消しゴムを使いたい君に

「消しゴムいる?」
 今日も嫌々ながら学校に登校すると、私の唯一の友達である幸太が訊いてきた。
 辟易するほどの人の声が飛び交っているこのクラス。
 一限目が始まる前の自由時間、私と彼は目立たないように陰に潜んでいた。
「え?」
 彼は消しゴムを見せてきた。角が丸まっていて、黒鉛が随分と付着していた。使い込んだって感じ。
「どう?」
「……これってお金が発生するやつじゃないよね? 無料と見せかけて、後でお金を取るという魂胆じゃないよね?」
「僕が欺瞞な性格だと思うの?」
「ううん、思わないよ。確認しただけ」
 無料なら貰っておこうか。最近、消しゴムが小さくなって使いにくくなったので、欲しい。
「欲しい?」
「あ、うん。欲しい」
 消しゴムを受け取った。
 多分、この消しゴムがいらなくなったから譲ってくれたのだろう。「ありがとう」とお礼を言った。
「ははっ、それ使う予定なの?」
 おかしそうに彼は笑った。
「そりゃあ……貰ったら使わないと。勿体無いじゃん」
「へー、そうなんだ」
「何でそんなこと訊いてきたの? 貰った後私が即捨てると懸念してるの?」
「別に捨ててもいいよ。それは雪奈の判断に委ねる」
 何か彼の言い方に癖があった。
 引っかかるような何か。
 この消しゴムは、束縛の呪いというやつだろうか。
 でも、所詮は消しゴム。もしかしたらこれは特別な消しゴムかもしれないが、だとしてもこれに守護神が宿っているとは到底思えない。
 貰った物はしっかり使うタイプなので、暫くは捨てないでおこう。
「消しゴムを使いたい君に、一つ質問がある」
「何?」
「今日の数学の授業で小テストが返されるらしいけど、自信ある?」
「自信ある、と断言できるほどではないから……そこそこかな」
「そう言って、内心自信あるんだろ」
「ふふ、今回はあんまりかもなぁ」
「今回こそは勝ってやる」と彼は言いながら自分の席に戻った。
 一人で壁にもたれているのは注目の的なので、私も自分の席に戻った。

 一限目の数学の授業で、貰った消しゴムを早速使ってみた。
 結果、普通に消しやすかった。力をそんなに入れなくても文字を消せた。
 性能が結構良いのに譲ってくれるなんて、この消しゴムに何かあったのだろうか。
 消しゴムカバーの裏側に隠しメッセージを書くとかあるけれど、確認しても何も書かれていなかった。
 ……って、私は何を期待しているのだ。
 とまぁ、そんな消しゴムより数学の小テストが返ってきたことの方が気になっていた。
「やあやあ、小テストの結果はどうだった?」
 一限目の数学が終了した後、幸太がそんなことを訊いてきた。
「先にどうぞ」
「惜しくも……二問間違えた」
「そう」
「ほう。何点?」
「満点」
「なぬぬぬぬ……こんなはずでは……」
 彼は悔しそうな表情を浮かべる。
「カンニングした?」
「そんな陰謀な不正行為してないし。正直に負けを認めたら?」
「んー、認めない」
「認めてよ」
「だって、ほとんどのテストで満点に近い点数を叩き出すじゃないか。そこまで賢いと、どうしても疑ってしまう」
「自慢じゃないんだけど、暇さえあれば勉強するタイプだから」
「そんなに勉強するのって疲れないの?」
 ここは県内随一の進学校で、その中でも大分私は勉強している方だと思う。
「全然。それぐらいしかすることがないっていうのもあるし」
「ふーん」
 正直私の楽しみといえば、勉強か読書かお風呂に入ることぐらい。それ以外を楽しいと感じなくなってきた。
