デルフィニウム群青録 ―老舗旅館バイトにスカウトした野球部エースが、なぜか俺のお婿さんに立候補しました―





 今年の竜薬祭は8月第4週の半ば開催予定になっている。前夜祭は出店や屋台が並び始め、山車の準備が行われる。1日目、2日目も日中は普通の夏祭りとして出店や屋台が楽しまれる。夕方からは山車が動き始め、一番の大通りでは観覧席も設けられる。最終日の2日目には夜に花火が上がる。例年以上に気合を入れて数が多いと聞いている。

 俺は前夜祭からの3日間は飛燕館の仕事は手伝えないのだが、従業員の皆さんは舞い手を担う俺を随分と応援してくれている。それは叶馬も同じで、前夜祭の夜から3日間は家に帰って祭へ臨む。

 今日がその前夜祭の日だった。
 俺はさらっと屋台を見回って、公民館へ。同地区のみんなと一緒に山車をスタート位置に移動させた。お囃子の人たちと打ち合わせを終えて、飛燕館に戻って風呂を済ませた。

 ここ最近いつも隣にいた叶馬がいないと、自分の部屋がやけに広く感じる。
 壁には明日から着る着物や小物一式、半透明の布がぐるりとつけられている笠が掛かっている。舞い手の衣装は地区により異なる。ウチの地区は飛燕館があるので濃い藍色の着物である。

 練習の動画を流しながら頭の中で舞のシミュレーションをする。1番から5番まで問題なく記憶できている。手元では下駄の鼻緒を揉む。練習で大分慣らしたつもりだが、念には念を入れる。どれくらいの長さ踊ることになるかは、当日になってみないと分からないからだ。

 動画を見終わって、後は寝るだけなのだが睡魔が訪れてくれない。最近は叶馬とお喋りしてから眠りについていたからだと思う。
 時刻は23時30分。少し迷ったが、LINEの通話ボタンを押す。コール音が3回鳴ったところで切ろうか迷う。しかし、4回目が鳴り始めたところで叶馬の声がした。


「もしもし」
「あ……もしもーし、ごめん、電話しちゃって」
「大丈夫だ。俺も、電話しようかと思ってた」
「そう? なら……よかった」


 電話だとなんだかぎこちない会話になってしまう。あれほど仲良くなったはずなのに。
 俺が恐れていることが現実になりそうで、ますます喉元が苦しくなる。俺と叶馬は、この夏休みが終わったら……


「潔貴?」
「あっ、ごめん、何でもない」
「……準備、終わったか?」
「うん、準備は万端。叶馬は?」
「俺も。あとは寝るだけ」
「そっか。ごめん、邪魔しちゃったな」
「寝られなかったからちょうどいい」
「そうなん? いつも大体このくらいには船漕いでるのに」
「……潔貴がいないと、なんか変な感じがして眠れない」


 叶馬が布団を抱き寄せたのか、布の擦れる音が聞こえた。「俺もだよ」って言ってもいいのだろうか。そんなことを逡巡しているとなぜか目元が熱くなってくる。


「……叶馬は意外と人の気配が無いと眠れないもんなぁ」
「……うん」


 ……言えなかった。努めて明るい声で返したが、その拍子に涙が一筋零れた。
 今、確実に分かっているのは、叶馬がそばにいないと寂しいということと、夏休みが終わってしまうのがすごく嫌だということだ。


「潔貴は、眠れそうか」
「……んー、実は俺も眠れなくて、電話しちゃった」
「……そうか。電話、嬉しい」


 叶馬の一言一言が、胸をぎゅう、と絞るようだ。これが嬉しいって気持ちなのか、切ないって気持ちなのか、はたまた別の何かなのかは分からないけれどとにかく痛い。


「夏休みが、終わったらさ」
「うん」
「あんまり……会えなくなる、かもな」


 ずるい言い方だと思う。自分のための逃げ道を何通りも用意した言い方だ。そんな自分に嫌気がさす。
 何よりも、その言葉をぴょんと飛び越えてしまうような言葉を、叶馬から聞けたらいいのにと期待してしまう。変な期待をする自分が一番嫌いだ。


「……俺は、」
「……ん?」
「……俺は、会いに行くよ。潔貴のクラスにも、飛燕館にも」
「っ!」


 あぁ、やはり叶馬は俺がほしい言葉をくれる。それがとても嬉しくて仕方がない。俺は思わず、スンッ、と鼻を啜ってしまう。


「潔貴? ……泣いてるのか?」
「……泣いてない」
「隠し事は無しって言ったの、潔貴だろ」
「う……ごめん、ちょっと泣いてる」
「今からそっち行く」
「だぁっ、だめだよ。明日から、忙しいんだから。俺は大丈夫だから」
「……でも」
「祭が終わったら、ちゃんと話すから。な?」
「……約束だぞ」
「うん、約束」
「眠れそうか?」
「うん。叶馬の声聞いたら、眠れる気がしてきた」
「俺も。……明日から、無理するなよ」
「叶馬もね」
「……おやすみ、潔貴」
「おやすみ、叶馬」