腹を摩りながらほくほくとした笑みを浮かべる叶馬を見上げる。
「ちゃんと足りたか?」
「腹一杯だ......ここのご飯美味しすぎる」
「あははっ、なら良かった。父さんも作り甲斐があるって言ってた」
一日の仕事を終えて従業員用の食堂で夕飯を食べた。お客様と同じメニューではないが、同じ食材を使った簡単なまかない料理が出される。健康に配慮した献立なのは間違いないし、おかわりもたくさん用意しているので、叶馬が飛燕館で働いている内に痩せてしまうなんてことにはならないはずだ。
「どうする? 先に風呂入るか?」
「風呂に入ったら速攻で眠くなる自信がある」
「あー確かに。じゃあちょっと課題頑張るか」
課題や勉強を一緒にやるなら事務所の方がいいだろう。まだ叶馬の荷物も事務所にあるのでちょうどいい。
二人で事務所へ向かって歩く。まだ館内の売店や卓球台、カラオケを楽しむ人たちがちらほら歩いている。あとは温泉から上がってマッサージチェアに乗っている人とかも。
そんな人たちを見ながら、叶馬がふと呟く。
「ここに来る人たちは、みんな笑顔で楽しそうだ」
「うん、それが俺たちの目標だから」
飛燕館に来ていただいたからにはしっかり癒されて楽しんで帰ってもらいたい。これは小さい頃からばあちゃんをはじめとして飛燕館で働くみんなの背中を見て育った俺にとっては日々の目標だ。
「……お客様と話してる潔貴はすごく立派で、かっこよかった」
ちょうど事務所に入ったところで、叶馬が俺をまっすぐ見て言う。黒真珠のようにきれいな瞳が俺を捉えて離さない。
「あ、りがと……」
「車の整理からチェックイン、部屋の案内、食事の配膳も……いつもお客様の細かいところを見てて、先回りして親切にできる。今日一日だけでも潔貴がどれだけすごいか分かった」
――――自分がやってきたことを疑っていたわけじゃない。もう、日々の生活の一部になっているし、これからもずっと続いていくんだろうなって漠然と思っていた。
それを特段嫌だとも、つまらないとも思ったことはない。けれど心の奥底で、今の叶馬の言葉に救われた何かがあった気がする。
「なんか……」
「ん?」
「……今まで頑張ってきて、良かったなって」
「本当にすごいことだと思うぞ」
「そ、っか。……叶馬にそう言ってもらえると、よく分かんないけどめっちゃ嬉しい」
「フッ、潔貴、カッコよかったぞ」
「今のはなんか違うかも!」
「ハハハッ」
ふざけながら二人で課題表を眺め、まずは叶馬が苦手な数学から始めることになった。
問題集の範囲が結構広いので、セクションごとに分かる範囲で解いてもらったら俺が採点をすることにした。そして分からなかったところや誤答した問題を俺が解説していく。一生懸命問題を解いている姿は真摯で、真面目だなぁと思う。
1時間ほどすると叶馬の瞼が重くなってきたようなので声をかける。
「今日はこのくらいにしておこうか」
「うん……」
「風呂に案内するよ。ウチは露天風呂も売りのひとつだからさ」
「ろてんぶろ……」
風呂で寝そうだけど大丈夫かな。
しかし今日一日の汗は流したいだろう。いくら体力があるとはいえ、慣れないことをして疲れているだろうし。
持ち物を用意してと言うと、ボストンバッグから身体を洗うタオルしか持たない叶馬。化粧水とかはやっぱり使わないのな。こりゃあしっかり教えてやらねば。
「ほら、フラフラしてないで行くぞ」
「ん……」
半目状態でふらつく叶馬の手を引いて歩く。23時近いのでお客様もほとんど歩いていない。俺たちも食事をする前に着替えているので従業員とは分からないだろう。
叶馬の手を引いて歩いていると、弟がいたらこんな感じかな?なんて思う。俺よりずっとでかいけど。そのままエレベーターへ乗り込んで最上階の風呂へ向かう。
エレベーターを降りたら、念のため風呂場の前に置いてあるウォーターサーバーでコップ1杯の水を飲ませる。せっかくの風呂でのぼせたら勿体ないからな。水を飲んだら少し目が覚めてきたらしい叶馬は、自らすたすたと男湯へ向かっていく。
