デルフィニウム群青録 ―老舗旅館バイトにスカウトした野球部エースが、なぜか俺のお婿さんに立候補しました―




 薬山の駅前にはお土産屋さんが立ち並んでいる。駅からすぐそばの足湯はいつもより少し空いている。温泉街の宿が軒並み15時チェックインなので、これから人が増えるはずだ。


「薬山で降りたの、結構久しぶりだ」
「そうなの? あー、でも地元の人はあんまりこの辺に用事ないよね。温泉とかあんまり行かない?」
「近所にスーパー銭湯ができたから、そっちには時々行く」
「あの新しいとこね! 俺も気になってたんだよね。結構広い?」
「結構広い」


 俺と柳瀬君は30分の電車内でだいぶ打ち解けることができた。今日ばかりは今までの接客経験が役に立ってくれたような気がして、嬉しい。柳瀬君は口数が多くはない。しっかり相手の話を聞いて噛み砕くタイプ。内心では色々考えているみたいで、思考が終わるのを待って聞き出すと結構面白い。


「おーい、潔貴」
「あぁ! どうも~お疲れです」


 駅前のタクシー乗り場でおしゃべりしている運転手さんたち。その中の一人が「潔貴~!」と俺の名前を呼んだ。地元の運転手さんたちはほぼみんな知り合いでよく声をかけてくれる。これも人付き合い、というか仕事付き合いの一環である。
 ロータリーから中央の乗り場へ向かう。柳瀬君に目配せしたら頷いてくれる。どうやら一緒についてきてくれるようだ。


「みなさんお疲れ様です」
「お、潔貴だ」
「お前が友達連れとは珍しい」
「ほんまだなァ」


 とんだご挨拶である。確かに友達を連れてくることは少ないけど!
 運転手さんたちはしげしげと遠慮なしに柳瀬君のことを見る。あんまり舐め回すように見るのは止めてほしいんだけど。


「あんれ……なんか見覚えあんな……?」
「おめーもか」
「はじめまして。柳瀬です」
「下の名前は?」
「叶馬です」


 しばし運転手さんたちはむにゃむにゃと口を曲げながら何かを思い出しそうな顔をする。ちょっと長いから、もうバラしていいかな?
 待ちきれなくなってきていた俺が口にする寸前で、「ああっ!」と一人が大きな声をあげる。


「野球部の! ほれ、先週決勝でよ!」
「ああ!」
「帽子とユニフォームじゃねえと分かんねぇもんだな」
「応援してくれたんですか」
「あったりめえよ~」


 そういえば運転手さんたちもこの間のウチのパブリックビューイングに居たような気がする。俺は決勝をみんなで応援していたことを柳瀬君に話す。すると彼が目を丸くして驚く。


「そんなに大勢で応援してくれたのか……」
「そうなんだよ。もうお祭り騒ぎでさ」
「いや~いい試合だったな!」


 そこから試合を振り返っての話が長くなりそうだったので、宿の仕事があるからまたね!と言って柳瀬君の手を引っ張って逃げた。地元の知り合いは大抵話が長い。適当に切り上げないと日が暮れてしまう。

 駅前のお土産店通りを過ぎるまで少し早足で歩いた。そこで柳瀬君の手を掴みっぱなしだったことに気付く。


「……ごめん! あのままだと日が暮れると思って、引っ張っちゃった」
「大丈夫だ」
「痛めてない?」


 俺は慌てて柳瀬君の手を確認する。特に痣とかはついてないみたいでほっとする。普通に接してほしいとは言われたけれど、やっぱり柳瀬君の手は大事にしたいと思ってしまう。
 すると今度は柳瀬君が俺の手を取って、じいっと見つめた。かと思えば、自分の手と重ねた。


「細長いな」
「否定はしないけど、柳瀬君の手が大きくて分厚いんだと思うよ」
「そうか」


 にぎにぎ、とマッサージするように手を握られて、俺は顔が熱くなってくる。手を引っ込めるタイミングも逃したので、されるがままだ。
 ややあってふむ、と納得顔で手を離してくれた柳瀬君を再び飛燕館へ案内する。ここからはもうすぐのところにある。
 薬山駅からは徒歩7、8分のところに位置している。なだらかな坂を上っていくと、「飛燕館」と書かれた藍色の看板が見えてくる。
 正面玄関に着くと、柳瀬君は「おぉ」と感嘆の声を上げる。


