消しゴムを使いたい君に

 二週間後の金曜日、夢を見ていた。
 これは私が幸太と出会う前のある日。

「見て見てー。これがわたしの友達のMちゃん」
 寝る前、沙奈にスマホを見せつけられた。画面に、可愛らいしい子が写っていた。背景は教室だった。
 ……あれ? 授業している最中に撮った写真のように見える。
「……あのさ、盗撮はいけないよ。しかも授業中だし。しかもしかも、その高校はスマホは持ち込みという校則なのに。マジでバカの三乗なの?」
「あははっ」と、叱っているのにも関わらずおかしそうに笑った。
「雪奈さ、悔しいんでしょ」
「何が? 少なくても、授業態度に関しては私の方が紗奈を凌駕してるって言える」
「友達の話にしてるのに授業の話って……だからガリ勉なんだよ。だから友達いないんだよ」
 恒例の、友達マウントに呆れてきた。
 彼女は私にマウントする程暇なのだろうか。
 実に幼稚な暇潰し方法だ。
 今だに友達がいないのは、危機感を持っている。でも、仕方ないじゃないか。
 それなのに、毎日のように見下してくる彼女。事情を話しても、笑われるだけ。
 彼女のせいで、友達を作る気力が薄れていくのだ。
「もし雪奈に友達できても、絶対上手くいかなくてすぐ別れる、と断言できるから」
 …………。
「あれあれぇ? 急に黙った……え? わたし悪い? うん、どこかなぁ……」
「全部!」
 早歩きで自分の部屋に向かった。
 乱暴に部屋の扉を閉め、ベッドに倒れた。
 鞄を持って、ここをあとにした。
 ここで一つ気になることが起きた。
 電車を待っている時、なぜか周りの人がくすくす笑っている。何に対して笑っているのだろうとふと疑問を持つと、私だった。
 もしかして、パジャマで来てしまった?
 と不安がよぎったが、そんなことない。もしパジャマを着ていたとしても、これ程笑わないはずだ。
 結局原因は分からないまま、学校に着いてしまった。
 もしかして今日は、注目の的に豹変する日? いつもは影ぐらい注目が浴びないけれど……。
「ぐふ、何見せびらかしているんだ?」
「きゃっ」
 私の背中を勝手に触られた。
 もしかして揶揄いか?
 うわぁ、それなら嫌だなぁ。
 恐る恐る後ろを振り向くと……幸太がいた。密かに気になっている人。
「これ背中に貼ってた」
「え?」
 紙切れを渡された。彼は去って行った。
 その紙切れに視線を落とすと、稚拙な虎の絵が描いてあった。『わたしが描きました!』という文字も加えてペンで書かれていた。
 はあ?
 こんなことする人は、沙奈しかいない。
 人目なんて気にせずに、私はその紙を破いて、幾度も踏み潰した。
 彼女の人生を消してしまいたい。
 彼女なんか、この世界にいらない。
 殺したい。

 この時から既に、幸太のことは気になっていた。何気に、彼に初めて話しかけられた。ただ、その時の私は、沙奈に対しての怒りの方が強かったので、そこまで嬉しくなかった。
 そして一週間後に、話しかけたという訳になる。
 …………。

 アラームの電子音が忽然鳴り響いた。
 今眠たいのに、邪魔するなよ全く。もー。
 きっとこれは沙奈の仕業だ。幾度、沙奈が深夜に鳴るよう設定したアラームに起こされたことか。実に睡眠妨害はやめてほしい。「やめてよー」と呟いてもう一度眠った。