脱衣所に入ると髪を乾かしていたり、扇風機の風に当たっているお客様がいる。
二人で隣り合ったロッカーを開けて、Tシャツとジャージを脱いでいく。俺は叶馬の分も持っていたバスタオルを一枚渡してやる。
よく考えると、友達と温泉に入った経験はあまりない。時々遊ぶ同級生たちからは「飛燕館の孫をスーパー銭湯には誘いづらい」と言われる。まぁ、そうだよなと思う。
男二人で何を恥ずかしがる必要もないので、パパっと服を脱いでロッカーを閉める。俺は自分のシャンプーとコンディショナーも持って風呂へ向かう。
「広っ……!」
「結構自慢です、ウチの風呂」
風呂に入った叶馬の第一声。そんな風に驚いてもらえるとやはり嬉しいものだ。二人ともシャワーとボディソープで軽く汗と汚れを落としてから内風呂へ向かう。
「どこから入ればいいんだ?」
「まずはあんまり温度が高くないところにしたら? 炭酸泉とかがいいかも」
「ん」
叶馬は俺の言った通り、38度ほどの炭酸泉に入る。炭酸のつぶつぶが身体を包んでいく感覚が面白くて、俺は結構好きだ。肩まで浸かった叶馬が「あ゛~」と声を伸ばす。
「ははっ、一日お疲れ様」
「濃い一日だった……」
「……嫌ンなってないか?」
ちょっとだけ、心配していることではあった。接客業は合わない人には本当に合わないから。叶馬に無理をしてほしいとは、俺も俺の家族も思っていない。
しかし、俺の心配をよそに叶馬はかぶりを振った。
「なんで、すごく楽しいよ」
「ほんとに?」
「うん。お客様に満足してもらうためにみんながそれぞれの持ち場で役目を果たすってのが、ちょっと野球に近いとこもあるなって」
「へぁ~、そんな風に思ってくれたんだ」
「違ったか?」
「ううん、俺も同じような感じ」
俺の返事を聞いて、叶馬がほっとした顔をする。
「露天風呂行きたい」
「ん、行こっか」
女湯、男湯ともに内風呂を通って屋上の露天風呂へ行けるようになっている。今は夏ということもあって、扉を開けてもそこまで寒さは感じない。
「うわ! 星が見える!」
空を見上げる叶馬を放って、ペタペタと石の上を歩いて湯へ浸かる。さすがに身体を風に晒すとちょっと寒いよ、俺は。他に人はいないので貸し切りだ。叶馬がちょっと大きな声を出したくらいどうってことない。
周りを見回しながら湯へ身体をしずめた叶馬は楽しそうに言う。
「俺、こんなに広い露天風呂初めて入った」
「どう?」
「すごい!」
「ははっ、よかった。ほら、街の方見てみなよ。夜景も綺麗だから」
「おぉ……! ほんとだ!」
露天風呂は4か所あり、それぞれ温泉の種類が違う。一番大きな風呂からは街の明かりがよく見渡せるようになっている。俺は叶馬に、あっちが海の方でこっちが叶馬の家の方角だよ、と色々と教える。それにいちいち反応する叶馬が可愛らしい。
「そんで、竜薬祭のメインルートがあの辺り」
「結構飛燕館から近いんだな」
「うん。歩いて……15分? かからないくらいじゃないか」
「祭に合わせて泊まる人の気持ちも分かるな」
竜薬祭は前夜祭、1日目、2日目と3日間行われるが、メインの山車が回るのは1日目と2日目の夕方からだ。前夜祭は色々な出店が出るので特に地元の人が遊んでいることが多い。
祭で思い出してしまった……今年の2日間は俺にとっては少々憂鬱なのである。
「はあ……」
「どうした?」
「……叶馬は山車、やんの?」
「野球の試合が被ってないときはやらされるな。大太鼓が一番やってて、今年もやる予定だ」
「そっかぁ……」
「潔貴もやるのか」
いいなぁ、大太鼓で。俺は風呂の縁に両腕を預けて項垂れる。叶馬はそんな俺を見て首を傾げる。
「……ゃく」
「なんて?」
「……今年、女役やらされるんだよ!」
「えッ!」
俺は言いながら大げさに両手で顔を覆う。叶馬の反応は一般的な地元民のものである。
それぞれの地区で山車を出すのだが、五人囃子だけでなく舞い手で男役と女役の2名が必要だ。飛燕館のある地区は女性が少ないこともあるのだが、思春期の女の子たちが舞い手をどうしてもやってくれない年はなぜか俺にお鉢が回ってくる。ばあちゃんが自治会長もつとめているので、致し方ない部分はあるのだが……。
