桜が散る前に、世界を救う

「二所神社はこの辺かな?」

 どこにでもいる大卒社会人二年目の三森さくやは、気が向けば程度の趣味である山歩きで、近所の山に来ていた。
 
 普段であれば誰かに誘われて来る山歩きだったが、今日は珍しく一人で思い立った。あいにくの小雨で少し歩きにくいが、逆に森の静かな雰囲気は増していた。さくやは登山用のレインコートを上下着て、ベージュ色のローカットの登山靴を履いている。今は十一月下旬で、普段は肌寒いが、歩くと温かい。
 
 さくやはほとんど音もなく降る雨が醸し出す、神聖とまで形容できそうなスギ林の間を進んでいく。この森はスギとヒノキの人工林らしい。スギは根が浅いので雨が降ると土石流などを起こしやすいらしく、それを防止するためにヒノキが三割ほど植えているらしい。三月ごろは来たくない場所だ。

 山の中腹にある小さな神社が目的地である。人気のない神社だが、昔は丁寧に管理されていたのだろう、石造りの鳥居の先に幼稚園の運動場くらいの広さの境内が広がっている。さくやは土に埋もれかかっている敷居の前で一礼して境内にはいる。

 左に曲がって続く石の階段を二十段程上り、本殿の前に出る。本殿は塗装もなく木の色そのままの建物で、かなり年季が入っており、灰色をしていた。

 お賽銭を入れようと財布を開け、五円玉を探す。この神社に来ることは決めていたので、お賽銭用の小銭は準備したはずだった。しかし、家で入れたはずの五円玉は見つからない。
 
 またこんな些細なストレスかと落ち込みつつ、五十円玉を取り出して賽銭箱に投げる。

 キーン。

 無情にも、さくやが投げ入れようとした五十円玉は絶妙な格子の角度に弾かれ、地面に落ちる。

「え、え」

 さくやは動揺しながら五十円玉を拾い、まじまじと見つめる。まずいまずいまずい。お賽銭が弾かれる現象は良くない兆候だとお母さんが言っていた気がする。今度は置くように丁寧に小銭を入れる。そのせいか、お賽銭は無音になってしまった。鈴も無いから神様に来たって分かってもらえないが仕方ない。柏手を打ち、参拝を終える。

 本殿に背を向けたさくやは、あやうく腰を抜かすところだった。

 真っ白な袴を着た青年が、竹ぼうきを持って立っている。年齢はさくやと同じくらいに見え、さくやより頭一つ背が高い。ダークブラウンの短い髪は、毛足は長いが襟足の方は刈り上げられている。袴の白さに負けないくらい色白で、全て包み込むような優しい顔をしている。青年はさくやに笑いかける。

「ようこそお参りくださいました」

 さくやはおそるおそる青年に近づく。先ほどまで人影すらなかったのに(曇っているので影はほとんどないが)、当たり前に目の前にいるこの人物は本当にこの神社の関係者なのか。一応袴を着ているので、この神社に勤めているのだろうか?不審者?さくやは恐る恐る話しかける。

「宮司さんですか?」

 青年は、箒を持ったまま首を傾け、しばらく考えるような素振りを見せる。

「そう思っていただいていいですよ、私はこの神社を管理している者です」
「何かお困り事があるようですね?賽銭の調子が悪かったようです」

 さくやは図星をつかれ、しばらく黙り込む。しかし、神様に自分の悩みを聞いてもらいに来た以上、だれかに聞いてほしいという気持ちがあってのことなので、宮司さんに聞いてもらってもいいような気がした。

「そんな大ごとではないのですけど……最近ちょっとした上手くいかなくて……」
「上司と言った言ってないですれ違ったり、会議で揉めることが増えたり、忘れ物をよくしたり……」
「些細な事ではあるのですが、積み重なると中々しんどくて……今日は気分転換も兼ねてこの神社に来たんです」

 青年は、さくやの話を頷きながら黙って聞く。さくやが話し終わってから、青年は口を開く。

「それはつらいですね。私は今日あなたから聞いた話しか分かりませんが、お知り合いに話されたりしましたか?」

「いえ......おもしろい話ではないので」

 青年は首を振る。

「それは心によくありません。人に迷惑を掛けないというのはもちろん大事なことですが、心にストレスを溜めたままにすると今の精神状態だけでなく、大きな問題が起こった時にすぐ限界が来てしまいます。少しだけでも聞いてもらった方がいいですよ」

「それに、些細な事と片づけるのは、問題を先送りにしているだけのような気もします。一度上司の方とゆっくり話す時間を持たれてはいかがでしょうか」

 さくやは親身に話を聞いてくれる宮司さんが心に沁みていた。普段は仕事が目まぐるしく、自分の話をゆっくりする時間なんて中々なかった。宮司さんは、箒を持ったまま眉を寄せ、さくやの様子を伺っている。さくやはだれかに悩みを聞いてもらったことですっきりした。

