デルフィニウム群青録 ―老舗旅館バイトにスカウトした野球部エースが、なぜか俺のお婿さんに立候補しました―




 深い眠りからすうっと目が覚める。朝が苦手な俺にしては珍しい清々しい目覚めだ。
 寝相はベッドに入った時とほぼ変わっておらず、叶馬の腕が回されている。


「叶馬……」
「ん……おはよう」


 解けた腕。俺はゆっくり起き上がり、足の状態を確認する。うん、何とか踊れそうだ。寝ぼけた目で叶馬も俺の足を確認した。


「叶馬のおかげで夕方から踊るのには支障無さそう……!」
「よかった。俺は昼過ぎ、少し早めに会場へ行って打ち合わせしてくる」
「分かった」
「それまではゆっくりしておこう」


 叶馬はその宣言通り、ご飯を取りに行ったりテーピングを巻いたりして甲斐甲斐しく世話をしてくれた。昼過ぎになると叶馬が会場へ向かう時間になり、俺も支度を始めた。


「じゃあ先に行ってる」
「うん、ありがとう」


 叶馬は何度も「何かあったらすぐ電話しろよ」と言いつけて向かった。随分と世話を焼かれてしまっている。
 俺は昨日同様に着物を着て笠を被る。姿見に映った自分は薄目なら女性に見える気もする。支度を終えて会場に向かうため母屋を出ると、ちょうど兄貴も出るところだったらしい。


「おつ~」
「……兄貴、酒臭いんだけど」
「げっ、マジで?」
「まじ」
「ちょっともう1回歯磨いてくるわ……先行ってて」
「はいはい」


 仕方のない兄である。俺は飛燕館の紙袋に下駄を入れて、会場までは履きなれたスニーカーで向かう。この衣装の時はできるだけ完璧な装いで移動したかったが、踊りの時まで足を温存しておきたかった。
 案の定、会場近くになると周囲からの視線や小さな歓声が聞こえてくるようになる。笠を被っているので背の高い女性に見えていればいいが、なるべく早くみんなと合流できるように早足で移動した。

 山車の傍にはお囃子の人たちと自治会のメンバーがすでに集まっていた。


「潔貴君! 昨日変な奴に絡まれたって!?」
「あ、はい。でも叶馬がいたから、大丈夫でした」
「そうか……やはり祭の警備はこれから見直していかんとなぁ」


 自治会のおじさんとおばさんたちが俺のことを心配してくれていたようだ。すると、奥の方にいたばあちゃんがトコトコとやってくる。


「あれ、ばあちゃん。二日酔いは大丈夫なの」
「そんなもんなっとらんわい! ……今日も踊れそうかい」
「うん、大丈夫」
「無理するんじゃないよ。あんたは昔っから頑張りすぎるからね」
「えぇ? 大丈夫、ヤバかったら言うって」
「ならよし」


 ばあちゃんなりに俺のことを気にかけてくれているのはよく分かっている。人使いは荒いけれど。

 各自が山車の最終準備を始めて慌ただしくなる。遅れてやってきた兄貴と一緒に舞のおさらいも一通りできたところで運営からそろそろ始まるぞ、と合図が出る。

 その合図とほぼ同時に叶馬が運営の赤い法被を着てやってくる。袖を肩までたくし上げていると他の運営係と比べて妙な迫力がある。


「潔貴!」
「おつかれ~」
「足は」
「大丈夫」
「そうか。補強のテーピングは持ってるから、休憩入る時に見るぞ」
「ありがとう」


 すでにたくさん汗をかいている叶馬は首に巻いたタオルで拭う。夕日を背負った姿が眩しくて、思わず目を細める。
 
 叶馬は俺に向き直り、笠の覆いを少し開く。星空のように輝く瞳にとらわれる。


「祭が終わったら、話したいことがある」
「……うん」
「……行こうか」


 俺は叶馬の差し出した手をとり、女役の舞い手らしくそろりそろり、立ち位置へと向かった。


 
 
 


