サル山!

 俺の名前は鳴山(なるやま)結斗(ゆいと)
 小学生の頃のあだ名は――『サル山』

 ◇

「――野生のニホンザルはドングリやクルミ、木の葉っぱを食べるけど、動物園のニホンザルたちは人間と同じ物を食べるよ。例えばサツマイモ、ニンジン、ブロッコリー……皆が大好きなパンやリンゴを食べることもあるんだ!」

 動物園の一角にある猿山の前で、俺は大きな声で説明した。季節は夏。連日汗ばむ陽気が続いていて、猿山にいる猿たちのほとんどは日陰で昼寝の真っ最中だ。

 さて、そんな動きのない猿山のそばには10人ほどの子どもたちが集まっていて、無邪気に瞳を輝かせながら俺の説明に耳を傾けている。肩にかけた大きな水筒と、Tシャツの袖からのぞく日焼けした肌。夏を感じさせる光景だ。

「猿のご飯について、質問がある人はいるかなー?」

 俺が子どもたちを見回しながら尋ねると、ひまわり柄のワンピースを着た女の子が手を挙げた。

「お猿さんはバナナが好きですか!」
「お、良い質問だね。お猿さんはバナナが好きだけど、動物園ではたまにしかあげないよ。甘すぎて、たくさん食べると身体に良くないからね!」

 俺が答えると、女の子は「へー」と言って目を丸くした。他の子供たちも「猿といえばバナナなのに!」と驚いた表情だ。
 うんうん、みんないい反応だ! こういう素直な反応をしてくれるから、子ども相手の仕事は楽しいんだよなぁ。

 ここは県内某所にある里原動物園。高校2年生の俺は、ニカ月ほど前から動物園のでアルバイトをしている。
 勤務日は高校が休みの土日だけ、仕事内容は子どもを対象とした動物紹介。交通費別途支給で日給が7000円というかなりお得なバイトだ。

「他に質問はあるかなー? ないなら次はこの猿山にいるお猿さんたちを一匹ずつ紹介していくよ!」

 俺が猿山の方に向き直ると、頭につけた猿の被り物がほよんと揺れた。
 大きくて丸い耳が特徴的な猿の被り物は、動物園から支給された物。動物紹介に従事するアルバイトたちは、何かしら動物の被り物をすることが義務付けられている。
 ウサギ、ライオン、ワシとカッコ可愛い被り物が大多数を占める中、俺に支給された被り物はまさのかの猿。赤い尻をしてウッキーと鳴くあの猿。

 理由はわかっている。俺の見た目がどことなく猿に似ているからだ。身長は162cmと男子高校生にしては小柄な方だし、坊主一歩手前の髪型もかなり猿っぽい。自分で言うのも何だか、くりっとした目元も猿らしさを助長させているんだと思う。

 ……まぁ、猿に似てると言われること自体は構わないというか。俺自身、風呂上がりに鏡を見て「こいつ猿じゃん」と思うことは多々あるし。つーか700万年遡れば人類は猿だったわけだし。「お前、カマキリっぽい顔してるよな!」って脊椎動物門を超越した例え方をされるよりはずっとマシ。

 それから10分も経つと予定していた説明はひととおり終わった。それほど長い時間ではないとはいえ真夏の炎天下だ。被り物で覆われた頭皮にじっとりと汗がにじんでいる。

「みんな、今日は最後まで聞いてくれてありがとう! この後も動物園を楽しんでいってね、ウッキー!」

 俺が笑顔で挨拶をすると、子どもたちはバラバラと捌けていった。別の動物の園舎へと向かう子もいれば、ベンチに座っていた保護者と合流する子もいる。中には「お猿のお兄さん、バイバーイ」と手を振ってくれる子も。

 そうして子どもたちが捌けていく中、俺に歩み寄ってくる人がいた。
 黒いTシャツに洒落たネックレスを合わせ、耳にはいくつものピアスをつけた若い男だ。細身で背は高い。帽子を被っているため顔立ちはよくわからないが、俺と同じ年頃ではないだろうか。

