「あ、よかった。それが一番大きいサイズだったんだよ」
「ぴったりだ」
飛燕館に到着して、叶馬にはまず制服のYシャツとスラックスを着てもらった。更衣室から出てきた彼はYシャツのボタンを一番上まできっちりしめている。俺は叶馬の前に立ってほつれや皺がないか確認する。
「昨日アイロンしたときに確認してるから、ほつれとかボタンは大丈夫だと思うんだ」
「潔貴が用意してくれたのか」
「ん? いや、アイロンちょちょってかけただけだよ」
「アイロンのかけ方、教えてほしい」
「ふふっ、いいよ。今度一緒にやろうか」
「うん」
素直な姿勢で教えを請うことができるのは、一種の才能だ。これはばあちゃんが昔からよく言っている。叶馬はその素質を持っているんだなぁ。俺は叶馬の手に握られたネクタイへ目をやる。
「ネクタイは?」
「挫けた」
「制服はワンタッチ使ってる子のほうが多いもんな。どれどれ~」
飛燕館の制服はYシャツとスラックス、ネクタイ着用だ。そしてその上から法被を羽織るのが決まり。基本的には真夏も同様。Yシャツは半袖になるけれど。俺は叶馬のYシャツの襟をあげてネクタイを首へかける。
「ウチのネクタイは長めに作ってあるから、ウィンザーノットで結ぶ人が多いかな」
「うぃ……?」
「ネクタイの結び方って色々種類があるんだ」
「知らなかった」
俺は叶馬の首の太さを目測ではかり、ネクタイの結び目に当たりをつける。人につけるのは少しやりづらい。しかし長年染みついた感覚で問題なく結び終える。
長剣と短剣のバランスもちょうどいい長さじゃん。叶馬に鏡を見てみるように言う。
「おお……すごいな」
「叶馬もすぐできるようになるよ。あとは法被を着るだけだな」
俺は法被を持って叶馬の背中側に回る。されるがまま後ろ手に袖を通す叶馬。そのまま着せてやれば完了だ。
飛燕館の法被は群青色をベースに、裾にかけてツバメが白で描かれている。改装工事をしてリニューアルする際にデザインを変える提案をしたのは俺だ。どうせ仕事をするならかっこいいデザインが良いと思ったのだ。
数年前の自分……グッジョブ!!
「めっちゃかっこいい!」
「色とデザインがかっこいいな」
「いや、叶馬が」
「ん?」
「ンンッ、似合ってるよ!」
あの柳瀬叶馬がウチの法被を着ているなんて……!
あまりにもかっこよくて、悲鳴を上げそうになるのを堪え咳払いする。本当にデザイン変えてよかった!!
俺は誤魔化しながら、叶馬にインカムを渡す。
「これで館内なら大体無線が届くようになってるから。腰のあたりに挟んで……イヤホンはどっちの耳がいい?」
「左がいい」
「じゃあこっちから線を回そう」
身体の後ろにイヤホンの線を回して、法被の胸元にマイクボタンをクリップで挟む。自然と叶馬の腰へ抱き着くような恰好になってしまうが叶馬は大人しくしてくれている。
イヤホンのサイズも耳に合っているようなので、テストをする。
「これがマイクのボタン。押している間喋るとみんなに聞こえる。押してすぐ喋ると頭が途切れちゃうから、押した後にピッて音が聞こえてから喋るようにしてね」
「分かった」
「なんかちょっと喋ってみてくれる?」
「……あーあー、聞こえますか」
叶馬の声の後に、誰かからの返事が薄っすら聞こえる。叶馬は耳から入ってくる声に驚いたようで目を丸くしている。
「潔貴のお母さんの声がした!」
「うわ、ちゃっかり叶馬のインカム一番最初に取ってんじゃん。ずっる……」
てへっ、と笑う母の顔が浮かぶ。もうすぐチェックインが始まるので、今は各部屋の最終チェックをしているはずだ。
叶馬のインカムは取られたが、装着している姿を一番に見られたのは俺だからまあいいか。
インカムに感動している叶馬を改めて見つめる。これが法被でなく黒いジャケットであればSPのようである。
「俺も準備するから、ちょっと待ってて」
「おう」
俺がよく使う事務所の机の引き出しからワックスを取り出す。
事務所の鏡の前に立ち、髪の毛先からワックスをつけて整えていく。今は少し髪が伸びていて、前髪を下ろすと目が隠れるくらい。その前髪を手櫛でがっと後ろへかき上げる。
横の髪もしっかり耳にかかる長さで、これが意外とセットも楽だと気付いて、最近はこの長さをキープしてカットするようになった。襟足は整えているので清潔感も保てる。
ふと気付くと、叶馬が鏡越しに俺のことを見ていた。
「どした?」
「いや……」
目が合ったかと思えばそらされて、そらされたかと思えばまた目が合う。それを数回繰り返す内に髪の毛のセットは終わる。次にネクタイを結びにかかったところで叶馬が呟く。
「前髪上げると……印象が全然違うな」
「そうかな?」
「うん……カッコいい」
柔らかい吐息混じりの誉め言葉に、思わずむせる。
「大丈夫か?」
「ごほっ、うん、だいじょぶ」
不意打ちはやめてほしいけど。
眉を垂らした叶馬に大丈夫と繰り返して、ささっとネクタイを結び終える。腰にインカムを取り付けて左耳にイヤホンを差し込む。
「叶馬もワックスつけてみたら?」
「やり方がよく分からん」
「おいで」
叶馬が俺の前に立つ。でかくてやりづらいので、「ちょっとかがんで」と言って膝を曲げてもらう。ちょうどいい高さになった叶馬の髪の毛に軽くワックスをつける。毛先中心にちょっとずつつけて束感を出すだけで印象が変わる。元々おでこが出ている短髪で眉毛は綺麗に整っているので問題ない。
「ん、できた」
「おぉ」
「さらにかっこよくなったじゃん」
「ありがとう。潔貴に教わってばっかりだな」
「手伝ってくれるんだから当然だよ」
今日一日は、叶馬が俺と一緒に動く流れとなっている。まずは一通り旅館の仕事を見てもらった方が、イメージが湧くだろうということだ。
こんな風に同級生と一緒に働くのは初めてなので緊張する。しかし一番緊張しているのは叶馬だろう。せっかくなら、この仕事の楽しさを感じてもらえたら嬉しいな。
「叶馬、緊張する?」
「んー、昨日事務所に入る時よりはマシだな」
「フッ、昨日の緊張どんだけよ」
全然緊張してなさそうで安心する。県大会の決勝で先発投手をつとめる彼だ。肝は座っているはずだ。
俺は叶馬の肩にポン、と手を置く。
「じゃあ行こうか」
「あぁ、よろしくな」
こうして、ドキドキの夏休みアルバイトがスタートした。