 ――――……

 最後の曲が鳴り終わり、観覧客の拍手に包まれる。

 2日目は踊りを邪魔するカメラマンもおらず、全力で踊りに集中できた。きっと叶馬がそばで守ってくれていたということも大きな要因だろう。不思議と足の痛みも感じず踊り切れた。


「はあ……っ、ふう……」
「お疲れさん」
「……兄貴もね」
「いやぁ、2日目はやっぱり長いなぁ」


 兄貴の言う通り、例年2日目は長めに踊ることが多い。祭のフィナーレだけある。
 俺たちの踊りを見終わった観覧客は、次に行われる花火が良く見える場所へ移動を始める。
 自治会のおじさんとおばさんたちに「おつかれ!」と労われる。そしてばあちゃんのそばにはいつの間にかじいちゃんもいた。どうやら最後の方は一緒に見守ってくれていたらしい。


「誉澄ぃ、潔貴ぃ、お疲れじゃったの」
「おう」
「じいちゃんも観に来てくれたんだ」
「潔貴が踊るのは久しぶりだからなぁ、見とこうと思って」
「そっか、ありがとう」
「二人ともお疲れさんだったね! よくやったよ。誉澄は打ち上げ行くのかい」
「もちろん! 今日の酒はきっと美味い!」
「潔貴はどうする」
「俺はもうくたくただから帰るよ……」
「誰かに送らせるかい?」
「……叶馬が送ってくれるから大丈夫」


 ばあちゃんたちには打ち上げ楽しんできて、と言って送り出す。大体どこの自治会も打ち上げがあるので、祭の片づけは明日以降に行われる。俺はガードレールに腰掛けて叶馬を待った。


「潔貴!」
「……叶馬」


 山車を最低限邪魔にならない場所へ移動するのを手伝ってくれていた叶馬が戻ってくる。叶馬の顔を見ると、ふっと身体の力が抜けた。


「おっと」
「……ごめ」
「謝るな。……頑張ったな」
「……ぅん」


 温かい腕に抱きしめられて、優しい声で労われると涙腺が刺激された。


「行こう」
「だいじょぶ、なの」
「運営の方は任せてあるから」
「そ、か……」


 一気に重くなる身体を叶馬に抱きあげられる。もしかすると踊っている間はアドレナリンが出ていたから動けていたのかもしれない。そう思うほど急に身体が言うことをきかなくなった。

 昨日と同じように叶馬の自転車の後ろに乗せてもらい、飛燕館へ向かう。まだ観覧客が多くいるが、ほとんどが花火を見るための位置取りのことで頭が一杯で俺たちに目を留める人は少ない。

 祭のメイン通りから遠ざかると、虫の音色がよく聞こえるようになってくる。


「汗臭いかもしれんけど、ちょっと我慢してな」
「臭くないよ」


 その証明に、叶馬の腰に回した腕をぎゅっと密着させる。叶馬の汗の匂いは全く嫌じゃない。右耳を背中に当てて心音を聞く。自転車を漕いで早まったそれは、ある意味俺のために早まっているものだ。
 心地よい揺れは温泉に全身をつけている時と少し似ているような気がした。

 飛燕館について自転車をとめると、当たり前のように俺を横抱きにしようとする。この流れだと俺の部屋に連れていかれそうだ。


「屋上行きたい」
「ダメだ。手当しないと」
「叶馬と一緒に花火が見たい!」
「……」


 叶馬は目を見開いた。すでに俺の背中に回していた手を肩の上に置いて、ぎゅっと掴む。


「……潔貴の勝ち」
「やった」
「スポドリは飲ませるぞ」


 俺をさっと抱き上げて、母屋に入る。俺をゆっくり床へ下ろして事務所にあるスポドリを2本とって戻ってくる。


「持って」
「ん」


 俺はスポドリを受け取って叶馬に抱きあげられる。改めて考えると、高校3年にもなって同級生にお姫様抱っこされることとなろうとは思いもよらない。
 叶馬はエレベーターの最上階のボタンを肘で押した。上階へ上がっていくエレベーター。浮上する感覚につられて叶馬の顔を見ると、バチッと視線が絡まる。
 