 あとは、自分の得意は積極的に伸ばしていきたいという気持ちが強い。得意なことを上達させるためなら、その努力を厭わない。
「あと、勉強したらシャープ芯が減っていかない?」
「へ? う、うん」
 シャーペンを使って筆記すれば、シャープ芯が減る。
 もしかして、今度はシャープ芯をくれるのだろうか。
 その予想は当たっていて、「シャープ芯あげる」と言った。
 さっきの消しゴムやシャープ芯が、何かの景品で当たったから私に譲ってくれるのだろうか。
 消しゴム同様、無料らしい。
 よく分からないけれど。
「シャーペン持ってる?」
「あるよ」
 筆箱から適当なシャーペンを取り出して、彼に渡した。
「シャープ芯四十本分入れるっと」
 シャープ芯を入れられ返された。四十本この中に入っているのは流石に多いので、一部芯ケースに移そうと思った。
「四十本なんて太っ腹だね」
「足りなくなったらいつでも僕に言うんだよ。文房具マニアの僕が無料で増やしてあげる」
 彼が文房具マニアというのは本当で、ペンだけでも百本は持っているんだとか。
 そんなに集めているなんて、正直意味が分からない。彼の謎要素である。
「さてと、次移動教室だし、また後でね」
 次は理科室で、実験をする。
 教室を出ようとした時……。
「待て、何僕を置いて行こうとしてるんだ」
 仕方ないが、彼の準備を待ってあげる。
 私だけ先に行くのは、卑怯、とか言われそうなので待つ。
「準備完了ー」
 彼はそう報告しながら、教室から出た。
「随分と早いね。私のためを思って、早くしてくれたの?」
「違うね。僕はただ、五分前行動を意識しただけでーす」
 ちょっと恋愛チックなことを試しに訊いてみると、見事な反論を喰らった。
「本心?」
「本心だね」
「あー、それは心に傷ついたなぁ」
 まあいいか。

「さあ、昼食代をかけたトランプゲームをしよう」
 三限目の授業が終わった時、そう誘ってきた。
 このトランプゲームで負ければ、相手の分の昼食代を買わないといけない。
 次の授業が始まるまで残り七分。
 今回は、大富豪をすることに決めた。
 結果は……私の勝ち。
「あ、負けた……」
 これで、昼休み購買で彼が私の分を買わないといけないことが確定した。
「くそぅ、くじ運さえ良ければ……」
「カードゲームってそういうところあるよね。どれだけ実力があっても、運次第で負けることがある。オセロや将棋などのボードゲームと比べて、運要素が強めなのは否めないね」
「その分運があれば、相手より実力がなかったとしても、勝つ可能性は充分にある」
「一長一短だね」
 私は優しいので、カードの片付けを手伝ってあげた。

「さあさあ、何を選ぶんだい?」
 ここの学校の購買は、結構充実している。主食となるご飯系やパン系だけでなく、お菓子やゼリーまである。
 今私は、何を買うか吟味をしていた。ご飯よりパンの気分。
「よし、これに決めた」
「おお、メロンパンにするなんて、可愛らしいね」
「何? 別に何でもいいでしょ。そういう幸太は何買うの?」
「塩おにぎり一個」
「ナイスセンスだね」
 彼にメロンパンを二つ渡して、支払ってもらった。

 教室で机を合わして、幸太と食事していた。
 こうやって彼と一緒に食事をしているだけでも、幸せ。青春を謳歌している感がある。
 けれど、このまま毎日、こんな感じの日常を送っていても面白くない。
「ねえ」
「うん?」
