「ありえん暑い」
「これはヤバい」
兄貴はスポーツドリンクを一気に飲み切って、滝のように流れる汗をタオルで拭う。1回目の1から5番まで通し踊りだったが、夕方になっても下がらない気温で思ったよりも消耗する。
熱中症対策のため、通しで踊ったらゆっくりと山車を次のポイントまで移動させながらの休息時間になる。運営係によればおおよそ20分らしい。
俺はきょろきょろと自分たちが通ってきた道を見渡す。すると、目当ての山車が角を曲がって同じ通りに入ってきたのが分かる。
「どしたぁ?」
「叶馬のところの山車、後ろ来た。俺ちょっと見に行っていい?」
「ちょ、待て。俺もついて行ってやるから。1人じゃ危ないだろ」
「あ……ごめん、ありがと」
兄貴に言われて自分の格好を思い出す。俺はそこまで体格が良くないので、布付きの笠を被り顔を隠していると女性だと思われるらしい。
そしてこの祭ではカメラを抱えてくる観覧者も多く、近年は悪質な観覧者が女役の舞い手を追いかけ回すなんてことも起きている。実際、先ほど踊っている時も規制線から身を乗り出して撮影している人がちらほらいて、少し踊りづらかった。
それを考慮した兄貴の言う通りにして、お囃子の人たちに少しだけ後ろの山車を見てくると言って二人で抜ける。
叶馬の地区の山車が見えるところまで下がると、大太鼓を叩く叶馬が笠の布の間からしっかり見えた。心なしか叶馬とも目が合ったような気がして、手を振っておいた。
叶馬は晒を巻いて法被を着ているが、法被の袖は折り上げられて肩まで出している。叶馬の出す太鼓の音はよく響いていて、全身を使っていることがよく分かる。
そのかっこいい姿を見て、俺も頑張らなきゃな、とやる気が出てきた。
「兄貴、戻ろう」
「もういいのか?」
「うん。俺たちもそろそろ出番だろ」
「そうだな、頑張るかぁ」
俺たちは自分たちの山車の前へ戻り、運営からの指示が来たら踊りを再開する。
祭を見に来てくれた人が少しでも楽しんでくれたら嬉しい。この祭をきっかけにして、飛燕館はもちろん薬山温泉街の良さを知ってくれたら尚嬉しいなと思う。
夜が更けていくにつれて山車の竜の眼力が強くなったように見える。観覧客も幻想的な山車の灯りで目を輝かせて、お囃子に聞き惚れてくれている様子だ。
5回ほど通して舞ったところで、運営係からそろそろ終了の合図が掛かった。正直身体が限界だと悲鳴を上げていたので助かった。どれだけ無理を通してもあと1回くらいが限界だっただろう。
しかしポイントへ到着したところで、少し前方にいた観覧客が声を荒げる。
「ちょっとー! もう終わりじゃないよなー!?」
すぐに運営係が観覧客のもとへ向かう。この手の観覧客は毎年のことなので驚きはしない。山車と舞い手の動きは流動的なので、どこにいればよく見えるというわけでもない。メインコースの有料席は別だが。
運営係の声掛けむなしく、観覧客の一人は何か文句を言い続けているようだ。
その様子を見ていた兄貴が「しゃあねえな」と足を向けたが、スッとそれを制す人影が現れる。
「あれ?」
「叶馬……」
どこから騒ぎを聞きつけてきたのか、叶馬が運営係の隣に立った。
「山車と舞い手の動きはどこからどこまで見せるとか、決まってるわけじゃないんで。しっかり見たかったらメインコースの席取ってください」
「なっ……こっちは遠くからわざわざ観に来てやってんだぞ!」
「それはありがたいですけど、祭のやり方に口を出されたら困ります。舞い手が怖がって踊れなくなったら、責任とれるんですか」
「……チッ」
周りの観覧客からの視線も援護となり、騒いでいた人はどこかへ行った。それを見送った叶馬が戻ってくる。