 目が、離せない。

 叶馬の顔へ吸い寄せられそうになったとき、エレベーターの扉が開いた。二人ともハッ、として視線を外す。
 屋上へは階段を使っていかないとならない。さすがに危ないので声をかけて下ろしてもらう。しかし叶馬は俺を下ろした後もしっかりと手を握って背中に手を添えてくれる。
 
 ゆっくりと階段を上って屋上の扉を開ける。ふわりと夜風に包まれる。今日は風が穏やかでよかった。天気も良くて花火もきっと綺麗に上がるはずだ。そんなことをわざとらしく考えて、心臓のリズムを落ち着けようと試みる。

 屋上には数脚のガーデンチェアとガーデンベッドが置いてある。じいちゃんが日光浴のために置いたのだが、従業員の皆さんも休憩中に使ってくれて重宝している。俺と叶馬も星を見るために何度か使った。

 叶馬は俺の手を引いて、ガーデンベッドに腰を下ろした。少し後ろへ下がると膝の間を空けて、そこへ俺を座らせる。自然と後ろから抱き着かれるような姿勢になって、俺は身体が硬直する。

 しかし叶馬は何のそのという感じで、スポドリの蓋を開けて俺に飲むように言う。


「ほら、ちゃんと飲んで」
「うん……」


 俺は言われた通りスポドリを飲む。叶馬も俺の後ろで飲んでいるようで、ごく、ごく、と喉の上下する音がありありと聞こえてくる。飲み終わったときの「はぁ」という吐息も。一度意識してしまうと神経が集中してしまう。

 ペットボトルの蓋を閉める。後ろから叶馬の手が伸びてきて、スポドリはガーデンベッドの傍らに置かれた。

 そして叶馬の手は戻ってきて、俺の両手を包み込んだ。大きくて、熱い手。俺の指の間に一指ずつ絡みつく。

 叶馬は一度大きく息を吐いて、額を俺の肩に乗せる。


「先に、話してもいいか」
「……うん」


 俺の身体を一段と抱き込むと、熱い吐息とともに語り始める。


「夏の大会が終わってから進路を考えた時に、俺はこのまま野球だけを続けるのでいいのか、って思った」
「うん」
「例えプロ野球へ行けて続けられたとしても30代そこそこで引退になる。まずもって、プロ野球へ行けなかったらどうするんだろうって不安になった」


 叶馬から「不安」という言葉が出てくるのは予想していなかった。けれどその言葉の温度は思ったよりも冷ややかで切実だ。


「あの日夏期講習に行ったのは、その不安が少しでもどうにかなればいいなって思ってたから」
「そうだったのか」
「結果、内容が分からなすぎて落ち込んだ。……でも、そこで潔貴と出会えた。潔貴は、難しい問題もサラッと解いててかっこよかった」
「それほどでも……」
「……実は、潔貴のことは前から知ってたんだ」
「えっ」


 思わず後ろを振り向くと、「ダメ、見ないで」と叶馬は顔を隠す。


「俺たち同じクラスになったことないよな?」
「……1年のとき、クラスの誰かが潔貴のことを話してて、学生だけど飛燕館の仕事をしてるのを知って……すごいな、って思ってた」
「ありがとう……」
「そんな潔貴と一緒に飛燕館で働いたら、何か掴めるかもしれないと思って、誘いに乗った」


 叶馬が明かしてくれた飛燕館のアルバイトをしようと思った理由は、思ってもいなかった内容だった。
 俺が気になるのは、叶馬がその“何か”を掴めたのかってことだ。


「それで……何か掴めた……?」


 恐る恐る尋ねる。叶馬の心臓の音が伝わってきて、その早さにびっくりする。


「……うん、潔貴のおかげで色々分かった」
「それ、俺が聞いていいやつ?」
「潔貴に聞いてもらわないと、意味無い」
「じゃあ、教えて」
「…………俺、潔貴と一緒にいると、すごく幸せな気持ちになる」
「幸せ?」
「潔貴が誰かのために頑張るところがすごいと思うし、一緒に働く人にも家族にも優しいところが……見てて、幸せ」
「……そ、っか」
「おかげで俺が目指していきたいことが少し分かった。俺も、潔貴に負けないくらい、誰かを幸せな気持ちにしたい、って」
「……俺は、叶馬と一緒に過ごせてすごく幸せな気持ちになったよ」


