8月も2週目の頭。夜ご飯には魚の煮付けが出され、味の染み込んだ身をほぐしてせっせと白米を口に運んだ。
我ながら例年の夏よりもしっかりとご飯を食べられているような気がしている。もしかしなくても、それは俺の隣ですでに2杯目のおかわりを盛ってきた彼の影響だと思う。
「やばい、白米が止まらない。太るかもしれない」
「だいじょぶだいじょぶ。昼間あれだけ働いてるんだから。むしろたくさん食べなきゃ駄目だぞ」
「うぅ……美味い……」
「ははっ、今日の煮付けは一段と美味しいもんな~」
「叶馬君、魚もおかわりあるよ?」
「いただきます……」
「あはは! 涙目になってる!」
俺と叶馬の声が聞こえたのか、調理場から父さんが顔を出して言った。叶馬は誘惑に抗えず、魚のおかわりを取りに行った。
戻ってきた叶馬は黙々と魚と向き合い、「美味い……」と呪文のように繰り返していた。今日の食事は俺たちが最後だったようで、手を洗った父さんが調理場から笑顔で出てくる。
「叶馬君がたくさん食べてくれるから嬉しいよ~」
「本当に美味しいです……」
「あはは、たくさん食べてなぁ。潔貴も食欲落とさずに夏バテにもなってないのはきっと叶馬君のおかげだから。やっぱりご飯は誰かと一緒に食べるのが一番なんだな」
父さんの言葉を聞いた叶馬が俺の顔を見る。こういう時の顔が説明を求めている顔なのだということはもう知っている。
「夏になると食欲が落ちて体重も落ちるんだよ、例年。でも今年は全然体重落ちてないし、むしろ増えてるよ」
「そりゃあよかったなぁ。本当に叶馬君には感謝感謝だなぁ」
「いや、俺は何にも」
「でも本当に、叶馬見てるとご飯食べたくなるよ」
「そうなのか?」
「うん。食欲湧いてくる」
「じゃあ、いいか」
「うん。これからも俺のために美味しそうにご飯食べるところ見せてな?」
「ん、ぐっ」
「あれっ、父さん! 水とって!」
「あれあれ、はいはいお水な」
喉を詰まらせた叶馬に水を飲ませていると、扉が開いた。ドタバタと入ってきたのはばあちゃんだ。
「あ! 潔貴! ご飯食べてからで良いから、カラオケの火付けしに来ておくれ! ツアーのお客さんだからね」
「あぁ、はいはい」
「叶馬君も良かったら賑やかししにきておくれ! じゃあ先に行ってるからねッ」
早口で捲し立てたばあちゃんはあっという間に出て行ってしまった。叶馬がぽかんとしている。
俺は頭の中で十八番を整理しながら、場の様子を見て決めようと2択に絞り込んだ。
「潔貴、カラオケするのか?」
「うん。仲が良いガイドさんとか、常連のお客様に頼まれて場を温めるんだよ。みんな歌いたい気持ちはあるけど一番手はちょっとなぁって思うんじゃない? 日本人の奥ゆかしさってやつかなぁ」
「潔貴の歌、聞きたい」
「もう恥ずかしいって気持ちはどこかに置いてきたから好きなだけ聞いて。叶馬は昭和歌謡とか演歌歌える?」
「全然」
「じゃあ今日のところは賑やかしだな。マラカスかタンバリン鳴らしとけばいいよ。飲み物空になってる人いたら注文聞いてあげて」
「分かった」
俺たちは晩御飯を食べ終えると法被だけ羽織ってカラオケルームへ向かう。
飛燕館のカラオケルームはバーも併設されており、ちゃんとバーテンダーがお酒を作る。ちなみに〆のラーメンも出せる。
カラオケルームに入ると、ばあちゃんがガイドさんと一緒にお客様たちと盛り上がっている。もっとしっぽりしているのかと思ったが賑やかだ。別に俺が火付けしなくてもよさそうだけどな。
「あ! 来た来た! みなさんこちらがウチの2番目の孫! 歌上手いから聞いてやってくださいな~」
ばあちゃんに肩をグイっと掴まれる。なるほど、今回は婆ちゃんの孫自慢の方だったのか。
ばあちゃんは時々俺に歌わせて孫自慢をしたがる。もちろん懇意にしているガイドさんや常連さんが来たときにごく稀にだけど。ただ、お客様のお酒の進み具合や声のボリューム的にも火付け役が必要なのは噓ではないのかもしれない。
俺は場の雰囲気から、先ほど絞った2曲の内の1曲をバーテンさんにお願いする。
叶馬はばあちゃんとガイドさんの間に座らされタンバリンを持たされたようだ。そうしている内にイントロが流れ始める。俺はマイクを構えた。
「皆さまこの度は飛燕館へお越しくださりまして、誠にありがとうございます。残りの旅も楽しめますように、そしてまた飛燕館へ足をお運びいただけますように。今後の皆さまの人生という名の旅路のために、歌います」
歌い出しは「雪解け間近の北の空に向かい 過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時」である。
すでに場が騒がしいときはもっとアップテンポの曲を選ぶが、まだ静かな時は逆に白けてしまうのでこの曲を選ぶことが多い。
口上に続いて歌えば、みんなも一緒に口ずさんでくれる。