 その男は俺の目の前で足を止めると、帽子のつばを上げニンマリと笑った。

「よ、鳴山。まさかこんなところで会うなんてな」

 男の顔を間近に見て、俺は飛び上がりそうになった。 

「し、獅子田!? 何でここに!?」
「暇つぶし。俺んち、動物園のすぐ近くなんだよ。だからたまに散歩にくんの」
「へ、へぇ……そうなんだ……」

 俺はどぎまぎと相槌を打った。
 
 俺に話しかけてきた男の名前は獅子田(ししだ)(かい)――高校のクラスメイトだ。
 クラスメイトといっても獅子田と俺は相反する存在。勉強も運動も平均並みで、これといった特技も目立つ要素もない俺。
 一方の獅子田は、180cmを越える長身に整った顔立ちを併せ持ち、クラスの中心的存在である。噂によれば5歳歳上のモデルの彼女がいて、獅子田自身もそっち方面のアルバイトで小金を稼いでいるんだとか。
 ……彼女いない歴=年齢の俺には想像もできない世界だよ、チクショー。
 
 俺が獅子田と2人きりで話をするのは今日が初めてのこと。驚きと緊張のあまりその場しのぎの話題も思いつかず、視線を泳がせながら黙っていると、獅子田が含み笑いを零しながら口を開いた。

「鳴山……動物園でバイトしてたんだなぁ。しかも猿のコスプレなんかして」
 
 俺ははっとして猿の被り物に触れた。

「いや……これは仕事上、仕方なくつけてるだけでっ……」
「その割にノリノリで猿の物真似してたじゃん。ウッキーなんて言ってさ」
「嘘、まさか俺のことずっと見てた……!?」
「見てた見てた。愉快な格好の兄ちゃんがいるなー、と思ったらまさかのクラスメイトでビビったわ」
「っ……」

 そりゃクラスメイトが猿のコスプレしてウッキーって鳴いてたら見るよな。俺でも二度見するわ。

「でさ。鳴山の連絡先、教えてくんない?」

 嫌な予感がした。

「え……何で?」
「さっき撮った写真、送ってやるよ。よく撮れてるからさ」
「しゃ、写真!?」

 不穏な単語を聞いて前のめりになると、獅子田はポケットからスマホを取り出して画面を見せてくれた。
 そこには子どもたち相手に猿の説明をする俺の姿が写っていた。猿の被り物をつけて超イイ笑顔、暑さのために顔が赤らんでいて猿らしさ5割増し。ただ見られるだけならまだしも、画像データとして保存されるには屈辱的すぎる姿だ。

「け、消せー!」

 俺は叫びながら手を伸ばすが、華麗に躱された。獅子田は俺よりも20cmも背が高い。スマホを高く掲げられてしまえばどう頑張っても届くはずがない。

「スマホ寄越せっ…この、獅子田ぁ…っ」
「やらねーよ。こんな面白……じゃなかった。笑える写真、消すわけねーだろ」
「言い直した意味あるか!?」

 嫌味たっぷりの言葉を聞いて、俺は大切なことを思い出した。
 獅子田は性格が悪い。冗談ではなく本当に性格が悪い。なまじ見た目が良いだけに、『天使の皮を被った下衆野郎』なんて二つ名を持つくらいだ。
 特に異性関係に関しては下衆の極みで、二股三股は当たり前、貢がせた挙句にポイした元カノが何人もいるんだとか。

 獅子田に恥ずかしい写真を握られるのはまずい。俺は獅子田からスマホを奪おうと奮闘したが、体格差と身長差の前ではなすすべもなかった。
 真っ赤な顔でぜーぜーと息をする俺の傍ら、獅子田はスマホをポケットにしまい歩き出す。整った顔に憎らしさたっぷりの笑顔を浮かべながら。