「それ、男役は誰がやるんだ!?」
ため息をつく俺の肩を叶馬が掴む。急に触れられたので思わず肩が跳ねた。妙に真剣な叶馬の眼差しに、今度は俺が首を傾げる番だった。
「男役? 大体兄貴かな」
「お兄さん……?」
「うん、俺の兄貴が男役。祭の時期に帰省してくるからさ」
男役が俺の兄貴だと聞くと、ほっとしている。なんだろう、と思ったが気にせず続けた。
「兄貴とだったら合わせる練習が最低限で済むから、悪くはないんだけど……さすがに高3にもなって女役が回ってくると思わなくて憂鬱なんだよぉ」
「大変そうだな」
「他人事だと思って!」
キッ、と八つ当たりで睨みつけると、目を細めて笑う。そんな、星が落ちたようなきれいな瞳を見ていると、意気がそがれた。叶馬はおもむろに手を伸ばして、俺の顎に手を添えて両頬を優しく潰す。
「んむっ」
「祭で踊るなら、もう少し肉をつけとかないと、バテるぞ」
「俺だって頑張って食べてるんだけどな……」
叶馬はしばらく俺の頬をふにふにと弄び、続いて俺の二の腕を握る。
「ほら、俺の手がここまで回る」
「……ガンバリマス」
「潔貴、身長いくつだ」
「173……だったかな?」
「体重は」
「……」
「脱衣所に体重計があったから、後で一緒に計ろうな」
「うぅ……野球部の基準で考えるなよ? 叶馬は身長いくつなんだ?」
「187」
「通りでデカいわけだ」
身体をじろじろ見るのはマナー違反だからちらっと視界に入っただけだが、胸板や腕、腹筋や脚の筋肉まで立派な筋肉がついていて、自分の貧相な身体とは雲泥の差でげんなりする。
そんな俺のために話を変えてくれようと思ったのか、叶馬が面白いことを聞いてくる。
「潔貴は竜薬祭の由来、どう思う」
「あー、昔話?」
「うん。昔話がいろんなパターンあるだろ。じいちゃんばあちゃん、父さん母さんたちの世代でも違うし、何なら地元の人はみんなそれぞれ自分の好きな話を信じてる」
「確かに、すごい適当だよな」
「だから、潔貴はどのパターンが好きなのかなと思って」
「うーん俺は……」
――――……
昔々あるところに、長年生きた竜がおり、海辺の村でたまたま見かけた絶世の美女に恋をする。
竜は初めての恋の痛みに、女の名を呼びながらのたうち回る。苛烈な恋に天は嘶き海が荒れた。女は村を守るため竜を宥めようと一人で会いに行く。
どれだけ怖い竜かと思ったが案外優しく、その見た目ではなく温かい心の持ち主であることに好意を持ち、何度も会う内に女も竜のことが好きになる。
それを見ていた神様が、「その女が竜の逆鱗を飲み干すことができたならば、竜を人の姿に変えてやる」と無理難題を言った。
竜は「俺の逆鱗はとても大きくて鋭い。そんなことをすれば女の喉が裂けてしまう」と反対した。
しかし女はけろりとした顔で「そんなの、すり潰して薬にして仕舞えばいいじゃない」と言って、竜の逆鱗をすり潰し、薬にかえて見事飲み干して見せた。
果たして竜は人の姿になり、竜の逆鱗を飲んだ女は人となった竜と共に、長い年月を愛し合って過ごしたそうな。
――――……
「俺はこの話が好きかな」
「……一緒だ」
「ほんとか!?」
「あぁ」
「このパターン好きだっていうのは大体じいちゃんばあちゃん世代だけどな」
「俺もじいちゃんばあちゃんに教わった」
「あはは! 俺も!」
意外な共通点が見つかり、二人で笑う。そっかぁ、叶馬も俺と同じ話が好きなんだな。
竜薬祭はその逸話になぞらえてこの地方で続いてきた祭だ。各地区で竜を模した山車が出て、五人囃子が乗る。山車の前では男役と女役が伝統の舞いを踊る。それを日が落ちる頃合いから夜のキリの良いタイミングまでだらだら踊る。
「あ、それじゃあ祭の当日はお互い忙しくてあんまり遊べないな」
「あぁ……でも、潔貴が踊るところは見に行く」
「え~恥ずかしいからいいよ。俺は叶馬の太鼓見に行くけど」
「潔貴だけずるいだろ」