「明日の放課後さ、一緒にショッピングモール行かない?」
 聞いた途端彼は顰蹙し、訝しげるように目を細めた。
 折角彼と友達になったなら、これを誘わないと。友達ができたなら、これを誘うのが一つの目標だった。
 何気に彼とは、学校以外の場所では特に行動していない。途中まで一緒に帰るぐらいだった。
 だんだん、ステップアップしていきたい。
「……とぉ、それって何? 意図的?」
「何か目的を持って誘ってるのは確かだよ。その目的はあえて秘密にするけど」
「……明日は特に予定ないしななぁ」
「邪魔がない絶好な日だね」
「そうとは限らないよ。僕があえて予定を入れて邪魔するかもしれない。例えば、明日の午後五時から、ゲームする予定があるとか」
「そういう意図的なのはやめてよ。あと、ゲームはいつでもできるから」
「そのゲームが、ネットの友達と対戦するものだったら?」
「ネットの友達っているの?」
「いなくはないよ。ただ最近はゲームあまりしなくなったから、実質いないに等しい」
「じゃあ明日は大丈夫だね?」
 彼は頬杖をつきながら黙然していた。その間にメロンパンを食べ進める。
 そして数分後、彼は答える。
「僕の欲しい物を買ってくれたら行く」
「え? ……あまり高価な物じゃなかったら買ってあげるけど」
「つまり承諾してくれた?」
「うん」
「じゃあ明日行くよ」
 純粋に嬉しかった。
 ……これで彼の関係を深めることができる。

 家に帰り、先に学校の宿題を終わらせてから小説を読むのが私の日課なので、勉強机に向かった。
「終わりっ」
 一時間後、ついに宿題が終わった。まだ自主勉強が残っているけれど、一旦休憩しよう。
 私の憩いの場は、自分の部屋かリビングのソファ。自分の部屋は飽きたから、偶にはリビングのソファでくつろごう。
 ソファのクッションに顎をつけ、読書を楽しむ。
 読書の良いところは、感情移入ができるところ。正直、現実世界を半分どうでもいいと思っている。物語の中の世界に浸かることが好き。
「ねーえ、何してるの?」
 悪戯っぽい声。
 小説を読み耽っている時、途端悪寒が走った。
 この世で一番嫌いな人が、傍にいる予感がする。
 そう、私の人生を無味乾燥なものへとさせた張本人。
 クズとしか思えない社会のお荷物。
「うわぁ、また恋愛小説読んでるよ」
「……何か悪い?」
 小説に栞を挟んでからパタンと閉じた。
 彼女は私の双子。彼女は私の妹。
 ショートボブで、甚だ可愛らしい。
 とはいえ、性格は真反対で顔はあまり似ていない。
 容姿はいいとして、彼女の性格がヤバすぎる。
「愚鈍な雪奈は分からないかー」
 軽蔑するように彼女は笑った。
「私の宿題を全てやってもらうの。それなのに小説を読んでいるなんて有り得ない」
 やっぱりか。
 面倒なやつだ。
 彼女は自堕落で懶惰な性格なので、こうやって私に宿題をやらせることが多い。
「……愚鈍な私にやらせても、分からないと思うよ」
「そういう意味で言ってない。確かな学力はあるんだけど、頭が硬いってこと」
「……続き読みたいからやらない」
 宿題ぐらい自分でやれ。
 と強く思うのだが、流石は彼女、面倒な物は全て私に回してくる。宿題以外にも、家の掃除とかもそうだ。
 そんな感じで彼女は努力を積まなかったから、私と同じ学校に行けなかったのだろう。惜しくも……いや余裕で彼女は受験に失敗して、滑り止めの私立に行っている。
 ざまぁみろ、とくすくす笑っていると、「ほんときもいねー」と返された。