叶馬に目を向けると、目を丸くして固まってしまっている。おい、賑やかしはどうした。
最後「いい日旅立ち幸福をさがしに 子供の頃に歌った歌を道連れに」と歌い切れば、拍手でカラオケルームが湧く。
「いやぁ、そこはかとなく声も似とるなぁ!」
「ほんとに~! すごくきれいな声で上手!」
「もう一曲!」
「ありがとうございます。ではもう一曲。ご存じの方は一緒にマイクでどうぞ」
俺はバーテンさんへ2曲目をお願いしながら、グラスが空になっている人の注文を取る。注文をバーテンさんに伝えると、2曲目のイントロが流れ始める。
「また逢う日まで 逢える時まで 別れのそのわけは話したくない」
今度は女性の黄色い声が大きめに聞こえた。一番騒いでくれてるのガイドさんだな。
俺はマイクを数本渡しながら歌う。そうするとつられてみんな歌ってくれる。キーはいじってないので女性には少し低いかもしれないが、どんちゃん騒ぐのにそんなのは些末なことである。
歌い終わりの「ふたりでドアをしめて ふたりで名前消して その時心は何かを話すだろう」はみんなで大合唱になった。
すっかり場が温まったのでばあちゃんに目線を送りマイクを置こうとするが、男性のお客様が1人手をあげた。
「はい! 一緒に歌ってほしい歌があるんだけども……!」
「もちろんいいですよ! 僕の分かる歌だと良いけど」
「えっとな、……なんだが」
「あぁ! いいですね、じゃあ僕ハモリのところ歌いますよ」
「さすが飛燕館のお孫さんだな~!」
「それほどでもォ!」
「なんで大女将が言うのさ!」
ばあちゃん、ちょっとお酒飲んでるんじゃないか? 俺のツッコミを受けてすっかり楽しそうである。
叶馬は事前に言った通り、グラスが空いている人に声をかけて注文を取ってくれているようだ。
「明日 私は旅に出ます あなたの知らない人と二人で」
歌い出しは一緒に歌いながら、徐々にボリュームを落としてメインをお客様に任せていく。サビの部分でハモる箇所があるので、俺はハモリのほうを歌う。綺麗に重なったようで、聞いている皆さんも喜んでいた。
歌い終わると、じゃあ次は私!と女性が手を上げてくれる。ここまでくればもう大丈夫である。
俺と叶馬は数曲賑やかしで聞き役と盛り上げ役をして、カラオケルームを出た。
「2人とも、ありがとね! おやすみ!」
「ばあちゃんもほどほどにしなよ」
「分かってるよッ」
ありゃあ長い夜になりそうだ。俺は叶馬に肩を竦めて見せて、温泉へと向かった。
温泉の前に飲む水を喉へ流すと、歌って震えた部分が冷えて気持ちがいい。
いつものように2人で洗い場へ向かう。最近は先に頭や身体をすべて洗ってしまってからゆっくり露天風呂で話し込むのが定番になっていた。
洗い終えて露天風呂へ浸かると、心地よい温かさが身体を包んでくれる。
「ああ~……やっぱり温泉って最高……」
「毎日入っても飽きないな」
「ね、不思議だよなぁ」
叶馬はやはり先ほどのカラオケが衝撃だったようだ。興奮気味に俺の歌を褒めてくれる。
「潔貴の歌、本当に上手かった! 女性の歌も男性の歌も、両方上手かった」
「そうかな、ありがと」
思い返すと同級生に自分の歌を聞かせたことが無かったので、忘れていたはずの気恥ずかしさが顔を出す。
「たくさん練習したのか?」
「練習したっていうよりは、小さい頃から俺が歌うとじいちゃんばあちゃんが喜んでくれて、それが嬉しくて……って感じかな。最初はお客様の前で歌うのは恥ずかしかったから、よく地元の人を呼んでカラオケ大会やって慣れたんだよ」
「そうだったんだな。昭和歌謡ってテレビでちょっとしか聴いたことなかったけど、すごくいい歌だった。潔貴の歌、もっと聞きたい」
「ははっ、俺の歌より本家を聞いた方がいいよ。後でプレイリスト教えてあげるからさ」
「……両方」
「分かった、分かったって。俺も歌うって」
「やった」
叶馬は最近、俺に何かを強請るのが上手くなっている気がする。ぼうっと星を眺め始めた叶馬を見て、思い出す。
「そういえば、お囃子の練習いつだ?」
「3日後」
「そっか」
「潔貴は?」
「金曜日に兄貴が帰ってくるから、土日でやるって」
「俺も見に行っていいか?」
「良いけど、他の地区のお囃子聞くと音が微妙に違うせいで違和感残らん?」
「俺は別に。自分のところの笛聞いたら他は全然分からなくなる」
「あぁ、それはなんとなく分かるかも」
それから俺は叶馬に夏の大三角形を教えた。叶馬が他の星座も知りたがるので、部屋へ戻ったら星座の図鑑を見せて教えてやることになった。
昭和歌謡に、星座に、学校の勉強に忙しいが、叶馬は俺がこれまで教えたことは水を吸うスポンジのように吸収していった。叶馬は学ぶ意欲もあり、そして地頭が良く、要領も良いのだろう。
俺はそんな風に叶馬と過ごしながら、誰かに教えるというのも悪くないな、などと思ったのだ。