それから俺たちは今までに祭りで経験した面白い話を共有しあって、髪や身体を洗って風呂から出た。短髪の叶馬はあっという間にドライヤーで髪を乾かし終わる。髪はいいとしても化粧水と乳液は塗らせようと、叶馬を傍に呼んで手を出させる。
「なにこれ」
「化粧水。それを塗ったら次は乳液な」
「……」
「俺も頑張ってご飯食べるから! ただでさえ日焼けしてるんだから塗っておいた方がいいぞ~」
渋々、といった様子で叶馬が化粧水と乳液を塗っている間に髪をさっと乾かした。俺もパパっと顔を保湿したら完了。その後、宣言通り体重計にも乗せられて、「明日からなるべく一緒にご飯を食べような、見守るから」と叶馬に肩を叩かれた。
誰かと喋りながら風呂に入るのは久しぶりで、とても楽しかった。ふわふわとした心地で大浴場を後にして、入浴前と同様に冷たい水を喉に流す。
「はあー、すっきりした」
「うん、俺も」
「明日からも、仕事の時以外は好きなタイミングで入っていいから」
「分かった」
俺たちは一度事務所へ戻り、叶馬の荷物を取りに行こうとした。
「あれ? 無いな……もしかしたら部屋に持って行ったのかもしれない」
「手間かけちまった」
「いいって。行こう」
事務所を出て母屋の最上階へエレベーターで上がる。最上階が俺の家族が主に使っている階で、その下の階はすべて従業員の寮になっている。俺の隣の部屋が元々兄さんの部屋で、叶馬にはそこを使ってもらえばいいかって母さんと話していたのだ。
廊下の突き当りにある兄さんの部屋を開くと、叶馬の荷物は無かった。
「あれ?」
なんでないんだろう。っていうか布団も置いてないじゃん。どういうことだ?と首を捻って、一旦向かいの俺の部屋のドアを開ける。すると、俺のベッドの横に布団が敷いてあった。
「え!?」
「あ、俺の荷物もある」
「んん!?」
どういうことだ、と考えている俺そっちのけで、叶馬は部屋に入ってボストンバッグの中身を整理し始めた。俺もとりあえず部屋に入って自分のベッドに腰掛ける。
「叶馬、あっちの部屋に布団持って行くか?」
さすがに叶馬も一人きりの時間が欲しいだろう。そう思って聞いたが、叶馬の身体がピシリ、と静止する。
「……いや、俺は、全然ここでも」
「えぇ、一人の時間全然無くなっちゃうぞ」
「……そう、だよな。潔貴も一人の時間欲しいよな」
「俺は別に一緒でも構わないけどさ、叶馬が嫌だろ?」
「やじゃない」
「えー、無理しなくていいぞ」
俺に気を使ってくれているのだろうか? 叶馬はややあって、小声で言う。
「……知らない場所で一人だと、寝られないから……潔貴と一緒の部屋がいい……」
「えっ」
「……ダメか?」
「ううん、全然いいよ」
可愛いが過ぎませんか。
喉から飛び出そうになった「可愛いー!!」を何とか飲み込んで、平然とした顔を取り繕う。えぇ、可愛い。それと、ずっと気になっていたのが……
「叶馬、ちなみにそのイルカはどこに……」
「……こうだな」
「そうか~睡眠は大事だからな、環境づくりからだもんな」
うん、と頷いた叶馬は、大きな青色のイルカを布団に乗せて、お前はここだぞと言う感じで寝かせてやっている。イルカは「仕方ねえな」という顔で寝転ぶ。
学校一有名な野球部のエースが、イルカのぬいぐるみが無いと寝られないなんて……!
叶馬も寝る支度が整ったのか、薄い掛け布団をかけて寝転んだ。しっかりとイルカを抱き込んで、心地いいポジションを探している。
「叶馬、寝れそうか?」
「ん、眠い……」
「電気は全部消していいのか?」
「……ちょっとだけ明るいと嬉しい」
「じゃあ薄くつけとくな」
「潔貴は……俺がいて、ちょっと電気がついてて寝られるのか」
「俺はいつでもどこでも寝られるタイプだから、全然平気」
「すごいな潔貴は……」
「ふふっ、お休み、叶馬」
「ぅん……おやすみ、いさき……」
薄っすらと明かりを残して俺もベッドに入る。
すぐに叶馬の深い寝息が聞こえてきて安堵する。叶馬がぐっすり眠れますように、と願いながら俺も瞼を閉じた。