「大丈夫か、潔貴」
「うん、大丈夫」
「や〜叶馬君、やるねぇ」
「舞い手が文句言いに行ったら角が立つかと思って。出しゃばってすみません」
「叶馬君の言う通りだと思う、助かったよ」
叶馬が兄貴へ軽く頭を下げた。山車を明日のスタート地点まで移動させて、その日は解散となった。時刻は22時過ぎだ。日暮れ頃から踊り始めたので、脚がぷるぷると震えている。足袋の上からは分からないが、足の皮がところどころ伸びているか剥けている感触がある。
「潔貴、俺はちょっと地元の奴らに会ってくるわ!」
「あー……うん、飲みすぎんなよ」
「分かってるって!」
兄貴はあっという間に走って行ってしまった。兄弟でこうも体力に差が出るもんかね。
「潔貴、送ってく」
「え、悪いよ」
「歩けるのか?」
「……ちょっと休めば」
「チャリ取ってくるから、動かんで待っとれよ? いい?」
「う……ハイ」
叶馬は「いい子」と言いながら俺の頭をぽんぽん、と撫でた。近くの駐輪場に自転車を置いているのだろう。小走りで向かっていった。そんなに急がなくてもいいのに、と思いながら、正直なところ助かった。
お囃子の人たちや自治会のみんなはこれから飲んで食べてのどんちゃん騒ぎをする予定だから、誰かに送ってくれと頼むのも言いづらかった。
覆いを被せた山車の近くで、縁石の上に座って叶馬を待つ。自治会の人たちが「お疲れ」と声をかけてくれる。中には俺の帰りを心配してくれる人もいたが、迎えが来るから大丈夫だと言っておいた。
「ふう……」
後は祭から切り上げて帰る人達がちらほらと歩いている。夜でも提灯が連なっているので明るい。柔らかい橙の灯りを眺めながら夏の夜の空気を吸い込む。自然とお囃子を口ずさんでいると、一日頑張った達成感が胸に広がっていく。
カシャッ
突然にカメラのシャッター音が聞こえて周りを見渡す。すると、少し先の方から大きなカメラを持った男が一人近づいてくる。よく見ると、先ほど叶馬が諫めた人物に似ている。
「あの、もう踊ってないんで、勝手に撮らんでもらえます?」
俺が大きな声で言っても聞きやしない。カシャカシャと何枚もシャッターを切る音がする。仕方がないので、男に背中を向けるようにする。
「おい! わざわざ撮ってやってんだから、顔見せろよ!」
「嫌です」
「……チッ」
「ちょっ、やめろ!」
俺は腕を掴まれて、道路に引き倒された。恐らく相手は俺を立たせようとしたのだろうが、俺の脚に力が入らず倒れる形になったのだ。受け身を取るが、腕に痛みを感じる。
「俺に撮られたらSNSで有名になるんだぞ! 大人しくしろ!」
「はぁ? そんなん頼んどらんし、こっちが下手に出てるからって偉そうに!」
こんな仕様もない人間に屈するほど大人しい性格は持ち合わせていない。俺はよく動く口だけを使って思い切り言い返す。それに余計腹が立ったのか、ついに相手は俺の胸倉を掴んでくる。
「ッてめえ!」
「おいッ! 何してんだアンタッ!!」
息が苦しくなったところで怒声が聞こえてくる。叶馬の声だ。
叶馬は自転車が倒れることもお構いなく全力で走ってくる。その形相はまるで鬼のようで、俺ですらちょっとビビるほどの気迫。それを見た男は小さく悲鳴を上げて一目散に逃げだした。
叶馬はそれを見て追いかけようとしたが、名前を呼んで止める。
「叶馬ッ!」
「……チッ! ……ごめん、潔貴。大丈夫か」
「うん」
俺の身体を支えてゆっくり抱き起こしてくれる。しかし尚も男が去って行った方向を見ている。余程腹に据えかねているようだが、叶馬がもし暴力沙汰を起こしたなんて疑いがかけられたら困るので全力で止める。
「だめだ、叶馬……行かないで」
「……分かった」