 ぽつり、とこぼした言葉を叶馬は丁寧に拾う。


「俺はもっと潔貴を幸せにしたい」
「えぇ……? もう十分だよ」
「嫌だ。俺は足りない。……もっと潔貴に近い存在になりたい。他の誰かが俺より潔貴の近くにいるのを想像したら、苦しくて心臓が止まるかと思った」


 俺を抱きしめていた腕を解くと、優しく肩を掴んで自分の方へ向ける。
 間近に感じる叶馬の吐息の熱さに当てられる。
 

「……潔貴は?」


 弱弱しく震えた声で問われる。中心に寄った眉根が苦しそうだ。

 
「…………俺も、叶馬とこれからも仲良くしたい。それに、もっと、いろんなことを一緒に知っていけたら嬉しい……です」
「ほんとか……?」
「嘘なんて言わない……ッ!」


 信じられない、という声色に思わず食ってかかる。叶馬の手を力の限りぎゅっと握る。

 
 ――――バァァン……ッ


 同時に、花火が上がった。

 叶馬の火照った顔が花火の明かりに縁取られる。反対の手を頬に添えて、じくじくと痛む心の叫びをぶつける。

 
「俺、叶馬のことが――――好きだ」


 見開かれた瞳に花火が咲く。


「――――……俺もっ」


 力強い抱擁のおかげで、我慢していた涙がこぼれる。


「俺も、潔貴が好きだ……! 初めて人を好きになったから、よく分かってなくて、ごめん……」
「ははっ……謝んなくていいよ。でも俺も、初恋だなぁ」
「潔貴は初めてでもちゃんと整理できてて、言葉にしてくれて、やっぱりすごい」
 

 太い指が俺の目尻を撫でる。悲しい涙ではないからすぐに止まった。花火そっちのけでお互いの顔ばかり見つめる。少しの間、言葉無く額を寄せ合ったり、抱きしめて背中をさすったりして互いの存在を確かめていた。
 
 
「俺のことも、叶馬の一番近くに置いてくれるか……?」
「当たり前だろ。それなら俺が潔貴の婿になるのが、きっと一番近いよな」


 瞳に宿る花火をきらめかせながら尋ねてくる。俺にも正確なことは分からないが、婿は三段飛びくらいになってしまっている気がする。


「んー……?」
「潔貴の一番近くに居られるのは、婿じゃないのか?」
「……その前に、……恋人の時間も過ごしたい、な」
「そっか! じゃあ恋人で、婚約者ならいいか」
「ふふ、うん、そうだな。……それで、叶馬は進路決めたのか」
「あぁ。野球は行けるところまでやりたい。けど大学野球に行く。プロへ進む選手をたくさん出してる大学から話をもらってるんだ。大学に行って野球をやりながら勉強して、何かあっても選択肢を持てるように」


 将来を怯えるように話していた叶馬は、今はさっぱりした様子だ。そっか、叶馬は大学に行くのか。


「腹が決まったのは潔貴のおかげ」
「何もしてないけどなぁ」
「潔貴は?」
「……俺も、だいぶ道筋が見えてきた気がする」
「それ、ちゃんと一番近くに俺の居場所あるよな?」
「ふふっ、あるよ。一番の特等席」
「やった」


 ふたりとも初めて抱えた恋心。それはあまりにも未知で、青い。
 俺はふと、叶馬にはきっと伝えることが無いのだろうと胸の奥へしまい込んでいたことを思い出す。


「なあ、叶馬」
「ん?」
「――――デルフィニウムの由来、知ってるか?」