彼は空を見上げながら喋る。
「僕は雪奈に対して…………かな」
「え!」という彼女の嬌声と、最後の大きな花火の打ち上がる音が合わさって、重要な部分が聞き取れなかった。
「あ、ごめん。聞き逃しちゃったからもう一回……」
「ダメだよ。もう一回オタくんに言わせて、もう一回衝撃を体験しようとしてるんでしょ」
悪戯っぽい表情で彼女が阻止した。舌を出して、ピースしていた。
「違うってば……」
「…………」
彼は何も答えてくれない。
丁度さっきので花火が終わったらしい。
彼女の言い方に、プラスの言葉を彼は発したことは間違いない。煽るってことは、妬んでいるのだろうか。
まあ、それが何か分からない。私としたことが、肝心な部分を聞いてなかった。
「花火なんて久しぶりだったから、綺麗だったなぁ」
彼は話題を変えた。
「確かオタくんは、花火三年ぶりじゃなかった?」
「そう。ほんと三人でこうやって花火見られて良かったよ」
「来年はオタくんを花火の材料にしないと」
「何でそうなるんだ。じゃあ、来年矢野さんを夜空に飛ばして爆発させてやる」
くだらない冗談に笑い合う二人。
私の心は、虚しさが僅かにあった。
どうやってこの虚しさを拭おうか。
夏休みが終わっても、案の定消えなかった。
もうすでに二人は、いつも通りに戻っていた。
結局、夏休み中に次の文房具ミッションの告知はなかった。
夏休みが終わっても、このもどかしさは消えなかった。