 私が何で幸太みたいな三軍男子に関わっているのかと、時折思うことがある。いや、私から始めたんだ。
 私に友達がいるという実績を作るために。それで、周囲に私がボッチだとは誤解されないようにするのが目標だった。彼と関わろうが関わらまいが、スクールカーストの位置が落ちることも上がることもない。
 じゃあ、私はどうするか。
 一つ目、幸太と別れる。正直これは、幸太以外友達の候補になりそうな人がいない私にとって、リスキーすぎる。
 二つ目、沙奈の友達を奪い取る。沙奈が認めた友達は、一級品だと賭ける。いやこれも、正直意味が分からない。沙奈が紹介してくれたら可能性はあるが、おそらく失敗に終わる。
 三つ目、幸太との関係を深める。これが一番の有力候補だと考える。
 どれぐらい関係を深められるかは、マックスで恋人までできる。けれどそれは限界値で、私が彼を恋人にできるとは限らない。私の接し方次第では、関係が悪くなるかもしれない。それがラブストーリと言うのだろう。強い恋を求めるほど、相手からの強い嫌悪が返ってくるかもしれない。
 正直恋愛なんて、小説で登場する人物に感情移入して、模擬的に恋愛したことがあるだけ。そう、『模擬的』にね。
 ……あ、そもそも私と彼は友達契約をしているから恋人にはできないのか。
 ここで、そもそもなぜ私はこういう風に、自分の地位を上げようとしているか話そう。
 …………。
 地位さえ上がれば、私という名が広まり、近寄って来る人が増える。そうすれば友達ができていき、孤独と感じることが自然と少なくなる。
 と考えられるからだ。
 
 眩しい朝日で私は目が覚めた。朝は、カーテンを開けて日光を浴びるという、私の習慣があるから……。
 七時五十三分。
 ふと一瞥した壁掛けの時計に、そう針で示されていた。「あ、終わった」と漏らしながらベッドに向けて倒れた。
 何沙奈のせいにしてるんだろう。バカすぎる。
 はい、終わった。はい、終わった。わーい。
 ……っておい、諦観している場合か。
 学校を休むなんて、自分のプライドとして許せないこと。
 遅刻は免れないかもしれないが、とにかく急がないと。
 結果は……間に合わなかった。このことは案の定、幸太に理由を詰問された。でもこれが嫌ではない。こうしているだけで周りから、少なくても私と幸太は『三軍』だと思われているのだ。別に、沙奈みたいな『一軍女子』を目指している訳ではない。三軍にも属していない、『場外』が嫌なのだ。周りから、空気を見るような目で見られる。だから、人間として認識してもらえるように、彼と協力して『三軍』になっているのだ。
 中学の時が本当に『場外』だったから……。
 と、ここで私は幸太を道具としか思ってない、と批判的な意見が出るかもしれない。自分の利益重視で、自分勝手だ、と。
 が、そんなつもりはない。
 私は彼の気持ちを優先して上手くやっているだけ。
「このノート見てどう思う?」
 授業のノートかと思ったら、違った。
「何これ?」
 一ページに、『雪奈』と『沙奈』と間隔をあけて書いていた。他のページには、クラスメイトの名前がずらり。
「ここに、その子の特徴を書くんだ」
「え?」
「小説っぽく言ったら、人物像っていうやつなのかな。定期的にこれにメモしている」
「例えば私だったらどんな特徴があるの?」
 そう訊くと彼は、私の項目に『勉強大好き人間』と書いた。別にそこまで苛立たなかった。
「こういう風に使っていこうと思う。やっぱり、頭の中で整理するのは難しいからね」
 私もやろうかな。
 そう思い、とりあえずノートに『幸太』と『沙奈』の項目だけ作った。
 何か気づきがあったら、これにメモしよう。
 
 昼休み、彼と購買に来ていた。今回は彼が負けたので、彼が私の分を奢る。
「二文字目は『し』。何欲しいの?」
「……えっと、クリームパン」
 何だか、口が甘い気分なのだ。今日は特にそれが強いので、プラスでグミも彼に渡した。
「グミなんて、これはおやつ用かな?」
 教室に戻り、不思議そうに彼は訊いていた。
「いや、今食べる」
「雪奈のおやつ早すぎでしょ。三時って決められてるのに」
「三時以外に食べても罪に問われないし」
「じゃあ、全て昼休みの間に食べ切ってね」
「どうして?」
「その買った物を家に持って帰るなんて、ズルいからね」
「そんなことしないよー。余ったらグミあげる」
「人の食べかけなどいらないね。かつ、僕はグミみたいな砂糖の塊は嫌いだね」
「あ、そう」
 こういう風に、まだ彼は私の食べかけを拒絶する。
 私が買ったグミは小さいグミが幾つか入っているタイプのグミなのに。
 私は安定を取って、このまま彼と友達という関係で横ばいにするのが、一番賢いのだろうか。

