デルフィニウム群青録 ―老舗旅館バイトにスカウトした野球部エースが、なぜか俺のお婿さんに立候補しました―



 俺の願いが届いたようで、ようやく叶馬の瞳がいつもの色に戻る。
 俺の腕の怪我を見て、「帰って手当しよう」と言ってくれる。それに大人しく頷きながら、支えてもらってゆっくり立ち上がる。


「わっ」
「潔貴!」


 しかし立ち上がった傍から膝を折ってしまい、叶馬へ縋りつくような形になる。さすがというべきかしっかりと抱きとめてくれた叶馬に「ごめん」と謝る。そんな俺に首を振って、自分の首に手を回させる。そして俺の膝裏に腕を差し込むと、ひょいっと持ち上げてしまう。


「おわっ」
「ほら、ちゃんと掴まっといて」
「うん……」
 
 
 叶馬は俺を横抱きにしたまま自転車のところまで戻る。一度ゆっくりを俺を下ろすと、自転車を起こしてスタンドを立てる。再度俺を持ち上げると、キャリアに乗せた。そして自分もサドルへ跨る。


「腕、ちゃんと腰に回して」
「……こう?」
「もっと」
「はい……」
「ん、いい子」


 俺は横向きに乗っているが、叶馬の言うことをきくとほぼ抱き着いているような格好になる。心臓の音が耳に響く。


「スタンド下ろすから揺れるぞ」
「うんっ」


 がったん、と大きく音を立てて揺れた自転車。衝撃に耐えるため、ぎゅっと抱き着いた。走り出すと、俺が乗っているとは思えないほどスムーズに進む自転車。これが野球部の脚力か、と思う。

 さっきあんなことがあったばかりだが、走っている間は二人とも喋らずタイヤが回る音ばかり聞こえる。飛燕館までは自転車なら10分かからず到着できる距離。
 ……この温もりをずっと感じていられたらいいのに。
 ペダルを踏みこむたび、少し左右に揺れる身体。合わせて動く腹筋や背筋の逞しさが胸を焦がす。
 
 飛燕館に着いてサドルから降りた叶馬は母屋の入り口近くまで自転車を押していく。俺が転ばないように絶妙なバランスで移動してくれて、スタンドを立てるときも慎重だ。その優しさが血流のように身体全体をめぐっていく。

 当然のように俺の背中と膝裏に手を回す叶馬。俺も素直に叶馬の首へ手を回した。否が応でも近づく顔。自分の頬が熱を持つのは夏のせいではないと少し前に心の底で気付いてはいた。目を逸らし続けたそれが、霞がかった向こうで輪郭を縁取ろうとしている。

 祭が終わったら、俺は叶馬に何を話そうというのだろう。自分が自分で分からない。
 
 ぼうっとしている内に叶馬は俺の部屋に着いて、ベッドへ運んでくれた。


「ありがとう。重かっただろ」
「いや、まだまだだな。もっと食べさせないとなって思った」
「え~頑張って増やしたのに」
「足りない」


 努めて明るく軽口を交わした。叶馬が「救急セットどこ?」と聞いてくるので場所を教えた。救急セットを取って戻ってきた叶馬が俺の足袋を脱がせて消毒しようとする。


「わっ! 待て!」
「……ん」


 叶馬の身体がピタッと動きを止める。まるで犬のように従順で、思わず笑ってしまう。


「何笑ってるんだ。俺は潔貴から指示されたらその通りになるんだぞ」
「いや、そんなんならなくてもいいのに……足が臭うだろうから先にシャワー浴びさせてほしいんだよ」
「臭くない」
「あー! 顔近付けるなバカ!」
 

 俺の言葉を無視しようとしたのを全力で止める。むっ、としてもダメです。意識を逸らさなければと思い、両手を叶馬へ伸ばす。


「今日は母屋の内風呂入るから、連れてって」
「……可愛い」
「ん!」


 しょうがないな、という表情で俺を抱いて内風呂へ運んでくれる。その流れで甘えて、着替えを風呂場に持ってきてもらうように頼んだ。
 内風呂で汗を流すがやはり足に水がしみて痛い。なんとか我慢しながら全身を洗って風呂を出る。ひぃひぃ言いながら着替え、適当に髪を乾かして自分の部屋へ向かう。


「ほら、座って」
「うぅ……痛い……」
「そりゃあ、こんな状態なら痛くて当たり前だ」
「あー、どうなってるかは言わんで! 知ったらもっと痛くなりそう」
「変わらんって」


 叶馬は消毒をしてテキパキと手当をしてくれる。手当を受けると些か痛みが楽になったような気がする。ふぅ、と一息つきながらベッドへ寝転ぶ。


「ありがと……ちょっと落ち着いた」
「そんなんで明日踊るのか?」


 心配そうに俺の顔を覗きこむ叶馬。


「踊るしかないよ。年に一度の祭だし」
「……明日、テーピングするから、痛み止めも飲めよ」
「ふふ、ありがと。……ん? 明日? 叶馬帰るだろ」


 叶馬はこれから家に帰って、明日も山車に乗るはずなのでそんな時間はないだろう。


「帰らない。泊まってく」
「へ? でも明日、山車乗るだろ」
「乗らない。父さんに代わってもらうことになった」
「えぇ?」
「俺は他にやることができたから」
「なに?」
「潔貴の護衛」
「……ンン?」


 俺の護衛ってなんじゃ。ちんぷんかんぷんの俺は眉を顰める。しかし叶馬は決定事項だとばかりの揺るぎない瞳でいる。


「どゆこと」
「今日、俺の山車の方でも舞い手を困らせる連中がいたんだ」
「うそ、大丈夫だったのか」
「うん。大事にはなってない」


 それを聞いて少しだけホッとする。しかし踊るのに心配事があると、ちゃんとしたパフォーマンスができないかもしれないな……。


「運営だけじゃ警備に不安があるから、明日空いてる野球部員を全員招集した」
「はあ!?」
「最低でも50人くらい集まる。俺はそいつらに指示出すから、父さんが太鼓」
「いやいや……えぇ?」
「さっき潔貴まで被害を受けてるの見て、堪忍袋の緒が切れた。マジで無理。もう父さんと運営にも連絡して話通してある。運営に親戚がいるから話が早かったんだ。野球部員は大体協力してくれるし」
「……すごいな」


 さっき鬼のようだと思ったが、行動力の鬼でもあるらしい。


「潔貴のことは俺が守るから、安心して踊り、頑張れ」
「……うんっ」


 大きく頷いた俺に微笑む叶馬。叶馬も内風呂に入るというので、兄貴のTシャツやハーフパンツを出してやる。下着は販売用の新品があるのでそれを出しておく。布団はいいから大人しくしておけと言われたので、言う通りベッドで寝転んで待った。
 部屋に戻ってきた叶馬は、部屋の電気を自分好みに薄暗くする。


「あれ、布団は?」
「……潔貴と一緒に寝たい」
「え!?」
「ダメか……?」


 薄暗い中でも尻尾を垂らした犬のようにしおらしくしているのが分かる。ここまで運んできてもらって手当をしてもらった手前断りづらい。


「いい、けど」
「やった」
「うっ……押すな」
「ごめんごめん」


 悪気がなさそうな叶馬は俺を後ろから抱き込む。……これはもしや。


「イルカの代わりだな……?」
「……おやすみ、潔貴」
「はあ~……おやすみ」
 

 肯定代わりの「おやすみ」を受け取り、仕方ないなと瞼を閉じる。心臓がうるさくて眠れないかと思ったが、疲労も手伝ってすぐに眠りにつくのだった。