デルフィニウム群青録 ―老舗旅館バイトにスカウトした野球部エースが、なぜか俺のお婿さんに立候補しました―



 兄貴は予定通り金曜日の昼に帰ってきた。 兄貴がバタバタと騒がしく事務所に入ってくると、従業員の皆さんも「おかえり」と声をかける。


「ただいまァ!!」
「あぁ、おかえりぃ」
「お疲れ様」
「帰ってきたね誉澄。さぁ、アンタも働きな!」
「え!? 俺、今帰ってきたところなんだけど!?」


 ちょうどチェックイン前の打ち合わせ中に帰ってきたので、婆ちゃんは法被を着せることにしたらしい。人手が増えてちょうどいいや、今日から3日間はものすごく忙しそうだったから。

 俺は内心、ざまあみろと思いながら渋々法被を羽織る兄貴ににやにやした視線を向けた。


「お! 潔貴、ただいま!」
「はいはい、おかえりー」
「相変わらず俺に冷たいんだから、この意地っ張りが」
「うるさい」


 兄貴は俺に抱き着こうとするので、ひょいっと横によける。隣にいた叶馬の後ろに隠れて防御とする。
 兄貴は叶馬を見て、「あぁっ!」と一段と大きな声を出す。本当にうるさい人である。


「君が柳瀬君か! お噂はかねがね!」
「柳瀬叶馬です。よろしくお願いします」
「いやぁ、柳瀬君のおかげで今年の飛燕館は救われていると言っても良い! 手伝ってくれて本当にありがとう!」
「いえ、勉強させてもらってます」
「うわぁ、しかも謙虚なん!? 潔貴もよくこんな人材引っ張ってこれたな~」
「もう一回黙って……母さん! ミーティングの続き! ほら兄貴、今日のお客様のリスト!」


 ミーティングを再開してもらうために兄貴を黙らせて母さんに声をかけると、なぜかみんながくすくすと笑う。叶馬までつられて笑うので、俺は口を真一文字に引き絞る。


「なんだよぉ……」
「潔貴、可愛い」
「なっ! 可愛くない!」
「ううん、可愛い」
「だぁッ!」


 叶馬は俺の膨らんだ頬を指でつつきながらミーティングを聞いた。俺は絶対に可愛くなんかない。






 ――――……

 お囃子の音を聴くと、不思議と勝手に身体が動いた。
 
 うちの地区は曲が1から5番まである。竜と娘の物語を出会いから順に再現しているのだ。まずは1番から振り付けを思い出していこうと、公民館にお囃子の人たちと集まって練習を始めた。


「ほれッ! 誉澄! 違う!」
「うっそだァ! 合ってるっしょ」
「そこはそうじゃなくて、こうじゃ!」
「っか~、そうだっけか」


 苦戦しているのは兄貴の方だ。俺とは違ってここ数年の間、ほぼ毎年舞い手をやっているのに、1番から何度も婆ちゃんの指導が入る。俺は二人のやり取りを横目に着々とおさらいしていく。俺としては練習はこの土日で終えてしまいたいので手は抜かない。
 兄貴が婆ちゃんに振りを確認している間に水分補給をしに行く。


「飲み物ほしい~」
「はいよ」


 叶馬がクーラーボックスからスポーツドリンクを渡してくれる。それを受け取って、隣に座りこむ。思ったよりも兄貴がポンコツだから再開まで時間がかかりそうだ。


「潔貴、久しぶりなのに振付忘れてなかったのか」
「いやぁ、曲が鳴るまですっかり忘れてたんだけどさ。鳴り始めたら身体が勝手に動いた」
「身体に染みついてるんだな。動きもすごく綺麗だった」
「そう?」
「うん。しっかり女役の型? みたいなのが出来てる感じで」
「ありがと。見てるだけで暇じゃない?」
「いや、譜面見ながらだから、面白い」


 叶馬はお囃子の譜面を読んでいる。確か叶馬の地区は6番まであったはずだ。地区によって曲が違うのもこのお祭りの面白いところだと思う。


「叶馬のところと比べるとどんな感じ?」
「潔貴たちのはおしとやかな感じがする。俺のところは結構勢いが強くて、おりゃーって押せ押せな感じ」
「それだと太鼓が大変そうだな」
「そうなんだよな……俺でも1日目終わったら筋肉痛になる」
「マジかぁ」
 