「恋愛なんて絶対生涯ですることないのに……何夢見てるの?」
「……現実では中々難しいから、物語に浸かってるだけじゃん。これを沙奈に非難される筋合いなんてないと思うんだけど?」
「そんな風に抵抗しても無駄だよー。今日中にそれ全て終わらなかったら、許さないから」
「…………」
 彼女の宿題を持って、二階に上がった。
 彼女の高校はやたら宿題が多い。
 現在、高校一年生の五月。
 宿題が多いといっても、二時間やれば終わるし。
 ……努力しない妹。
 この問題集を燃やしてやろうかな。
 ——いっそのこと、消えてしまえばいいのに。
 
「私とのショッピングモール楽しみ?」
「初めてだから分からないね」
 翌日の放課後、彼と一緒にショッピングモールに向かっていた。
 電車に乗って、ちょっと歩いたらショッピングモールに着いた。
「先、雪奈の行きたい場所行ってもいいよ」
「え! いいの?」
「うん。僕は時間に余裕があるんで」
 彼の行きたいところに合わせて行動しようと思っていたのに。
 ということで、書店に行くことにした。
「おお、本がいっぱい」
「そりゃあ、ここは書店だし」
 そこそこ大きいここの書店は、私の家から近いことも相まって、よく足を運ぶ。
 今日、私がここに来たのは、彼と友情を深めるだけではない。新刊の本を買いにきたのだ。丁度、今日の学校で本を読み終えてしまったので、買うしかない。
 新刊といっても、色々ある。
 私の家に書店を連結させるのが一番効率がいいのだけれど、そんなのどんな富豪だ。この世の中の全ての本を買おうとしたら、莫大なお金がいる。
 ということで、厳選しよう。
 冒頭のページを読んで、面白そうだったら購入する。
 十分後、五冊程買って満足な気持ちで書店を出た。
「そういえば、何読んでたの?」
「ああ、読書はあまりしないタイプだから、とりあえず人生の生き方みたいのを読んでた」
「へー」
 情報が曖昧だけれど、彼は人生に悩んでいるのだろうか。……そんな風には思えない。
 表紙に惹かれてちょっと読んでみると、面白かったから購入した。
 彼の心情はきっとこれだろう。
 その後、彼についていく。
 彼が向かった先は、主に雑貨やコスメを取り扱っている店。幾度か足を運んだことがある。この中に文房具が販売されているのは知っていた。
「ふふん。雪奈には文房具を買ってもらう」
 文具コーナーには、珍しい物が多い印象。
 普段文房具は、百円ショップで買った物か沙奈のお下がりを使っている。
 これには確立とした理由があり、お小遣いの多くを貯金か本に費やすため。彼女のお下がりを使っているのは、私が望んだこと。毎回、お下がり使っていることをきもがられるが、別に使えたら何でもいい。
 これが、文房具に対しての私の考え。だから、そんなに拘りはない。
「これって個数制限ないんだよね?」
「う、うん。そうだよ」
「ただ」と言って私は続ける。
「五千円までね」
「五千円か……」
「何? それじゃあ足りないって? 学生にとって五千円は大金だよ」
「あ、ああ、ごめん」
 その五千円を、自分の趣味に費やしたいけれども、まあいいや。
「色々と欲しい物はあるんだけど、付箋買おうかな」
「付箋買うんだ」
「僕は優しいんで、五千円きっちり使い倒そうとしないのさ」
 自信に満ちた表情で言う。
 彼は、大きめの正方形の付箋と、小さめの長方形の付箋を二つずつ手に取る。可愛らしいデザインの付箋が売っている中、彼はシンプルな付箋を選んだ。