「クラスメイトの弱味を握ったとか気分いいわー。じゃあ月曜日からヨロシクな、猿山くん♡」
「何がよろしく!?」

 俺は慌てふためいて質問するが、獅子田は答えてくれなかった。鼻歌でも歌い出しそうなほどの上機嫌で歩み去っていく。

 獅子田の後ろ姿がすっかり見えなくなった頃、俺はへなへなと地面にしゃがみこんだ。弱味を握った――という不穏な言葉が頭の中で繰り返される。

「……嘘だろ」

 平穏な日常が音を立てて崩れ去っていくような気がした。
 他のクラスメイトに見られたのなら笑い話で済んだだろうに、よりにもよって獅子田。何をしでかすかわからない下衆野郎に弱味を握られただなんて、俺の高校生活はお先真っ暗だ。

「さ、最悪っ……」

 うなだれる俺の頭から、猿の被り物が外れて落ちた。親近感すら抱いていたその被り物が、今はもう憎らしくて仕方なかった。

 ◇

 獅子田が再び俺に声をかけてきたのは動物園での出会いから2日後、月曜日の昼休みのことだった。
 友人2人と昼食を食べていた俺は、背後から突然、声をかけられた。

「鳴山、ちょっと頼みがあるんだけどさ」

 振り返ってみると、獅子田が笑顔で俺のことを見下ろしていた。うわ、嫌な予感しかしねぇ。

「……何?」
「一階の自販機でコーラ買ってきてよ。喉、乾いちゃってさ」
「……」

 嫌な予感というのは当たるものである。この後の展開は容易に想像できたが、素直に従うのは腹立たしく、俺は獅子田を睨み上げた。

「飲み物くらい自分で買いに行けばいいだろ」

 獅子田はわざとらしくスマホをちらつかせた。

「お、反抗すんの? おとといの写真、クラスのグループトークでうっかり共有されても構わねぇってこと?」
「っ……」

 写真を人質にされることは覚悟していたが、いざ本当に脅されると胸が重たくなった。一緒に昼飯を食べていた友人2人が、不安げな面持ちで俺と獅子田のやりとりを見守っている。

「……糞!」

 俺は悪態をついて席を立った。
 そしてニマニマ笑いの獅子田に見送られながら教室を後にしたのだった。

 コーラを片手に教室に戻ると、獅子田は教室の隅で女子生徒たちと談笑していた
 超がつくイケメンの獅子田は学校内の人気者だ。下衆野郎と噂されるほど女癖が悪くとも、お近づきになりたいと考える女子生徒は多いらしい。
 だから昼休みや放課後になると、獅子田の周りにはいつも数人の女子生徒がたむろしている。教室にできあがった現代のハレムのような空間は、俺には一生、縁のない世界だ。

「……コーラ、買ってきたけど」

 ぼそぼそと小さな声で獅子田に話しかけると、顔面に視線が集まった。獅子田を取り巻く女子生徒たちが、不思議そうな表情で俺のことを見つめている。

「……鳴山? なんで獅子田にパシられてんの?」

 と派手な化粧の女子生徒。確か名前は樫木さん。
 俺は樫木さんの質問には答えず、獅子田の胸元に買ったばかりのコーラを押しつけた。

「コーラ」
「お、サンキュー」

 獅子田はニンマリと口の端を上げた。俺をパシらせていることが面白くて仕方ないというように。

 ……噂通りの下衆野郎だな。写真を人質に取られてなければ大金を積まれても関わりたくねぇ。
 俺は怒りを抑えるために深呼吸をして、獅子田の胸の前に手のひらを突き出した。

「200円」
「え?」
「コーラ代だよ。とっとと払え」

 まさか俺が代金を請求するとは思ってもいなかったのだろう、獅子田は不愉快そうに眉をひそめた。

「お前……俺に金を請求できる立場だと思ってんの?」

 俺はイラッとして言い返した。

「逆に何で請求されねぇと思ってんだよ。俺がお前に奢ってやる理由なんてないだろ」
「写真、バラまかれてーの?」
「バラまかれたくないから大人しくパシられてやったんだろ。でも金まで盗られたらさすがに黙ってねぇからな。俺を脅した時点で、どっちが危ない橋を渡ってんのか自覚しろ」