 その後も叶馬が俺たちのお囃子と違いを感じる部分を教えてくれる。俺はそれをとても興味深く聞いた。
 
 父さん母さんの世代では地区ごとに交流会をして情報を交換していたらしいが、最近はめっきり少なくなったという。俺も叶馬の地区の舞いやお囃子についてはよく知らないのだ。
 
 ありがたいことに祭の観覧者数は毎年増えている。祭りの担い手が特段減ったわけでもないが、地元の子どもは減ってきているので担い手の確保が大変になる未来もくるかもしれない。
 
 簡単に祭の情報を地区ごとに交換出来たらいいなと思う。そういうシステムを構築するための勉強をするのもアリなのかも。


「最近さぁ、進路のこととか将来のことを色々考えてるんだけど」
「……うん」
「それと合わせて、これからは俺たちの世代が祭の運営について考えていかなきゃいけないのかもしれないなぁって考えてる」
「そうかもしれないな」
「叶馬は進路、決めてんの?」


 進路について尋ねた俺に、叶馬が少し驚いた顔をする。

 
「……迷ってる。正直、自分がどうしたいのかよく分からなくて……」
「そっか。俺でよければいつでも話聞くからさ」
「ありがとう。……潔貴は?」
「俺もまだ迷ってるよ。進学せず飛燕館で働くか、専門とか短大でエンジニア系の資格取るか、大学に行って経営の勉強するか……きっと選択肢は他にもたくさんあって、迷っちゃうよな」
「飛燕館はお兄さんが継ぐのか?」
「兄貴は一応そのつもりらしいよ。それで今有名なホテルで修行してるみたいだから」
 
 
 叶馬が遠くの方を見るような顔をするので、それ以上は喋らなかった。野球の道を進むのだろうかと想像していたが、俺が口を出すようなことじゃない。


「潔貴~! ごめん、お待たせ! 1番の頭から頼む」
「はいはい。行ってくるね」
「おう、動画撮っておくから」
「ありがとう」


 俺は後で振りのおさらいができるように叶馬に動画撮影をお願いしておいた。
 その日の練習は随分と遅くまでかかり、結局2番までしかおさらいできなかった。しかし、次の日は段々と勘を取り戻してきた兄貴と5番まで思い出すことができた。

 お囃子のメンバーは何の不安もなかったので、後は俺と兄貴が時々家で合わせればいいだろうということになり、祭当日まで兄貴の練習のため付き合わされる羽目になるのだった。





 ――――……

 その日曜日の夜、俺は叶馬が撮影してくれた動画を見返していた。何度か見ていればしっかり記憶できそうで安心する。着物と笠を被って練習するのも忘れないようにしなければ。

 そんな俺の横で、叶馬は自身の投球フォームの動画を見ていた。


「それ、叶馬?」
「うん」
「俺も見て良い?」
「いいよ」


 右隣の叶馬にくっついてスマホを覗き込む。温かい腕の体温を右半身で感じる。ついでに頭を肩へ預けて、楽な姿勢で見させてもらう。

 画面の中の叶馬は野球部のユニフォームを纏っている。長身だけでなく長い脚と腕で放られるボールは物凄い音でキャッチャーのミットに収まる。


「すっごい音。これ、何投げてんの?」
「ストレート、カーブ、スライダー、チェンジアップ、カットボールだな」
「はぇ~そんなに球種投げられるんだ」
「潔貴は野球結構観るのか?」
「テレビでたまにかな。大体のルールは分かる。叶馬の試合は全部応援できたよ!」
「ははっ、ありがとな」
「こういう球種の分析とか、バッターの分析とかも実は興味あるんだよなぁ。データ収集するのが好きでさ」
「データ野球も大事だと思う」
「やっぱりそうなんだなぁ」


 その後も俺たちは二人で肩を寄せ合いながら叶馬の投球やバッティングの動画をゆっくり見た。俺の素人全開の質問に答えてくれる叶馬はとても説明が上手で、それを伝えると嬉しそうにはにかんでいた。