「そうですね!今度相談してみようと思います」
「ちなみに、この神社ではご祈祷とかってされてますか?」

 ご祈祷という言葉に、宮司の顔が一気に晴れやかになる。

「はい!できますよ!厄除けですよね!こちらにどうぞ!」

 青年の唐突な高テンションに押されながら、さくやは青年の後をついていく。

「ここにお名前と住所を書いてください」

 さくやが記入した紙を、青年はるんるんで奥へ持っていく。

 正座して待っていると、再び宮司が現れた。特に着替えるでもなくそのままご祈祷が始まる。

 ご祈祷が終わり、さくやは神社の出入り口に向かう。青年も暇なのか見送りに来てくれた。お賽銭箱の前で話した時より心なしか元気そうだ。

「久しぶりのご祈祷に腕がなりましたよ!神様も聞き届けてくださるはずです!」
「さくやさん、また困り事や悩み事があれば来てください。お話を聞くことしかできませんが、すこしでもさくやさんの休憩所になればうれしいです」

 さくやは深く頭を下げる。

「こちらこそ、急に来たのにご祈祷までしていただいてありがとうございます。何も起きなくなれば、お礼にまた伺おうと思います。何かあっても、またお話させてください」
「宮司さんお名前は?」

 青年は優しい笑みを崩さず答える。

桜花(おうか)です」

 さくやはそれ以上突っ込まず、もう一度一礼して山を下る。名字ではなく名前だけを名乗るのは珍しいが、あの宮司さんはどこか抜けてそうだし、聞き直すほどでもないような気がするしな、と考えながら山道を下って行った。抜けているとはいえ、ご祈祷までしてもらったからには、何かご利益にと信じたい。

「あ、ご祈祷代払ってない……」

 さくやはまたがっかりする。絶対ご利益あずかれないじゃん。いやでも、お金とご利益は直接関係ないかもしれないし。桜花さん楽しそうだったし。とりあえず今日はもう帰ろう。

 市街地まで戻り、登山靴なので早く家に帰りたい気持ちを抑えて街中をぼんやりと歩いて回る。街の商店街は顔ぶれが変わらないように見えて、たまに新しい店に入れ替わっている。ちょうど見つけた喫茶店も、見慣れない外装だった。老舗のホテルのような洋風な質感を黒くしたような外装だった。さくやは何となく店に入る。

 からんころん。

 手動ドアを開け、少し薄暗い店内に入る。店内はカウンター席と、反対側にいくつかテーブル席がある、ごく普通の喫茶店だった。店員もお客さんもおらず、さくやは入口で立ち尽くす。やがてすぐに、奥の方から足音が聞こえてきた。

「いらっしゃいませ」

 現れたのは、白いシャツと黒いズボン、黒いベルトショルダーを着た、これまたさくやと同じくらいの年齢の男性だった。
 先ほどの神社で会った桜花より、さらに背が高い。でもちょっと桜花さんより濃い肌色かも。下半分は刈り上げて、上の部分のオリーブベージュの長髪を後ろでまとめるヘアスタイルもいいな。桜花さんと違ってきりっとした顔してる。脳内で桜花と比べることに夢中で、その場に立ち尽くすさくやに男性が声をかける。

「カウンターへどうぞ」

 さくやは我に返り、急いで席に座る。メニューを見ると、今日は洋梨のタルトがあるらしい。説明文には、パイ生地から作っているとのことだった。タルトとホットコーヒーを注文して、しばらく待つ。

 しばらくして、洋梨のタルトとコーヒーが現れる。昔はコーヒーが無くても無限に甘いものが食べられたのにな、と考えながら、コーヒーをすする。苦すぎず、かと言って甘すぎない、お菓子にぴったりの味だった。

 男性は、さくやがコーヒーを飲む様子をじっと見つめる。

「もしかして、今日神仏系の場所に行かれましたか?」

 さくやはもう少しで盛大にコーヒーを吹きそうになる。

「なんで知っているんですか。ストーカーですか」

 さくやの煽りに男性はむっとした表情をする。

「どうしてすぐ犯罪だと思うんだよ。ちょっとは俺の話を聞いてからにしてください」

 唇を若干尖らせたまま、男性は経緯を話す。なんでも、お客さんが誰もいないときに一人でふらっと現れる女性の客がたまに来るらしい。お客さんはその女性だけなので会話していると、全員がお寺や神社に厄除けのお参りをしに行った帰りだと。今日もまた女性が一人で現れたので、もしかしてと思って聞いたらしい。