「文房具で危ない物って何があると思う?」
 クリームパンを食べていると、そんなことを訊いてきた。
「さあ。物理的だけど、ハサミとかカッターは刃物でかなり危ないよね」
「いい着眼点だね。使い方を誤ったら、人に傷を負わすことができる。非常に恐ろしい物だけど便利な物」
「武器としてはどうなの?」
「『武器』って……まさか殺戮者になろうとしてるのか?」
「違うよ」
 彼は理解したように「ああ、なるほど」と呟いた。
「武器としては攻撃性能はかなり低めだけど、入手はしやすいよね。学生でも扱いやすく、使う抵抗が包丁に比べると小さい。……って、何でバトルロワイヤルの話になってるんだか」
 彼は少し逸れた話を変える。
「刃物で金属が使われているから、どうしても錆びる。錆びてしまうと攻撃性能……いや、切れ味が悪くなる。対策としては、錆びにくいステンレス製の物を買うのが、長く使えてかつ切れ味も高くて、と一番効率的。ここで、錆びる原因って何だと思う?」
「水や酸素が触れることによって、酸化するから?」
「正解。錆びる原因はそれだから、湿度が低い所で保管すると、長持ちする」
 この知識は、ハサミとかカッターに関わらず、他の金属製品にも役立ちそうだと思った。
「ということで第三回、ミッションを課す」
「話の流れ的にハサミとカッター?」
「そうだね。代表させて『ハサミで切る』という意味を考えてもらおう」
「カッターはないの?」
「『カッターで切る』とほぼ同じ意味だから統合させているだけ」
 そして、ハサミとカッターを一つずつ貰った。ただ、かなり錆びている。
「何これ? このままじゃ使えないよ」
 彼曰く、これはわざと塩水の中に数日間沈めていた物らしい。
「わざとって……かなり酸化しているね」
「そこで、僕からの最高で究極で有益で役立つ……」
「長いよ」
「……っと、いい物を教えてあげよう」
 彼は、鞄の中から賞味期限切れの酢とサンドペーパーを出した。
「これで錆が取れる」
 この場面でそれを渡すってことは、大体予想はついているのだけれど、実行しようと決めた。