「でかいな……」
「うん、薬山温泉の宿の中では多分1,2番の大きさじゃないかな。3年前、大幅に改装したのもあるけど」


 飛燕館は宿泊部屋と温泉、食事処あわせて3棟に分かれていて、従業員と家族の母屋が1棟ある。母屋はフロント裏の事務所に直結している。従業員の入り口もここにある。

 叶馬が正面玄関の前で足を止める。


「この花は?」
「飛燕草って言うんだ。飛ぶに燕で、飛燕草」
「飛燕館の由来?」
「そうそう! だいぶ昔のご先祖の代からずっと育ててるらしい。カタカナだと、デルフィニウムって言うんだ」
「青が綺麗だ」
「青好き?」
「一番好きな色だ」
「へえ、俺と一緒だ」


 にい、と笑ってみせると、柳瀬君も笑った。
 正面玄関にはたくさんの飛燕草がある。家族と従業員の皆さんと頑張って手入れをしているから、飛燕草に気付いてくれたのは嬉しかった。

 俺はいつも通りに裏口の鍵を開ける。柳瀬君に靴を脱いでもらって、靴入れの場所を教える。俺も続いて靴を脱いで柳瀬君の靴に並べて置いた。足のサイズも随分違うな。

 
「じゃあ事務所に案内するよ」
「……」
「柳瀬君?」
「……この間の決勝より緊張する」
「うそぉ」


 目を閉じて深呼吸を繰り返す柳瀬君。どうやら本当に緊張しているらしい。まぁでも、いきなりこんなよく知らない同級生の実家に連れてこられたら緊張するよなぁ。


「大丈夫、本当にみんな喜ぶと思うから」
「……よし、行こう」


 肩の力を抜いた柳瀬君がきりっとした顔を作った。これが彼の余所行き用の顔なのだろうか、かっこいいな。
 善は急げ、ということで事務所の扉を開ける。ちょうど今日チェックインのお客様についてのミーティングが終わって談笑中のようだ。
 事務所の中には大きめの机が2列並んでおり、計20人ほどが同時に座って仕事できるようになっている。家族と従業員のみんなが一緒にお茶を飲んでリラックスしている。


「ただいま~」
「あらおかえり」
「潔貴さん、おかえりなさいまし」


 たくさんの「おかえり」に包まれる。紹介したいと思っていた面子がタイミング良く揃っていてよかったな。
 俺は奥の方に座っているばあちゃんに声をかける。


「ばあちゃん、夏休みの助っ人連れてきたよ」
「おぉ!? 本当かい」


 ばあちゃんは余程驚いたのか声が裏返っている。それに続いてじいちゃん、母さん、父さんまで俺の顔を見て目を丸くする。そんなに驚かなくてもよくないか?
 俺は廊下で待っている柳瀬君に顔を見せると、ゆっくり事務所に入ってくる。


「なっ!?」
「あれぇっ!?」
 

 柳瀬君を見て真っ先に声を上げたのは、ばあちゃんと母さんだった。さすが親子、立ち上がるタイミングまで一緒だ。じいちゃんは眼鏡をどこかに置き忘れたのか、眉を寄せて首を傾げている。父さんは母さんを見て、もう一度柳瀬君の顔を見て手を叩いた。


「野球部のエースじゃないの!」
「初めまして、柳瀬叶馬です」
「あらあらあら……」
 

 ばあちゃんはあっという間に柳瀬君の目の前まで来て、両腕にぽんぽんと触れる。


「潔貴、騙して連れてきたんじゃないだろうね?」
「んなわけないじゃんよ~」
「騙されてないです」
「ンフッ」


 まっすぐに受け答えした柳瀬君が面白かったのか、母さんが吹き出している。それにしても俺に対する言いがかりがひどい。ばあちゃんは柳瀬君を足の先から頭まで舐めるように観察して「あら~」と連呼している。


「ばあちゃん、あんまじろじろ見たら失礼だって」
「そうは言ってもね、随分と精悍な若人だもんさァ」
「明日からでも手伝いたいって言ってくれてるよ」


 俺の言葉にばあちゃんの目の色が変わる。


「それはありがたいねぇ。ぜひとも、よろしく!」
「よろしくお願いします。頑張ります」
 
 
 ばあちゃんの差し出した両手を柳瀬君ががっちり掴む。柳瀬君と並ぶと、150センチくらいしかないばあちゃんが余計に小さく見える。彼のはにかんだ笑顔は女性従業員の心を掴んだらしく、小さく黄色い歓声があがった。