「みなさん最近うまくいかない話をされるのですよ。あなたも?」

 さくやは頷く。そして神社で話した内容を繰り返す。この場所はそんなに同じような人が訪れるものなのか。

さくやが話終わっても、男性は特にさくやの話に応じるわけでもなく、さくやに出したコーヒーの残りを飲み始めた。なんで聞いたんだよ。店内の沈黙が刺さる。

さくやが先に静寂に負ける。

「この喫茶店って最近できましたよね?あなたがオーナーを?」

「そうです、オーナー兼従業員の橘瑞樹(たちばなみずき)です。自分のお店を持つことが俺の夢で。自分のこだわりが詰まったお店ができて本当にうれしいです」

 瑞樹さんはそう言ってくしゃっと笑う。きりっとした顔つきからの笑顔にさくやの胸が撃ち抜かれる。

「また来てくださいね」

 お会計を済ませ、店を出ようと扉を開けるさくやに瑞樹は声をかける。さくやは恥ずかしさにちょこっと頭を下げ、そそくさと店を出た。
 家に帰りながら、さくやは今日の出来事を思い返す。今日は気分転換に散歩をするつもりが、かっこいい男性に二人も会ってしまった。瑞樹さんのような渋さを出せる男性は、さくやの周囲にはいない。そもそも彼氏も男友達もいないが。同じくらいの年のはずなのに、こんなにいい雰囲気を出せるなんて信じられない!

 それに、桜花さんもめっちゃよかった!あの小雨の降る小さい神社に、桜花さんの雰囲気はぴったりだった。ちょっと頼りなさげな感じも、ご祈祷をする流れになってからの楽しそうな笑顔も思わず守りたくなる。

 鼻歌を歌いながら家に帰り、夜ご飯の準備をする。今日は時間があるから肉じゃが作ろうっと。うきうきで冷蔵庫を開けるが、なぜか牛肉しかない。普段作る肉じゃがは鶏肉派なのに。まあいっか!今日は豪華に牛肉で作るか!余ってるし!
 材料を鍋にぶち込み、一旦煮込んでから消えそうな弱火にしてお風呂に入る。いつか絶対火事起こしそう。でもこれが流行りのタイパだから。

 お風呂から上がって、出来上がった肉じゃがと炊けたご飯を食べる。さすがに牛肉は格が違う。それにジャガイモと人参も柔らかくておいしい。

 Youtubeで動画を見ていたらあっという間に寝る時間だった。といっても明日は日曜日だから何時に寝ようがいいのだが。まあ寝れる日は寝よう。さくやはベッドに入り電気を消す。



 充実した一日とは裏腹に、さくやは夢の中で不思議な空間にいた。星の無い宇宙のような何もない空間が、今日来ていた服のまま立つさくやの周囲に広がっている。ここはどこなのだろうとさくやは数歩踏み出す。

 やがて、視界には普段の街の様子が目に入ってきた。しかし何かがおかしい。建物も人も細かい粒子にさらさらと変化していて、何もなくなった場所から真っ暗になっている。さくやが歩く人々に話しかけても、人々は何も返事をせず、しばらくして膝から崩れ落ちるように倒れ、粒子に変化していく。粒子は風のようなものに乗り、一筋になりどこかへ向かっていく。

 さくやはその粒子の行く先を追った。粒子は今日さくやが参った二所神社がある山へ入っていく。山もところどころ粒子化していて、山肌から黒が覗いている。山を登り、着いた先はやはり神社だった。罰当たりかなと思いながら、さくやは粒子が吸いこまれていく本殿に入っていく。

 そこには二人の人がいた。一人は桜花で、彼は何もない空中に横向けに浮かんでいる。粒子は桜花の胸の中に入っているようだった。今日見たよりもさらに穏やかな顔をしている。もう一人は床に立ち、桜花を抱きしめている。その人物は、誰かがきた気配に気づいたのかさくやの方を振り返る。彼は瑞樹だった。瑞樹はさくやの顔を見るや否や、こちらに駆け寄ってくる。

「桜花を助けてくれ!」

 さくやはなんのことか分からず、とりあえず腰に縋り付いてきた瑞樹を離し、立ち上がらせる。

「どうされたんですか?桜花さんとお知合いですか?というかここはなんですか?」

 それでも瑞樹の焦る勢いは止まらない。

「やっぱりあの時桜花を傷つけててでも止めるべきだったんだ。いや、でも桜花は僕の話なんて聞いてくれなかっただろう。じゃあどうすればよかったんだ。ねえ、どうすればよかったの!」

 瑞樹はさくやの両腕を掴み、さくやの身体を前後に揺さぶる。

「やめてください!」

 さくやは瑞樹の腕を振りほどき、瑞樹の肩を抑える。

「何があったのですか?」

 しかし瑞樹は先ほどの勢いを失って硬直し、床にへたり込む。床も、もうほとんど消えている。瑞樹は項垂れて黙り込んでしまった。

 さくやは、瑞樹をおいて桜花の方へ一歩踏み出す。しかし、桜花へ向かって一歩踏み出すと、さくやの身体も分解を始めてしまった。花びらのように舞い上がり、桜花へ向かう粒子を見ていると、不意に視点が大きく下がる。他の人々と同じように、さくやの身体も立てなくなったらしい。

 さくやは桜花を見上げる。桜花の横顔は、幸せがあふれ出していた。何も求めない。満ち足りている。そんな意思が、身体全体から放たれていた。

「桜花……」

 さくやは桜花に消えていく手を伸ばし、そして意識を失った。



「はっっっ......!」

 さくやは汗をびっしょりかきながら飛び起きる。

 世界は、昨日から変わっていた。