「これ、買いたいの?」
「うん」
「ボールペンとかはいらない?」
「色々と欲しいのはあるよ。例えば……っとぉ、言ってもどうせ分からないか」
 くくくっと彼は笑った。
 確かにそうなので、そこまで腹が立たなかった。
 付箋だけ購入した。
「はいこれ」
 各種付箋を一つずつくれた。
「え? いいの?」
「まあね」
 最近、付箋が少なくなっていたので嬉しかった。
「付箋、と聞いて何を思い受けべる?」
「お下がりの大定番」
「……ん?」
 怪訝そうな目を向けられ、はっと気づく。
「ち、違う。間違えた……」
「もしかして雪奈って一人っ子じゃない?」
「あ、その……世間一般的に考えて」
「確かに、他人が使った付箋を自分が使うのは、比較的抵抗は少なめだね」
 このことは忘れてほしい。
 私にあんな妹がいるなんてバレたら、終わり。
 なぜバレたら終わりなのか。
 だって、あんな妹がいることがバレたら、単純に恥ずかしいじゃないか。
 きっと彼のことだから、そんな妹を持っている私を軽蔑し、離れていく。
 だから私は、秘密にしている。
「第一回、ミッションを課す」
 ここを出て近くにあった椅子に座っている時、彼がそう振ってきた。
「それは?」
 はて、ミッションとは何だろうか。
 とりあえず彼に合わせる。
「付箋を貼る、っていうのはどういう意味か考えること。その考えが正解したら、ミッション達成」
「……何それ。そんなミッション達成する意味あるの?」
「あれあれー、超重要なこと忘れたのかな?」
「……確か……あれ何だっけ?」
「僕と友達になると引き換えに、僕が作成した文房具に関するミッションを達成しなければならない。前に釘刺したよね?」
 はっと思い出した。一週間前、その彼の意味不明な交渉を、私は引き受けたのだ。
 彼と友達になれることが純粋に嬉しすぎて、そんな重要事項聞き取っていなかった。
「ああー、思い出した思い出した。第一回ってことは、また今後も違うミッションを与えられるってことだよね?」
「そうだよ。ミッションを達成しないと、次のミッションには進めない」
 早くミッションを達成した方が良いだろう。
 彼がさっき付箋の話題を振ってきたのは、あれは前置きだったのか。
 試しに、絶対違うと思うが「そのままの意味」と言った。
「ふふん、不正解。そんな安直な考えで、僕のミッションを突破できると思うなよ」
 ほらやっぱり。
「初回だし、何かヒントないの?」
「実際に付箋を使って考えてもないのに、ヒントを求めるとは軟弱な。……まあ初回だし、特別にミッションを達成するコツも含めて言ってあげる」
 耳を傾ける。
「……その前に、メモ帳と書く用のペンは用意しなくていいのか?」
 確かにそうである。けれど、スマホではダメなのだろうか。それについて訊いてみた。
「スマホでメモを取るなんて……僕の中では許せないね」
「どうして?」
「どんどん人口知能が発達しデジタル化が加速しているこの時代。アナログでできることが、デジタルでできるようになっていっている。例えば電卓機なんて持ち歩かなくても、内蔵されているアプリを使えばいい。電卓以外にもアラームや翻訳機能など、一つの端末にまとめられている。とても便利でコンパクト。アナログの役割が奪われつつある。だからこそ僕はアナログを大切にしたい。僕の思いを必ず継がなければならない雪奈は、当然その考えを大切にしてもらわないといけないからね」
 私が彼の思いを必ず継がなければならない?