 はっきりした口調で伝えると、獅子田は呆気にとられた表情で俺のことを見返した。クラスでも目立たない存在の俺が、こんなに強く言い返してくるとは想像していなかったのだろう。

 獅子田ぁ、と女子生徒の一人が甘えた声を出した。ロリータ系のファッションが似合いそうなその生徒の名前は指原さん。

「無理やり奢らせるのは良くないよぉ。コーラならあたしが何本でも買ってあげるから、ね♡」
「ん……」

 考えるうちに分が悪いと理解したのだろう。獅子田は大人しく財布を開け、100円玉を2枚、俺の手のひらにのせた。ちゃり、と硬貨が触れ合う音を聞くと、ようやく肩の荷が下りた気持ちだった。
 硬貨を財布にしまいながら席へ戻ると、2人の友人――高畑と江上がハラハラした表情で出迎えてくれた。

「鳴山……さっきのあれ、大丈夫なのか?」
「大丈夫って?」
「獅子田にパシられてただろ……ヤバい感じなら先生に伝えるけど」

 高畑の助言に、俺は少し考えてから答えた。

「いや、放っといてもらっていーよ」
「そう?」
「変に油を注ぎたくねぇわ。言うことは言ったから、これ以上悪くなることはないと思うし」
「鳴山がそう言うなら余計なことはしないけど……」

 高畑と江上は不安そうに顔を見合わせながらも、それ以上、獅子田の件に触れることはなかった。
 オレは決して嘘をついたつもりはなかった。獅子田は今の状況を面白がっているだけ。俺が素直に言うことを利かない奴だとわかれば、そのうち絡んでこなくなるだろう、そう思っていた。

 しかし俺の予想に反し、獅子田との関係は意外にも長く続くことになるのだった。

 ◇◇◇

 また土曜日がやってきた。その日も俺は動物園でアルバイトに勤しんでいた。

「みんな、今日は最後まで聞いてくれてありがとう! この後も動物園を楽しんでいってね、ウッキー!」

 お決まりの挨拶をして動物紹介は終わり。捌けていく子どもたちの背中をぼんやりと眺めていると、背後から声をかけられた。

「よ、猿山くん。今日もやってんな」
「うげっ……」

 顔をしかめて振り返ってみると、俺の背後には獅子田の姿があった。周囲の人々から頭一つ飛び出す長身に、憎らしいくらい整った顔立ち。両耳につけられた大小様々なピアスが、太陽の光を受けて煌めいている。

「何でまたいるんだよ……」

 俺が溜息交じりに文句を言うと、獅子田は嫌味たらしく凄んできた。

「客に向かってその言い方は何だよ。アルバイトの態度が悪いって口コミ投稿してやろうか?」
「好きにしてくれ」

 俺は投げやりに返事をした。
 この1週間の間に、俺は獅子田とのやりとりにほとほと愛想が尽きていた。獅子田は例の写真をちらつかせてことあるごとに俺に絡んでくる。自販機まで飲み物を買いに行かされた回数は数知れず――なお代金については毎回きっちり請求している――教師に頼まれた面倒な雑務を押しつけられたこともある。

 高畑と江上を含めたクラスメイトたちは、俺が獅子田にパシられていることを把握しながらも、現状は傍観に徹している。パシられている本人である俺が、まあまあ強い態度で獅子田に接していることが理由なのだろう。
 そんなこんなで1週間が過ぎ、俺は獅子田の絡みにうんざりしていた。本当に、心から面倒臭い。いい加減に飽きてくれ。

「で、俺に何の用?」
「ん? 別に用はないけど」
「あっそ、じゃあ俺は昼飯食いに行くわ。じゃあな」

 猿の被り物を片腕に抱き、俺はさっさと歩き出した。
 繰り返すが俺は獅子田とのやりとりに愛想がつかしている。学校で関わるのすら面倒臭いのに、バイト中まで絡まれたんじゃ堪ったもんじゃない。
 
「まぁ待てよ」

 獅子田の手が伸びてきて俺の肩を掴んだ。振り払って歩き続けようとするが、引き留めようとする力の方が強い。むかむかと怒りが湧いてくる。

「離せって! 早く昼飯食わねぇと、午後からも仕事があんだよ!」
「わかってるって。せっかくだし昼飯、一緒に食おーぜ」

 ……こいつ、正気か?