 講義が終了した時、『ハサミ』と『カッター』について話した。
 幸太があれを渡したのはきっと、彼女とやるために渡したのだと思う。
「何これ? ドブ川から拾ってきたの?」
「違うよ。この錆びを取ってみようと思うんだ」
 この部屋で実験すると、殴られそうなので、外に移動した。
 薄ら暗い。
「酢とサンドペーパー、どっち使いたい?」
「サンドペーパーは、擦るように使いそうで、手が疲れそうだから酢で」
「じゃあ、カッターと酢を入れる用の容器をあげるね」
 消去法で、私はサンドペーパーでハサミを磨くことが確定した。
 ということで、錆が取れるまでひたすら擦ることにした。
 すると、当たり前かもしれないがだんだん錆が取れてきた。
 一方、彼女の方は時間がかかるようで、酢を入れた容器にカッターを入れているが、あまり変化は感じられない。三十分以上は待たないとダメそうだ。
 疲れてきたので一旦休憩を取ろう。
 待っている間彼女とテレビを見ていた。
「黄色信号だからって突き進んだらダメだよ。赤信号じゃなかったとしても、しっかり止まらないと」
「へ?」
「ああ、ごめん。こっちの話」
 丁度信号無視で交通事故したニュースが流れていたので、それが影響しているだろう。
 違うニュースに変わると、「へー、そこでそんなイベントが開催されているんだ」と呟いた。どうやら独り言だったようだ。
「え? こんなので取れた」
 三十分後庭に出てみると、酢に浸したカッターの錆は取れていた。だからなのか、酢が汚染されていた。沈殿が底に溜まっていてとても使えそうにはない。
 私も、数分間磨くと、ついにほとんどの錆を取れた。
 お互いの結果をスマホで撮影した。それを幸太に送った。
 これで、この二つは使えるようになった。
 さて、ミッションを進めよう。
 ハサミは、紙類以外にも植物とか肉を切る時にも使える。てこの原理を利用した、汎用性の高い物。カッターは基本的には紙類。鋭利な刃物で、とにかく攻撃性能が高いっていうか、物を切りやすい。
 その二つを使う時は、何か物を切りたい時に使う。
 さあ、何のためか。
 一枚の紙を二枚の紙……長方形と正方形に分けると仮定しよう。
 紙を切ったら、一枚の紙が二枚になる。
 その二枚の紙を使いたいとなった時、分けさせるために切ったのではないか。
 簡潔に言うと、ハサミを使うのは何かを分けさせるために使うということ。
 つまり、離れさせるということ。紙を分離させたら、その二枚の紙ができる。
 …………。
『ハサミで切る』の意味は『何かを離す』という意味ではないか。
 これで見事正解した。
「例えば、『ダイエット』にハサミを切ったら、ダイエットから離れるだからダイエットをしないという意味になる」
 まるでハサミとのりは、対象的。
 じゃあ、彼と私の関係をハサミで切ったら?
 …………。
「錆を取ったということで、使わないと勿体無い。ちょっとした工作を雪奈にはしてもらおう」
「え?」
「材料はこの、六センチの正方形の形をした画用紙」
 白色の何も書かれていない画用紙を貰った。
「何を工作するの?」
「桜の花びら。だからまずは、ハサミを使って桜の花びらの形に切ってもらう」
「何で作るの?」
「いやぁ、それは秘密」
 桜の時期はもうすぎて、なぜ作るか不思議である。
 けれど、こんなの十分あったら作ることができるので、やることにした。
「必ず横と縦の長さが六センチになるように切ってよ。そうしないと、小さくて後々面倒なことになってしまう」
 後々……何か彼は企んでいるのだろうか。
 一個だけ作ればいいらしい。うん、どこかに飾るとなったら、幾分寂しい気がする。
 昼休み、私は図書室に足を運んだ。
 確か花の図鑑があったはず。
 あったのでそれを手に取り、桜の内容があるページを開く。力を抜いて、鉛筆で画用紙に書いていく。
 ピンク色で、五枚の花びら。離弁花というやつ。だから、被子植物で網状脈で子葉が二枚で……っと、余分なことを考えていると完成した。
 ……何か絵のバランスが悪い気がする。
 ピンポイント消しゴムを上手く駆使して、微調整する。
 これを描けたら、次は切らないといけないのか。
 一個とはいえ、手間がかかるなぁ。
 そんなネガティブなこと思ったらダメか。
 ……こんな感じだろうか。
 しっかり花の形を捉えて描いた。色は塗っていなく、今からハサミで切る。
 別にカッターを使ってもいいのだが、曲線が多いのでハサミの方が切りやすいだろう。人によって違うと思うけれど。
 こういう作業は好き。切っている時、思わず息を止めてしまう。この手に、神経を捧げる。
 
「ふぅー」
 切り終わり、解放された。
 これをクリアファイルに入れた。
 さて、テストが近くなってきたということです勉強するか。
 放課後、幸太を誘ってカフェで勉強をする。
「この問題って、解き方はこうだよね?」
 ノートに解いた部分を彼に見せる。
「あー、そうやって解くのか。間違っている部分を消すか」
「それ確かに間違っているね。この問題は変形したこの公式を使えば…………」
「なるほどなるほど。理解した」
 彼がコーヒーを飲んだので私も飲むと、「飲むタイミング合わせてきただろ」と言ってきた。
「喋っていると、喉が渇いてくるの」
「ほんとかなぁ」
「そんなことより、次の問題解くよ」
「そうだね」
 もう一度コーヒーを口に入れてみると、なぜかさっきより甘く感じた。