 よく分からないが、ミッションを全て達成すれば必然的にそんな気持ちになるだろう。
 実に浅薄な考えだが。
 ということで私は、鞄からメモ帳とボールペンを取り出した。
「ミッションを達成するための極意。ヒントは、実際に文房具を使うことは前提になる。そして、なぜそれを使うかを……それはどんな特徴なのかに加え、それをいつどこで、何のために使うか、について深く考察することにより、答えに近づく。付箋の場合、それに当てはめてみると紙製で貼り付けることができるから、貼れる場所は多いけど、ノートと仮定してみると考えやすい。いつ何のために使うかは……っとぉ、言ってしまうとバレてしまうな」
 重要な部分だけ聞き取って、それをメモした。
 時間がある時に、じっくり考えてみようと決めた。
 その後、三十分の自由タイムということで一人でぶらぶらしている時、事件は起きた。
「ええ? こんな所で何してるの?」
 聞き馴染みのある、黄色い声。
 少なくても、同級生ではない。
 私を偶々見かけ、話しかけてくれる人なんていないからだ。
 話しかけられるってことは、私の知り合いなのだろう。いや、女性の声ってことはあの人しかいない。
 恐る恐る振り返ると……思わず嘆息を漏らしてしまった。
「……そっちこそ、何してるの?」
「何って、友達と一緒にショッピングしてるの。今ちょっと、偶々見つけて抜け出してきた」
 水曜日によく彼女は、ここに出現することを忘れていた。
 今幸太が来たらかなり面倒なことになるが、幸いにも近くに女子向けの店があるので、近くに寄ることはないだろう。
「全くー、追尾しないでよー。もしそうしたら、不審者で訴えるから」
「……家族を不審者として訴えられる訳ないじゃん。てか、何で追尾したらダメなの?」
「まず前提として、追尾するとかきもすぎでしょ。そんなことするような人だから、周りから嫌われてるんだよ」
「…………また後でね」
 そんな性格だから私から消えてほしい、と思われるんだよ。
 どこかに行くと見せかけて、彼女のことを追尾する。
 腹が立ってきたのだ。
 あまり近く寄りすぎるとバレるので、声だけ聴取する。
「これめちゃ可愛くない?」
「うん確かに」
「それなー」
 友達の会話を聞いている限り、彼女の表の性格は出していなかった。口調が柔らかく、皆青春している感じがした。
 なぜ私にだけあんな性格に豹変する……。
 勇気を出して、こいつはカスみたいな人間、こんな奴は逐一に別れたほうがいい、と彼女の友達の前で言ってやろうか。いや、そもそもそんな勇気ないし、私が叱咤される未来しか見えない。
 ここにいても仕方ないので、彼女から離れた。
 
「あのさ、もうそろそろ帰らない?」
 幸太に電話していた。
『よし。じゃあ、もう各自解散でいい?』
「うん。また来週ね」
 と言っても、ここで食事してから帰ろう。
 フードコートで適当な席を確保し、スマホで店舗のクーポンを確認して何食べるか考えている時。
 隣の席に座っている学生三人組が、やけに騒がしい。ふと一瞥すると、ある一人を二人がいじめていた。二人はある一人を侮辱する言葉を発していて、甚だ気分が悪い。
 ……こういうのは無視が一番。
 下手に声をかけると、私が狙われるかもしれない。
 周りの人も助けようとしてないし、別に私は悪くはないだろう。
「あれあれ、雪奈じゃないか。帰るんじゃないの?」
 偶然にも幸太と会った。
「ちょっと、食べてから帰ろうと」
 今気づいたが、近くに沙奈がいるかもしれない。
 おかしい質問かもしれないけれど、メールで彼女に『夜食取った?』と送ったら『うん』と返ってきた。
 じゃあ、安心。
 その後、二人で別々の物を注文した。
 会話しながら食べた。
 手を振って彼と別れた。

 家に帰ると、沙奈がいた。意外にも、私より早く帰っていた。
「随分と遅かったねー」
「……別に。何か悪い?」
「悪いに決まってるじゃん。そんな感じでぬるま湯に浸かってたら、後で後悔見るよ」
「……ぬるま湯に浸かってるのはどっちなんだよ……」
「何か言った?」
「…………」
 無言で自分の部屋に向かった。