「絶対やだ。つーか無理。バックヤードで弁当食うし」
「お、いいね。動物園のバックヤードって一度入ってみたかったんだよね。案内して?」
「……お前って宇宙人? 俺の言葉、通じてる?」

 俺としては最大限の嫌味を言ったつもりだった。しかし獅子田は相変わらず飄々として態度で、俺の嫌味が応えた様子はない。笑顔のままべたりと腕を絡ませてくる。
 
「まぁ聞けって。俺、お前のこと割と評価してんのよ。弱味を握ってんのに言うこと利かねーし。気弱な奴かと思ってたら意外と口達者だし」
「……」
「だから仲良くしよーぜ。俺、気に入った子には優しくするタイプよ?」
「その割に、お前の恋愛についていい噂を聞かねぇけど。二股かけてたとか貢がせてたとか」
「あははっ、そりゃ事実だから返す言葉もねーな」

 何がそんなに面白かったのか、獅子田はけらけらと声を立てて笑う。一方の俺は獅子田とのやりとりに目眩を覚えていた。
 言葉は通じているはずなのに会話が通じない。本当に、宇宙人を相手にしているみたいだ。

 ……よし、逃げよう。
 俺は唐突に思い立ち、獅子田の腕を振り払って駆け出した。

「あ、こら、猿山!」

 獅子田の声が背中にあたるが、振り返ることはせず立ち止まりもしなかった。休日の人混みを縫って全力で走り、レストハウスのバックヤードに滑り込む。
 そうしてようやく、一息をついたのだった。

 ◇

「猿山ー、一緒にコーラ買いに行こうぜ」
「猿山。ちょっと日直の仕事、手伝えよ」 
「猿山猿山。昨日の英語の課題、写させて」
「猿山ぁー」

 ……ああ、もう。どうしてこうなったんだ。
 動物園での出会いから一ヶ月が経つが、状況は悪化するばかりだった。獅子田は何かと理由をつけて俺に絡んでくる。どれだけ邪険な態度を取ってもお構いなしだ。
 俺のことを気に入ったという言葉は本当のようで、一方的にパシられることはなくなった。だからといって対等な関係かと聞かれるとそうではなく、仕事や課題を手伝わされることがほとんどだ。
 
 そしてとある水曜日の体育の時間、今日も今日とて俺は獅子田に絡まれていた。

「猿山ー、一緒にパス練しようぜ」

 右腕にバスケットボールを抱えた獅子田が、俺の肩に無遠慮に体重を預けてくる。おい、これ以上、背が縮んだらどうしてくれんだ。

「……悪いけど、高畑と江上と約束してるから」
「パス練は2人組だろ。俺が入ればちょうどいいじゃん」
「……」

 正論なのでぐぅの音も出ない。
 結局、俺は獅子田相手にパス練をすることになった。初めのうちこそ俺を心配してくれた高畑と江上は、今ではすっかり獅子田の存在に順応してしまった。「気に食わないって虐められるより、気に入られてた方がいーじゃん」と高畑は言うが、言葉も常識も通じない奴に絡まれる俺の身にもなってくれ。