 母さんが手際よくアルバイトの雇用に関する書類を用意して柳瀬君に渡す。父さんと母さんが柳瀬君のご家族に明日ご挨拶したいと伝えると、快諾してくれた。


「明日はちょうど父も休みなので、二人ともいると思います」
「あらぁ~よかったわ! そのままうちの車に乗ってこっちに連れてくるから、荷物が多くても大丈夫よ」
「分かりました、ありがとうございます」
「制服はこっちで用意しておくからね。あらでも大きいサイズあったかしら、桐吾さ~ん、制服大きいのあったかしら~?」
「はいはい」


 事務所内が一気に騒がしくなった。せっかちな母さんにせがまれた父さんが制服を探しに行った。このままだと柳瀬君が待ちぼうけになってしまう。


「母さん、制服は明日でもいいでしょ。俺、柳瀬君見送ってくるから!」
「ああそうね、ごめんなさい引き止めちゃって」
「いえ、よろしくお願いします」


 俺は柳瀬君を連れて事務所から出る。あぁ、うるさかった。


「ごめん、騒々しくて」
「みんな明るくて、いい人たちばっかりだな」
「そう言ってくれる柳瀬君が優しいなぁと思うよ、俺は」


 二人で笑いながら従業員の通用口を出た。俺は適当なサンダルに足をつっかける。


「駅まで送るよ」
「いや、大丈夫だ。もうすぐ15時だろ? 道は覚えたから」
「そっか、分かった」


 なぜか、「じゃあまた明日」の言葉が出てこない。それを言うことが少し寂しく感じる。柳瀬君も鞄の紐を肩にかけ直してシャツの背中側を引っ張って、言葉を探しているように見えた。
 しかし沈黙は一瞬で、柳瀬君がやぶった。


「あ……LINE、教えてもらっていいか」
「あぁ! 忘れてた!」


 何かあったらどう連絡するつもりだったんだ、俺は。柳瀬君はポケットからスマホを取り出す。真っ黒のシンプルなケースを使ってるんだな、柳瀬君っぽい。
 柳瀬君が画面に出してくれたQRコードを読み込むと、何の画像も設定していないアイコンが表示された。俺は友達に追加して、スタンプを1つ送る。


「ツバメ?」
「うん、それウチのゆるキャラなんだ」
「可愛いな」
 

 俺はそう言う柳瀬君の目尻の皺を見つけた。柳瀬君からは公式の茶色いクマスタンプが返ってきた。多分他のスタンプとかダウンロードしてないんだろうな。それも柳瀬君っぽい。


「下の名前の読み方、いさき、で合ってる?」
「うん、読みづらいよね」
「名札見ても分かんなくて、さっきタクシーの人たちに呼ばれてたけど、あだ名だったら……とか考えてた」
「確かにあのノリだと怪しいよね!」


 家族に呼ばれていたので読み方が間違っていないと確信できたらしい。柳瀬君に呼ばれると、自分の名前がどこか特別なもののように感じる。


「きれいで、かっこいい名前だな」


 柳瀬君が、今日一番の優しい笑顔を向けてくれる。というか、初めて見る顔だ。俺が見たことあるのは真剣な顔で野球をする姿と、ごくたまに廊下で遠目に見かけるくらいだったから。
 それに、こんな風にまっすぐ自分の名前を褒められるのは初めてで、ドキドキする。


「ありがと……あっ、紺野だと、ウチじゃ家族みんな紺野だからさ……」
「確かに。じゃあ下の名前の方がいいか」
「……うん」


 なんと現金な奴だ、俺は! 家業の手伝いをしてもらうだけでなく、それらしいことを言って下の名前で呼ばせるなんて。


「俺のことも名前で呼んで」
「いいの?」
「もちろん。多分苗字より呼びやすいと思うし」


 まっすぐな柳瀬君ならそう言ってくれるんじゃないかと期待していなかったと言えば噓になる。
 心の中の半紙に毛筆で柳瀬君の名前を書くイメージが浮かんだ。古風でありながら爽やかな彼の名。


「叶馬、くん」
「……呼び捨てで良い。俺もそうするから」
 

 彼の名前を口にすると胸に空気が溜まるようだ。あんまり長引くと心臓が破裂しそう。
 分かった、と頷いた俺に満足そうな顔をする。


「また明日な、潔貴」
「うん。また、明日……気を付けて帰って……叶馬」
「……おうっ」


 建物の隙間から注いだ午後の光を眩しそうにしながら笑った。俺にとっては白く光る歯を見せた笑顔の方が眩しかったけれど。