 面倒なことに、彼女は追尾してきた。
「……何か用?」
「ふふふふ」
「…………」
 ニヤニヤしている彼女を一瞥して、自分の部屋のドアを開けた。
 その時、背中に痛みが走ったと思ったら、倒れた。
 一瞬判断が遅れたが、後ろから聞こえる冷笑で察した。
「ばいばーい」と私から距離を離していったのか、だんだん声量が小さくなっていった。
 立ち上がると、傍には彼女の宿題が置かれていた。
 ……酷すぎる。
 これだから彼女のことが醜く嫌い。
 少しでも彼女の癪に触ったら、こんな風にしっぺ返しをする。
 人っていうのは、そう簡単には変わらない。
 だから、彼女に何か痛い目を遭わせないと、中々彼女の固い意志を揺らすことはできないのだ。
 つまり、あえて懲らしめて正しい道理を学ばせるということだ。
 が、ちょっとでも懲らしめる度合いを間違えたら、彼女はおかしな方向に進んでしまうので、中々それができない。
 彼女に対する愚痴を考えたところで、解決には至らない。
 大人しく、彼女の宿題を進めることにした。
「……私って、いつになったら奴隷卒業できるんだろう」
 そうやって泣き気味に呟いても、虚しい反応が返ってきて、哀愁が漂うだけ。
 ——どうして私だけ。

 私は夢を見ていた。これは、一週間前の出来事。

「ね、ねえ、何してるの?」
 私はこのクラスメイトの最後の砦的な存在である、幸太に話しかけてみた。緊張のせいで、どうしても訥弁になってしまう。どんな相手にも流暢に話せたらなぁ、と望んでいるが、これでも何話すか考えてから彼に話しかけた。
「確か君は……さん?」
「そう、雪奈って呼んでいいよ」
「……高校生になってから、初めて僕に話しかけてきた……もしかして僕を揶揄おうとしているスパイか……」
「誰がスパイだって?」と反射的に答えてしまった。
 つい、脳が沙奈と会話していると錯覚してしまう。普段家族としか会話しないから。
「あ、ごめん。スパイなんて言って悪かったね。で、こんな僕に何か用あるの?」
「今何してるのかなって」
「やっぱり雪奈は普通じゃないね」
「え?」
 彼は席を立った。何の意味があるかは分からない。
「僕のことを気になって、わざわざ話しかけてくる人なんてあんまりいない。前から気になってたけど、やはりそういう人だったとは」
 そういう人……きっと、仲間を作るために必死な人、という意味だろう。彼自体、大人しめな子。色んなクラスメイトがいる中で彼を選ぶ。きっと彼は警戒しているのだとは思う。が、それより私のことを前から気になっていたことに引っかかった。
 なぜ、私のことを前から気になっていたのか。理由がいまいち分からないけれど、気になっていたから会話がスムーズなのは確か。多分。
「僕と友達になりたいんだろ?」
 予想以上に話が早く進んで、頭の処理が追いつかない。
 もっと苦戦するかと断じて、昨日からシチュエーションを幾つか考えてきたのに。
 これでもし彼が首肯してくれたら、今日の目標はあっさりクリアしてしまう。
「どうして……分かるの?」
「逆にそれ以外に何があるというんだ」
「私が普通に会話を振ってきたという可能性も考えられるよ」
「虚言だね。やっぱり、人との関わりが少ないから何話したらいいか分からないのだろう。一人で森の中に迷い込んだような若造だ。……上から目線で言ってるけど、僕も人のこと言えないんだけどね」
 寂しげに彼は笑った。
 教室だと話しづらいと彼は断じたのか、廊下に出た。彼がさっき立ったのはそういうことか、とふと思い、ついていく。
「友達になってあげよう」
「え? ほんとに?」
 衝撃で心拍数が上がった。
 彼と友達になることがほぼほぼ確定したので心中欣喜とした。今の感情を例えるなら、土を掘ったら偶々埋蔵金を発見したぐらい。
 大袈裟かもしれないが、大きな一歩だった。
 彼は「ただ」と口を出す。
「僕と友達になるには条件がある」
「ふふふ……」
「聞いてるのか?」
「ああ、ごめん。条件なんてあるの?」
「うん。無条件で友達になるっていうのは、勿体無い。折角なら条件を設けて、それでも友達になりたいっていう意思かどうかを僕は確かめたいんだ」