「獅子田ってさー……クラスに友達、いねぇの?」

 パス練の最中に尋ねると、獅子田は指折り返事をする。

「友達はたくさんいるけど。瑠奈だろ、渚だろ、音羽だろ……恵那と雪乃とも仲良しだし」
「女子ばっかじゃん。男子の友達はいないのかよ」
「男子はいないかもなー。バイト先になら、よく一緒に遊びに行く奴が何人かいるけど」
「バイト先って、モデルのバイト?」
「そう。有名人もいるぜ。紹介してやろうか?」
「いらね、興味ないし」

 獅子田は「冷てぇの」と言って唇を尖らせた。
 獅子田に男子の友達が少ない理由は説明されなくてもわかる。教室であれだけ派手に女子生徒を侍らせていれば、男子の反感を買うのは当然のこと。普通の精神の持ち主であれば友達になりたいとは思わないだろう。
 俺だって一方的に絡まれなければ、獅子田と関わろうなんて夢にも思わなかった。

「獅子田は――イテッ」

 次の話題を口にしかけたとき、俺の尻にバスケットボールがあたった。勢いはなかったがそれなりに痛い。

「鳴山、悪い」

 申し訳なさそうな表情で駆けてきたのは、隣のクラスの守屋(もりや)雅流(まさる)だった。バスケ部副キャプテンの守屋は、獅子田とは違った方向のイケメンだ。背が高くて筋肉質、太めの眉に岩を叩き割ったような輪郭が印象的。

「気をつけろよ。尻が腫れたらどうすんだ」

 ボールがあたった場所をさすりながら文句を言うと、守屋は悪戯に笑った。

「ははっ。尻が腫れたら猿らしくていーじゃん」
「うるせっ。お前にもボールあててゴリラみたいな顔にしてやろうか」
「俺は元からゴリラ顔だっつーの」

 守屋は肩を揺らして笑う。短い会話が終わり、守屋がその場からいなくなると、獅子田が目を丸くして尋ねてきた。

「今の、バスケ部の守屋だろ。知り合いなのか?」
「小中が一緒なんだよ。だから腐れ縁の関係というか」
「猿とかゴリラとか言ってたのは?」
「あー……」

 俺はボールを抱え、言い淀んだ。守屋との過去についてはあまり積極的に語りたくなかった。だからといって適当にごまかすこともできなさそうなので、言葉を選びながら説明する。

「小学生の頃、守屋に嫌がらせされてた時期があってさ」
「へー?」
「や、そんなに深刻な感じではなかったんだけど。小学生にありがちな、ちょっとしたからかいというか。まぁ……なんつーか、クラスの皆の前で『猿山』って呼ばれてさ」

 獅子田がふっと噴き出した。
 ……いや、笑うなし。自分の言動を鑑みろ。お前の悪口は小学生レベルってことだぞ。

「で、初めのうちは相手にしてなかったんだけど。あんまりしつこいから、あるとき『俺が猿ならお前はゴリラだ』って言ってやったんだ。そしたらそれ以降、俺たちが喧嘩するたびに『また猿とゴリラの戦いが始まったぞ』みたいな感じで言われるようになって」
「……」

 静かに話を聞いているかと思いきや、獅子田は背中を揺らして笑いを堪えていた。
 ……だから言いたくなかったんだよ!
 不満な気持ちをのせて力いっぱいボールを投げるが、簡単に受け止められてしまう。

「で、その戦いが高校生になっても続いてるわけ? その割に仲良さそうだったけど」
「守屋とのあれはもう挨拶みたいなもんだからなー。家も近所だし、たまにうちで一緒にゲームしたりするくらいに仲は良いよ」
「へー……俺が猿山呼びしたら怒るくせに、守屋は良いんだ?」
「そりゃ守屋は特別だから……」

 瞬間、ボールが勢いよく飛んできた。胸の前で受けとめるものの、受けとめきれずに息が詰まる。

「げほっ……」

 腕から零れたボールが、音を立てて体育館の床に落ちる。何度か咳き込み、文句を言うために獅子田を睨むと、冷えた眼差しが俺のことを見据えていた。

「……守屋は特別なんだ?」
「え?」
「気分悪い、抜けるわ」
「えっ……抜けるって授業を? 何でいきなり?」
 
 獅子田は答えなかった。さっきまでも饒舌さが嘘のように黙りこくり、早足で体育館から出ていってしまう。俺は床に落ちたボールを拾うことも忘れ、困惑しながらその背中を見送った。