 つまりは、条件次第で鬼畜になるかもしれないってこと。
 まあ、余程鬼畜じゃない限り彼を逃さないつもり。
「その条件とは……僕が作成したミッションを全て達成すること」
 ミッション、かぁ。
「どんなミッションなの?」
「文房具に関するミッション」
「は?」
 その後、色々とミッションの説明をしてもらった。ただし、疑問より興奮が勝っていたため、あまり聞き取れなかった。
 一つ聞いたことは、ミッションを高校二年生になるまでに、全て達成しないと確実に絶交になること。これだけは避けたい。
「やっぱり、文房具に魅力を持ってほしいからさ」

 朝、目が覚めた。
 私の朝は早く、午前四時には起きる。
 顔を洗って僅かに感じる眠気を飛ばし、二時間ほど勉強する。
 ……今日の朝、付箋を使ってみよう。
 今から予習で問題演習をするところ。これが終わったら、間違えた問題を集め、それがなぜ間違えたかを書く時に、付箋を使う。付箋を貼る場所は、間違えた問題の文章を写すようにしているノートに貼る。
 付箋といっても長方形と正方形の二つの付箋がある。
 正方形の付箋は、大きいのでまさにそれに使う。
 この細長い長方形の付箋に、長文を書くのには適してなさそうだ。こういう付箋は、やらなければならない問題集のページに貼ることが多い。
 これが、昨日彼が述べていた『いつ』に当てはまるだろう。
 今日やる予定のページに、長方形の付箋を貼った。
 問題演習が終わり、赤ペンで丸付けした。当然間違えた問題があった。
 その問題をピックアップして、間違えた原因を一つ一つ丁寧に分析する。
「……っしょ、終わり。一旦休憩」
 この休憩時間中に、『付箋を貼る』の意味を考察しよう。
 あと残っているのは『何のため』という、使う目的。
 やらないといけないところだったり、間違えたところだったりに、付箋を貼った。
 さあ、何のためか?
 …………。
 やはり、覚えておきたいところを示すために使うんじゃないだろうか。
 だから、『付箋を貼る』の意味としては、覚えておきたい重要な部分を示すという意味になるのではないか。
 これらをまとめたものを朝、学校に行って幸太に述べた。
「『付箋を貼る』の意味は、覚えておきたい重要な部分を示すっていう意味じゃない?」
 これで見事正解した。
 付箋は栞として使えたり、簡易的なメモとして使えたりと、結構万能である。
「次のミッションはないの?」
「準備してるけど、早いなぁ」
「どうして?」
「このままいけば、すぐ終わってしまいそうじゃないか」
「それでいいんじゃないの? ……あ、このままミッションを出さずに、私をミッション失敗にさせようという魂胆? ……うん、それはいけないからね」
「大丈夫だって。来週ぐらいに新しいミッション出すから」
 少しだけ、彼の特性が分かった。
「これをあげよう」
 付箋を渡された。そこには、『僕と雪奈は期限ありの友達契約をしている。その間、人口知能を使って絵を描くの禁止。ミッションをネットで調べるのも禁止。学校の授業や宿題以外で電子機器にメモしたり動画を閲覧するの禁止。電子機器でゲームをするの禁止。ただしメールや電話は許可する。忘れないで』と、書かれていた。付箋に書くってことは、これは重要なことなのだろう。
「忘れないようにそれを書いてあげた」
「忘れない……っていうか、初めて聞いたのもあるし。何これ」
「ノートか机に貼っておいて。僕が意味深な発言をしたら、付箋に書くといい」
 急に彼は何を語っているのだろうか。
 意図的に意味深な発言をするって、何かを企んでいるのだろうか。
 小説で言ったら、『伏線』というやつ?
 まあいいや。
 とりあえず一個目のミッションを達成した。
 わざと人工知能アプリを開いて適当な絵を生成した。それを彼に見せたら、「おいおい、ルール違反」と指摘された。
 こうやって違反しすぎると、彼と別れることになるかもしれないらしい。
 家でルール違反した場合、正直絶対バレないと思う。だって彼が監視している訳がないし。
 けれど、付箋に書いていることを頭に入れようと思った。