 ……獅子田、怒ってた? 俺、何かまずいこと言ったっけ?
 自らの言動を振り返ってみるけれど、思い当たる節はない。元から仲良くするつもりなどないのだから、関係が悪くなる分には構わないのだが、理由がわからないのはモヤモヤした。

「パス練どうすんだよ、もー……」

 やっぱり獅子田のことは理解できそうにない、そう思わずにはいられなかった。

 ◇獅子田Side◇

(あー……イライラする)

 獅子田は乱暴な足取りで廊下を歩いていた。せっかく楽しい気分だったのに、鳴山が変なことを言ったせいで台無しだ。

「あれ……獅子田だ。ここで何してんのぉ、授業は?」

 人気のない廊下の一角で声をかけてきたのは、同じクラスの柏木瑠奈だった。ロリータ系のファッションが似合いそうな、獅子田の取り巻きの一人。

「ムカつくことがあったから抜けてきた」
「うわ、駄目な奴じゃん」
「そういう瑠奈だって途中で抜けてきたんじゃねぇの」
「あたしは女の子の日だから仕方ないのぉ」

 ジャージの袖で口元を隠し、瑠奈は小悪魔めいて笑う。

「ね……授業が終わるまで時間あるし、2人で遊ぼーよ。いつもみたいにさ♡」
「女の子の日なんじゃねぇの?」
「そんなに重くないから大丈夫だよぉ」

 瑠奈は甘えた声を出し、獅子田の二の腕に両腕を絡ませた。制服越しに柔らかな胸の感触。いつもの獅子田なら二つ返事で誘いに応じるところだが、今日は不思議なくらい気分がのらなかった。

「いや、今日は止めとくわ」
「え、何で?」
「その気になれないってだけ。少ししたら授業に戻るつもりだし」

 獅子田がやんわりと遠ざけると、瑠奈は不満そうな表情だ。

「最近の獅子田、つきあい悪いよね。教室でもあんまり構ってくれないしさ。土日に誘っても『用事がある』ってそればっかり」
「……そうだっけ?」
「そうだよぉ。渚とか音羽とか、みんな寂しいって言ってるんだから」

 そうだっただろうか、とここ最近の記憶を辿ってみた。言われてみればこの一ヶ月、休み時間といえば鳴山に絡みに行っていた。土日もバイトの日以外は動物園に通っていたから、取り巻きの女子たちは放ったらかしだった。

「鳴山と関わりだしてからだよね、獅子田が構ってくれなくなったの。やっぱり男子は男子同士のが楽しいのぉ?」
「いや、そんなことはねぇ……けど」

 獅子田は歯切れ悪く返事をする。
 
(言われてみれば何で俺、猿山にばっか絡んでんだろ。趣味も合わねーし、俺が話しかけると嫌な顔するし、楽しいことなんてないはずなんだけどなー……)

 ぼんやりと考えていると、さらなる疑問が湧いてくる。

(そういえばさっきは何がムカついたんだっけ? 猿山が守屋と仲良くしてたから? 特別だって言ったから?)

 獅子田は鳴山とのやりとりを思い返した。守屋は特別だから――あっけらかんと伝えられた言葉を思い出すと、またムカムカと怒りが湧いてきた。
 でも、同時に腑に落ちない気持ちもあった。鳴山が守屋と仲良くしていたからといって、獅子田が怒りを感じるいわれなどないはずだ。

「獅子田……難しい顔してどうしたのぉ?」

 瑠奈が不思議そうに尋ねてくるが、獅子田は自分の気持ちをうまく説明することができなかった。

「何だろうな……自分でもよくわかんねぇ」

 獅子田がその怒りの理由を知るのは、まだもう少し先の話になるのだった。